【29】連載「黒船前後の世界」

 前著『イギリスとアジア』(岩波新書 1980年)で書き残した幕末日本のアヘン問題は、石井寛治・関口尚志編『世界市場と幕末開港』東京大学出版会 1982年)所収の報告四「中国の開港と日本の開港」や論考「幕末開国考」(1983年)で一応は明らかにしたが、まだ得心がいかなかった。
 19世紀アジア三角貿易から幕末日本のアヘン問題へ、そして開国・開港をめぐる条約交渉へ、さらに外交と戦争の国際政治へと関心が拡がるにつれて、これらを統合した歴史を描くことに思いが向かった。
 幕末の開国・開港を描いた日本史の先行研究で主に参照したのは、石井孝『日本開国史』(1972年)である。前回の本ブログ「【28】幕末開国考」でも条約の日中比較を具体的に論じる時、大いに活用した。

 しかし日本史の側からだけでは、使う史料の制約から、どうしても欠落する視点が出てくる。日本の開国・開港には相手国があり、最初の相手はアメリカである。それには、日米双方の史料を対等に使う必要がある。
 それに留まらない。「日本史のなかの開国・開港」を超えて、「世界史のなかの日本の開国・開港」に分け入るには、その前のアヘン戦争(1839~42年)や、その後も戦争を軸に進んだ中英関係を知る必要があり、それにはイギリス側や中国側の史料も必要となる。幕府の対外政策や日本人の世界観も、アヘン戦争を期に大きく変わっている。

 そのころ『思想』誌(岩波書店)に「<大正>と<民国>」(1981年11月号)を書いた縁で、編集長の合庭淳氏が雑誌連載を勧めてくれた。有り難い話であるが、連載を始めるには、全体像を持ち、ある程度の書き溜めが要る。
 模索する中で、題名が決まった。ヒントは日本史家・服部之総の『黒船前後』(1933年)である。本書は黒船到来により大きく変わる日本を描いている。それなら私は黒船前後で大きく変わる「世界」を描こうと思い、「黒船前後の世界」とした。その瞬間、全体のイメージもできた。

 連載の第1回は「ペリー艦隊の来航」とした。1853年7月8日、浦賀沖に姿を現した4隻のペリー艦隊との緊迫した初の接触、さまざまな要因が凝縮するこの時を、歴史の大きな転換点と考えたからである。
 日本側の動向を示す先行研究には田保橋潔『近代日本外国関係史』(1930年、増補版1943年)等もある。一次史料は、東京大学史料編纂所編『大日本古文書』シリーズ内の『幕末外交関係文書』にあり、1853年のペリー来航から翌年の日米和親条約の締結に関係する文書は、その一から五まで(1910~14年刊)に収められ、附録(1913年~)にも本編の補遺に当たる貴重な史料がある。
 ペリー艦隊来航以前の異国船到来については、幕府の『通航一覧』や『通航一覧続輯』等に詳細な記録がある。異国船とは、長崎への定期的な往来を認めたオランダ商船と中国商船以外の国の船を指す。異国船対応令は、4回発令されており、ペリー来航時は4回目の穏健な天保薪水令(1842年)下にあった。
 この天保薪水令は、オランダ船と中国船がもたらす2系統のアヘン戦争情報を、詳細に分析した結果の対外政策であり、鎖国下で外洋船を持たない幕府の現実的対応である。

 一方、ペリー艦隊の浦賀沖の動きを知るには、『ペリー提督日本遠征記』(アメリカ議会上院文書、1856年、以下『遠征記』と略称)がある。しかし、その背後の、ペリー派遣に到る諸事情については十分ではない。
 通常は国務省所管の条約締結を、なぜ海軍省所管のペリー東インド艦隊司令長官に担わせたのか、また太平洋横断の航路を取らず、大西洋から喜望峰を回り、インド洋、中国海域を経るという長い航路を取ったのはなぜか等々も明らかにしておきたい。

 アメリカ側のいちばんの基本史料は、膨大な量のアメリカ議会文書(上院と下院)である。『遠征記』以外の議会文書全体は、まだ日本の図書館に入っていなかった。さらに国務省や海軍省等の文書類は、ワシントンDCの国立公文書館所蔵である。
 アメリカへ行くしかない、と決めかけた頃、先輩の太田勝洪さん(国会図書館勤務、のち法政大学教授)から朗報が入った。国会図書館がアメリカ議会文書を一括購入し、閲覧に供するという。膨大な資料を検索するためのCISという索引(単行本)もアメリカでは刊行されていた。

 こうして国会図書館通いが始まった。ここは開架式ではなく、目録カードで番号を調べて借り出す方式である(現在はコンピューター端末から請求)。せっかく請求しても、「該当の巻号は棚にない」と冷たい返事が返ってくることもあった。膨大な量の議会文書を入れた直後で、まだ利用者も少なく、係員は書庫内の配列に慣れていなかったのであろう。
 史料を読み進めるうちに新たな世界が拡がる。大規模艦隊を組むはずの船が揃わず苛立つペリー、発砲厳禁の重い大統領命令、中国海域に到着後の海軍省管轄下のペリーと国務省管轄下のマーシャル弁務官との確執等、ペリー艦隊の行動を縛る諸事情も浮かび上がってきた。

 これらの新しいアメリカ側史料で、「(一)ペリー艦隊の来航」、「(二)ペリー派遣の背景」、「(三)ペリー周辺の人びと」と書き進め、アヘン戦争以降の東アジア情勢はイギリス側史料と中国側史料をつきあわせて「(四)香港植民地の形成」、「(五)上海居留地の成長」と展開、そして翌1854年の幕府とペリーとの交渉、その先に「日本開国」……ここまでの見通しをつけて連載に踏み出した。(続く)
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プロフィール

Author:加藤 祐三
日本の歴史学者

横浜 市立大学名誉教授

国指定名勝・三渓園(横浜)
園長

・前都留文科大学長
(2010~2014)

・元横浜市立大学長
(1998~2002)

主な著書
「イギリスとアジア」
         (1980年)
「黒船前後の世界」(1985年)
「東アジアの近代」(1985年)
「地球文明の場へ」(1992年)
「幕末外交と開国」(2012年)
蒋豊訳「黒船異変」(2014年)
蒋豊訳「東亜近代史」
         (2015年)

 など

専門
・近代アジア史
・文明史

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