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年の瀬に想う人々

 【85歳を機に…】
 「…85歳を機に、賀状を欠礼させていただきます」とある古い年賀状を見つけた。今年94歳になられる小倉芳彦先生からの賀状である。
 小倉先生は1927(昭和2)年生まれ。東京大学文学部東洋史学科卒業で、私の9歳年長の大先輩である。同大学東洋文化研究所助手(ここまで私も同じ)を経て、1953年より学習院に勤務、同大学長を経て2001年に退職された。
 中国古代史を専門とし、『春秋左氏伝研究 (小倉芳彦著作選)』(2003年)、『古代中国を読む』 (岩波新書、1974年)等の著作がある。前者は歯が立たないが、著者47歳で刊行された岩波新書は私の愛読書の一つである。当時の岩波新書は表紙が青、手元にある版は1997年刊の第4刷とあり、ロングセラーと分かる。
 冒頭の<まえがき>で述べる。「はじめにおことわりしておかねばならぬ。この本では、古代中国そのものついていろいろ解説をするつもりはまったくない。…私にいまできることは古代中国にかかわって、どのようなイメージを私自身が抱き育ててきたかを、そのプロセスに即してたどり直してみることである。…歴史の研究者は、歴史事実を掘り起こし、分析し、それにもとづいて一貫した叙述をなすものだとされている。ところが…」
 古代中国史の史料は漢文であり、その漢字を敢えて意図的に少なくしようとする小倉さんの日本語表現法にまず思いが行く。本書刊行の1974年、私は東大東洋文化研究所助手から横浜市立大学助教授に移って2年目、新たな研究対象や方法、歴史書の叙述法等を模索しており、そこに本書が飛び込んできた。自分もこうした歴史書を書いてみたいと強く思った。ここでは、これ以上の深入りは避けて、本ブログで連載中(一時中断)の<我が歴史研究の歩み>にゆずる。
 小倉さんから「85歳を機に…」を頂戴したにもかかわらず、私は相変わらず年賀状を出しつづけ(宛先も印刷する無作法な形式)、それに対して手書きの返事をいただいている。その端正な字の魅力に惹かれる。
 いつか長めの近況報告を書いたことがある。その拙文を我がパソコンが記憶していて眼前に現れた(2012年5月13日の日付)。その一部に次のようにある。
 「ごぶさたしております。 過日、ご丁寧なお葉書を頂戴したにもかかわらず、返事を書かぬままに日が経ってしまいました。無礼を重ねています。申し訳ございません。…
ひょんなことから山梨県にある都留文大の学長を引きうけたのが一昨年の7月ですから、ぼつぼつ2年になろうとしています。…
東日本大震災(3・11)を機に<学長ブログ>を書き始めました。形式等は格別の決まりはありませんが、月に平均3本を目標として書きつなぎ、すでに40本を越えました。最近の5本を同封しましたので、ご笑覧いただければ幸いです。…
近くにおりながら、ゆっくりお話しする機会がありません。…くれぐれもご自愛ください。」
 小倉先生のお宅の玄関脇には区の保護木クスノキが聳えている。 この木のように 末永くお元気であられますように!

【矍鑠たる西室陽一さん 93歳】
 都留文科大学で苦楽を共にした西室陽一理事長、高田理孝副学長、椎廣行事務局長と、退職後の2015年に飲み会を結成、<4人会>と称して夏と冬に例会を開いてきた。それがコロナ禍で2年あまり休会中である。
 そろそろ<4人会>を解禁しても良いのではと思っていた矢先、フェイスブックに登場した西室さんとお嬢さんの姿に驚かされた。大月駅前にある天野洋さんのレストラン<月カフェ>でワインに始まり、ウオッカ1本も平らげておられる。
 拙文「西室理事長の退任によせて」が『(都留文科大学)学長ブログ』(本ブログにリンクを張った)の084号(2013年3月30日掲載)にある。その一部を再掲する。
 「都留市立の都留文科大学を公立大学法人都留文科大学に制度変更したのが、2009 年 4 月である。この法人化から 4 年間、初代理事長だった西室陽一さんが、みなに惜しまれつつ、3月末で退任された。
 それ以前にも、2006 年設置の都留文科大学法人化検討委員会委員長等の重責を担い、制度移行期の困難な時期に、その圧倒的な存在感と情熱を以て陣頭指揮を振るわれた。 国立大学法人とは異なり、公立大学法人の場合は、設置自治体の首長が<一体型>(理事長=学長)か<別置型>(理事長と別に学長を置き、学長は副理事長となる)のいずれかを選択できる。本学は「別置型」となった。
 法律により理事長は市長が任命し、その任期は 4 年、さらに 2 年の更新(合わせて 6 年を超えない範囲)ができる。 昨年、西室さんが「私も 85 歳になるので、ここで引退したいと思う」と言われた。 とてもお元気なので、あと 2 年の続投を当 然と考えていた私には晴天の霹靂で、その夜はよく眠れなかった。しかし、西室さんは軽々にものを言われる方ではない。留まってほしいという言葉を、ぐっと飲み込むしかなかった。」
 初めて西室さんにお会いした時、優しい眼、大きな福耳、立派な鼻骨、ダンディーなたたずまいが印象的だった。話しぶりは穏やかで、論理明快、海軍兵学校から東京大学で学び、さらに会社勤務(東京ガス株式会社 専務取締役)の経験から「頭を下げるのは慣れている」と言われる。なまじの「矜持」しか知らぬ学者の口からは出ない言葉である。
 いまはコロナ禍を避けて、都留市のご自宅におられる時間が長いよし。そこから<月カフェ>へ行かれたのであろう。電話をしたら、お元気な声が返ってきた。「…声だけは元気そうに聞こえるかもしれないが、体がなかなか言うことをきかない…」とは言われるが、その話ぶりだけで私は嬉しかった。

【闘病中の松浦永司さん】
 9年前の2011年12月10日のメール返信文が出てきた。四ッ谷パワーテニスの会長を長くつとめる松浦永司(えいじ)さんへスポーツ施設利用者カードを更新したと伝えたことに対する返信である。16年にわたるテニス仲間である。
 「…ちなみに加藤先生が四ッ谷パワーテニスのMLに登録したのは2005年10月19日でした。それにしても6年前の加藤先生と、まさに「後期高齢者」にならんとする加藤先生の現在とで、いささかの乖離もないことに驚きます。…しかもその間には大腸がんという大病で腹切り?までしている…。そのような「後期高齢者」であるなら、まったくうらやましい限りです。
 私は不覚にも前立腺がんの再発という新たなステージを迎えてしまいましたが、加藤先生ほどではなくとも、なんとか「後期高齢者」の域まで生きながらえたいと切望します。」
 私はすぐに返信した。「…前立腺がん再発のこと、初めて聞きました。こいつは進行が緩いのが特徴、だましだましやっていきましょうや。共存期間が長ければ問題なし。姫(+妻?)のために、笑顔を絶やさずに!
テニスコートでの大声と気合があるかぎり、問題なし!
生老病死の4段階を視野に収めるようになって初めて一人前ですよね」。
 しかし松浦さんの災難と闘病生活はこれで終わらない。
 これから9年後の今年8月4日、Facebookの松浦さんの71歳の誕生日祝いに下記のような<意味不明>の送信をした。「誕生日おめでとうございます。生きていること、生き続けることを再認識するのが誕生日、自分で選んだものではないだけに大切にしたい……最近、そう思うようになりました。言い換えれば、自分で選べることはわずかですが、ここにこそ意志の意味がありそうです」。
 すると松永さんから折り返し返信が来た。「Facebookに誕生日の祝福ありがとうございました。…そして、先生の「横浜からの夜明け」の読み込みも始めました。しかし、7月下旬から体調を崩し、8月に入って断続的に4回の多量出血がありました。…自己の免疫力を高め炎症が直腸等に浸潤しないようするしかないようです。…生れて71年、あっという間の人生でした。もう、「でした」と言ってもあながち誤りとは言えないでしょう。…。
 自死を選ばない限り、ぼろぼろの身体でもその時までは生き続けねばなりません。この世に生まれたのは生きるために生まれてきたと思っているので、どんな時でも生きる事以外の選択肢は持っていません。「死」は私の領分ではなく、私の領分は「生」だけです。
 最後の足掻きの下顎呼吸を終え、生きることを手放さざるを得ないその時まで生き続けようと思っています。あと一年あと一年と、あと一日あと一日と、生きる算段をしながら恐る恐る生き続けていきます…」。
 これに対して当日の晩に、返信をした。「私には想像のできない苦境のようですね。これからでもできる自己免疫力をつける身体的な方法はないものでしょうか。いつか話したかもしれませんが、私は還暦から24年にわたり朝トレを続けています。いまは起きてから約1時間、16ポーズをゆっくり行うもので、すこしずつポーズの数も増やしています。…いま松浦さん専用のメニューを考えています。…」
 それから4ヶ月後の12月3日、松浦さんからメールが入った。「…先月11日に入院、12日と19日に手術、25日に退院しました。…当初は11日に入院して順調なら4~5日で退院できると言われていたのですが、……レーザーで結石を砕く手術も同時にやることになりましたが、結石は破砕する事が出来ず、一週間後に出力の強い別のレーザー機器で改めて手術をすることになりました。」
 松浦さんは壮絶な闘病を経て退院した。「…ひんぱんにトイレに行くのでどうしても寝不足になってしまい、午前中は頭がぼんやりしています。ただ、手術をして、明らかに改善されたのは痛みが軽減されたことです。今では30分以上も座っていることが出来るようになりました。…さらに良くなればクルマの運転も出来るようになるかと期待しています。まだまだ、元の体調に戻るには時間がかかるとは思いますが、リハビリがてらのスーパーへの買い物などで、少しずつ体力を回復して体調を戻していきたいと思います。そして、現在中断中の先生の朝トレメニューが再開できるよう頑張っていきます」。
 松浦さんは、厳しい病状を逆手にとり、それをバネにして自身の領分は「生」だけと前に進んでいる。

【北澤義弘さん 97歳で逝去】
 横浜市立大学(以下、市大とする)で長くご一緒した大先輩の北澤義弘さん(英文学)が2020年9月17日 97歳で逝去されたと、ご子息の義之さんからの喪中の挨拶で知った。
私が市大文理学部の東洋史担当の助教授(現在の准教授)に採用され、着任したのは1973(昭和43)年4月、それ以来、北澤さんとは長いお付き合いを頂いた。
 着任時には、まだ大学紛争の火は消えておらず、活動家の多くが私の担任する東洋史の学生たちであった。研究室の建物は、古い将校兵舎。そのあたりのことは『横浜市立大学論叢 人文科学系列 第54巻 1・2・3合併号 加藤祐三教授退官記念号』に寄せた拙稿「史観と体験をめぐって」に述べた。
 その後、学部改組や大学院(修士・博士課程)の設置が進み、以前の文理学部は、1995(平成7)年に国際文化学部と理学部に分かれたが、同じ釜の飯を食った者同士、定年退職した教職員と現役が<文理学部OB会>を作った。大学院・国際文化研究科(修士・博士)の設置が完了した1996(平成8)年頃だったと思う。毎年6月に開いてきたが、この2年間は新型コロナウイルス感染症のため休会している。
 9年前の会合の様子を「文理学部OB会」として『(都留文科大学)学長ブログ』(本ブログにリンクを張った)の053号に載せた。そこには「今年の参加者は21名、最長老が89歳、最年少が現役教授の49歳。この1年間に逝去された6名の同僚の冥福を祈って黙祷、その数の多いのに愕然とした」とある。
 「…話題は健康(病気)、学問、趣味、そして孫の順か」と事例を挙げ、「来年、文理学部OB会の参加者は何人となるだろう」と結ぶ。「最長老の参加者が89歳」とあるが、これが北澤さんだと記憶している。
 <文理学部OB会>の会合では必ず北澤さんの隣りに座り、会話を楽しんだ。英文学の話題は拝聴するだけで対話にはならないが、<人生論>を巡っては丁々発止となる。しかし最後は12歳も年長の北澤さんの発言に納得して引き下がることが多かった。かけがいのない<人生の先達>であった。

【今井清一さん96歳で逝去】
 同じ文理学部OB会の今井清一さんが2020年3月9日、肺炎のため逝去。享年96。これをニュースで知った。
今井さんと言えば、著書 『日本の歴史(23) 大正デモクラシー』(中央公論社 1966年/中公バックス1971年/中公文庫 2006年)や『日本近代史(2)』(岩波書店, 1977年)等で著名な日本近代史の第一人者である。
ちなみに『日本近代史(1)』の著者は遠山茂樹さんで、同じ市大の教授、2011年没、享年97。私は浪人中に講演を聴いたことがある。重子夫人は2021年、101歳で逝去された。
 運よく市大に採用された私は、今井さんや遠山さんの同僚となり、光栄に感じるとともに、毎日が知的刺激に満ち、楽しかった。
そして『紀行随想 東洋の近代』(1977年 朝日新聞社)や『イギリスとアジア-近代史の原画』(1980年 岩波新書)と研究対象を拡げていく過程で、今井さんや遠山さんの著書・論文を改めて読み返していた。
 それだけではない。教授会や各種委員会、あるいは会議の後の飲み会の場で、研究姿勢や人柄に触れ、さまざまに吸収することができた。今井さんはお酒が好きで二次会は欠かさなかったが、最後の数年はさすがに控えておられた。
最近、『横浜の関東大震災』(有隣堂 2007年)を読み直した。最後の著作は『濱口雄幸伝(上・下)』(朔北社 2013年)である。

【市大文理学部OB会永年幹事の宮崎忠克さん】
 文理学部OB会は発足して25年になる。四半世紀!この2年はコロナ禍で休眠中ではあるが…。ここまで長く続いたのは、名誉教授の宮崎忠克(英文学)さんと現役幹事の浮田徹嗣教授(心理学)が中心の永年幹事のおかげである。
 二人にメール連絡を取ろうとしたが、宮崎さんのアドレスが分からない。浮田さんだけにメールで問い合わせると、「宮崎先生は常に酸素ボンベからの酸素吸入が必要で、…基本的には在宅療養でほぼ毎月の通院が欠かせない」の返信に驚く。宮崎さんの自宅に電話すると、すぐに奥様が出られ、代わって出た彼の声がとても明るくて安心した。
 文理学部改組による国際文化学部と理学部の誕生、翌年の大学院(修士・博士)の設置等々、苦楽を共にしてきた友である。学長時代(1998~2002年)には学長室を抜け出しては彼の研究室でコーヒーを手に雑談に耽った。愛する同志よ! 次の作品を待っている。

