ベシュトワル家の来園

 アントワーヌ・ベシュトワルさん(Antoine Bechetoille、1872~1966年)は、絹織物の筆頭生産地フランスのリヨンの生糸輸入商であり、1903(明治36)年に原合名会社(社長は原三溪)の子会社である原輸出店の総代理人となった人物である。1868年生まれの三溪が35歳、アントワーヌさん31歳、日仏間で見事なコンビを組んだ。
 この史実を雑誌“France Japon Eco”(日仏両国語の季刊誌)146号、147号(2015年)に多数の写真入り(史料)の記事で伝えたのが、クリスチャン・ポラックさん(Christian Polak、株式会社セリク社長、本社は日本橋)で、10月6日、三溪園の観月会にアントワーヌさんのご子孫一行20名を連れて来られた。

 ポラックさんの名前は、明治大学に収蔵されたポラック・コレクションや2014年の神奈川県立歴史博物館展示「繭と鋼-神奈川とフランスの交流史」等で知っていたが、お会いしたのは初めてである。その展示図録の冒頭に「クリスチャン・ポラック コレクションの歩み」として自伝風の回想が載っている。かいつまんで抜粋・紹介したい。
 「…ピレネー地方の片田舎で育ち、…東の最果ての地、日本とその国の民が話す言葉を学ぼうと心に決め、1968年、パリの国立東洋語学校(現在のフランス国立東洋語学研究所)に入学…卒業と同時に日本政府の給費留学生として来日…一橋大学で日仏外交関係史を学ぶ。…一次史料に当たり、安易な憶測を排し、常に厳正を期すべしと叩き込まれた精神は小生の研究者・企業家という二つの人格間に通底し、矛盾なく統合している。…」

 一橋大学で細谷千博教授(1920~2011年)に師事し、1907年締結の日仏協商に関する修士論文を書く。ついで日仏会館事務所長の手引きで日仏文化交流史の権威、高橋邦太郎教授(1898~1984年)に出会い、「…この驚くべき博学のユマニストは上野池之端に住む生粋の江戸っ子で、神田の古書店街を己が庭も同然に知り尽くし、…参考にすべき史料や書籍を指南してくれた。…(歴史研究には)国政史のような<大きな歴史>と個人史・家族史という<小史>があるが、自分は後者を選び、それを裏付ける史料は手紙、日記、メモ帳、蔵書、写真、通信簿等々…とりわけイコノグラフィー(図像)を重視している。…」
 当時、外国人の国立大学教員への道は閉ざされており、1980年、大学院法学研究科博士課程を修了すると、その翌1981年、株式会社セリクを立ち上げた。「…この社名は日仏協商の研究で学んだ両国の相互依存関係を紡いだ<絹>に因んだもので、小生の冒険の始まりである。以来、師の教えを忠実に守り、小生の稼ぎのすべては史料の収集に注ぎ込まれることになる。」

 そして一行の三溪園訪問を企画したポラックさんの日本側の相方が、公益財団法人三溪園保勝会の猿渡紀代子副理事長である。横浜美術館の学芸員時代、日本に住み版画や絵画を制作した「フランス人浮世絵師」ポール・ジャクレー(1896~1960年)の展覧会を企画した15年ほど前に知り合ったという。
 冷たい雨という予報だったが、ボランティア・ガイドの大西功さん、福田克夫さん、本田実さんが英語で案内する園内散策の間は降らなかった。そして白雲邸での懇談会。三溪園からは内田弘保理事長、猿渡副理事長、野村弘光理事(祖父の野村洋三氏が三溪と親しく、横浜で古美術商<サムライ商会>を経営)、川幡留司参事(三溪園の生き字引)、吉川利一事業課長と私が出席。

 猿渡さんのフランス語の司会で進む。まずポラックさんに今回の三溪園訪問に至る経緯を伺うと、彼はまず日本語で話し、その要約をフランス語で伝えた。
 10年間ほど進めていたアントワーヌ・ベシュトワルの調査の成果が得られないなかで、2014年、日本在住のジャン・ピエール・デュプリユ氏からエミール・ド・モンゴルフィエ(1866年~73年、横須賀造船所の会計係兼写真師)の子孫マリー・ド・モンゴルフィエさんと夫のベルナール・シャンパネ氏を紹介され、翌2015年、シャンパネさんからアントワーヌさんの孫ベルナールさんを見つけたと連絡を受ける。さっそく大勢のご子孫と対面、多数の史料を得た。この続きは上掲雑誌の論考と写真を参照されたい。

