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人類最強の敵=新型コナウィルス(53)

 7月25日掲載の本ブログ連載「人類最強の敵=新型コロナウィルス(52)」で、オミクロン株のBA-5が20日現在、全国でおよそ15万2000人、21日は18万6000人、22日は19万5000人、23日は20万超と連日、過去最高を更新している、と述べた。
 その後もさらに増加しており、8月4日には24万9000人、その後も高止まりしている。のち、お盆の帰省で移動が増えたためか、18日に過去最高の25万人超、19日に26万人超と増え続けている。医療機関の負担が大きいたためコロナ患者の全数調査を撤廃する動きも出ている(後述)。

【米陸軍、アジアに新部隊配置検討 サイバーや防空強化】
 7月27日の日経新聞【ワシントン=中村亮】によると、米陸軍がミサイルや電子、サイバーといった能力を一体的に扱う作戦部隊をアジアに配置する案を検討していることが分かった。電子やサイバー領域の能力を生かし、効果的な作戦を迅速に実行する。台湾海峡や南シナ海をめぐり中国の抑止を目指す。アジア配置を検討しているのは「マルチドメイン・タスクフォース(多領域部隊)」と呼ばれる陸軍部隊。
 2017年に創設され、一般的に①ミサイル②防空③電磁波・サイバー・情報収集④後方支援――の能力を持つ4つのグループで編成する。合計で数千人で構成し、現在は米西部ワシントン州とドイツの基地にそれぞれ配置している。
 陸軍は23年以降に正式に立ち上げる3つ目の多領域部隊をハワイにまず置く見通しを示している。日本経済新聞の取材に応じた、チャールズ・フリン太平洋陸軍司令官は日本やフィリピンなど、より中国に近いインド太平洋地域の同盟国に配置する可能性について、「選択肢として議論の俎上(そじょう)にある」と検討を認めた。
 多領域部隊は平時に電子やサイバー、宇宙能力を使って情報収集を実施。敵国の行動パターンや弱点を把握して有事に備える。戦闘が始まった場合には電子やサイバー攻撃で通信網を無力化して敵国の指揮統制をかく乱。事前に得た情報も使い、敵の艦船や施設をミサイルで攻撃する。多彩な攻撃を同時に実施して敵国を追い詰めていく。
米陸軍は複数のミサイル開発を進めるが射程は数千キロメートルとみられ、ハワイからは中国や中国近海に届かない。米軍は沖縄から台湾、フィリピンを結ぶ第1列島線にミサイル地上部隊を分散配置する構想を掲げており、その一部に多領域部隊をあてる考えだ。
 地上部隊は小回りがきき、中国のミサイル攻撃を回避しやすい。米軍の艦船や戦闘機が第1列島線に近づく環境を整える役割を担う。
 焦点はアジア諸国が多領域部隊の配置を受け入れるかどうかだ。部隊が配置される地域は中国軍の標的になるリスクが高まる。中国が配置を認めた国や自治体が攻撃対象になると警告し、各国に部隊を受け入れないように強く促す可能性がある。

【行動制限なき第7波、政府の対策に手詰まり感】
 29日の朝日新聞デジタルは、「行動制限なき第7波、政府の対策に手詰まり感「医療現場との温度差」」の見出しで次のように報じた。
 医療の逼迫(ひっぱく)が現実となっている新型コロナウイルスの「第7波」で、政府は29日、新たに都道府県への支援策を打ち出した。行動制限をかけず、社会経済活動を維持する狙いだ。しかし、内容は繰り返し呼びかけてきた基本的対策の羅列にとどまり、手詰まり感が否めない。医療現場からは「第6波以降、政府は必要な準備をしてこなかった」との声が上がる。

 第7波による感染が急拡大してからも、政府は一貫して行動制限を避けている。その姿勢を象徴するように、岸田文雄首相は毎晩、政治家や財界人と会食を重ねている。ただ、感染者を減らすための具体策は「打つ手なし」(首相周辺)という状態。さらに、厚生労働省にコロナ対策を助言する専門家組織(アドバイザリーボード)からも「『行動制限は必要ない』と連呼するより、個人での感染対策をやらないといけない」と注文がついていた。

 政府に厳しい目が向けられる中、新たに飛び出したのが「BA.5対策強化宣言」だ。都道府県の知事が宣言を出せば、国が職員の派遣や対策の助言をするという。幹部官僚の一人は、その狙いを「知事が対策強化に取り組みやすくするメッセージだ」とする。従来、国が行動制限に踏み切らないと都道府県は対策を強化しづらい面があった。国が「お墨付き」を与えることで、新たな対策を呼びかける際に地元の市町村を説得しやすくなったり、他県の取り組みを採り入れやすくなったりするという。

 ただ、宣言後に住民に要請できる内容として国が示したのは、3密の回避、ワクチン接種の促進、混雑した場所の回避など、すでに何度も国民にお願いしたものばかり。政権内にも「(宣言は)ただの呼びかけで、意義はあまりない」と冷めた見方がある。

 同じ日、厚労省からも、医療逼迫を避けるための策が発表された。病床の確保、入院対象の絞り込みなど、医療資源を重症患者に集中させるためのものだ。いずれもすでに取り組んでいるが、感染拡大のスピードが速すぎてうまく対応できていない。象徴的なのが発熱外来の負担を軽減するための検査キットの配布。

 急激な外来の逼迫を受けて、22日に外来での無料配布を発表したが、その時点でいつ現場にキットが届くかは確定していなかった。さらに、医療現場からは「対応に人手を取られたら診療に支障がでる」と反発の声が相次いだ。結果、当初は「感染の疑いがある人が来るのは無理でしょ」(厚労省幹部)と慎重だったはずの公共施設や薬局での配布を急きょ表明した。ただ、これもいつ配布が始まるかは見通せていない。(阿部彰芳、市野塊、枝松佑樹)

 第7波を行動制限なしに乗り切れるのか。オミクロン株の亜系統BA.5が主流になり、ワクチン接種済みや過去に感染した人の感染もみられる。感染は医療現場にも広がり、休職するスタッフも増えている。軽症の受診者を減らし、重症者対応の医療を確保できるか、がかぎになる。

 「行動制限をかけないとする政府の方針は理解しないわけではないが、現時点では医療現場との温度差が非常にある」。埼玉医科大学総合医療センターの岡秀昭教授はそう話す。病院は29日時点で40床中31床が埋まり、重症者は4人で第6波の数を上回った。出勤できないスタッフも多く、病床の稼働は限界に近いという。

 感染症対策の見直しの方向性は理解するとしながらも、「医療従事者への4回目接種や、濃厚接触者の待機短縮など必要な対応をあらかじめ決めなかった。今回は圧倒的に準備不足だ」と話す。

 大阪大の忽那賢志教授(感染制御学)は、今の重症化割合は第6波より低いとみる。だがさらに感染者が増えれば、6波の頃のように全国で1日に200人超が亡くなる事態になる可能性はあると指摘。「1日200人の死者を許容するのか、考える必要がある」と話す。

 忽那教授は「行動制限はしないですむならば、しないほうがよい」としながらも、「長期的には制限緩和に向かうべきだと思うが、そんなにすぐにコロナから自由にはなれない。場合によっては、行動制限をするという選択肢を残しておくべきだ」と語る。(熊井洋美、辻外記子)


【米中首脳が電話協議 習氏「火遊びは身を焦がす」けん制】
 28日の日経新聞【ワシントン=坂口幸裕、北京=羽田野主】によれば、バイデン米大統領と中国の習近平(シー・ジンピン)国家主席は米東部時間28日午前(日本時間同日午後)、電話協議した。台湾問題やロシアによるウクライナ侵攻などを巡り意見を交わしたとみられる。ペロシ米下院議長が8月に計画する訪台を巡って中国は強く反発しており、両国間の新たな火種になりつつある。米ホワイトハウスによると、協議時間は約2時間20分。両首脳の協議はバイデン米政権発足以来5回目で、3月にテレビ会議形式で1時間50分ほど話して以来となる。
 中国国営の新華社によると、両首脳は中米関係や双方の関心について率直に話し合った。習氏は台湾問題への干渉に「断固として反対する」としたうえで「火遊びは必ず身を焦がす」と強くけん制したという。
 米国家安全保障会議(NSC)のカービー戦略広報調整官は27日の記者会見で「バイデン氏は習氏との意思疎通を常にオープンにしておきたいと考えている」と述べた。「中国とは協力できる問題もあれば、摩擦や緊張をはらむ問題もある」と認めた。
米中は6月以降、外相や国防相など高官による協議を重ねてきた。台湾を含む東・南シナ海で示威行動を強める中国の姿勢に懸念を示しつつ、軍事衝突を避けるため対話を維持する重要性を確認してきた。
 秋には米国で中間選挙、中国で共産党大会という重要な政治イベントが予定される。歴史的なインフレを抑えたいバイデン政権は中国製品への制裁関税の一部引き下げ案を検討している。経済をテコ入れしたい習氏との思惑は一致し、足元では緊張緩和を探っていた。
 その矢先にペロシ氏の訪台案が浮上した。26日には習氏側近で知られる秦剛中国駐米大使が米政府関係者らを前に「台湾を中国から分裂させようとすれば、中国人民解放軍は必ず断固たる強力な措置をとり、国家主権と領土を守る」と表明し、中止を迫った。米軍もペロシ氏の訪問が台湾海峡の軍事緊張を高めかねないと懸念している。首脳協議では習氏の出方が焦点になる。
 バイデン氏は習氏との協議で、中国本土と台湾が不可分だとする中国の立場に異を唱えないが、台湾の安全保障にも関与する米国の「一つの中国」政策を堅持する方針を伝える見通しだ。対中関税を巡っては「主要議題にはならない」(カービー氏)とみられる。


【日米、次世代半導体の量産へ共同研究 国内に新拠点】
 29日の日経新聞は、「日米、次世代半導体の量産へ共同研究 国内に新拠点 経済版2プラス2で調整 台湾有事にらみ供給網」見出しで、次のように報じた。
 「日米両政府は量子コンピューターなどに使う次世代半導体の量産に向けた共同研究を始める。日本が米国との窓口になる研究開発拠点を年内に新設し、試験的な製造ラインを置く。2025年にも国内に量産態勢を整備できるようめざす。台湾有事をにらみ経済安全保障上の重要性が増す半導体の安定供給につなげる。
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 ワシントンで29日に初開催する外務・経済閣僚協議「経済版2プラス2」で、サプライチェーン(供給網)強化に関する協力を共同文書に盛り込む。萩生田光一経済産業相とレモンド商務長官が5月に半導体に関する連携を打ち出し、その後の首脳会談での合意を踏まえて具体策を詰めた。

【出生率反転、波乗れぬ日本 先進国の8割上昇】
 31日の日経新聞は、「チャートは語る」で次のように報じた。
「先進国の8割で2021年の出生率が前年に比べて上昇した。新型コロナウイルス禍で出産を取り巻く状況がまだ厳しい中での反転である。ただ国の間の差も鮮明に現れた。男女が平等に子育てをする環境を整えてきた北欧などで回復の兆しが見えた一方、後れを取る日本や韓国は流れを変えられていない。
 経済協力開発機構(OECD)に加盟する高所得国のうち、直近のデータが取得可能な23カ国の21年の合計特殊出生率を調べると、19カ国が20年を上回った。過去10年間に低下傾向にあった多くの国が足元で反転した格好だ。
 21年の出生率に反映されるのは20年春から21年初にかけての子づくりの結果だ。まだ デンのウプサラ大学の奥山陽子助教授は「出産を控える条件がそろい、21年の出産は減ると予想していた。それでも北欧などでは産むと決めた人が増えた」と話す。」

【ウクライナから穀物船出航 輸出再開第1号、レバノンへ】
 8月1日午後の日経新聞【イスタンブール=木寺もも子】によれば、ウクライナ産穀物を積んだ貨物船が1日、南部オデッサの港から出航した。ウクライナとトルコがそれぞれ明らかにした。ロシアによる侵攻で輸送が止まった黒海への回廊設置で関係国が合意してから初めての輸出再開となる。
 第1号の船はシエラレオネ船籍の貨物船で、トウモロコシ2万6千トンを積みレバノンのトリポリ港に向かうという。2日に黒海の出入り口にあたるトルコのイスタンブールに到着後、新たに設置した共同管理センターが積み荷などを検査する。ウクライナのクブラコフ・インフラ相はフェイスブックへの投稿で、さらに16隻が出航待機中だと明らかにした。輸出再開で少なくとも10億ドル(約1300億円)の外貨収入が見込めるという。
 国連のグテレス事務総長は声明を出し「合意に基づき多くの商船が動き出す最初(の事例)となり、世界の食糧安全保障に求められていた安定と救済をもたらすことを希望する」などと述べた。


【最低賃金31円上げ961円 全国平均、物価高で上げ幅最大】
 同じ1日の日経新聞は、労使間の合意が得られず延期していた<最低賃金>について次のように報じた。
 「中央最低賃金審議会(厚生労働相の諮問機関)の小委員会は1日、2022年度の最低賃金の目安を全国平均で時給961円にすると決めた。前年度比の上げ幅は31円と過去最大で、伸び率は3.3%になった。足元で進む物価上昇などを反映し大きな伸び率となる。企業は賃上げに必要な利益をあげるために、生産性の向上を迫られる。現在の全国平均は930円。今後、各都道府県の審議会が目安額を基に実額を決める。改定額は10月ごろに適用される。」


【<サハリン2>について】
 2日の日経新聞は、<サハリン2>について、次のように報じた。
 「三井物産と三菱商事は2日、権益を持つ極東ロシアの資源開発事業「サハリン2」の資産価値を6月末に3月末比で合計約2000億円減額したと発表した。サハリン2を巡ってはロシア政府が大統領令で、新設する別会社に権利などを移す方針を掲げる。両社は3月末にも減額しているが、四半期ごとに資産価値の見直しを迫られるほど不安定な事業環境となっている。
 サハリン2の運営会社サハリン・エナジーには三井物産が12.5%、三菱商事が10%出資している。三菱商事はロシアによるウクライナ侵攻前の21年12月末に約1930億円あった資産価値を22年3月末に1433億円に減額し、6月末には622億円まで減らした。野内雄三最高財務責任者(CFO)は「大統領令の発出によるサハリン2の(事業継続の)不確実性の高まりを受け、複数シナリオに基づいて価値を評価した」と述べた。
 三井物産は資産価値の減額幅しか明らかにしていないが、3月末に441億円減らし、さらに6月末に1366億円減額した。これにより資産価値の総額は侵攻前の半分以下になったとみられる。「大統領令が出たことで将来得られる見込みの配当について不確実性が高まった。資産評価を保守的に見積もった」(重田哲也CFO)。
日本はサハリン2から年間約600万トンのLNGを輸入する。日本のLNG輸入量の約10%を占め、重要な調達拠点の1つだ。ロシアのプーチン大統領は6月末、サハリン2について、新たにロシア企業を設立してサハリン・エナジーの権利・義務を移管する大統領令を出した。
 三井物産と三菱商事は新会社設立後、1カ月以内に同じ持ち分で移ることに同意するか判断を迫られる。同意するにはロシア側の条件に従う必要があるが、現時点でどんな条件なのかわかっていない。  
 萩生田経済産業相は2日の閣議後の記者会見で「現時点で新会社が設立されたとの情報はなく、引き続き注視したい」と語った。ワシントンで開いた外務・経済担当閣僚協議「経済版2プラス2」の初会合でもサハリン2に言及したといい「権益を維持したいと説明し、日本の立場を理解してもらった」と強調した。


