渋沢栄一研究の新動向

 渋沢栄一(1840~1931年)は、幕末から明治の変革期を生き抜き、さらに特異な企業家・思想家として明治・大正・昭和にわたる日本資本主義の父と呼ばれる。広範囲の活躍ぶりから、随所にその名が出てくる。本ブログの2014年12月16日「横須賀開国史講演会」で触れた通り、富岡製糸場創設でも立役者の一人となっている。
 渋沢は1840(天保11)年、武蔵国榛沢郡血洗島村(現埼玉県深谷市血洗島)の豪農の長男に生まれた。幕末に農民から下級武士として青春期を過ごし、幕臣となり、徳川昭武(15代将軍慶喜の弟)に随行して1867年のパリ万博に参加、明治初年に大蔵省に出仕、ついで企業家に転身する。そして社会事業家として東京証券取引所や理化学研究所等を創設、聖路加国際病院初代理事長、また商法講習所(現一橋大学)や日本女子大学の設立に協力、さらに膨大な量の時代の「記録者」(自伝『雨夜譚』を含む)としても社会の第一線に立った。
 渋沢に関して「日本資本主義最高の指導者」、「経済道徳(論語)を説く経済人(ソロバン)」と評価する言い方があり、また小説家(幸田露伴、大仏次郎、城山三郎、童門冬二、津本陽等)に多い「運命の寵児」、「時代の子」、「風雲児」と評する見解、また「演説の巧い男」等々、多彩な活動にふさわしく評価も多様である。
 渋沢の活躍を貫くものは何か、それを明らかにする試行過程の一つとして、最近の研究成果3点を刊行順に取り上げたい。
(1) 見城悌治『渋沢栄一 「道徳」と経済のあいだ』 2008年、日本経済評論社。(『評伝 日本の経済思想』所収)
(2) 島田昌和『渋沢栄一 社会企業家の先駆者』 2011年 岩波新書
(3) 橘川武郎/パトリック・フリデンソン編著『グローバル資本主義の中の渋沢栄一 合本資本主義』 2014年 東洋経済新報社
 著作(1)は1人1冊の評伝集15冊のうちの1冊。「自らの経験と実践の中で成果を出し、それを己の旨としてきた」渋沢を描き、「彼を育てた社会的文化的環境の<思想>を顧みて」、彼が「積極的自覚的に鼓吹しようとした<思想>を検討する」とする思想史的アプローチを軸としたもの。
 全7章のうち、第4章「合本主義思想の展開-民間企業家としての渋沢栄一」、第5章「公益思想の展開-社会事業家としての渋沢栄一」、第6章「東アジア国際関係と対外思想-渋沢栄一にとっての朝鮮・中国」が興味深い。
 著作(2)は専門研究を踏まえた概説書で、主に働き盛りの渋沢の30代から60代のビジネスマンとしての活動に焦点を当て、社会企業家の側面を軸に、リズム感のある文体を駆使して展開する。
 第1章「農民の子から幕臣へ」、第2章「明治実業界のリーダー」、第3章「渋沢栄一をめぐる人的ネットワーク」、第4章「<民>のための政治をめざして」、第5章「社会・公共事業を通じた国づくり」の全5章構成である。
 渋沢の関わった会社の役職、資産、株式保有率等の実証的分析を通じて、彼の客観的な位置づけを行う。ついで西洋の株式会社制度を合本組織として日本に導入した渋沢モデルを「多くの資金と人材が出入り可能な市場型経済モデル」(参入退出の自由なオープンマーケットモデル)と位置づけ、三井や三菱等の閉鎖的な財閥型モデルと対比する。
 著作(3)は、日米英仏の8名の研究者による渋沢栄一記念財団研究部の「合本主義研究プロジェクト」の3年にわたる共同研究の論文集である。8章構成で、グローバル資本主義の中の渋沢の<合本資本主義>概念と実体を解明する。
 編著者の一人、フランス人歴史家のパトリック・フリデンソン(第3章「官民の関係と境界-世界史の中で渋沢栄一の経験を考える」)と橘川武郎(第8章「資本主義観の再構築と渋沢栄一の合本主義」)が、全体の意図を述べる。
 フリデンソンは日本の経済成長と文明化の過程に興味を持ち、「日本がいかにして西洋とは異なる近代化の道を切り開いてきたか」に関心を深めていたときに今回のプロジェクトの中核である「世界ビジネスにおける道徳と倫理に対する歴史的視点の形成」を知ったと言う。1950年代から欧米で始まった企業の社会的責任(CSR)研究と伝統的形成制度との関係、「政府にとっての健全性」(OECDの議論)との関係に関心が強いという。
 もう一人の編者、橘川武郎は、合本主義を「公益を追及するという使命や目的を達成するのに最も適した人材と資本を集め、事業を推進させるという考え方」と定義し、この合本主義の分析を通じて、21世紀グローバル資本主義の新しい可能性を模索するのが本書の目的と述べる。なお渋沢が合本主義に触れたのは150年前のパリ万博で、この共同研究はこれを意識して始まった。
 たまたま私が再読した久米邦武編・田中彰校注『米欧回覧日記』第5巻(1982年、岩波文庫、原文の刊行は明治11(1878)年)に、欧州の白人種(コーカサス人種)は「欲深キ人種」であるため「保護ノ政治」を必要とし、亜細亜州の黄人種(モンゴリア人種)は「欲少キ人種」で「道徳ノ政治」が要ると対比する記述がある。この観察はいささか単純に見えるが、渋沢の「経済と道徳」を考えるとき、大いに参考になると思う。
 著作(3)には、上掲の第3章と第8章のほか、第1章「渋沢栄一による合本主義-独自の市場型モデルの形成」(島田昌和、著作(2)の筆者)、第4章「<見える手>による資本主義-株式会社制度・財界人・渋沢栄一」(宮本又郎)、第6章「グローバル社会における渋沢栄一の商業道徳観」(木村昌人)があり、とりわけ示唆に富んでいる。
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プロフィール

Author:加藤 祐三
日本の歴史学者

横浜 市立大学名誉教授

国指定名勝・三渓園(横浜)
園長

・前都留文科大学長
(2010~2014)

・元横浜市立大学長
(1998~2002)

主な著書
「イギリスとアジア」
         (1980年)
「黒船前後の世界」(1985年)
「東アジアの近代」(1985年)
「地球文明の場へ」(1992年)
「幕末外交と開国」(2012年)
蒋豊訳「黒船異変」(2014年)
蒋豊訳「東亜近代史」
         (2015年)

 など

専門
・近代アジア史
・文明史

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