 ついで内田理事長のフランス語の挨拶。「ご一行の来園を心から歓迎します。原三渓とアントワーヌ・ベシュトワル氏の関係はよくご存知だと思いますが、氏は1910年、三渓の招きで、まさに皆さんの今おられるこの公園を訪問したのであります。横浜とリヨンは一本の生糸の線で結ばれていました。繊細ですけど、堅い糸です。その頃の日仏経済交流については、わが旧友ポラック氏の研究によるところが大であり、ここに感謝します。三渓は大企業家でしたが、同時に芸術の擁護者であり、大コレクターでありました。彼は寛大な心の持ち主でありました。その得たところを市民に惜しみなく開放しました。この公園もそうです。園内を散策すれば、日本を、その美と伝統を理解することが出きるでしょう。塔や建造物、動物や植物(梅や桜が素晴らしいです)もそうです。そうそう、「月」も加えたいのですが、今宵は残念ながら、彼女はgentilleでないようです。皆さまの快適なご滞在を祈念します。」

 ベシュトワル家の紹介はアントワーヌさんの孫のジョルジュさんが行う。20名のお顔と名前と血縁関係を瞬時に理解するのは難しい上に、頂戴した家系図(顔写真入り)を見ると、大変な人数である。いまなお高い出生率を誇るフランスの勢いを実感した。
 昨日到着したばかりの一行はみなお元気で、原三溪の居所であり、公開庭園でもある三溪園について、自然との一体感、樹木・石・古建築の配置の妙がなんとも素晴らしいと言われる。自作の手縫いのペンケースをいただき、三溪園から匂い袋を差し上げると「…ベシュトワルの苗字は<小さな森>という地名に由来しており、木から取ったお香は我々への格別の贈物です」と声があがった。

 明日は富岡製糸場(2014年に世界文化遺産に登録)へ行かれるという。官営の富岡製糸場は1872年に誕生し、1891年の払い下げを三井家が受け、さらに1902(明治35)年に原三溪の原合名会社が経営を引き継ぎ原富岡製糸所(~1938年)となった。アントワーヌさんが原合名会社のリヨン総代理店となったのがその翌年である。
 ベシュトワル家の方々の旅は三溪園と富岡、それに京都・奈良で終わるはずだが、ポラックさんの歴史研究の旅はさらにつづき、多方面へ拡がっていくに違いない。
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リヨンつながり

加藤先生 お久しぶりです。横浜市大国際文化研究科1期生の佐藤です(白石昌也先生のゼミでした)。3年前に三渓園で偶然お目にかかって以降、ご無沙汰していますが、お元気そうで嬉しく存じます。学部1年の教養科目で、先生から、横浜とリヨンの生糸を通したつながりについてご講義頂き、興味深く記憶しておりました。そして、月日が経ち、私ごとですが、スペインのバレンシア出身の夫の実家を初めて訪問した際、懐かしいリヨンの話が出てまいりました。バレンシアは、バレンシア・オレンジで有名ですが、実は、オレンジ生産を始める以前19世紀後半までは、生糸の生産地でした。夫の実家は代々、オレンジ農家ですが、納屋に蚕の選別作業を行う台が残っています。そして、その輸出先はまさにリヨン。しかし、日本の生糸がリヨンに輸出されるようになり、価格競争に負けたバレンシアは大打撃を受け、オレンジ生産へと切り替えざるおえなくなったそうです。そのあたりのことは、バレンシア出身のスペイン近代文学の文豪ビセンテ・ブラスコ・イバニェス(Vicente Blasco Ibáñez)の小説にも出てきます。夫の実家の納屋で、蚕の器具を見つけた時、何とも感無量でした。私の実家は、北九州市の八幡で八幡製鉄所の企業城下町、父も製鉄所に関係する仕事をしていましたが、大学進学する直前の1985年のプラザ合意以降、新日鉄が八幡製鉄所の高炉閉鎖を決定したため産業構造激変の憂き目を経験しました。時代は繰り返すのですね。

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プロフィール

Author:加藤 祐三
日本の歴史学者

横浜 市立大学名誉教授

国指定名勝・三渓園(横浜)
園長

・前都留文科大学長
(2010~2014)

・元横浜市立大学長
(1998~2002)

主な著書
「イギリスとアジア」
         (1980年)
「黒船前後の世界」(1985年)
「東アジアの近代」(1985年)
「地球文明の場へ」(1992年)
「幕末外交と開国」(2012年)
蒋豊訳「黒船異変」(2014年)
蒋豊訳「東亜近代史」
         (2015年)

 など

専門
・近代アジア史
・文明史

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