FC2ブログ

展示「もっと知ろう! 原三溪」

 横浜美術館の開館30周年と原三溪生誕150年・没後80年を記念して、横浜美術館で特別展「原三溪の美術」が開かれた(2019年7月13日~9月1日)。その趣旨を次のように述べている(ホームページより)。

 原三溪(はら・さんけい)は、横浜において生糸貿易や製糸業などで財をなした実業家です。明治初年に生まれ、昭和戦前期にいたる近代日本の黎明・発展期に経済界を牽引しました。
 一方で三溪は、独自の歴史観にもとづき古美術品を精力的に収集したコレクターであり、自由闊達(かったつ)な茶の境地を拓いた数寄者(すきしゃ)、古建築を移築して三溪園を作庭・無料公開して自らも書画・漢詩をよくしたアーティスト、そして、同時代の有望な美術家を積極的に支援し育んだパトロンでもありました。三溪のこうした文化的な営みは、財界人としての活動や人的交流、社会貢献活動家(フィランソロピスト)としての無私の精神にもとづきつつ、近代日本における美術界・美術市場の確立の過程と軌を一にしながら展開したと言えるでしょう。
 本展は、原三溪の四つの側面、すなわち「コレクター」「茶人」「アーティスト」「パトロン」としての業績に焦点を当てます。それらの相互関連を時代背景も視野に入れて探りながら、今日、国宝や重要文化財に指定される名品30件以上を含む三溪旧蔵の美術品や茶道具約150件と、関連資料を展観することによって、原三溪の文化人としての全体像を描きだします。三溪自身も一堂に観ることが適わなかった旧蔵の名品を、過去最大規模で展観する貴重な機会となります。

 この特別展と並行して、8月3日(土)~9月1日(日)の11時~16時、同館のアートギャラリー1において原三溪市民研究会・横浜美術館共催の展示「もっと知ろう! 原三溪-原三溪市民研究会10年の足跡-」が開かれた(無料)。副題にあるように、原三溪市民研究会(以下、市民研)の10年の歩みを踏まえ、<実業の人>、<文芸の人>、<愛市の人>をトライアングルの各頂点に置き、三溪の全体像に迫ろうとするパネル全28枚の展示である。

 特別展「原三溪の美術」は7月12日に鑑賞したが、市民研の展示には最終日の9月1日夕方ギリギリに駆け込み、廣島亨市民研会長の熱い解説を聴くことができた。岐阜の尾関孝彦さん(本ブログ2014年10月22日掲載「原三溪の故郷」、2016年10月3日掲載「三溪と横浜-その活躍の舞台」を参照)や市民研の速水美智子さん、久保いくこさんにも嬉しい再会ができた。

 市民研の展示はプロローグで4枚のパネル(『原三溪翁伝』について、生い立ち、《乱牛図》、結婚)を並べる。藤本實也が1945年8月16日(三溪の命日)に完成させた稿本『原三溪翁伝』を広く知らせたいと刊行作業に取り組む団体として生まれたのが市民研である。本書の解題を冒頭に置くことにより、展示の副題「原三溪市民研究会10年の足跡」が生きてくる。

 3つ目のパネルで岐阜時代の三溪の成長、とくに三溪が17歳(満16歳)で描いた《乱牛図》を取
り上げて詳述する。私がこの絵を初めて観たのは、岐阜市歴史博物館の特別展「岐阜が生んだ原三溪と日本美術-守り、支え、伝える」(2014年10月10日~11月16日)だったと思う(本ブログ2014年10月22日掲載「原三溪の故郷」)。

 また昨年秋、市民研と三溪園の共催で開かれたシンポジウム「原三溪-その生き方を考える」での市川春雄さん(原三溪・柳津文化の里構想実行委員会事務局長)の発表「岐阜と富太郎-郷里岐阜の資料に見る<富太郎、三溪へのステップ>」があった。その中で<予言>、<つぼみ・兆し>、<赤い糸>、<決意>の四段階を設定、「第2の<つぼみ・兆し>は、明治17年の富太郎の筆になる《乱牛図》で、旧加納藩主永井尚服の所望に応じて届けたもの。のちに書画を嗜む契機になった作品」と言われた点に強い印象を受けた(本ブログ2018年11月19日掲載の「原三溪の生き方を考える」)。

 今回の特別展「原三溪の美術」にも《乱牛図》が出品されており、この大好きな絵をじっくり眺め、「なだらかな山の裾野に60~70頭の牛が放たれ、子牛や牧童たちの戯れる姿も見える。のどやかで、どこか懐かしい」、とブログに書いた(本ブログ2019年7月29日掲載「医療の近未来」)。

 《乱牛図》の賛に「嗚呼太平盛乎 縦馬華山之陽 牛放桃林之野」(ああ太平盛んなるかな、馬を華山の陽(みなみ)に縦(はな)ち、牛を桃林の野に放つ)とある。

 展示図録は、これが中国の古典『書経』(『尚書』)の故事成語「帰馬放牛」から取り、「泰平を寿ぎ不戦を誓い学問を重んじる境地を放牧された群牛と牧童の長閑な情景に託している」とある。

