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人類最強の敵=新型コロナウイルス(41)

【新たな世界自然遺産】
 7月26日(月曜)、嬉しいニュースが飛び込んできた。国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界遺産委員会は多くの固有種が生息する「奄美大島、徳之島、沖縄島北部および西表島」(鹿児島、沖縄)の計約4万3千ヘクタールを世界自然遺産へ登録を決めた。日本の世界遺産は文化遺産も合わせて24件目、自然遺産としては2011年に登録された「小笠原諸島」(東京)に続き5件目である(日本の文化遺産は計19件)。
 イリオモテヤマネコ、アマミイシカワガエルなど貴重な動物が多く生息、奄美大島や西表島などにはマングローブ林も広がる。正式登録で観光客の急増が予想されるが、密猟の問題も続いている。該当の自治体は保全策などを強化する方針。
 なお世界自然遺産の日本からの新規登録は今回が最後になる公算が大きい。他にも過去に候補として検討された地域はあるが、景観や地形の特異性を比較すると海外の事例に及ばず、独自性を打ち出しにくいとして見送った。環境省は今後、奄美・沖縄を含め登録済み遺産の保全に力を入れる。

【黒い雨の上告断念】
 同じ26日、広島への原爆投下後に「黒い雨」を浴びたと訴えた84人全員を被爆者と認めた広島高裁判決について、菅首相が上告を見送る考えを示した。政府内で広がる「上告不可避」の見方から一転しての首相判断。背景に何があったのか。
 同日の朝日新聞デジタルは、以下のように伝えた。「国側から見れば、高裁判決は一審判決よりもさらに被爆者の認定を広くとり、認定しない場合、行政側にその理由を立証する責任を負わせるような内容だったからだ。…判決は、空気中の放射性物質を吸ったり、汚染された水や野菜を飲食したりする「内部被曝」によって健康被害を受ける可能性も指摘した。
 国側は裁判で、内部被曝したとしても放射線量は低く、健康被害は認められないと主張してきた。…首相周辺は「最後は首相の決断だった」。複数の官邸幹部らは「県と市を説得できなかったことが大きい」と明かす。23日以降も上告に理解を得られなかったといい、政府が突出して原告と対峙する構図になることを懸念したとみられる。
 官邸関係者は「衆院選が近く、批判を招きかねない上告は難しかったという事情もある」と語った。首相は記者団に「判決には受け入れがたい部分もある」と、近く出す談話で政府の見解を整理する考えも示した」。
 なお8月6日の広島平和記念日に広島市を訪れた菅首相は、改めてこの問題に触れ、84人以外の同じ被害者の救済にも尽くしたいと述べた。

【東京の感染者数がまた急拡大】
 同じ26日の都内の感染者は1429人と、月曜としては過去最大となった。4度目の緊急事態宣言が発せられて2週間が経った日にあたる。また東京五輪の選手・関係者の新規感染者は153人となった。

 27日(火曜)、都内の感染者が2848人と過去最多となった。これまでの最多は感染拡大の<第3波>にあった1月7日の2520人。
 年代別では20代が951人と最も多く、30代が610人、40代が466人、重症化リスクの高い65歳以上の高齢者は78人。
 ワクチン接種の現状は、全国では1回接種が総人口の36.9%、2回が25.5%、65歳以上の高齢者ではそれぞれ84.6%、68.2%と高い。東京ではそれぞれ34.5%と21.8%と全国平均より低く、最多の山口県ではそれぞれ48.0%と34.6%であり、2位の和歌山県ではそれぞれ46.1%と33.2%である。

 28日(水曜)、新型コロナウイルスの感染者が新たに3177人確認されたと発表した。2日連続で過去最多を更新し、全国の新規感染者も初めて9000人を超えた。首都圏の感染拡大が目立ち、埼玉、千葉、神奈川の3県はそれぞれ870人、577人、1051人で、いずれも最多。感染力が強いインド型(デルタ型)と呼ばれる変異ウイルスの拡大が背景にある。
 3県は国に緊急事態宣言を要請する方向で調整を継続。西村経済財政・再生相は同日の衆院内閣委員会で「(3県から)正式な要請があれば速やかに検討し、機動的に対応したい」と述べ、29日にも3県知事と会談する予定を明らかにした。

 29日(木曜)、新型コロナウイルスの感染者が新たに3865人確認されたと発表した。前日に続き3千人を上回り、3日連続で過去最多を更新した。直近1週間平均の新規感染者は約2224人で、前週(約1373人)の161.9%だった。また全国で初めて1万人を超えた。28日に初めて9000人を超えたのに続き、2日連続で過去最多となった。神奈川県は過去最多となる1164人、埼玉県が864人、千葉県が576人であり、首都圏4都県の感染者数は計6469人で、全国の約6割を占めている。
 感染者で目立つのは50代以下。東京都の新規感染者を年代別にみると、20代が1417人と最も多く、30代が782人、40代が612人、50代が407人で続いた。重症化リスクの高い65歳以上の高齢者は105人である。

