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IUC学生の三溪園印象記(2019年)

 今年もIUCの学生・教職員のみなさんの来訪を受け、10月4日、村田和義副園長、吉川利一事業課長、ガイドボランティア金曜班の大西功さん、山田博康さん、橋本幸夫さんとともに一行を出迎えた(本ブログ2019年10月11日掲載「10月初旬の三溪園」)。

 そのとき「…20世紀初頭(明治末~大正期)の近代に創設された三溪園は、それ以前の近世(主に江戸時代)の庭園(枯山水、心字池等)が<象徴主義>であるのに対して、<自然主義>に基づき、地形の特徴(谷戸=谷と丘)を活かして造園された新しい思想に基づく日本庭園であり、この種のものは三溪園のみ、これを念頭に古建築の配置の妙も見て欲しい」と述べ、学生諸君には三溪園の印象記を寄せてほしい、とも要請した。

 学生たちと別れてから、バートン所長を招き、村田副園長と一緒に、三溪記念館にある望塔亭(池越しに三重塔を望み呈茶サービスのある施設)でゆっくり歓談する機会を得た。

 数日後、IUCの橋本佳子さんから嬉しいメールが届いた。「…学生の作文がまとまりましたので添付にてお送りいたします。今回は15名が貴園見学について作文にまとめました。15名全員、本文が氏名とともに掲載される可能性があることを承諾しております。…」

 三溪園の吉川利一事業課長も、この報せを喜び、「初めての訪問の第一印象、また日本の文化や自然に対する概観など、さまざまな異文化への視点を知る、当方にとって貴重な資料であると思います。」と返礼した。

 15名の学生たちの新鮮な印象、学内授業から解放された喜び、そして日本文化に関する鋭い切込み等、とても貴重な内容である。学生諸君にとっても、この<記憶から記録へ>の意義は、いつか得がたいものになると思う。

 余計な解説を付さず、さっそく掲載する。【お断り】お送りいただいた作文の字体を本ブログで常用するものに改め、また12ポイントに拡大しました。なお原文の三渓園(三溪園の略字)表記はそのまま残しました。


チャン アンソニー
 この夏、他の先生とクラスメイト達と三渓園を訪ねたことがありますが、時間が比較的限られていたので残念ながらグループで単に散歩することしかできませんでした。今回の機会で庭園の美しさを見ることだけではなく、庭園の真の構造を鑑賞することができました。ボランティアの橋本さんに三渓園のそれぞれの建物の歴史と意義について丁寧な説明を聞かせていただきました。京都からの建物が分解され、横浜まで移築され、異なる環境で建て直され、新しい意味を与えられて文化財として保存されたことは本当にすごい出来事だと思って印象に残りました。三渓園の意図的な構造の意味についても考えさせていただきました。例えば、橋本さんの説明で臨春閣の次の間から見える三重塔と池と月の景色を意図的に「絵にした」ことと春草廬の周りを荒れ果てたお寺のような雰囲気にすることなどを勉強したことで新しく鑑賞できました。もしそのような背景が分からなかったら、その建物と周りの自然の意味をそのまま気付かなかったでしょう。この目を見張るような経験のおかげで、今後日本の庭園に行くと、きっと構造の意味について考えると思います。この大切な機会で新しく学ぶことができたことに感謝しています。


東まり子
 横浜美術館で開催していた「原三渓の美術」と言う展覧会を見た時以来、訪れたかった三渓園へやっと行けて良かったです。横浜の中心地から遠く離れている森林の中のお庭で、とてもリフレッシュできた気分になりました。
 緑に囲まれた景色の中に何軒もの歴史的建造物が馴染んでおり、とてものどかな風景でした。私は特にこの建造物に興味があり、私達のグループのガイドさんからたくさんお話を聞くことが出来て、とても嬉しかったです。建造物を保存するため、様々な方法で移築されている例がありますが、三渓園のような規模と周りの風景を意識的に取り込んだ保存例はとても珍しいと思います。また、保存を通し、原三渓の個性的な趣味もお庭に表れているのが面白いと思いました。ガイドさんが言っていたように、「庭は生きている美術品」だと本当に実感しました。生きているからこそ変化があり、メンテナンスも必要なのです。これからの季節と共に変わって行く三渓園をまた訪れるのを楽しみにしています。