 市民研の解説は、「武を伏せ 文を修め 馬を華山の南に帰し、牛を桃林の野に放ち、天下に服せざるを示す」から取ったとし、戦の象徴の<馬>と、太平の世の象徴の<牛>の対比を際立たせる。

 以上のプロローグの次に来るのがパネル「もっと知ろう! 原三溪」であり、このパネル1枚に全体像を示す重要なキーワードを凝縮して入れている。トライアングルの上角に<実業の人>を置き、原合名会社(生糸売込商・輸出業、製糸業)、近代的経営(技術・品質・人事)、安定・継続の方針(目先の利益に左右されない、林業・地所部、新会社設立)の3つのキーワードを入れる。

 なお展示パネルには明示してないが、廣島さんがぽつりと述べたことが心に残る。「…生糸輸出は日本最大の外貨獲得源であり、その大半が横浜港から出て、これが日本経済を支える根幹という自負を三溪は持っていたのではないでしょうか…」。同感である。

 トライアングルの左角は<愛市の人>で4枚のパネル、ここには三溪園の造園(一般公開)、横浜経済を救済(第一・二次帝国蚕糸株式会社の設立・責任者、七十四銀行破綻~横浜興信銀行設立)、震災復興(横浜貿易復興会・横浜市復興会の会長)、社会救済(寄付、横浜発展に尽力)の4つのキーワードを入れる。

 トライアングル右角<文芸の人>には11枚のパネルを充て、古美術の収集家、若手日本画家の後援・育成、文化財保護に尽力、茶人、漢詩・日本画の趣味の5つのキーワードを入れる。

 キーワードは総計12。近代的経営(技術・品質・人事)、若手日本画家の支援・育成、三溪園の造園、震災復興等々、どれ一つをとっても常人には成しえず、それが12とは尋常ならざる偉業である。

 トライアングルの下方には、<公人>と<私人>の2面から描く「三溪像の側面」の図があり、別の視点から三溪の姿を照らし出す。

 <公人>のなかには、蚕糸業界の長、政財界との交流、現実社会の中で、関内(横浜の中心部)で、出張先で、横浜愛・使命感、実業の人、愛市の人、無心の心・唯有義耳(ただ義あるのみ)の9つのキーワード、一方の<私人>の側には、自然・田園風景への憧憬、故郷への思慕、三溪園で、別荘・旅先で、自然美・安らぎ、文芸の人、歴史・文化の見識、白雲の心の8つのキーワードを入れる。

 <公人>の枠に<実業の人>と<愛市の人>の2つを入れ、<私人>の枠には<文芸の人>が入っている。<文芸の人>のから<美術の人>、<芸術の人>、<造園の人>へと想像を膨らませる人もおられよう。

 ついで<実業の人>に6枚のパネル、<愛市の人>に4枚のパネル、そして<文芸の人>に11枚のパネルを充て、各論の説明に入る構成である。

 今回は<文芸の人>のなかで三溪の漢詩を強調している。市民研のなかの漢詩の会(講師は関東学院大学の鄧捷教授)を主導してきたのが廣島さんに他ならない。三溪の長女・春子さんの願いを受けて円覚寺住職・朝比奈宗源が編纂刊行した『三溪集』(13回忌の1951年刊)には、漢詩135首、和歌20首、小唄1首が収められているが、今回そこから漢詩16首を取り上げた。

 漢詩に見る原三溪の心とも言うべき、市民研の研究成果は刊行予定と聞くので、それを待ちたい。 

 今回の市民研展示は、昨年の第5回市民研シンポジウム「原三溪の生き方を考える」の3つの報告の
うち、廣島亨「『原三溪翁伝』から三溪の選択を考える」を敷衍・深化させたものと見られる。このとき廣島さんは、ご自身の会社勤務時代の苦労を踏まえ、三溪の事業主としての折々の<選択>について、(ア)三溪の原家入籍と原商店での店員見習い、(イ)事業主として原商店の原合名会社への組織改革に着手、(ウ)事業主の仕事と三溪園の造営、換言すれば生き馬の目を抜く現実の事業と、三溪園造営や書画の創作による<永遠の美>の創造という二つの価値の両立を模索したと語った(本ブログ2018年11月19日掲載の「原三溪の生き方を考える」)。

 特別展「原三溪の美術」も市民研展示も、ともに予想をはるかに超える入場者があったと聞く。2つの展示は、異なる観点から三溪に近づこうとしており、相互補完的で分かりやすい。

 次の市民研シンポジウム(第6回)は12月14日(土曜)を予定している。
スポンサーサイト



コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

Author:加藤 祐三
日本の歴史学者

横浜 市立大学名誉教授

国指定名勝・三渓園(横浜)
園長

・前都留文科大学長
(2010~2014)

・元横浜市立大学長
(1998~2002)

主な著書
「イギリスとアジア」
         (1980年)
「黒船前後の世界」(1985年)
「東アジアの近代」(1985年)
「地球文明の場へ」(1992年)
「幕末外交と開国」(2012年)
蒋豊訳「黒船異変」(2014年)
蒋豊訳「東亜近代史」
         (2015年)

 など

専門
・近代アジア史
・文明史

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
カテゴリ
QRコード
QR