 同じ29日7時半発の日経新聞デジタルによれば、政府は30日、埼玉、千葉、神奈川3県と大阪府に新型コロナウイルス対策の緊急事態宣言を発令する方針を専門家に諮る。期間は8月31日までとし、8月22日までとしていた東京都と沖縄県への宣言もそれに合わせて8月31日まで延長する。飲食店での酒類提供は一律停止とする。宣言の対象地域を広げ、首都圏を中心とする感染が全国に広がるのを抑える。
 首都圏3県や大阪府には現在、宣言に準じる「まん延防止等重点措置」を適用しており、これを8月2日から宣言に切り替える内容だ。宣言地域は東京都、沖縄県とあわせて計6都府県になる。北海道、石川、京都、兵庫、福岡の5道府県には新たに重点措置を適用する。専門家が了承すれば、政府は7月30日に新型コロナ対策本部で正式に決める。その後、菅首相が記者会見する。
 予定通り政府は30日午前、埼玉、千葉、神奈川の首都圏3県と大阪府に新型コロナウイルス対策の緊急事態宣言を発令する案を専門家に諮問した。期間は8月2~31日まで。8月22日までの東京都と沖縄県への宣言も31日まで延長する。飲食店の酒類提供は一律停止する。また北海道、石川、京都、兵庫、福岡の5道府県は宣言に準じた対策をとれる「まん延防止等重点措置」を新たに適用する。
 西村氏は分科会で「このまま高いレベルで陽性者の数が続けば病床逼迫につながっていく」と強調した。宣言などの期間を8月31日までにした理由を「現役世代にもワクチン接種が進むことによる効果を見極めるため」と説明した。

 30日午後、夕方からの菅首相記者発表を前に、感染症対策分科会の尾身会長が首相と面談し、「国民に理解と協力をいただくため、政府としてしっかりとしたメッセージを発信してもらいたい」などと求めた。過去にない感染爆発に直面してもなお、首相はワクチン効果による高齢者の感染者数減といった「楽観論」を強調、これに対して専門家らは国民と危機感を共有するよう釘を刺した形。また、医療現場では逼迫が起きており、「これまでのコロナとの戦いの中で最も危機的な状況」と首相に説き、首相は「ご提案をしっかりと受け止めて対応していきたい」と応じたという。面談には、尾身氏のほか、厚生労働省に助言する専門家組織の脇田隆字座長、内閣官房参与の岡部川崎市健康安全研究所長が参加。数日前に尾身氏側から西村氏を通じて要望していた。

 ところが午後7時からの記者発表で首相は、「東京の感染者数は過去最高。強い危機感を持って対応している」と語ったものの、かねて首相が高齢者の感染者数の減少を強調していることが「大丈夫だというメッセージを与えているのでは」と問われると、「ワクチンによって大幅に減少していることは事実だ。そうしたことを示していくことも仕事だ」と述べた。

 また小池都知事は27日、記者団から「宣言の効果が見えていない」と問われると、「じわっと重症者が増えているのは気になる」などとしつつ、「五輪も各競技で日本人の選手もすばらしい成績を収めている」などと、五輪に話題を転じた。

 政治リーダーたちが発するこうしたメッセージに対して、尾身会長ら専門家は強い警鐘を鳴らす。「今の最大の危機は、社会の中で危機感が共有されていないことだ」。29日の参院内閣委員会で尾身氏はそう訴えた。「このまま危機感が共有されなければこの感染状況は更に拡大する」とも語った。さらに「医療逼迫を一つの指標だけで判断するのは全体を見誤る」と指摘した。現状は、重症者数や入院者数、自宅療養者数、救急外来の「たらい回し」などが増加傾向だとし、首相が強調する「人流減」も「期待されるほどのスピードではない」とクギを刺した。

 31日(土曜)、東京都は新型コロナウイルスの感染者を新たに4058人確認したと発表、初の4千人台で、1日あたり過去最多。3千人を超えるのは4日連続。31日までの1週間平均の感染者数は2920人で、前週比は217%。

 4日(水曜)、東京都は新型コロナウイルスの感染者が新たに4166人確認されたと発表。7月31日の4058人を上回り、過去最多となった。直近1週間平均の新規感染者は約3478人で、前週(約1954人)の178.0%だった。

 5日(木曜)午後6時現在、国内の新規感染者数は1万4968人が確認され、前日に続き1日当たりの過去最多を更新。都道府県別では、東京5042人、神奈川1846人、埼玉1235人、沖縄648人で過去最多を更新した。神奈川では、新規感染者数が7月28日から9日連続で1千人を超えている。

【日本勢の金メダル】
 前号の「人類最強の敵=新型コロナウィルス(40)」に次いで、7月26日(月曜)、4日目以降の東京五輪の日本勢の金メダルを掲げる。金メダルだけを挙げるのは、あくまでも紙幅の制限とバランスのためであり、金メダルがすべてと思っているわけではない。私自身が好きで柔道、ラグビー、テニスとかじってきて、いまもテニス抜きの生活は考えられない。<負け>があっての<勝ち>であることは身に染みて知っている。

