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春が来る

 前回のブログ「大寒をしのげば」(2月2日掲載)で、南関東の厳冬期は<大寒>ではなく<立春>のころと書いた。
いよいよ春が来る。「春は名のみの風の寒さや 谷の鶯 歌は思えど 時にあらずと 声も立てず…」(唱歌『早春賦』 1913年)。
春をもっとも敏感に感得するのは五感のうち、どれであろう? 一輪一輪と蕾が開く可憐な白梅、地表から顔を出す淡緑のフキノトウ、それに常緑の広葉に真っ赤な花のツバキ(椿)等が思い浮かぶ。
 都留文科大学に勤めていた時、残雪の藪で鶯がチッチチッチと笹鳴きを始め、春の進行に合わせるようにホーホケッからホーホホケキョと変わっていくのを楽しんだ。鶯は鳴かねど梅は咲く。三溪園は梅の名所でもあり、いま満開の樹もある。
2月19日(土曜)、自宅近くの秘密基地でフキノトウを摘み、蕗味噌をつくった。ほろ苦さと野生の香りが、眠っていた細胞を呼び覚ます。そう、「春の皿には苦味を盛れ」ともいう。
 
【所蔵品展  四季のうつろい―春の兆し】
 三溪園では17日(木曜)、「所蔵品展  四季のうつろい―春の兆し」が三溪記念館の第1、第2展示室で始まった(~3月16日(水曜)まで)。企画・実施は今回も吉川利一学芸員。事業課長の業務もこなしつつ完成にこぎつけた。
梅の見ごろは2月上旬から3月上旬、それに合わせて「梅の盆栽展」(2月13日~2月20日 終了)、「合掌造りの雛飾り」(2月9日~3月7日)、「俳句展」(3月10日~6月1日)が並行して行われる。
吉川さんの構想、個々の展示品の解説を抄録し、展示の様子をご案内したい。

【第1展示室】
 「百花のさきがけ」⇒どの花よりも早く咲き春の訪れを告げてくれることから、梅はこのような言葉で表現されます。
寒中にも凛として咲く風情を原三溪もたいへん好んだようで、三溪園を開園してまもない明治41(1908)年には、江戸時代から梅の名所として知られた東京の蒲田、川崎の御幸(みゆき)、横浜の杉田(磯子)から2000本もの古木をここに集めました。現在 “臥竜梅 がりょうばい”として遺されている木はこの時のものといわれています。
 園内では3月上旬ごろまでが見ごろ。本展では、この梅を中心に春を予感させてくれる作品を紹介します。

■歌川広重「富士三十六景 武蔵本牧のはな」 
 「はな」は突き出たものを指す言葉で、本図では右側にある垂直に切り立った崖が「はな」、すなわち岬です。対岸には富士山とその手前に磯子の浜、白い帯状の部分は江戸時代からその名を知られた杉田梅林と思われます。
 三溪園は原三溪の先代・善三郎がこの地に別荘・松風閣を構えたことに始まりますが、善三郎にこの地の購入を決めさせたのが本作品といわれています。松風閣の跡地に建てられた展望台からは今でも往時と同じ眺めが楽しめます。

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■原三溪「曽我城前寺 そがじょうぜんじ」
 小田原市にある城前寺は、鎌倉時代に父親の仇討ちを果たしたことで有名な曽我兄弟の菩提寺。周辺には梅林が広がり、梅の名所としても知られています。
 画面では、梅が咲く早春の風景の先に真っ白な富士山も描かれています。


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■原三溪「梅花五絶」
 香りがいっそう際立つとされる
 夜の梅を詠んだもの。
 梅花江上寺
 吟趁月明行
 疎影鐘声古
 寒香仏胆清

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■雛人形
 三溪が長女・春子誕生の際に誂えたもので、櫟(いちい)の木で作られています。屏風には三溪が支援した日本画家・前田青邨による柳と桜が描かれています。西郷家寄贈

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■今村甚吉宛 原三溪書簡 明治37(1904)年2月26日
 今村甚吉は法隆寺西門前町で仏教美術を専門に扱っていた骨董商。現在三溪園ではこの人物に宛てた三溪の書簡を31通所蔵しています。いずれも三溪の古美術・古建築の蒐集や庭園造成に対する価値観、思いなどを知ることができる貴重な資料です。
 展示中の書簡では、日露戦争中のため、よほどの名品以外は収集を控えたい、庭石100個ほどを秋にでも自ら足を運んで選びに行きたい、豊公御堂(旧天瑞寺寿塔覆堂 きゅうてんずいじじゅとうおおいどう)の移築はしばらくそのままとしておきたいといった旨の内容が書かれています。

【第2展示室】
■原三溪「飛騨紀行貼交屏風 ひだきこうはりまぜびょうぶ」
 本作品に貼り込まれた書画は、いずれも三溪が飛騨地方を訪れた際の印象やスケッチをもとに制作したもので、うち2面には桜の風景が描かれています。冬の間、深い雪に閉ざされる飛騨地方の春の開放感が伝わる作品です。

■牛田雞村「柳図」
 金地に柔らかな曲線の枝と淡い緑の葉を図案的に描いた画面からは、春の穏やかな情景が伝わります。三溪が遺した記録には一双(2つで1組)の「雞村柳屏風」を縁者に半双ずつ贈ったとあり、本作品がこのうちの一つにあたるものと考えられます。

■狩野周信「鶴図」 臨春閣の障壁画
 三溪園にある歴史的建造物の中で、三重塔と並ぶ代表的な建物が臨春閣です。江戸時代初期、紀州徳川家の別荘として築造されたといわれるこの建物の内部には障壁画が付属しており、本作品はこのうちの第一屋・鶴の間に嵌め込まれていたものです。(現在建物内には複製を置いています。)
 松竹梅を配した画面にはそれぞれ異なる姿態の6羽の鶴が描かれています。


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【三溪園の梅】
 22日(火曜)、気温が12℃まであがり、春を強く感じる。来園者も増えた。記念館を出て白雲邸の屋根を眺める。檜皮葺(ひわだぶき)の屋根の葺き替え工事が完成したときの鮮やかな褐色の屋根(2017年4月3日掲載の拙稿「白雲邸屋根の葺き替え」)が深い色合いになってきた。
 そして改修工事(2018年度~)の終了を待つ臨春閣を飽きず眺める。工事の途中経過は2019年3月15日掲載の拙稿「臨春閣の屋根葺き替え工事」を参照されたい。屋根葺き替え工事や耐震工事の施工、資金難等々、いくつもの難関を乗り越えて今に至る。
臨春閣を最適の角度で視野に収めるビューポイントの近くにオオシマザクラ。声をかける。
 ついで孟宗竹林と蓮華院の脇を抜け、海岸門をくぐると、あたりには猫たちがのんびりとたむろしている。<緑萼梅>(りょくがくばい)が勢いよく咲き始めている。横浜の友好都市・上海から1977年に移植した珍種で、緑色の萼(がく)と白い花が混ざって薄緑色を見せる。横浜から贈った桜の返礼という。

【早咲きの白梅と虚子の句碑】
 <三溪園茶寮>近くの白梅は園内いちばんの早咲きで真っ盛り、高浜虚子の石の句碑と相並ぶ。「鴨の嘴(はし)より たらたらと 春の泥」(1933年の作品)。
鴨の字から、この大池に住む鴨を詠んだと何となく思っていた。
 しかし腑に落ちない。「鴨の嘴」(カモノハシ)とも読める。カモノハシは全長50センチほどの卵生の哺乳類、オーストラリアだけに棲む珍獣、日本国内の動物園で飼育された事例はないという。ならば<写生>の句ではない。
二つの意味を重ねたのか。 虚子先生、恐れ入りました! 

