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三溪園園長の退任にあたって

 2023年3月末をもって園長を86歳で退任した。2012年8月1日から10年8カ月間、勤めたことになる。
園長就任の要請は都留文科大学の学長の時に受けた。2012年6月頃、横浜市文化観光局の齋藤満部長から連絡があり、三溪園の公益財団法人移行にあわせ、園長は市役所職員や OB ではなく民間から採用したいとのことであった。
 とっさに思い出したのが庭師である。実家には折々に庭師が樹木の手入れに来ており、その軽やかな身のこなし、慣れた鋏づかいは少年時代、憧れの対象だった。
 ついで三溪園保勝会の定款等の関連資料の定款第3条に「この法人は、国民共有の文化遺産である重要文化財建造物等及び名勝庭園の保存・活用を通して、歴史及び文化の継承とその発展を図り、潤いある地域社会づくりに寄与するとともに、日本の文化を世界に発信することを目的とする」とある。
 法人の憲法にあたる定款の文言が、学長との兼任を躊躇していた私の胸に刺さった。
 歴史学者として回り道をしつつ、幕末日本の開国の形とその意義に焦点を絞ってきた頃である。戦争を回避し、話し合いを通じて開国・開港を達成できた。それが横浜発展の<原点>にほかならない。
 この横浜居留地に生糸売込商(生糸輸出商)として出店した埼玉県出身の原善三郎が、急増する人口に秩序を与え、1889年、横浜市が誕生すると市会議長に就任する。そして1892年、善三郎の孫娘屋寿と結婚したのが岐阜県出身の青木富太郎、のちの原三溪、すなわち三溪園の創始者である。
 偶然にも『幕末外交と開国』(ちくま新書 2004年が講談社学術文庫に入ることとなり(2012年9月刊行)、その補正作業に専念していところであり、それまでの『イギリスとアジア-近代史の原画』(岩波新書 1980年)、『黒船前後の世界』 (岩波書店 1985年)、東アジアの近代』(講談社 1985年)、『黒船異変-ペリーの挑戦』(岩波新書 1988年)、そしてみなとみらい事業の一環としての横浜博覧会に合わせ、編集長として横浜市立大学で刊行した”Yokohama Past and Present”(1989年)等の仕事から得た横浜像をもって三溪園に貢献できるかもしれないと思った。

【ブログを始める】
 2011年3月11日、東日本大震災が発生、すぐに『(都留文科大学)学長ブログ 2011~2014』を立ち上げた。春休みで帰省している学生も多く、友人たちの近況や大学の対応など、刻々と変わる状況を学生たちに伝えなければと思った。月に3~4回掲載、通番を付し、最後が退任記念講演の「122 黒船来航と洋学」である。本ブログは学長退任を機に書籍化された。
学長退任後は、表題を加藤祐三ブログ「月一古典(つきいち こてん)」 と改め、今に至っている。都留文科大学情報センターの大輪知穂さんが見つけてくれたfc2.com で、掲載等の作業をいまも助けていただいている。
 「月一古典」は、今年3月末で計354点を掲載した。それらを①歴史研究、②三溪園、③交友録、④大学問題、⑤我が歴史研究の歩み(連載)、⑥未分類の6つにカテゴリ分けしており、うち②三溪園は117点で約3割を占める。
 園長の業務は多岐にわたるが、組織としての意思決定や職員人事等々については書いていない。個人のブログに、公人として知ったことを書くべきではない。
 代わりに園内の行事や自然・景観の創り方等を外に知ってもらうこと、言い換えれば三溪園の<広報>に徹している。例えば、2022年10月24日の所蔵品展「秋、空を見上げて」、2022年8月8日の「望塔邸の呈茶」、2022年6月27日の「国際ヨガの日」、2021年12月10日の「紅葉の三溪園」、2021年11月19日の「日仏文化交流 CHAUMET 特別展に寄せて」、2021 年8 月18 日の「夏の古建築公開×「タゴールと夏の迷い鳥たち」展、2021年2月1日の「文化財防火デーの自主消火訓練」、2019 年7月18日の「三溪と天心 (その3)」、2018年11 月21日の「原三溪の生き方を考える」、2018年11月1日の「三溪園の大師会茶会」、2018年7月6日の「タケの開花(その6)」等々。