 いな、そもそもスポーツには勝敗以前の役割がある。球技の起源と言えば19世紀中ごろイギリスで<気晴らし>や<気分転換>を意味する“sport”がサッカーやラグビー等の近代スポーツ、とくに球技を指すようになった(拙著『イギリスとアジア 近代史の原画』 岩波新書 1980年)。こう書いた40余年も昔の記憶がよみがえる。

 ほぼ同じ19世紀なかごろ、<武術>を<武道>に変換させたのが明治日本である。さまざまな起源をもつ種目がオリンピックに結集し、世界一を争う。観ないわけには行かない。21年7月23日(金曜・祝)から8月8日(日曜・祝)まで17日間、史上最多の33競技339種目が、札幌大通公園のマラソンを含め、計43会場で展開される。

 そこで以下、日本勢の金メダルだけを記すことする。
 7月25日(日曜)、3日目、柔道で男子66キロ級の阿部一二三(ひふみ)と女子52キロ級の阿部詩(うた)の兄妹がそろって金メダルに輝いた。競泳女子400メートル個人メドレーでは大橋悠依(ゆい)が優勝。新競技のスケートボード男子ストリートでは堀米雄斗(ゆうと)が初代王者になった。
 7月26日(月曜)、4日目、
 (1)柔道男子73キロ級の大野将平(日本武道館)。2016年リオデジャネイロ五輪に続き、2大会連続の金。
 (2)新種目の卓球混合ダブルス(東京体育館)、水谷隼(木下グループ)、伊藤美誠(スターツ)組が許昕、劉詩雯組(中国)を破り、日本卓球界初の金。
 (3)新競技スケートボードの女子ストリート(有明アーバンスポーツパーク)で、13歳の西矢椛(にしや・もみじ、ムラサキスポーツ)が日本勢最年少で金メダルを獲得。

 27日(火曜)、5日目、柔道男子81キロ級の永瀬貴規(旭化成)が決勝でモラエイ(モンゴル)を延長戦の末に破り、金メダル。柔道男子は今大会4個目の金メダル。なおテニス女子シングルスでは世界ランキング2位の大坂なおみ(日清食品)が3回戦で同42位のマルケタ・ボンドロウソバ(チェコ)に1-6、4-6で敗れる波乱となった。
 同じ日午後10時3分。横浜スタジアムで高く打ち上がったボールが捕手のミットに収まると、ベンチから選手が駆け出した。ソフトボール日本代表が決勝で米国を2―0で破り、13年越しの連覇を果たした金メダル。

 28日(水曜)、6日目、柔道女子70キロ級で五輪初出場の新井千鶴が金メダル。日本勢は初日から5日連続の金メダル獲得。
競泳女子200メートル個人メドレー決勝で大橋悠依(25)が2分8秒52で金メダルを獲得。大橋は25日の400メートル個人メドレーでも金メダルに次いで今大会2個目のメダル獲得。
 体操男子個人総合で初出場の19歳、橋本大輝(順大)が金メダル。

 29日(木曜)、7日目、柔道女子78キロ級で初出場の浜田尚里(自衛隊)が決勝でマドレーヌ・マロンガ(フランス)を破り、金メダル、また男子100㌔級で初出場のウルフ・アロン(了徳寺大職)が決勝で趙グハム(韓国)を下し、金メダル。

 30日(金曜)、8日目、女子78キロ超級で初出場の素根輝(パーク24)が決勝でイダリス・オルティス(キューバ)を破り、金メダル。これで今大会の日本勢の金メダル総数が16個となり、1964年東京五輪と2004年アテネ五輪に並ぶ最多タイとなった。
 フェンシング男子エペ団体(幕張メッセ)の日本は決勝でROCを破り、同競技で日本勢初の金メダル。これで今大会の日本勢の金メダルは17個となり、1964年東京、2004年アテネの両五輪を上回る史上最多となった。

 31日(土曜)は9日目、金メダルなし。柔道混合団体で惜しくもフランスに敗れて銀メダル。8月1日(日曜)と2日(月曜)も金メダルなし。

 8月3日(火曜)、12日目、女子フェザー級の入江聖奈(日体大3年生)が2019年世界選手権覇者のネスティー・ペテシオ(フィリピン)を5-0の判定で破り(国技館アリーナ)、日本女子初の金メダル。ボクシング女子は2012年ロンドン大会から採用された種目。女子柔道52キロ級で金メダルに輝いた阿部詩(日体大の3年生)と同学年。
 体操男子の種目別鉄棒(有明体操競技場)で橋本大輝(順大)が金メダル。なお13日以降については後述。

【デルタ株が世界で大半となる】
 新型コロナウイルスの変異株のうちインドで見つかったデルタ株が世界的に勢いを増し、従来株と置き換わりつつある。デルタ株の特徴は感染力が強いこと、従来株やイギリスで見つかった変異株(アルファ株)に比べて1.4倍から1.8倍にのぼるという。
 
 イスラエルではワクチン接種が人口の70%を超えると感染者数が減少したが、最近になって感染者が急増し始めた。原因はデルタ株のためと見られ、3回目のワクチン接種に踏みきった。