【臥竜梅は咲き始め】
 先へ進んで<臥竜梅>(がりょうばい)。その名の通り竜が臥すが如き姿で、白い花がまさに咲かんとしている。三溪が支援した画家の一人、下村観山(1873~1930年)の有名な絵「弱法師」(よろぼし 1915年)のモデルの木として有名であり、多くの人がこれを目指して来園する。
 関東の梅栽培は、江戸時代初期(17世紀)に始まる。三溪園は東京の蒲田(現梅屋敷)、川崎の小向(多摩川河川敷)、横浜磯子の杉田から名木を集め、1906年の開園当初から梅の名所として知られた。観梅会には初音茶屋で麦茶を供すが、今年もコロナ禍のため中止している。
 名画「弱法師」の画題は能(謡曲)に因む。「河内国(現大阪府)の通俊は,人の告げ口を信じて、わが子の俊徳丸を追い出す。悲しみのあまり盲目となり乞食の弱法師と呼ばれた俊徳丸は,梅が咲く四天王寺(聖徳太子建立、6世紀、最古の仏教寺院)で施行(僧や貧しい人びとに物を施し与えること)を受ける。寺の縁起などを語るうち,父はわが子と気づき,日想観 (にっそうかん、西に没する日輪を観て、極楽浄土を想い浮かべる修行) を子にすすめる。弱法師は夕日に向かい、舞い狂う。」(2018年3月12日掲載の拙稿「女性駐日大使ご一行の三溪園案内」を参照)。

【合掌造りの雛人形】
 24日(木曜)も園内を一巡できた。合掌造り(旧矢箆原家住宅)には数組のお雛様が飾られている。写真はそのうちの一つ。昭和初期、東京日本橋室町の一画、十軒店(じっけんだな)麗山豊玉斎製とある。撮影は村田和義副園長

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【2体の石仏】
 合掌造りを背に下ると、石造の<大漁地蔵>。手のひらに硬貨が置いてあった。来園者が置いたのであろう。私も必ず手を合わせる。左前方の高みに三重塔が見える。その尾根ぞいに石造の<出世観音>がある。2体の石仏は相呼応しているように思える。
 <大漁地蔵>のすぐ先にある茶屋の<待春軒>(たいしゅんけん)では、名物の<三溪そば>(<三溪麺>ともいう)を出す。原三溪が自ら考案したとされるもので、中華のジャージャー麵に似ている。<待春軒>を過ぎると、満開の白梅と紅梅、さながら門構えのように立っている。

【水ぬるむ春の護岸工事】
 外苑最奥にある旧東慶寺仏殿脇の滝に発する<流れ>が大池に至るまでの護岸工事が終盤を迎えている。水際の美しさを保ちつつ、土壌の流出を防ぐため、ヒノキの表皮を剥いだ丸太(長さ130センチほど)を3分の2ほど、計1200本も打ち込んで岸壁とする。完成前であっても美しい。

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【自然観察会の看板にある写真】
 正門に戻り、ボランティアの有志メンバー<自然観察会>の看板「見ごろの植物など」を眺めた。定期的に更新して季節の移り変わりを伝え、植物等の名前、学名、分類名、撮影場所と年月日が記されている。コロナ禍のため、引率して園内を巡回する自然観察会はほぼ2年間ちかく休止を余儀なくされていたが、昨年の11月から再開した。3月10日(木曜)の予告に「当面は密集、密接を避け、1グループ5名程度」の但し書きがある。
 右欄にカワウ、ハクセキレイ等5種の鳥の写真と、1月22日に展望台から遠望した富士山と合わせて6点の写真。なお越冬のため飛来したキンクロハジロはほとんど北へ帰ったようである。
 左欄の「見ごろの植物」の写真は計15種。そのつど入れ替えるため、撮影年月日順に並べ替えると、次にとおりである。
2021年11月27日のヤブツバキとスイセン
12月7日のクマザサ
2022年1月6日のロウバイ、ソシンロウバイ、ウメ
1月22日のコウバイ、ヒイラギナンテン
2月6日のフキノトウ、ガリョウバイ、カントウタンポポ
2月15日のノシラン、リョクガクバイ、ヤクシマツバキ(リンゴツバキ)、ベニワビスケ。
 看板の前で幾人もの人が、「…これ見なかったわね。…」、「これは見たい。…」と言い交す。撮影日ごとの花の変化から、徐々に「春が来る」のを感じる。
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人類最強の敵=新型コロナウィルス(47)

 1月18日(火曜)午前に掲載した本連載(46)以降、急速に事態が進展した。東京、埼玉、千葉、神奈川の首都圏4都県と愛知、岐阜、三重の中部3県に加えて群馬、新潟、香川、長崎、熊本、宮崎の6県が加わり、政府の新型コロナ対策本部で正式に決定した。首都圏で宣言や重点措置の適用は2021年9月末以来となる。
 9日から適用している広島、山口、沖縄とあわせ適用の対象は16都県となる。期間は21日(金曜)午前0時から2月13日(日曜)までの約3週間とした。また大阪、兵庫、京都の3府県もいずれかが重点措置の適用が必要と判断すれば共同で政府に要請する方針で、対象地域はさらに増える可能性がある。政府は要請があれば迅速に判断するとしている。

【人流抑制より人数制限を!】
 19日(水曜)午前、基本的対処方針分科会終了後、新型コロナウイルス感染症対策分科会の尾身茂会長は記者団の取材に応じ、新たな変異型オミクロン株への対応策について「人流抑制より人数制限だ」と述べた。飲食時の人数を1グループ4人以下とすべきだとの見解も示し、こうした対策をとれば「ステイホームや店を閉めること、外出自粛などは必要ない」と言及した。
 オミクロン株は感染力が強いなどの特徴がある。尾身氏は「オミクロン株の特徴にふさわしい効果的でメリハリのついた対策を打つ必要がある」との考えが専門家の共通認識であるとも説明した。

【首相の3回目ワクチンはモデルナ製】
 19日の読売新聞は、岸田首相が自らの新型コロナウイルスワクチンの3回目接種で米モデルナ製を使用する方向で調整に入った。これまでは米ファイザー製を接種しており、2回目までと異なるワクチンを使う<交互接種>の有効性をアピールしたい考えと見られる。
 政府は、3回目接種の実施を急いでいるが、ワクチンの希望がファイザー製に偏れば供給が追いつかず、前倒しの計画が狂う恐れがあるため、交互接種の推進に向け、首相が啓発役を担う。首相は18日、首相官邸で「モデルナの活用が不可欠だ。交互接種の安全性、有効性も丁寧に説明していく」と記者団に語った。

【濃厚接触者の急増への対処】
 20日(木曜)の日経新聞は、「濃厚接触180万人試算、社会機能に支障 人手不足深刻に」の見出しで次のように伝えた。
▽感染力の強いオミクロン型の新型コロナウイルスが国内で急拡大し、社会機能の維持に支障が出る懸念が高まっている。1日4万人ペースの新規感染が続くと、試算では自宅待機などを求める濃厚接触者が今月内に180万人を超える。保育園の休園で保護者が欠勤し、人手が足りなくなる職場が続出する恐れもある。官民で柔軟な対応への転換を急ぐ必要がある。
▽全国の新規感染者数は19日に4万人を超えて過去最多となった。日本のコロナ対応では陽性者に10日間の療養を求め、濃厚接触者と認定された人にも自宅などでの10日間の待機を求めている。国立感染症研究所などの分析によると、陽性者1人につき濃厚接触者は5人ほどいる。
▽厚労省の定義ではマスク着用などの予防策をとらずに陽性者と1メートル以内で15分以上接触があった場合、濃厚接触者という扱いになる。保健所が逐一追跡する「積極的疫学調査」で突き止め、感染拡大防止のために待機を求めてきた。オミクロン型は拡大スピードが速い。従来型の対応を続けていては社会が回らなくなる懸念が強い。潜伏期間が比較的短く重症化率も低いとされる特性を踏まえれば、対策の転換が必要になる。
▽海外は柔軟に動いている。米国は濃厚接触者の隔離はワクチンを3回接種済みなら不要とした。英国も2回接種済みで隔離の必要がなくなる。
▽日本は保健所を中心とする対応がオミクロン型の急拡大に追いつかなくなってきた。日本医師会の釜萢敏常任理事は「時間をかけて積極的疫学調査をしている間に感染が広がってしまい、効果は限定的だ」と見直しを求める。
▽神奈川県は調査に優先順位をつける。「市中感染も含めて全ての陽性者を調べていく作業はマンパワーに限界がある」と判断した。保健所がリスクのある高齢者や障害者の施設など調査すべき対象を絞る。
▽神奈川県内の新規感染者数は1990人(18日時点)と前週比で5倍近くに膨らんだ。自宅療養者は既に約8000人に上る。県は一段の逼迫を想定し、軽症者や無症状者については自宅療養に入る前の医療機関の診断と保健所による聞き取りを省略することも検討する。患者自身が専用サイトで症状などを入力し、自宅療養に移行する想定だ。現場業務を簡略化し、負担を軽減することで医療が本来必要な人に届くようになる。
▽さらに社会機能を維持する観点から懸念されるのは保育園の休園の増加である。子どもで感染者や濃厚接触者が出ると、保護者に広く影響が及ぶ。過去の感染拡大局面では看護師や介護士などエッセンシャルワーカーが出勤できなくなる事例が相次いだ。厚労省によると1月13日時点で全面休園している保育所は86カ所。1週間前の7カ所から急増した。その後も全国で感染拡大が続き、14日以降も休園は増えているとみられる。休園数は第5波さなかの2021年9月2日の185を超える可能性もある。

【大阪、兵庫、京都の3府県も適用要請】
 20日、大阪府の吉村知事は新型コロナウイルス対策の「まん延防止等重点措置」の適用を政府に要請する方針と府庁内で記者団に語った。大阪、兵庫、京都の3府県は19日、いずれかの府県が重点措置の適用が必要だと判断した場合、共同で政府に要請することで合意していた。近く3府県で足並みをそろえ要請する。
 吉村氏は府内の病床使用率が35%に達した場合に重点措置を要請すると表明していた。19日時点では31.3%だったが、感染者数等の状況次第では35%に達していなくても要請を判断する可能性に言及していた。大阪府では19日に6101人の新規感染者が確認され、2日連続で過去最多を更新していた。