【猿渡副理事長のご母堂99歳の逝去】
 三溪園保勝会副理事長で元横浜美術館学芸員、美術史を中心に広く活躍しておられる猿渡紀代子さんのご母堂が逝去された。他の用件のメールのなかで、さり気なく記されていた。 「…9月に母が亡くなり、11月に入ると様々な仕事が入って、ショーメの展示会に伺うことができませんでした」とあった。
 すぐにお悔やみのメールをお送りすると、次ような返事をいただいた。
「お悔みのメールをいただき、ありがとうございました。母は99歳でしたので大往生です。コロナ渦中でしたが、最後の2週間は自室に戻り、私たちも意識のある内に会うことができたのが慰めです。誰しもそうでしょうが、母親との別れは何歳になっても特別なものであることを感じています。」
 99歳を<白寿>と呼ぶ。<百>の字から一を引いて<白>、しめやかで気高い白いことぶき(寿)。

【岩原弘久さんの逝去】
 横浜茶道連盟の理事長で、三溪園保勝会の理事と評議員を交互に長くつとめてくださった岩原弘久さんが11月10日に逝去されたと奥様の光世さんから事務所へ連絡があった。享年85。私と同年であり愕然とする。
 岩原さんの三溪園役員歴はなんと1986(昭和61)年から2021(令和3)年まで通算36年におよぶ。1986(昭和61)年3月(選任)から2000(平成12)年まで評議員、ついで2000(平成12)年6月から2012(平成24)年まで理事、そして2012(平成24)年8月に公益財団法人に移行する時に評議員になられた。三溪園保勝会の恩人である。
 奥様からの喪中の挨拶には、「横浜茶道連盟を引き継いで37年目になり、現在連盟は92周年です」とある。こちらも息の長い活動ぶりであった。
これとは別に事務局には12月3日つけの奥様手書きの文面が添えられていた。「9月最後の日曜日が横浜茶道連盟の役員会でしたが、朝になって具合が悪いので断ると言い出し、翌週からケイユウ病院に検査入院いたしました。肺癌で普通は1年、岩原さんは体力があるから3年と言われましたが、帰宅してからすっかり病人になってしまい、たった2ヶ月で亡くなりました。…」
 今年6月の評議員会でお会いしているが、茶会の席で最後にお会いしたのは4年前である(ブログ2017年11月27日掲載の「第20回 三溪園大茶会」)。

【横浜学連絡会議の中村實さん86歳で逝去】
 中村實(まこと)さんが7月、86歳で逝去されたと奥様から喪中の挨拶をいただいた。一歳年長である。横浜銀行の「はまぎん産業文化振興財団」事務局長を永くつとめ、横浜市の文化振興に大きく貢献され、のち東北文化学園大学教授となられた。温厚な風貌。バリトンで穏やかに話されるが、時に鋭い舌鋒で論じる。
 初めて中村さんにお会いしたのは、市大の一般教育科目「横浜学事始」に出講をお願いした時だと思う。市大の学生の大半が横浜市外の出身者であり、高校まで育った故郷と、横浜という新しい故郷を持つ<特性>を意識的に発揮してほしいと願い、各分野から講師をお招きして構成した科目である(編著『横浜学事始』 1994年3月、市大一般教育委員会)。
 ついで大学から市内へと活動範囲を拡げたのが横浜学連絡会議で、ここでもご一緒した。手元にある新書版『横浜の魅力を生かす』(2003年、横浜学連絡会議)を見ると、横浜学連絡会議は「横浜学シンポジウム」を第1回(1990年12月15日)から第10回(2002年12月21日)まで毎年1回を原則に12年にわたり開催している。また「横浜学セミナー(公開講座)、は第1回(1991年12月14日)から第35回(2001年12月1日)まで10年間におよぶ。
 委員は20名、市民団体(鈴木隆・「横浜学」を考える会事務局長ほか)、学者(菅原一孝・桜美林大学教授、中村實・東北文化学園大学教授ほか)、作家・画家(山崎洋子、宮野力哉ほか)、行政(金田孝之・横浜市企画局長ほか)、産業界(篠崎孝子・有隣堂会長、小林弘親・横浜港ターミナル運営協議会理事長)等を網羅している。
 これで終わらない。三度目がある。「かながわ検定」の出題委員としてご一緒した。かながわ検定協議会(テレビ神奈川、神奈川新聞、横浜商工会議所で構成)が主催する<ご当地検定>で、横浜ライセンスと神奈川ライセンスの2種があり、「神奈川や横浜を学ぶ機会を提供し、観光振興に寄与するとともに、当地の魅力を国内外に向けて発信すること」を目指し、2007年に始まり2017年3月に実施の第12回で終了した。10回までの出願者は延べ7500人超、1級に合格しても関連セミナーに参加し続ける、探究心の尽きないハマっ子もいた。出題分野は「歴史」「現代」「自然」「テーマ問題」「カナロコ問題」等、試験会場には主に横浜市大八景キャンパスが使われた。

【齋藤満・優子さんのご母堂逝去】
 齋藤満・優子ご夫妻からの喪中の挨拶には、「母 佐藤壽美子 去る八月二十四、八十七歳にて永眠いたしました」とあった。ご母堂や優子夫人にはお会いしたことがないが、齋藤満さんとは長い付き合いである。
横浜市立大学時代に総務課庶務係長として新米学長の私に、ドレスコード、学内問題の処理、行政職や市会議員との付き合い方などを丁寧に教えてくれた。
 それから10年後の2012(平成24)年6月、齋藤さんは横浜市文化観光局観光振興課長として突然の連絡をくれた。「…いま三溪園(正式には名勝庭園三溪園を管理する団体で公益財団法人三溪園保勝会)を所管する立場にあり、そのことでお願いしたい…」とのこと。
 少年時代、パイロットか庭師になりたいと夢想したことがある。頂戴した資料のなかに「公益財団法人三溪園保勝会定款」があった。その第3条(目的)に「この法人は、国民共有の文化遺産である重要文化財建造物等及び名勝庭園の保存・活用を通して、歴史及び文化の継承とその発展を図り、潤いある地域社会づくりに寄与するとともに、日本の文化を世界に発信することを目的とする」と明記されている。
 これを在任中の都留文科大学に諮ると、学長との兼務は問題ないとのこと。夢に見た新しい世界かもしれない。こうして2012(平成24)年8月、私は三溪園園長兼理事に就任した。

【混植・密植型植樹を先導した宮脇昭さん逝去 93歳】
 宮脇昭さんが2021年(令和3年)7月16日に逝去された。1928(昭和3)年生れの生態学者、地球環境戦略研究機関国際生態学センター長、横浜国立大学名誉教授。元国際生態学会会長。
 横浜には、横浜市立大学(通称は市大)と横浜国立大学(通称は国大)がある。新制大学としての誕生時から因縁があり、文部省の調整により名称を使い分け、市大と国大とした。名称に国立がつく国立大学は他にない。
 1996年ごろから文部省周辺で<大学統合論>が出始めた。市大では文理学部を改組して国際文化学部と理学部が誕生(1995年)、つづけて大学院(修士・博士課程)を増設した時期である。その縁で文部省高等教育局とも知り合いができた。とくに国公立大学の統合となれば、「横浜市立大学+横浜国立大学=横浜大学」でスッキリするねと、冗談さえ囁かれた。
 外部からの押しつけの、他律的な統合だけは勘弁してほしい。自律的な統合の可能性はあるのか。両大学の学部構成からして、重なるのは市大の商学部と国大の経済学部くらいであろう。両校の学長・学部長らによる懇親会が始まった。会場が国大の時、管理棟の前の広場の森に目を奪われた。シイ、タブノキ、カシ類の常緑広葉樹の木々が茂る、深い緑の森である。
 宮脇さんを初めて知ったのは、その時である。国内外で土地本来の潜在自然植生の木群を中心に、その森を構成している多種の樹種を混ぜて植樹する「混植・密植型植樹」を提唱し活動して来られた。
 以下、宮脇さんの理論と実践について、主なものを紹介したい。
 理論 : 「日本の常緑広葉樹を主とする照葉樹林帯では土地本来の森は0.06%しか残っていない。ほとんど人間が手を入れて二次林や人工的で単一樹種の画一樹林にしてしまった。これが台風や地震、洪水などの際の自然災害の揺り戻し(2次災害)が起こる諸悪の根源である。その土地本来の潜在植生は、<鎮守の森>を調べればわかる。大抵、シイ、タブノキ、カシ類の木々が茂っているはずだ。…スギやヒノキ、カラマツ、マツなどの針葉樹林は、人間が材木を生産するため人工的に造林したもので、人が手を入れ続けなければ維持できない。本来の植生は内陸部ではシラカシなどの常緑広葉樹、海岸部はタブノキ、シイ等のいずれも照葉樹林が本来の姿である。現在の針葉樹では20年に一回の伐採と3年に一回の下草刈りが前提で、それをやらないと維持できない偽物の森である。マツにしても、元々条件の悪い山頂部などに限定して生えていただけのものを人間が広げてしまったのだからマツクイムシの大発生は自然の摂理である。その土地本来の森であれば、火事や地震などの自然災害にも耐えられる能力を持つが、人工的な森では耐えられない。手入れの行き届かない人工的な森は元に戻すのが一番、そのためには200年間は森に人間が変な手を加えないこと。200年で元に戻る」。
 1980年から約10年をかけて日本全国を巡り、潜在的な自然植生を調査、宮脇昭編著『日本植生誌(1982年~、全10巻、至文堂)』を刊行。
 実践 : 1970年、後に<宮脇方式>と呼ばれる、土地本来の植生をポット苗を用いて植える方法による環境保全林造りが初めて新日本製鐵大分製鐵所で行われた。この成功により企業や地方自治体など宮脇方式を取り入れた森造りが盛んになる。
1990年から国外において、熱帯雨林再生プロジェクトに参加する。マレーシアでは、根が充満したポット苗を植樹する方法で、再生不可能とまでいわれている熱帯雨林の再生に成功。1998年からは、中国の万里の長城でモウコナラの植樹を行うプロジェクトを進め、2000年代後半ごろから、潜在自然植生論に一定の成果を得て、自然林と二次林の違い、長所、共存といった総合的な研究に向かった。
 神奈川県にある湘南国際村では、市民と企業と行政が一緒に行う協働参加型の森づくり<めぐりの森>の指導にあたっている。市民と企業と行政が共に行なう協働参加型の森づくりで、神奈川県のコア事業。土地本来の木を中心に多様な樹種の苗木を植えることで、成長が早く、病虫や雨風に強い森づくり目指す。植樹祭は2009年以降毎年行われている。
 <めぐりの森>では、宮脇式をリノベーションし、「生態系機能回復式 植生復元」により 森づくりが引き継がれている。マウンド作りに大型重機を使用せず、従前の施工費を50〜70%カットすることで持続可能性を増した上で、自然への負荷を大きく減らした方法である。宮脇さん自身もこの方法を承認し、名誉顧問を務める非営利型一般社団法人Silvaの発案による「混植・密植方式植樹推進グループ」グループ長も努め、同法人と連名主催で植樹事業を推進してきた。
 海外では、宮脇方式のミニ森林を設ける活動がオランダ、フランス、イギリスなど12か国で行われている。フランスには2018年3月に騒音の低減、空気の濾過を目的にパリにミニ森林が初めて生まれた。

【公立大学協会・中田晃さんのご尊父が逝去 85歳】
 公立大学協会(公大協)の中田晃さんから喪中の挨拶が来た。「父 誠が一月十二日に八十五歳にて永眠いたしました。…」。ご尊父とは面識がないが、私と同年の85歳である。
 中田さんは公大協事務局長として長く活躍し、編集デザイナーの特性を活かして公大協の抱える個別課題の解決につとめたばかりか、放送大学の博士論文を基に『可能性としての公立大学政策-なぜ平成期に公立大学は急増したのか』(特定非営利活動法人 学校経理研究会 2020年)を刊行した理論家でもある。
 本書は、平成期(1989~2019年)の30年間に30校から93校に急増した公立大学を、当該公立大学と設置団体関係者へのインタビューを重ねて分析した画期的な内容である。
 中田さんは2002年に公大協に入り、2007年から事務局長に就き、2021年現在、事務局長(常務理事)として公大協を支えている。彼との付き合いは意外に長く、私の横浜市立大学長(1998~2002年)時代から公大協相談役(2003~2016年)時代にかけてである。
 とくに『地域とともにつくる公立大学-公立大学協会60周年記念誌』(2010年)を編集・刊行するのに苦楽を共にしたことが忘れられない。本誌は、その10年前に刊行した『地域とともにあゆむ公立大学-公立大学協会50年史』を引き継ぐもので、1999年から2009年という、日本の大学が遭遇した<疾風怒濤>の時代を描く。
 彼は名古屋大学理学部化学科在学中に芝居に熱中して中退、劇団制作部、編集デザイナーを経て公大協に入った経歴と才能(理系+芸術系?)が、多種多彩な公立大学からなる『公大協60周年記念誌』の編纂に大きく貢献した。たった今まで、中田さんが私の息子の年齢であるとは思い及ばなかった。

【いとこ加藤敬二の夫人が逝去】
 親戚では、加藤節子さんが逝去した。いとこの加藤敬二さんの夫人。長女の加藤真理さんから「3月24日 母 加藤節子が最愛の父の許へと旅立ちました。…2021年11月」と喪中の挨拶が届いた。
 私の亡父・加藤七郎は加藤勝弥(かつや、1854年2月2日(嘉永7年1月5日)~ 1921(大正10)年11月5日)の末っ子(13番目)であり、加藤敬二さんは勝弥の四男・四郎の子である。四郎の次男の敬二さんと末っ子の七郎のまた末っ子の私とは、年齢が親子ほど違っていた。
 敬二さんは東京高等商船学校を出て戦時中に日本郵船の氷川丸(1930年竣工、総トン数11,622トン)の船長を務め、引退してからは横浜港の水先案内人(パイロット)をしていた。
 その関係で1960年から横浜港に係留されている氷川丸を見学に行ったり、1962年、私の初海外渡航が横浜港からフランスの大型客船ベトナム号であったこと(共著『広島・アウシュビッツ 平和行進 青年の記録』)等も重なり、横浜は特別な場所あった。
 1973(昭和43)年、横浜市立大学に赴任、中国近代史から近代世界史(著書『イギリスとアジア-近代史の原画』1980年 岩波新書)へと研究テーマを拡げ、やがて横浜村(現在の横浜市中区日本大通)で結ばれた日米和親条約(1854年)を論じた『黒船前後の世界』(1985年 岩波書店)、『黒船異変-ペリーの挑戦』(1988年 岩波新書)、『幕末外交と開国』(2012年 講談社学術文庫)等を上梓したのも、どこか底流でつながっていたのかもしれない。