【ペロシ米下院議長、台北に到着】
 2日深夜、日経新聞【台北=龍元秀明、ワシントン=坂口幸裕】によると、ペロシ米下院議長は2日夜、台北に到着した。台湾の蔡英文総統と会談する。米大統領の継承順位2位の要職である下院議長の台湾訪問は25年ぶりで、米国の台湾への強い支持を示す。
 ペロシ氏は2日夜に台北の松山空港に到着し、3日朝に台湾の立法院(国会)を訪問した。午前中に台北市内の総統府で蔡総統と会談する予定。ペロシ氏は到着後に発表した声明で、「訪台は台湾の民主主義を支援する米国の揺るぎない関与を示すものだ」と強調した。中国を念頭に「米国は一方的な現状変更の試みに反対し続ける」と記した。
 ペロシ氏は2日の米紙ワシントン・ポスト(電子版)への寄稿でも、自らの台湾訪問について説明した。軍事的威圧を続ける中国が「近年、台湾との緊張を劇的に高めている」と非難した。「中国共産党が台湾と民主主義を脅かしているのを座視できない」と訴えた。
 米国で1979年に制定した台湾関係法は米国が台湾の自衛力強化を支援すると定める。寄稿では同法に関し「民主主義と自由、人権などの共通の利益と価値観に根ざした深い友好関係を育むものだ」と指摘。今回の訪問は歴代米政権が踏襲してきた「一つの中国」政策と矛盾しないと記した。
 米国家安全保障会議(NSC)のカービー戦略広報調整官は2日の記者会見で、ペロシ氏の訪台について「長年の米国の政策に沿ったものだ」と述べた。中国が反発していることについて「緊張を高めたり、危機や紛争を引き起こしたりする口実にする理由はない」と批判した。米中関係に関し「今後数日から数週間の間に中国がどう振る舞うかによるだろう」と指摘。「緊張が高まっているときに意思疎通のラインをオープンにしておくことが重要だ」と強調した。
 台湾の外交部(外務省)は「訪問を心から歓迎する。米国の台湾に対する揺るぎない支持が再確認された」との声明を発表した。呉釗燮・外交部長(外相)が空港でペロシ氏を出迎えた。台北のランドマークとして知られる超高層ビル「台北101」はペロシ氏の訪台にあわせライトアップされ、「民主主義の友に感謝」「米台友好は永遠」などと歓迎の言葉を表示した。
 ペロシ氏の訪台を巡っては、7月28日の米中首脳電話協議で、習近平国家主席が「火遊びは身を焦がす」と強い表現で警告を発していた。「越えてはならないレッドライン」(王毅国務委員兼外相)とも表明してきただけに、米中の対立激化は必至だ。 
 中国と関係が深いロシアや北朝鮮もペロシ氏の訪台を非難した。ロシア外務省は2日の声明で、台湾問題をめぐり「中国は必要な措置をとる権利がある」と主張、訪台は「明らかな挑発」と米国を批判した。北朝鮮の朝鮮中央通信も3日、外務省報道官がペロシ氏の訪台を「米国の破廉恥な内政干渉」と非難した。


【中国、台湾取り囲む軍事演習 実弾使い大規模に】
 3日昼の日経新聞【北京=羽田野主】によれば、中国人民解放軍はペロシ米下院議長の台湾訪問に反発し、2日夜から軍事演習を始めた。実弾を使った射撃も実施した。4日から台湾を取り囲むように6カ所で訓練する。ペロシ氏が台湾を離れても演習を続け、民進党の蔡英文政権に軍事圧力を強める。
 2日夜にペロシ氏の台湾到着が伝えられる直前、中国官製メディアは中国の戦闘機「スホイ35」が台湾海峡を横断したと一斉に速報した。同機はロシアから輸入した最新鋭の戦闘機、日米の主力戦闘機とも渡り合える能力を持つとされる。
 台湾の国防部は2日、中国軍機21機が台湾の防空識別圏(ADIZ)に侵入したと発表した。
 台湾を担当する東部戦区はすでに台湾北部、西南、東南の海空域で軍事訓練を始めた。台湾海峡で長距離ロケット弾を実弾射撃し、台湾東部海域ではミサイルを試射した。東部戦区の報道官は「米国が台湾問題をエスカレートさせたことへの威嚇であり、台湾独立勢力への厳重な警告だ」とコメントした。
 解放軍は4日から台湾周辺の6カ所での軍事演習に切り替える。7日まで船舶や航空機の進入を禁止した。複数の水域が台湾の領海と重なっているとの指摘があり、中台間で軍事的な緊張が高まるのは必至だ。偶発的な衝突を懸念する声も出ている。
 王毅国務委員兼外相は3日、談話を発表、「米国の一部政治家は中米関係のトラブルメーカーに成り下がった」と非難した。「中国の平和的台頭をぶち壊すことは完全に徒労で、必ず頭を打ち付けて血を流す」と主張した。
 中国外務省は謝鋒外務次官が2日深夜に米国のニコラス・バーンズ駐中国大使を呼び、ペロシ氏訪台に「強烈な抗議」をしたと発表した。
 中国税関総署は3日、台湾からかんきつ類の果物や太刀魚など魚類を輸入するのを同日から止めると発表。検疫の問題としているが、台湾への圧力を示す狙いとみられる。商務省も同日、台湾向けの天然砂の輸出を止めると発表した。


【王毅外相が日中外相会談の実施を正式発表】
同じ3日のテレ朝ニュースは、次のように報じた。
 「中国外務省は王毅外相が3日に始まるASEAN(東南アジア諸国連合)関連外相会合に合わせてカンボジアを訪問し、林外務大臣と就任後に初めて対面で会談すると発表した。
 中国外務省は2日の会見で日中外相会談の実施を正式に発表、「日本が中国とともに関係の促進に努め、健全で安定した発展を実現するよう望む」と表明。
 また、国際情勢は複雑だという認識を示したうえで「両国は重要な隣国として地域の平和と安定に前向きな努力をすべきだ」としています。さらに、今回の外相会談では両国関係の改善や発展に向けて「重要で前向きな合意を実現することを望む」と期待感を示した。
なお、この日中外相会談は、4日になって中国側から延期が発表された。
 

【ペロシ米下院議長が日本到着 5日に岸田首相を表敬】
 アジア歴訪中のペロシ米下院議長が4日夜、日本に到着した。5日に岸田文雄首相を表敬訪問する。日米関係に加え、台湾や北朝鮮をめぐる動向などを意見交換するとみられる。
 ペロシ氏を含む議員団は4日午後10時ごろ、都内の米軍横田基地に到着した。小田原潔外務副大臣、エマニュエル駐日米大使らが出迎えた。ペロシ氏は5日に細田博之衆院議長とも会談する。ペロシ氏は1日にシンガポールに到着後、マレーシアと台湾、韓国を訪れた。日本が最後の訪問先となる。5日に日本をたつ予定である。


【中国の弾道ミサイル、5発が日本のEEZ内落下 岸防衛相】
 4日晩の日経新聞によれば、岸防衛相は4日夜、中国が同日に発射した弾道ミサイルのうち5発が日本の排他的経済水域(EEZ)内に落下したもようだと明らかにした。「日本の安全保障と国民の安全に関わる重大な問題で強く非難する」と強調した。防衛省で記者団に語った。
 中国が撃った弾道ミサイルが日本のEEZ内に落下したのは初めてだという。「情報収集と分析、警戒監視などに全力をあげる」と述べた。中国の軍事演習について「非常に威圧的だ」と話した。政府は4日午後3時ごろから4時すぎにかけて9発の発射を確認した。
外務省の森健良次官は同日、中国の孔鉉佑駐日大使に電話し、ミサイル発射に抗議した。軍事訓練を即刻中止するよう求めた。

【南部へルソンのロシア軍司令部、州都から移動か…ウクライナ軍反撃で補給路攻撃】
 16日の読売新聞【リビウ(ウクライナ西部)=笹子美奈子】によれば、ウクライナ南部ヘルソン州の制圧を宣言しているロシア軍が、州都ヘルソンに置く司令部を移動させたとの見方が出ている。ウクライナ軍の反撃で補給路が被害を受けたためとみられる。
 ウクライナ軍南部方面の報道官らは14日、地元メディアに対し、露軍が司令部をドニプロ川西岸の州都ヘルソンから東岸に移したと指摘した。ウクライナ軍が、露軍の補給路となっていたアントノフ大橋を含む計3本の橋を攻撃し、使用不能にしたことが影響している模様だ。
 一方、ロシアのプーチン大統領は15日、モスクワ郊外で開かれた国内最大級の兵器展示会で演説し、「ロシアの兵器は競合国よりも何年も先を行っている」と述べ、自国兵器の性能の高さを誇示した。欧米の対露制裁に同調しない南米やアジア、アフリカの国々と緊密な関係にあることを強調し、最新の露製兵器を供給する用意があると主張した。ウクライナ軍の抵抗により一部で苦戦が伝えられており、国内外の不信感を払拭(ふっしょく)する狙いがあるとみられる。今年の展示会への参加は72か国で、昨年の117か国から激減した。

【深まる分断、消える500兆円 逆回転するグローバル化】
 22日の日経新聞によると、2月24日のロシアのウクライナ侵攻から半年たち、国際社会の風景は様変わりした。民主と強権という国家観の隔たりがあらわになり、経済・政治の両面で分断が進む。「ウクライナ」後の世界はどこへ向かうのか。
7月下旬。直前まで日本にいたイエレン米財務長官が韓国ソウルのLGグループの施設にいた。強調したのは「フレンドショアリング」の発想。「信頼できるパートナーと深く多様な関係を築き、供給網を多様にし、互いの経済へのリスクを減らしたい」。親しみを込めて語りかけた。
 生産拠点などを国外に移す「オフショアリング」や国内に戻す「リショアリング」に対し、フレンドショアリングは文字通り友好国への移転を意味する。イエレン氏が友人と寄り添う意義を語る背景には信頼できない国の増勢がある。
武力による現状変更へ動いたロシア。侵攻直前の2月上旬にロシアとの「無制限の友好」をうたった中国。両国に代表される権 威主義国家はその存在感を増し、世界の国内総生産(GDP)に占める割合は1980年代の2割程度から33%へと高まった。
 第2次大戦後のグローバリズムは西側の民主主義国が団結する形で進んだ。冷戦後の第2幕は思想の違いを超えて旧東側諸国を巻き込み、経済面で参加国に恩恵をもたらした。だが、ウクライナ侵攻は民主と強権の間の溝を決定的にした。
 米欧は半導体をはじめとするハイテク技術がロシアのミサイルや戦闘機に使われるのを恐れ、輸出を禁じるなどの制裁を強める。対するロシアはエネルギーや資源、食糧の供給を絞る報復に動く。リーマン危機後の世界を救った20カ国・地域(G20)はこの半年、集まることすら怪しい機能不全に陥った。
 足元で起きているのはいわばグローバリゼーションの逆回転。企業がグローバルに築いてきた相互依存は皮肉にも、双方を攻撃し合う「武器」として使われている。国境を越えた水平分業や最適地生産を追求できなくなるコストは重い。国際社会がブロックに割れ、サプライチェーンが機能しなくなると、世界の生産額の5%が失われる。世界貿易機関(WTO)はそう警告した。ざっと4兆ドル(約540兆円)と日本経済の規模に匹敵する額が消える計算だ。
 私たちの暮らしにも影を落とす。たとえば米アップルのスマートフォン「iPhone(アイフォーン)」。部品の調達先は6大陸の四十数カ国に及ぶ。すべての生産を米国に移すと製品価格が2.5倍に跳ね上がるともいわれている。エネルギー高とインフレはロシアなき経済のツケだ。
 「資源配分は今や経済でなく、政治やイデオロギーで決まる。戦争を想定した生存と自給自足が大事になり、効率性は脇に追いやられた」。著名ファンド創業者で歴史家の顔ももつレイ・ダリオ氏は言う。
 日本も無縁であり得ない。バイデン政権は5月に日米やインド、東南アジアなど14カ国で「インド太平洋経済枠組み(IPEF)」を創設。日米とインドにオーストラリアが加わる「Quad(クアッド)」も仲間を固めるフレンドショアリングの中核。
 もちろん、日本に特有の難しさはある。典型がロシア極東の石油・天然ガス開発事業「サハリン2」への対応だ。三菱商事の中西勝也社長は17日、経済産業省で西村康稔経産相と膝を突き合わせた。政府はロシア主導のサハリン2新会社への参画を日本企業に求め、エネルギー確保の安定を託す。だが、日本が事業に関与し続けたとしても、天然ガス供給はロシアの胸三寸という危うさをはらむ。

【富士通、国産量子計算機を初の実用化へ 理研と共同】
 22日の日経新聞によれば、富士通は理化学研究所と共同で次世代の高速計算機である量子コンピューターの実用化に向け、2023年度に企業への提供を始める。金融市場の予測、新素材や薬の開発への活用を見込む。米グーグルなど海外勢が開発を主導しており、幅広い分野の計算ができる汎用型を国内企業が手掛けるのは初めてになる。産業競争力や安全保障を左右する次世代技術開発の起爆剤になる可能性がある。
 富士通は21年4月に埼玉県和光市に理研との連携センターを設置し、約20人の研究者が参加して量子コンピューターを開発してきた。23年度に実機をつくり、企業に公開して研究に生かしてもらう。
 量子コンピューターはスーパーコンピューターに比べて計算速度が飛躍的に速い。素材開発などに革新をもたらす可能性を秘めており、化学や製薬、自動車、金融など幅広い産業の競争力を左右する見通しだ。富士通は4月から富士フイルムと材料設計に関する共同研究を始めた。連携先を広げ、協力して将来の活用に向けた知見を蓄える。