【渡航規制の撤廃いかん】
 19日、世界保健機関(WHO)は新型コロナウイルスの専門家による13日の緊急委員会の結果を公表した。同委員会は新型コロナに関わる渡航規制を撤廃するか緩めるよう加盟国に勧告した。実施する価値がなく、経済的・社会的な負担を各国に強いるためだとしている。
 同委員会は変異型「オミクロン型」が発見された後に各国が導入した渡航制限が感染拡大を防げず失敗だったとして「こうした対策が効果的でないことが明らかになった」とした。ただ日本をはじめ複数の国で渡航制限が続いている。
 欧米では渡航制限の緩和に踏み切る動きも出ている。米国は2021年12月末、往来制限による抑制効果は乏しいと判断して南アフリカなどアフリカ南部8カ国からの入国制限を解除した。英国はオミクロン型対策として英国に入国する12歳以上の全ての人に義務づけていた検査を1月から廃止した。英政府は「オミクロンは英国内で支配的な変異型であり、対策はもはや妥当ではない」と理由を説明している。
 これに対して、木原誠二官房副長官は20日の記者会見で「引き続き2月末まで現在の水際対策の骨格を維持する」と説明、世界 保健機関(WHO)緊急委員会が各国に渡航規制の撤廃や緩和を求める勧告を出したことについて答えた。
 対策を続ける理由について「現時点で国内外における(変異型の)オミクロン型の感染状況は引き続き大きな差があることは明らかだ」と述べた。一方で「人道上、国益上の観点から必要な対応はとっていきたい」とも話した。政府は17日に国費留学生87人の新規入国を認めると公表した。

【まん延防止措置の効果をめぐり専門家の見解分かれる】
 24日の朝日新聞デジタル版は、「重点措置の効果は? 政府や専門家、見解定まらず」の見出しで、「オミクロン株流行下で重点措置を要請した首長が効果に首をひねる背景には、政府や専門家の見解が定まっていない現状がある」とし、次のように述べた。
▽松野博一官房長官は重点措置の効果について、24日の記者会見で「夜間滞留人口の減少など、人と人との接触機会の低減に効果を発揮することが期待をされる」と述べた。だが政府内には、飲食店を主に対象にした対策に対して「都市部では効果は限定的」(内閣府幹部)との見方もある。
▽政府分科会の専門家たちは一律の「人流制限」でなく、感染リスクの高い環境での対策を重視する方向性を打ち出した。専門家の一人は、「リスクの高い場面をもう一度認識してもらい、それをやめてもらう。重点措置の適用により、みなさんへのメッセージ効果はあるだろう」という。
▽ただ、感染力が強いオミクロン株が猛威を振るっていることから、より強い対策を求める声もある。国際医療福祉大の松本哲哉教授(感染症学)は「このままでは1日の感染者数が10万人を超える。このタイミングで期限を区切って緊急事態宣言のような厳しい制限をした方が良い。急激な感染者数の増加を抑えられればピークを下げることができる。この2週間が勝負だ」と強調した。
▽オミクロン株について「学校や職場、家庭内などいろんな感染経路がある。対策の一番はみんなが集まって長い時間過ごすことを避けること。学校ではリモート授業にしたり、生徒を半分ずつずらして登校したりすることが必要になる。職場ではリモートの導入率を上げることだ」とした。
▽一方、日本大危機管理学部の福田充教授は、出口戦略なき対策強化に否定的だ。重点措置の拡大や緊急事態宣言を出すことは「前例踏襲、型にはまったやり方」と言う。「重点措置などを出して人流を制限するのは、一番楽な危機管理。住民を信頼していないともいえる。警告や行動抑制のために重点措置を使うのは本来の手法と違う。今のままでは、この先も重点措置を繰り返し、その呪縛から逃れられない」
▽どうすればいいのか。「出口戦略を構築すべき時だ。それを示し、強い措置でなくても個人の自発的な行動で感染予防を実践する状況をつくる必要がある。対策を徹底することで飲食店は営業でき、イベントは開ける。社会は回せる。そのために自分たちの行動を変えていくとなれば、強い措置がなくてもコロナと共存していくことができる。首相をはじめとしたリーダーが課題を設定し、メッセージを発信していかねばならない」と訴える。

【まん延防止措置の適用、新たに18道府県へ】
 25日(火曜)、政府は新型コロナウイルスに対処する「まん延防止等重点措置」の対象に大阪など18道府県(大阪、兵庫、京都、北海道、青森、山形、福島、茨城、栃木、石川、長野、静岡、島根、岡山、福岡、佐賀、大分、鹿児島)を追加すると決めた。すでに適用中の東京など16都県と合わせて全国の7割超にあたる34都道府県へ拡大した。変異型「オミクロン型」の感染急増に対応する。追加地域の適用期間は27日から2月20日までの3週間。

【ウクライナをめぐり米ロ対立が解けず】
 25日(火曜)の日経新聞【ワシントン=坂口幸裕】によれば、米国防総省のカービー報道官は24日の記者会見で、緊迫するウクライナ情勢をめぐり、同国周辺の東欧地域に最大8500人規模の米軍を派遣する準備に入ったと明らかにした。ロシアによるウクライナ侵攻に備え、北大西洋条約機構(NATO)が出動を決断すれば即応部隊に加わる。
 翌26日(水曜)の日経新聞は、次のように伝えた。「ロシアによるウクライナ再侵攻を警戒し、米欧はウクライナ周辺の東欧地域に派兵する準備に入った。政治体制が異なる核保有国同士が直接対峙するのは冷戦期以来の事態だ。米ロが直接衝突する可能性は低いとみられるが、偶発的な事象をきっかけに緊張が高まりかねない。米欧が資源大国であるロシアへの制裁に踏み切れば、影響は世界経済に及ぶ。金融市場には動揺が広がっている。」

【訪問医らが散弾銃で打たれる】
 28日(金曜)の朝日新聞デジタル版によれば、埼玉県ふじみ野市で散弾銃を持った男が人質をとって住宅に立てこもった事件があり、埼玉県警は発生から約11時間後の28日朝、住宅に突入し、この家に住む無職渡辺宏容疑者(66)を殺人未遂の疑いで緊急逮捕した。
人質となっていた医師の鈴木純一さん(44)=東京都港区=は銃で撃たれており、死亡が確認された。ほかに撃たれるなどして2人が救急搬送された。
 捜査1課によると、逮捕容疑は27日午後9時ごろ、自宅で鈴木さんを散弾銃で撃ち殺害しようとしたというもの。渡辺容疑者は警察官とのやりとりで「訪問看護に怒っていた」と話したが、逮捕後は黙秘しているという。県警は容疑を殺人に切り替えて調べるとともに、遺体を司法解剖して死因を調べる。
 渡辺容疑者と同居していた母親(92)は、数年前から鈴木さんが院長を務める在宅クリニックを利用していた。26日に鈴木さんが死亡確認をしたという。鈴木さんら医療関係者7人は翌27日夜、呼び出しを受けて渡辺容疑者宅を訪れた。鈴木さんのほか、理学療法士の男性(41)が銃で撃たれ、意識不明の重体。30代の医療相談員の男性は催涙スプレーをかけられたとみられる。
 渡辺容疑者はその後、鈴木さんを人質に立てこもった。県警は固定電話で渡辺容疑者とやりとりしていたが、28日朝になって通話に応じなくなったため、午前8時ごろに玄関の鍵を壊して閃光(せんこう)弾を使い、住宅に突入した。その際、渡辺容疑者は6畳間のベッドと窓の間に身を隠し、鈴木さんは畳の上で仰向けに倒れていた。ベッドには母親の遺体が横たえられ、散弾銃1丁があったという。

【オミクロン株の急増と各国の対応】
ゼロコロナとウィズコロナ

【ミャンマー軍事クーデターから1年】
 2月1日のNHKのNラジ(「読むラジオ」)は次のように伝えた。「ミャンマーで軍がクーデターを起こしてから、きょう(2022年2月1日)で1年となる。きょうはミャンマーの全土で軍の統治を拒む市民が一斉に仕事を休んで外出を控える、「沈黙のストライキ」が行われた。一方、軍は、クーデターに伴って発令していた非常事態宣言を半年間延長することを明らかにし、今後も全権を掌握し続ける姿勢を示した。クーデターが起きてから、軍は抵抗するZ世代の若者など市民に対する弾圧を続けている。現地の人権団体によると、市民の犠牲者は、きのうまでに1503人に達し、1500人を超えた。また、およそ1万2千人が拘束されている。国際社会、そして日本には、何が求められているのか。最新のミャンマー情勢、そして抵抗を続けるZ世代の「今」を掘り下げながら考る。」