【園田英弘さんと日文研】
 京都にある(大学共同利用機関)国際日本文化研究センター(略称:日文研)の創設準備委員会が文部省内に置かれていた1986年、準備室長・梅原猛さんの下で働いていたのが、準備室次長の園田英弘さんであった。
 園田さんは『西洋化の構造――黒船・武士・国家』(思文閣出版 1993年)刊行を準備していた新進気鋭の学者(社会学)で1947年(昭和22)年生まれ、私より一回り若い。拙著『黒船前後の世界』(岩波書店 1985年)を読んで、連絡をくれた。二人を結ぶキーワードは<黒船>である。浅草の飲み屋へ案内して談笑した。
 この縁で私の日文研との付き合いが始まった。日文研の創設は翌1987年で初代所長が梅原猛さん、1995年から河合隼雄、2001年から山折哲雄さんとつづいた。山折所長のころ、私は客員教授(2005~2008年)をつとめ、京都へ、そして広く関西圏を回って認識を深めることができた。
 日文研へ行くたびに園田さんと雑談を重ねていたが、2007年4月に急逝、享年60。いまでも信じられない。

【梅原猛『日本人の「あの世」観』】
 日文研の梅原猛さん(1925年(大正14年)生まれ)が逝去されたのは一昨年 2019年(平成31年)1月12日、享年94。改めて『地獄の思想-日本精神の一系譜』(1983年 中公文庫)や『日本人の「あの世」観』(中公文庫 1993年)を読み直したいと思っていた。
 梅原さんの『日本人の「あの世」観』にある<あの世>とは、私流に解釈すると次のようになる。
人生の最期に関する不安に怯えて生きているのは苦しいから、人生最期の問題を解決しようと取り組んだ結果、宗教が生まれた。どの宗教でも、肉体としての命は最期を迎えても、霊魂は死後の世界て生きているという死生観を持ち、死後の世界か存在すると主張している。…仏教は多くの日本人の中で息づいている教えで、日本人の死生観を形作っていると言えるが、仏教以前の日本人の死生観は、<この世>から<あの世>へ行くと、いつでもこの世に戻ってこられる。言い換えれば一方通行ではなく、自由往来が可能となり、世界が倍に拡がる…。
 梅原さんは、時折、近くに来て、<この世>だけしか知らない我々を見守っておられるのではないか。
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人類最強の敵=新型コロナウィルス(45)

 11月12日(金曜)の午後、前号(44)を掲載した日に、岸田内閣は新型コロナ対策の「全体像」を決定した。今夏の「第5波」と比べて感染力が倍になる事態を想定し、11月末までに3万7千人分の病床を確保する。12月から3回目のワクチン接種を始め、飲み薬の年内実用化をめざす。
 岸田首相は対策本部で「まず重要なことは最悪の事態を想定し、次の感染拡大への備えを固めていくことだ」と語った。全体像は①医療提供体制の強化、②ワクチン接種の促進、③治療薬の確保、④日常生活の回復――の4本柱で構成した。
【各地で起業熱高まる】
 12日の日経新聞によれば、新型コロナウイルス禍後の新たな商機を捉えようと、地域で起業熱が高まっている。2021年4~9月の新設法人数は6万6530社と、前年同期比34.6%増加。法人数、増加率ともに半期でみて過去最多となった。全国自治体の6割超にあたる1077市区町村で増えた。テレワークの普及に加え、自治体の起業支援充実が追い風となっている。
 都道府県別の増加率では、全県を挙げて起業家誘致に取り組む山口県が55.1%増の411社で最も高かった。以下、長崎県、山梨県の順。新設法人数が1万9050社で最も多かった東京都は、伸び率では12位にとどまった。
 山口県は市町とともに補助金や支援制度を網羅したポータル・サイトを開設する。首都圏等で実施するセミナーや相談会などを1カ所で検索できるようにしたほか、創業経験者に体験談を聞いたインタビューや「やまぐち移住創業物語」と題したアニメーションなどを準備する。移住に対する関心の高まりから、東京都内の窓口「やまぐち暮らし東京支援センター」への4~9月の相談数は前年同期の2倍に増加した。担当者は「地域貢献のチャンスがあると考える相談者が増えた」と話す。
【藤井聡太三冠が竜王を奪取】
 12、13日の両日、将棋の第34期竜王戦七番勝負の第4局が山口県宇部市で指され、後手の藤井聡太三冠(19)が豊島将之竜王(31)を破り、4連勝で竜王のタイトルを奪取した。王位・叡王・棋聖を併せ持つ藤井四冠は19歳3カ月で、1993年に羽生善治九段(51)が四冠となった際の22歳9カ月の最年少記録を更新した。四冠はわずか6人で、将棋史を彩る大棋士ばかり。
いよいよ全八冠制覇も視界に入るが、2人目の四冠達成者である中原誠名誉王座(十六世名人、74歳)は、「これからは体力とかスケジュールとか、将棋の強さとは別のものが必要になってくる」と指摘する。ファンが期待を寄せる史上初の八冠独占について、中原名誉王座は「可能性は十分ある」とみる。
 現在の将棋界には8つのタイトルがあり、これで半数を手中に入れた。現在進行中の王将戦挑戦者決定リーグでは4戦全勝で首位を走り、2021年度内の五冠も見えつつある。残る王座は早ければ22年、棋王と名人は23年に挑戦・獲得の可能性がある(以上、日経新聞)。

【COP26が閉幕】
 14日の日経新聞によると、第26回国連気候変動枠組み条約締約国会議(COP26)は13日、合意文書<グラスゴー気候パクト>を採択して閉幕した。最大の焦点だった石炭火力発電の利用について、当初の文書案から表現を弱め、「段階的な廃止(phase-out)」から「段階的な削減(phase-down)」に変更した。産業革命前からの気温上昇は1・5度以内に抑える努力を追求すると明記した。
 会議は10月31日に開幕、11月12日までの予定だったが交渉が難航し、会期を1日延長して議論を続けていた。議長国の英国が各国との協議を経て13日朝、新しい合意案を公表し、これを元に各国が交渉していた。
 議長国の英国は、石炭火力の段階的な廃止に強くこだわっていた。だがインドなどの反発が強く、当初案に比べて表現を後退させた。それが上掲の「段階的な廃止(phase-out)」から「段階的な削減(phase-down)」に変更である。欧州連合(EU)やスイス、島しょ国の閣僚らが「表現の変更に失望した」と表明したものの、採択には反対しなかった。
 (もう1つの争点の)先進国から途上国への資金支援では、2020年までに年1000億ドルを実現するとの約束が守られなかったことについて、途上国側は「約束違反だ」と批判していた。文書では「深い遺憾」を表明。先進国が早期に実現することを改めて約束した。
 次のCOP27は2022年にエジプトで、COP28は2023年にアラブ首長国連邦(UAE)で開くことも固まった。

【COP26舞台裏の攻防】
 その直後、日経新聞は「COP26、立ちはだかった中印 土壇場で文書修正」の見出しで「段階的な削減(phase-down)」に変更へと急展開した内幕を報じた。
 会議の開幕以降、先進国ペースで交渉が進んできたことへの新興国の強い反発が土壇場で表面化したからだとする。
シャーマ議長が示した再改訂案に途上国は2つの点で不満があった。一つは先進国から途上国への排出削減に向けた資金支援、もう一つは温暖化に伴う異常気象など「損失と被害」に関する対応である。途上国は温暖化で受けた被害を相殺するため、先進国に具体的な資金支援計画をつくるよう求めていたが、気候変動論議のけん引役であるべき米国とEUが最後まで首を縦に振らず、新たな対話の場を設けるにとどまった。強い政治力と資金力を持つにもかかわらず、自らに有利なように交渉を進める先進国。ボリビア代表からは「我々は炭素(カーボン)植民地主義にとらわれるのを拒否する」との声が漏れた。
 それでも合意案(再改訂案)は採択されるとみられていた。会場の空気が変わったのは13日夕。中国とインドが立ちはだかった。「経済発展と貧困の撲滅を追求する途上国が、石炭を段階的に廃止するなどと約束できるだろうか」。インドのヤダフ環境相が反対論をぶち上げると、会場がざわついた。
 土壇場での予期せぬ異議申し立てに全体会合は急きょ中断された。実質的に途上国の後ろ盾となっている中国もインドに同調。ケリー氏ら米中印EUの代表が別室に移動して協議に入った。数十分後に4人が出てきた後もシャーマ氏が手にノートを持ちながら最終的な文言調整に奔走した。
 シャーマ氏が全体会合を再開すると、ヤダフ氏が「段階的廃止」から「段階的削減」に変更するよう逆提案。押し戻された先進国と、温暖化の影響をうけやすい島しょ国などは相次いで「最後の最後での表現変更には失望した」(マーシャル諸島)と発言したが、合意の採択自体は容認した。

【米中首脳によるオンライン協議】
 16日午前(米東部時間15日夜)、バイデン米大統領と中国の習近平主席はオンライン形式による首脳協議を開き、約3時間半にわたり、諸問題について意見交換を行った。台湾や人権など幅広い問題で対立する両国が、偶発的な衝突に発展しないよう首脳による対話を維持する。
 バイデン氏は協議の冒頭で「私たちの責任は両国間の競争が衝突に発展しないようにすることだ。共通認識に基づくガードレールを設ける必要がある」と述べた。そのうえで「とくに気候変動のような地球規模の問題では協力する必要がある」と語った。
 さらにバイデン氏は「すべての国が同じルールに従わなければならないと信じている。米国は常に自分たちの利益と価値、同盟国やパートナーの利益のために立ち上がる」と表明。「人権や経済、自由で開かれたインド太平洋を確保するために懸念している分野についても議論したい」と訴えた。「次回は直接会って話ができるよう願っている」と対面会談も呼びかけた。
 中国国営新華社によると、習氏は冒頭で「きょうは初めてのオンライン協議だ。古い友人に会えてとてもうれしい」と笑顔をみせ、「中米は2つの経済大国および国連安全保障理事会の常任理事国として、意思疎通と協力を強め、お互いの国内の事柄をうまく処理するだけでなく、国際的責任も引き受けるべきだ」と語った。
 習氏は「気候変動や新型コロナウイルスなどの世界的な挑戦では、いずれも健全で安定した中米関係が必要だ」と指摘。「中米は相互尊重、平和共存、協力・互恵の関係を取るべきだ」とも語った。
 両氏が直接会話を交わすのは9月に電話協議して以来となる。サキ米大統領報道官は15日の記者会見で「中国では(習氏に)権力が集中しているため、現段階で中国と緊密な外交関係を築くには大統領と習氏の継続的な話し合いが重要だ」と話した。
 今回の3時間半にわたる首脳協議では、具体策の合意や成果文書を出す予定はない。バイデン氏は台湾周辺や東シナ海・南シナ海での中国の挑発行動に加え、新疆ウイグル自治区や香港での人権侵害、中国によるサイバー攻撃について懸念を表明した。
 首脳間の対話継続には偶発的な軍事衝突を防ぐ狙いがある。誤解や見込み違いが衝突に発展するのを防ぐ「ガードレール」(米政府高官)となる共通の認識を醸成させたいとの思いがある。
 中国にとって台湾問題は決して譲れない。習氏の側近として知られる秦剛駐米大使が13日に「我々は両岸(中台)の融合・発展を推し進める努力をするが、武力使用を放棄することは決して承諾しない」と発言した。
 気候変動などで歩み寄りを模索するなど、米中は慎重に距離感を測る。首脳協議でも温暖化対策で両国が協力する重要性を確認し、バイデン氏から習氏にさらに踏み込んだ対応を促すもようだ。
 貿易面では知的財産侵害や過剰な産業補助金の問題も議題になりそうだ。中国側からはトランプ政権時代の制裁関税の解除を訴える可能性がある。中国は中国人留学生のビザが制限されている問題も米国に対応を求めるとみられる。
 米国や欧州では人権弾圧を理由に2022年2月の北京冬季五輪をボイコットすべしとの声がある。米CNBCテレビは首脳協議で習氏がバイデン氏を北京五輪に招待する見通しだと報じた。招待した場合、バイデン氏の対応が焦点になる。
【米中首脳会談の舞台裏】
 16日(火曜)の朝日新聞デジタルは、伊藤大地編集長が「米中首脳会談、対立浮き彫り バイデン政権が妥協できない事情」の見出しで、次の諸点を指摘した。
 ▽米中首脳は初のオンライン会談で、悪化の一途をたどってきた二国間関係の改善に向けた糸口を探った。だが、3時間半に及ぶ会談で浮かび上がったのは、台湾や人権問題での対立の根深さだ。議論が平行線のなか、辛うじて意思疎通の必要性では一致したが、先行きは見通せずにいる。
 ▽15日夜、米ホワイトハウス内の会議室「ルーズベルト・ルーム」。バイデン米大統領の座る机の横に設置されたテレビ画面には、中国の習近平主席の姿が映し出されていた。代表取材団に公開された会議の冒頭、バイデン氏は習氏に向かって右手を挙げ、にこやかに笑顔を見せた。その後は手元に置いた分厚いファイルに目を落とし、「米中間の競争を衝突へと変えないことが、米 中両国のリーダーである我々の責任だ」などと読み上げ、慎重に言葉を選んでいる様子がうかがえた。
 ▽バイデン氏は会談で、最大の懸案である台湾情勢について「一方的な現状変更や台湾海峡の平和と安定を損なう試みに強く反対する」との意向を示したうえで、中国国内の人権問題に懸念を表明。首脳会談においても、米中対立が際立つ結果となった。そもそも、バイデン政権はトランプ前政権から継承した競争政策をやめるつもりは毛頭なく、中国との根本的な関係改善にも消極的だ。背景にあるのが、台湾の防空識別圏に中国機が進入を繰り返すように、中国の軍事活動の活発化がある。極超音速(ハイパーソニック)兵器の実験や核開発の急速な増強に、ワシントンでは中国への警戒感はこれまでにないレベルで高まっている。
 ▽バイデン氏の支持率の低下も対中姿勢に影響している。直近のワシントン・ポストの世論調査では政権発足以来、最低の41%を記録するなど、政権の足元はおぼつかない。米国世論は中国に対して厳しい見方が支配的だ。来年11月の中間選挙を控え、中国との安易な妥協は政権にとって致命傷となりかねない。大胆な政策変更はできない。となれば、首脳レベルなどで意思疎通を図るチャンネルを構築し、競争を前提とした両国関係のリスク管理に傾注せざるをえない。
 ▽一方、米中間の大きな懸案である貿易問題については米政権高官が率直に「協議の主要部分とは見なせなかった」と述べるほど、米側も力を入れていなかった。対中貿易で打撃にさらされた米製造業地帯の保護を掲げ、制裁関税の発動や解除を交渉材料に習氏との「ディール」(取引)を演出したトランプ前大統領とは様相の異なるものになった。バイデン氏は習氏に対し、トランプ氏が2020年1月に米農産物の輸入拡大などを柱にまとめた「第1段階の合意」を履行するよう要求。中国側はこの合意を達成できていないが、バイデン氏は制裁関税を上げることも、引き下げることも選択肢として示さず、現状維持に徹した。
 ▽トランプ前政権は「第2段階」の交渉で、中国による知的財産の侵害や不透明な産業補助金の問題など、中国の政治体制や、米国とその同盟国の経済安全保障に関わる核心的な争点に踏み込む方針だった。こうした問題が是正されたわけではなく、実質的には先送りしたままとなった。
 ▽バイデン氏は制裁関税の扱いについては「タイ通商代表を信頼して任せている」(サキ大統領報道官)というのが米政権の姿勢だ。タイ氏は10日の朝日新聞などとの会見で「中国との間で交渉に弾みがついていない、とは思わないでほしい」と水面下での進展も示唆。ただ、目に見える動きがない状況に、多数の米業界団体が12日、連名でタイ通商代表に「中国との未解決の構造問題の是正を優先してほしい」と求める書簡を送るなど、米国内の不満はくすぶり続けている。