【本ブログ2回目の「花めぐり」】
 「花めぐり」は2014年4月14日の掲載、春の三溪園の紹介である。
 「前回の「桜と新緑の競演」を書いて数日、嬉しいことに三溪園には、まだ桜花が予想以上に残っている。
 真っ白な花びらに薄桃色のシベを持つソメイヨシノは、幕末に生まれた新品種だが明治中期から全国に広まり、いっせいに咲き、いっせいに散る。今年は散りきらぬうちに、赤味を帯びた芽が顔を出した。なにか違う品種のようにさえ感じる。
 正門の左手に広がる大池には幾つか島があり、毎年6月頃には紫の、追いかけるように白のハナショウブが群れ咲く。美しく咲かせるために今の時期にしっかりと手入れをする。根回りの雑草を抜き、水位が上がっても根浮きしないよう土を盛り、骨粉を入れ、腐葉土をかぶせる作業が昨日から始まっている。造園職員とともに10人ほどのボランティアの姿がある。
大池の向かいは古代蓮池と睡蓮池。古代蓮池には立ち枯れた茎がまだ残る。水辺にヤナギの若緑。エノキ、カツラも芽吹いている。睡蓮池には子どもの手の平ほどの幼葉が水面いっぱいに広がる。
 上り坂をたどり、鶴翔閣(1902年建造、戦後改修)に至る。三溪が出身地岐阜の棟梁を招いて建てた約300坪の合掌造り風の建物で、私邸であり、原合名会社の執務室でもあった。
 鶴翔閣の入り口前に1 本、睡蓮池の傍に2本のベニシダレザクラはたおやか。純白のオオシマザクラは、いまを盛りと魅了する。突きあたりにある珍種タカクワホシザクラ(高桑星桜)は岐阜市柳津町高桑地区で育成された品種で、花弁の先が星形に見える。
 三溪記念館の池のほとりのオオシマザクラは、クロマツの大木を背に、凛として白を放つ。臨春閣、聴秋閣、天授院等が近在するエリアは、イチョウの大木やカエデなど、新緑が眩しい。黄色いヤマブキ、名残りの白いユキヤナギ、小さなスミレも古建築に趣を添える。
 横浜市中区本牧にある三溪園は、明治39(1906)年、生糸貿易商で美術家・茶人・造園思想家の原富太郎(三溪は号)が開 園、起伏のある地形を活かした日本庭園は、総面積約17ヘクタール(5万坪超)ときわめて広い。
 蓮池、睡蓮池、鶴翔閣、臨春閣、聴秋閣等のある内苑と、大池から山上の三重塔、 燈明寺本堂、梅林、合掌造りの古民家等のある外苑に分かれており、浜辺に通じる外苑は、開園と同時に一般公開された。
 開園から108年を経た三溪園は、日本庭園と古建築(重要文化財10 棟)が調和する稀有の存在として、7年前に国指定名勝となり、2年前、これを所有・管理・運営する三溪園保勝会が公益財団法人として新たな活動に邁進している。 」

【本ブログ4回目の「月一古典」(つきいち こてん)について】
 冊子版の『(都留文科大学)学長ブログ 2011~2014』の裏表紙にもある「三訓」、すなわち「アシコシ ツカエ」、 「ツキイチ コテン」、「セカイヲミスエ モチバデウゴカム」の一つである。
  「…この数十年、折々に学生諸君にプレゼントしてきた三訓の一つで…」と述べ、「ここで敢えて第 2(の「ツキイチ コテン」)を選んだのは、多忙に紛れ、古典が疎かになる自省からである。月に一回は<自分の古典>に出会う感性と、ゆったりと味わう時間を大切にしたい」と結んだ。

【60回つづけた連載「人類最強の敵=新型コロナウィルス」】
 2020年3月6日に「人類最強の敵=新型コロナウィルス」を初めて掲載した。そのときは一度だけのつもりだったが、3月18日の掲載から「人類最強の敵=新型コロナウィルス(2)」と通番を付し、2023年2月28日で(60)に至る、約3年をかけた長期連載となった。
 新型コロナウィルスは世界に大きな打撃を与えた。三溪園も例外ではない。来園者が急減し、最適の対策を講じる苦労がつづいた。
 そして今年3月、厚生労働省は新型コロナウイルス感染症の名称を「コロナウイルス感染症 2019」とし、厳しい措置がとれる2類相当以上の扱いを5月から5類に引き下げ、マスクの着用は3月13 日から屋内外を問わず個人の判断に委ねた。
 これを機に連載「人類最強の敵=新型コロナウィルス」は(60)を区切りに終了し、題名「変わりつつある世界(1)」として2023年3月14日から新しく始めた。なにがどう変わりつつあのか。新しい時代はどのようになるのか。予断を許さない世界の様相を根気強く書きつづけていきたい。