【習近平氏が岸田首相にお見舞い電 日中「新時代の関係構築」に意欲】
 22日の朝日新聞デジタルは次のように報じた。中国国営中央テレビ(CCTV)によると、習近平国家主席は22日、新型コロナウイルスに感染した岸田文雄首相あてにお見舞いの電報を送った。
 習氏は電報で、岸田首相に対し「一日も早い回復を祈っている」としたうえで、「今年は中日国交正常化50周年であり、私はあなたとともに新時代の要請にあう中日関係の構築を進めていきたいと考えている」と伝えた。李克強(リーコーチアン)首相も同様の電報を送ったという。
 日中関係を巡っては、今月4日の外相会談が中国側の意向で直前でキャンセルされたものの、17日に秋葉剛男国家安全保障局長と楊潔篪・共産党政治局員が天津で約7時間にわたって会談。双方が関係改善への動きを強めている。日中関係筋によると、両国首脳間のオンライン会談か電話協議の実現へ、水面下の調整が始まっているという。(北京=冨名腰隆)

【ウクライナ侵攻半年、砲撃は南部2州が4割超 衛星分析】
 23日の日経新聞は、次のように伝えた。
 「ロシアがウクライナへの軍事侵攻を開始して24日で半年がたつ。ウクライナ側が奪還を急ぐ南部で戦闘が激化、米航空宇宙局(NASA)の衛星データによると南部2州が爆撃や砲撃の4割超を占める。戦火はロシアが2014年に一方的に併合したクリミア半島にも広がった。戦局は消耗戦の様相を深めている。
 衛星データを使い、地表面の温度が常温よりも明らかに高温の「熱異常」を調べることで、爆撃や砲撃の標的となっている地域を検証した。
 侵攻直後の3月は首都キーウ周辺に集中していたが、7月以降は検知地点がロシアが制圧を狙う東部ドネツク州やウクライナが奪還を目指す南部のザポロジエ、ヘルソン州などに移った。2州が全体の4割超を占めており、戦闘の激化を裏付ける。
 9日以降、ロシア軍施設の爆発が相次いでいるのが南部クリミア半島だ。16日には弾薬庫で、20日には黒海艦隊の司令部で爆発が起きた。ウクライナは公式には攻撃を認めていないが、補給混乱などを狙い破壊工作を強めているとみられる。
 ゼレンスキー大統領は占領された地域が残ったままでは停戦には応じない構えだ。ウクライナ政府は23日、クリミア返還を目指す国際協力の枠組み「クリミア・プラットフォーム」の首脳会議をオンラインで開いた。演説したゼレンスキー氏は「ロシアの侵略との戦いに勝利し、クリミアを占領から解放することが必要だ」と強調した。」
 一方、岸田首相は「侵略は欧州のみならず、アジアを含む国際秩序の根幹を揺るがす暴挙だ」とロシアを非難、ウクライナ支援を続けるとのビデオメッセージを寄せた。
 欧州連合(EU)のフォンデアライエン欧州委員長はロシアによるクリミアの「違法な併合は決して認めない」と述べた。ドイツのショルツ首相はウクライナの復興会議を10月に開催する方針を示した。「国際社会はウクライナの長期にわたる復興に積極的に携わるべきだ」と連帯を呼びかけた。
 24日はウクライナが1991年にソ連からの独立を宣言した記念日に当たる。ロシア軍が攻撃を激化させる恐れがあるとして、北東部ハリコフ州が23日夜から25日朝にかけて住民の外出を禁じるなど各地で警戒が高まる。
 欧州最大級のザポリージャ原子力発電所周辺では8月に入り砲撃が相次ぎ、放射性物質が漏れ出るリスクが高まっている。   国際原子力機関(IAEA)は調査団派遣へロシアやウクライナと協議するが、両国は現地入りの経路を巡って対立する。のち28日には原子炉に100メートルの至近距離に着弾した。
 8月24日はウクライナの独立記念日(1991年、ソ連邦崩壊とともに独立して31年目)であり、奇しくも開戦から半年を迎える。ウクライナのゼレンスキー大統領は、ロシアの統治するクリミヤ半島を含めて解放すると改めて述べると同時に、この日に向けてロシアが全面攻勢をかけてくる可能性を指摘、国民に注意を呼びかけた。なおクリミヤ半島はウクライナに帰属するとトルコのエルドアン大統領も公言している。
 一方、ロシアが2014年に併合したクリミヤ半島では、戦闘が激化、16日の段階で毎日新聞は次のように伝えた。
「ロシアが2014年に強制編入したウクライナ南部クリミア半島で16日、ロシア軍の弾薬庫が爆発し、ロシア通信によると、民間人2人が負傷した。ロシア国防省は「破壊工作」を受けたと認めつつ「深刻な死傷者はいない」とした。クリミア半島では9日、ロシアの黒海艦隊の航空部隊が拠点とする航空基地で爆発が起きたばかりで、米メディアはウクライナを支持するパルチザン部隊が関与した可能性を報じていた。ウクライナ軍が何らかの形で爆発に関与した可能性もある。
 報道によると、爆発があったのは半島北部ジャンコイの弾薬庫。午前6時15分ごろ発生し、付近の送電線や線路、住宅などが損傷した。ロシア軍は現場から半径5キロ以内を立ち入り禁止とし、約2000人が避難したという。誰が「破壊工作」をしたのかなど、爆発原因の詳細は明らかになっていない。」

【首相、次世代原発の建設検討を指示 来夏以降17基再稼働】
 24日の日経新聞によれば、岸田首相は24日午後に首相官邸で開くGX(グリーントランスフォーメーション)実行会議で次世代型の原子力発電所の開発・建設を検討するよう指示する。
 ロシアのウクライナ侵攻で世界のエネルギー市場が混乱していることを踏まえ、原子力の活用が急務だと判断した。「電力需給逼迫という危機克服のためあらゆる施策を総動員する」と訴え、原発の新増設は想定していない東日本大震災以降の方針を転換し、中長期で電力確保を目指す。
 また再稼働する原発は、2023年夏以降に最大17基へ増やし、中長期的な電力確保をめざす。

【中国で観測史上最悪の熱波、秋の収穫に「深刻な脅威」】
  【8月24日 AFP】によると、中国では記録的な暑さと干ばつが続いており、当局は今年の秋の収穫が「深刻な脅威」にさらされていると警告している。世界第2位の経済大国・中国は今夏、記録的な高温や鉄砲水、干ばつに見舞われている。科学者らは、気候変動の影響で、こうした現象の頻度と激しさが今後は増すとしている。
 農業農村省によると、南部では高温と少雨が、60年余り前の観測開始以来、最長となっている。政府は発表で「干ばつの急速な進行に加え、高温と熱による作物の損傷が重なり、秋の収穫に深刻な脅威をもたらしている」と説明した。
中国は、国内で消費するコメ、小麦、トウモロコシの95%以上を自給している。収穫量が減ると輸入が増え、ウクライナ侵攻ですでに影響を受けている世界の食料供給がさらに圧力を受けることになる。
 最高気温が45度に達した地域もあり、都市部ではエアコンの使用が増えるなどして電力需要が急増。複数の省で停電が実施された。大都市の上海や重慶では、屋外照明用の電力供給が停止された。四川省当局は、主要な水力発電所の水位が下がったことを受け、産業向け電力供給を制限した。
 記録的な暑さで、国内の主要河川である長江(揚子江)も干上がっている。国営通信社の中国新聞社(CNS)は先週、主流の水位が過去5年間の平均より50%下がっていると報じた。

【コロナ対策、「全数把握」を見直す】
 24日のNHK報道によれば、新型コロナ対策をめぐり、岸田総理大臣は24日、感染者の「全数把握」を見直す方針を明らかにした。厚生労働省は、早ければ今月中にも運用を開始したいとしている。なぜ見直すのか、見直しで何が変わるのか、そして「負担が増えていた」という医療現場や自治体の受け止めなどについてまとめた。
 新規感染者の「全数把握」は医療機関が作成した患者の「発生届」をもとに行われている。感染症法は、新型コロナウイルスを診断した医師に対し、すべての患者の氏名や年齢、連絡先などの情報を、「発生届」(ハーシス HER-SYS)として保健所に提出するよう義務づけているが、「第7波」で感染者が急増し、入力や確認の作業が医療機関や保健所の業務負担となっていた。医療現場からは、コロナ患者対応に集中させてほしいと、見直しを求める声が高まっていた。
 今回の見直しでは、自治体の判断で「発生届」が必要とする対象を、高齢者や重症化リスクが高い人などに限定できるようにした。若者など対象外となった人についても感染者の総数と年代別の人数を把握するとしている。
 感染者数の集計は続けられることになるため、感染状況は引き続き把握できるが、「発生届」の対象外の人が自宅療養中に体調が悪化しても気付きにくくなるなどの懸念もある。厚労省は発熱外来や保健所の業務が極めて切迫した地域では、都道府県から届け出があった場合「発生届」の対象を限定する措置を順次、実施可能にするとしている。
 おととしから始まった「HER-SYS」のシステムの運用は、開始当初に入力項目はおよそ120あった。入力項目はこれまでに段階的に削減され、現在、最も入力項目が少ない重症化リスクの低い患者については、◇氏名、◇性別、◇生年月日、◇市区町村名、◇電話番号◇医療機関からの報告日、◇症状の有無などといった診断類型の7つの項目まで絞った。
 しかし、いわゆる「第7波」で感染拡大が続く中、医療現場や自治体などからさらに見直しを求める声が相次いだ状況を受け、先の内閣改造で新たに就任した加藤厚労大臣と全国知事会の会長を務める鳥取県の平井知事らがオンラインで会談。平井知事は全数把握について「必要性は理解しているが、現場は夜遅くまで入力作業をしなければならない。これまでも入力項目を緩和してもらったが さらに踏み込んでほしい。第7波が終わってからではなくすぐに取り組んでほしい」と直ちに見直すよう要望した。
 さらに日本医師会からも同様の要望が寄せられた。これを受けて加藤大臣は、先週の国会審議で「医療機関の負担を減少しながら、全数把握の目的・機能をどのように残していくのか、専門家や医療現場から話を聞きながら検討している状況だ」と述べ、速やかに対応する考えを示していた。
 加藤厚労大臣は24日夜、厚労省で開いた記者会見で「届け出た都道府県は、日ごとの感染者数の総数と年代別の総数を毎日公表していただくことを前提に、厚生労働大臣が定める日から届け出の対象を▽65歳以上▽入院を要する方▽重症リスクがありコロナの治療薬の投与や酸素投与が必要と医師が判断する方▽妊婦の方に限定できるようする」と述べた。
そのうえで関係する省令の改正について、24日の厚労省の審議会で了承が得られれば、25日に省令を公布し速やかに都道府県向けの説明会を実施して届け出の受け付けを始める考えを示した。
 厚労省は、届け出を受けて事務手続きを進め、早ければ今月中にも運用を開始したいとしている。また加藤大臣は「全国ベースでの見直しについては今後の感染状況の推移などを見極めたうえで検討していきたい」と述べた。

【ソニー半導体製造トップ「TSMCは九州復活のトリガー」】
 24日の日経新聞は次のように報じた。「ソニーグループが九州での半導体事業を拡大している。長崎県のカメラ用センサー工場を増強、台湾積体電路製造(TSMC)が熊本県菊陽町に建設する新工場にも出資した。ソニーの半導体製造部門、ソニーセミコンダクタマニュファクチャリング(熊本県菊陽町)の山口宜洋社長は、TSMCの九州進出が「サプライチェーンの強靱(きょうじん)化にプラスだ」と期待を示す。」一問一答は以下の通り。
(1)――長崎県諫早市の拠点で工場棟を拡張しました。
「主力商品であるモバイル向けイメージセンサーの需要対応、高付加価値品に向けた対応だ。長崎テクノロジーセンターは、CMOS(相補性金属酸化膜半導体)イメージセンサーの基幹生産拠点の一つ。生産設備を拡充、生産体制をさらに強化し、性能進化が進むスマートフォンカメラなどの市場に向け、高画質で高性能なセンサーを供給していく」
(2)――TSMCの新工場建設が熊本の拠点の隣接地で進んでいます。
「TSMCには半導体生産を1980年代後半から委託している。2010年くらいからイメージセンサーに使うロジック、積層型の多くの部分の供給を受けている。TSMCとの関係は深く、そのロジック半導体とソニーのCMOSをつける。TSMC全体から供給を受けていて、隣の新工場から即受けるというのは明らかではないが、近くに拠点ができるのは心理的な安心感がありサプライチェーン強靱化にプラスだ」
「TSMCの進出はシリコンアイランド九州復活にとってのトリガーになる。経済産業省主導の人材育成の仕組みも設立され、産官学の動きが始まった。この10年ではなかった動きだ。これを一過性で終わらせず、地域の基盤を支える産業になっていくことを期待しているし、ソニーとしても力添えしたい」
(3)――人材獲得で競合しませんか。
「人材獲得についてボトルネックにはなっていない。今後の採用で競合するかもしれないが、当社はいい刺激をもらっているとプラスに捉えていきたい。採用は全国レベルから九州に集めないと世界とは戦えない。TSMCはグローバルな企業だし、地元というよりも日本の半導体への認識が変わることの変化を期待する。半導体に興味を持っている人が九州に集まってくることも期待している」
(4)――学生ら若い世代の半導体への関心も高まっています。
「エアコンとか車の納期待ちの原因が半導体にあると一般の人にも認識が広がれば(就職先としての)注目も高まるとか、TSMCが九州に来ることがいいタイミングで相乗効果になればとか、いろいろと話を聞く。過去数年で認知度が上がってきて、世間の興味も高まっていると感じる」
(5)――半導体市況に軟化の兆しが出始めているとの指摘もあります。
「半導体市況については情報ソースを持っていないが、在庫局面によりメモリーの一部などデバイスの種類によってはある。TSMCでも軟化するところとそうでないところがあるのではないか。CMOSはもう少し今の(需給が厳しい)局面が続くのではないかと思う」
「CMOS生産は顧客の需要に足りていない。1台あたりの個数が増えると同時に、カメラのサイズを大きくしようと提案している。チップの大きさも大きくなるわけで、半導体の生産量としては数量が出ない。ただ顧客の要求はより感度の高い物、臨場感のある性能への期待が大きい。期待を超える商品をどれだけ出せるかが重要で、開発面の課題でもある。業界の先頭を走るためにも、他社にはないものを開発していく」
(6)――韓国サムスン電子など競合も追い上げてきています。
「サムスンに追い上げられている市場であっても、加工技術で生み出す映像感は人間の感性に訴えるものだ。画素数だけではなく、色味とか人の心に訴えるというか。数値化するのは難しいが、これこそがソニーの原点なので、DNAとしてしっかりあるところで勝負をしていく」

