【15】連載「東南アジア紀行」

 助手の最終年の1972年、国際文化会館の助成金を得て東南アジア・インドへ旅行したことは前述したが、その紀行文を通じて私なりに近代アジアの実像を描いた。『道』誌(世代群評社)連載の「遥かなる道-東南アジア紀行」は、横浜市立大学助教授(現在の准教授)に転任後の1973年11月号から1976年11月号までの約3年間の計15回、それを基にして1冊の本にまとめたのは旅の5年後の1977年である。

 ただ旅の最中から帰国後の約1年間、すなわち助手時代の最後の年に基本的枠組みはできていた。研究課題の拡張は、私自身の史観の赴くままに進め不安もあったが、東洋文化研究所の助手仲間との「雑談」や広島・アウシュビッツ平和行進の体験を無駄にしないようにと、少しずつ方向を定めることができた。

 旅を通じて、その地や人々の生き方を実感すれば文献史料の読み方が変わるにちがいない。歴史学は古今東西森羅万象を包含するが、そのなかで何が大切かを決めるのは個々の歴史家の史観である。この史観は、狭い自分だけの日常を脱し、多様な日常に接することによる着想と、そこに始まる文献調査や史料批判を通じた実証的な叙述のなかで初めて形となると考えた。

 この旅を通じて得た着想に沿って文献調査と実証を重ね、論文集の形ではなく、一般書として届けられればと思った。これが『紀行随想 東洋の近代』(1977年 朝日選書)であり、次の12章からなる。

 「1 香港の農村」、「2 植民地支配の技術」、「3 幕末日本人の対外認識」、「4 ビルマの静寂」、「5 国際商品コメの政治」、「6 <日本意識>と他民族国家」、「7 <アジア>-価値観の分裂」、「8 <東洋>-象徴語としての意味転換」、「9 新興経済における国家資本主義」、「10 国際政治と土着思想」、「11 造化の島-セイロン」、「12 東洋の近代」。

 記述が旅程の順になっているのは、旅の移動をそのまま反映させたからである。話題は大別すると次の3種になる。

 (1) 旅で実見したことを出発点として、その背後にある歴史を考察したもの(1、4、11)、言い換えれば歴史学にフィールドワーク的な方法を導入したもの。冒頭では香港の中心街からバスで1時間ほどの旺角(モンコック)の農村風景を描写、約20年前の中国西北部の土地改革時のイメージを重ねた。4のビルマ(現ミャンマー)では首都ラングーン(現ヤンゴン)の静寂に潜む青年将校の不満と改革へのポテンシャルを描いた。

 (2) 近代日本人の世界観の変化を「新造漢語」を通じて考察したもの(3、6、7、8)。幕末・維新期に外国語(主に英語)の訳語として新たな漢字の組み合わせにより、例えば経済、民主、主義、哲学等々の新造漢語が生まれ、それを通じて対外認識も変わった。
 前から気になっていた「東洋」は、卒業した東洋史学科、助手として勤めた東洋文化研究所に冠されていたが、その語彙の変遷と、関連語「アジア」の意味変遷を追った。

 (3) 種々の分析法を通じてアジア現代史の実像を描こうとしたもの(2、5、9、10)。社会科学でよく使われる概念(植民地、国家資本主義等)を用いて現実分析を試みると、概念と実体とのギャップの大きさに戸惑う。実体を見聞・分析しながら、概念の再構築を図ろうとしたが、これは未完である。

 本書の末尾で、歴史家にとって旅の意味とは何かを述べた。「旅は歴史家の母というのは、古今東西を問わず、あてはまる。短い旅であっても、旅をとおして歴史を考えるということは、現代においても、いな現代においてこそ、いっそう大切だといえるかもしれない。…」

 「文献で知った事柄を、実地に見聞して確かめるという現場検証的なやり方が一つあるが、これはむしろ邪道である。文献史料の教えてくれないこと、語りかけてこないこと、これを掴みとるのが旅の意味であろう。旅は歴史を考えるきっかけを与えてくれる。そこで直感したものを、のちの文献探索が肉付けしてくれる。いいかえれば、旅で直感した主体的な何ものかが、死んでいた史料に新しい生命をふきこむ」

 研究の広がりは進んだものの、助手の身分は安定していなかった。東洋文化研究所は助手(現在の助教)から助教授(現在の准教授)には昇格させない暗黙の了解があり、任期後は学外へ出ることになっている。

 私にも幾つかの大学から誘いがあったが、種々の理由から実現しないでいた。東南アジア旅行中にも連絡先の1つ、シンガポール大学東南アジア研究所気付けで、佐伯有一教授から某大学の締め切りが近いから連絡せよと電報が来ていた。2日ほどしか余裕がなく、熟慮のすえ断念した。

 帰国後の秋頃であったか、幸いにも横浜市立大学から声がかかった。助教授として来ないかという打診であり、すぐに必要な書類を出した。

 文理学部には歴史学の錚々たる著名学者が揃っていた。人文課程に日本史の遠山茂樹さん(近代史)、辻達也さん(近世史)、東洋史の小島晋治さん(中国近代史)さん、西洋近代史の大野真弓さん、それに社会課程の今井清さん(政治学・日本政治史)、国際関係過程に井上一さん(西洋古代史を兼務)と山極晃さん(米中関係を中心とする国際政治)である。

 面接では遠山さんが主に話をしたが、文理学部の構成等の説明が多く、提出した業績内容(著書1点、論文6点、共訳を含むその他4点)に関する質問は少なかった。

 のちに知ったが、当時の教員採用人事は、現在主流の公募方式はまれで、大部分が推薦方式であった。採用側の大学(学部)が人事委員会を構成し、業績(発表済の著書・論文等)・年齢等を一覧した候補者リストを作成、主な業績を査読して候補者を2~3人に絞った後に本人に打診、面接を行い、その結果を教授会にかけて採否を決めていた。(続く)
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プロフィール

Author:加藤 祐三
日本の歴史学者

横浜 市立大学名誉教授

国指定名勝・三渓園(横浜)
園長

・前都留文科大学長
(2010~2014)

・元横浜市立大学長
(1998~2002)

主な著書
「イギリスとアジア」
         (1980年)
「黒船前後の世界」(1985年)
「東アジアの近代」(1985年)
「地球文明の場へ」(1992年)
「幕末外交と開国」(2012年)
蒋豊訳「黒船異変」(2014年)
蒋豊訳「東亜近代史」
         (2015年)

 など

専門
・近代アジア史
・文明史

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