新たな居留地研究会

  10月4日(土曜)と5日(日曜)、横浜市開港記念会館で「第7回外国人居留地研究会2014年全国大会横浜大会 開国160周年 日本近代化の扉を開く」があり、初日に聴きにいった。外国人居留地の起源は、タイトルが示す通り、1854年3月31日(嘉永七年三月三日)、横浜村(戸数約90)において、幕府全権・林大学頭とペリー提督との間で結ばれた日米和親条約による開国にある。
 欧米列強による世界支配の時代、インド等の多くの国が列強の植民地となり、立法・司法・行政の国家三権を喪失、また中国はアヘン戦争に敗北して賠償金支払いと領土割譲を伴う「敗戦条約」(1842年の南京条約)を結んだ。だが、日本は戦争を避け、対話と相互理解で画期的な「交渉条約」を結ぶことができた。賠償金支払いも領土割譲もなく、片務条項は残るが、不平等ではない。
 開国4年後にハリスと平和裏に結んだ日米修好通商条約の第3条に、五港開港(北から函館、新潟、神奈川=横浜、兵庫=神戸、長崎)、並びに江戸(東京)、大阪の「開市」(居住しての貿易業務はできない)があり、「米国人が居留できる場所(後の外国人居留地)」は「領事と同地の役人がその決定を行う。両者にて決定が困難な場合は、日本政府と公使の討議によって解決する」とある。
 横浜では、新設の神奈川奉行(1858年11月発令)とハリスが翌年6回にわたり協議するが、開港場をめぐり幕府は横浜村を、ハリスは神奈川宿を主張し、膠着したまま、ハリスは上海へ出張してしまう。
 幕府は工事に着手、わずか3か月間で、横浜道(神奈川宿から戸部に置いた神奈川奉行所を経て開港場に至る道)、桟橋、運上所(税関)、外国人商人の居住区画等を建設、外国人居留地を定め、開港の7月1日に間に合わせた(拙稿「横浜か神奈川か」『横濱』誌連載「横浜の夜明け」の第8回)。
 運上所と埠頭を境に、北西側(今の桜木町方面)へ本町通り・弁天通り等を通し日本人商人を江戸や近隣地区から誘致、「日本人町」とした。反対側の北東方面(山手方面)を外国人居留地とし、整地した区画をそれぞれに賃貸した。
 今回のシンポジウムのテーマは、4日が「横浜と音楽」で、講演が斎藤多喜夫「居留地のアマチュア音楽家たち」、大西比呂志「横浜外国人社会の現代史」、秋岡陽「横浜の西洋音楽」の3本、第2部がピアノ演奏と合唱(フェリス女学院大学音楽学部・声楽アンサンブル)、そして懇親会が催された。5日はシンポジウム「租界と居留地-都市と建築の視点から」、その後に3コースの史跡巡り(山下居留地、中華街、山手居留地)が行われた。
 大会の主催は横浜外国人居留地研究会(斎藤多喜夫会長)。実は30年前の1984年、斎藤さんの肝入りで横浜開港資料館に「横浜居留地研究会」が発足(私もメンバーの一人)、その研究成果の論文集『横浜居留地と異文化交流』(山川出版社 1996年)を刊行して解散した経緯がある。
 解散後10余年を経た2008年、神戸開港150周年を機に外国人居留地研究の神戸大会が開かれ、それを皮切りに、各地で市民による居留地研究会が誕生、函館、東京(築地居留地)、大阪(川口居留地)、長崎、そして東京と全国大会が開かれてきた。それらに参加した斎藤さんが一昨年の暮れ、同好の士と「再生」横浜居留地研究会を結成、隔月の勉強会と史跡見学会をつみ重ね、今回の横浜における第7回全国大会を実現させた。
 今回、会場整理等の都合から、マスコミへの事前広報を控えたが、初日は200名超が集まり大盛況だった。来年は、一巡して神戸大会に戻るという。
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プロフィール

Author:加藤 祐三
日本の歴史学者

横浜 市立大学名誉教授

国指定名勝・三渓園(横浜)
園長

・前都留文科大学長
(2010~2014)

・元横浜市立大学長
(1998~2002)

主な著書
「イギリスとアジア」
         (1980年)
「黒船前後の世界」(1985年)
「東アジアの近代」(1985年)
「地球文明の場へ」(1992年)
「幕末外交と開国」(2012年)
蒋豊訳「黒船異変」(2014年)
蒋豊訳「東亜近代史」
         (2015年)

 など

専門
・近代アジア史
・文明史

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