【サハリン2新会社、三井物産につぎ三菱商事も参画意向を通知へ】
 25日の日経新聞は、三菱商事が25日、ロシア極東の資源開発事業「サハリン2」の新たな運営会社に参画する通知を出す方針を決めた。ロシアは8月にサハリン2の運営を新会社に移管し、三井物産と三菱商事に出資を続けるかどうか判断を迫っていた。三井物産も参画の意向を通知する方針を決めている。両社ともロシア側の動向を精査しつつ、月内にも意向を伝える見通しだ。
 日本政府は権益を維持する方針で出資企業である三井物産と三菱商事に協力を要請していた。政府は両社が新会社に参画すればサハリン2からの液化天然ガス(LNG)を安定的に調達しやすくなると考えており、商社側が応じた格好だ。
 三菱商事は同日、「方針を決議したことは事実。慎重な検討を重ね総合的な観点で判断をした。条件は今後確定していくと認識しており、ロシア側と交渉していく」とコメントした。

【警察庁の中村長官が辞職へ、安倍元首相銃撃で引責】
 安倍晋三元首相が奈良市で街頭演説中に銃撃され死亡した事件で、警護の問題点を検証していた警察庁は25日、警護計画や現場対応の不備を指摘し、「適切な対応があれば結果を阻止できた可能性が高い」とする報告書をまとめたのを機に、25日の日経新聞は、次のように伝えた。
 「警察庁の中村格長官は25日、安倍晋三元首相が銃撃され死亡した事件を巡り、国家公安委員会に検証結果を報告した後で記者会見し、同委員会に「辞職を願い出た」と明らかにした。「新たな取り組みを開始するにあたり人心を一新し、新たな体制で警護に臨むべきだと考えた」と説明した。事件を防げなかった結果を受けた、事実上の引責辞任となる。」なお後任の警察庁長官には露木康浩次長が就任した。
 その直前、安倍晋三元首相が銃撃され死亡した事件を受け、奈良県警の鬼塚友章・本部長が25日、記者会見し、「多くの方々にご不安、ご心配をおかけし、心よりおわびを申し上げる。重大かつ深刻な事態を招いたことに責任を痛感している」と述べた。警察庁は同日、鬼塚本部長に対する減給100分の10(3カ月)の懲戒処分を発表した。奈良県警も同日、鬼塚本部長が30日付で辞職すると明らかにした。

【NPT会議、最終文書採択できず ロシアが合意拒否】
 27日の日経新聞【ニューヨーク=白岩ひおな】によると、ニューヨークの国連本部で約1カ月にわたって開かれた核拡散防止条約(NPT)再検討会議は26日、最終文書を採択できず決裂した。ロシアが占拠するウクライナの原子力発電所の管理などをめぐる文言に反発し、合意できなかった。ウクライナ侵攻で核使用などのリスクが高まるなか、核軍縮をめぐる国際枠組みの信頼性が大きく揺らぐ結果となった。核軍縮などの履行状況や行動指針を定める最終文書の採択は、全会一致が原則である。中東に非核地帯を設ける構想で対立した2015年に続く採択の失敗となり、2回連続の決裂は1970年の条約発効以来初めて。
 26日の会議は予定より約4時間20分遅れて始まった。スラウビネン議長はロシアを念頭に「直前に1カ国の締約国から最終文書案への反対が伝えられた」と明らかにした。さらに「われわれは歴史的瞬間にいる。想像を絶する核戦争の可能性がますます高まるなか、会議が合意に至らなかったのは残念でならない」と述べた。
 ロシアの代表は「複数の段落に含まれている露骨に政治的な要素に反対している」として、文書案に合意しない立場を明言した。スラウビネン氏の指摘に対して「一つの代表部だけが反対しているという主張を拒否する。最終文書案に反対する国はわれわれだけではないはずだ」と弁明した。
 軍縮外交筋によると、ロシアはウクライナ南部のザポロジエ原発への言及に最後まで反対した。スラウビネン議長は25日、ロシアの懸念に配慮して合意形成に近づけるため、2度にわたり文書案を修正した。最新の文書案では同原発を占拠するロシアを名指しした部分を削除した一方で「ウクライナ当局による管理確保が最も重要だ」とも明記していた。
 フランスや英国、米国など55カ国と欧州連合(EU)は共同声明で「ザポロジエ原発の運営への干渉や支配を拡大しようとするロシアの行動を非難する」と発表した。「核保有国のロシアが国際平和と安全、安定を損なっていることを深く憂慮する」との立場を示した。ウクライナ代表はロシアの孤立が浮き彫りになったとしたうえで、「ウクライナが核保有国に攻撃されるなかで我々は一人ではない気持ちにしてくれた」と指摘した。発言後に会場から大きな拍手が起こった。
 ロシアは、ウクライナが核放棄をする代わりに米英とロシアが安全を保障した1994年の「ブダペスト覚書」への言及も批判していた。文書案はすべての核保有国が非保有国の安全保障で「既存の義務と約束を完全に順守する重要性を再確認する」と明記していた。ロシアは覚書を順守しているとして反発した。

【中国製電気自動車が逆上陸、日本勢の死角突く】
 29日の日経新聞は、次のように報じた。
「京都大学の吉田キャンパス(京都市)から、1台の白い車が滑らかに走り去った。キーンという独特の音を除けば何の変哲もないバンにみえる。京大発スタートアップのフォロフライがつくったEV(電気自動車)バン。生産を担うのは中国・重慶市にある  東風小康汽車の工場で、日本の安全基準をクリアするように改造した。
 今は主に京都市内を走って改良を繰り返しているが、すでに1万台もの大量納入が決まっている。導入するのは物流大手SBSホールディングス。きっかけは「和製テスラ」とも呼ばれたGLM(同市)を創業した小間裕康との出会い。
 2021年春、SBS創業者の鎌田正彦は小間と話し合う機会があった。「最近は荷主さんからSDGsを求められるけど、EVは高くてねぇ」。鎌田は国連が定める持続可能な開発目標は時代の要請と理解しながら、EV導入のコストに悩んでいた。「良い方法があります。中国の力を使うんです」。こう返した小間には秘策があった。
 当時、小間はGLMを離れて香港で投資ファンドを率いていたが、GLM時代に取引があった東風小康なら、ガソリン車に負けない価格で商用EVを量産できるはずと考えた。その年のうちに日本でナンバープレートを取得し、この中国製EVをSBSが大量採用する話が進んだ。小間はフォロフライを創業した。
 宅配用の小型バンは、日本企業が絶対的な自信を持つ市場だ。代表格がトヨタ自動車の「ハイエース」。100万キロメートル走ってもガタがこないという評価もある。そんな日本車の牙城の盲点が、出遅れたEVだった。佐川急便も中国製EVの大量導入を決めている。」



 この間、以下の録画を視聴した。(1)BS1 Asia Insight 「ゼロコロナ政策の代償~中国 北京~」7月25日。 (2)クローズアップ現代「ウィルスの力を医療へ ▽がん・難病最新治療 ▽免疫細胞 ▽白血病」25日。 (3)BS6報道1930「ウクライナ侵攻5カ月 プーチン氏攻撃意図の変遷をよむ」25日。 (4)BS7日経ニュース プラス9 「倍速利上げに勝つ投資戦略とは?」25日。 (5)BS1 映像の世紀 バタフライエフェクト「難民 命を救う闘い」25日。 (6)BS世界のドキュメンタリー「人体と機械の融合を求めて 生体工学者 ヒュー・ハー」26日。 (7)報道1930「日本の最後のチャンス、中韓に再び敗れるか…”電池覇権”の行方は」26日。 (8)報道1930「支持急落…韓国大統領、早くも危険水域なぜか」27日。 (9)報道1930「【旧統一教会と政治】霊感商法「規制」進まぬ背景 ”政治の力”の影響は」28日。 (10)BS1 クローズアップ現代「バーゲンジャパン 世界に買われる”安い日本”(2)労働力」28日。 (11)BS7 日経ニュース プラス9「FRB 0.75連続大幅利上げ アメリカ経済の憂鬱」28日。 (12)BS7 日経ニュース プラス9「米エネ決着「底力」見せた?」29日。 (13)BS1週間ワールド・ニュース(7月25日~29日)30日。 (14)NSスペシャル「混迷の世紀プロローグ ”プーチンの戦争”世界はどう向かうのか」31日。 (15)NHK総合「安倍元首相は何を残したか」31日。 (16)BS1スペシャル「山本五十六と”開戦”」31日。 (17)報道1930「欧州「中国離れ」加速 台湾へ急接近する欧州の国々の狙いは」8月1日。 (18)BS7 日経ニュースプラス9「経済安定のキーパーソン直撃 半導体確保へ課題は」1日。 (19)報道1930「戦争いつまで? ロシアとウクライナの継戦の”限界”」2日。 (20)クローズアップ現代「”戦争犯罪”は裁けるか ウクライナ検察・知られざる闘い」2日。 (21)BS7日経ニュース「日本の防衛族が見た”台湾有事”の現在地」2日。 (22)BS7日経ニュース「ペロシ氏 台湾訪問強行 メンツ潰された中国 次の一手は」3日。 (23)報道1930「岸田総理 待ち受ける難題「統一教会」「国葬」「第7波」」3日。 (24)報道1930「旧統一教会と議員の関係、「これから」アンケートに見る意識」4日。 (25)BS7日経ニュース「軍事圧力を強める中国に米国は? ペロシ氏訪台の波紋」4日。 (26)NHKスペシャル「原爆が奪った”未来”~中学生8千人 生と死の記録」6日。 (27)NHK地域局発 長崎スペシャル「密着”核禁”ウィーン会議」7日。 (28)BS朝日 日曜スクープ「問われる教団との関係、ペロシ米下院議長台湾訪問」7日。 (29)NHKスペシャル「戦火の放送局~ウクライナ 記者たちの闘い~」7日。 (30)NHKスペシャル「混迷の世紀 第1回 ロシア発 エネルギーショック」9日。 (31)BS世界のドキュメンタリー「灼熱の50℃を生きる」10日。 (32)BS1 カーボンファーミング「気候変動対策で注目の環境再生農業」11日。 (33)報道1930「改造内閣と旧統一教会~関係を断ち切れるか」12日。 (34)報道1930【安倍氏の保守本流】岸田総理は継承するのか」12日。 (35)NHKニュース おはよう日本「三溪園の蓮」12日。 (36)ETV特集「”ナガサキ”の痕跡を生きて~188枚令和”原爆の絵”~」13日。 (37)BS朝日 日曜スクープ「岸田内閣改造 旧統一教会との関係を見直しを厳命」14日。 (38)BS1スペシャル「沖縄戦争孤児」14日。 (39)TB朝日「僕たちは戦争を知らない~1945年を生きた子どもたち~」14日。 (40)BS世界のドキュメンタリー「アウシュビッツに潜入した男」17日。 (41)BS世界のドキュメンタリー「あなたの健康データは大丈夫か~GAFAの欲望~」19日。 (42)NHKスペシャル「ウクライナ侵攻半年~”プーチン戦争”出口はどこに~」20日。 (43)NHK「週刊ワールドニュース(8月15日~19日)」20日。 (44)BS1スペシャル「戦禍のなかの僧侶たち~浄土真宗本願寺派と戦争~」20日。 (45)BS朝日 日曜スクープ「ウクライナ軍がロシア軍施設を攻撃、旧統一教会の政治」21日。 (46)TⅤ東京「池上彰の激動!世界情勢SP 現代の戦争と私たちの今後」21日。 (47)報道1930「ウクライナ侵攻6ヵ月 南部の攻防のゆくえ 併合か「奪還」か」23日。 (48)報道1930「軽症なのに死亡が頻発、第7波本当の怖さとは、期待の治療薬に厚い壁」23日。 (49)報道1930「【台湾統一めざす中国】ペロシ氏訪台を機に強める軍事圧力」24日。 (50)報道1930「最高責任者からひっくり返せ 旧統一教会”政界接近”の手法とは」25日。 (51)BS1「週刊ワールドニュース(8月22日~26日)」27日。 (52)BS5日曜スクープ「ウクライナ南部での攻防激化ほか」28日。
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掛軸と絵画

  8月13日(土曜)から「第三回 掛軸と絵画の未来展」(表粋会・三溪園協働企画)が、夏の特別公開に合わせて三溪園の鶴翔閣で始まる。それに中村暢子学芸員による三溪記念館・第3展示室の特集展示「巻子装の修理過程をひもとく」も始まる。会期は21日(日曜)まで。

 18日(木曜)、蓮池に林立する蓮は元気である。盛会だった早朝観蓮会は14日(日曜)で終了して、人の姿は少ない。先週は池の手前の一画に白い花(白蓮)が一輪だけ咲いていたが、今日は数輪に増えている。昨年のザリガニ騒動への対処のため導入した白蓮の新品種オグラマダラが本格的に成長しはじめた証拠であろうか。来年がさらに楽しみである。

【中区長の小林英二さんとの対談】
 鶴翔閣へ向かう。「掛軸と絵画の未来展」が開催中で、ふだんは広い楽室棟と廊下を仕切る位置に特製の襖を入れ、たくさんの掛軸をかけている。

 そこを通り過ぎて左折した突き当りの書斎棟で、地域紙「タウンニュース 中区西区版」による中区長の小林英二さんとの対談をすることになっていた。小林区長とは新年度早々にお会いしている。区長就任直後に真っ先に三溪園を訪ねてくださった(本ブログ2022年4月22日掲載の「本牧元気フェス in 三溪園」)。それから約4カ月ぶりの再会である。

今回の対談のテーマの一つが、今年9月の三溪園完成100周年(1922年)の記念行事であり、もう一つが臨春閣大規模修理完成とそのお披露目である。前日のうちにメールで「臨春閣等について(論点整理)」をお送りし、これをもとに対談が進んだ。
 
 私は、都市横浜の起点が、横浜村(武蔵野国久良岐郡)であることから話し始めた。横浜村が都市横浜の起点となるのに3つの段階を踏んだ。(1)ペリーとの日米和親条約(1854年)、(2)これに基づき来日したハリスとの日米修好通商条約(1858年)、(3)翌1859年7月1日(安政六年六月二日)の横浜開港。

