富岡製糸場の歌

 「天に青雲、日の光、お国は上野(こうずけ)、北甘楽(きたかんら)。甘楽、甘楽、北甘楽、富岡製糸の汽笛(ふえ)はなる。」
 これは1921(大正10)年10月に発表された歌謡「甘楽行進歌 原、富岡製糸所行進歌」(北原白秋作詞、弘田竜太郎作曲)の1番で、全部で6番まである。北原白秋『国民歌謡集 青年日本の歌』(昭和7年、立命館出版部)所収、のち『白秋全集』30 歌謡集2(1987年、岩波書店)に再録、ここから引用した。
 晴れ渡った上野(こうずけ=群馬県)の甘楽(かんら)にある富岡製糸(1番)、広大な桑畑と養蚕の風景(2番)、積み上げた繭袋は近くの妙義山や榛名山より高い(3番)、生糸を繰る腕利きの娘たち(4番)、輝く宝の生糸の積み出し(5番)、富岡は日本の誉、「世界の富を引き寄せた」(6番)と謳歌する。
 富岡製糸場(白秋の歌では富岡製糸所)は昨年、世界文化遺産に登録された。その概略については、このブログ「横須賀開国史講演会」(2014年12月16日)で取り上げた通り、明治5(1872)年設立の官営製糸場である。養蚕地帯を中心に全国から集めた士族の子女らを、高い技術と規律を身につけた模範伝習工女とし、彼女らを地元に戻して良質な生糸の増産をめざした。
 1903(明治36)年から1939(昭和14)年までの36年間、原三溪(1868~1939年)の原合名会社が経営に当たった(のち片倉工業が承継)。
 この歌が作られた1921(大正10)年は、三溪にとって会社経営はもとより、1906年に開園した三溪園の造営を進めていた絶好調の時代である。すなわち1902年に鶴翔閣が完成、三溪は横浜港を眼下に望む野毛山から移り住み、日本庭園の造営に本腰を入れ、1914年の旧燈明寺三重塔移築により外苑を、また1922年の聴秋閣の移築により内苑を完成させた。
 本年3月の三溪園理事会の折、内田弘保理事長から福岡県柳川市立歴史民俗資料館(北原白秋生家記念財団)で上記「甘楽行進歌」の存在を知ったとうかがい、さっそく調べた。『青年日本の歌』には大正7年から昭和6年までに作られた歌謡、すなわち白秋(1885~1942年)の33歳から46歳までの作品計93篇が収められている。
 詩人・歌人の白秋みずからが「これらの歌謡は、2,3を除けば、すべて作曲され、あまねく国民の間に唱和され、レコードにも吹き込まれ…、その大部分は山田耕作氏の作曲により…」と序文で述べ、その末尾を「しかもまたわたしは言おう。ただ、かかる貧しいわたくしの国民歌謡も、単に作曲の用として作詞せられたものでないことである。詩は曲の主体であるからである」と結ぶ。
 富岡製糸場の歌について三溪園参事の川幡留司さんに尋ねた。川幡さんは三溪園が財団となった1953(昭和28)年の数年後から勤務、三溪園の「生き字引」である。彼の聞き書き(原家執事の村田徳治翁等から)や新聞記事等の保存は、他にない貴重な資料群となっている。
 彼は自身のパソコン(「川幡資料館」と呼ばれている)から、北原白秋作詞、弘田竜太郎作曲「富岡製糸場“繰糸の歌”」(全5番)を出してくれた。これは粋な言い回しで繰糸の作業工程を歌う。製作年は不明だが、大正ロマンとも呼ばれる時代の雰囲気を有しており、上掲と同じく大正中期と思われる。
 1番「箒しづかに索緒(くちたへ)しゃんせ 繭は柔肌 絹一重 わたしゃ十七 花なら蕾 手荒なさるな まだ未通女」
 2番「いつもほどよい繰糸湯(とりゆ)の繭よ すまず にごらず つやつやと 惚れりゃほどよく 熱いはさめる 焼かず はなれず さらさらと」
 3番「ひとつひとつとつけたせ繭は 慾からめば度外糸 一人一人に情増せ恋は 両(ふた)つどりすりゃ 義理知らず」
 4番「裁附(きりづけ)しやんすな 縁切らしやるな 巻けば巻きつく繭の糸 よりによりかけ からんだ糸よ おまへ切れても わしゃ切れぬ」
 5番「いとし小枠へ巻きとる糸は それは黄の糸 白の糸 むしれむら糸 む
らなく きよく いつもむら気じゃ 身がもてぬ」
 弘田の作曲で、斎藤惇作詞「原富岡製糸場“工場歌”」(全4番)や葛原しげる作詞「原富岡製糸場“運動歌”」(全3番)等もあった。製作年は不明だが、弘田の肩書が東京音楽学校教授とあり、それがドイツ留学から戻って短期間だった(作曲専念のため辞任)ことから、昭和5年頃と思われる。
 白い制服姿の工女たちが運動場で輪になり、「原富岡製糸場“運動歌”」を歌い踊っていたという。作詞者の葛原は跡見女学校教諭、同校は若き日の三溪がしばし教鞭を取った職場であり、屋寿(やす)夫人の出身校でもある。
 1番「くるりくるくる たゆまずめぐる 我が糸車 元車 元気にめぐる 車をみれば 心も勇み 手も勇む とりゆの中には まゆをとり 空にもあさまの ヨイさ煙ぞのぼる」
 2番「するりするする つきせぬ糸の その美しさ 清らかさ よりよくかけて ただ一すじに 心もみがけよき糸と 車にかがやく糸のあや みかぼの山(注1)にも ヨイさ光のあらん」
 3番「さらりさらさら せせらぎうたう 鏑の川(注2)の瀬の音や よどみもあらぬ 心をあわせ いそしみはげむ楽しさよ みくにのなをあげとみをます われらの業こそ ヨイさまことの幸さ」
 (注1)の御荷鉾(1216m)は群馬県にあり、この山の北側に降った雨水が、かぶらの川(注2)に注ぐ。富岡製糸場はその豊かな水を使った。
 工女たちが新しい時代に希望を託し、生き生きと働く姿が目に浮かぶ。
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プロフィール

Author:加藤 祐三
日本の歴史学者

横浜 市立大学名誉教授

国指定名勝・三渓園(横浜)
園長

・前都留文科大学長
(2010~2014)

・元横浜市立大学長
(1998~2002)

主な著書
「イギリスとアジア」
         (1980年)
「黒船前後の世界」(1985年)
「東アジアの近代」(1985年)
「地球文明の場へ」(1992年)
「幕末外交と開国」(2012年)
蒋豊訳「黒船異変」(2014年)
蒋豊訳「東亜近代史」
         (2015年)

 など

専門
・近代アジア史
・文明史

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