メンダズ トレバー
 三渓園を訪ねさせていただいて幸いでした。私は日本文化史が好きですので庭園に行くのは楽しみでしたが、期待以上に楽しかったです。三溪園は谷にありますので、異世界に入ったようでした。入口を通ると横浜市の企業や工場などはまるで消えてしまったような気がしました。庭園を散歩する時間しかありませんでしたが、鑑賞した建物や景色が最高でした。全国から移築された歴史的建造物を観ながら三渓の庭園の構想を聞かせていたくのも興味深かったです。移築された建物は元々異なる時代に様々な所で建てられたのに、首尾一貫した世界だと感じました。確かに、原三渓氏の理想的な世界でした。すべての建築を一番相応しくて美しい文脈で経験できて、最高でした。庭設計もぴったりだし、流水の音も自然で優雅だし、極楽と見まがう様な環境でした。
 極楽のような場所で、明治時代の美意識も感じさせていただきました。ツアーガイドの方に聴いた通り、原氏は明治時代の三大茶人の一人でした。経済的・文化的に豊かな教養人として、明治の文化的理想を庭園で示しました。それで、歩きながら、明治の美的な心へのアクセスを得たと感じました。素敵な散歩だけではなく、明治の文化的生活の理解にも大変助かりました。このような機会をいただき、心より感謝しています。


リュ シャオユ
 金曜日の校外学習は八聖殿と三渓園について深く学ぶ機会となり、横浜の歴史を間近で感じることができました。横浜市にくる前の私の感想は、横浜市といえば現代的で、国際交流の機会が多くて、大事な産業がある港湾都市というイメージでした。しかし、今回の校外学習で、ガイドボランティアの面白くて明確な説明のおかげで、私が思っていたイメージに加えて、横浜市が歴史を抱えている地であるということを学ぶことができました。
 印象に残ったことの1つは、最初に横浜の海の変遷について八聖殿館長の話を聞いたことです。かつての自然の海岸の輪郭を学んで、前より横浜市の地理をよく理解することができました。一階の「漁村の祭りとくらし」という展示では、横浜市の歴史や文化が展示されていました。きっちり文書化されて慎重に提示していて、横浜の歴史のありがたみがわかりました。横浜に行く前に、横浜が海岸の近くであるということはわかっていましたが、横浜の地域が砂州で仕切りられた形で入海が広がっているということはあまり考えませんでした。「横浜」という地名のはじまりは面白い話だと思います。館長の話によると八聖殿が建つ本牧岬の崖は、江戸時代に風光明媚な場所としてなって、北斎がそこで富士山を描いたそうです。しかし、現在その見晴台は高速道路や工場地帯となりました。その見晴台に立っている時、場所の変遷したのを少し気の毒に思いましたが、私は昔の人の進歩に対する熱心さを感じました。
 三渓園でも、その「熱心さ」を感じました。三渓園では重要文化財建築が群を成しています。園内には京都や鎌倉などから歴史的に価値の高い建造物が移築されました。私が興味を持った建造物の一つは月華殿です。京都伏見城内に建てられたものといわれていて、縁側に座ると、塔の隣の本物の月と水面に映った月がちょうど見えるそうです。三渓園の建造物は気をつけて配置されていると思いました。そして、大きな建造物が多くて、ガイドボランティアにその建造物をどのようにもらって来たかと聞いてみると、人の力で運んで来たという返事をいただきました。時間もお金もかかったそうです。ガイドボランティアは、三渓園の設立は熱心な努力のおかげだったとおっしゃいました。
 今回の校外学習で日本の文化や考え方についても勉強できました。横浜で勉強している私の役目は、ここの地域の歴史を理解して、歴史を守り残してきた人たちの努力を学ぶということだと思います。現代の横浜市を理解するために、その歴史を深く学ぶ方が良いと思います。


