中国語訳『黒船異変』の再版

 拙著『黒船異変-ペリーの挑戦』(1988年、岩波新書)の中国語訳が、2014年12月、再版になった。(日)加藤祐三著・蒋豊訳『黒船異変-日本開国小史』(北京 東方出版社)である。
 これは23年前の蒋豊訳『日本開国小史-来自柏利的挑戦』(『加藤祐三史学著作選之三』1992年、中国社会科学出版社)を、判型を大きくし、表紙も改め、新しい出版社から刊行したものである。
 訳者の蒋豊さんは、本ブログ「『日本月刊』創刊3周年祝賀会」(2014年12月2日)に書いた通り、四半世紀も前に私が横浜市立大学に受け入れた研究生で、いまや中国を代表する知日派のジャーナリストである。
 訳書名も変わった。23年前、日本語の「黒船」の意味が中国では理解されていなかったが、いまや日本理解が進み、「黒船」の語も、その意味するところも広く中国で市民権を得たため、訳書名も原書名を踏襲した。
 再版に際して蒋豊さんが「再版序言」を書き、私が「再版后記」(あとがき)を書いた。その「再版后記」では、本書執筆までの研究歴を簡単に回顧したが、その一部を再録したい。
 38年前の1977年から1年余、私は文部省の在外研究助成により、「近代東アジアにおけるイギリスの存在」をテーマとして英国に滞在した。大量の統計を収集・分析し、新しい知人と語り、試行錯誤しながら「19世紀アジア三角貿易」の構造を解明、あわせて急速に進む19世紀イギリスの交通網の整備や都市化の実態、農村部や兵士の間に蔓延したアヘン中毒の実態を明らかにした。
 それが拙著『イギリスとアジア-近代史の原画』(1980年、岩波新書)であり、蒋豊さんが『十九世紀的英国和亜州-近代史的素描』として初めて訳出、「加藤祐三史学著作選之一」として1991年、中国社会科学出版社から刊行した。
 「アジア三角貿易」とは、3大商品が3地域を結ぶアジア基軸の貿易構造で、成立順に、(1)中国から英国への茶輸出(1760年代~)、(2)英国植民地インドにおけるアヘン専売制生産(1773年~)とその中国・東南アジアへの輸出、そして(3)英国産業革命の産物である機械製綿製品のインドへの輸出(1820年代~)である。
 (2)のイギリスによる中国へのアヘン「密輸」が増大し、それを阻止しようとする清朝中国とアヘン戦争に突入する。1839年、英国商船(すべて武装)による清朝商船との実質的な戦闘が始まり、1840年6月、英国派遣軍がインドで植民地軍セポイの兵士を乗せてカントン到着、2年余の戦闘の末、中英間に南京条約(1842年8月29日)が結ばれる。
 南京条約にはアヘン条項がなく、アヘン密輸は増えつづけた。アヘン貿易が合法化され、「洋薬」と名称を変えて関税の課税対象となるのは、第2次アヘン戦争(1856~1860年)の中間で結ばれた天津条約(1858年)である。これを機にアヘン貿易はさらに増大、1880年にピークを迎え、第1次世界大戦後の1917年、国際世論の圧力もあり、ようやく禁止される。
 では幕末日本のアヘン貿易はどうか。『イギリスとアジア-近代史の原画』の末尾でこの疑問を呈したが、先行研究がないことが分かり、まず「幕末開国考―とくに安政条約のアヘン禁輸条項を中心として」(『横浜開港資料館紀要』第1号 1982年)を発表した。安政条約(1858年)とは日米修好通商条約の略称で、日米和親条約(1854年)に基づく。
 さらに「黒船前後の世界(一)ペリー艦隊の来航」(『思想』誌1983年7月号)を発表、同名の論文を以下の副題付きで連載した。(二)ペリー派遣の背景、(三)ペリー周辺の人びと、(四)東アジアにおける英米の存在、(五)香港植民地の形成、(六)上海居留地の形成、(七)経験と風説、(八完)日米和親条約への道である。これらはのちに単行本『黒船前後の世界』(1985年 岩波書店、増補版 1994年 ちくま学芸文庫)とした。
 その過程で幕府とペリーとの「最初の接触」の重要性に気づいた。1853年7月8日、浦賀沖に停泊した4隻のペリー艦隊の旗艦に浦賀奉行所の与力・中島三郎助とオランダ通詞・堀達之助を乗せた船が近づき、堀が “I can speak Dutch!”(私はオランダ語が話せる)と英語で呼びかけた。
 二人は艦上に招かれ、ペリー側のオランダ語通訳ポートマンと堀を介して、初の日米の対話が始まる。この日米接触が奏功し、戦争を回避して日米条約交渉を進める道筋ができた。その意味はきわめて大きい。
 これまで不平等条約と一括されてきた条約に、「敗戦条約」と「交渉条約」の2種があることを明らかにした(上掲「黒船前後の世界㈤香港植民地の形成」。前者には「懲罰」としての賠償金支払いと領土割譲が伴うのに対し、後者には「懲罰」の概念がそもそも存在せず、交渉過程でも対等に主張しあった。
 また条約締結後の対応も大きく異なる。「交渉条約」には、賠償金支払いによる富の流出も、領土割譲による政治的恨みもない。相手を、世界を学ぼうとする意欲が高まる。高給でお雇い外国人を招き、世界の文物・思想を吸収した。
 本書『黒船異変』は、上掲『黒船前後の世界』の3部のうち「三 日本の開国」)を軸に、日本側の史料を新たに追加、日米の情報比較や交渉の経過と実態を、可能なかぎり<等身大の視点>から描いたものである。
 本書刊行の翌1989年、横浜開港130周年・横浜市政公布100周年を祝う横浜博覧会(YES’89)が開催され、その主概念の1つとして「交渉条約」が採用された。その展示「黒船館」では、日米和親条約の交渉の場となった横浜村(大桟橋の付け根から神奈川県庁あたり)に始まり、1859年の横浜開港、居留地貿易の生糸輸出で急成長、横浜村が横浜町を経て横浜市(1889年の市政施行)へ成長する過程を描き、都市横浜の出発点となる日米和親条約の意義を実感してもらうことができた。
 なお会場跡地は「みなとみらい」地区として開発され、それから25年が経つ。
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

Author:加藤 祐三
日本の歴史学者

横浜 市立大学名誉教授

国指定名勝・三渓園(横浜)
園長

・前都留文科大学長
(2010~2014)

・元横浜市立大学長
(1998~2002)

主な著書
「イギリスとアジア」
         (1980年)
「黒船前後の世界」(1985年)
「東アジアの近代」(1985年)
「地球文明の場へ」(1992年)
「幕末外交と開国」(2012年)
蒋豊訳「黒船異変」(2014年)
蒋豊訳「東亜近代史」
         (2015年)

 など

専門
・近代アジア史
・文明史

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
カテゴリ
QRコード
QR