【28】連載「幕末開国考」

 『現代中国を見る目』(講談社現代新書 1980年)を書き終えると、すぐ広域アジアの近代史研究に復帰、『イギリスとアジア』(岩波新書 1980年)、論考「植民地インドのアヘン生産」(1982年)の延長上の課題にエネルギーを注いだ。
 とりわけ『イギリスとアジア』の第9章「日本のアヘン問題」で書き残した課題が最大の関心事であったが、研究を進めるにつれて、課題はさらに拡大していった。

 1981年12月、コンファレンス「世界市場と幕末開港」が3日間にわたり開かれた。東京大学経済学部の経済史学者が中心となり企画、部外者の私も招かれた。著書や論文で、「19世紀アジア三角貿易」について述べていたからであろう。その報告書が石井寛治・関口尚志編『世界市場と幕末開港』(東京大学出版会 1982年)であり、6本の報告とそれぞれのコメント・討論を収める。
 すなわち関口尚志「問題提起-開港の世界経済史」、毛利健三「報告一 イギリス資本主義と日本開国-1850、60年代におけるイギリス産業資本のアジア展開」、楠井敏朗「報告二 アメリカ資本主義と日本開港」、権上康男「報告三 フランス資本主義と日本開港」、加藤祐三「報告四 中国の開港と日本の開港」、石井寛治「報告五 幕末開港と外国資本」、芝原拓自「日本の開港=対応の世界史的意義」である。
 このコンファレンスは10年前の1971年5月に開かれたシンポジウム「世界資本主義と開港」(この書名で1972年に学生社から刊行)やその後の著書等を受けて、「いま必要なのは単なるアイディアの開陳ではなく、実証研究の推進に裏づけられた新たな問題点の指摘…」と狙いを定めている。

 私の「報告四 中国の開港と日本の開港」(193~223ページ)は原朗氏の司会で、加納啓良氏と竹内幹敏氏によるコメントと討論(~244ページ)がつく。報告内容は、①問題の所在、②アジア三角貿易にかんする従来の研究、③統計資料について、④インド財政とアヘン収入、⑤貿易統計、⑥日本開港時の東アジア市場の6項に、コメントで⑦アヘンの持つ意味、⑧通商条約への諸段階、⑨アジア三角貿易の諸相を補足して、計9点である。
 うち②は研究史の整理だが、とくに同時代人のK・マルクスが1858年に『ニューヨーク・デイリー・トリビューン』紙に書いた4つの論文について、正確な現状分析であると同時に多くの事実誤認を含むと指摘し、それを正すためには何よりも統計を正確に把握することとして、③、④.⑤によりインドのアヘン生産・貿易とアジア三角貿易を詳論した。とくに表1「インド産アヘン-輸出量とそれに伴う植民地政府の財政収入」が行論に深く関連する。

 報告要旨を事前に渡してコメントを得たため、加納氏からは、植民地インドネシア政府がベンガル・アヘンを独占的に輸入して、特定の請負商人に売却、それがライセンス収入を含め税収の19%と高い比率を占め(1860年の事例)、その一部は本国へ送金されていた等の新しい知見を得ることができた。

 なお本書には次の4点の書評があり、関心の高さが伺える。石井孝(『日本史研究』 1983年7月)、中村哲(『歴史評論』 1983年7月)、杉山信也(『社会経済史学』1983年12月)、杉原薫(『土地制度史学』 1984年7月)である。

 もう1つ書いた論考が、「幕末開国考-とくに安政条約のアヘン禁輸問題を中心として」(『横浜開港資料館紀要』第1号 1983年)である。遠山茂樹館長は、本誌創刊によせて「…横浜という地域の考察にとどまらず…世界近代史と日本近代史との相互影響・相互対立の接触面を代表し…館外研究者の成果も本誌に反映させたい…」と述べる。拙稿がこの創刊号の巻頭論文となった。
 本稿では論点の中心をアジア三角貿易から政治・外交史へと拡大し、日本史の領域に本格的に踏み込んだ私の初の論考である。すなわちペリーとの日米和親条約(1854年)から1858年7月29日(安政五年六月十九日)の日米修好通商条約(「安政条約」と略称)に到る外交の経緯を整理したうえで、同時代にアジア諸国が結んだ各種の条約(とくに中国が1858年に結んだ天津条約と1860年の北京条約)と比較し、安政条約のもつ不平等性は「ゆるやかで限定的」として、とくにアヘン禁輸問題に焦点を当てた。
 これまで学界で話題に上らず、したがって先行論文が皆無の、幕末日本におけるアヘンをめぐる問題である。日米和親条約(1854年)以来4年間にわたる各国との外交交渉におけるアヘンについて分析した。なお最終の安政条約に盛り込まれたアヘン禁輸は、ハリス側からの強い要請であった。
 モルヒネを含有するアヘンは最強の鎮痛剤であり、同時に習慣性を持つ麻薬である。鎖国中の日本では三都(江戸・京都・大坂)の漢方医が前年の使用実績を長崎奉行に報告し、会所貿易により唐船(中国商船)と蘭船(オランダ商船)に発注するという、厳しいアヘン統制を敷いていた。

 石井孝『日本開国史』(1972年)は、同じ1858年に結ばれた安政条約(日米)と天津条約(中英)の比較のなかで、内地旅行権、関税行政への外国人の介入の有無等4点を挙げている。私は天津条約が第2次アヘン戦争の中途で結ばれたもので、この戦争の最終条約である北京条約(1860年)と一体のものと考えるべきとし、賠償金の有無、アヘン条項、開港場における外国人側の自治権の有無等4点を追加し、そのなかでアヘン条項の重要性を論じた。
 安政条約締結の直前、ハリス米総領事(のち公使)は、米国と通商条約を結べば多くの利点があるとする演説「日本の重大事件に就いて」(1857年12月12日)を江戸城で行い、その一つとしてアヘン禁輸を強調した。本稿13ページに掲載の「条約一覧」に示した通り、米シャム条約(1833年)、米中望廈条約(1844年)以来のアヘン禁輸策を踏襲した主張である。

 ハリスの主張に対して幕閣たちは、アヘン禁輸を当然とする、あるいは論点としては軽視という態度をとる。本稿の注170で「…(アヘン)戦争の原因がアヘン貿易にあるという点を(幕閣たちは)どこまで認識していたか、これは面白い課題…」と述べている。(続く)
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

Author:加藤 祐三
日本の歴史学者

横浜 市立大学名誉教授

国指定名勝・三渓園(横浜)
園長

・前都留文科大学長
(2010~2014)

・元横浜市立大学長
(1998~2002)

主な著書
「イギリスとアジア」
         (1980年)
「黒船前後の世界」(1985年)
「東アジアの近代」(1985年)
「地球文明の場へ」(1992年)
「幕末外交と開国」(2012年)
蒋豊訳「黒船異変」(2014年)
蒋豊訳「東亜近代史」
         (2015年)

 など

専門
・近代アジア史
・文明史

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
カテゴリ
QRコード
QR