【大谷翔平選手が満票でMVP】
 18日午後(日本時間19日金曜午前)、米大リーグの最優秀選手(MVP)が発表され、エンゼルスの大谷翔平選手(27)がア・リーグMVPに選ばれた。日本選手が大リーグでMVPを受賞するのは2001年のイチロー(当時マリナーズ)以来、2人目の快挙。1位票満票での受賞は、15年のブライス・ハーパー(当時ナショナルズ、現フィリーズ)以来となった。ベーブ・ルース以来の本格的な投打二刀流での活躍が現代野球の常識を覆し、圧倒的な支持を集めた。
 大谷選手は「すごくうれしい。投票してくれた記者のみなさん、チームメート、監督、コーチ、ファン、トレーナー、僕の手術をしてくれたお医者さん、支えてくれた人に感謝したい。(MVPは)もちろん取りたいなと思っていたけど、日本で最初に(二刀流を)やるってなったときより、米国に来たときの方が受け入れられる雰囲気があった」と喜びを語った。
 今季は打者で打率2割5分7厘、リーグ3位の46本塁打、100打点、26盗塁の好成績を残した。投手でも9勝2敗、防御率3.18、156奪三振。安打数、打点、得点、投球回数、奪三振の投打5部門で100以上をマークする大リーグ史上初の選手となり、スケールの大きさを示した。
 MVPはレギュラーシーズンの成績を対象に、プレーオフ前に実施される全米野球記者協会会員30人の投票で決まる。大谷選手は48本で本塁打王のゲレロ(ブルージェイズ)、45本塁打のセミエン(同)の両選手とともにア・リーグMVPの最終候補3人に順当に残り、満票での選出がなるかに注目が集まっていた。

【日本のコロナ感染者急減のナゾ】
 日本では8月下旬からコロナ感染者が急減している。一方、韓国やドイツ、アメリカ等では急増している。ナゼか? 誰もが不思議に思い、次の一手(日本では第6波に対する予防措置)の打ち方に戸惑う。
 19日(金曜)の日経新聞は、「迷走したコロナの科学 「正解」急ぐ社会と溝」(編集委員 矢野寿彦)の見出しで、次のように述べた。多岐にわたる論点を掲げる。
 ▽コロナ禍では政治も経済も社会も、行く末を科学が握った。私たちは科学の本質を見極め、そして対話ができただろうか。新型コロナウイルスの国内感染者数は8月半ば以降、大きな波が引くように一気に減った。「ゼロ・コロナ」に近づく激減ぶりに海外メディアも好奇の目を向けた。ドイツのノーベル賞学者アイゲン氏が半世紀前に唱えた「ウイルスの過剰な変異ゆえの自滅」説も注目された。
 ▽コロナのウイルスはRNA(リボ核酸)を遺伝子とする生命体だ。DNAと違って「進化」の過程で生じる遺伝情報のコピー(複製)エラーの修復が難しい。子孫を絶やさないよう変異を繰り返すしかないが、その都度、膨大なエラーが起き、生存に必須の遺伝情報が壊れるリスクも増す。そんなウイルスの性質に基づいた考え方が一石を投じた。無理もない。パンデミック(世界的大流行)から1年半。第5波では緊急事態宣言による自粛効果が薄れた。東京五輪後、政府の分科会が集中対策で求めた人流「5割減」も目標に及ばなかった。にもかかわらず、想定外の沈静化にコロナ対策を担う科学者たちは、なぜかを説明できないままだ。
 ▽昨年春の第1波でも欧州で起きた感染爆発はみられず、小さな波で収束した。日本固有の感染抑制要因「ファクターX」が探究の対象になったが、結局あるのか、ないのか。決着をみていない。
 ▽科学とは本来、過去と今を見つめ、自然界にある普遍のルールを発見する営みである。その源流は近代哲学の父とされるデカルトが17世紀に唱えた「要素還元主義」にたどり着く。物質なら原子から素粒子へ、生命なら細胞からゲノムへといった具合に対象を細分化して真理に迫る。仮説をたて、データを集め分析し、試行錯誤を繰り返しながら結論を導くのが基本となる。
 ▽コロナ対策の担い手は公衆衛生学や感染症の専門家が中心となった。総合知を発揮するはずの日本学術会議は存在感がなかった。徹底されないPCR検査、免疫の有無をみる抗体検査も積極的に活用しない。変異の兆しを捉えるゲノム追跡も不十分だ。これでは感染の実態を把握できず、リスクも測れない。データが脆弱だと、次の打つ手に説得力を欠き、あとから検証することも難しい。
 ▽その結果、ウイルスの封じ込めに偏った「感染制御第一主義」が続いた。パンデミックの当初ならまだしも、疫病の正体が徐々に判明、医療の現場も対処の仕方が行き渡る。感染への過度な恐れは過剰な対策を生み、経済や社会の活動に多大な犠牲と心理的な負担を強いた。科学への不信、いらだち、モヤモヤの温床になる。
 ▽米物理学者、ワインバーグ氏が提唱した概念に「トランス・サイエンス」がある。21世紀になって影響力を増す「科学によって問いかけることはできても、答えを出すことは難しい」領域のことだ。気候変動や地震、感染症、原子力、先端医療倫理などがあたる。いつも、そしてすぐに「正解」を求めたがる現代社会だが、科学は決して万能ではなく、わからないことがたくさんある。
 ▽こうした限界や不確実性を科学者は自覚しているが、私たちはどうだろう。科学技術政策論を研究する吉沢剛氏は近著「不定性からみた科学」で、科学界と社会との隔たりは科学の「わからない」に対する認識差にあると指摘する。
 ▽自然界の多様な要因が複雑に絡み合う気候変動の世界は、トランス・サイエンスの最たるもの。反証の余地が大きく、懐疑論も絶えない。地球科学がとりわけ授賞に保守的とされる物理学賞に輝いたのは極めて異例とされた。一方、デジタル社会の進展で経済も社会も分・秒単位で動くようになった。この時間のずれをどうするか。対コロナでは査読を経ない「プレプリント」論文が氾濫したが、客観性を裏付ける科学の根幹ルールが社会のスピードに追いついていないともいえる。
 ▽1999年夏、世界の科学者がハンガリーに集った「ブダペスト会議」。20世紀型の「知識や進歩のための科学」とは違った「社会のための科学」の必要性が説かれた。科学者は専門性の高みから説くのではなく、社会との対話こそが重要になる。
 ▽例えば、原子力発電所から出る核のごみ。その処分ではフィンランドが世界の先を行く。神学者や哲学者らも交え、国民と対話を重ねて最終処分場を決めた。日本で生まれたiPS細胞でも、京都大は東洋思想を取り入れた先進医療研究の規範作りを探る。
 ▽人類が直面する課題を克服し、持続性ある社会を実現するには、科学の知見と技術の進化が欠かせない。科学と社会のつながりを研究する小林伝司大阪大名誉教授は「科学は人間が手にする大きな知的ツールで、これに代わるものはない。だが即座に正解を出し続けるようなものでない」と語る。科学の力は社会に受け入れられてこそ生きてくる。コロナ禍で得た教訓である。

【経済対策55兆円の内訳-経済対策は2割止まり】
 20日(土曜)の日経新聞は、「成長投資、米欧に劣後 経済対策55兆円の2割止まり」の見出しで、税財政エディター小滝麻理子氏が次のように述べた。
 ▽政府が19日に決めた経済対策は財政支出が55.7兆円と過去最大に膨らんだ。世界的にも遜色ない規模とするが、成長を意識した戦略は全体の2割程度にとどまる。新型コロナウイルス禍が収束した後の競争をにらみ、米欧では再生可能エネルギーのインフラ整備など複数年の投資計画が走り出す。日本も無駄を削減しつつ、環境・デジタルなど成長分野に集中するメリハリが求められる。
 ▽日本54%、ドイツ40%、英国33%、米国29%―。政府が経済対策を練る過程で比べたコロナ発生後の各国の経済対策の事業規模の国内総生産(GDP)に占める比率だ。日本は今回の対策も加わり、全体の規模は他国にひけを取らない。55兆円超もの巨額資金を投じるにもかかわらず、持続的な成長につながるような明確な戦略は乏しい。成長戦略と位置づける科学技術関連や地方のデジタル化、経済安全保障に関する施策は財政支出の2割程度だ。大規模なのは5.5兆円を追加する大学基金で、数百億円規模の海底ケーブル整備、継続的に取り組む農業輸出や地域観光支援など各省の要求を寄せ集めた総花的な色合いだ。
 ▽米欧は成長の道筋を描くために、集中的に資金を投じる。象徴が環境対策。米国のバイデン大統領は15日、総額1兆ドル(約110兆円)のインフラ投資法案に署名した。再生エネルギー拡充に欠かせない次世代の送電網を整備するために約7.4兆円を投じる。電気自動車(EV)の普及へ、8600億円をかけて充電設備を全国に50万基つくる。
 ▽債務問題に苦しんできたイタリアもドラギ首相が環境対策について「国の運命を左右する」と発言する。欧州連合(EU)の復興基金を活用し、水素ステーションの整備や水素を燃料にした鉄道開発などに3兆円、次世代送電網の投資に2兆円を投じる。格付け会社S&Pグローバルは10月、成長を押し上げ、財政健全化が期待できるとして同国の格付け見通しを引き上げた。
 ▽対照的に日本はメリハリを欠く。脱炭素へ再生エネの普及加速が欠かせない。電力広域的運営推進機関(広域機関)は総発電量に占める再生可能エネルギーの割合を5~6割に高める場合、北海道から東京、九州から本州など地域をまたぐ連系線などの増強に必要な投資額は2兆~2.6兆円になると試算する。経済対策では「送電網整備の促進」と明記したものの、実際の支出は補正予算案に当面の増強の目玉となる北海道から本州への海底送電線のルートを決めるための調査費用を盛り込むぐらいだ。日本は送配電会社が電気料金を通じて送電網の整備費用を回収する仕組みのため、米国と単純比較はできないが、それでも経済対策からは再生エネへこれまで以上のスピードで転換するという戦略は見えない。EVや充電インフラの導入に関する予算額も400億円程度にとどまる。
 ▽産業構造の変化を見越した働き手のリスキリング(学び直し)政策も後れを取る。バイデン政権は「米雇用計画」で先端製造業など成長産業の労働力開発へ11兆円を投じる方針を表明した。スウェーデンは環境対応で、森林保全の専門職やEV技術者などの人材育成を始めた。
 ▽経済協力開発機構(OECD)によると日本は職業訓練にかける公的支出の割合が先進国で最下位。岸田文雄首相は3年間で4千億円の人材投資を表明したものの、具体的な中身がカギを握る。
 ▽コロナ対策には予備費を含めて全体の6割弱の31.3兆円をつぎ込んだ。それでも実効性ある「第6波」対策を実現できるかはこれからの課題だ。感染力が夏の2倍になっても堪えられる医療体制の確保へ夏より3割多い3.7万人が入院可能な病床を整備する。病床確保のための都道府県への交付金を積み増した。
 ▽交付金を使った病床確保は夏の「第5波」では確保病床に患者が入院できない「幽霊病床」の問題を起こした。政府はコロナ病床の利用状況の「見える化」で再発を防ぐが、改善できなければ、数字上の病床数が積み上がり、無駄な支出の増加に終わる恐れがある。
 ▽各国はコロナ禍の危機モードから、中期的な環境・デジタルの成長戦略を財源も併せて議論・実行への局面に移行し始めている。日本は取り残されかねない。
【FRBのパウエル議長を再任】
 22日、バイデン米大統領は米連邦準備理事会(FRB)のパウエル議長を再任する方針を決めたとホワイトハウスが発表した。パウエル議長は2022年2月に4年の任期が切れる。トランプ前政権が起用したパウエル氏を続投させ、インフレ懸念が高まるなかで金融政策の安定と継続を重視する姿勢を示す。同時に、ホワイトハウスはバイデン大統領の意向として次期議長の有力候補だったブレイナード理事を副議長に指名する方針を表明した。
 大統領の人事案を議会上院が承認すれば、パウエル氏は2期目を務める。パウエル氏はもともと共和党から信頼があるだけでなく、安定した政策運営の手腕を評価され、民主党内での支持も厚い。FRBの元理事ら関係者は「パウエル氏は十分に再任に値する」と評価していた。一方、民主党内の急進左派は気候変動や金融規制への取り組みが不十分だとパウエル氏を批判。トランプ前大統領の指名を受けた議長であることにも不満がくすぶっていた。