 8月2日、日本で4回目の緊急事態宣言が出て3週間たつが、新型コロナウイルスの感染者の増加が続いている。感染拡大の目安となる<実効再生産数>(1人の感染者から何人に感染が広がるかの目安となる推定値)は東京都内で1.4台に達し、年明けの第3波を上回る勢いである。感染力の強いインド型(デルタ型)が広がるうえ、過去の宣言後と違い、人出の減少も鈍い。

 そのため政府は患者の急増に対応し、入院は重症者や重症化リスクの高い人を中心とし、「それ以外は自宅療養を基本とし、症状が悪くなればすぐに入院できる体制を整備する」方針を決めた。また家庭の事情などで自宅療養できない場合に限り宿泊施設を利用してもらう体制に改める。すなわちリスクの高い人を中心に幅広く入院する従来の原則の大転換である。

 同時に菅首相は治療薬<抗体カクテル療法>(7月19日、中外製薬の<抗体カクテル療法>の製造販売を特例承認)を入院患者以外も使用できるようにする方針も示した。現在、外来診療は対象外で「在宅患者も含めた取り組みを進める」と述べ、「50代以上や基礎疾患のある人に積極的に投与する」とも強調した。早期退院につなげて病床を確保する狙いもある。<抗体カクテル療法>とは、軽症・中等症の患者に2種類の抗体を点滴し、重症化予防が期待される。在宅療養者への使い方は自治体と協議して検討する。

【ファッション業界のGX】
 3日の日経新聞電子版は、「グッチやシャネルも脱炭素 素材に配慮、デザイン洗練」の見出しで次のように報じた。
「温暖化ガスの排出が多いとされるファッション業界が、グリーントランスフォーメーション(GX=緑転)を急いでいる。環境負荷の軽い商品を好む<緑の消費者>が欧米を中心に増えているからだ。環境に配慮した新素材の活用が始まり、単なるリサイクルではなくデザイン性も備えた<アップサイクル>も広がっている。
 スイスの環境コンサルティング会社クアンティスが18年に「ファッション産業は世界で排出される温暖化ガスの8%を占める」という衝撃的な調査結果を公表。服飾企業などが連携して対応するよう求めた。
 ファッション業界のGXは2019年8月、仏南西部ビアリッツで開かれた主要7カ国首脳会議(G7サミット)が起点となった。グッチなどを手掛ける仏高級品大手のケリングの主導で、50年までのカーボンゼロを掲げる「ファッション協定」を提案し、約150ブランドが賛同・署名。
 この<ファッション協定>は気候変動、生物多様性、海洋保護の3つを柱に実践目標を掲げた。「具体的には25年までに、原材料の25%を持続可能な素材にする。また、再生可能エネルギーへの転換を25年までに50%、30年までに100%に設定。50年までに「温暖化ガス排出量ゼロを目指す」とした。
 高級ブランドではケリングを筆頭に、バーバリーやシャネル、フェラガモなどが名を連ねた。スポーツではナイキやアディダス、カジュアルではギャップやインディテックス(ザラ)なども参加。発表から1年後の20年10月には、加盟企業が14カ国60社、ブランド数は200以上に膨らんだ。」
 
【トヨタが最高益を記録】
 4日(水曜)、トヨタ自動車が発表した2021年4~6月期の連結決算(国際会計基準)は、純利益が前年同期比5.7倍の8978億円だった。新型コロナウイルスが広がる前の19年4~6月期の6829億円を超え、4~6月期としては最高となった。コロナの影響が続く中で新車の需要が回復。北米や中国、日本といった世界の主要市場で販売が増えた。車業界の半導体不足の影響も限定的にとどめた。
 売上高は前年同期比73%増の7兆9355億円、営業利益も72倍の9974億円と事前の市場予想平均(QUICKコンセンサス)の7327億円を上回った。15年4~6月期の最高益(7560億円)を更新し、すべての四半期ベースで比較しても最高になった。トヨタの純利益は21年3月期に1社で上場する製造業の1割以上を占めた。業績の動向が日本経済に与える影響は大きい。

 7日(土曜)の日経新聞は「NYダウ続伸144ドル高 最高値更新、米雇用回復を好感」の見出しで「ダウ工業株30種平均が過去最高値を更新。終値は前日比144ドル26セント(0.4%)高の3万5208ドル51セント。6日発表の米雇用統計で就業者数が市場予想を上回り、景気回復への期待が強まったため」と伝えた。

【日本勢の金メダル~続報】
 4日(水曜)、13日目、女子パーク決勝(有明アーバンスポーツパーク)で2018年世界選手権優勝の19歳の四十住さくら(よそずみ・さくら、ベンヌ)が金メダルを獲得。予選は4位で通過したが、決勝では難度の高い技を成功させ、60.09点と高得点をマークした。
 女子レスリング62キロ級の川井友香子(ジャパンビバレッジ)が決勝でティニベコワ(キルギス)を破り、金メダル。

