最終講義「古代南インドのグルメ文学」

 歴史研究の調べに最近は東大の総合図書館と文学部図書室を使うことが多い。総合図書館の北側(正面入口)地下の増築工事が行われていて、いささか騒がしく、三四郎池や構内の各所、開架式書架等をぶらつく時間が増えている。
 学生運動の盛んな時代には構内狭しと立看板が並んでいたが、まばらになってから久しい。少ない立看板の1つ、最終講義、高橋孝信「古代南インドのグルメ文学」に目がとまった。開催は2月22日、文学部2番大教室とある。半世紀も昔、この教室で中村元教授の名講義「インド思想史」を受講したことを思い出した。懐かしさもあり、同じ教室へ聴きに行った。
 配布された資料は、A4×1枚の目次(講義概要)とA4×7枚の作品『歌舞人の案内記』(仮日本語訳)で、南インドのタミル語(ドラビダ語)の、248行からなる3世紀頃の詩である。これまでの私の関心とほぼ対極にあるテーマで、きわめて刺激的であった。かいつまんで紹介したい。
 現在のインドの言語は、サンスクリット語やヒンディー語等のインド・ヨーロッパ語族が約4分の3、タミル語等のドラヴィダ語族が約4分の1を占め、オーストロ・アジア語族やシナ・チベット語族等は合わせて2%ほどである。
 3世紀には、おそらくタミル語の比率が現在より高く、南下するサンスクリット語文学の影響が拡大しつつある状況が本作品にもよく表れている。大まかに言えば、サンスクリット語文学が理念的かつ荒唐無稽で、多くの神々が登場するのに対して、タミル語文学は極めて具体的・写実的で、神々は登場しない。
 ところが具体的・写実的とされるタミル語の身近な日常生活にかかわるモノ、衣食住、楽器、動植物等の具体名の特定が至難の業で、たとえば琵琶と訳してきた楽器が竪琴(棹の先端がコブラのように反っている)と分かるまでに長い年月を要したという。
 タミル古代文学は恋愛詩(8割弱)と英雄詩(2割強)に分類され、それぞれが様式化されており、約470人の詩人による2380余の詩があり、「8つの詩華集」と「10の長詩」という二大詩華集として今日に伝わる。「10の長詩」のうち半数が「案内文学」、すなわち「ある王や族長の所へ行って歓待され、たくさんの贈り物を得た旅芸人が、他の旅芸人に、その王や族長の所へ行くことを勧める作品」という。いくつか引用したい。〔 〕は訳者による補足。

 まずは主役の歌舞人と竪琴が登場する。なお歌舞人は2年前までは「戦争詩人」と誤訳されていたよし。
…新たな富が途切れることのない、広い共同広場のある
大きな村の祭りが終わった翌日、ご飯への渇望はなくなり
他の場所〔へ行くこと〕を考えている、如才のない歌舞人よ!
〔鹿の〕蹄の跡のように〔2つに〕別れ〔中央の筋が出〕ている共鳴胴の
ランプの炎の色をした、きつく張った竪琴の皮は
分からない〔ほど〕小さな胎児のいる、褐色の女の美しいお腹の
うっすらとした産毛が生え揃ったようにみえる。

 また歌姫の描写では、
…黒砂のような髪、三日月のような美しい額、命を奪う弓のような眉、美しい目尻の涼やかな目…美しいイヤリングの、揺れのある重さに合う耳、恥じらいに圧されて俯く、乙女の美しさが輝くうなじ…盛り上がった若く美しい胸、水面をそよがす風のような、素晴らしい臍…。

 ついで王宮での歓待ぶりに触れる。
…〔酒を〕雨のように〔注ぎ〕、酩酊の喜びをもたらす〔酒を〕、
王宮で、宝石を〔身に〕飾った美しい、心地よい笑みを湛えた女たちが
傷ひとつない金の容れ物に満たして、
何度も何度も、次々と注いでくれた。…
羊の、すばらしくよく煮たもののうち
腿の部分を「食べなさい」と〔王は〕言って勧めてくれた。さらに
鉄串で焼いた脂身の、どっさりした熱い肉の塊を
〔口の〕端から端へと〔転がし〕押し付けて〔食べて〕いた。そして
…甘い様々な形〔のケーキ〕を熱心に勧めてくれ、〔私を〕座らせ、
〔皮の表面に〕練りものを塗った、ムリャヴ太鼓と調べの合う小琵琶を持つ
輝く額の踊り子たちが、リズムに合わせて踊る
こんな喜びをもたらすヤシ酒とともに、来る日も来る日も過ごしていた。…

 最後の178行からは、南インドを東から西へ、海岸地帯、田園地帯、森林地帯、そして南北に走る山脈を越えてアラビア海に落ちる一帯までの、それぞれの地形、社会組織、動物や鮮やかな色の薬用の花等を描く。例えば、
…〔田園地帯では〕智者たちが集会所に入り、論敵と論争し、また
しな垂れたマガリ樹や赤い〔花の〕マルガム樹のところで
おどおどした目の孔雀が鳴声を発し
緑のパラツミの実の、房なりになった
黄褐色の果肉を食べる。

 そして最後を、カリカール王を讃える言葉で結ぶ(248行目)。
…〔そんな〕大地に住まう彼の王は、
欠点のない唯一の傘を持って、〔己の統治〕一事のみ語り
長い間統治して常にもっていた、大きな哀れみの情と
法の道と結びついたその性質を知る王の笏とをもった、そんな人である。
栄えよ、勝利の槍を持った王よ!……
カーヴェーリ川が〔恵みを〕もたらす国の王〔カリカール〕よ!

 この詩は、歴史(社会史)の史料でもある。高橋さんの最終講義は、詩という一つの作品を通じて、豊穣の古代南インドの文学を掘り下げつつ、歴史の一端を提示してくれた。
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プロフィール

Author:加藤 祐三
日本の歴史学者

横浜 市立大学名誉教授

国指定名勝・三渓園(横浜)
園長

・前都留文科大学長
(2010~2014)

・元横浜市立大学長
(1998~2002)

主な著書
「イギリスとアジア」
         (1980年)
「黒船前後の世界」(1985年)
「東アジアの近代」(1985年)
「地球文明の場へ」(1992年)
「幕末外交と開国」(2012年)
蒋豊訳「黒船異変」(2014年)
蒋豊訳「東亜近代史」
         (2015年)

 など

専門
・近代アジア史
・文明史

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