【ウクライナ情勢の緊迫】
アメリカ 東欧へ軍3000人派遣

【北京冬季五輪ひらかれる】
 2月4日(金曜)、北京冬季オリンピックの開会式が北京市内の国立競技場<鳥の巣>で開かれた。14年前の夏季オリンピックの開会式と同じ会場である。
 オリンピック外交と呼ばれる首脳同士の会談が開かれ、とくに4日にロシアのプーチン大統領と習主席の会談が注目を集めた。両首脳は中ロ関係や、国際社会の戦略的な安全と安定にかかわる一連の重要問題を巡り、踏み込んだ意見交換を行った。会談後、双方は「新時代の国際関係と世界の持続可能な発展に関する中華人民共和国とロシア連邦の共同声明」を発表した。プーチン大統領は天然ガスの中国への提供を提案、ウクライナ問題などを背景に中国にすり寄った形だが、中国側から実質的な支援は得られずに終わった。
 また5日(土曜)、習近平主席はカザフスタンのトカエフ大統領と北京で会談した。中国外務省の発表によると、1月に起きた騒乱を制圧して権力を完全に掌握したトカエフ氏に対し、習氏は「カザフスタンには国の安全と社会の安定を守る能力があると信じている」と語り、必要な支援を行う用意があることも伝えた。
 中国にとって、カザフスタンは経済政策「一帯一路」の要衝でもある。習氏は貿易や農業、インフラ建設などを優先して協力を進めるとともに、地域安全保障についても「意思疎通を強化したい」とした。

【日本のインフラ高齢化】
 6日(日曜)、日経新聞は「インフラの高齢化」のタイトルで次のように伝えた。「全国で道路や橋などのインフラの老朽化がとまらない。9人が亡くなった2012年の中央自動車道のトンネル崩落事故から9年。総点検して修繕・更新を進めるはずが、予算や人手の不足で対応は後手に回る。トンネルの約4割は早急に手当てしないと危険な状態のまま。人口減も見据えて優先順位をつけ、ばらまきを排した投資を急ぐ必要がある。センサーやドローンなど新技術を活用した保守点検の効率化もカギになる。」

【13都県で13日まで期限の延長】
 政府は10日、新型コロナウイルス対策の「まん延防止等重点措置」に関し、東京など13都県で13日までとする期限の延長を専門家に諮る。12日から高知県も追加し、新たな期限をいずれも3月6日とする案を示す。変異型「オミクロン型」の感染拡大や病床使用率の高まりに対処する。

【北京オリンピック、日本勢の奮闘ぶり】
 11日(金曜)、北京冬季五輪 8日目のスノーボード男子ハーフパイプ(HP)の決勝が行われ、日本の平野歩夢(TOKIOインカラミ)が金メダルを獲得した。スノーボードで日本勢の優勝は初めて。
 17日(木曜)、スピードスケート女子1000メートルで高木美帆(日体大職)が1分13秒19の五輪新記録をマークし、個人種目では五輪初となる金メダルに輝いた。今大会の1500メートル、500メートル、団体追い抜きの3種目ですべて2位だった高木美は、冬季五輪の日本勢で最多の1大会4個目のメダル獲得。前回平昌大会と合わせると7個目で、夏冬を通じて日本女子の最多記録を更新した。この種目で前回2位の小平奈緒(相沢病院)は10位だった。
 20日(日曜)午後8時(日本時間同9時)から、北京市の国家体育場(愛称・鳥の巣)で閉会式が行われ、17日間の熱戦が幕を閉じた。日本勢は、冬季大会で最多を更新するメダル18個(金3、銀6、銅9)を獲得。新型コロナウイルス禍で調整に苦しんだ選手も多い中、同じくメダル数の最多を更新した昨夏の東京五輪に続いて高い競技力を示した。
 閉会式に先立ち、カーリング女子決勝でロコ・ソラーレの日本は英国に敗れ銀メダルだった。2位は日本勢の過去最高成績。スキー距離女子30キロフリーには石田正子(JR北海道)らが出場。アイスホッケー男子は決勝、フィギュアスケートはエキシビションがあり、羽生結弦(ANA)らが出演。

【昨年10~12月期のGDPは年率換算で(2期ぶりに)5.4%増】
 15日(火曜)の日経新聞は、「日本経済は一進一退の状況が続いている。2021年10~12月期の実質国内総生産(GDP)は年率換算で(2期ぶりに)5.4%増とプラス成長を確保したが、緊急事態宣言で消費が大きく落ち込んだ7~9月期の反動という側面が大きい。米国やユーロ圏のGDPはすでにコロナ前の水準を超えたものの、日本はいまだ届かない。感染力の強いオミクロン型の流行に伴い、年明け以降の景気も急減速が避けられない」と伝えた。
 三溪園への来園者数も、ほぼこれと同じで、10~12月期はかなり増加したものの1~2月期は減少している。毎年、冬の来園者は減少するという季節変動要因があるが、これに景気の動向が加味されたと見られる。

【新技術<人工光合成>への取り組み」
 17日(木曜)の日経新聞によれば、三菱ケミカルやトヨタ自動車、東京大学などは、太陽光と二酸化炭素(CO2)を使って化学原料を作る新技術<人工光合成>の大規模実証実験を2030年に実施する。まず水素製造コストで石油由来の方法と同程度に下げる。同技術は石油に頼らず化学原料を作ることができ、脱炭素技術の切り札といわれ、産官学で研究開発を加速、40年までの実用化を目指す。

【緊迫するウクライナ情勢】
 17日(木曜)、ブリンケン米国務長官は国連安全保障理事会での演説で「ロシアは攻撃のための口実づくりを計画している」と訴えた。具体策として①テロリストによるロシア国内での爆破事件の捏造(ねつぞう)②ドローンによる民間人への攻撃の演出③化学兵器を使った偽装攻撃――などが想定されると強調した。
 「ロシアはこの出来事を民族浄化やジェノサイド(大量虐殺)と表現するかもしれない」とも予測。「ここ数日間、ロシアはすでに誤った主張を広め、世論の怒りを最大限に高めて侵攻を正当化する根拠をつくりあげようとしている」と非難した。ロシア政府は危機に対処する「芝居がかった緊急会議を招集するかもしれない」と話した。バイデン米政権はロシアによるウクライナ侵攻のおそれが高まっている根拠として国境周辺の軍増強に加え、意図的にデマを拡散させる偽装工作を挙げる。親ロ派への攻撃を自演する「偽旗作戦」と呼ばれる行動で、2014年にウクライナ領クリミア半島を併合した際にも侵攻を正当化する手段に利用したとして米欧は警戒する。
 18日(金曜)、各国の首脳らが外交・安全保障を話し合うミュンヘン安全保障会議が開幕した。ロシアがウクライナ国境に軍を集結させる中、西側の結束を示せるかが焦点。初日に登壇したブリンケン米国務長官はロシアを強く非難し、ベーアボック独外相は独ロのガスパイプラインへの制裁で踏み込んでみせた。
 ブリンケン米国務長官は「最近24~48時間を含むすべての出来事は、挑発行為をでっち上げ、それへの対処としてウクライナに攻撃を仕掛けるシナリオの一部だと深く懸念している」と、ロシアへの不信と警戒をあらわにした。
同じ18日。ロシアのプーチン大統領が「東部情勢が緊迫している」と述べた。米欧やウクライナでは、ロシアがウクライナ東部の一 部地域を占領する親ロ派を利用して挑発行為を仕掛け、侵攻の口実にするのではないかとみている。
 ブリンケン氏は「ロシアによるウクライナ侵攻が大規模でも小規模でも結束を維持する」と指摘。侵攻の程度にかかわらず、ロシア軍が国境を越えれば米欧が連携して強力な制裁に踏み切る姿勢を示した。
 19日の【ベルリン時事】によれば、ウクライナのゼレンスキー大統領はドイツで行われているミュンヘン安全保障会議で演説し、ロシアの軍事的脅威を強調すると同時に、ウクライナを守る欧米の決意も不明確だと批判。ウクライナの欧州連合(EU)や北大西洋条約機構(NATO)加盟を認めるかの「回答」を求めた。
 ゼレンスキー氏は、ウクライナがロシアから欧州を守る「盾」になってきたと強調。ウクライナへの武器供与を拒否するドイツが、ヘルメット5000個を送ると表明したことに触れ「どんな支援も感謝するが、善意の寄付を求めているのではない」と語り、支援は欧州諸国が欧州の安全のためになすべき貢献だと訴えた。 