 5日(木曜)、14日目、レスリング女子57キロ級(幕張メッセ)で2016年リオデジャネイロ五輪63キロ級女王の川井梨紗子(ジャパンビバレッジ)が決勝でクラチキナ(ベラルーシ)を下し金メダル。妹の友香子(ジャパンビバレッジ)が4日の62キロ級を制しており、同大会姉妹金メダル。

 6日(金曜)、15日目、五輪初実施の空手男子形決勝(日本武道館)で喜友名諒(劉衛流龍鳳会)がキンテロ(スペイン)を破り、金メダル。
 同じ日、レスリング女子53キロ級の向田真優(ジェイテクト)が決勝で龐倩玉(中国)を破り、金メダル。

 7日(土曜)、16日目、レスリング男子フリースタイル65キロ級の乙黒拓斗(自衛隊)が決勝でアリエフ(アゼルバイジャン)を破り、金メダル。
 同じ日、レスリング女子50キロ級の須崎優衣(早大)が孫亜楠(中国)を破り、金メダル。
野球(横浜スタジアム)で日本がアメリカを2:0で破り金メダルを獲得、日本勢金メダルの有終の美を飾った。

 8日(日曜)晩、17日間にわたる競技を終了し、国立競技場で閉会式が行われた。
 日本の獲得したメダルは金27、銀14、銅17の計58個と史上最多(過去最多は2016年リオデジャネイロ五輪の41個)。金メダル数は米国(=205個)、中国(=166個)についで世界3位(=27個)である。獲得メダル数の4位以下は、インド(98個)、ドイツ(94個)、ロシア(91個)、ルクセンブルグ(86個)、ノルウェー(66個)、アイスランドとフランス(次期開催国)が65個で並び、世界平均は17個。メダルがゼロの国と地域が37ある。

【温暖化の危険性深まる】
 以前(今年5月)、世界気象機関(WMO)は27日、2025年までに「産業革命前に比べて、平均気温が1.5度以上高い」年が発生する可能性が40%以上あるとの見通しを発表。現状の温暖化ガス削減に向けた取り組みでは、深刻な気候変動を食い止められない恐れがあることが改めて浮き彫りとなったとした。
 8月9日の日経新聞は「気温1.5度上昇、10年早まり21~40年に IPCC報告書」の見出しで、「国連の気候変動に関する政府間パネル(IPCC)は9日、産業革命前と比べた世界の気温上昇が2021~40年に1.5度に達するとの予測を公表した。18年時点の想定より10年ほど早い。人間活動の温暖化への影響は「疑う余地がない」と断定。気温の上昇幅は、2041~60年に1.6~2.4度、2081~2100年に1.4~4.4度に跳ね上がる。自然災害を増やす温暖化を抑えるには二酸化炭素(CO2)の排出を実質ゼロにする必要があると指摘した。
 平均気温が上がると、異常気象が増えるとし、(ア)現在(1℃)の場合、(イ)1.5℃の場合、(ウ)2℃の場合の3つのケースを比較した。(1)熱波等の極端な高温は(ア)の場合で気温が+1.2℃、発生率が4.8倍であるが、(イ)の場合では気温が+2℃で発生率が8.6倍、(ウ)の場合になるとで気温が+2.8℃で発生率が13.9倍となると予測する。言い換えれば熱波の発生率がうなぎのぼりとなり、山火事の頻度等がいちじるしく高まる。
 ついで(2)極端な大雨については、(ア)の場合に雨量が+6.7%で、発生率が1.3倍であるが、(イ)の場合には雨量が+10.5%で発生率が1.5倍となり、(ウ)の場合には雨量が+14で発生率が1.7倍と予測する。土砂災害等が恐ろしい。
 ほかに(3)農業に被害を及ぼす干ばつの発生率は(ア)が1.7倍、(イ)が2倍、(ウ)が2.4倍とする。増え続ける世界人口に対して、干ばつによる農業被害が大きくなれば、<飢饉>が多発する。

【自然科学の論文で中国が世界一に】
 10日、文部科学省の科学技術・学術政策研究所が発表した最新の報告書によれば、「自然科学分野の論文の注目度の高さを示す指標で中国が初めて世界一になった。研究者による引用回数が上位10%に入る「注目論文」の数で初めて米国を抜いた。分野別でも8分野中、材料科学や化学、工学など5分野で首位に立った。学術研究競争で中国が米国に肩を並べつつあり、産業競争力の逆転も現実味を帯びてきた」という。同研究所が英調査会社クラリベイトのデータを基に主要国の論文数などを3年平均で算出・分析したもの。
 注目論文のうち上位1%に当たる「トップ論文」でも、中国のシェアは25%と米国の27.2%に肉薄した。文科省科学技術・学術政策研究所の担当者は今後について「中国のいまの勢いは米国を追い抜く様相を見せている」と指摘する。
 注目論文の世界シェアを分野ごとにみると、材料科学で中国は48.4%と米国(14.6%)を大きく引き離した。化学が39.1%(同14.3%)、工学は37.3%(同10.9%)などと計5分野で首位となった。
 一方、米国は臨床医学(34.5%)や基礎生命科学(26.9%)で首位となった。バイオ分野で強さが目立つが、産業競争力に直結する分野で中国が強さを示した。
 これに対して日本は、論文の質・量ともに順位が低下し、科学技術力の足腰の弱さが浮き彫りになった。注目論文のシェアではインドに抜かれ、前年の9位から10位と初めて2ケタ台に後退した。トップ論文のシェアも9位と前年から横ばいだった。10年前と比べた減少率はともに10~15%と大きく、論文の質が相対的に下がっている。
 日本の全体の論文数は6万5742本と米中の20%前後の水準にとどまった。米中のほか韓国、ドイツ、フランス、英国などは10年前と比べ増えているが、日本は横ばいにとどまる。長期化する研究力低下に歯止めをかけるのに「特効薬」はなく、衰退を食い止めるのは難しい。
 知人の物理学者が言うには、中国はサイエンスよりも工学に力を入れており、投入金額が半端ではないので量的優位は続くであろう。瞬間的な値はこれからも優位かもしれないが、アメリカはバイデン政権がどれだけ頑張るかに依るが、サイエンスは過去から現在までの積分値なので、そう簡単には追いつけないのではと。