 (1)ペリーとの日米和親条約(1854年)は、この横浜村で幕府の主導下に進み、締結された。拙著『幕末外交と開国』(講談社学術文庫 2014年)、本ブログのリンクに付した諸論考、「横浜の夜明け」(『横濱』誌の10回連載)、「略年表 都市横浜と三溪園」ほかを参照されたい。
 (2)日米修好通商条約(1858年)は五港開港を決めた。ほかに注目すべき点は、日本側にきわめて有利で、かつアメリカ外交の伝統を承継する「アヘン禁輸条項」がある。この条項はハリスが求めて成立したもの。
 (3)横浜開港については、日米修好通商条約に五港開港の一つとして「神奈川」とある。この「神奈川」とは具体的にどこを指すか。ハリスは東海道の神奈川宿を主張し、幕府は横浜村を主張、決着がつかないまま、ハリスは上海へ出張。幕府は開港日(7月1日=旧暦六月二日)が迫るなか、わずか3カ月の突貫工事で横浜居留地を造成して内外の商人を迎える。外国人商人には区画ごとに賃貸し、所有権は幕府が堅持した。

 その横浜開港場=横浜居留地がペリーとの交渉地・横浜村を含む一帯である。東海道側に関所を置き、その内側という意味で「関内」と呼ばれた。いまは駅名にのみ名前が残るが、ここが現在の横浜市中区の中心部分である。

 この横浜居留地のなかで行われた内外商人間の取引が「貿易」であり、当時の最大商品は生糸であった。現在の自動車と半導体を合わせたようなトップ輸出品が生糸で、かつ偶然にも中国産とイタリア産のライバル生糸が蚕の病気のため後退した時期にあったため、いっそう有利に展開した。日本全体の輸出事業を担ったのがこの横浜居留地であった。

 横浜村=関内は、「三代住んで江戸っ子」に対して「三日住めば浜っ子(ハマッコ)」といわれるほどの人口急増期を迎える。そこには秩序と成長をもたらすリーダーが不可欠であった。その一人が生糸売込商の原善三郎(埼玉県出身)。急増する人口を背景に横浜村が横浜市として誕生する1889年、初代の市会議長に就任する。

 その孫娘・屋寿と結ばれたのが岐阜県出身の青木富太郎、のちの原三溪である。生糸売込商を原合名会社と改め経営改革を進め、生糸貿易のほか製糸業に進出、富岡製糸場を明治35年(1902)~昭和13年(1938)まで経営した。ちなみに世界遺産となった旧富岡製糸場は今年150周年を迎える。

 三溪は、自邸として鶴翔閣を建て(1902年)、庭造りを進め、4年後の1906年、「遊覧御随意 三溪園」の看板を正門に門柱に掲げて無料公開した。これが三溪園の始まりである。

 三溪園開園の1906年から1922年の三溪園完成までの16年間、三溪は秀でた実業家の顔に加え、優れた芸術家(造園と日本画)の顔を見せ始める。38歳から54歳までの壮年期にあたる。
 
 芸術家の顔を見せる契機をつくった人が、三溪の5歳年長の岡倉天心(1863~1913年)である。天心は横浜居留地内の、いま横浜市開港記念会館のある場所にあった石川屋で生まれ、すぐ向かいの外国人居留地の子供たちと遊びまわるうちに英語を習得、宣教師バラ夫妻からお教わり、10歳で高島学校、11歳で東京外国語学校、12歳で東京開成学校入学。その2年次に学制改革により東京開成学校は東京大学となったため文学部2年に編入、卒業後は文部官僚となり、やがて東京美術学校(現在の東京芸術大学美術学部の前身)の校長に就任する。

 天心の功績の一つが古社寺保存法(こしゃじほぞんほう、明治30(1897)年6月10日法律第49号)である。天心が弟子たちとともに古い社寺の実態調査を行い提案、立法化された文化財保存に向けた初の法律である。本法は1929年(昭和4年)7月1日、国宝保存法施行に伴い廃止された。

 三溪と天心の出会いは、原善三郎の逝去(1899年)に伴い、善三郎の胸像制作を依頼したときと思われる。これを機に生まれたばかりの法律を自身の行動で実践するため、三溪は各地の古建築を三溪園に移築し始める。最初の移築物は1905(明治38)年、内苑の旧天瑞寺寿塔覆堂、臨春閣を見守るように立っている。

以下、園内の古建築がいつ、どこから移築されたか、これを知るには園内で無料配布しているリーフレット「国指定名勝 三溪園」(多言語の版あり)をお使いいただきたい。小兵ながら優れモノである。

 原善三郎⇒岡倉天心⇒原三溪とつながる太い糸の一端を述べたが、その全貌を短時間で語るのは難しい。名勝・三溪園を無から創出した三溪の行為に、尽きぬ魅力を感じるからに他ならない。

 対談を終えて、5年にわたる大規模修理を終えた臨春閣を小林区長に見ていただきたく、建築担当の原美織主事の説明で案内した。三溪が入手から11年をかけた1917年に臨春閣を現在の形に配置したこと、1922年の三溪園完成からの現在まで100年間の<保存と活用>の実態、なかでも今回の令和大改修には最新技術の耐震補強を組み入れたこと等を説明した。

 その後、分刻みの会議がつづき、2時になって中村暢子学芸員の案内で「第三回 掛軸と絵画の未来展」を鑑賞する。

【第三回 掛軸と絵画の未来展の趣旨】
 三溪園ホームページに次のようにある。
 「美大生と表具師の感性が響き合う、かつてないかたちの作品展。
 日本画専攻はもとより、現代美術専攻の美術系大学生が制作した意欲的な作品を、表具師が掛軸に仕立てました。伝統技法に依りながらも、現代の感性をもって表装した作品は、掛軸の新しい可能性を拓きます。
 主会場となる鶴翔閣(横浜市指定文化財)は、横山大観など近代の日本画家たちが、三溪から支援を受け、制作を行った場所。過去から現代へつながる芸術支援(パトロネージュ)のかたちの一端をご覧ください。」

【三溪園で開催するに至った経緯】
 吉川利一事業課長によれば、今回の開催までの経緯は次のとおり。ほぼ1年半前の2020年12月22日、公益財団法人三溪園保勝会の猿渡紀代子副理事長の橋渡しを受けて、翌2021年1月12日、江戸表具研究会 表粋会代表 稲﨑昌仁氏との打合せを村田副和義園長と吉川事業課長が行い、協働企画として、夏の鶴翔閣の特別公開期間に重ねての開催を提案、1月21日、話を進めたいとの連絡を受けた。
 3月23日、稲﨑昌仁氏ほか幹事長、幹事、展覧会担当者が来園、初顔合わせを行う。翌24日の吉川課長の返信に、「今回の会場は、横山大観や下村観山、小林古径、安田靫彦、前田青邨、速水御舟といった近代の日本画家を支援した原三溪の旧宅・鶴翔閣です。美大生支援という今回のご企画の目的とは支援の形こそ違いますが重なるものがあります」とある。
 これ以降、コロナ感染拡大の外出制限でしばらく間が空いたのち、7月11日に表粋会員約15名が下見に来られた。9月25日(土)、横浜開港記念会館における学生への説明会に猿渡副理事長、村田副園長、吉川課長が出席、着々と準備が進む。そして9月27日、「掛軸と絵画の未来展」の副題「芸術支援(パトロネージュ)のかたち」について吉川課長が以下の提案を行った。
 「…美大生と表具師 @三溪園 パトロネージのかたち。
 今回の会場は、横山大観や下村観山、小林古径、安田靫彦、前田青邨、速水御舟…といった近代の日本画家を支援した原三溪の旧宅・鶴翔閣です。美大生支援という今回のご企画の目的とは支援の形こそ違いますが、重なるものがあります。」
 今年2022年5月1日にプレスリリースを発表、5月26日、ワークショップ等関連企画打合せと具体化に向けての作業を経て実現に至る。

【江戸表具研究会・表粋会の由来】
 「第三回 掛軸と絵画の未来展」を主宰する「江戸表具研究会・表粋会」とは何を目的に生まれ、どのような活動をしているのか。そのホームページには簡潔な説明がある。
 「表粋会とは東京近郊の表具師有志による、江戸表具研究会。1996年(平成8年)、表具を巡る当時の状況を憂う若手の表具師達11人が自らの手で学び、情報を交換する場と機会を設けようと設立。現在会員数36名を数え、定期的に講習会や勉強会を行い、また活発な情報交換を行っています。
 伝統的な材料・工法を尊重しており手漉きの和紙、小麦澱粉と水だけで作られた正麩糊を用いることを基本としています。
 毎年、東京都美術館(上野)で開催される東京表具経師内装文化協会主催の表装展に作品を多数出品しており、2006年(平成18年)からは表粋会主催の展覧会を隔年で開催。直近二回は「掛軸と絵画の未来展」と題し関東近郊の美大生に掛軸という既成概念にとらわれず自由な発想で日本画を書いてもらい、それを表粋会所属の表具師が表装を施し展示するという展覧会を行っています。
 江戸表具とは大陸から伝来した表具技術が仏教と結びつき京で発展し、それが神社仏閣と共に江戸にも移り、その地で更に独自の発展をした表具全般を言います。明確な定義ではないものの、簡素であり粋で洒脱が江戸表具の真髄と言えます。」

 1996年に誕生して26年になる江戸表具研究会、「簡素で粋で洒脱が江戸表具の真髄」から生まれた「表粋会」の名前が良い。今年の代表をつとめる石塚表具店の石塚利郎さんが案内してくださった。
 
【参加者は作家と表具師のペアーで計29組】
 参加するのは現役の学生作家(画家)と表具師がペアを組む。作家(画家)は東京芸術大学から13人、女子美術大学から2人、多摩美術大学から11人、東京造形大学から3人の、合わせて26人にそれぞれ表具師がついて26組と事前配布のリーフレットにあったが、会場では29組の掛軸が展示されていた。
 なお期間中には子ども達にも体験してもらえるワークショップも開催する。
■顔彩で塗り絵!気分は日本画家
■瓦の拓本をとって表具しよう!

 石塚代表の案内で作品を見て回る。「どの作品に表具師の誰がつくかをめぐってモメることはありませんか」と不躾に尋ねると、「…相性とは不思議なものですね。ぶつかることはめったにありません。そうなったときはジャンケンです」

 石塚さんが表装した作品は5番の岡野真理(東京芸術大学)さんの作品「残雪」、許可をいただいて以下に掲載する。


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 もう1点、ワークショップの手伝いに来ていた15番の福田菜月さん(多摩美術大学)の作品「狭間」も許可を得て掲載する。表具は平井経師店の平井敏さん。福田さんは「軸装していただいて、すっかり生まれ変わり、別世界のよう」と興奮気味。モデルは友人とのこと。

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さらにいちばん奥の客間棟には、第1回と第2回の作品が並ぶ。
 ここ客間棟は、大正時代(主に1912年から1922年ころ)に多くの日本画家が泊りがけで作品を制作した由緒ある場所である。横山大観、下村観山、荒井寛方、今村紫紅、小林古径、安田靫彦(ゆきひこ)、前田青邨(せいそん)、牛田雞村、速水御舟、小茂田青樹……。
 その合間に三溪は楽室棟で倉に納めた名品(三溪は5000点もの美術品コレクターでもあった)を彼らに見せ、意見を交わし、それを通じて三溪自身も自分の絵を磨きあげた。三溪の芸術支援(パトロネージ)とは、芸術の素人がプロの画家を支援するものとは異なり、相互に刺激を受けあう行為であった。

今回の「掛軸と絵画の未来展」の、画家と表具師の関係に近いものと言えないか。 このような素人の感想を石塚さんにもらすと、「…画家と表具師が互いに理解しあえる関係をいっそう深め、掛軸は床の間のものという常識から解放したい」と江戸表具研究会の狙いを慎重に語られた。

【表具について】
 表具の長い伝統と革新の過程については、表装会のホームページに次のようにある。その一部を抄録する。
 「日本標準産業分類では、(表具とは)「布はく又は紙はりを行う事業」と有りますが、その行為にて作り上げる物は様々あり掛軸・巻子・額・屏風・衝立・折本・綴本・画帖など書画を装い装丁する物から、襖・障子・張付壁など室内装飾まで多くの品目を総じて現在では表具という。また、表具と同意で表装と云う事もあります。数多くの品目を作る職人には技術は基より膨大な知識も必要で「師」を付け表具師と称され、多種ある職種のなかでも非常に稀な職です。
 表具に近い言葉で「経師」が有り現在の東京では同一の職とされていますが、その成り立ちを見るとより理解ができると思います。我が国では奈良時代の官職として「経師」が出現しました。当時仏教にて国の安寧を願い経を奉納する為に写経をする職とされていました。この写経を巻子に仕立てる職を「装潢」としていましたが鎌倉期になると写経(木版となる)を巻子に仕立て販売する職業を「経師」と名乗るようになりました。最初に巻子を製作した「装潢」の漢字には 装⇒装う・潢⇒染める の意味があり、紙の虫害を防ぐ為に防虫効果の有る木の樹皮を使い染色する事も担っていました。
 一方、大陸では唐代ごろより掛軸を「裱褙(装褙)」「装護」と表しており、「裱褙」の漢字には裱⇒衣装・褙⇒肌着の意味があり、絵や書に肌着=紙を裏打し 衣=布で装うという意味になります。「装護」の漢字には 装⇒装う、護⇒守る の意味より絵や書を装い守るという意味になります。この「裱褙」「装護」は絵画(唐絵)や墨蹟と共に日本に伝わり、鎌倉後期には我が国でも掛軸の製作がされる様になった。この時「裱褙」をヒョウファイと発音しているのを聞き裱補絵・裱補衣(ヒョウホエ)と言うようになり、この呼称は江戸後期ごろまで使われていた。
 最後に「表具」を調べると安土桃山期の茶人、神谷宗湛の茶会記に「表具」と表したのが初見のようで、 「表で使う道具」という意味のようです。
 「経師」は主に経巻・経本・折本など仏事に使う物を多く手掛け、中には仏画の掛軸や寺院の室内装飾も手掛けていたようです。「裱補絵師」は主に絵画・墨蹟などの掛軸や障壁画を、「表具師」は茶の湯関係の掛軸・屏風・茶室の室礼などを手掛けることが多かったようです。
 これら「経師」「裱補絵師」「表具師」は同じような技術を持ち、同じような物を製作していましたが明治期までは別の職として存在していたようです。明治期以降は茶道の広まりと共に「表具師」「表具」の呼称が多く使われるようになり「裱補絵師」を名乗る物は少なくなりました。「経師」と「表具師」は現在もその名を残し、特に東京では同一の職として存在している。
 「表具師」の忘れてはならない大切な仕事として保存修理があります。多様な製作物の中には絵画や墨蹟の表装が有り、これらの作品は裏打がなされる事により現在まで継承されている。保存環境にもよるが約100年~200年の間隔でこの裏打紙を打ち替える事により傷んだ本紙を修理し状態を維持してきました。新しい作品を表装する時も後の時代に裏打紙を除去する事を考慮し可逆性のある材料を選定し改装可能な方法で表装します。古代の絵画や墨蹟を現在目にする事の出来るのは表具師の功績が必須と言っても過言ではない。」


【第2展示室の展示】
 本ブログ2022年7月27日掲載「書画の装い(所蔵品展)では、第1展示室のみを紹介し、第2展示室の「書画の装い」については、「最後の1週間(8月13日~21日)に行われる三溪園と江戸表具研究会<表粋会>の協働企画「掛軸と絵画の未来展―美大生と表具師@三溪園 パトロネージュのかたち―」(鶴翔閣と三溪記念館第3展示室にて)と一緒に紹介したい」と述べた。

 その約束が今回の紹介である。担当は中村暢子学芸員で、題名が◇表装の彩りである。まずは中村さんの解説を引く。

 画面の上下を縁取る「一文字」は、その色合いによって、描かれた内容を柔らかく受けとめることもあれば、逆に、強く引き締め際立たせることもあります。メイクでいうと、アイシャドウのようなものでしょうか。
 「中廻し」と「上下」の色は、洋服のように、作品の見せ方や印象を大きく左右し、印象づけます。
ここからは、作品と表装の色合いの組み合わせを楽しみながらご覧ください。あなたのお気に入りはどれでしょうか?

