姉妹都市サンディエゴの友人たち

 横浜の姉妹都市でアメリカ西海岸サンディエゴ(San Diego)からの賓客を、2016年4月11日(月曜)午後、花冷えでソメイヨシノが葉桜で残る三溪園でお迎えした。正門で三溪園職員とボランティア有志が一行と初めての挨拶を交わしたが、旧知の仲のように打ち解けた。
 横浜市は8つの都市と姉妹・友好都市提携を結んでいる。サンディエゴ(アメリカ)、リヨン(フランス)、ムンバイ(インド)、マニラ(フィ リピン)、オデッサ(ウクライナ)、バンクーバー(カナダ)、上海(中国)、コンスタンツァ(ルーマニア)。うちムンバイ、マニラ、オデッサ、バンクーバーの4都市とは、昨年(2015年)、提携50周年を迎えた。
 なお具体的なテーマや期限を決めて戦略的交流を行う7つのパートナー都市(北京市、台北市、釜山広域市、ホーチミン市、ハノイ市、仁川広域市、フランクフルト市)があり、フランクフルト(ドイツ)、上海、ムンバイの3都市には、横浜市が事務所を置いている。
 サンディエゴ市との姉妹都市提携は、8市のなかでいちばん早く1957年、来年60周年の還暦を迎える。ついでリヨン市と1959年に、そして上掲の4都市と1965年に、上海とは1973年、またコンスタンツァとは1977年に締結した(横浜市ホームページによる)。
 今年に入って、サンディエゴ横浜姉妹都市交流会の歴史委員会事務局長で、同市の日本庭園・三景園(三溪園と同音異字)のプログラム・オフィサーをつとめるフレドリック・ヒューウィットさん(Frederic Hewett)から三溪園の吉川利一事業課長へ、立派な日本語のメールが入った。2月25日づけのメール。
 「…必要以上負担をかけたくないですが、私はサンディエゴ三景園のガイドの育成を担当していますので、貴社のボランティアたちによるツアーを体験してみたいと思います。弊社の団体も感謝すると思います。
今のサンディエゴ横浜姉妹都市交流会のボードメンバーの殆どが最近、新世代に代わり、皆が緊密な関係を持っています。理事会の大部分のメンバーは30歳代、40歳代で、若い子供がいて、よく遊び合ったりする形ですが、私たちのやり方はとても積極的です。今回の使節団も皆が日本文化に熱心で、校長さんを除いて皆自負(自費?-加藤注)で横浜に訪れる予定です。ですから、それほど正式的な接待は必要がないと思います。使節団は今回の来訪が建設的で、よい成果を成し遂げることを希望しています。」
 3月25日のメールには「金沢高校生20人の五日間の交換留学は終了したところです。SD横浜姉妹都市交流会が学校訪問や観光の旅程作りを担当しましたが、その間私がサンディエゴ日本友好庭園(三景園)のご案内を担当させていただきました。今週の体験は今後の交流の発展にきっとよい成果をもたらすと思います。」とある。
 サンディエゴ(SD)横浜姉妹都市交流会とある組織(以下、「SD交流協会」、ホームページはwww.niwa.org)の主務の1つが「三景園」であり、日本庭園をよく知りたいとして、我が三溪園に直接に連絡をくれたようだ。初めて三景園と聞いたときは、一瞬、「海賊版か」と思ったが、SD交流協会のビデオで来歴を知り、支える人々の熱意を感じた。
 三景園は、1915年のパナマ太平洋万博(パナマ運河開通と欧米人の太平洋発見400年を祝う)で造られた小さな日本茶屋に始まり、日米戦争(1941~45年)の強制収容所行きで管理者のアサカワ・モトさんを失い荒廃する。戦後に再開、多くの人々の努力が実り、1957年に横浜サンディエゴ姉妹都市提携を結んだ以来、徐々に復活する。
 1984年には友好庭園協会とサンディエゴ市との間で50年間の使用許可契約を結び、バルボア公園内(4.6ヘクタール)の一部を三景園のために確保、ついで細郷道一横浜市長(当時)の揮毫「三景園」の石版が建てられ、2013年には京セラの稲盛和夫夫妻が新たに300万ドルを寄付、現在の規模に拡張した。
 SD交流協会訪問団の構成は、会長のSteven Sigafusさん(夫人と2歳の子息を同伴)、副会長のEdward Parkさん、協会秘書の佐々木君子さん(会長夫人)、上掲のFrederic Hewettさん(歴史委員会事務局長、三景園プログラムオフィサー)、教育委員会主任のErnest Remillardさん、歴史委員会委員のMatthew Rustenholtzさん、そして三景園への元インターン森野愛美さん。
 サンディエゴ市の特徴を大まかに挙げておこう。地理的にはアメリカ西海岸カリフォルニア州の最南端でメキシコに隣接、軍港を持ち、最先端科学産業と豊かな自然を誇る観光都市でもあり、市民の過半数が35歳以下、労働者の約30%が大卒という高学歴都市、また人種構成は白人が54%、ヒスパニックが24%、アジア人ほかが13%で、100を超える言語が使われる多民族・多文化都市でもある。
 賓客を迎えることは度々あるが、今回は格別の思いがある。太平洋を挟んだ2つの都市に造られた日本庭園、その保存と活用を管理する2つの団体の関係者が初めて顔をあわせた。
 吉川事業課長が案内のスケジュールを作成し、この日のボランティアリーダーの湯川幹男さん、英語ガイドをつとめた柴澤重四さん、吉野直美さんが、3時間という短い時間内で可能なかぎり三溪園を伝えたいと考えた。さらに同ボランティアの大津みどりさん、福井けい子さんが秘密の「特別企画」も準備した。
 三溪園の由来を説明しつつ内苑を案内する。臨春閣、聴秋閣、いずこでも歓声が上がる。ついで三溪が1917年に建てた茶室・蓮華院(れんげいん)へ。土間には平等院鳳凰堂(京都)の古い柱が使われている。6畳間の茶室で抹茶のもてなしの「特別企画」には、かなりの時間の正座にも嬉々として応じてくれた。
 ついで三溪記念館の展示(三溪の書画から「山笑う」を展示中)を通じて三溪の人となりを知ってもらう。外苑では、岐阜県白川郷から移築された合掌造りに入り、展示民具を通して200年ほど前の日本の生活風景を説明した。一行はメールにもあった通り若いメンバーばかりで、元気旺盛、3時間では物足りないと言わんばかりに疲れを見せず、いっぱいの笑顔で再会を期した。
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

Author:加藤 祐三
日本の歴史学者

横浜 市立大学名誉教授

国指定名勝・三渓園(横浜)
園長

・前都留文科大学長
(2010~2014)

・元横浜市立大学長
(1998~2002)

主な著書
「イギリスとアジア」
         (1980年)
「黒船前後の世界」(1985年)
「東アジアの近代」(1985年)
「地球文明の場へ」(1992年)
「幕末外交と開国」(2012年)
蒋豊訳「黒船異変」(2014年)
蒋豊訳「東亜近代史」
         (2015年)

 など

専門
・近代アジア史
・文明史

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
カテゴリ
QRコード
QR