【日本列島に居座る<線状降水帯>】
 台風9号が去った10日(火曜)は全国的な猛暑日となり、横浜も37℃超を記録した。翌11日(水曜)からは前線が日本列島上に停滞、西日本、東日本、東北と全国にわたって猛烈な雨となった。気象庁は、この雨の日が今後1週間もつづくと警報を出した。警報通り、降り始めの11日から15日までの4日間は総雨量が800ミリを超え、1000ミリに達した所もある。観測史上最多を記録する地域が多い。

 とくに九州北部と広島県を中心とする中国地方で顕著である。偏西風の蛇行により前線が北上すると、南から湿った空気が入り、<線状降水帯>を作る。その動きが遅いと猛烈な雨が長時間にわたり降り続くことになる。河川の氾濫や道路冠水に加え、土中の水分が耐えられなくなると土砂災害が起きる。

 この<線状降水帯>が16日には東へ移り。関東地方も猛烈な雨となり、神奈川県でも山北町付近で15日10時までの1時間に約100ミリの猛烈な雨が降ったとみられ、「記録的短時間大雨報」が発表された。横浜も大雨となった。

【アフガニスタン急変】
 東京五輪、新型コロナの感染拡大、11日に始まり1週間つづくとされる日本列島の<大雨特別警報>に気をとられているうちに、13日(金曜)の日経新聞がワシントン発として「アフガン首都緊迫」の見出しで、次のように伝えた。

 「アフガニスタンの反政府武装勢力タリバンが13日までに、第2の都市の南部カンダハルなどを制圧した。米メディアによると8月末の米軍撤収を控え、早ければ1カ月以内に首都カブールが陥落する可能性があると米当局はみている。米英、カナダは大使館員らの退避のため軍の部隊を派遣する。タリバンは全34州都のうち過半数の18州都を支配した。首都のあるカブール州に隣接する東部ロガール州などを含み、首都から約50キロメートルまで迫っている。なおカンダハルはタリバン発祥の地で、20年前の2001年12月に最後の拠点だった同地が陥落し当時のタリバン政権は崩壊した。カンダハル奪還でタリバン兵の士気が一段と高まる公算が大きい。」

 15日(日曜)の日経新聞は次にように伝えた。「アフガニスタンの反政府武装勢力タリバンは15日、首都カブールに進攻し大統領府を掌握した。同国のガニ大統領は国外に退避したとみられる。タリバン幹部は勝利宣言し、アフガン政権は事実上瓦解した。2001年の米同時テロをきっかけに旧タリバン政権が崩壊してから約20年、テロとの戦いが振り出しに戻る格好だ」と。