【多くの応援を得て…】
  新型コロナウィルスが猛威を振るった3年間、三溪園は各方面から力強い応援を得てきた。多くの方々から募金を頂いたり、パーソナルディスタンスを保つのに工夫を重ねたガイドボランティアさんたちから勇気を頂いた。
 所管の横浜市文化観光局観光振興課とは、(1)斎藤信明課長、石井直哉担当係長、菅野理さん、観光コンベンション・ビューロ-出向の市職員、宮本裕子事業開発課課長の参加のもと、月に1回の合同会議を開き、(2)観光振興課の発案で係長級職員1名が経営改革担当室長として三溪園保勝会に派遣され(いまは山口智之さん)、人事交流を密にしている。(3)民間の経営戦略コンサルタントの CDI(コーポレイト・ディレクション)の占部伸一郎さんと芳賀正輝さんを中心に経営学の手法である KPI(Key Performance Indicator=組織の目標を達成するための重要な組織評価の指標)を使って実地訓練を施し、達成状況の定点観測を行ってきた。これが職員たちの強力なサポートとなっている。

【後任の園長へバトンタッチ】
 園長に海野晋哉さん(65歳)が就任される。なによりもまず園長の年齢の21歳若返りが、組織に活気を呼び込んでくれる。さらに中外製薬の副社長を務められた経営のプロである。数時間の歓談の機会を得たが、広く文化万般にわたる造詣の深さに感服した。
 同じく退任する副園長の村田和義さん(65歳)の後任には、公益社団法人・2027年国際園芸博覧会協会へ出向中の市職員、今冨雄一郎さん(57歳) が就任される。
時”は好転している。三溪園の来園者数も順調に上向き、経営環境は整いつつある。そこに“人”を得た。

【最終日】
 3月30日(木)、出勤すると、先週には艶やかに咲き誇っていたユキヤナギが、忽然と消えているのに驚かされた。最高気温は5月並みだが、朝晩は冷える<異常気象>のせいか。
 満開のソメイヨシノに惹かれた多数の来園者で賑わっている。眩しい陽光に心浮き立つ。
 午後の職員ミーティングで村田副園長とともに別れの挨拶をした。
  「一気に若返る園長・副園長とともに、三溪園の存続と発展に尽力してほしい。私も微力ながら三溪園のために尽くしたい」と述べた。

【職員のみなさんへ】
内苑に入って左手、<三溪記念館>と一体の建物の一角に管理事務所があり、ここに公益財団法人三溪園保勝会の事務局がある。園長、副園長、総務課、事業課が入り、みな熱心に忙しく働いている。時折、笑い声や、問い合わせに応える「お電話ありがとうございます」の声がひびく。
 総務課は、課長がいまは空席。以下、年齢順に敬称略で、渡邉栄子(人事・労務)、 滝田敦史(施設管理)、田代倫子(経理)、向井亜希子(事務補佐)。
 事業課は吉川利一課長(歴史)、羽田雄一郎課長補佐(庭園)、加藤美佳子課長補佐(広報・営業)、岩本美津子(広報・営業)、中村暢子(美術)、原未織(建築)。
 山口智之室長(経営機能強化)、川幡留司参事(非常勤)。
 別棟に入る公園班(技能職)は鈴木正、川島武、築地原真、菅沼笙。
 全16名の方々それぞれに思いが残る。うち7名が、私の在任中の新規採用である。
 最後に大きな花束を頂戴した。その後、三重塔と桜を背景に記念撮影となった。カメラはプロの石本幸一さん。桜は風にハラハラと舞うが、もうしばらくもちそうである。
 帰途、美しい花束は注目を集め、誇らしかった。
 みなさん、ありがとう!
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三溪園と加藤祐三園長の思い出

横浜市大商学部をS53年卒業し、開港の歴史に興味を持っています。進交会でY高、横浜市大とも横浜商法学校が起源であり、出資者に、小野光景氏、原三溪氏、田中糸兵らがいたので、研究していこうと思います。正に三溪園人脈と思っています。斎藤部長は高校同期サッカー部でした。
プロフィール

Author:加藤 祐三
日本の歴史学者

横浜 市立大学名誉教授

国指定名勝・三渓園(横浜)
前園長(2012年8月~2023年3月)

・前都留文科大学長
(2010~2014)

・元横浜市立大学長
(1998~2002)

主な著書
「イギリスとアジア」
         (1980年)
「黒船前後の世界」(1985年)
「東アジアの近代」(1985年)
「地球文明の場へ」(1992年)
「幕末外交と開国」(2012年)
蒋豊訳「黒船異変」(2014年)
蒋豊訳「東亜近代史」
         (2015年)

 など

専門
・近代アジア史
・文明史

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