ホワン シューティン
 横浜で新しい生活が始まってから、もう数週間になったが、毎日学校と家を往復するばかりなので、このまちをゆっくりと感じる時間がなかなかないと思う。だから、今週の金曜日に、八聖殿郷土資料館と三渓園を見学することができて、嬉しかった。
 八聖殿郷土資料館で横浜の歴史や伝統的な行事などを館長さんが詳しく説明してくれた。最も驚いたのは、横浜の海の変遷のことだ。館内に展示されている写真によると、今センターが位置しているみなとみらいは昔は海だったそうだ。戦後の経済成長に合うように、海が埋め立てられて、経済の中心が漁業から工業へ変わっていったとのことだ。「巨人の肩にのる矮人」と科学者ニュートンが言った。横浜の昔と今のそれぞれの写真を見たところで、急にそのニュートンの言葉が頭に浮かんだ。それで、横浜の歴史を少しだけ知って、このまちとのつながりが強くなっていくと感じた。
 三渓園は八聖殿から徒歩10分くらいの距離にある。日本の四季がはっきりしているとボランティアさんが言った。庭園の建物の名前を見ると、確かにその通りだ。「臨春閣」や「聴秋閣」や「月華殿」や「白雲邸」などの名前には四季と自然が含まれていて、もっともよい季節を感じることができるようだ。名前だけで、日本が持つ特別な美しさが伝わってくると思う。さらに、建物の非相称性についても教えてくれた。平面図から見ると、建物の構成は確かに相称的ではない。しかし、全体として、周りの自然に合わせていて、調和した景観になっていると思う。私は専門的な分析はできないが、ただ直感的な優雅さが目に入ってきた。
 11月には菊花展が開催されるそうだ。その時、もう一度三渓園を訪れるつもりだ。


バーク  エイミー
 校外学習として10月4日に横浜の有名な三渓園に参りました。そこで、ボランティアガイドの橋本さんが分かりやすく詳しく案内してくださいました。まだ10月で、紅葉は始まっていないですが、朝の大雨が止んだあとの植物の豊かな緑が綺麗で、とてもすばらしい自然に囲まれた感じで嬉しかったです。
 明治39年に原三渓という実業家が三渓園を開園しました。ほかの日本の最も有名な日本庭園と違って、三渓園は自然主義に基づいて造園されました。公園の計画は人工のものですが、本物の自然のように整理されたそうです。お客さんの鑑賞のために、植物から像までよく設計されていて、公園の中の全部のものの位置に理由があります。
 三渓さんの美意識は高いと思います。公園にある和風の家の縁側から三重塔が見える眺めの印象はまだ頭に残っています。それも三渓さんによって設計されたもので、いつでも瞑想中に家から絵のような自然を見ることがでるそうです。
 三渓園では、お茶が重要な役割を果しています。橋本さんが庭園のいろいろな茶室を案内してくださいました。特に春草廬という茶室が好きでしたが、九つの窓があるので、室内に自然光が差し込むように見えます。茶室の入り口は低くて、どんなに偉い人でも入るときに頭を下げなければなりません。こういうふうに、茶道の際だけは地位が関係なくて別の世界が作られていると橋本さんに説明していただきました。昔の習慣が大事に保存されているのはすごいと思いました。
 ほかの日本庭園に比べると、三渓園の雰囲気は落ち着いていて、ゆったりした環境で自然や歴史を楽しむことができます。季節が変わると公園の景色も変わるので、ぜひまた行きたいとおもいます。


モール シャトルンジェイ
 10月3日、私は日本語のプログラムの同級生と一緒に三渓園という綺麗な庭園に行った。三渓園は1906年に作られた庭園だ。三渓園には京都や奈良や鎌倉にあった江戸時代の建物が展示されている。創立者、原三渓は実業家だったが商業以外の慈善事業についても興味を持った。それで三渓園を作った。三渓園には博物館と違う雰囲気があった。普通の博物館では展示物はビルの中に並べてあるが、三渓園では綺麗な自然の場所に江戸時代の建物が展示されている。ガイドの方がとても良く説明してくださって、江戸時代の習慣や生活について大変勉強になった。
 三渓園にある池には綺麗な魚や亀やカモなど色々な動物がいた。ツアーが終わった後で友達と一緒に池の景色を見て、可愛い動物を見て感動した。自然に近づいたような気がした。その後で友達と一緒に丘に登って三重塔を見学した。丘にいるとき音楽が聴こえてきたのでとても良い気持ちになった。実はその夕方、フルートのコンサートが行われるということだった。行きたかったが残念ながら金曜日の晩に前から約束した予定があって、東京へ行かなければならなかった。
 毎日のクラスの代わりに、1日の遠足に出かけるのはとても楽しかった。横浜のことをいろいろ知ることができたが自然との親しさも感じられた。友達にも三渓園のことを勧めたいと思う。また、紅葉の写真が綺麗だったので、機会があれば秋に三渓園の風景を見てみたいと思う。