【石油備蓄放出へ】
 23日(火曜)の日経新聞は、「米が石油備蓄放出へ 日中韓などと協調、原油高抑制狙う」の見出しで次のように報じた。
「バイデン米政権は23日、今後数カ月かけて戦略石油備蓄を5000万バレル放出すると発表した。日本や中国、インド、韓国、英国と協調して備蓄を放出する。日本の国家備蓄の放出は初めてで、24日に発表する。原油価格の高騰を受けたガソリン高を抑制するための異例の措置だが、効果を上げるかは不透明。放出量は備蓄の約8%に相当、国内需要の約3日分にあたる量である。」

 24日、日本政府は国家備蓄の放出を発表した。必要な備蓄量を上回る余剰分のうち国内需要の1~2日分に相当する約420万バレルを目安に放出する。年内にも売却に向けた入札を実施する。国家備蓄の放出は初めて。米国の要請に応じて各国との協調姿勢を示した形だが、原油価格に与える影響は未知数だ。
 日本の石油備蓄は9月末時点で国内需要の240日分程度ある。内訳は国家備蓄が145日分、石油会社などに義務付ける備蓄が90日分、産油国共同備蓄が6日分で、このうち国家備蓄を放出する。まずは1~2日分を放出し、必要があれば追加も検討する。しかし、為替相場が2年8か月ぶりの円安となり、輸入価格が高騰するため、石油の販売価格を抑える効果はあまり望めないと見られる。
 これから10日ほど経った12月2日、石油輸出国機構(OPEC)とロシアなど非加盟の主要産油国でつくる「OPECプラス」は2日、現行の原油増産を2022年1月も続けると決めた。毎月日量40万バレルずつ増産する従来の方針を維持する。新型コロナウイルスの変異型オミクロン株による需要減を警戒し増産を停止する案も取り沙汰されたが、見送った。ニューヨーク市場の原油先物は同日、需給の緩みを警戒した売りで一時、前日比5%下落した。

【南ア起源のオミクロン型変異株】
 29日(月曜)午前、岸田首相は記者団の取材に「オミクロン型については強い危機感を持って臨んでいる」と語った。首相は同日午後、緊急避難的な措置として30日午前0時から新規の外国人の入国を停止する(当面は1ヶ月間)と発表した。「まだ状況が分からないのに岸田は慎重過ぎるという批判については私がすべて負う覚悟だ」と述べた。
 オミクロン(英字でomicron)とはギリシャ文字でアルファ―(英字でalpha)に始まる24の文字のうち、第15字母oである。その前の14番目がξ(英字でxi)であるが、習近平主席(Xi Jinping)の苗字と同じ音なので、誤解を避けるため、1つ飛ばしたと言われる。ちなみに日本で急拡大したデルタ株のデルタδ(delta)は第4字母。その他の株はほとんど流行せず、話題にならなかった。
30日(火曜)、政府は新型コロナウイルスの新たな変異型「オミクロン型」の感染例が日本で確認されたと発表した。同日午後5時から開かれた関係閣僚会議の後、後藤大臣はオミクロン株への感染が確認されたのは、ナミビア人の外交官であると明らかにした。後藤大臣は感染者と同じ飛行機に乗っていた71人全員について濃厚接触者として扱うと説明した。
 一方、バイデン米大統領は、新型コロナウイルスの新たな変異型「オミクロン型」の感染拡大を巡り「現時点でロックダウン(都市封鎖)は考えていない」と述べた。米経済の回復に水を差す行動規制の導入を避ける意向を示した。
 バイデン氏はオミクロン型について「懸念する理由だが、パニックになる理由ではない」と強調し、国民に冷静な対応を呼びかけた。米国内では感染例が確認されていないが「遅かれ早かれ米国で見つかるだろう」と指摘した。既存のワクチンがオミクロン型にどれくらい効果があるか把握するには「数週間かかる」と語った。同型に対応する新たなワクチンが必要になった場合、「あらゆる手段を使って開発や供給を加速させる」と意欲を示した。
【立憲民主党の代表に泉健太氏】
 30日投開票の代表選で、立憲民主党は泉健太氏(47)を新代表に選出した。1回目の投票で過半数を得た候補がおらず、上位2人による決選投票で泉氏が逢坂誠二氏(62)に勝利した。代表任期は2024年9月末まで。
 泉氏は代表選出後に「国民のために働く政党として全員の力で歩んでいきたい」と述べた。記者会見では来夏の参院選に向けた共産党との選挙協力に関し「まず党として(衆院選の)総括をしなければならない」と語った。
 泉氏は衆院京都3区選出で当選8回。民主党政権で内閣府政務官を務めた。旧国民民主党を経て20年9月の新立憲民主党の結党に参加。結党に伴う代表選で枝野幸男氏に敗れ政調会長に就いた。党内では中道・保守を志向する議員のリーダー格とされる。
 代表選には泉、逢坂、小川淳也(50)、西村智奈美(54)の4氏が立候補した。党員らが参加する「フルスペック」型で実施した。1回目の投票で泉氏が首位、逢坂氏が2位となり決選投票に進んだ。国会議員、国政選挙の公認候補予定者と都道府県連代議員による決選投票の結果、泉氏が205ポイントを獲得して128ポイントの逢坂氏を制した。
【日本の生産人口が急減】
 12月1日(水曜)の日経新聞は、1面トップに「生産年齢人口、ピークの95年比13.9%減 国勢調査確定値 生産性の改善急務、規制緩和・DXに活路」の見出しで次のように報じた。
 ▽総務省は30日、2020年国勢調査の確定値を公表した。経済活動の主な担い手となる生産年齢人口(15~64歳)は7508万7865人となり、5年前の前回調査から226万6232人減った。ピークだった1995年の8716万4721人に比べ13.9%少ない。人口減時代の成長は一人ひとりの能力を高め、規制緩和にも取り組んで生産性をどう押し上げるかにかかる。
 ▽総人口は1億2614万6099人で5年前から94万8646人減った。総人口の減少は2調査連続となる。
 ▽生産年齢人口の減少は日本経済の足かせとなる。現在の生産年齢人口は7580万7317人だった1975年を下回る水準だ。総人口に占める割合も59.5%と1950年以来70年ぶりに6割の大台を割り込んだ。
 ▽今回の国勢調査で少子高齢化もより鮮明になった。65歳以上人口は5年前の前回調査に比べ6.6%増で過去最多の3602万6632人、14歳以下の人口は5.8%減で過去最少の1503万1602人となった。
 ▽高齢化率も2.0ポイント上昇の28.6%で過去最高を更新した。米国の16.6%やドイツの21.7%、イタリアの23.3%を上回り世界で最も高い水準。
 ▽後期高齢者医療制度の対象となる75歳以上人口は14.3%増の1860万1808人で過去最多だった。15年調査の時点で75歳以上が14歳以下を人口数で逆転し、超高齢化が鮮明となった。20年ではその差は357万206人となり15年から差が拡大した
【オミクロン株の水際対策で混乱】
 12月1日(水曜)、政府は新型コロナウイルス「オミクロン型」の水際対策を巡り、外国人が例外的に新規入国できる基準を厳格にする。音楽などのイベント開催目的の対象範囲を絞り込む方向だ。オミクロン型の市中への流入を防ぐ。
政府は11月30日に全世界からの外国人の新規入国を原則として止めたが、「特段の事情」がある外国人は例外として認めていた。日本人の家族や医療・外交関係者、人道上の理由や公益性がある場合などが該当する。日本人らがこれから帰国しようとしても、年内は難しくなる可能性がある。
 政府は今後の対応について「日本人の帰国需要に対応できるよう国交省で検討している」とした。新型コロナウイルスの変異株オミクロン株の感染拡大を受けた水際対策強化の一環で、要請は先月29日付だ。日本航空(JAL)と全日空(ANA)の国内大手2社は、1日までに新規の予約を止めた。
 政府は先月上旬に、ビジネス関係者や技能実習生、留学生らの入国制限をいったん緩和したばかり。オミクロン株の出現で、再び外国人の入国を一時的に停止し、これから入国できるのは日本人や定住外国人だけとなっていた。今月1日からは、1日あたりの入国者数の想定を5千人から3500人に引き下げている。
 翌2日(木曜)午前の記者会見で、松野官房長官は政府が日本に到着する国際線の新規予約を12月末まで止めるよう、すべての航空会社に要請していた問題で、「国土交通省において、新規予約の一律受け付け停止の要請を取りやめ、邦人の帰国需要について十分配慮するよう航空会社へ改めて通知した」と述べた。わずかマル2日の撤回である。
 2日、斉藤国交相は「国民の皆さまに大きな混乱を与えてしまった。責任者として大変申し訳ない」と陳謝した。11月29日付で国内外の航空会社に要請を出した経緯についてはその時点で「報告を受けていなかった」と明らかにした。これを踏まえ国交省航空局が緊急避難的に各航空会社に予約停止を要請。斉藤氏や首相官邸には12月1日夕方に事後報告したという。斉藤氏は記者団に「(要請は)少し荒っぽい方針だった。邦人の年末年始の帰国需要に対してもう少しきめ細かな配慮をすべきだった」と述べた。
全日本空輸(ANA)と日本航空(JAL)は2日、日本に帰国する日本人の国際線の予約受付を再開する準備を始め、3日に再開した。

【防衛省、ミサイル射程1000キロ超へ】
 1日の日経新聞(紙面版は2日朝刊)は、「防衛省、ミサイル射程1000キロ 抑止強化へ20年代後半」の見出しを1面トップに掲げて、次のように述べた。
 ▽防衛省は開発中の巡航ミサイルの射程を1000キロメートル超まで延ばす。地上配備だけでなく艦艇や戦闘機へも搭載し、2020年代後半までの配備をめざす。現在保有するミサイルは射程百数十キロにとどまる。アジア太平洋で過熱するミサイル開発競争を踏まえて抑止力強化を狙う。
 ▽自衛隊が持つ現在のミサイルの射程では敵艦の対空ミサイル圏内に入らないと反撃しにくい。新ミサイルは追尾して精密に打撃する能力も持つ。三菱重工が陸上自衛隊向けに生産する巡航ミサイル「12式地対艦誘導弾」の射程を延ばして開発する。地上配備型は実用化の試験を25年度までに終える計画だ。艦艇搭載型は26年度、戦闘機搭載型は28年度に試作を完了する工程で進める。
 ▽新ミサイルは周辺国から反発を受ける可能性がある。中国外務省は米国がアジア太平洋に中距離弾道ミサイルを配備した場合は「対抗措置をとらざるを得ない」と強調する。日本や韓国には「配備を認めないよう望む」と主張している。日本自らの保有にも反対は必至で、経済関係に影響が及ぶ恐れはある。政府は日本の防衛力強化のためと説明する方針だ。防衛省幹部は「近隣国がミサイル開発を進める以上、日本も抑止力を高める装備が必要になる」と指摘する。
【日立が小型原子炉を受注】
 3日の日経新聞は、「日立が小型原子炉を受注 日本勢で初、カナダ企業から」の見出しで次のように報じた。
日立製作所と米ゼネラル・エレクトリック(GE)の原子力合弁会社、GE日立ニュークリア・エナジーは2日、次世代原子力の「小型モジュール炉(SMR)」をカナダで受注したと発表した。日本勢の小型の商用炉の受注は初めて。既存の原発よりも工期が短く、炉が小さく理論上は安全性が高いとされる。世界が脱炭素にカジを切るなか、温暖化ガスを排出しない電源として期待されている。
電力大手のカナダ・オンタリオ・パワー・ジェネレーション(OPG)から受注した。受注額は非公表。2022年内に建設許可を申請し、最大4基を建設する。早ければ28年に第1号機が完成する。日立が強みを持つ軽水炉の技術を活用した出力30万キロワット級の「BWRX-300」と呼ばれる小型原子炉を納入する。
小型原子炉は現在商用化している出力100万キロワット級の原子炉に比べて出力が小さい。工場で部品を組み立てて現場で設置する方式で品質管理や工期の短縮ができるため、建設費が通常の原発より安くすむとされる。各国で研究開発が進むが、日本国内での導入には原子力発電所への信頼回復や耐震性など課題も多い。