【まん延防止等重点措置を徐々に解除】
 18日(金曜)、政府は新型コロナウイルス対策の「まん延防止等重点措置」に関し沖縄など5県への適用を20日の期限で解除する案を専門家に諮る。適用を解除するのは要請があった山形、島根、山口、大分、沖縄の5県。3月6日まで延ばすのは北海道、青森、福島、茨城、栃木、石川、長野、静岡、京都、大阪、兵庫、岡山、広島、福岡、佐賀、鹿児島の16道府県と、和歌山県を合わせた計17道府県。このほか東京など14都県も3月6日を期限としている。
 全国の新規感染者数は15日までの1週間で前の週と比べ1割減った。厚労省の専門家組織「アドバイザリーボード」の脇田隆字座長は「2月上旬にピークを越えた」と分析した。死者数は増加が続いており、政府は医療提供体制が逼迫しないかを見極める。

【世論調査による岸田政権の評価】
 19日(土曜)、毎日新聞と社会調査研究センターがおこなった全国世論調査によれば、岸田内閣の支持率は45%で、1月22日の前回調査(52%)から7ポイント下落、2021年10月の政権発足以降最低となった。不支持率は46%で前回(36%)から10ポイント増加し、支持率と不支持率がほぼ並んだ。
 個別課題の評価では、(1)新型コロナウイルス対策を「評価する」の回答は27%(前回31%)で、「評価しない」の51%(同39%)を大幅に下回った。(2)まん延防止措置などの規制をさらに強化すべきかの問いでは、「強化すべきだ」は28%にとどまり、「緩和すべきだ」は40%であった。(3)ワクチン接種が遅いと思うかの質問では、「遅いと思う」が63%に上り、「遅いとは思わない」は29%。岸田政権が3回目接種に出遅れたことも、内閣支持率低下につながった可能性がある。
 政党支持率は、自民党35%(前回30%)▽日本維新の会16%(同18%)▽立憲民主党8%(同9%)▽国民民主党4%(同4%)▽共産党4%(同3%)▽れいわ新選組3%(同4%)▽公明党3%(同3%)――などで、「支持政党はない」と答えた無党派層は25%(同25%)だった。
 夏の参院選の比例代表で、どの政党に投票したいか聞いたところ、自民党が最も多く31%(前回27%)だった。以下、日本維新の会19%(同21%)▽立憲民主党9%(同11%)▽共産党5%(同5%)▽国民民主党4%(同4%)▽れいわ新選組4%(同3%)▽公明党3%(同4%)▽NHK受信料を支払わない国民を守る党1%(同1%)▽社民党1%(同1%)、「わからない」は20%(同22%)。

【ベラルーシ派遣のロシア軍が撤収?】
 20日づけの朝日新聞デジタルによると、ウクライナの北隣ベラルーシで、ロシアとベラルーシが実施していた合同軍事演習が20日、終了する。派遣された3万人ともされるロシア軍が撤収するかどうかが今後の焦点となる。欧米は、ロシアのウクライナ侵攻は近いとみて警戒を続けている。
 ロシア国防省によると、10日に本格的に始まった合同軍事演習はウクライナ国境付近を含むベラルーシ領内の広い地域で行われた。8千キロ以上離れた極東や東シベリアからもロシアの主力戦闘機Su35や地対空ミサイルシステム「S400」など最新兵器が展開した。
 欧米はロシア軍が3万人規模の兵力をベラルーシに送り込んだとみている。ウクライナ国境からキエフまでの距離は約100キロで、動向を注視していた。
 ロシアは演習目的を「純粋に防衛的」(プーチン大統領)と主張。19日には米国やドイツなど16カ国の武官や60人の外国メディアに公開した。ロシア国防省は17日、演習終了後、部隊は通常通り拠点に戻ると発表していた。

【プーチン大統領、ウクライナ東部の2州の独立を承認】
 21日(月曜)、ロシアのプーチン大統領は安全保障会議を開催し、親ロシア派武装勢力が実効支配するウクライナ東部の一部地域について独立を承認したと発表、親ロ派支配地域にロシア軍を派遣する方針も決めた。
 臨時に開催した安保会議では、親ロシア派勢力が支配する地域の独立承認問題を諮問した。対象は親ロ派武装勢力がウクライナ東部で一方的に独立を宣言した「ルガンスク人民共和国」と「ドネツク人民共和国」。安保会議副議長のメドベージェフ前大統領ら政府幹部が相次いで独立を承認すべきだとプーチン氏に促した。
 プーチン氏は親ロ派の独立を承認する大統領令に署名し、2地域とロシアとの友好相互援助条約にも署名した。会議後のテレビ演説でプーチン氏は、北大西洋条約機構(NATO)の東方不拡大を求めたロシアの提案が「無視された」として欧米の対応を批判した。また、ウクライナ軍からの攻撃によって2地域での紛争が激化していると指摘、「(2地域の)情勢は危機的な状況にある」などと承認の正当性を主張した。
 これらのロシアの措置に対して、ウクライナや米欧が一方的な決定として反発するのは必至である。

【】
 22日の日経新聞によれば、ロシアのプーチン大統領は21日の大統領令で、親ロシア派武装勢力が実効支配するウクライナ東部の2地域にロシア軍を派遣するように国防省に指示した。派遣の対象地は、前日に独立を宣言し、プーチン大統領が承認した「ルガンスク人民共和国」と「ドネツク人民共和国」である。プーチン大統領は平和維持が目的と主張して、ウクライナへのロシア軍の展開を正当化した。派兵命令で同国を巡る緊張は一段と高まるに違いない。


 この間、以下のテレビ録画を観ることができた。同時進行する現代史を書くためにテレビ番組は欠かせないが、多忙のなかで番組表を見つつ、どの番組が必要かを厳選するのは難しい。撮った録画のなかからさらに厳選して以下のものを観た。
(1)NHKスペシャル「証言ドキュメント 永田町 権力の興亡 コロナ禍の首相交代劇」1月16日。 (2)BS1「大島桜さんのお引越し」19日。 (3)NHKスペシャル「追跡! サイバー犯罪組織 ▽コロナ禍で狙われる個人情報」20日。 (4)NHK総合 歴史探偵「本当に鎖国だったのか」21日。 (5)BS7 SDGsミライ 人々を幸せにする仕掛け~新ビジネスのヒント!! 21日。 (6)Eテレ SWITCHインタビュー 達人達「YOSHIKI×レスリー・キー」22日。 (7)Eテレ ズームバック×オチアイ 落合陽一 オードリータンにふたたび会う(後編) 22日。 (8)週刊ワールドニュース(1月17日~21日)22日。 (9)BSプレミアム ワイルドライフ「野生へのまなざし 今森光彦 里山・命の輪に生かされている」24日。 (10)BS1スペシャル「気候変動を食い止めたい 若者たちが挑むCOP26」27日。 (11)NHK総合 歴史探訪「戦国レジスタンス 村上海賊&雑賀衆」28日。 (12)テレビ朝日 「タモリステーション~二刀流 大谷翔平の軌跡~」28日。 (13)Eテレ「先人たちの底力 知恵泉「雪舟 失意の都落ち?! 天才画家の逆襲」2月1日。 (14)テレ朝「第36回国民教協スペシャル ハマのドン“最後の闘い-博打は許さない―」5日。 (15)ETV特集「若者たちの貧困パンデミック」5日。 (16)BS1 週間ワールドニュース(1月31日~2月4日)5日。 (17)BS1 国際報道2022 「ミャンマー 街の中に見る抵抗のサイン」7日。 (18)NHKプロフェッショナル(選)「覚悟の挑戦、ノーベル賞の先へ~研究者・山中伸弥」8日。 (19)BSスペシャル アナザーストーリーズ「立花隆vs田中角栄」8日。 (20)BSフジLIVEプライムニュース「小池都知事の新株対策 首相へ”要望書“の中身 都vs政府のくい違いは」10日。 (21)BSプレミアム「美の壺スペシャル「庭園」」12日。 (22)TV朝日「週刊ニュースリーダー」12日。 (23)BSプレミアム 歴史秘話ヒストリア「日本誕生 知られざる物語 日本書紀 1300年」11日。 (24)週刊ワールドニュース(2月7日~11日)12日。 (25)TBS 情熱大陸「葉っぱ切り絵作家/リト 癒しが宿る”一枚の葉っぱ“に秘められた物語」13日。 (26)TV朝日 サンドウィッチマン&芦田愛菜「この博士ちゃん」2時間スペシャル(昭和博士厳選 泣ける名曲)19日。 (27)週刊ワールドニュース(2月14日~18日)19日。 (28)

タケの開花(13)

2022年2月1日(火)、横浜市立大学木原生物学研究所の坂智広教授が同大学国際教養学部の滝田祥子教授(社会学)とともに来園された。まずは屋根葺き替え工事中のため雨戸を締め切った鶴翔閣内を私が案内し、ついで待春軒で昼食を採り歓談、久闊を叙した。
 ここで別れる際、坂さんにタケの観察をしたら報告を寄せてほしいと要請した。前回の「タケの開花(12)」の掲載は昨年の6月11日で、ほぼ半年ぶりになる。夏と冬の差もある。無理を言って申し訳ないと思いつつ、どのような観察記録が来るか、期待に胸をふくらませて待っていた。
 圃場作業等で超多忙のなか、坂さんが観察結果を送ってくれた。
観察日時:2022年2月1日(火)、13:30〜15:30 晴れ
 以下、坂報告を転記する。