 翌16日(月曜)の日経新聞は、【カブール=共同】を引いて、状況を伝えた。
 「ターバン姿の男らが武器を手に政権中枢へ迫り、国軍兵士は持ち場を捨てた。反政府武装勢力タリバンが進攻したアフガニスタンの首都カブールは15日、銃声とヘリコプターの旋回音、脱出する市民の車の渋滞で緊迫と混沌に包まれた。国外脱出したガニ大統領には「国民への裏切り」と非難の声が向けられた。現地で取材する男性記者は英BBCに、警察から奪ったとみられるトラックに乗ったタリバン戦闘員らが自動小銃を振りかざす姿を目撃したと証言。路上で歓声を上げる市民や、車を追い掛ける子どもたちもいた。別の場所では持ち場の検問所を後にする国軍兵を見たという。AP通信などによると、米大使館の屋上付近からは煙が立ち上り、外交官らは機微に触れる書類を急いで燃やした。兵士らを運ぶ軍用ヘリ「ブラックホーク」も大使館の近くに着陸した。カブール大学付近にはタリバンの旗が掲げられた。
 共同通信通信員によると、空港に向かう幹線道路は車で埋め尽くされ、動かないまま。雑貨店ではタリバンを象徴するターバンを巻いた男性を目撃した。タリバンを受け入れる意思を示す「白旗」を掲げる建物も。商業エリアは閑散としており、美容室の従業員はタリバンの懲罰を恐れてか、女性が写ったポスターを急いで剝がしていた。BBC特派員は「いつもとは比べものにならない銃声の数だった」と振り返った。
 ガニ氏を支えてきた女性のハミディ教育相代行は国外脱出を「裏切り」と批判。タリバンの報道担当者が女性の権利を尊重すると主張していることについては「(タリバンが極端な女性差別を続けた)過去の経験から信じがたい」と語った。」
 アフガニスタンのガニ政権が反政府武装勢力タリバンの進攻により崩壊したことを受け、バイデン米政権は15日、米国民らの退避を加速するため米軍約千人を追加派兵する方針を決めた。情勢の急変に伴う措置で、駐留規模を48時間以内に計6千人規模に増やし、首都カブールの空港で管制業務を担う。ただ、8月末までに米軍を完全撤退させる目標は維持する方針。
【各国の対応】
 アフガニスタンで反政府勢力タリバンが首都カブールを掌握したのを受け、菅首相は16日、邦人保護について「現地の最新の情報を把握しながら米国などと連携して対応している」と語った。「今後タリバンの政権移譲が見込まれると認識している」と述べた。首相官邸で記者団に答えた。
 欧米諸国も相次ぎ自国民や大使館員の退避のため動き始めている。米国務省は15日、アフガニスタンのカブールにある米大使館から市内にある国際空港へ全職員の退避が完了したと発表した。バイデン大統領は14日、退避を加速するために米兵1000人を追加派遣すると発表していた。既に英国やドイツ、フランスなどは大使館の機能を同じ空港内や周辺に移し、自国民の退避に向けて活動を続けている。英国は自国民の退避のため、軍隊をカブールに派遣した。ニュース専門局フランス24によるとフランスはアフガニスタン内のフランスの組織で雇用されている600人以上のアフガニスタン人と家族をすでにフランスで受け入れた。
 一方、中国外務省の華春瑩報道局長は16日の記者会見でカブールにある中国大使館は正常に機能をしていると説明、一方でアフガン駐在の中国人の多くはすでに帰国したという。華氏は「タリバンは中国と良好な関係を発展させることを希望している。中国がアフガンの再建と発展に参加することも望んでいる」と指摘した。その背景には、7月28日、天津で会談した中国の王毅外相とタリバン幹部のバラダル氏の写真を新華社=ロイターが公表たことからも分かる。
 トルコのチャブシオール外相も15日、カブールにある大使館の業務を継続する方針を明らかにした。ロシアも大使館機能を維持する方針である。複数のロシアメディアによると、ロシア外務省のカブロフ大統領特使(アフガン問題担当)は15日、タリバンによる暫定政権について「現時点で承認していない」とした一方で「ロシアはアフガニスタンの暫定政権と協力する準備はできている」と述べた。
【タリバン幹部の記者会見】
 18日(水曜)のBBCニュースによれば、17日、アフガニスタンを支配下に置いた武装勢力タリバンは15日の首都カブール掌握後初の記者会見を開いた。報道担当のザビフラ・ムジャヒド幹部は、内外で懸念されている女性の権利について、「シャリア(イスラム法)の枠組みの中」で尊重すると述べた。しかし、他の規則や規制について詳細は明らかにしなかった。
 記者会見で外国メディアは、タリバン政権下の女性の権利について質問を繰り返した。ムジャヒド幹部は「我々の枠組みの中で、女性が働き勉強することを認める」、「我々の社会で女性はとても活発に活動することになる」と述べた。
ただし、女性にどのような服装を要求するのか、全身をすっぽり覆い隠すブルカの着用を義務付けるのか、さらには女性にどのような就労機会が認められるかなどについては、質問されても答えなかった。
 ムジャヒド幹部は、全てのアフガニスタン人が「イスラムの枠組みの中」で生活しなくてはならないと繰り返し、政権発足に向けて作業を進めており、数日中に発表すると明らかにした。
 過激派勢力アルカイダなどが国内を拠点とするのではないかとの質問には、「アフガニスタンの国土を、他者の攻撃には使わせない」と述べ、「内部にも外部にも敵は欲しくない」と融和姿勢を示し、政府治安部隊の兵士や外国政府と協力したアフガニスタン人には恩赦を約束した。
 タリバンは同日、記者会見に先立ち、国内全土に全般的な恩赦を宣言。政府職員に安心して職務を再開するよう呼びかけたほか、自分たちの政府に女性の参加も希望すると述べた。