豊臣秀次「関白秀次公仮名文」桃山時代(16世紀)

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豊臣秀次(秀吉の甥で養子となるが、後に切腹)がある人へ宛てた手紙。
秀次から先に申し入れようとしていた矢先に、「ある人」から先に手紙が届いたため、恐縮してお礼を述べています。
ちょっとした心遣い、という礼儀が、いつの時代にもあると思わせる手紙です。

是より申入候ハんと
思まいらせ候処ニ、御返事ニ
まかり成、心より
外ニ候、めてたく、かしく、
   十一月八日  ひて次

ここに注目!
「中廻し」に「小袖裂」が用いられています。小袖裂とは、古い着物(=小袖)の断片(=裂、きれ)のこと。織り地の風合いと当時の衣装美を伝えるものとしても貴重なものです。

黒田古郷「牡丹花」昭和初期
 濃紫の見事な大輪は金色の蕊(しべ)をもち、墨色がかった葉に縁取られ、高貴な感じがします。牡丹は美人や富貴を表します。繊細で丁寧に色をおいたとみられる描写は、几帳面であったという古郷らしさがよくあらわれています。
ここに注目!
牡丹の濃紫に寄り添うように柔らかい紫色が「上下」に配され、「中廻し」には花の紫と葉の緑をとりもつようにさわやかな水色が用いられています。画面の色合いと表装の色を合わせた好例です。

黒田古郷(こきょう)(1893-1967)
東京生まれ。本名清造。
松本楓湖の安雅堂画塾に学ぶ。
巽画会に出品し、受賞を重ねる。
今村紫紅の赤曜会に参加、院友となり、その後は小茂田青樹の杉立(さんりつ)社にも出品。
原三溪とは赤曜会時代に知己を得、大正4(1915)年の第1回と第2回の赤曜会展で三溪が作品を買い上げた記録が残る。

小堀鞆音「藤房卿」

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 万里小路(までのこうじ)藤房は鎌倉~南北朝の公家で後醍醐天皇の側近です。倒幕後、下総に流され、建武の新政で復帰するも、その後、天皇への諫言が聞き入れられず、出家し行方しれずとなりました。本図は、辞職の2週間前に岩清水八幡宮で派手な行進をした時の場面と思われます。
ここに注目!
馬上の藤房卿の着衣と「上」「下」の朱が呼応し、全体的にまとまりのある仕上がりです。

小堀鞆音(こぼりともと)1864-1931(文久4~昭和6)
本名は須藤桂三郎。下野国安蘇郡(あそぐん)小中村生まれ。
明治17(1884)年川崎千虎に入門し、土佐派のほか、有職故実も学ぶ。
日本美術協会、日本絵画協会で活躍、のち東京美術学校教授、大正6 (1917)年帝室技芸員、同8 (1919)年帝国美術院会員。やまと絵の復興に尽力し、歴史人物画を得意とした。
※三溪が支援した安田靫彦は、 小堀鞆音の弟子。

松本楓湖「大塔宮護良親王」

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護良親王は後醍醐天皇の皇子で、建武の新政で征夷大将軍となりました。後に足利尊氏と不和になり、鎌倉東光寺に幽閉されて尊氏の弟・直義に殺害されました。本図は軍記物『太平記』の一場面と思われます。
ここに注目!
足利直義が着けている甲冑の「赤」と、「上」「下」の緑は補色の関係にあり、正反対の色ですが、画中の松の緑と照応しています。「中廻し」の薄紫は画中にない色ですが、かえって、画面を引き立てています。

松本楓湖(まつもとふうこ)
天保11(1840)年-大正12(1923)年
常陸国河内郡生まれ。本名敬忠。
嘉永6年(1853)江戸へ出て、沖一峨、佐竹永海、菊池容斎に学び、勤皇画家として知られた。
明治31年(1891)日本美術院の創設に参加、文展開設当初から審査員を務め、歴史画に長じた。大正8年(1919)帝国美術院会員。
三溪が支援した今村紫紅、牛田雞村、速水御舟、小茂田青樹が、楓湖の安雅堂画塾の門下生であった。

吉川霊華「伊勢物語」

 本図は『伊勢物語』第27段の場面を描いています。通っていた男性が訪れなくなり、物思いにふける女性は盥(たらい)の水面に映った自分の顔をみて、私のように物思いにふける人がこの水の中にもいた、とせつない歌を詠みます。
ここに注目!
「一文字」も「上」「下」も画中に使われている色ではないのですが、掛軸全体として、趣き深い仕上がりになっています。「柱」には鳳凰と蝶の文様があしらわれており、雅な雰囲気に華を添えています。

吉川霊華 明治8(1875)年- 昭和4(1929)年
 東京生まれ。本名準(ひとし)。幼少のとき浮世絵の手解きを受け、狩野派・土佐派に学ぶ。20代の頃、幕末の復古大和絵派の絵師・冷泉為恭を知り、深く傾倒する。当時の日本画が、岩絵具を多用した色を主体とした制作が主流となっていたなかで、線描の美を追究した画家。大正8(1919)年の発足当初から帝展審査員を務めた。

◇ 障壁画―建物の室内画―

 障壁画は、障子絵と壁貼付絵の総称です。日本の歴史のなかで、建物の室内画として独自に発展したもので、特に隆盛を極めたのは桃山時代です。戦国武将が築いた城郭内には、権威の象徴として豪壮華麗な障壁画が描かれ、狩野派の絵師らが腕を揮(ふる)いました。色彩豊かな着彩画だけでなく、黒と白のモノクロームによる水墨画の障壁画も描かれ、寺院建築などにも用いられました。
 今回は、園内にある月華殿(重要文化財)の障壁画のうち「檜扇図」を紹介します。
月華殿はもと徳川家康の京都伏見城内の大名控え所であったと伝えられる建物です。京都三室戸寺の金蔵院所有の後、大正7(1918)年に三溪園へ移築されました。

伝 海北友松「檜扇図」(一部)

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 海北友松は、桃山時代の絵師。狩野派に師事したほか、中国の画家・梁楷(りょうかい)や玉潤(ぎょっかん)らの水墨画もよく学び、多くの障壁画を手がけました。
 描かれている檜扇(ひおうぎ)は、8月から9月にかけて咲く、黄赤色に斑点のある花をつけるアヤメ科の多年草で、その名は、葉の出方が檜の薄板を重ねた檜扇に似ていることに由来します。本作品からも、扇を思わせるシルエットがうかがえます。一部退色してしまっていますが、よく見ると葉を表した緑色もさわやかです。


原三溪「雁尾山」

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広島の刈尾山を描いています。一面の薄(すすき)が左方向へなびき、熊手をもって背負子(しょいこ)を背にした女性たちも風に煽(あお)られています。画面から風が野を渡る、ざあっという音が聞えてくるようです。
ここに注目!

原三溪「雁尾山」書簡
展示中の《雁尾山》について、三溪がこれを描いて表装する(絵を掛軸に仕立てる)折に、こと細かく指示をあたえた書簡です。作品を仕上げるときに描き手が記したこのような手紙は、作品が出来た当時の臨場感があり、貴重なものです。

雁尾山 三溪書簡
拝啓
縣君ハ七日ニ帰るとの
事てす 自分ハ六日より
長岡へ参ります
暫く滞在の積りてす
藝州雁尾山の図ハ
写真も取りましたから
貴君ニ御預けし
ますから縣君帰
宅次第御渡し下さい
乍御面倒信州上高地
の山水と引替ニ
願ひます 同時ニ
縣君ニ田中君ニ
約束の二幅を御持参
下さる様願ひ升
此二幅ハ貴君が
画ニ墨を引き
といい得ハ夫ニて宜敷
表装ハ田中君へお返し被下
度候
雁尾山ハ其後研究
致し處此画ハ光
線強き處ニてハ
甚悪敷見ヘ候 光線
尤も弱き處か電気
の光尤も宜敷く候間
可成夜分電気の
光ニて縣君ニ御見せ
被下度候
表装ハ縣君如才ハ
無之候為其中廻しハ
鼠青の如き無地の
切れにて天地ハ模様
あるも不苦候 一文字
風袋ハ小模様茶地
金らんの事此も條
件の事
其外の條件ハ
貴君勝手の事ニ候
右願のこと
     草々
三溪
一月六日
中村君


原三溪「数刻清磬是非外」
近代好寄者が好んだ「揉み紙」が「上」「下」に使われています。
揉み紙とは、揉んで柔らかくし皺(しわ)を文様のように作り出した紙です。この侘びた味わいが茶掛用に好まれました。
ここに注目!
風帯は、白の唐紙を張り付けた「押風帯」。江戸時代前期の茶人・千宗旦が好んだといわれる形式です。揉み紙とあいまって、洒脱な軽みがありますね。

原三溪「濱自慢」大正14(1925)年

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 横浜を象徴する白い鴎(かもめ)が飛びかう港の空と「復興小唄」。関東大震災により横浜は壊滅的(かいめつてき)な被害を受け、三溪は横浜市復興会会長に就任し、横浜復興のために力を尽しました。三溪が横浜を活気づかせようと作った「復興(ふっこう)小唄(こうた)」は一時期花柳界(かりゅうかい)でもてはやされたそうです。
ここに注目!
黄色・緑・茶色の糸が織り込まれた格子状の裂が、現代の目で見てもしゃれてます。表装は、 中廻しを省略した「袋表具」。軽くさらりとした印象です。


第3展示室 特集展示「巻子装の修理過程をひもとく」
 原三溪自筆の「観梅会の記」(『暗香集』の序文 明治41(1908)年)の特別公開と表粋会が修理を行った記録である。表粋会の役割の一つとして、前掲のとおり、「表具師」の忘れてはならない大切な仕事として保存修理が有ると述べている。第3展示室はその保存修理の実例を中村学芸員が担当した記録である。
 
 入って右手の始まりに次の流れを記す。
仕上げ←修理←巻子をひもとく(解装)←状態の確認

 部屋の正面に原三溪自筆の「観梅会の記」を特別公開。「三溪園成るを告ぐ―」から始まる原三溪自筆の書「観梅会の記」(明治41年)。三溪園が所蔵する巻子装の作品を江戸表具研究会「表粋会」のみなさんに修理していただきました。
 表紙、軸、本紙…と各パーツに解いた上で、クリーニングをし、欠けてしまっている裂地を補填するなど、多くの工程を経て、息を吹き返した「観梅会の記」を特別に展示します。修理のこまやかな作業と工程を紹介する写真パネルと併せて、表具師の技と手仕事の一端をご覧ください。

■原三溪「観梅会の記」明治41年(1908) 紙本墨書・画 / 巻子装
 「明治戊申の春三溪園成るを告ぐ」で始まるこの記は、明治41年(1908)に園内の梅林の完成を祝って知人を招き観梅会を催した時に、参会者の書画や歌を集めて作った冊子『暗香集』の序文です。明治39年の一般公開から数えて2年、三溪自身の思いとして、園(現在の外苑)の完成といえる年であったのでしょう。
 この日の様子を『横浜貿易新報』(明治41年2月23日付)が伝えるところによると、招待客は350名あまり、広い庭園には蕎麦やおでん、汁粉をふるまう模擬店が立ち並び、釈宗演禅師(円覚寺)が求めに応じて扇子に揮毫をし、三溪自身も点茶の手前で接待をしたという。この歓待に「来会者は何れも十二分の歓を尽して午後5時頃散会した」とあり、初春のあたたかでにぎやかな雰囲気が伝わってくる。
※『暗香集』は観梅会の出席者がそれぞれに唄った詩歌・俗謡・川柳などを一冊にまとめた詩歌集。現在、序文のみ「観梅会の記」と称して残るが、本文はない。

■観梅会の記 翻刻
明治戊申の春三溪園成るを
告ぐ 春意亦当さに満林に
動かんとす 二月念二日雅
筵を林下に設けて余が畏友と
年と共に業に在るの諸君子を
請て談笑以て半日の雅懐を
賜ふ 蓋し各其性情の発して
声となるところの史詩歌俳句
より川柳俗謡に至るまで都て
此帖に集めて以て当日に清遊を
記せば他日此を繙て将に
暗香の浮動し来て長へに
其清遊を語るものあらん
想ふに巧拙清粗素とその論を
一にす 又何の擇む所そ 要は
只粉飾を費さざるにあり
来れ諸君子請ふ共に其
行く所に行き止まる所に止らん
のみ以て爛漫たる天真を
流露せん哉
明治四十一年春二月念二日
三溪園観梅会に於て
   原三溪識

 私が思うに、冒頭の「三溪園成るを告ぐ」といい、中段の「雅筵を林下に設けて余が畏友と年と共に業に在るの諸君子を請て談笑以て半日の雅懐を賜ふ 蓋し各其性情の発して声となるところの史詩歌俳句より川柳俗謡に至るまで」と形式を問わない態度、そして結びは「…要は只粉飾を費さざるにあり 来れ諸君子請ふ共に其行く所に行き止まる所に止らんのみ以て爛漫たる天真を流露せん哉」。
 このとき三溪40歳、これからも多くの仕事をこなすが、この若さで「爛漫たる天真を流露せん哉」と、途方もなく広い度量を見せる。

 表粋会のみななさんの手により三溪直筆の文章を修復してもらい、後代へとバトンタッチすることができた。こうして表粋会・三溪園協働企画「第三回 掛軸と絵画の未来展」は見事な成果を残して幕を閉じた。
 