〔オロシマササ〕
• 昨年6月1日観察では、「刈り込みと昨年までの開花疲れか、垣根全体の活力が低下しているように見られる。今後の株の更新と再生の経過の観察が必要だが、垣根としては植え替えによる更新の時期になるのかもしれない」とレポートしました。
• 今回の観察では、管理事務所の入り口正面のあたりで、一花開花していました。垣根の選定で綺麗に刈り込まれ整枝されていましたが、昨年よりも更に株が弱ってきている感じがします。世代交代で枯れていくのかもしれません(図1)。
20220207図1


〔タイミンチク〕
• 昨年開花した後に穎花が落下した花穂が、駐車場脇や三重塔付近で(一桁後半程度の数)散見されました。一斉開花ではなく、時折見みられる不時開花現象と思います。
• 園内では整備のための伐採と除草管理により、添付の観察地図のようにタイミンチクのエリアが昨年よりも大幅に縮小していました(図3)。三重塔から松風閣に向かう道を中心に分布しています。伐採後も、地下茎はまだ広範囲に広がっていると考えられ、6月以降の筍が出る時期に、新梢が現れると推測します。
• このエリアでは、冬期でもタイミンチクの葉は青々として旺盛に生育しており、株の栄養状態は健全に保たれていると考えます。出世観音の向かいに開花前の花穂を認めました(図2)。
• 旧東慶寺仏殿と旧矢箆原家住宅の周辺は、一昨年前草刈り管理作業でタイミンチクが刈り払われ、翌年には地下茎から新梢が出て開花していましたが、継続的な除草作業によるのか?今回の観察ではタイミンチクの分布が確認できず、消失する方向に遷移すると予想されます(図3、4)。
• 正門駐車場周縁では、昨年2021年6月1日に新梢(地面から伸長する分枝に)で開花を観察した箇所で、開花跡の花穂を確認した。6月以降も開花を続けていたと推測します(図5)。
• 昨年の6月の観察時に駐車場の周縁では、タイミンチクの若い新梢が南側に帯状に分布したが、そのエリアが東側に伸びており、来年には花が咲くかもしれません(図5)。
• 駐車場北側で園内トイレの横にもこれまで出穂開花していない大きな株があるが、今回も出穂の兆候は見られませんでした。
20220207図2


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大寒をしのげば

 1月20日(木曜)が今年の二十四節気(にじゅうしせっき)の最後、<大寒>にあたり、暦の上では寒さの底。これをしのげば次は立春(15日後の2月4日)である。
 ちなみに二十四節気は古代中国で生まれた春夏秋冬に次ぐ季節の区分で、それぞれ約15日からなり、立春、雨水、啓蟄、春分、清明、穀雨、立夏、小満、芒種、夏至、小暑、大暑、立秋、処暑、白露、秋分、寒露、霜降、立冬、小雪、大雪、冬至、小寒、大寒と並ぶ。
 二十四節気をさらに初候・次候・末候と3等分して七十二候(しちじゅうにこう)と呼ぶ。第七十候「款冬華 (ふきのはなさく)」 1月20日~24日頃、第七十一候「水沢腹堅 (さわみずこおりつめる)」 1月25日~29日頃、第七十二候「鶏始乳 (にわとりはじめてとやにつく)」 1月30日~2月3日頃である。
 古代中国生まれの二十四節気や七十二候が、そのまま当てはまるとは言えず、南関東の寒さの底は立春のころである。

【オミクロン株急増への対処】
 三溪園(横浜市中区)でオミクロン株の急増とその防止対策をめぐり議論を重ねた末、ようやく一定の方向を得た。その後、バスで10停留所にあたる距離をショートカットして元町・中華街駅まで歩き、電車を乗り継いで帰宅する。寒風に抗して歩くのは最初きついが、気分は爽快。
 この日は全国的に寒さが厳しく、京都では5年ぶりの積雪14センチ。テレビに映る清水寺あたりの雪景色を、乾燥注意報のつづく東京で観る。冬の天気図を見るたびに、南関東だけが晴れ続きという自然現象に注意が向く。

【まん延防止等重点措置の適用】
 1月21日(金曜)の零時を期して、東京、埼玉、千葉、神奈川の首都圏4都県等で<まん延防止等重点措置>の適用が始まった。期間は2月13日(日)までの24日間。これに先立ち1月19日(水曜)午前、基本的対処方針分科会終了後、新型コロナウイルス感染症対策分科会の尾身茂会長は記者団の取材に応じ、新たな変異型オミクロン株への対応策について「人流抑制より人数制限」と述べ、飲食時の人数を1グループ4人以下とすべきとの見解を示した。こうした対策をとれば「ステイホームや店を閉めること、外出自粛などは必要ない」と。のち「言葉足らずで説明不足だった」と補足したが、見解の主旨は変わらない。
 具体的な措置内容は知事の判断に委ねられるため、首都圏でも都県の間ですこしずつ異なる。神奈川県は飲食店の利用について「1テーブル4人以内」を強調、<不要不急の外出自粛>には触れていない。東京都はひきつづき<不要不急の外出自粛>を呼びかけた。都営庭園の六義園や小石川後楽園庭園は、「1月11日から当面の間、休園」とある。

【ミニコンサート】
 翌21日(金曜)午後2時、この日もまた寒風が吹き、最高気温は7℃の快晴。お手製のプログラムに言う<ハチミニコンサート with キュウ先生>を聴きに行く。これは<石井はつみミニコンサート with 大澤久先生>を略した表現。団塊世代の石井さんとは20年以上にわたるテニス仲間である。彼女が親子ほどの年齢差の、若き師匠の大澤さんからチェロを習い始めて9年、習得した曲目は100を超え、その記念のデュオである。大澤さんが「よく頑張りました。これからも根気よくつづけてください」と、ほのぼのとした師弟関係を見せた。
 大澤さんには4年ほど前、三溪園の旧燈明寺本堂(室町時代の建造物を京都からから移築、重要文化財)で演奏会DUO CETRAを開催してもらっている。
 大澤さんは東京芸術大学音楽学部器楽科チェロ専攻を卒業、現在は演奏活動、チェロ教習、ゲーム音楽の作曲、文部省唱歌の編曲と多方面で活躍。著書の『初心者のチェロ基礎教本』(自由現代社 2017年)は、ユニークな内容で評判が高い。
 今回のコンサートの聴き手は8名。私は3年ぶりである。除菌と換気を徹底し、飲食なしの1時間であった。
 前半は「テル―の唄」(ゲド戦記より)や大澤久編曲「日本の四季」等で、休憩を挟み後半はシューベルトの「野ばら」やワーグナー「マイスタージンガー前奏曲」等のクラシック。
 この「日本の四季」には、①夏の思い出、②赤とんぼ、③紅葉、④ペチカ、⑤ゆき、⑥さくら、の6曲が含まれ、これをチェロの二重奏で奏でる。私は心の中で歌詞を重ねつつ聞いた。とくに待たれる春の「⑥さくら」の歌の由来が気になり、ウィキペディアで見ると次のようにある。

【さくらさくら】
 「さくらさくら」または「さくら」は、伝統的な日本の歌曲。日本古謡と表記される場合が多いが、実際は幕末、江戸で子供用の箏の手ほどき曲として作られたもの、作者は不明、とある。…もともと「咲いた桜」という歌詞がついていた。その優美なメロディーから明治以降、歌として一般に広まり、現在の歌詞が付けられたもの。13小節目以降の違いで3通りのメロディーがある。…1888年(明治21年)に発行された東京音楽学校の『箏曲集』に記載がある。…日本の代表的な歌として国際的な場面で歌われることも多い。
歌詞は二通りあり、元のものは以下。
さくら さくら
やよいの空は
見わたす限り
かすみか雲か
匂いぞ出ずる
いざや いざや
見にゆかん
 もう1つは昭和16年に改められたもので、現在の教科書等にはこちらの歌詞を掲載しているところもある。 こちらを1番、前述の元の歌詞を2番と扱っているものもある。(1941年(昭和16年)3月「うたのほん 下」)
さくら さくら
野山も里も
見わたす限り
かすみか雲か
朝日ににおう
さくら さくら
花ざかり
 以上がウィキペディアにある<さくら さくら>の解説である。私は改定前の歌詞で覚えている。