【新型コロナの飲み薬】
11月29日の日経新聞「続々登場? 新型コロナの飲み薬、今わかっていること」は、次の点を報じている。
 ▽11月4日、英医薬品・医療製品規制庁(MHRA)は米製薬大手メルクなどが開発した新型コロナウイルスの飲み薬「モルヌピラビル」を承認した。
 ▽11月5日、米製薬大手ファイザー社が同じくコロナ飲み薬候補である「パクスロビド」の第2/3相治験の中間解析結果を発表し、発症から5日以内の投与で、重症化リスクのある人の入院または死亡のリスクを89%減らしたと報告した。この結果を受けてファイザーは追加の治験を中止し、米食品医薬品局(FDA)にパクスロビドの緊急承認を申請する予定。抗ウイルス薬の研究開発には困難がつきまとうものだが、相次ぐニュースや米政府による多額の投資など、その見通しは明るくなりつつある。
 ▽感染も防げるワクチンと異なり、抗ウイルス薬は感染後に病気の進行を遅らせ、最終的には止める役割を担う第2の防御策だ。エイズウイルス(HIV)やC型肝炎、ヘルペスのような、有効なワクチンがないウイルス性疾患に対してはとりわけ重要だ。
 ▽しかし、抗ウイルス薬の開発には多額の費用がかかる。急性呼吸器疾患の場合は、薬を使う期間が短く、開発費を回収できる見込みが薄いせいで特に難しい。そこで新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)の場合、研究者たちは既存の薬や、他の病気の治療薬候補として臨床試験(治験)が実施されていた物質を転用した。
 ▽「よくあることです」と話すのは、米メリーランド大学ボルチモアカウンティー校の創薬化学者キャサリン・シーリー・ラドケ氏だ。「新しいウイルスが出現したり、古いウイルスが再出現したりするたびに、薬棚にあるものを取り出して、何が効くかを調べるのです」。今のところ、FDAが新型コロナ治療薬として承認している抗ウイルス薬は、米バイオ製薬ギリアド・サイエンシズがC型肝炎やエボラ熱のために開発した「レムデシビル」だけだ。点滴で投与する必要があるが、新型コロナの治療効果についてはまだ意見が一致していない。
 ▽専門家はモルヌピラビルのような経口薬について、ワクチンと並び、新型コロナのパンデミック(世界的大流行)に対抗する最も有望な手段になると考えている。手頃な価格でさえあれば、個人の選択や物理的・経済的制約のためにワクチンを接種していない人にとって、特に重要なものとなるかもしれない。
 ▽ウイルスは細菌と異なり、自力では繁殖できない。そのため、宿主細胞の仕組みを乗っ取って自分のコピーを大量に作る必要がある。こうして増えた「子孫」が体内に広がり、最終的には別の宿主に感染する。
 ▽抗ウイルス薬の多くは、ウイルスが宿主細胞に付着したり侵入したりするのを防ぐか、あるいは宿主細胞に侵入したウイルスの複製を妨害することで効果を発揮する。
 ▽例えばレムデシビルは、新型コロナウイルスのゲノムに取り込まれて、ポリメラーゼという酵素の邪魔をする。 ポリメラーゼはゲノムをコピーする酵素で、これが働かなければウイルスは複製できない。米バイオ製薬リッジバック・バイオセラピューティクスとメルクが共同開発したモルヌピラビルも、やはり似たような仕組みでポリメラーゼのエラーを誘発する。「エラーが多すぎて、ウイルスが複製できない状態にするのです」と米ノースカロライナ大学チャペルヒル校の救命救急ウイルス学者ウィリアム・フィッシャー氏は説明する。
 ▽ファイザーの「パクスロビド」は、約20年前にSARSの治療薬として開発された「PF-07321332」と、その効果を高める抗HIV薬「リトナビル」を組み合わせた抗ウイルス薬だ。やはりウイルスの複製を標的にしているが、仕組みは少し違う。PF-07321332が阻害する酵素は、ポリメラーゼではなく3CLプロテアーゼだ。3CLプロテアーゼはたんぱく質を必要なサイズに切り分ける酵素で、新型コロナやHIVなどのウイルスの複製に欠かせない。
 ▽ところで、多くの専門家は、乗っ取られた細胞の働きを標的にすることで高い効果が得られると考えている。しかし、このような仕組みの抗ウイルス薬は、健康な細胞を傷つけ、さまざまな副作用を引き起こしかねないという懸念がある。
 ▽また、ウイルスのたんぱく質(酵素もその一種)をターゲットにするだけでは恒久的な解決にならない。「特定のウイルスたんぱく質を標的とした抗ウイルス薬を開発しようとすると、ウイルスにはすぐに進化の圧力がかかり、変異が起きて耐性ができてしまいます」と米カリフォルニア大学サンフランシスコ校の薬理学者ティア・タミノ氏は話す。
 ▽戦略としてより効果的なのは、これらの抗ウイルス薬を2〜4種類組み合わせて使用し、異なるウイルスたんぱく質や、複製における異なる段階を同時に標的にすることだ。HIVやC型肝炎感染症の治療では標準的な手法である。「そうすることで、ウイルスが逃れにくくなります」とタミノ氏は言う。
 ▽通常、新しいウイルスの抗ウイルス薬の開発には、少なくとも10年かかると言われている。そこで、新型コロナに素早く対応するためには、転用できる既存の薬を探さなければならなかった。「研究が進んでいない病気や、新しいウイルスによる感染症においては、転用はよくあることです」とタミノ氏は述べる。「新薬を発見してから人の手に渡るまでにかかる時間を短縮することができます」
 ▽研究者たちは、米カリフォルニア生物医学研究所(Calibr)の「ReFRAME」をはじめとする分子コレクションをスクリーニングし、新型コロナウイルスに有効なFDA承認薬や治験薬があるかどうかを調べた。カリフォルニア州のサンフォード・バーナム・プレビス医学研究所に所属していた計算生物学者ローラ・リバ氏も、そうしたスクリーニングを共同研究者と実施したところ、動物やヒトの細胞で新型コロナウイルスの複製を阻止したレムデシビルなど10数種類の物質を特定し、2020年7月24日付けで学術誌「Nature」に発表した。
 ▽2020年6月9日付けで同誌に発表されたサルを使った研究でも、新型コロナウイルスに対してレムデシビルが抗ウイルス性をもつ可能性は示されていた。また、米国立衛生研究所(NIH)が実施した、入院中の新型コロナ患者を対象とした初期の治験の1つでは、回復時間の短縮に役立つとされた。そしてレムデシビルは2020年10月、他の治験では明確な効果が示されなかったにもかかわらず、FDAが初めて承認した新型コロナ治療薬となった。
 ▽しかし、抗ウイルス薬候補を特定するにも、その物質がウイルスの生物学的特性のどの側面を標的にするのかを知らないままでは困難だ。また、同じ仕組みで作用すると思われた物質の効果が、実際には薄いことが後から判明する場合もある。例えば、ヒドロキシクロロキンを含む33種類の転用薬はどれも、実験室レベルでは細胞に脂肪のような物質を蓄積し、新型コロナウイルスの複製を何らかの形で減少させた。だが300件以上の治験で検証したところ、それほどの効果はなかった。「だから、私は薬の転用に批判的なのです」。スペインのイルシカイシャ・エイズ研究所の臨床ウイルス学者ミゲル・アンヘル・マルティネス氏は語る。「抗ウイルス薬の開発に近道はありません」
 ▽しかし、当初はインフルエンザ用として開発されたモルヌピラビルのような実験的な抗ウイルス薬が、新型コロナに対抗できる可能性があると考えている専門家もいる。
 ▽モルヌピラビルは錠剤として飲むことができる。軽度から中等度の患者が対象で、発症から5日以内に服用する。メルク社とリッジバック・バイオセラピューティクス社は10月1日のプレスリリースで、1日2回、5日間服用することで感染者の入院や死亡が半減するという第3相治験の結果を発表した。この結果はまだ査読を受けていない暫定的なものだが、両社は共同で10月11日にFDAに緊急使用の許可を申請。英国では11月4日に使用が承認された。
 ▽モルヌピラビルとパクスロビド以外にも、コロナの経口抗ウイルス薬候補はある。日本で抗インフルエンザ薬として開発された「ファビピラビル(商品名アビガン)」は、現在、感染初期の新型コロナに使用できるかどうかを評価するために治験が行われている。これまでの治験は小規模ではあるが、軽度から中等度の入院中の新型コロナ患者において、鼻やのどから新型コロナウイルスを除去する効果が示唆されている。今のところ、ロシアとインドなどで、新型コロナ治療薬として使用が認められている。
 ▽現在のところ、治験の初期段階にある抗ウイルス薬は他にも数種類あり、治験が行われる可能性のあるものがいくつかある。「これまでにないほど急性呼吸器疾患に対する抗ウイルス薬をテストする機会が得られています」とシーハン氏は語る。「抗ウイルス薬が承認されるのは喜ぶべきことです。1つの病気に複数の抗ウイルス薬が承認されれば、さらに素晴らしいことです」
【米メルク社のコロナ飲み薬、日本で承認申請】
 こうした経緯を受け、12月3日の日経新聞は「米メルク、日本でコロナ飲み薬の承認申請」の見出しで次のように報じた。
 ▽米製薬大手メルクの日本法人MSDは3日、新型コロナウイルスの治療薬候補「モルヌピラビル」について、厚生労働省に製造販売承認を申請した。関係者の取材でわかった。承認を得られれば、軽症・中等症の患者向けで国内初の飲み薬となる。メルクは新たな変異型「オミクロン型」に対しても有効である可能性が高いとしている。世界的な感染拡大が懸念されるなか、自宅で治療しやすくなる飲み薬が国内で認められれば、医療機関の負担軽減につながる可能性がある。
 ▽モルヌピラビルはメルクが米リッジバック・バイオセラピューティクスと共同開発した抗ウイルス薬で、体内でコロナウイルスの増殖を抑える働きがあるとされる。臨床試験(治験)では、1日2回5日間服用すると、重症化リスクのある軽度から中程度の症状の患者が入院・死亡するリスクを約30%下げる効果があった。
 ▽同薬は11月4日に英国で承認された。欧州連合(EU)でも緊急使用を認める勧告が出ており、米国でも米食品医薬品局(FDA)が同月30日に開いた諮問委員会で重症化リスクの高い大人への使用を推奨。FDAはこれを踏まえて承認を最終判断する予定。メルクは日本での承認取得後、年内にも国内供給を始める。日本政府はのべ160万人分について約12億ドル(約1300億円)で契約している。
 ▽国内では「抗体カクテル療法」として知られる中外製薬の「ロナプリーブ」など、5種類の薬がコロナ治療薬として承認されている。このうち軽症・中等症患者向けの薬では、ロナプリーブと英グラクソ・スミスクラインの抗体薬「ゼビュディ」が実用化済み。ただ、いずれも点滴や注射での投与が必要なため、飲み薬を求める声が高まっていた。
 ▽飲み薬が実用化されれば、自宅での服用も可能になり、入院しなくても治療しやすくなる。メルクはモルヌピラビルを濃厚接触者に投与する発症予防の用途での治験も進めている。

【オミクロン株への東京都の緊急対応】
 3日(金曜)、東京都は新型コロナウイルスの危機管理対策会議を開き、新たな変異型「オミクロン型」への緊急対応策を決めた。感染者が出た場合は可能な限り濃厚接触者の範囲を広げて、保健所が積極的疫学調査をする。濃厚接触者を受け入れていくため、宿泊療養施設を1750室から約3400室に増やす。
 小池知事は会議後の記者会見で「初期段階における基本的な感染防止対策のさらなる徹底が何よりも重要だ」と述べた。緊急対応策の一つとして掲げたのが情報発信で、オミクロン型の特徴や気をつけるべきポイントなどをまとめた特設ページをホームページに開設した。繁華街などでの注意喚起もしていく。
 企業に対してはテレワークのさらなる拡大を呼びかける。テレワークに力を入れる「東京ルール宣言企業」の社員に動画研修を受講してもらい、職場の推進役として活躍してもらう「テレワーク推進リーダー」制度を始める。推進リーダーを設置した中小企業が一定の要件を満たした場合に最大50万円の奨励金を支給する。
 また東京都は3日、新型コロナウイルスの変異型「オミクロン型」を1日以内に判別できるPCR検査の新たな手法を確立したと発表した。従来の手法では検知できなかったオミクロン型特有のたんぱく質の変異を検出できるのが特徴だ。ウイルスの遺伝子を解析するゲノム解析に比べて迅速に検出できるようになる。
 都健康安全研究センターが新たな手法を独自に確立した。都によると、オミクロン型はウイルス表面の突起状のたんぱく質「スパイク」にアルファ型と共通の変異部分を持つほか、特有の変異部分も持っている。同センターはオミクロン型のゲノム情報に基づき、PCR検査で2つの変異を検出できる手法を構築した。
 従来のPCR検査ではオミクロン型特有の変異は検出できなかった。オミクロン型かを判定する方法は現在、ゲノム解析を用いるのが主流だ。ただ、ゲノム解析は国立感染症研究所など実施施設が限られるうえ、各地から検体を輸送する必要がある。ゲノムの読み取りなどにも時間を要するため、判定までに数日かかる。
 都が確立したPCR検査で判定できれば確認までの時間を短縮できる。ゲノム解析が主流の検査体制に比べて、迅速な感染対策につなげやすくなる。小池知事は3日の記者会見で「積極的に市中の感染状況を監視し、先手先手で対応を進めていく」と述べた。都はオミクロン型の変異の広がりを調べる「スクリーニング検査」として運用を始めた。
 都は新たなPCR手法の活用を希望する自治体や民間検査機関に対してノウハウを提供することも検討する。
後藤茂之厚生労働相は、全国知事会の平井伸治会長(鳥取県知事)と新型コロナ対応を巡るオンライン協議で、オミクロン型の検査について「PCR検査の体制を早急に構築し、現時点での能力を最大限発揮してほしい」と呼びかけ、平井氏は「PCR検査や積極的疫学調査を重点的にやるべき段階だ」と応じた。
 国内ではこれまでに空港検疫で2人のオミクロン型感染者が見つかった。東京都内にいる85人の濃厚接触者のうち、61人が2日までに宿泊療養施設に入所した。濃厚接触者はいずれも検疫時は陰性だったが、都は全員に2日に1回の頻度でPCR検査を実施し、健康観察を続けている。

【岸田首相の所信表明演説】
 6日(月曜)、第207臨時国会が開催され(16日間)、岸田総理大臣が所信表明演説を行い、(1)コロナ克服・新時代開拓のための経済対策、(2)新型コロナ対応、(3)経済回復に向けた支援、(4)未来社会を切り拓く「新しい資本主義」、(5)新しい資本主義の下での成長、(6)新しい資本主義の下での分配、(7)外交・安全保障、(8)災害対応、(9)憲法改正について語り、最後に「全国各地で、苦しい状況にあっても、必死で、未来を切り拓こうとする、多くの「人」に、お会いしてきました。我々一人ひとりが、持てる力を存分に発揮し、果断に挑戦をし続ける。このことにより、日本は、大きく変わることができる。そう確信します。我が国の未来は、現在を生きる、我々の決断と行動によって決まります。共に、次の世代への責任を果たし、世界に誇れる日本の未来を切り拓いていこうではありませんか」と結んだ。

【北京冬季五輪への<外交ボイコット>】
 7日(火曜)、米バイデン政権が2022年2月の北京冬季五輪への<外交ボイコット>を発表した。政府の代表は派遣しないが、米国の選手団は通常通りに送る方針で、新疆ウイグル自治区などでの中国の人権弾圧に抗議する狙いがある。
 これに対して、同日、中国外務省の趙立堅副報道局長は記者会見で、米国が選手団以外の外国使節団を派遣しない<外交ボイコット>を決めたことについて、「強烈な不満を表明し、断固とした反対を表明する」と述べ、「対抗措置をとる」とも発言した。
 8日(水曜)、オーストラリアのモリソン首相は、北京冬季五輪に選手団以外の外交使節団を派遣しない<外交ボイコット>を決めたと発表した。中国の新疆ウイグル自治区での人権問題などを理由に挙げた。外交ボイコットは米国に続く動きとなり、14日段階、イギリス、カナダ、ニュージーランド、リトアニアが同調した。
 岸田首相は16日の参院予算委員会で、北京冬季五輪に自分が参加する計画は今のところないと明らかにした。アメリカや同盟国のように「外交的ボイコット」という表現は使わなかったが、首相の不参加を初めて言及したとして注目される。