今年の観蓮会

 三溪園の正門を入り、中央園路を進むとすぐ右手に蓮池がある。今年も観蓮会が始まった。
 7月22日(金)、23日(土)、24 日(日)、29 日(金)、30 日(土)、31 日(日)
 8月5 日(金)、6 日(土)、7 日(日)、11 日(木・祝)、12 日(金)、13 日(土)、14 日(日)。 合わせて13日である。

 今年は蓮の成長が良く、立ち葉の背が高い。いや背が高すぎる。背が延びすぎて、頂点に咲く花を見るのに苦労する。「踏み台がほしい」の声も聞く。

 8月6日(土曜)、早起きして開園7時の直後に正門をくぐった。多くの人が来ている。手前の一画に白い蓮の花が一輪、咲いている。去年の対策として移植した新しい品種であろう。去年は蓮の生育が遅く、苦労して挽回策を講じたうちの1つが新しい蓮根の移植であった。その成果を一輪だけの白蓮が健気に示している。
 
 この日は、広島の原爆投下から77年目に当たる。77年前、私は国民学校(小学校)3年生で、集団疎開先の群馬県勢多郡新里村祥雲寺学寮にいた。6年生と一緒で、口でも力でも対抗することがかなわず、悔しい思いをした。
 あまりの空腹に耐えかね、近所の桑の実を食べ、寮母さんに、「蚕を買って生糸を取る、そのために桑畑を大切にしている、その桑の実を取って食べるのはいけません!」ときつい注意をもらった。心の中で「…誰も食べないのなら自分が食べても良いのでは…」と思った。

【昨年のザリガニ騒動と適切な対応】
 あれこれと小学校3年生の時の思い出がよみがえる。昨年は、今年と正反対に蓮の成長が極端に遅く、対応に苦労した。泥のなかにある蓮の新芽をザリガニに食われ、大騒ぎとなった。
 このままでは蓮の花が見られないと、急遽、新しい蓮の苗を仕入れるとともに、ザリガニを釣って退治する方針を立てた。誰がザリガニ釣りをするか。隣人である間門(まかど)小学校の生徒さんに応援を求めたところ、嬉々として大活躍してくれ、大成功を収めた。

 本ブログの2022年8月8日掲載「六月の敗荷」に次のように記している。
 6月3日(木曜)、三溪園の正門を入ると、ふだんと異なる雰囲気を感じた。「何だろう?!」 だが、その正体が分からない。いつものように園路を進む。右手にある蓮池の様子がおかしい。一面に拡がる蓮池の緑の葉が忽然と消えている。いや、消えたのではなく、先週もまだ伸びていなかったのか? いや、そんなはずはない。
 10月の季語である敗荷(はいか、やれはす)は、風に葉を翻していた蓮も日に日に色褪せ、風雨に打たれて破れてゆく、寂しくわびしい秋の風情をあらわす。まだ6月に入ったばかりなのに、敗荷とは! しかし、池の周囲や上方(鶴翔閣に近い方)には、蓮特有の真っすぐに伸びた立ち葉(たちは)が見える。
 事務所に着くと、この話題でもちきりであった。庭園担当の羽田さんに聞くと、その概要は以下の通り。
 (1)6月1日蓮池確認 立ち葉(たちは)が出ている時期だが、鶴翔閣側のみにとどまる。過去の経験から、ザリガニが新芽を切り取ったと考えられる。
 (2)早急に実施した対応として、ア)池の水を抜き、ザリガニの行動範囲を狭めた。イ)2日には公園班が約200匹釣り上げた。
(3)今後の対策として、ア)立ち葉から開花まで約1か月かかる。ここ1~2週間を正念場と考え、ザリガニを釣り上げる。ア)近くの市立間門小学校の児童も含めた地域連携による対策を検討。イ)蓮の生長を促すため肥料散布の回数を多くする。ウ)蓮のポット苗を購入、6月8日以降に植替を予定する(定着率は必ずしも高くはない)→品種は原始蓮(紅色)他、巨椋池系品種など(紅色、白色)。
(4)ザリガニ繁殖の想定原因として、ア)昨年のザリガニ釣りの行事がコロナ感染拡大で実施できなかった、イ)高い水温が考えられる。
 今年の早朝観蓮会は、7月17日(土曜)から8月9日(月・祝)にいたる土日祝日の計11日間、朝7時開園で行う。それまで1ヵ月強しかない。取り急ぎ、(1)ザリガニ駆除、(2)肥料管理、(3)蓮ポット苗の移植の3方面作戦で進める方針を固めた。蓮ポット苗はすぐ発注、6月8日以降に植替を予定する。

【昨年の適切な対応】
一方、6月8日(火曜)、午前中の理事会を終えてから、午後2時半すぎ村田副園長、山口室長と連れ立ち、南門まわりで間門小学校の中尾和世校長を訪れ、最後の確認を行った。中尾校長は、これが自然学習と生活科学習に欠かせないチャンスであり、また高学年の児童は原善三郎さんの出身地である埼玉県渡瀬(わたらせ)と交流があり、これに弾みをつけるきっかけになれば嬉しいと、三溪園と関わる意義を話してくれた。
こうしてザリガニ駆除作戦が軌道に乗った。これについては、2021年7月30掲載の「観蓮会始まる」にある。次のように書き出す。

 「6月30日に掲載した「六月の敗荷」では、三溪園の蓮池の異変を打開するための<3方面作戦>、すなわち(1)ザリガニ駆除、(2)肥料管理、(3)蓮ポット苗の移植の推移を見た。その成果は明らかで、蓮の立ち葉が驚くほどの勢いで伸びてきた。
 恒例の観蓮会は予定通り、7月17日(土曜)の朝7時に始まった。蓮の成長に心配はなくなったが、花の数はふだんよりまだ少ない。言い換えれば、これから8月9日(月・祝)までの土日祝日のうち、遅いほど花の見ごろを迎えることになりそうである。
開花の時期はふだんより遅れる可能性が高いと考えていたので、三溪園ホームページで適宜、開花状況を伝え、「今年は蓮の生育が一律でなく一部に遅れが出ていて、見ごろは8月中旬ごろとなる見通し」とした。
 ところが7月28日の段階で平年並みの生育となっていると判断、「ご心配をおかけしました蓮の生育ですが、例年どおり蓮池全体に花が見られる状況となりました。花の見ごろは、8月中旬ごろまで続きそうです」とホームページを通じて伝える。」


【今年の蓮の背が高い理由】
 昨年に比して今年の蓮の成長は早いことは、2週間ほど前から気づいていた。気候のせいかとも思い、念のため上野の不忍池の蓮の成長を見に行ったが、広い池は平均して三溪園ほどの高さはない。
 担当の事業課の羽田雄一郎課長補佐によれば、三溪園の蓮がとくに伸びたのは、①早めに夏が来たとする気候要因、②施肥等の管理側の手入れのせいの、2つが挙がった。
 私が不忍池の事例を話すと、羽田さんは「不忍池の水深が深いからではないか」と即答した。つまり第3の要因として、③三溪園の水深は浅い。水上に出た部分だけが背の高さではなく、地底から伸びた茎の長さが背の高さとなる。言い換えれば、水深が深ければ、水上に出る部分がそれだけ低くなる。「三溪園の蓮池は泥が流れ込み、水深が浅くなっている」とのことであった。


【新しい企画】
 今年の新企画は、3軒の茶屋が出す特別メニューや杉本光俊さんのボタニーペインティングが魅力的である。以下のチラシをご覧いただきたい。
なお杉本さんについて一言(wikipedeliaより)。
 杉本さんは1975年生まれの47歳、三溪園の羽田さんと同年。デザイン事務所株式会社アントレ・サン・フラッペ代表取締役。蓮やインド菩提樹などの天然の植物を使ったアート「ボタニーペインティング」を発案し、普及活動を行う現代アーティスト。グラフィックデザイナーとしては、企業のディレクションから関わることが多く、企業理念やCI(コーポレート・アイデンティティ)、VI (ビジュアル・アイデンティティ)のほか、小売店では店舗設計、什器、パッケージや販売促進媒体の制作(リーフレット、チラシ、WEB)を手掛ける。
 趣味でMACによる3DCG(ストラタスタジオ)で3D作品(モデリング)を行う。また、IllustratorやPhotoshopにも興味を持ち、独学でソフトウェアを勉強する。
 アーティストとして自身の抽象絵画作品の展示販売を続けていくうちに絵を描く楽しさを誰かと共有したいと考えるようになり、ヒントを求めて2017年、東南アジアへ旅に出かける。そこで蓮が貼られている民芸土産に惹かれる。帰国後その民芸土産に着彩して楽しむアートを広めた後に、蓮の研究と試作を繰り返し行い、蓮の葉やインド菩提樹の葉、モンステラを自分で貼付けて着彩する唯一無二のアートワーク、 #ボタニーペインティングを創出。美術経験が無く、絵心に自信が無い人にも心を解放して自由に楽しんでもらえるボタニーペインティングのワークショップを全国各地で開催している。


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【新企画<仏さまのポーズ】
 いつもの<蓮のシャワー>は相変わらずの人気ぶり。その隣に、新たにフォトスポット「撮ってみよう! 仏さまのポーズ」が設定された。三溪記念館で展示中の荒井寛方「釈尊降誕」にヒントを得た新しい企画である。スマホをおいてタイマーをセットし、所定の位置に立つと不思議な写真が撮れる。


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【プレミアムツアー「蓮尽くし」】
 朝の三溪園で愉しむ「蓮尽くし」~特別懐石を味わい数寄屋建築をめぐる~(三溪園完成100周年特別企画)
蓮は泥の中から清らかな花を咲かせることから、古来仏教や儒教では聖者の花とされ尊いものとされてきました。原三溪はこの盛夏に咲く蓮の花をとりわけ愛好し、自ら蓮の絵を好んで描きました。
 三溪園や別荘に多数所有した茶室の中でも自身が構想から関わった蓮華院では生涯最も多くの茶会を開いています。また、奇しくもその最期を飾ったのも三溪園の池から切りとられた数本の蓮でした。
 本企画は、原三溪ゆかりの蓮をキーワードに、朝のさわやかな時間に蓮の花を鑑賞していただいた後、通常内部非公開の蓮ゆかりの建物・蓮華院と白雲邸の特別見学、そして壮大な規模を誇る原三溪の旧宅・鶴翔閣でミシュラン2つ星の横浜の懐石料理店「真砂茶寮」による蓮尽くしの懐石料理を味わう、この時期だけの「蓮と三溪園」をゆったり堪能していただくプレミアムツアーです。
 このプレミアムツアーは好評のうちに完売した。お客様に喜んでいただけたと同時に、企画立案からアテンドして案内する学芸員の力量を高め、かつ少数精鋭の三溪園保勝会職員の結束を強化しているのが嬉しい。

望塔亭の呈茶

 三溪園の三溪記念館の一角に望塔亭がある。記念館の南側には池がひろがり、窓から三重塔が見える。望塔亭とは「三重塔を望む」の意味である。ここで永らく裏千家、江戸千家、表千家の3流派の呈茶(抹茶のサービス)が行われてきた。
 コロナ禍が急拡大を始めた令和2年(2020年)2月27日から<望塔亭の呈茶>事業は休止。呈茶という行為がお客さまにも、提供する人にも感染リスクあることを熟慮した末の苦渋の決断である。
 22年もの間、好評を博した<望塔亭の呈茶>。まことに残念である。

【予測不能な新型コロナウィルスの猛威】
 コロナ禍については、本ブログに別稿「人類最強の敵=新型コロナウィルス」を連載、すでに52回を数えた。
世界の新型コロナの死者は、今年の7月25日現在で638万人に達した。第一次世界大戦の、少なくとも戦争を起因とする疾病によって亡くなった人(戦病死者)は200万人とされ、その全体の3分の1はスペインかぜなどの疾病が死因とされている(ウィキペディア)が、今回の新型コロナ感染症のみの死者数は、けた違いに多い。
 ワクチンの早期開発と接種のみならず、手洗い、うがい、マスク、社会的距離を取ること等の日常における予防措置の普及徹底を加えても、なお上掲のとおり多数の犠牲者を出している。その意味で、いまだ<人類最強の敵>にほかならない。
 コロナ禍による経済活動の著しい低下も無視できない。それを回避するための企業努力に加え、政府による各種の救済措置や補助金付与もなされているが、倒産ないし事業停止に追い込まれる企業等が多い。
 株式会社帝国データバンクの資料によると、
 (1)「新型コロナウイルス関連倒産」(法人および個人事業主)は、全国に3734件(2022年7月25日16時現在)
 (2)法的整理3466件(破産3287件、会社更生法2件、民事再生法119件、特別清算58件)、事業停止268件
 (3)業種別上位は「飲食店」(571件)、「建設・工事業」(469件)、「食品卸」(192件)、「ホテル・旅館」(150件)など。

【望塔亭の呈茶-その経緯】
 三溪園も来園者数の激減、インバウンドはほぼ皆無という状況が2年半に及び、きわめて厳しい経営危機に直面している。なかでも好評だった<望塔亭の呈茶>は、平成8(1996)年事業開始(シルバーセンター会員により実施)、平成12(2000)年から令和4(2022)年まで22年間の長きにわたる代表的事業の一つであった。
毎月の当番は、
1日~16日が裏千家
17日~23日が表千家
24日~月末が江戸千家
 
 今年の7月6日、上記3流派に「抹茶サービス事業終了のお知らせ」をお伝えし、それに伴い8月4日(木曜)昼、ホテル、ニューグランド内の「熊魚庵 たん熊 北店」において以下の8名の方々をお招きし、<お礼の会>を行った。三溪園からは村田和義副園長、渡邉栄子主事、それに園長の私が参加。
【裏千家】 一般社団法人 茶道裏千家淡交会横浜支部
岡 部 宗 喜 様 (幹事長)
小 野 沢 宗 江 様(副幹事長)
飯 塚 宗 求 様 (副幹事長)
【表千家】 表千家五葉会
五葉会は、望塔亭呈茶事業に参加するにあたり、古田あや子様が創設した会。
古 田 あや子 様 (会長)・・・22年間望塔亭呈茶代表。最高齢の91歳。
 伊 東 正 子 様
 西 村 良 江 様
【江戸千家】 江戸千家不白会神奈川支部
小 山 宗 樹 様
藤 山 宗 祥 様

