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伊波洋之助さんを偲ぶ

 伊波洋之助さんが逝去されて5カ月になる。9月6日、三溪園の中島哲也総務課長と参列した斎場は長蛇の列であった。入口に伊波さんの笑顔の写真、傍らに大きなかわはぎの魚拓が添えられている。寸長34.7㎝、重量780g、昭和58年7月10日、剣崎沖、釣人伊波洋之助とあった。

 年が改まり、ご子息の俊之助さんが伊波洋之助著『平成に活きた市会議員 伊波洋之助小伝』を届けてくださった。奥様の宣子さんの「感謝」と題する一文が同封されている。「またたく間に月日は流れ、日に日に淋しさがつのります。葬儀の際は多くの方々に主人との別れを惜しんで頂き、心より感謝申し上げます。…」。

 横浜市会議員を引退されて2年後の、2017年9月25日刊行である。版元は株式会社リテラル、B5版、105ページ、販価1200円。カバーに大桟橋の遠景写真。最初のページには、旭日小授章を胸にモーニング姿の伊波さんと和装の奥様の写真が収められている。

 「<平成>に生き、燃焼した伊波洋之助です」と始まる。「私伊波洋之助は今からざっと三十年近く前の、平成元(1989)年1月28日、45歳のときに横浜市会議員に初めて当選させていただきました。中区の補欠選挙でした。平成になって全国で初めて公職選挙で当選して議員になったのが私でした」。

 文末に付されたプロフィールによれば、昭和18年、横浜市中区本牧三之谷(三溪園と同じ地名)出生とあり、私の7歳年少であることを初めて知った。拓殖大学商学部貿易学科スペイン語専攻に在学中、南米総合調査団団長として南米に1年滞在している。

 昭和45年、松村株式会社入社、市会議員の松村千賀雄の秘書を18年つとめ、平成元年の補欠選挙で初当選、以後7期28年勤続、市会の各種委員を歴任、平成17年に第40代横浜市議会議長となり、平成27年3月、議員を引退された。

 「地方議員の仕事とは」では「次の時代によりよい横浜を残すこと」に尽きると断言、また「市議は駅伝ランナー」とも言う。具体的には秘書時代に奔走した「本牧の米軍接収地の解除の前夜について」、市議時代の大気汚染に関する「<魚釣り>で見つけた石炭火力の横暴」、高齢者や身障者のため坂道の多い地区を走る「市バス222系統」の新設運動、「山手・石川町両駅のバリアフリー化の促進」等の業績から、浜っ子の心意気と<横浜愛>が伝わってくる。

 また「ガス燈」については、「日本におけるガス燈の発祥の地は横浜です。初めての点燈は、明治五年九月でした。東京では銀座が名誉あるガス燈第一号の地となりましたが、それも明治七年の話で、横浜のほうが二年早かったのです。安政六(1859)年に横浜村が世界に向けた開港の場に選ばれ、…さまざまな欧米の文化が横浜を玄関口として日本に入り、横浜から全国へと拡がっていきました。…」。ガス燈は伊波さんたちの奮闘のおかげで再建され、いま山下公園前の道路でほのかな光を放っている。

 「節目の年齢、そのとき私は」が本書の神髄であろうか。20歳、30歳、40歳、50歳、60歳、70歳の節目を振り返る。「…70代、長男俊之助に議員の仕事を委ね、…毎朝5時に起き、6時から新本牧公園に登り、ゴミを分別する<ゴミおじさん>をし、ついでラジオ体操…、一日10,000歩から13,000歩を歩き…」と近況報告で結ぶ。本書は市販されているので、ぜひお読みいただきたい。

 伊波さんと初めてお会いしたのは、平成4(1992)年頃である。伊波さんが市会の大学教育委員となられ、私が市大の高井修道学長の下、教養部長として市会に出席した時である。