【オンラインで米ロ主脳会談】
 7日の毎日新聞によれば、バイデン米大統領とロシアのプーチン大統領は7日(日本時間8日未明)、オンライン形式で会談した。両首脳の直接対話は7月の電話協議以来。ロシア軍がウクライナ国境付近に大規模部隊を展開しており、武力衝突の懸念が高まる中、緊張緩和を模索しているとみられる。核軍縮に向けた戦略的安定性やサイバー問題なども協議する見通し。
 会談冒頭にバイデン氏は、今年10月末にイタリアで開かれた主要20カ国・地域首脳会議(G20サミット)でプーチン氏がオンライン参加だったことに関連し「残念ながらG20では会うことができなかったが、次回は対面で会えることを期待している」と述べた。その後、会談は非公開になった。

【真珠湾奇襲攻撃から80年】
 80年前の1941(昭和16)年12月8日未明(ハワイ時間で7日)、日本は航空母艦(空母)艦載機および特殊潜航艇により、アメリカ合衆国のハワイ準州オアフ島の真珠湾(パールハーバー)にあったアメリカ海軍の太平洋艦隊と基地に対して奇襲攻撃を行った。当時の大日本帝国側の呼称は布哇比海戦(ハワイ海戦)。ここに太平洋戦争(当時は大東亜戦争と呼ばれた)が始まった。
その日から80年になる。NHKは一連の報道番組を放送するという。その序章となるのがNHKスペシャル「新・ドキュメント太平洋戦争「1941年 第1回 開戦(前編)」」であり、12月4日(土曜)に放送があった。この報道の特徴は、歴史の大きなうねりを<個の視点>から<複眼的>に捉え直そうとするもので、題してシリーズ「新・ドキュメント太平洋戦争」である。
 このシリーズの特徴は、エゴ・ドキュメントと呼ばれる当時の日記や手記をAIが解析することを通じて、戦争の新たな断面に迫る。アメリカ文化に親しみをもっていた市民や、戦力差も踏まえ日米開戦を避けようとしていた国のリーダーたちが、なぜ戦争へと向かっていったのか、その心の変化を見つめる。
 もし80年前にSNSがあったのなら?と仮定し、エゴ・ドキュメント(日記や手記)をAIに解析させる手法で進め、「310万人もの命が奪われた太平洋戦争、なぜリーダーは誤判断したのか?」、「なぜ大国との戦争に熱狂したのか?」を解析する。
 250人以上の日記というエゴ・ドキュメントをAIに読み込ませ、SNSのつぶやきに見立てて心の変化を読み解く。630万の単語を男女ごとに分け、頻出語をビジュアル化し分析する。
 1940(昭和15)年前半、<生活>という単語が最も頻繁に登場する。多彩なメニューを楽しんでいたのが、1940年後半になると、<配給>、<代用品>など不自由さを示す単語が頻繁に登場するようになった。生活の変化の背後には日中戦争があり、戦時体制が強化され、食料統制されたからである。
 では、いつからアメリカを戦争の相手国とみなしたのか?と設問し、女学生笠原徳さんの日記を引き、「アメリカへの夢、アカデミー賞のスタア誕生に憧れをつのらせていました。ハワイアンやジャズなどアメリカ文化が流行、親近感が高まります。徐々にナチスドイツの存在感が増し、…第二次世界大戦が勃発、ドイツが破竹の進撃を続けていました」と述べ、「日独伊三国軍事同盟(1940(昭和15)年9月27日にベルリンで調印された日本、ドイツ、イタリアの軍事同盟)が、17歳の心を捉えた。日中戦争の解決、ドイツと組んで牽制するのが狙いでした」とつなぐ。
 視聴者のなかには、あまりの情報量に圧倒される人も少なくないはずである。①残された各事件の映像の発掘と活用、②膨大なエゴ・ドキュメントと呼ばれる日記や書簡類の発掘と活用、③遺族や関係者の証言を取材、さらに④<再現ドラマ>ならぬ<再現マンガ>も多用する。これは文字表現だけでは描きえないビジュアル報道の画期的な方法と言える。この点をまず高く評価したい。
 それを踏まえて、この手法が裏目に出て情報過多となり、視聴者を混乱させかねない面を指摘しなければならない。真珠湾攻撃から80年となる現在、視聴者の大半が真珠湾攻撃そのことを知らない世代である。
 1936(昭和11)年12月生まれの私にとって、真珠湾攻撃は満5歳の直前に起きた事件であり、このニュースも事実も理解できる年齢に達しておらず、聞いた記憶はない。そこに①から④までの多彩な情報が押し寄せる。観るもの聴くもの、ほどんどが新しい。整理する間もなく流れ去っていく。私より若い世代、それも戦後生まれの世代にとっては、取りつく島もないに違いない。そのギャップをどう埋められるのか。ふとそんな印象を抱いた。

【民主主義サミット】
 9日夜(日本時間)、アメリカのバイデン大統領が日本やヨーロッパ諸国、それに台湾など110の国や地域の首脳などを招いた<民主主義サミット>がオンラインで始まった。一方、バイデン政権が「専制主義国家」と位置づける中国やロシアは招待されていない。サミット開催の背景には中国の影響力が増す一方で、世界的に民主主義の退潮に歯止めがかからないことへの危機感があると見られる。
 サミットの冒頭、バイデン大統領は「民主主義は世界中で憂慮すべき挑戦を常に受け続けている」と危機感を示し、民主主義を旗印に友好国との結束をはかることで対抗していきたい考えを強調した。中国やロシアなどとの関係について「民主主義と専制主義の闘い」と位置づけ、専制主義国家の指導者たちがうその情報を拡散し、さまざまな課題に対し民主主義国家より効果的に対応できると主張し、民主主義を弱体化させようとしていると指摘している。
 一方、中国は「冷戦的な思考の産物でイデオロギー的な対立と世界の分断をあおる」と強く批判しており、ロシアも「新たな境界線をつくる試みだ」などと厳しく非難している。バイデン政権による<民主主義サミット>の直前、4日に中国政府が白書「中国的民主」を発表し、「中国には独自の民主がある」とする大々的宣伝キャンペーンを開始した。
 6年前の2015年10月28日、国連総会で演説した習近平主席の「平和、発展、公平、正義、民主、自由は全人類の共同価値であり、国連の崇高な目標でもある」の延長線上にあるキャンペーンと見られる。アメリカのねらいどおり民主主義を旗印に結束をはかれるか、国際社会が注視している。

【分譲マンションの建て替え条件を緩和へ】
 10日の日経新聞は、都市部で建て替え時期を迎えている多くの分譲マンションについて、次のように報じた。「政府は分譲マンションの建て替え条件を緩和する検討に入る。所有者の賛同割合の引き下げなどを柱に区分所有法の改正をめざす。建て替えやすくして老朽化マンションの増加に歯止めをかける。2022年度にも法制審議会(法相の諮問機関)に諮問する。建て替えに必要な賛同を現在の「5分の4」から、共用部の変更や管理組合法人の解散などを決める場合と同じ「4分の3」かそれ以下に引き下げる内容を軸とする。

【アメリカ中西部と南部に史上最大級の竜巻】
 5日(日曜)の日経新聞朝刊は「日本の設備、停滞の20年 総量1割増どまり」の見出しで次のように述べた。
日本の設備投資の低迷が続いている。この20年間で設備の総量を示す資本ストックは1割たらずしか増えなかった。米国や英国が5~6割ほど伸びたのと差がついた。企業が利益を国内投資に振り向けていないためだ。設備の更新が進まなければ労働生産性は高まらず、人口減の制約も補えない。低成長の構造要因として直視する必要がある。

 14日(火曜)、日経新聞が公開した「史上最大級の米竜巻 衛星データが示す爪痕」は、11日(日本時間で12日)に米国の中西部や南部を襲った竜巻が各地で多くの犠牲者を出し、深い爪痕を残したことを、人工衛星から見た被害状況や雲の動きをもとに、「史上最大級の竜巻」(バイデン大統領)がどれほどの猛威をふるったのか、データから探ったもの。主な被災地の衛生画像を掲載している。
 主な比較画像を挙げると、(1)ケンタッキー州メイフィールドのキャンドル工場周辺、竜巻発生後の11日に撮影された同地区の衛星画像。屋根が消え、建物全体が吹き飛んだように見える。(2)アーカンソー州モネットの老人ホーム周辺、建物の周辺に資材が飛び散っているように見える。(3)イリノイ州エドワーズビルのアマゾンの倉庫。屋根半分がえぐり取られたようになくなっている。(4)ケンタッキー州メイフィールドの住宅街。多くの家が破壊され、街並みが一変した。
 米国立気象局によると、竜巻は9州にまたがって計50個以上確認された。アーカンソー州からミズーリ州、テネシー州、ケンタッキー州にかけて竜巻の確認された地点が帯状に密集しており、竜巻を生んだ巨大な積乱雲「スーパーセル」がこの地域を北東に移動したことを示すとみられる。北米大陸の中央には、西のロッキー山脈と東のアパラチア山脈の間に「グレートプレーンズ」「プレーリー」といった平原が広がっている。北からの寒気と南の暖気が遮るものなくぶつかって大気が不安定になりやすく、竜巻が多発することから「竜巻街道」とも呼ばれている。
 東京大学の新野宏名誉教授(気象学)によると、竜巻の渦は反時計回りになることが多く、がれきは竜巻の進路の左側に散らばる。メイフィールド市街の衛星写真を見ると、竜巻は南西から北東の方向へ移動した可能性が高いという。米国立気象局によると、ケンタッキー州で確認された竜巻の最大風速は秒速70~90メートルだった。竜巻の強さを示す「改良藤田スケール」(EF0~5)で最大の5に相当するものもあったとみられる。
 「トルネードアウトブレークと呼ばれる竜巻の大発生が起きやすい典型的な気象条件になっていた」と新野名誉教授は指摘する。メキシコ湾の海水温が例年より高い状態が続き、米南部を暖かく湿った空気が覆っていた。12月10日夜から11日朝にかけて、北西から寒気が流れ込んで暖気とぶつかり、米南部・中西部で大気が不安定な状態になった。寒気と暖気の境界周辺でスーパーセルが次々と発生し、その下で渦巻き状の上昇気流である竜巻が相次いで生まれた。米国では5~6月に竜巻の発生が最も多く、12月は通常少なくなる。新野名誉教授は「南部の異常な高温が今回のトルネードアウトブレークにつながった」と話している。
発生から72時間を経た14日、この竜巻による死者88人を確認したと発表があり、大統領が<大規模災害宣言>を発した。

【トヨタ EVを年350万台 世界販売】
 14日、日経新聞は「トヨタ、EVを年350万台世界販売 レクサス全てEVに」の見出しで次のように報じた。「電気自動車(EV)の世界販売台数を2030年に350万台とする目標を発表した。燃料電池車(FCV)と合わせ200万台としていた従来目標の約8割増と大幅に引き上げた。バッテリー(電池)を含めたEVへの4兆円規模の投資も明らかにした。世界的に加速する脱炭素の流れを受けて経営資源をEVにより配分することで、先行する欧米勢や中国勢との競争に備える。

【オミクロン株の正体は?】
 16日(木曜)の日経新聞によれば、香港大学の研究チームは15日、新型コロナウイルスの変異型「オミクロン型」のうつりやすさが「デルタ型」や変異前ウイルスの70倍以上に達する可能性があるとする研究結果を公表した。肺では比較的ウイルスが増えにくいことも確認した。デルタ型などに比べて重症例が少ない理由とも考えられる。
 研究は査読前段階で、香港大がホームページで一部内容を公表した。ヒトから採取した組織を使い、オミクロン型、デルタ型と変異前ウイルスの複製速度を比べ、感染から24時間後に調べると、気管支ではオミクロン型がデルタ型や変異前ウイルスの70倍以上のスピードで増えた一方、肺での複製の速度はオミクロン型がデルタ型の10分の1以下だった。
 研究チームを率いた同大の陳志偉・准教授は、ウイルス感染者の病状は、ウイルス自体だけでなく患者自身の免疫反応にもよると指摘。たとえウイルスによって引き起こされる病状が軽くても、多くの人が感染すれば重症者や死者が増えかねないとし「オミクロン型の脅威は非常に深刻なものになる」と警告した。
 岸田首相は約3週間前の11月29日、「オミクロン型については強い危機感を持って臨んでいる」とし、緊急避難的な措置として30日午前0時から新規の外国人の入国を停止する(当面は1ヶ月間)と発表した。「まだ状況が分からないのに岸田は慎重過ぎるという批判については私がすべて負う覚悟だ」と述べたが、12月17日現在、この政策は堅持されている。
 これが奏功したのか、あるいは別の理由があるのかは不明であるが、全国の新型コロナ感染者数は12月16日に190人であり、この約2ヵ月間ほぼ横ばいで推移している。

