【11】連載「専門書の出版」

 東洋文化研究所助手2年目の1968年、学園闘争はピークを迎え、ベトナム戦争反対運動が世界を席巻、中国の文化大革命が過激化していた。その旧正月、ベトナム解放民族戦線がサイゴン等への一斉攻勢(テト攻勢)を開始したとの報道に接し、その将来像をふと口にしたところ、一般雑誌に書いてみないかと言われ、「ベトナム解放をどう考えるか」を『世界』(岩波書店)誌の1968年4月号に発表した。
 ベトナムにおける対外戦争から政権確立へ、この道は対日戦争勝利(1945年)から内戦を経て1949年の新中国(中華人民共和国)成立を導いた20年前の中国ときわめてよく似ていると仮定し、両者の政治過程の類似性を基に、ベトナムの将来像(南北ベトナムの統一政権の樹立)を描くという手法を採った。しかし書き進めるうちに、歴史のアナロジーをあまり使うべきでないと反省、これを最後に評論的論考の執筆を断念した。
 ついで同じく修士論文の一部を「土地改革前の中国農村社会」(『アジア経済』アジア経済研究所、1968年12月号)として発表、1930年代に集中的に行われた国民党政権下の農村再編過程を、行政組織・土地所有・地域財政・農民協同組合の諸側面から解明、これが後の土地改革が直面する対象であることを示した。
 また「中国革命と東アジア」(歴史学研究会編『講座日本史』8巻所収 東京大学出版会 1971年)は、1945年8月10日朝の御前会議で日本がポツダム宣言を条件付き(国体の護持)で受諾することを決定、これをスイス等の中立国を通じて連合国へ打電するが、それを傍受した中国では国民政府軍と八路軍がそれぞれ在華日本軍の武装解除を開始、これが中国の戦後の第一歩となることを示し、戦後史を日本と連合国の関係のみならず東アジアとの関係で述べた。
 本稿から44年後の2015年、戦後70年を機に多くのルポルタージュが作られ、そこで初めて明かされる事実(証言や史料発掘によるもの)が少なくない。その1つNHKスペシャル「終戦―その知られざる7日間」は、題名の示す通り、8月15日の「終戦の詔書」(玉音放送)が陸海軍の末端まで伝わらず、大本営が8月22日午前零時までに(外地では25日と延期)「一切の戦争行為を停止せよ」とする「停戦命令」を発動するまでの7日間を描いている。
 当時、内外に展開していた日本軍将兵は約800万人、各地で戦闘行為がつづき、実際の停戦と武装解除に至るまで難題が山積していた。「徹底抗戦」「集団自決」を叫ぶ特攻隊員、また上官の出動命令に対して終戦(玉音放送)になった以上、出動は無用と、部下の隊員に「無駄死にせず新日本建設のために尽くそう」と説得した若い隊長(大学出の中尉)の行動等が明らかにされた。撤退の知恵を持たない日本陸軍のなかで、冷静な状況判断と人間性を堅持した人物の姿が浮かぶ。
 私の次の論文は「日本の満州侵略と中国」(『岩波講座 世界の歴史』27巻、1971年)で、満州事変を日本側からでなく、主に中国側から分析したもの。世界矛盾の焦点と言われた満州(中国東北部)の経済(主に大豆と鉄道)と日本の進出に対抗する張学良政権の基盤を明らかにし、それが蒋介石の国民政府による統一(軍閥の排除)に編入されていく過程を分析、第二次国共合作(1937年~の抗日戦争期)への展望を結びとした。
 この時期、旧友・戴国煇さん(東大農学研究科出身)の推薦を受け、修士論文の補正に着手、『中国の土地改革と農村社会』(アジア経済出版会 研究参考資料189、1972年)を出版することができた。私の初めての専門書である。
 戴さんは台湾出身、東大留学を経てアジア経済研究所(市谷)に勤めており、「新たな研究テーマに進む前に、区切りをつけるため修士論文を上梓する意味がある」と出版を強く勧めてくれた。
 これを区切りに、私は現代中国の農村社会研究をつづけながら、異なる分野へと関心を拡げていった。(a)対象とする時代を現代(20世紀)から近現代(19世紀~20世紀)へと拡張、(b)対象地域を中国以外のアジアへと広げて近代アジア史とし、さらに(c) 近代日本のアジアとの関わりも研究対象に加えた。
 この(c)の関心から最初に書いた論文が「学問と植民地支配にかんする覚書」(『東洋文化研究所紀要』1971年)である。明治以降の日本の大陸政策を主に植民地支配の理論と実践という面から分析、伊藤博文らがお雇い外国人から学んだイギリス流の植民地支配理論、日本の国内的要請からの調査と大陸進出の理論(商権拡大から資本輸出へ)、日本外交と列強の対華政策との競合を描いた。
 また「軍医 落合泰藏・小池正直・森林太郎」(『朝日ジャーナル』誌連載「近代日本と中国」の第9回、1972年3月17日号)は、明治初期の3人の軍医を選び、台湾出兵に同行した落合、朝鮮在勤で朝鮮人の食料と体格との関係を学んだ小池、ドイツ留学で陸軍兵食問題を研究した森の事跡と意見を分析し、銃砲弾より病気が主敵(死亡者が最多)の時代に、軍医が果たした役割を述べた。のち竹内好・橋川文三編『近代日本と中国』(朝日選書 上、1974年)所収。
 さらに同年秋、木下順二・小島麗逸・橋川文三と4名で「座談会 近代日本と中国 どこから踏出すか」(『朝日ジャーナル』1972年12月29日号)を開き、連載で得られた種々の知見を受け、今後の課題として、異文化交流における善意と悪行、国家と個人、行動の背後にあるエトス、歴史の連続性等を話し合った。のちに竹内好・橋川文三編『近代日本と中国』上(同上)に収録。
 このころW・ヒントン『翻身』の翻訳を進めていたが、共訳者の一人、加藤幹雄さん(国際文化館)を通じて、国際文化館理事長・松本重治さん(1899~1989年)の回想録『上海時代』(中央公論社菊版 1975年)の手伝いや同氏へのインタビューにも参加、のちに『上海時代-ジャーナリストの回想』(全3巻、中公新書 1974、75年)に「上海略史」と「中国関係重要人名録」を書くことになる。また同会館の若手研究者助成金を受け、10年ぶりに東南アジア・インドを回ることができた。(続く)
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プロフィール

Author:加藤 祐三
日本の歴史学者

横浜 市立大学名誉教授

国指定名勝・三渓園(横浜)
園長

・前都留文科大学長
(2010~2014)

・元横浜市立大学長
(1998~2002)

主な著書
「イギリスとアジア」
         (1980年)
「黒船前後の世界」(1985年)
「東アジアの近代」(1985年)
「地球文明の場へ」(1992年)
「幕末外交と開国」(2012年)
蒋豊訳「黒船異変」(2014年)
蒋豊訳「東亜近代史」
         (2015年)

 など

専門
・近代アジア史
・文明史

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