【18】連載「イギリス在外研究」

 文部省助成によるイギリスへの在外研究が決まると、史料を有する諸機関の調査を開始した。1976年の段階ではインターネットはまだなく、携帯ワープロの発売も1984年夏まで待たなければならない。しかしアナログでも情報入手ができ、史料の所在地はほぼ見当をつけた。

 運転免許を国際免許に切り替え、道路地図を買い、調査旅行の効率的なルートを検討する。円とポンドの交換比は徐々に円高傾向にあったとはいえ、贅沢はできない。

 妻と小学生の娘を連れていくため、学校の問題もあり、イギリス人の友人、ディリア・ダヴンに連絡した(本ブログ「我が歴史研究の歩み【14】研究課題の拡がり」2016年7月11日)。彼女とは家族ぐるみの付き合いがあり(本ブログ「ディリアの逝去を悼む」2016年10月21日)、当時は北イングランドの大都市リーズに住み、そこから100キロほど離れたヨーク大学で中国経済史を教えていた。首都ロンドンよりリーズの方が家族の生活には適しているから、家においでとディリアの厚意が返ってきた。

 リーズ大学は東アジア研究の重点大学で、著名なモンゴル史家オーウェン・ラティモアのいるモンゴル学部と中国学部があり、中国史研究の同業者が多く集まっており、共同研究を組むことができるかもしれないと思った。

 ヒースロー空港からバスでロンドン在住のディリアの姉のアンナ・ダヴン家へ向かう。15年前と風景はあまり変わらない。一服してから近所のマーケットやパブを案内してもらい、屋台のウナギの酢漬けに舌鼓を打った。翌日の特急でリーズ着、ロンドン=リーズは距離も方角も東京=仙台によく似ている。

 ディリア家に間借りしつつフラットを探す。行動範囲を拡げるため、ルノーの中古車を購入した。不動産屋の強いヨークシャー訛りが理解できず、やむなく私の質問にイエスかノーで答えてもらい、セミディタッチトと呼ばれる二軒長屋の1フロアーを借りた。

 リーズ大学図書館の利用証を貰い、館内を巡回するうちに、統計書や議会文書、新聞雑誌が想像以上に充実していることが分かった。1831年創設の医科大学と1874年創設の文理学部を前身とし、1904年に大学となった伝統と歴史から来る蔵書の成果である。すべてが開架式で、コピーは自分でとる。コピー機は日本製で、使い慣れた機種であった。

 実家に残っていた古い手紙(カーボン紙を挟んで数通を作成、大学や実家へ送っていた)の、リーズ定住から約1か月後、1977年10月16日付けには、運転時にラウンドアバウトを通過するときの注意事項や、横断歩道も車優先である等の記述に続き、リーズ大学図書館の自作の見取図、史料の宝庫を見つけて興奮する様子や作業計画を記している。

 作業計画は、①議会文書や”The Times”紙索引の活用、②幕末に輸入された漢英・英漢辞書の著者Lobsheid等の伝記資料収集、③綿工業の経営資料の閲覧、④地名・地形を知るための自動車旅行等々、8項目である。うち議会文書は良質で貴重な史料だが、合冊された1冊が数キロの重さで、かつ書架一面の圧倒する分量である。利用にはよほど効率を考えなければならない。

 知人も増え、イギリス全土の中国・日本研究者の近況や、その時々のホットな話題を知る機会が増えた。リーズ大学教員で中国文学専門のビル・ジェンナーやアメリカ人研究員のティム・ウィラン(中国の質屋の研究)等と読書会を開き、魯迅の書簡を中心に読み合わせをしたことや、モンゴル学のグルグンゲや日本研究のパイ夫妻一家との付き合いも忘れがたい。

 私は利便性の高いリーズ大学図書館をベースキャンプとし、議会文書や”The Times”紙の索引を集中的に使う腹を固めた。他の異なる史料構成を持つロンドン大学SOAS(School of Oriental and African Studies)、公文書館(Public Record Office、現在のNational Archives)、オクスフォード大学、ケンブリッジ大学等の図書館へは必要に応じて通うこととした。

 加えてアンナがイギリス近代史の研究者であることから、ロンドンに出ると彼女の紹介で、斎藤三郎訳『匪賊の社会史―ロビン・フッドからガン・マンまで』(みすず書房, 1972年)等の著者E・J・ホブスボームが主催する研究会や、イギリス近代社会史のF・M・L・トンプソンが主催する研究会等に顔を出す機会を得て、最前線のイギリス近代史研究の雰囲気を感じ取った。

 さらに麻薬史研究のV・ベリッジ、イギリス民衆史のR・サミュエル、彼のもとに下宿するイギリス近代史研究の草光敏雄さん(当時はシェフィールド大学大学院生、現放送大学教授)と知り合ったのも、望外の好運であった。

 私の研究テーマ「19世紀東アジアにおけるイギリスの役割」を構成する具体的な柱も、ある程度は見えてきたが、その複雑さや相互の絡み合いに戸惑った。時間は絶望的に不足しており、好奇心のおもむくままの「拡張志向」から、「焦点化」にギアを切り替える必要があった。

 その一方で、この賭け好きの人たち(町のあちこちに賭券を売る店舗がある)、パブで昼間からジョッキ片手にたむろす人々、町に棲み分けがあること、階級・人種別に発音やアクセントも違う状況等に触れるのは、イギリス人の思考や性向の一端を知るのに役立った。

 近代イギリスの特徴として挙げられる産業革命、交通革命(運河開発から鉄道開発へ)の遺構や、農業革命の遺構である石垣や生垣で作る農地囲い込み(エンクロージャー)の跡も見たい。地方の郷土資料館等に残る可能性があるロザラム犂(中国犂を改良したものとする仮説を私は立てていた)や関連する農家の道具類も確かめたい。

 文献史料とモノの史料の組みあわせやフィールドワーク等を重ねる手法は、東洋文化研究所時代の諸先輩や中国農業史の熊代幸雄先生や天野元之助先生から学んだ。(続く)
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プロフィール

Author:加藤 祐三
日本の歴史学者

横浜 市立大学名誉教授

国指定名勝・三渓園(横浜)
園長

・前都留文科大学長
(2010~2014)

・元横浜市立大学長
(1998~2002)

主な著書
「イギリスとアジア」
         (1980年)
「黒船前後の世界」(1985年)
「東アジアの近代」(1985年)
「地球文明の場へ」(1992年)
「幕末外交と開国」(2012年)
蒋豊訳「黒船異変」(2014年)
蒋豊訳「東亜近代史」
         (2015年)

 など

専門
・近代アジア史
・文明史

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