【17】連載「横浜市大での新生活」

 1973年に助教授(現在の准教授)として就任した横浜市立大学(以下、市大)は、横浜市最南の金沢区にあり、逗子市と横須賀市に隣接する。東京からの通勤には片道1時間半かかるが、ラッシュと逆方向のため、往路は座れる「動く書斎」として構想等をメモし、復路は「寝台車」を決め込んだ。

 東京の拠点に固執したのは、研究資料にアクセスしやすいためである。研究室や自宅に置ける史料には限りがあり、なによりも情報ラインに接近する手立てを優先させた。ここからは東洋文庫、東大の図書館(総合図書館、東洋文化研究所図書室、史料編纂所図書室、文・法・経の学部図書室)、国立公文書館、国会図書館等に近く、また神保町の古書店街もある。

 実際には、研究時間が極端に減った。教育(講義とゼミ)や学生指導の比率が高くなり、学部(ひいては大学全体)の運営にも責任が生じ、教授会や種々の委員会等の学務が増えた。だが幸いなことに、専門の異なる先輩同僚との幅広い交流もまた増えた。

 当時の市大は文理学部、医学部(+付属病院)、商学部の3学部構成で、文科と理科からなる文理学部は教員数が一番多く、それだけに多様な専門分野に出会えた。なかでも同年配の草薙昭雄(生物学、故人)さんや若手の小島謙一(物理学、現在は横浜創英大学長)さんたちと仲良くなった。

 教授会は、文科会と理科会でそれぞれ独自の問題を議した後、両者合併で行われる。理系の同僚の発想が新鮮であり、それが私の歴史学に幅を持たせてくれた。会議に時間はかかるが、意外に効率が良かった。

 ゼミでは、これまで積み重ねてきた現代中国の農村問題を主題として、主に中国語文献を読んだ。学生たちには、入学後に始めた中国語を歴史研究に使うのは容易ではなかったはずだが、実践を通じて徐々に自信をつけていった。

 講義は専門科目と一般教養科目があり、専門科目の「アジア近代史」では東南アジア紀行の体験や印象(『道』誌連載、のち『紀行随想 東洋の近代』朝日新聞社 1977年10月刊)を基に、次々と生まれる課題の史料を参考文献として話を進めた。学生諸君には少し分かりにくかったかもしれないが、旅の実体験から出発して歴史を考える手法には共感してもらえたと思う。

 「1 香港の農村」では農村の風景と日々の営みを語りつつ、農民が中国革命の原動力となったことへつなげ、「2 植民地支配の技術」では香港島の植民地化(1842年の南京条約でイギリス領)と、それ以前のアジアで入れ替わる植民地宗主国(ポルトガル、オランダからイギリスへ)の主導権及び支配の形態を分析し、「4 ビルマの成熟」、「5 国際商品コメの政治」、「11 造化の島―セイロン」では、モノカルチャーという植民地遺制を語った。

 もう1つが思想史の分野である。「3 幕末日本人の海外認識」、「6 <日本意識>と多民族国家」、「7 <アジア>-価値観の分裂」、「8 <東洋>-象徴語としての意味転換」へとつながるもので、<東洋>と<アジア>という無意識に使い分けている主要キーワードに焦点を当て、その使い分けを解明した。

 また全学部生への一般教養科目担当は従来の「東洋史」に加え、学生の大部分が横浜市外の出身(市内県内出身者は約2割)であることに鑑み、オムニバス形式の「横浜学事始」を新設した(1985年)。都市横浜の誕生の起源(1854年の横浜村での日米和親条約締結)から現在の最大政令市に発展する横浜の歴史を中心として、重要事項の各論、「外国人居留地」「中華街」「町づくり」等はゲスト講師に依頼した。この科目には愛着があり、定年まで担当した。

 慢性的な研究時間の不足に悩む一方、新たな関心はますます増えた。対象地域は、中国から東南アジア、インドへ、また日本人のアジア認識という点からは日本史の領域へも拡がり、時代も17世紀ころまで遡った。

 当面の研究課題は大別すると(1)現代中国の農村、及び(2)広域アジア近代史である。この2つには相当の距離があり、交差する共通部分は多くあるものの、同時に追求すると「虻蜂取らず」になりかねない。

 前者の(現代)中国農村に関する研究は、ある程度の詰めが終わり、歴史の一断面が私なりに分かったような気がしていた。それに対して後者の課題は果てしなく、どこから着手すべきか、迷いの日々がつづいた。

 やがて近代アジアの国際政治の源流として、超大国イギリスがアジアで果たした役割を解明することに焦点が絞られてきた。イギリスのインド、セイロン等への対処(植民地支配)と大国の清朝中国に対するアヘン戦争後の対処(1842年の南京条約)は違う上に、日本への態度は異なり、友好的とも言える。

 その解明には、日本にある史料だけでは足りず、イギリスにしかない史料の収集が必要と思っていた矢先の1976年、文部省(現文部科学省)助成事業の「在外研究」1コマが市大に来ているという井上一学部長(西洋史)の教授会報告があり、私はすぐに手を挙げた。この「在外研究」とは、特定のテーマを持ち、国外で研究に専念することへの経費助成(実質は半年分)である。

 私は個別課題を示したうえで、総合テーマを「19世紀東アジアにおけるイギリスの役割」と名づけた。申請が学内で採択され、文部省でも了承されると、即刻、準備に取りかかった。

 まず和英両文の大型名刺(A4版)を作り、略歴や既発表の著書・論文とその簡単な概要、調べたいテーマ等を載せた。学会等で研究者と会う時、また文書館や図書館で調べ物をする時、これが自己紹介の最速最良の武器となる。

 二度の外国旅行で得た知恵であった。(続く)
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プロフィール

Author:加藤 祐三
日本の歴史学者

横浜 市立大学名誉教授

国指定名勝・三渓園(横浜)
園長

・前都留文科大学長
(2010~2014)

・元横浜市立大学長
(1998~2002)

主な著書
「イギリスとアジア」
         (1980年)
「黒船前後の世界」(1985年)
「東アジアの近代」(1985年)
「地球文明の場へ」(1992年)
「幕末外交と開国」(2012年)
蒋豊訳「黒船異変」(2014年)
蒋豊訳「東亜近代史」
         (2015年)

 など

専門
・近代アジア史
・文明史

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