【日本の音楽と西洋の音楽】
 この『箏曲集』の解説(国立公文書館所蔵の版に付された解説)に、「西洋諸国から<音楽>を導入したことで、琴などそれまで日本にあった伝統的音楽にも変化が生じました。音楽取調掛は明治21(1888)年に、琴の伝統的な歌詞曲節を改良して普及させるため、『箏曲集(そうきょくしゅう)』を刊行しました。これにより、初めて琴の曲が五線譜で表されました」とある。
『箏曲集』は国立国会図書館のデジタル・コレクションにあり、いつでも閲覧できる。明治21(1888)年10月28日出版、版権所有は文部省編輯局。その第一曲が「姫松」、第二曲に「櫻」(さくら)が入っており、第二十九曲「春の花」、そして「六段の調」で終わる。歌詞だけを記した全30曲、16ページ。
 後半の英語版『COLLECTION OF JAPANESE KOTO MUSIC』には、五線譜にメロディーと歌詞(カタカナで日本語、英字で歌詞の音を記す)を収めて全38ページ、ほぼ倍の長さである。
 その<緒言>で「本稿ハ、多ク旧筝曲中ノ佳良ナル者ヲ選録スト雖モ、ソノ詞調ノ卑猥蔽俗ニ失シテ教化ニ害アル者ハ、易フルニ高雅純正ナル者ヲ以テシテ、微ヲ防ギ漸ヲ杜ガンコトヲ図レリ」と編纂の狙いを述べる。後半の英文版は、ほぼ同義の英訳である。
 言い換えれば、小学校の音楽教育のため、メロディーは伝統的な筝曲から取り歌詞は<教化>に害あるものを排除することに主眼を置く。<教化>に注力するあまり、曲を選定するさいの基準や地域特性、由来、筝曲奏者の流派等、具体的な言及が一切ない。133年前の段階で記述されなかったものを、現段階で復元するのは至難の業である。なぜ記録を残さなかったのか。
 末尾に<歌調>の査定を担当した文部省<音楽取調掛>2名の氏名と<曲調>の査定者6名の氏名を記し、最後に「同掛長伊澤修二ノ統理校定スル所ナリ」とあり、責任者の伊澤修二の方針であることが分かる。

【音楽と美術】
 私の念頭にあったのは、<音楽>と並ぶ<美術>について岡倉天心が採用した方法との対称ぶりである。天心は現存する全国の美術品(社寺等の建造物をふくむ)を徹底して現地調査、かつ欧米出張により西洋美術も調査、それらの詳細な記録を残した。その成果については、さしあたり本ブログ掲載の拙稿「三溪と天心」(その1が2019年6月30日、その2が2019年7月5日、その3が同年7月18日)を参照されたい。
 うち<その2>の結びで私は「天心の世界的視野に立つ美術観、日本美術の評価基準を西洋にではなく独自の美術探求のなかに求めようとする姿勢、伝統美術への敬愛。これこそ後の天心の活動の中核を成すものであろう」と書いた。

【六角紫水の古社寺調査日記】
 美術品(建造物を含む)の徹底的調査という天心が残した伝統は、その後も弟子たちに引き継がれた。その代表例として東京美術学校の一期生で、漆工芸の第一人者となる六角紫水(ろっかく しすい)が残した『六角紫水の古社寺調査日記』がある。本ブログの拙稿「六角紫水の古社寺調査」(2021年4月12日掲載)を参照されたい。
 この日記は、(1)明治35(1902)年4月27日からの「京都府下古社寺巡礼記」、(2)同年5月の「京都府奈良県古社寺巡回記」、(3)同年8月の「岩手山形宮城福島栃木古社寺巡回記」、(4)明治36(1903)年5月の「鳥取島根山口等巡回日記」、(5)同年6月調査録、(6)同年9月4日からの「千葉茨城古社寺巡礼記」に加え、(7)参考資料として「紫水の古社寺調査回想録」を収めている。
 本書の叙述がいかに臨場感にあふれているか、2つの事例を原文のまま抄録したい。
【事例 1】上掲(1)「京都府下古社寺巡礼記」の、舞鶴町 曹洞宗 桂林寺の調査につづく5月3日の記述(抄録。なお……は本書での改行を指す)。「五月三日 晴天 ……朝、??ト云ヘル人画幅数十幅ヲ持来タリシモ何モ写シ又ハ偽物ノミナリキ 同人ハ只々自己ノ慰トシテ集メシモノト云ヘリ 気ノ毒ナルモノナリ 朝食ヲ終ヘテ腕車ニ依リ福知山ニ向フ 途次左ノ寺院ヲ調査ス……加佐郡南有路村 禅宗妙心寺派 長橋寺……楊柳観音 一幅 ×× 外 出山釈迦 一 達磨等 一 ××……極新シキ仕入品……同寺ニ於テ上有路村光明寺ノ宝物ヲモ調査セリ……其品目……羅漢二幅 ××(以下略)
【事例 2】上掲(3)のうち8月7日の記述(抄録)。「午前六時出発、浄法寺ニ向ウ ニ馬ヲ雇ヒ代ルガワル乗シテ行クコト四里余 十時到着 道路泥濘ニシテ且山ヲ上リ又下ルコト数回 随分困難ノ場所タリ……二ノ戸郡浄法寺村 天台宗 八葉山 天台寺本尊木彫聖観音立像 一躯……伝行基造刀三礼ノ作 面部及両手丈ケハ稍仕上タル如クニシテ目及眉等ハ凡テ墨ニテ線書セルモノ 御神体ノ古像ノ如シ 衣及纏衣等ハ凡テ丸ノミニテ横ニ彫目ヲ入レタルハ何故ニヤ 頭髪等ハ殆ト下タ彫リトモ見ラルヘキ粗作 足等モ殆ト足ノ形体ヲ俱フルノミニシテ実ニ素人作リトモ思ハルヘキ作ナレドモ全体は余程古作ニシテ面相一種ノ威厳アルモノ……材ハ橡ニテ一本作リ 時代ハ随分古シ 藤原ノ中ヨリ初迄ノ間ニ属スベキカ 
(この後に像の側面のスケッチを付している)

【岡倉天心と伊澤修二】
 周知のとおり、天心(1862年~1913年)は横浜居留地の日本人町(現在の横浜市開港記念会館)で生まれ、欧米居留民の子どもたちと遊んで育った。話し言葉として彼の英語力は、この時に育まれたと思われる。また5歳ころから宣教師バラ夫妻の英語塾で学び、漢籍は母の菩提寺の長延寺(浄土真宗)で玄道和尚に就き、10歳で高島学校、11歳で東京外国語学校、12歳で東京開成学校入学、その2年次に同校が東京大学となり文学部2年に編入する。
 東京大学卒業後、文部省入り、音楽取調掛を経て図画取調掛へ移り、1890年、28歳で東京美術学校校長となった。
 一方、9歳年長の伊澤(1851~1917年)は、ウィキペディアから抄録すると以下の略歴。高遠藩(現在の長野県伊那市高遠町)藩士の子。藩校進徳館で学んだ後、16歳で江戸へ出てジョン万次郎に英語を学ぶ。19歳、大学南校(のちの東京大学)に進学。21歳、文部省へ出仕、24歳、愛知師範学校(現在の愛知教育大学)校長、同校付属幼稚園で日本の童謡をつかい遊戯唱歌教育を始める。翌年、師範学校教育調査のためアメリカへ留学、グラハム・ベルから視話術を、ルーサー・メーソンから音楽教育を学ぶ。またハーバード大学で理化学を学ぶほか、地質、聾唖教育も研究。
 翌年、東京師範学校(現在の筑波大学)校長。音楽取調掛に任命されるとメーソンを招き、協力して『小學唱歌集』を編纂。ついで文部省編輯局長。1888年(明治21年)、37歳で東京音楽学校(現在の東京芸術大学音楽学部)、東京盲唖学校(現在の筑波大学附属視覚特別支援学校)の校長、国家教育社を創設して忠君愛国主義の国家教育を主張、教育勅語の普及にも努める。
 伊澤の知的関心は広範囲にわたる。初等教育の科目を早く定める目的もあったかもしれない。『小學唱歌集』(1879年~)の制定を急ぎ、日本に独自の唱歌はないのかと問われ、改めて『筝曲集』(1888年)を編纂した可能性もある。
 いずれにせよ両書ともに曲に関する由来や作詞・作曲者の記載がない。現場の教師が個々の唱歌の成り立ちや曲と歌詞の関係等を知ることは、いっそう深く伝えることに繋がる。
 半世紀余を経た戦後の1949年、創立時の体質の異なる2つの学校(東京術学校と東京音楽学校)は東京芸術大学の美術学部と音楽学部として統合される。

