【16】連載「横浜市立大学着任」

 横浜市立大学へ移ったのは1973(昭和48)年4月である。その秋にオイルショックが襲い、トイレットペーパーの買い占め騒ぎがあった。

 初めて市大キャンパスを訪れたときは、どことなく懐かしい風景に目を見張った。京浜急行線の金沢八景駅下車、改札を出てすぐ左手の狭いガードをくぐると茅葺屋根の大きな邸宅があり、線路わきの細道を品川方面に歩くと正門に至る。左手に木造の守衛室、奥に木造体育館と体育研究室があった。

 広い空にトビが悠々と舞い、銀杏並木の右側に木造の落ち着いた建物が拡がる。手前が3階建て(講義棟の一部)、ついで2階建て(管理棟)、そして平屋建て(事務棟)。その奥に講堂と中庭、それをぐるりと囲む落ち着いた佇まいの木造2階建ての講義棟があり、それらは今も健在である。

 銀杏並木の左側はグランド、その先に旧海軍将校兵舎をそのまま使った木造2階建て(現在の文科系研究棟の位置)があり、中に広い研究室があった。高窓から風が吹き込み、床はギシギシ音を立てる。研究室に電話はなく、係の方が部屋まで知らせに来てくれた。

 食堂はかまぼこ兵舎と呼ばれた細長い木造建築の中にあった(現在のシーガルホールのあたり)。また今のカメリア・ホールの場所は、たくさんの椿(カメリア)が茂る小さな公園でシェークスピア・ガーデンと呼ばれていた。

 このころの私の主な研究課題の1つが現代中国の農村問題である。採用時の業績(『中国の土地改革と農村社会』1972年、アジア経済出版会)の延長上に、「中国の初期合作社」(滝川勉、斎藤仁編『アジアの農村協同組合』1973年所収)、「現代中国の農村労働」(上、下、『横浜市立大学論叢』1975年)を発表した。

 その関連で「農法」に関する論文を2本、「養豚と中国農法の変革」(熊代幸雄・小島麗逸編『中国農法の展開』1977年所収)や「春耕考-中国の伝統的乾地農法における春耕の役割」(『横浜市立大学論叢』1977年所収)を書いた。いずれもアジア経済研究所の勉強会で天野元之助さん(1901~80年、主著に『中国農業史研究』1963年)や熊代幸雄さん(1911~79年、主著に『比較農法論』1969年)から得たヒントに基づく。

 「農法」とは、農業技術とそれに関連する農業経営を意味する。時代を遡るほど技術とそれを支える道具類の果たす役割、それに栽培手順・時期と連作の可否等の技術的知見の持つ役割が大きくなる。戦後食糧難の東京で農作業の手伝いをした経験や、長じては自宅近くの菜園での経験がすこし役に立った。

 ウィリアム・ヒントン『翻身』の共訳(1972年、平凡社)についで同氏の『鉄牛-中国の農業革命の記録』(1970年刊)を赤尾修さんとの共訳で1976年に平凡社から刊行した(編集担当は岸本武士さん)。鉄牛とはトラクターの意味で、細分された農地には導入できないが、「合作化」により大規模化した農地では大きな力を発揮する。

 ++共訳者の赤尾修さんとは、連絡が取れないでいる。私のブログに1度だけコメントをくれたことがあるが、アドレス不明で返信の仕様がなかった。ブログの末尾に「拍手」の欄があり、ここをクリックして意見欄にメモを書いてくれるとアドレスが残り、私から返信ができます。気づいたら、「拍手」欄から入り、連絡をください。++

  これと並行してアジア経済研究所の共同研究では、現代中国の「雑誌解題『経済旬刊』」(『アジア経済資料月報』1976年)、「雑誌解題『東亜時論』」(小島麗逸編『戦前の中国時論誌研究』1978年所収)と地道な資料目録の作成を手がけた。

 うち『経済旬刊』は1930年代の国民党の経済政策等を解明するための史料とした。また『東亜時論』の解題は、30余年後、高木宏治編集・復刊『東亜時論』(全3巻、ゆまに書房 2010年)に収録され、ふたたび日の目を見る。

 また依頼原稿の「中国におけるお雇い外国人」(大久保利謙編『資料御雇外国人』小学館、1975年所収)を書いたが、これは中国農業や農村とは異なる話題で、日本とアジア諸国との関係の具体的側面を描こうとしたもの。明治政府のお雇い外国人のなかの中国人(1870年代の製茶法の技師)と、のちに中国政府(1911年の辛亥革命で成立した民国政府)が雇用した日本人のお雇い外国人(法律、教育制度等)を中心に取り上げた。この間に約40年の時間が流れており、日中間の技術需要の相違を反映している。

 研究課題の広がりは都市研究にも及んだ。最初の論考は「上海略史」(松本重治『上海時代』中公新書 上 1974年所収)で、のちの共同研究『アジアの都市と建築』や、横浜・上海の共同研究『横浜と上海-近代都市形成史比較研究』、

 市大とブリティッシュ・コロンビア大学との共同研究『横浜とバンクーバー 環太平洋の都市形成』につながり、さらには19世紀初頭のロンドン・北京・江戸の比較都市形成史へと発展する。
 
 つづく「中国革命の農業」(『現代思想』誌1976年)、「中国の自然改造」(高橋満ほか訳『中国の自然と産業』龍渓書舎1976年所収)、「毛沢東思想と農民」(『アジア レビュー』誌1976年冬号)等は、題名が示す通り現代中国の農業が主題であるが、森林被覆率・降雨量・耕地面積比等、農業環境の日中比較を強調しており、私のなかで文明史への関心が膨らんでいった。

 平行して進めた『道』誌連載の「遥かなる道-東南アジア紀行」(1973年11月号~1976年11月号までの約3年間の計15回)では、19世紀中ごろ以降の広域アジアの歴史へと範囲を拡げた。進めれば進めるほど、日本国内にある史料の限界を痛感し、歯がゆい思いに駆られる。これに関する史料の蓄積がもっとも厚いのは「超大国」イギリス、そこには無尽蔵とも言える膨大な史料が眠っているはずである。(続く)
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プロフィール

Author:加藤 祐三
日本の歴史学者

横浜 市立大学名誉教授

国指定名勝・三渓園(横浜)
園長

・前都留文科大学長
(2010~2014)

・元横浜市立大学長
(1998~2002)

主な著書
「イギリスとアジア」
         (1980年)
「黒船前後の世界」(1985年)
「東アジアの近代」(1985年)
「地球文明の場へ」(1992年)
「幕末外交と開国」(2012年)
蒋豊訳「黒船異変」(2014年)
蒋豊訳「東亜近代史」
         (2015年)

 など

専門
・近代アジア史
・文明史

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