ニューサム サラ
 以前に三渓園に行ったことがある。前に行った時は大雨が降っていて、ちょっと大変だったが。大雨のおかげで、人があまりいなくてよかったが、道はいくつかは雨や風のために通行止めになって、三重塔にも行けなかった。そこで、今回また、三渓園に行くことにした。三渓園に行く日は、朝、大雨だったので心配だったが、バス停に着く前に、雨が止んで晴れたので、ほっとした。
 まず、八聖殿にいった。横浜市の歴史をすこし説明してもらって面白かった。後で、三渓園をガイドの方に案内してもらった。面白かった点は、いろいろな古い建物が京都で建てられて、それが明治時代後に三渓園に移築されたということだ。なので、実際には三渓園自体はあまり古くないのだが、きれいで静かなところである。三重塔に登ったが、とてもすてきであった。三渓園は大都市横浜にあるけど、自然に近く、田舎にいるようで、とてもいい経験だった。


リン スルウィン
 私にとって、金曜日の校外学習は初めての経験なので、何を期待すべきかわかりませんでした。ですが、思ったより楽しくて、面白かったです。日本の文化について学べただけでなく、クラスメートのことをよく知ることもできました。
 正直に言うと、校外学習に行く前に八聖殿というところについて、全然知りませんでした。外から見た時、ちょっとつまらなそうにも見えましたが、中に入ってみると、「何事も見かけではわからない」ということがわかりました。親切なスタッフの皆さんのおかげで、八聖殿と横浜の豊かな歴史がわかりました。説明と写真で、以前と比べて、現在の横浜は大分都市化が進んでいるという感じがしました。また、勾玉作りというワークショップはとても興味深かったです。皆が一緒に楽しめ、日本の伝統文化をもっと深く理解できました。
 三溪園でも素敵な経験をしました。そこを歩きながら、素晴らしい茶室や木を見ました。何回も京都のようだと思いました。ボランティアガイドの方のお話によると、三渓園は芸術家や文学者などの文化人たちの交流の場としても知られ、近代日本文化の一端を育んだ場所でもあるそうです。ガイドの方は年配の方でしたが、とても熱心に説明をして教えてくださいました。本当にありがたかったです。
 金曜日はほんとうにいい一日でした。日本の文化について学んだし、同じ授業以外のクラスメートと話す機会もいっぱいありましたし、いろいろ感動もしました。


デービス ヘザー
 今週、授業の代わりに、遠足に行くチャンスがやっときました。金曜日は三渓園という日本の伝統的な公園に行くことになりました。皆はとても期待していましたけど、台風が来るかもしれないので、心配もありました。雨でも行くと言われましたが、やっぱり公園というのは晴れた日の方が楽しめるところだと思います。しかし、金曜日は、雨が朝だけ降った後、すぐに止み、午後は晴天になりました。
 三渓園に行く前に私たちは近くの博物館で面白い歴史についての講演を聞かせてもらいました。個人的には、横浜港の説明が一番面白くて、本当に勉強になりました。その後は三渓園の庭園に入りました。すごく印象的な景色で、入ったとたんに好きになりました。伝統の茶室は現代でも堅牢にみえて、昔の貴族がそこでお茶会をするのが想像できました。ガイドの方も優しかったし、静かで自然が多かったし、本当に楽しかったです。今度アメリカの家族と一緒に行きたいと思っています。


コナー マイケル
 10月4日にセンターで校外学習として、横浜の八聖殿と三渓園という歴史的な所に行ってきました。八聖殿で横浜の起源について学んで、勾玉という伝統的なものを作ることができました。三渓園できれいな庭園を散歩しながら案内人の方が建物や庭について説明してくださいました。
 八聖殿は 1933年に建設された八角形の建物で、1973年から横浜の歴史博物館として存在しています。そこで、横浜の名の由来を習いました。江戸時代の横浜の地図を見たら、今と地形が全然違います。以前は湾があって、湾と海の間に長い砂浜がありました。地図を見るとその砂浜は横に出ていて、「横浜」という名になったと言われています。現在は、 湾の代わりに街になりましたが、二本の川が残っています。
 三渓園はもともと蚕糸業でお金持ちになった原富太郎の庭園でした。その人が100年ぐらい前、京都や和歌山から歴史的な建物を集めました。今三渓園では、建物と造園と茶会の組み合わせが中心にされています。校外学習で横浜について色々学ぶことができ、行って本当によかったです。