【コロナシフトで作る日本の未来】
 新型コロナウイルス感染症が猛威を振るい、それへの対策に追われた2年間、デルタ株からオミクロン株へと主体が移りつつあるも、依然として<人類最強の敵>であることに変わりはない。しかし人類の側も経験を積み重ねることを通じて英知を結集し、徐々に反撃に転じつつあると見ていいであろう。
 それに示唆を与えてくれる番組が、下記一覧のうち12月10日放送の(10)NHKBS1スペシャル 落合陽一「コロナシフトで作る日本の未来 イノベーション」であった。その概要をお伝えしたい。
 いま改めて私たちが目の当たりにしているのが、コロナ禍が浮かび上がらせたさまざまな日本の課題。日本の弱点のひとつが研究開発の立ち遅れであり、国産ワクチンは生み出せずテレワークのシステムなども外国頼み。
 ニューノーマルを支えるべきデジタルの遅れ。私たちは、どう新たな一歩を踏み出すのか考える。今回のテーマは、「社会のデジタル化」。
 かつて技術立国として世界の尊敬を集めた姿は1990年代後半から色あせ始めた。一方、欧米や中国では、物流やIT分野を中心にコロナ時代を生き抜くベンチャーやユニコーン企業が次々と登場している。いかにすれば、日本はイノベーション強国をめざすことができるのか。政府、民間、総力をあげた動きを追う。
 取材先は、中国・深セン市・国際文化産業博覧交易会、東京・大手町、岩手大学、東京・有明のパナソニック、東京都品川区、内閣府、東京大学アントレプレナーラボ。さらにROYOLE柔宇、深セン市創新投資集団。リニアモーターカー、IoTに言及。
 ロヨル・劉自鴻CEO、京都大学・山口栄一名誉教授、パナソニック・小川立夫CTO、ギリアドサイエンシズ・マイケルリオーダンにインタビューを行い、個々の課題として、電気、5G、6G、予算、流出、財務、家電量販、在宅、トイレ、インフルエンザに言及。
 個々の企業や大学等の力量を発揮させるために、いま新たな政府の役割が求められている。それがSBIR(Small Business Innovation Research 中小企業技術革新研究プログラム)、アメリカで始まり、日本でも動き出している。スタートアップ等による研究開発を促進し、その成果を円滑に社会実装してイノベーション創出を促進する制度である。


 この間、以下の番組を視聴することができた。(1)週刊ワールドニュース(11月15日~19日)11月19日。 (2)NHKスペシャル(選) 2030「未来への分岐点(2)「飽食の悪夢 水・食料クライシス」20日。 (3)NHKスペシャル(選) 2030「未来への分岐点(3)「プラスチック汚染の脅威」21日。 (4)週刊ワールドニュース(11月22日~26日)27日。 (5)週刊ワールドニュース(11月29日~12月3日)12月3日。 (6)NHKスペシャル「新・ドキュメント太平洋戦争「1941年 第1回 開戦(前編)」」月4日。 (7)同左 第1回 開戦(後編)5日。 (8)NHK総合 歴史探偵「写真で迫る真珠湾攻撃のリアル 若者たちは何を感じたのか」8日。 (9)NHKBS1「真珠湾80年 生きて愛して、そして」8日。(10)NHKBS1スペシャル 落合陽一「コロナシフトで作る日本の未来 イノベーション」10日。 (11)NHKアーカイブス「あの日 あの時 あの番組 ▽太平洋戦争80年 日本人はなぜ戦争へと向かったのか」11日。 (12)週刊ワールドニュース(12月8日~12日)12日。 (13) ETⅤ特集「昭和天皇が語る開戦への道 後編 1937~41 日中戦争から真珠湾攻撃」11日(主に『百武三郎日記』と田島道治(初代宮内庁長官)『拝謁記』を使い再構成)。 

紅葉の三溪園

 紅葉の色づきは日々変化する。せっかく行くなら<見ごろ>がいつかを知りたい。検索していてWalkers plus+の「紅葉名所 2021」を見つけた。全国の約1000ヵ所の色づき具合、見ごろ、人気ランキング、それに駅からの距離やライトアップの有無までを網羅、しかも情報は毎日更新する。
 この「紅葉名所 2021」の12月8日(水曜)版によれば、三溪園は<関東の紅葉名所ランキング>で3位(東京の六義園、千葉県のもみじロードに次ぐ)に位置し、また<神奈川県の紅葉名所ランキング>では1位(2位が鎌倉の長谷寺、3位が明月院)である。
 翌9日(木曜)の版では、関東の部で六義園、三溪園、養老渓谷(千葉県)と2位に浮上、神奈川県での1位は変わらない。10日(金曜)の昼には関東の部で六義園、養老渓谷、三溪園とまた元に戻った。ランキングの根拠は示されていないが、訪問者数や「行ってよかった」の印象や地の利等を総合したものと思われる。
 <紅葉>とは一般にはモミジやカエデの葉が深紅に染まることを指す。しかし葉が黄色くなるイチョウの場合は<黄葉>と書き、時期はすこし早い。また11月中旬の新宿御苑のメタセコイヤ(和名はアケボノスギ、曙杉)の紅葉はまた独特で、真っすぐに高く伸びた木が赤と黄色の中間色に染まっていた。

【三溪園紅葉の特色】
 いま三溪園の紅葉は各種のモミジやカエデが主体で、イチョウの大木はすでに葉を落としている。広大な敷地の起伏(谷戸と呼ぶ)を生かし、庭園と古建築17棟との調和に最大の特徴がある。古建築の内訳は、国の重要文化財建造物10件12棟と、横浜市指定有形文化財建造物3棟。
 紅葉と谷戸の<自然>の美しさと、庭園・古建築という<文化>の美しさが混然一体となった<美の極み>が目前に拡がる。
 これに加えて今年は(1)早朝開園と(2)ライトアップを行っている。
 (1)早朝開園は、コロナ禍がつづくなかで混雑を避け、安心して紅葉を楽しんでいただくため、混雑が予想される金曜・土曜・日曜に限り、通常の開園時間より1時間早い8:00から入園できる特別入園チケットを用意。1日あたり限定50名までとした。
 (2)紅葉のライトアップは12年ぶりに復活させた。①11月26日(金曜)から28日(日曜)、②12月3日(金曜)から5日(日曜)、③10日(金曜)から12日(日曜)の週末の3回。
 
【秋の三溪園みどころマップ】
 事業課の羽田雄一郎主事が取りまとめたチラシのマップ(A4両面)がある。表が「秋の三溪園みどころマップ」、裏が「秋の三溪園グルメ&ショッピングマップ」から成り、期間は2021年11月26日(金曜)~12月12日(日曜)の17日間。
 このマップができあがるまで、多くの職員の議論と協同作業があった。新型コロナウイルス感染症の流行にどう対処するか。安全と安心を確保して、どう三溪園を楽しんでいただくか。
 マップ作成の目的は、第1にコロナ対策としての<分散化>があり、園内の見どころを点在させ、お客様に広く回遊していただこうという狙いである。
 第2の目的は、今春の<桜の企画>で実施した経験を生かし、特別出店(テナント)を誘致、「食」や「買い物」を分散させるためである。
 この両面マップをもとに、三溪園ホームページ等の情報を使って補足、「秋の三溪園」の魅力を解説したい。
「秋の三溪園みどころマップ」は左上に南門、右下に正門とあり、いずれかの門を入り、点線で示す園路を巡る。見どころの紅葉の一帯は赤いモミジの葉で示している。右上が内苑、左中央が外苑の旧矢箆原家住宅(合掌造り)。
 右下の①大池(おおいけ)と三重塔(さんじゅうのとう)に始まり、時計の反対回りに、②三溪記念館、③聴秋閣(ちょうしゅうかく)奥の遊歩道、④旧天瑞寺寿塔覆堂(きゅうてんずいじじゅとうおおいどう)裏、ついで左下に⑤旧矢箆原家住宅(きゅうやのはらけじゅうたく)、そして下中央に⑥観心橋と三重塔、の計6つの見どころが特記されている。
 このマップのほか、無料配布している三つ折りのリーフレット「三溪園」があり、三溪園の概要、歴史、外苑と内苑にある古建築の紹介等々が記されている。これ1枚で三溪園の神髄を理解できる優れものである。合わせてご活用ください。
 6つの見どころの企画と実施担当は以下の通り。記念館展示が吉川一利事業課長、ショーメの展示が山口智之(経営機能強化担当)室長、③遊歩道開放が羽田主事、⑤合掌造りで楽しむ影絵の世界は田代倫子主事、岩本美津子主事、原未織主事の協同企画、合掌造りの吊るし柿がボランティアと羽田主事、猿まわしは羽田主事、紅葉のライトアップを羽田主事と山口室長が担当した。これらの努力の積み重ねが両面1枚のマップに示されている。
 右下にある①大池と三重塔は、正門を入ると目に飛び込んでくる最初の<みどころ>である。南門から入ったときは、この場所で改めて振り返ってほしい。右上にある②三溪記念館は、正門から内苑に入り左折、深紅に色づくモミジを見てから入る。「菊図屏風(江戸時代)」は紅葉に先行した菊花展に合わせた特別展示品。植物をこよなく愛す日本人ならではの作品で、必見。なお本ブログ2021年11月2日掲載 「夕暮れと菊花(所蔵品展 2021年秋冬)」も参照していただきたい。

秋の三渓園みどころマップ


この所蔵品展の下にある「フランスと日本文化のConversation-ショーメのサヴォワールと日本の名匠3人の対話」は鶴翔閣(かくしょうかく)で開催され、好評のうちに11月28日(日曜)に終了したため、残念ながら観ることはできない。関心をお持ちの方は、本ブログ2021年11月19日掲載「日仏文化交流-CHAUMET 特別公開によせて」をご覧いただきたい。

【遊歩道の開放】
 ついで③聴秋閣奥の遊歩道の開放。ホームページには「ここは園内でも随一の紅葉の絶景が見られる場所、通常は非公開としている渓谷沿いから紅葉が彩る聴秋閣越しに三重塔を遠望できます。横浜で古都のような趣ある日本の秋を、ぜひご堪能ください」とある。三重塔に寄り添う上弦の月が見られるかもしれない。うまくカメラに収めていただきたい。
 次の④旧天瑞寺寿塔覆堂裏も紅葉の名所のひとつで、近くには春草蘆(しゅんそうろ)と蓮華院(れんげいん)という2つの茶室がある。蓮華院は孟宗竹の群生に囲まれており、ライトアップにより幻想的な風景が浮かび上がる。
 
【プレミアムツアー】
 11,12日の2日間、プレミアムツアー「錦秋の三溪園~織田有楽斎ゆかりの茶室見学と秋の味覚を愉しむ」が催される。その趣旨を三溪園ホームページから引く。
 「三溪園随一の紅葉の風景が楽しめる内苑は、創設者・原三溪の理想がもっとも凝縮された場所です。中でも奈良から運び込んだ大岩を各所に配して造られた渓谷は深山幽谷の風情が漂い、同所から三重塔を望む絶景は一幅の山水画を見るような趣です。また一方で、内苑にはこれとは対照的な古寺の侘びた風情を写した一画もあります。付近にはイチョウの大木がそびえ、金色の葉を落とす晩秋、三溪はしばしばここで茶会を催しました。
 本企画では、見ごろを迎える紅葉の庭園を巡り、原三溪の茶趣を伝えるエリアに建つ、今年没後400年となる織田有楽斎作の伝来のある名席・春草廬内部をご案内します。また、三溪の旧宅・鶴翔閣では、ミシュラン2つ星の横浜の懐石料理店「真砂茶寮」による秋ならではの特別懐石を、かつて原家で使用していた器を一部に使用して供します。
 さらに伏見城の遺構とされる重要文化財・月華殿では本企画オリジナルの菓子とともに呈茶をご堪能いただきます。「秋深まる紅葉の三溪園」をゆったり満喫いただくプレミアムツアーです。」
 参考に付された時間順の進行には、以下のように記されている。
12:00   三溪園鶴翔閣にご集合(事前に要予約)
・鶴翔閣楽室にてミシュラン2つ星「真砂茶寮」による特製・秋の味覚懐石の食事
・紅葉が彩る内苑庭園をガイド付きでご案内
・没後400年となる織田有楽斎作と伝えられる茶室「春草廬」(内部通常非公開)の特別見学(職員による解説)
・重要文化財「月華殿」書院にて、本企画オリジナルの菓子での呈茶
※「月華殿」と連結された原三溪作の茶室「金毛窟」をご案内
16:30頃  終了。終了後紅葉のライトアップもご覧いただけます(~20:00)

【秋の三溪園グルメ&ショッピングマップ】
 裏面「秋の三溪園グルメ&ショッピングマップ」は、正門から中央広場にかけて展開する拡大図で、グルメ&ショッピングを指南する。作成までの舞台裏の努力について少し触れたい。
 三溪園の事務局は園長の下に村田和義副園長と山口室長がおり、副園長が事業課と総務課を管轄する。それぞれの職掌による役割分担はあるものの、互いに話し合い、大きなイベント等の場合は柔軟に対応することに慣れてきた。
 これも所管の横浜市文化観光局観光振興課が三溪園の経営機能強化策として担当室長(今年度は山口智之)を派遣してくれ、また経営戦略コンサルタントCDI(Corporate Directions, Inc.)が支援に入ってくれてから1年余にわたる経験の賜物である。詳しくは本ブログ2021年7月30日掲載「観蓮会始まる」を参照されたい。
 右上の三溪園記念館内のミュージアムショップは滝田敦史主事が担当。名品の展示図録や『三溪園の100年』等の書籍類に、ハンカチや手ぬぐい、雑貨・和菓子等のお薦め品が並ぶ。
 左上は特別出店の崎陽軒、香炉庵、松栄堂の3社、左下には横浜DeNAベイスターズとカフェ フェリックス フォールが特別出店している。折衝は山口室長が担当。下段にある茶店3軒の特別メニューは岩本主事が茶店と相談して決めた。
 以上はマップ作製に関わった表舞台の職員である。その裏では、古屋義方総務課長が警備員、アルバイト手配やマニュアル作成を引き受け、渡邉栄子主事が清掃員の補強に当たり、向井亜希子職員はイベント期間中のアルバイトの対応などに奮闘した。正門・南門の受付職員は、途切れない入園者を笑顔で迎え入れた。
 ライトアップの実施に際し、照明機材が昼間の景観に及ぼす影響を軽減するための<照明隠し>には、公園班の鈴木正技士や柿澤幹夫職員の工夫が欠かせなかった。警備会社の方々もふだん以上に気を配ってくれた。
関係者と三溪園職員とのコラボレーションの成果が、この両面のマップに凝縮している。

秋の三渓園みどころマップ


プロフィール

Author:加藤 祐三
日本の歴史学者

横浜 市立大学名誉教授

国指定名勝・三渓園(横浜)
前園長(2012年8月~2023年3月)

・前都留文科大学長
(2010~2014)

・元横浜市立大学長
(1998~2002)

主な著書
「イギリスとアジア」
         (1980年)
「黒船前後の世界」(1985年)
「東アジアの近代」(1985年)
「地球文明の場へ」(1992年)
「幕末外交と開国」(2012年)
蒋豊訳「黒船異変」(2014年)
蒋豊訳「東亜近代史」
         (2015年)

 など

専門
・近代アジア史
・文明史

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