20世紀初頭の横浜―(1)市域拡張

 なにげなく使う20世紀や21世紀という表現は、安政や明治のように元号を使ってきた日本語からは生まれにくい。西暦表記が徐々に普及、0年を基軸として紀元前と紀元後を置き、100年単位でくくることで生まれた新しい表現が「世紀」である。
 20世紀という表現が日本語に初出するのは、三宅雪嶺「日本人の能力」(『真善美日本人』1891年)に「二十世紀より後は蓋し蒙古種に取りて好望の世なり」と述べたものか(『日本国語大辞典』第2版、小学館、2001年)。
 1901年(明治34年)1月1日が20世紀最初の日である。その日の「時事新報」紙に「世界の年代は恰も十九世紀を経過して二十世紀の新時代に遷れり」とある。   
 1月2日と3日、「報知新聞」紙には「二十世紀の豫言(予言)」が掲載された。同紙は、1872(明治5)年創刊の「郵便報知新聞」を前身とし、1894(明治27)年に「報知新聞」と改題、広告欄を大幅に拡大し、政論紙から大量販売の大衆紙へと切り替えた。
 この「二十世紀の予言」は、次のように始める(115年前の新聞から。引用は常用漢字とし、適宜、句読点を加えた)。「十九世紀は既に去り、人も世も共に二十世紀の新舞台に現はるゝことゝなりぬ。十九世紀に於ける世界の進歩は頗る驚くべきものあり、形而下に於ては『蒸気力時代』『電気力時代』の称あり、また形而上に於ては『人道時代』『婦人時代』の名あることなるが、更に歩を進めて二十世紀の社会は如何なる現象をか呈出するべき。既に此三四十年間には仏国の小説家ジュール・ヴェルヌの輩が二十世紀の予言めきたる小説をものして読者の喝采を博したることなるが、若し十九世紀間進歩の勢力にして年と共にいよいよ増加せんか。…今や其大時期の冒頭に立ちて遙かに未来を予望するも亦た快ならずとせず、世界列強形成の変動は先づさし措きて、ようやく物質上の進歩に就きて想像するに…」。
 つづけて電気通信、運輸、軍事、医療、防災など23項目を挙げ、20世紀中に実現するであろう科学・技術の内容を予測する。たとえば「無線電信電話」については「東京に在るものが倫敦(ロンドン)、紐育(ニューヨーク)にある友人と自由に対話することを得べし」とあり、また「自動車」については「馬車は廃せられ之に代ふるに自動車は廉価に購うことを得べく、また軍用にも自転車及び自動車を以て馬に代ふることとなるべし。…」である。
 科学技術に関する部分(「写真電送」「無線電信電話」「空中軍艦空中砲台」「七日間世界一周」「市街鉄道」「医術の進歩」「自動車の世」等)は多くが実現したが、自然や生物学関係(「野獣の滅亡」「蚊及蚤の滅亡」)は外れていたり、設問の仕方で答えにくかったりである。
 ここには人口に関する項目はないが、20世紀最大の特徴の1つが人口爆発である。20世紀初頭に約15億人だった世界人口は第二次世界大戦終結後の1950年に約25億人となり、わずか50年後の20世紀末には2倍以上となる約60億人、現在の推計値は72億8000万人にまで膨れ上がった。
 「二十世紀の予言」から100余年後、文部科学省の『科学技術白書』(2005年=平成17年度版)で23項目の予測が的中しているか否かを検証し、12項目が実現、5項目が一部実現、6項目が未実現と評価している。また内閣府ホームページも「参考:二十世紀の予言」として簡潔な一覧表を掲げている。
 それでは、20世紀初頭の横浜はどうか。何回かにわたり検討を加えていきたい。
 まず特筆すべきは、1901(明治34)年1月、横浜市会が初めての市域拡張を可決、同年4月に実施したことである。市域面積は5.4平方㎞から24.8平方㎞と4倍超と飛躍的に増え、人口も約30万に膨張した。ここに日本最大の貿易港を支える基盤ができあがった。20世紀の幕開けにふさわしい快挙である。
 新たに市域に編入したのは、北方、本牧、根岸、中村、南吉田、南太田、西戸部、西平沼、尾張屋、岡野、久保、浅間(せんげん)(旧芝生(しぼう)村)、青木、神奈川の14町である。中区域の拡張が主であり、また神奈川区が成立、市役所出張所を神奈川町、本牧町、根岸町に設置した。
 開港前の横浜村が400人前後、開港後に急増して1867年に1万8000人を突破、1869(明治2)年に3万人、開港30年後の1889(明治22)年の市制(市政)公布時に12万人に達し、わずか10余年後の市域拡張で30万人となる倍々ゲームである。
 この1901年の横浜における種々の動きの一端を見ると、時代の雰囲気がいっそうよく分かる。東海道線に平沼駅(現在の横浜駅近く。スイッチバックせず直通可とするため)を開設。京浜電気鉄道の六角橋=大森国鉄駅間の4里(15㎞)の運転開始。横浜商業学校(美沢進校長)の創立20周年記念式典、定員300人から500人へ(認可)、国庫補助金が1カ年2700円。市内の小学校数14校。戸部小学校の新築落成。
 アメリカ丸で中国の革命家・孫文が来浜。7月、久里浜のペリー上陸記念碑の除幕式に参加するため、米国東洋艦隊司令長官ロジャース少将(ペリー提督の孫)らが旗艦ニューヨーク号で到着、桂首相も参加。
 ブルース商会やブラウン兄弟商会が、アメリカからガソリン自動車を輸入、横浜港に荷上げし、横浜=新橋間で試運転、所要時間が2時間を切った。蒸気自動車(石炭)は18世紀中頃に発明され、1827年、ロンドンでバスとしても使われたが、ガソリンを使う内燃自動車は1885年、ドイツ人のダイムラーとベンツ両人の発明とされる。のちアメリカで普及、注文生産から大量生産へ移行し、やがて日本への輸入が急増するが、これが日本上陸の第1号車である。(続く)

参考文献:拙稿「挿絵が語る開港横浜」(神奈川新聞連載2008年4月5日~2009年8月8日、計70回)、新聞各紙、『横浜もののはじめ考(改訂版)』(横浜開港資料館、2000年)、松信太助編『横浜近代史総合年表』(有隣堂、1989年)、『横浜市史』(1960~1982年)、『横浜市会史』(1983~1988年)等。
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プロフィール

Author:加藤 祐三
日本の歴史学者

横浜 市立大学名誉教授

国指定名勝・三渓園(横浜)
園長

・前都留文科大学長
(2010~2014)

・元横浜市立大学長
(1998~2002)

主な著書
「イギリスとアジア」
         (1980年)
「黒船前後の世界」(1985年)
「東アジアの近代」(1985年)
「地球文明の場へ」(1992年)
「幕末外交と開国」(2012年)
蒋豊訳「黒船異変」(2014年)
蒋豊訳「東亜近代史」
         (2015年)

 など

専門
・近代アジア史
・文明史

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