グレイザー ヴィンセント 
 遠足から帰ってから、そして土日もずっと庭園について考えていました。そのコースを選択した時は、特に大きな期待はなく、自然の中にいられればいいと思っていました。しかし、三溪園は自分に強い印象を与えてくれました。
 まず、蚕です。私は毎日虫の勉強に夢中ですが、遠足の前に本物の蚕を見たことがありませんでした。幼虫と繭を見ると、絹を作ることについてもっと深く理解できました。そして、その絹の興味から、三溪園も楽しめました。あの素晴らしい所は、人間と虫の協力で作られたことが分かり、人間と自然のつながりも分かるようになりました。
 ところで、三溪園は全体が自然のなかにあるように作られているそうです。建物の様子は周りの植物にすぐに溶け込みました。そのような場所にいると、ストレスが消えて、心が静かになるように感じます。原三溪が客のために庭を無料にしたということを聞いて、より鑑賞できるようになりました。みんなが平等に楽しめる所だったら、さらに美しく感じられます。実際に来てみたら、思ったよりとても楽しかったので、嬉しかったです。

 
エズゲラ パウラ
 先週の金曜日に遠足で八聖殿と三渓園に行った。興味深い印象をたくさん受けて、とても楽しめた。その経験は、日本文化と季節の関係についてとても考えさせてくれた。
 まず、八聖殿で日本の祭りの説明を教えていただいた。八聖殿の所長の話によると、日本ではそれぞれの祭りが一つの季節の必要な行事と関係があるということだ。春は植物の生える時期なので、雨が特に大事で、雨が降るように色々な踊りと祈りがある。夏は、蒸し暑さのせいで日本では害虫が危ないので、国を守るために賑やかな祭りが行われている。収穫は秋だから、その時、神様に感謝の気持ちをお伝えする。冬は食べ物を保存しなければならないので、正しく保存できるように多くの供物をそなえる。そうすれば、神様に冬の間に十分な食べ物を食べていただけるはずだということだ。
 そのあと、三渓園に行って、そこで素晴らしい三渓園を計画した原という人の生い立ちを聞かせていただいた。原さんは市民を喜ばせるために、10年間頑張って三渓園を作った。目的の一つは季節を感じさせることだと言われている。そのため、きれいな常緑を植えるだけでなく、桜や蓮子や紅葉や梅など何種類も探して植えた。つまり、原さんの努力のおかげで昔も今も三渓園で人々はきれいな日本の季節を楽しめるわけだ。
 今回の遠足で日本文化と季節の関係について細かい点を学んだ。しかし、最近は世界中で、地球温暖化が問題になっていて、そのせいで季節がどんどんなくなっていくと言われている。なので、私は「季節がなくなれば、日本文化にどんな影響を与えるだろう」ということを考えている。


プラング ディラン
 ⼤学の時に⽇本の芸術や美学のクラスを取ったが、それにもかかわらず⽇本の庭園と欧米の庭園の違いに驚いた。もちろん、季節によって三渓園はいつも変化しているそうだし、このような感想は初めて訪れた経験にしか基づいていないので、間違っているかもしれない。しかし、三渓園は、花や植物だけに焦点をあてるより、建物や訪れる人の園での経験にも注意を払って作られているようだ。それは⼀番驚いた点だった。しかし、その⼀⽅、欧⽶の庭園は⼀般的にもっとケバケバしく⾊や植物の多さを⼀度に強調する。そのため、この遠⾜で庭園のイメージをちょっと考え直すことができてよかった。


シェン トン
 中国でも、いろいろな庭を見学したことがあった。それと比べて、三渓園の一番特別な点は自然を重視している点だと思う。中国の庭は自然の美しさを利用して、建物を強調することが多い。だが三渓園は、建物が自然の一部になる、そういう印象がある。簡単に言えば、それは「自然に生まれる庭」という感じだ。また、三渓園は自然の偉大さを強調することもあると思う。南門から入った時、高い山があると思ったが、登ったら、そんなに高い山ではなかった。だが、山の下から見ると、緑が山の本当の姿を隠して、視覚的な大きさを作った。それはとても面白いと思った。
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プロフィール

Author:加藤 祐三
日本の歴史学者

横浜 市立大学名誉教授

国指定名勝・三渓園(横浜)
園長

・前都留文科大学長
(2010~2014)

・元横浜市立大学長
(1998~2002)

主な著書
「イギリスとアジア」
         (1980年)
「黒船前後の世界」(1985年)
「東アジアの近代」(1985年)
「地球文明の場へ」(1992年)
「幕末外交と開国」(2012年)
蒋豊訳「黒船異変」(2014年)
蒋豊訳「東亜近代史」
         (2015年)

 など

専門
・近代アジア史
・文明史

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