【小學唱歌集】
 『小學唱歌集』もまた、国立国会図書館のデジタル・コレクションにある。
 1879年から1884年にかけて順次出版され、初編には<君が代>ほか33曲を収録(明治12=1879年刊行)、第二編には<岸の桜>ほか33番~49番まで、第三編には<あふげば尊し>ほか50番~91番まで)を収める、日本初の五線譜による音楽教科書である。なお歌詞は1番がカタカナ、2番がひらがな表記で、9年後に刊行される『筝曲集』にあるような英字表記はない。
 緒言に言う。「凡ソ教育ノ要ハ 徳育智育體育ノ三者ニ在リテ、小学ニ在リテハ最モ宜ク徳目ヲ涵養スルヲ以テ要トスヘシ 今夫レ 音楽ノ物タル性情ニ本ツキ風化ヲ助クルノ妙用アリ……本邦固有ノ音律ニ基ツキ 彼ノ長ヲ取リ 我短を補ヒ 以テ我学徒ニ適用スヘキ者ヲ選定セシム ……」
 初編所収の第23番<君が代>は「君が世は ちよにやちよにさざ礼いしの…」と歌詞はよく知られたものだが、メロディーはまったく違う。
 全体として原曲が不明、日本語の作詞者も不明なものが多い。歌詞は、教訓に満ちたもの、敢えて言えば忠君愛国の感情を育成しようとするものが多い。
 前述した「天心の世界的視野に立つ美術観、日本美術の評価基準を西洋にではなく独自の美術探求のなかに求めようとする姿勢、伝統美術への敬愛」とは著しく異なる。天心と伊澤の、芸術への向き合い方の違いであろうか。
 あるいは日本の<美術>と<音楽>について世界の状況が異なっていたことにも関係がある。<美術>に関しては幕末から明治にかけて(1860年~1910年代)、世界は<ジャポニスム>(日本趣味)の時代。巧まずして日本美が欧米諸国で高く評価され、応援団ができていた(本ブログの2014年4月25日掲載「明治工芸の粋」)。これに加え、1851年のロンドン万博に始まる<万博の時代>において美術工芸品への需要が高まる追い風があった(本ブログの2021年11月19日掲載「日仏文化交流-CHAUMET 特別公開によせて」)。これに対して日本の<音楽>には世界的な応援団がおらず、強い産業的な需要もなかった。 

【岡倉天心と森鴎外】
 石井コンサートを堪能したのち、御徒町と上野へ出て、上野台地の谷中を北へ向かい、<岡倉天心旧居跡>(いまは公園)を再訪、東京美術学校へ馬に乗って通った天心の姿を思い浮かべた。
 そこから西へ下り、対岸に当たる団子坂中腹の観潮楼(現在の森鴎外記念館)で展示「写真の中の鴎外-人生を刻む顔」(1月9日~4月17日)を観る。顔写真を中心として構成した展示はユニークであり、図録を購入。
 観潮楼と名づけたのは、東南の方向に江戸湾(東京湾)が遠望できたからであり、すぐ下方にある文京区立汐見(しおみ)小学校の名も同じ由来である。
 天心と鴎外(1862年~1922年)は同い年。東京大学の一期生(文学部と医学部)で親交があり、また天心は音楽取調掛を経て図画取調掛へ移り、さらに東京美術学校の校長に就任している。これに対して伊澤は9歳年長である。この年齢差、成育過程の差、時代背景の違いが、欧米思想や伝統への対応の違いの要因かもしれない。このテーマはしばらく温めておきたい。
 なお半世紀も昔、私は軍医としての鴎外(森林太郎)について書いた(拙稿「軍医 落合泰蔵・小池正直・森林太郎」 『朝日ジャーナル』誌1972年3月17日 のち竹内好/橋川文三編『近代日本と中国』所収)。日清戦争(1894~95年)を期に日本とアジアの関係は一変、それにつれて軍医の役割も変わり、伊澤もまた割譲した台湾へ渡り、日本語教授法を研究・推進する。

【さくらの巨木を移植した十六代目佐野藤右衛門】
 翌24日(月曜)、テレビの録画でもう一つの<さくら>に出会った。番組はBSプレミアム「大島桜さんのお引越し」(2022年1月19日放映)。横浜市戸塚区にある樹齢150年と推定される大島桜の移植大作戦の記録である。
 指揮をとるのは、天保3(1833)年創業の植木職・<植藤>(うえとう、植藤造園)の第十六代目の桜守(祖父の代から桜を専門とする樹木医)の、佐野藤右衛門(さの とうえもん)さん(93歳)。
 <植藤>のホームページに次のようにある。「古く仁和寺御室御所に仕えた家の十六代目当主。イサム・ノグチ設計のパリの日本庭園や京都迎賓館の作庭に携わるいっぽう「桜狂い」と称され、私財を投じて日本全国の桜の調査、苗の保存に尽くした祖父、父の志と情熱を継ぎ自らもまた、稀代の桜守、花咲爺として国内外を飛び回る。話し上手の遊び上手、手すさびに琴や尺八を奏でる粋人でもある。」
 佐野藤右衛門著(聞き書き 塩野米松)『櫻のいのち庭のこころ』(1998年 草思社、2012年 ちくま文庫)のなかの「誕生日に植えた桜の不思議」には、藤右衛門さんの誕生日に父が京都の円山公園の枝垂桜(しだれざくら)の次の世代を実生で育てた話が出てくる。100ほどが発芽、戦後まで無事に残ったのは4本のみ。1947年、明治・大正・昭和の夜桜として円山公園を飾ってきた<名妓>が枯れ、<植藤>の4本のうちの3本を京都市に寄贈、円山公園に植え替えた。この枝垂桜は父が病気がちのときは開花せず、父が逝去した年に枯死したという。
 ほかに『さくら大観』(1990年 紫紅社)等の著書多数。

【大島桜さんのお引越し】
 戸塚区の小高い丘に立つ一本の<大島桜>。伊豆大島から飛来した鳥の糞に運ばれた種子が発芽、根付いて約150年との、藤右衛門さんの見立てである。毎年、見事な白い花を咲かせる。<大島桜>の平均樹齢は1000年と見られているから、この樹はまさに<青春まっ盛り>。
 ちなみに全国各所でいま権勢を誇るソメイヨシノ(染井吉野)は、「母をエドヒガン、父を日本固有種のオオシマザクラの雑種とする自然交雑、もしくは人為的な交配で生まれた日本産の栽培品種のサクラ」とされる。<染井>は東京都豊島区にある地名で、江戸時代後期に多数の植木屋があった。全個体が単一クローンのため、成長は速いが平均樹齢は60年ほどと言われるが、樹齢100年超の木もある。
 この<大島桜>を所有する企業がマンション用に土地を売却、桜は切られる危機に。これを惜しむ地元住民の強い要望を受け、企業が藤右衛門さんに相談、移植が決まった。
 桜は、重さが推定約50トン。移植はわずか100メートル先だが、間に高圧電線と家庭用電線がある。樹と土壌を見極め方策を立てる。起工式で祈りを捧げ、いよいよ作業開始。枝と根の先端を繊細かつ大胆に切って軽量化。切り口には炭と和蝋で腐食を防止、土を抱えた根は布と縄でしっかり固める。この縄掛けの技が見事である。
 それを熟練のクレーンさばきで釣り上げ、電線を越えて移動させる。跡地への慰労を忘れず、移植先の新天地には土壌改良のため木炭を敷きつめる。そこに<大島桜>は一度でぴったり収まった。
 またとない機会に学びたいと、参加した東京農業大学(樹木学専攻)の学生に、藤右衛門師匠が、自分にしか語れない知恵や技術を真摯に伝える。学生は聞き漏らすまいとメモを取る。
 思いがけず移植先の傍に、この大島桜の子どもと見られる桜が咲き誇っていた。難事業を無事に終えた後、作業に当った一人ひとりが桜にお神酒を注いでいく。
 1ヶ月後、再訪した藤右衛門さんは、枝に這う青虫を見つけた。「移植はうまくいった。…虫がつくちゅうのは生きている証拠なんや。枯れたもんに虫は絶対に来ん。それに小鳥がきてくれたら、もう大丈夫や…ええ花が咲くで…」。
藤右衛門さんを貫く、生命とそれを育む大地への愛と畏敬の念が心に残る。
 このドキュメンタリーを、三溪園庭園班の鈴木正親方に伝えると、「…鶴翔閣前にある枝垂桜は<植藤>からのものです」と返ってきた。なんというご縁! 開花が待ち遠しい。
プロフィール

Author:加藤 祐三
日本の歴史学者

横浜 市立大学名誉教授

国指定名勝・三渓園(横浜)
前園長(2012年8月~2023年3月)

・前都留文科大学長
(2010~2014)

・元横浜市立大学長
(1998~2002)

主な著書
「イギリスとアジア」
         (1980年)
「黒船前後の世界」(1985年)
「東アジアの近代」(1985年)
「地球文明の場へ」(1992年)
「幕末外交と開国」(2012年)
蒋豊訳「黒船異変」(2014年)
蒋豊訳「東亜近代史」
         (2015年)

 など

専門
・近代アジア史
・文明史

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