「白きものを描く」

 三溪園の所蔵品展示が入れ替わった。書画を主とする所蔵品は、日本庭園・古建築(重要文化財)にならぶ三溪園の「三種の神器」である。展示替えは年に9回程あり、今回は「瀟湘八景」(しょうしょうはっけい)。9月30日まで。
 解説やレイアウト、詳細な展示出品のリスト作成(三溪園ホームページ)等を担当したのは、清水緑学芸員である。
 第1展示室には、原三溪「瀟湘八景」をはじめ、下村観山《夕月》、山村耕花《観月》、牛田雞村《震災スケッチ》、原三溪《美術品買入覚》等がある。
 「瀟湘八景」は、11世紀、北宋の宋迪(そうてき)が中国湖南省長沙一帯の穀倉地帯の景勝地を描いた山水画の嚆矢で、室町時代に舶来、日本画の模範とされた。
 中国では元代に入り衰退するが、日本では狩野派などに好まれ、自国の風景にも関心が高まり、「近江八景」(滋賀)や「金沢八景」(横浜)などが選ばれる。幕末には葛飾北斎、歌川広重などの浮世絵師によっても描かれ、近代日本画家に引き継がれる。
 三溪の「瀟湘八景」は、関東大震災で壊滅的被害を受けた翌1924(大正13)年、震災復興の先頭に立つ苦闘の時代、56歳の作品である。その第3「漁村返照」では三浦半島突端の三崎あたりの漁村を彷彿とさせる等、日本の風景と思われるものがある。
 私は4年前の夏に訪れた湖南省長沙の、クスノキ、シイ等の大樹と高温多湿の風土を思い出し、日本から中国中南部へと拡がる「照葉樹帯」に思いを馳せた。次いで一転して印象の異なる下村観山《夕月》に出会う。
 第2展示室には臨春閣の障壁画:狩野常信〈1636~1713年〉の《瀟湘八景》、「八景三題」として三溪《石山秋月》《堅田》と横山大観《煙寺晩鐘》、また「月と音楽」と題して三溪《指月》《宮城野所見》《山中温泉》《古関雲影帖》、それに楽器、四弦の琵琶と、蟹と笹の蒔絵を施した鼓が並ぶ。
 第3展示室は「画家たちの交流」と題した手紙(大半が昭和初期)である。三溪ゆかりの画家たちのもの、また彼らと三溪や執事の村田徳治との交流がわかるもの等で、《小林古径書簡》、《速水御舟書簡》、《安田靫彦書簡》、《前田青邨書簡(村田宛)》、小林古径筆《日曜》、《一炊庵絵画目録》、牛田雞村筆《秋の七草》、《牛田雞村書簡(三溪宛)》、《前田青邨葉書(雞村宛)》、《速水御舟葉書(雞村宛)》、《安田靫彦書簡(雞村宛)》、また《一槌庵(いっついあん)茶会記》(蓮華院創設の1917年から三溪没の1939年までの茶会記録)もある。大半が墨筆で、日本画家の書としても貴重である。
 このうち牛田雞村(うしだ けいそん、1890~1976年)は、横浜の本町南仲通に生まれ、三溪の長男・善一郎と小学校の同窓、のち東京中央商業学校を卒業して外資系石油会社に就職するも、日本画を志して松本楓湖の安雅堂画塾に学び、赤曜会、院展等で活躍。「反骨の画家」とも呼ばれる。
 その代表作は横浜を描いた「蟹江二題」(蟹江は横浜の意-加藤)。大正期から「西洋画の遠近法や光と影の表現、空間の広がりなどを表すのには、日本の伝統的な技法、すなわち身近にあった絹本に描く技法が役立った。絹本は、ぼかしに適しており、墨との相性はすこぶるよい」(NHK<日曜美術館>幻の画家・回想の画家①「反骨の画家-牛田雞村」日本放送協会1992年)とされ、雞村はそれを自在に駆使している。
 《牛田雞村書簡(三溪宛)》はとくに長文で、1937(昭和12)年11月27日の日付があり、三溪69歳(没年の2年前)、雞村47歳。『三溪画集』第2輯と3輯(三溪68歳の昭和12年刊、なお第1輯は昭和5年刊)の寄贈を受けての、三溪を慈父のように慕う雞村からの謝礼である。
  「…早速開冊いたし次々に拝見致し候処、私の頂戴いたしたる養魚叟の図も輯に入り、一家の面目と存じ、皆々よろこび、此上なく拝見いたし候」(句読点を補った、以下も同じ)と、自分に贈られた作品が『画集』にあるのを喜ぶ。
  『三溪画集』第2・3輯所収の作品は、昭和5(1930)年から昭和11(1936)年にかけて描いたもの。幼少時に母方のおじ高橋抗水に絵を学び、三溪園所蔵のうち一番古いものは43歳で描いた無題の山水画、以来、余技として幅広い題材を千点以上も描き、同じ岐阜の出身で年少の前田青邨(1885~1977年)に「調子の高い、個性のはっきりした、専門家には絶対に描けない画」と言わしめた。
 三溪は全国各地を旅し、(伊豆)大島、鳥海山、横浜十二天、横須賀、白河の関、日光、長崎眼鏡橋・千々岩湾、雲仙、三段峡・長門峡、奥多摩、秩父、奥利根、赤城、白根、草津、野尻湖・芦ノ湖、笛吹川など行く先々で筆をとった。
 また、松、竹、黄蜀黍、麦秋、白猫、鳥追い、椿、紫陽花、芙蓉、すすき、鴨、いちぢく、水仙、雲雀、雑木、狗、藤花(を描いて狗を配し又猫を描く作品)、白兎、待宵草、淡墨桜、向日葵、龍、鶴、白鹿、蚕などを描く。
 雞村は「小林(古径)氏(蔵)の蓮華は中々よろしく、白蓮中の優作と存じ候。蓮華は数ありて皆々趣きあり、大作は大作として、花散りたるは散りたる趣き面白けれど、小林氏の蔵せしものは程よく寂びたる、むだなくよろし」とつづける。
 そして「白兎、大待宵草を描き得て風情よろし。先生、白きものを描く、誠に得意なる所なり。次の白鳩もよき出来なり。白猫はさながら(菱田)春草先生の如し」、さらに「白鹿は一種の気品ありて神韻を見受け候」、「蚕の図は賛と画との結構よろしく…」等々、三溪の「白きもの」について画家としての感想を述べている。 
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

Author:加藤 祐三
日本の歴史学者

横浜 市立大学名誉教授

国指定名勝・三渓園(横浜)
園長

・前都留文科大学長
(2010~2014)

・元横浜市立大学長
(1998~2002)

主な著書
「イギリスとアジア」
         (1980年)
「黒船前後の世界」(1985年)
「東アジアの近代」(1985年)
「地球文明の場へ」(1992年)
「幕末外交と開国」(2012年)
蒋豊訳「黒船異変」(2014年)
蒋豊訳「東亜近代史」
         (2015年)

 など

専門
・近代アジア史
・文明史

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
カテゴリ
QRコード
QR