ディリアの逝去を悼む

 2016年4月15日の晩、「ディリアの容態」と題する突然のメールが夫のオーウェン・ウェルズさんから届いた。短い近況報告だったが、ディリアに対する深い愛を感じた。

 「ディリアは4年間にわたり癌の緩和ケア(palliative treatment)を受けてきました。この処置は癌の進行を遅らせ痛みを和らげるものですが、それが効かなくなる時期が迫っています。誰にもわからぬことながら、あと数か月が限度かと思われます。困難な日々ですが、我々は明るさを失わず、できるかぎり心を強く持っていきたいと思います」

 150余名に送信されたメールアドレスには、子どもたちルーシー、ギャラス、シーアン、姉のアンナ・ダヴン、リーズ大学のドン・レミントン、そしてビル・ジェンナーやアンディ・モーガン等、懐かしい名前が並ぶ。

 ディリア・ダヴンと出会ったのは46年前の1970年、私が東京大学東洋文化研究所の助手をしていたときである。研究所の図書室で、傍に幼児を寝かせ、資料を読んでいた。私にも2歳の娘がおり、思わず声をかけた。娘のルーシーはまだ7カ月くらいだったか。育児と研究を両立させるのは大変だったろう。週末には拙宅に泊まりに来て英気を養い、ルーシーは娘のお下がりを着ていた。

 8年後の1978年、「19世紀東アジアにおけるイギリスの役割」をテーマとし(文部省在外研究の助成)、今度は私が家族をつれてイギリスへ行くことになった。ディリアは中国現代史(婦人問題)を専攻し、大学では経済史を教えていた。彼女の住んでいるイングランド北部のリーズ市には、中国・モンゴル研究のセンターでもあるリーズ大学があり、ディリアに連絡をとった。当時はまだメールという便利なものはなく、航空便である。

 すぐに返事があり、リーズ市はロンドンより住みやすく、また大学図書館には貿易統計や議会文書、雑誌・新聞のバックナンバーも多い上に、中国研究学部には多くの専門家が揃っている、と。

 その頃のディリアについて書いたものが残っている。「(…ロンドンからの特急でリーズ駅に着くと)ディリア一家が出迎えにきている。東京に来ていた時のディリアとちっとも変わっていない。二人目の子供を産んだばかりなのに、昔ながらの力持ちで、大きな荷物を平気で運ぶ。大学の教壇に立つときは、おそらく別の顔をするのだろう。翌日になって、銀行で通帳をつくり、警察で外人登録をするときはついてきてくれ…」(拙著『イギリスとアジア-近代史の原画』岩波新書 1980年)

 彼女の家には同居の準備ができていた。教会のバザーで当座の生活用品を揃える手を教えてくれ、娘はルーシーと同じバレー教室に通った。我々が新しい土地に早々と定着できたのはディリアのおかげである。やがて我々は郊外のリーズ6区バートン・クレセントにフラットを借りて「独立」する。

 2004年、私の娘一家がロンドン勤務となり好機到来、会おうということになったが、こちらの急な事情で果たせなかった。

 2012年、ディリアの名前を日本で聞く。公立大学協会(全公立大学長が参加する大学団体)の秋の学長会議が静岡県立大学で開かれ、2日目の市内見学の折、バスで隣り合わせた代理出席の国際教養大学(秋田)副学長(学術担当)で日本文学専攻のマーク・ウィリアムズさんが、リーズ大学からの赴任と知る。そして彼のリーズ大学への採用時、その人事担当がディリアとドン・レミントンの2教授であったと聞いて吃驚した。

 そして4月15日のオーエンさんのメール。これに応えて多くの人からディリアとの思い出や写真が送信されて来た。18日にはフランク・ケールさんから写真提供の呼びかけがあり、それを受けてさらに写真やメールが集まった。私も彼女の東京滞在時の思い出を送った。

 それから半年後の10月13日(木曜)21:13、ディリア逝去のメール。英語とフランス語による以下の短文である。

ディリア・ダヴン(名誉)教授  1944年6月9日-2016年10月13日
ディリアは、自宅にて家族に囲まれ、安らかに眠りました。
葬儀につきましては、準備が整い次第、お知らせいたします。
下記の方々に感謝の意を表したく存じます。ディリアに尽くしてくださったNHA(国民健康機関)のみなさま、とくにアラン・アンソニー医師、グレーム・サマー医師(腫瘍専門医)、GP(年金担当)、そして素晴らしい地域看護師チームのみなさま、ありがとうございました。

 つづけて葬儀に関する通知が来た。10月25日、式場はリーズ6区のHeadingley New Social Club。ドレスコードは「喪服に拘らず色とりどりのお好みの服装で」、また会場については「ディリアの生前の希望に添い、教会ではなく地域交流館で行い、そこでお別れをし、どなたも火葬場にはお出でいただきませぬよう。みなさま方におかれましては、葬儀の後にご会食いただき、ディリアに別れの言葉をおかけください」と結ばれていた。享年72。彼女らしい遺言である。

 この地域交流館は我々の住んだフラットのごく近くと分かり、また驚かされた。

 胸に迫るものを抑えきれない。

 心からご冥福を祈る。
 
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プロフィール

Author:加藤 祐三
日本の歴史学者

横浜 市立大学名誉教授

国指定名勝・三渓園(横浜)
園長

・前都留文科大学長
(2010~2014)

・元横浜市立大学長
(1998~2002)

主な著書
「イギリスとアジア」
         (1980年)
「黒船前後の世界」(1985年)
「東アジアの近代」(1985年)
「地球文明の場へ」(1992年)
「幕末外交と開国」(2012年)
蒋豊訳「黒船異変」(2014年)
蒋豊訳「東亜近代史」
         (2015年)

 など

専門
・近代アジア史
・文明史

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