【開会の挨拶】
 お礼の会は、長く担当してきた渡邉主事の開会の挨拶で始まった。
皆様、お忙しい中お集まりいただきましてありがとうございます。
   本日はこれまでお世話になった各流派の皆様へ感謝の気持ちを込め、ささやかでありますがお礼の会をご用意いたしました。
望塔亭の呈茶事業は、平成12年から今日までの22年間という長きにわたり、茶道団体のご協力を得て事業を進めることができました。これまで続けてこられましたのも、各流派の皆様のお蔭と深く感謝申し上げます。
三溪園を代表する事業のひとつだった望塔亭ですが、非常に残念ではございますがこの度終了することが決まりました。これまで続けてこられましたのも、お集まりの皆様のお力添えがあったからこそであり、お礼の言葉も言い尽くせないほどでございます。誠にありがとうございました。

【お礼のことば-三溪園と茶会】
 ついで私がお礼のことばを述べ、ほぼ以下のような話をした。
国指定名勝・三溪園の存在意義とそれを運営する公益財団法人三溪園保勝会については、その定款の(目的)第3条に次のようにある。「この法人は、国民共有の文化遺産である重要文化財建造物等1」及び名勝庭園の保存・活用を通して、歴史及び文化の継承とその発展を図り、潤いある地域社会づくりに寄与するとともに、日本の文化を世界に発信することを目的とする。」
これら3つの目的のうち、最後の「日本の文化」にはもろもろのものが含まれるが、まず思い出されるのが、茶の湯と生け花ではなかろうか。園内には移築された伝統ある多くの茶室にとどまらず、三溪自身の設計施工による蓮華院(1917年)もある。
 <望塔亭の呈茶>をとくに喜んでくださったのが外国人の方々で、本ブログにも幾度か登場する。なかでも思い出深いのが、2018年3月12日掲載の「女性駐日大使ご一行の三溪園案内」である。
 2018年3月2日(金曜)午後、女性駐日大使13名の方々(アジア、大洋州、中南米、欧州、中東、アフリカ)が、当時の林文子横浜市長招待の懇談後、三溪園まで足を運ばれた。前日の春の嵐も収まり、観梅会の最中、馥郁(ふくいく)たる香の中で、花も枝ぶりも楽しんでいただき、三溪園の魅力をお伝えしたいと準備した。
 「…引率の関山誠国際局長によれば女性駐日大使はいま22名、その過半数が万障を繰り合わせて参加された。日ごろから互いに交流があるようで、打ち解けた会話と笑い声が絶えない。お点前の実演をする大使の姿にまた盛り上がる。…」と書いた。お点前の実演をされたのはガーナ国大使と記憶している。

【村田副園長の挨拶】
 私が三溪園の副園長に着任して5年目になる。日本の文化や四季の風景に自然と触れることが出来る素晴らしい職場である。初めの2年間は平穏な日々が続いたが、3年目に入ろうという時に、新型コロナウィルス感染という問題が世界的に起きてきた。最初は手探りで、とにかく感染拡大を防がないといけない。特に「密閉・密集・密接」の3密が危ないと言われた。三溪園は屋外の日本庭園なので、基本的に「密」ではないのだが、三溪記念館は建物の中なので、とりあえず三溪記念館を一時的に閉鎖することになった。それが令和2年2月27日だった。記念館の中にある望塔亭も休業となった。
 それでも感染は収まらず、4月には緊急事態宣言が出されて、外出が自粛になった。全国の学校も臨時休校になり、三溪園も、臨時休園となった。すべてが初めての体験で、手探りで、緊急事態宣言が解除され、三溪園も6月から再開した。望塔亭も、そのうち再開できると思っていた。
 しかし、第2波、第3波、・・・と続いてやってきた。緊急事態宣言、まん延防止等重点措置が繰り返された。その中で強調されたのが、会話や接触を伴う飲食が危険だと言うことだった。屋外の庭園は再開しても、望塔亭の呈茶は再開できない。まさか、第7波まで来るとは予想できなかった。何とか呈茶を再開できないか、と相談させていただいたが、お客様が安心して楽しんでいただけるような形でなければ再開はできない。茶碗などの道具類の衛生上の問題、サービス提供の仕方の問題、安定的な運営体制の問題など、課題は多かった。
 皆さんの各流派でも、いろいろなご苦労があったと思う。茶会が開けない、教室が開けない、人が集まらないというお話も聞いた。そうした中で、2年半が経ち、今回、残念ながら事業終了という決断に至った。
 皆さんにもお客様にも申し訳ないと思う。お客様の期待は大きかった。特に、外国人のお客様は喜んでくれた。雨の日に、日本人のお客様は少なくても、外国から団体バスのお客様は予定通り来てくれる。そういう方々が望塔亭でお茶を楽しんでくださった様子が印象に残っている。
 原三溪は近代の代表的な茶人で、三溪園とお茶との関わりは深い。望塔亭はいったん終了になるが、これからもお茶とのつながりは大切にしていきたい。皆さんの活動の発展をお祈りしています。

【空前絶後の「三溪園の大師会茶会」】
 なお、三溪園では数多くの茶会が開かれてきた。本ブログでもいくつか書いている。なかでも記憶に強く残るのは、2018年11月1日掲載の「三溪園の大師会茶会」である。
 原三溪の茶道の師匠でもあった益田鈍翁との関係に触れたのち、三溪の主催した茶会に触れる。三溪初の茶会は49歳の時、105年前の大正6(1917)年12月23日正午。彼の「一槌庵茶会記」(三溪記念館の展示「秋の雅趣」に出品、会期は11月6日まで)に、三溪園内の蓮華院寄付き一槌庵(いっついあん)に、益田鈍翁、高橋箒庵、岩原謙庵、梅澤鶴叟を招いたことが記されている。
そして三溪園で初の大師会茶会が開かれたのが、95年前の大正12(1923)年4月21日(土曜)と22日(日曜)の2日間である。幻庵によれば、鈍翁が「やうやく取る年浪に其行末を慮り」、弘法大師筆『崔子玉座右銘』を寄付して財団法人を創設、篤志家に順次預けることとした。これを引き受けたのが55歳の三溪で、聴秋閣移築をもって全園完成とした祝いを込めた。
 三溪園の大師会茶会では、広大な園内に実に18席が設けられた(「大師会会記」=会場で配る案内、色刷りの三溪園平面図付き=本稿末尾に掲載。三溪記念館展示中には「第十八席 食堂」とある)。その様子を詳しく記録したのが幻庵「大師会」(『茶会漫録』第11集、大正14年12月刊。内外商業新報社版では1923年の干支を冠し「癸亥大師会」、7~39ページ)である。
 十八席を一巡するだけでも数時間を要する広い庭園に展開される茶会。展観室の三溪愛蔵品の数々、鈍翁ほかが催主をつとめる個々の席の由来、掛軸、香合・釜・火箸、炉辺の水指・茶碗、菓子・菓子器等々を、幻庵は記述しつつ、「…三溪が趣味嗜好の多岐様に渉れるを知り…」と述べ、箒庵も「…これを細評するの勇気がでない」と、いささか諦め気味である。
 箒庵は末尾で「…本来大師会は一部茶人間の遊戯でなく好古家・歴史家・工芸家等に対して研究上無限の便益を与え…、今度の如く規模雄大になっては…世界各国に檄を飛ばし…本会の事業を世界的にすべし…それが実現するようならば園主には迷惑ながら今一回三溪園を拝借したい」とするが、この提案は現在まで日の目を見ていない。
 そして「…古建築物を保存して折々に之を公共用に供し、…奮って之を提供せられた其盛意に対しては、大師会会員のみならず国家もまた相当の敬意を払って然るべき…」と結ぶ。
 全18席からなる大茶会は、後にも先にも、この三溪園の大師会茶会しかない。その4カ月半後の9月1日、関東大震災が襲い、横浜は壊滅的打撃を受ける。三溪は震災復興の先頭に立ち、私財を投げ打って尽力した。

【呈茶を通じた内外交流】
 参加者の最年長であられる表千家五葉会の古田あや子さんが話し始めた。「…新型コロナのまん延により<望塔亭の呈茶>が終了するのは止むを得ませんが、形はともあれ必ず復活していただきたい。…」と前置きし、「外国人のお客様の笑顔を見たくて、外国語でどう言うのか、簡単な言い方を日々、勉強しました。…」と事例を挙げる。
 さまざまな外国語で呈茶をどう説明するか、現場に立つ方々の努力の跡が偲ばれる資料が三溪園に残っている。例えば、「和敬清寂 お茶の楽しみ方」がその一つ。英語、韓国語、中国語、インドネシア語、フランス語等で作られている。
 「難しく考えることはありません。湯を沸かして茶を飲むだけのことです。周囲のすべてにハーモニーを感じてみてください。お茶を飲む前にお菓子を召し上がってください。最初に茶が出されたら、お茶の先生に向かってお辞儀をしましょう。
 次に茶碗の正面はどこでしょうか。わかりやすい図柄のあるなしに係らず、あなたに向けられた面がいつも正面です。
 第3に、茶碗を左の手のひらに乗せます。
 茶碗の正面から飲むのを避けるため、右手で時計回りに少しずらし、三口か四口に分けて飲んだらよいでしょう。
 第4に、あなたが飲んだ茶碗の縁を親指と人差し指で軽く拭きます。拭いた指は、ハンカチかきれいなもの(懐紙など)で拭きます。
 第5、茶碗の正面があなたに向くように反時計回りに戻します。茶碗の姿、形を鑑賞しながら、先生がどのようにあなたにおもてなしされたのか推量してみましょう。
 最後に、また茶碗を時計回りまたは反時計回りに回し、正面が先生に向くように置いてお互いにお辞儀をします。
 落ち着いた気分になれましたか?それともかえって緊張されましたか?
 三渓園にようこそお出でくださいました。ご家庭でコーヒーを飲まれるとき、時には、今日のことを思い起こしてみてください。」


【1日の呈茶数ベスト3】
 ついで3つの流派に対して、内田弘保理事長名の感謝状を贈呈した。
 そして渡邉主事が記録に基づき<望塔亭の呈茶>で提供した1日あたりの回数のトップ3を紹介した。
 裏千家は、①平成22(2010)年4月4日の801服、②その前日の4月3日が702服、そして③平成23(2011)年4月10日が677服である。
 江戸千家は、①平成20(2008)年3月29日が585服、②平成22(2010)年11月28日が574服、③平成28(2016)年11月26日が574服である。
 表千家は、①平成20(2008)年11月23日が602服、②平成28(2016)年11月20日が568服、③平成26(2014)年11月23日が567服である。
 春の桜の季節と秋の紅葉の季節に集中している。また平成23(2011)年3月11日14時46分に発生した東日本大震災前後の年に集中しているのが、心に残る。なにか格別の因果関係があるのだろうか。

【会食の合間に拙著を寄贈】
 会食が一段落した折に、拙著『幕末外交と開国』(講談社学術文庫 2012年)を各位にお渡しした。
 会場は5階で、見事な眺望である。正面には係留された旧氷川丸、その右方向にガンダム、左手には大桟橋が見える。
本書はペリー来航と日米和親条約(1854年)の締結にいたる過程を描いているが、この条約は戦争を避けて結ばれている。この開国を決めた最初の日米交渉が開かれたのが、この大桟橋の付け根から現在の神奈川県庁にかけての一画に設けられた横浜村の<応接所>であった、とお伝えした。
 今を去る168年前のことである。
本書の第5章「1854年 ペリー再来」、条約内容をめぐる最初の日米トップの論戦(1854年3月8日、横浜村の応接所にて)の概要を紹介した。
○ペリー「我が国は以前から人命尊重を第一として政策を進めてきた。自国民はもとより国交のない国の人でも、漂流民を救助し手厚く扱ってきた。しかしながら貴国は人命を尊重せず、近海の難破船を救助せず、海岸近くに寄ると発砲し、日本へ漂着した外国人を罪人同様に扱い、投獄している。日本国人民を我が国人民が救助して送還しようにも受取らない。いかにも道義に反する行為である。我が国のカリフォルニアは太平洋をはさんで日本国と相対し、往来する船はいっそう増える。貴国の国政が今のままであっては放置できない。国政を改めないならば国力を尽くして戦争に及び、雌雄を決する準備がある。我が国は隣国のメキシコと戦争をし、国都まで攻め取った。事と次第によっては貴国も同じようなことになりかねない。」
○林大学頭「戦争もあり得るかもしれぬ。しかし、貴官の言うことは事実に反することが多い。伝聞の誤りにより、そう思いこんでおられる。我が国は外国との交渉がないため、外国側が我が国の政治に疎いのはやむをえないが、我が国の政治は決して反道義的なものではない。我が国の人命尊重は世界に誇るべきものがある。第一、この三百年にわたり太平の時代が続いたのも人命尊重のためである。第二に、大洋で外国船の救助ができなかったのは大船の建造を禁止してきたためである。第三に、他国の船が我が国の近辺で難破した場合には、必要な薪水食料の手当てをしてきた。他国の船を救助しないというのは事実に反し、漂着民を罪人同様に扱うというのも誤りである。漂着民は手厚く保護し、長崎に護送、オランダカピタンを通じて送還している。貴国民の場合も、すでに措置を講じて送還ずみである。不善の者が国法を犯した場合はしばらく拘留し、送還後に本国で処置するようにしている。貴官が我が国の現状を考えれば疑念も氷解する。積年の遺恨もなく、戦争に及ぶ理由はない。とくと考えられたい。」

 この応酬が事後を決めた。ペリーは贈り物の陸揚げしたいと提案。蒸気機関車(SL)と貨車の4分の1モデルに4キロメートル分のレールに設営のための技師も連れてきた。ほかに電信機(モールス信号)、各種の農機具や種子類で、当時のアメリカが誇るものばかりである。
 日本側の返礼はコメ、60キロ入りの米俵を2俵左脇に抱え、右肩にも2俵を担ぐ力自慢の力士・鏡岩を描いた刷り物が残っている。

 ロシアのウクライナ侵攻に終わりが見えないなか、一門の大砲も火を噴かず、話し合いで決まった日本の開国の意義をお伝えしたかった。

 世界がバランスを取り戻し、<望塔亭の呈茶>がよみがえる日を心から待ちたい。
プロフィール

Author:加藤 祐三
日本の歴史学者

横浜 市立大学名誉教授

国指定名勝・三渓園(横浜)
前園長(2012年8月~2023年3月)

・前都留文科大学長
(2010~2014)

・元横浜市立大学長
(1998~2002)

主な著書
「イギリスとアジア」
         (1980年)
「黒船前後の世界」(1985年)
「東アジアの近代」(1985年)
「地球文明の場へ」(1992年)
「幕末外交と開国」(2012年)
蒋豊訳「黒船異変」(2014年)
蒋豊訳「東亜近代史」
         (2015年)

 など

専門
・近代アジア史
・文明史

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