三溪園の正月行事

 日本庭園の三溪園は、四季折々に相を変える。背後の山々の樹木は自然の遷移に任せるが、古建築・茶室・石造物や各種の植栽は、季節の変化に応じ、それらがもっとも美しくあるように設計・配置されている。
 造園の基本設計は、創始者の原三溪(1868~1939年)その人である。明治後半の1902(明治35)年、鶴翔閣(横浜市指定有形文化財)の完成とともに移り住み、4年後の1906年に外苑を一般公開後、さらに内苑の造園、移築、植栽等を進め、茶室を設計・建造、関東大震災の前年の1922(大正11)年、聴秋閣の移築をもって完成とした。
 内苑と外苑をあわせて総面積17.5ヘクタール(53,000坪)の広大な敷地に重要文化財建造物10棟、横浜市有形文化財3棟を誇る。12月29、30、31日の3日間のみ休園で、あとの362日(閏年は363日)を開園。職員はシフト勤務を組み、限られた人数で最大限の力を発揮しようと工夫をこらす。
 年間行事の計画策定は吉川利一さんが担当、広報もつとめてきたが、新年から事業課長に昇格、事業課長だった中島哲也さんは、退職された長塚光夫総務課長の職に異動、いずれも守備範囲はさらに拡がった。
 新体制をにらみ、新しい試みも重ねる。地図と古建築等の説明が入る4つ折りのパンフレット「三溪園」と、同じく4つ折りのパンフレット「2015年 三溪園 花と行事」の2つで、ほぼ概要を網羅する(なお英語版、中国語版、ハングル版もある)。毎日11時と2時の2回、それぞれ約1時間の、ボランティアによる無料ガイドもある。
 正月行事は、鶴翔閣において行われる。戦後しばらく使われなかったが、修復後の平成13年以来、正月行事はここで開催、今年で15回を数え、今や伝統行事となった。
 今年は元日(木・祝)に筝曲演奏(「アトリエ筝こだま」の児玉寛子さんと設楽瞬山さん)、2日(金)に庖丁式(横浜萬屋心友会よろづやしんゆうかい・興禅寺雅楽会)、3日(土)に北見翼さんによる和妻と呼ばれる日本の伝統的な手品・奇術(手妻ともいう)、4日(日)に能楽(横浜五人囃子の会、謡・和久荘太郎さん、笛・栗林祐輔さん、小鼓・森貴史さん、大鼓・大倉栄太郎さん、太鼓・大川典良さん)が行われた。
 2日の庖丁式については、パンフレット「花と行事」に次の説明がある。
※庖丁式とは式庖丁とも呼ばれ、食材には手を触れず箸と庖丁のみで魚や 鳥をさばく伝統的な儀式。神や天皇に料理を捧げるにあたって、今から1100年ほど前の平安時代にその作法が確立したといわれている。その後公家や武家の間にも広く行われるようになり、今日では調理に対する心構えを磨くたしなみとして、おもに料理人の間に受け継がれている。
 横浜萬屋心友会(会員約20名の料理人の会)は、四条心流(四条流の一流派)である。四条心流が元祖と崇める四条流は、奈良時代の(獣)肉食禁止令(7、8世紀)後、平安時代の9世紀に入り日本料理中興の祖・藤原山蔭(四条中納言)が定めた料理法で、公家の間に流行した。
 時代が下って室町時代の長享3(1489)年(この年に京都で銀閣寺上棟)、『四条流庖丁書』(多治見備後守貞賢の奥書)が作られ(『群書類従』所収)、公家文化を真似た武家社会にも「おもてなし」の流儀として拡がった。四条流のほかに四条園流、大草流、生間(いかま)流、三長流等の流派があり、『大草家料理書』等も残る(『群書類従』所収)。
 『四条流庖丁書』は、檜(ひのき)の俎(まないた)の図(尺寸表記を換算して約85㎝×60cm)を掲げ、その中央に「式」の字、四隅には右上の「朝拝」から時計回りに、「四徳」、「五行」、「宴酔」の文字を配し、ついで「筋(はし)之事」「刀之事」として図や寸法等を記す。今回の庖丁式の道具や作法もこれによるところが多い。
 魚は「上ハ海ノ物、中ハ河ノ物、下ハ山ノ物」と一般則を述べるが、実際には鯉(こい)を最上位に置き、幾種類も出すときは、鯉の後に鯛(こい)等を出すべしとある。
 庖丁式は全国各地で行われ、東京では神田明神や湯島天神等、鎌倉では鶴岡八幡宮等で神事として奉納される。また昔は、鶴や鴫(しぎ)や雉などの鳥類も使われ、例えば正月28日、宮中清涼殿での儀式の絵図も残るが、明治に鶴が保護鳥となってからは行われない。
 三溪園の庖丁式は、港町横浜と初夢にちなんだ“宝船の鯛”(ほうせんのたい)で、鯉を使ったのは一度だけである。
 2日、特別公開の鶴翔閣の楽室棟が、人々で埋め尽くされた。床の間には「四条山陰中納言命」と肖像画等の掛軸3幅が並ぶ。11時、司会者の下、5人の雅楽隊が入場、演奏に導かれて白の直垂(ひたたれ=武家の代表的衣服)に烏帽子(えぼし)姿の後見人(全体の進行を監視する「親方」)が所定の位置に座り、色違いの直垂姿の4人が庖丁や真魚箸(まなばし)等を運び込んだ。
 最後に白の直垂姿の包丁人が登場、俎上の大鯛を、庖丁と真魚箸だけで巧みにさばく。切り身で作った「宝」の字の、左に頭を、右に尾を、それぞれ船首、船尾に見立てて置き、波状に切った身を波頭に整えて“宝船”を完成、約1時間の儀式を終了した。
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プロフィール

Author:加藤 祐三
日本の歴史学者

横浜 市立大学名誉教授

国指定名勝・三渓園(横浜)
園長

・前都留文科大学長
(2010~2014)

・元横浜市立大学長
(1998~2002)

主な著書
「イギリスとアジア」
         (1980年)
「黒船前後の世界」(1985年)
「東アジアの近代」(1985年)
「地球文明の場へ」(1992年)
「幕末外交と開国」(2012年)
蒋豊訳「黒船異変」(2014年)
蒋豊訳「東亜近代史」
         (2015年)

 など

専門
・近代アジア史
・文明史

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