光画と写真

 「エバレット・ブラウン湿板光画展-三溪園をめぐる-」が1月30日から始まる。昨年暮れ、頑丈な三脚に暗幕をつけた、大きな箱型のカメラを構えるブラウンさん(56歳)をよく見かけた。正月からは現像作業にも入り、いよいよ大詰めである。
 三溪園のパンフレット「花と行事」には、次のような説明がある。
 「ブラウンさんはフォトジャーナリスト、いまは「時を超えた日本」の記録をおもなテーマに、写真家として国内外で精力的な活動を展開しています。…湿板写真として生み出された、三溪園に宿る日本の美を紹介します。」
 デジタル写真がすっかり普及したが、その前身をフィルム写真、乾板写真(ガラス乾板)、湿板写真と遡っていくと、1837年にフランス人ダゲールが発明、1839年に公表したダゲロタイプ(daguerreotype、銀板写真)にたどり着く。
 銀板写真機は、早くも1843年、オランダ船で長崎に持ちこまれ、蘭学者の上野俊之丞が機材をスケッチしているが、現物は残っていない。撮影した作品で現在に残る最古のものは、ペリー艦隊(1853~54年)来航に同行したE.M.Brown Jr.の作品20点で、宮崎壽子監訳『ペリー提督日本遠征記』(2014年、角川ソフィア文庫)の上下巻のカバーにも使われた。
 ブラウンさんは、銀板写真に次ぐ湿板写真(コロジオン写真)を使う。1851年、イギリス人F.S.アーチャーの発明したもので、この方がたやすく現像でき廉価なため一挙に普及した。B5版ほどの大きさのガラス板にコロジオンを塗り、硝酸銀溶液に浸して感光させ(これがネガ)、和紙等に何枚も印画することができる。シャッター速度は屋外で約10秒と短縮されたが、室内の襖絵等では数分はかかるとのこと。
 湿板写真機で幕末から明治初期の日本の風景や人物を撮影したのがフェリーチェ・ベアト。横浜開港資料館の公開映像や小沢健志・高橋則英監修『レンズが撮らえたF・ベアトの幕末』(2012年、山川出版社)で見ることができる。外国人の旅行制限が強い開港直後(1859年~)、横浜や東海道の一部等、旅行の許された地域の風景を残す。
 私も歴史史料としてベアト等が残した写真や都市横浜の発展を示す風景、あるいは写真が普及し写真館が生まれる過程等に関心があり、斎藤多喜夫さん(横浜開港資料館)の研究、『幕末明治横浜写真館物語』(2004年、吉川弘文館)や『横浜もののはじめ考』(1988年初版、2010年第3版、横浜開港資料館)等に教えられることが多い。写真資料は、髪型や服装、食べ物や道具類、消失した建物等を一目瞭然に伝える。
  「写真」という語彙は「実際の様子をうつしとる」、「ありのままを描く」の意味で、古くは平安時代から使われてきた。そこに幕末、ダゲロタイプ等に出会うことで、「感光性物質の光化学的変化を利用して物体の画像をつくる技術、また、その画像」にも使われ、現在の「写真」の意味を持った。
 それに対して「光画」(「光の画」)という語彙は、「写真」(「真を写す」)の正確さより、心に映る眼前の世界を描く芸術作品の意味合いが強いように思う。今回の展示では、ブラウンさんの狙いを容れ、「湿板光画展」と銘打っている。
 彼の作業場で、溶液や湿板を前に、調合の難しさや現像時間の微妙な変化について質問を重ねるうちに、私は墨絵の濃淡を整える感覚に似ているようにも感じた。
 ブラウンさんは言う。「薬品の漏れは焼き物の窯変のようです。…この1枚の被写体のなかの焦点部分に目が行くと、その周辺はぼけて見えませんか。実際に見る対象物も、焦点部分と周辺部分は同じピントにはなっていません。見えるままを正直に写すのが光画だと思います…」
 確かにデジカメ写真等は、焦点となる部分のみならず、四隅を含めてすべて均質の解像度である。一方、湿板写真(の近景撮影)の場合は、焦点部分にピントが合えば、その周辺はぼやける。周辺がぼやけることにより、逆に焦点部分がはっきり見える。これを美として表現するのが「光画」ではないか。
 私は「朦朧体」(もうろうたい)という明治後期の日本画の技法を思い出した。美術用語事典類から抄録すれば、「明治時代後半期の没線彩画の手法を用いた日本画の画風。横山大観、菱田春草らが、岡倉天心の指導と、洋画の外光派に刺激されて、伝統的な線描を用いず、絵具をつけない空刷毛を用いてぼかすことにより、空気や光線などを表わそうとした、日本画の新しい表現の試み」であり、当初は悪意と嘲罵で「朦朧体」と呼ばれたが、その後「浪漫主義的風潮を背景に西洋絵画の造形と正面から取り組み、近代日本画に革新をもたらした」と高く評価されるようになる。
 テーマ「時を超えた日本」は、映像の原点へ戻る旅と言い換えられるのではないか。作業場で濡れたガラス板に写る映像を目にしたとき、デジャヴュ(既視感)が目覚め、いつか、どこかで見たような懐かしさを覚えると同時に、新しい美の表現に触れたように感じた。
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プロフィール

Author:加藤 祐三
日本の歴史学者

横浜 市立大学名誉教授

国指定名勝・三渓園(横浜)
園長

・前都留文科大学長
(2010~2014)

・元横浜市立大学長
(1998~2002)

主な著書
「イギリスとアジア」
         (1980年)
「黒船前後の世界」(1985年)
「東アジアの近代」(1985年)
「地球文明の場へ」(1992年)
「幕末外交と開国」(2012年)
蒋豊訳「黒船異変」(2014年)
蒋豊訳「東亜近代史」
         (2015年)

 など

専門
・近代アジア史
・文明史

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