 しばらくして伊波さんから、拙著をテキストに個人的な勉強会をしたいという要請をいただき、二つ返事でお受けした。最初は19世紀中頃の世界史を描いた『イギリスとアジア-近代史の原画』(1980年、岩波新書)を取り上げた。中国から英国への茶、英国植民地インドから中国へのアヘン、英国からインドへの産業革命の産物の機械製綿布、これら三大商品からなる「19世紀アジア三角貿易」を解明したもの。商学部貿易学科出身の伊波さんの得意分野で、議論が盛り上がり、多くの示唆を得た。

 次に取り上げたのが『黒船異変』(1988年、岩波新書)だったと思う。1853年7月8日、浦賀に来航したペリー艦隊と浦賀奉行所の、最初の接触に始まる日本開国を描いたもの。とくに横浜村における日米交渉に焦点を絞り、幕府代表の林大学頭とペリー提督との対話(1854年3月8日)から3月31日の条約調印までの過程を描いた。日米初の条約である日米和親条約(1854年)は、<避戦策>に徹した幕府と、ペリー側の漂流民相互救助・国交樹立の目的を合致させ、平和裏に結ばれた<交渉条約>であると述べた。

 それまで<不平等条約>説が過度に強調され、横浜は<不平等条約>の落し子という根拠のないイメージさえあったが、それを払拭し、都市横浜の起点が幕府外交の勝利の賜物であることを示した。これが市政公布100周年・開港130年を記念する大イベントである1989年の横浜博覧会(略称はyes’89)の「黒船館」の基本コンセプトに採用された。本書は絶版だが、後継本が『幕末外交と開国』(2012年、講談社学術文庫)として市販されている。

 この横浜博覧会を機に、みなとみらい地区の開発が進み、はや30年が経った。桜木町駅から<汽車道>を通り、左手に日本丸、観覧車、聳え立つランドマークタワーからクィーンズ・パシフィコ横浜へと散策するたびに伊波さんを想う。

 また横浜博覧会の関連事業として、市大で横浜の歴史と現在を海外に伝える英文の本を編集・刊行することになった。書名を”YOKOHAMA Past and Present”とし、編集委員長に私が指名され、学内外56名の筆者による134編の論考(1編が見開き2ページ)、300ページの本が出来あがる。類書は東京都や京都市等にもなく横浜が一番乗りで、そのことを伊波さんは殊のほか喜んでくれた。さらに市会から、市民のために日本語版もとの要望が出て、『横浜 いま/むかし 日本語補助版』(1980年)も刊行した。

 伊波さんは横浜をなによりも愛する<市民派>の市議であるが、学生時代に南米調査団長をつとめたように、広く世界に関心を持つ<国際派>でもあった。私は日本史と世界史の双方から歴史を考えており、意気投合した。

 後年、伊波さんが2015年に市議を引退され、私が三溪園園長となって再会する。伊波さんは、戦後直後の三溪園の苦難の時代(古美術商のご尊父から伝えられたこと)や戦後の三溪園が腕白盛りの一番の遊び場だったこと等を語られた。その奥には、初代市会議長の原善三郎(三溪園の土地を取得し、別荘の松風閣を建てた三溪の義祖父)への敬愛の念が窺われた。

 『伊波洋之助小伝』は次の言葉で結ばれる。「皆さんどうもありがとう、そして大好きなヨコハマ‼ この街に、三溪園に、港に感謝して、この本を締めくくりたいと思います。皆さんどうもありがとう‼」 

 横浜をこよなく愛した人
伊波洋之助さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。
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プロフィール

Author:加藤 祐三
日本の歴史学者

横浜 市立大学名誉教授

国指定名勝・三渓園(横浜)
園長

・前都留文科大学長
(2010~2014)

・元横浜市立大学長
(1998~2002)

主な著書
「イギリスとアジア」
         (1980年)
「黒船前後の世界」(1985年)
「東アジアの近代」(1985年)
「地球文明の場へ」(1992年)
「幕末外交と開国」(2012年)
蒋豊訳「黒船異変」(2014年)
蒋豊訳「東亜近代史」
         (2015年)

 など

専門
・近代アジア史
・文明史

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