【イアン・ブレマー氏の見解】
 20日の日経新聞は、米調査会社ユーラシア・グループを率いる国際政治学者イアン・ブレマー氏の特別寄稿を載せ、「アフガニスタン駐留米軍のまずい撤収は、バイデン米政権が初めて直面した外交上の大きな危機」とし、「撤収の判断そのものが批判されるわけではない。失敗したのは戦略というよりも実行面」とし、次の4点を挙げる。
 第1の失敗は軍事・情報である。米情報機関はアフガン政府がタリバンの攻撃を受けても2、3年は持ちこたえられると考えていた。ところが、タリバンの攻勢が強まると、その見通しは2~3日に変わった。特に驚くべきことは次の2点。米国は戦闘を拒否したアフガン政府軍に過去20年間で880億ドル(約9兆6千億円)を支払い、米国はアフガン政府軍を20年間も訓練したのに、政府軍の能力が低く、戦う意思がないという事実を理解していなかった(あるいは理解したくなかった)。
 第2の失敗は調整。米国は20年間、同盟国とともにアフガンで戦ったが、バイデン政権による部隊の撤収は単独だった。政策の見直し、決定、発表、実行だけではない。事後処理としての市民の退避、難民の受け入れ、人道支援の提供についても同様だった。同盟国はトランプ前政権による「米国第一」の4年間が終わった後、米国が態度を変えると予想していた。米国は中国に関与する機会も逃した。米国も中国も、アフガンが「失敗国家」となり、再び国際テロの輸出拠点になる事態は望まない。米国と中国が真の意味で合意できる数少ない分野で、創造性に富む外交を実行する余地はあったが、その好機をむざむざ失ってしまった。
 第3の失敗はプランニング(計画・設計)。情報や調整で失敗したとしても、バイデン政権が別のシナリオを効果的に用意できていれば、必ずしも大きな被害につながったとは限らない。ところが、実際は、備えができていなかった。米国は(市民らの)退避を支援するため、米本土から新たな部隊を派遣しなければならなくなった。アフガンの米軍は撤収開始時よりも(一時的に)3500人も多くなってしまった。首都カブールの空港は絶望したアフガン市民であふれ、滑走路を進む米軍の輸送機と一緒に多数のアフガン人が走った。離陸後、機体にしがみついていた3人が振り落とされ、亡くなった。米軍を支えた何千人ものアフガン人の安全を保証する計画はなく、多くの人々は置き去りにされた。
 第4の失敗はコミュニケーション(意思疎通)。バイデン氏は7月、米国民に向け、タリバンが「アフガン全体を支配する可能性は極めて低い」と保証した。「(在アフガン米大使館の)屋根の上からヘリコプターで脱出するような状況ではまったくない」とも話した。
ブリンケン米国務長官も「米国は残り、大使館は動かず、計画も続く。仮に安全が大きく損なわれるような事態になっても、それは金曜から月曜の間に起こることではない」と語った。こうした予言は、言っているそばから外れたため、かわりにバイデン政権はアフガンで「成功を収めた」と主張するようになった。
 痛みを伴うが必要な決定だったはずのアフガン駐留米軍の撤収作業は大きく失敗した。バイデン氏の政敵は、同氏がこの敗戦の責任をとるべきだと突き上げた。20年の月日と2兆ドルの資金が浪費された、その責任の一端をバイデン氏は追及されている。
【日本政府の対応】
 日本政府は首都カブールの在アフガン大使館を15日付で一時閉鎖。17日には大使館の日本人職員12人を英軍機でアラブ首長国連邦(UAE)のドバイに退避させたが、菅首相は22日、首相公邸で森健良外務事務次官、島田和久防衛事務次官らと自衛隊機派遣を巡り協議した。
 自衛隊機C2、C130等の輸送機を軸に派遣する検討に入り、輸送対象は国際機関勤務などで現地に残る少数の日本人、それぞれ数十人いる大使館や国際協力機構(JICA)の現地スタッフとその家族も含め、出国の意向調査を始め、国家安全保障会議(NSC)で首相や岸信夫防衛相らが詰めの協議に臨み、23日、派遣を決定した。
 26日(木曜)現在、カブール国際空港周辺に人々が押し寄せたため治安が不安定となり、在留邦人を退避させる便は隣国パキスタンのイスラマバード空港で待機、まだ運行していない。
 同じ日、国際空港の周辺で2回の爆発があった。過激派組織「イスラム国」(IS)が犯行声明を出した。米軍は少なくとも1回は自爆テロと指摘した。複数の米メディアによると、米兵13人を含む70人超が死亡したとみられる。
 空港の入り口の一つである「アビー・ゲート」付近でIS戦闘員が自爆テロを実施した。その後に別の複数の戦闘員が米兵やアフガン市民に対して銃撃した。もう一つの爆発はアビー・ゲートから数百メートルの距離にある「バロン・ホテル」で起きた。マッケンジー氏は手口について調査中だとした。バロン・ホテルは外国人の利用が多いとされる。米軍は19日、ヘリコプターを使って同ホテルから169人の米国人を空港に移動させていた。
【感染拡大にともなう措置】
 新型コロナウイルスの感染拡大を受けて、8月20日から9月12日までの4度目の緊急事態宣言の対象地域に茨城、栃木、群馬、静岡、京都、兵庫、福岡の7府県が追加され、また新たに「まん延防止等重点措置」が適用された宮城、山梨、富山、岐阜、三重、岡山、広島、香川、愛媛、鹿児島の10県に適用。これに合わせて、8月31日までが期限の6都府県の宣言と6道県の重点措置の9月12日までの延長も決めた。
 緊急事態宣言の対象地域を拡大したにもかかわらず、具体的にどういう措置を講じて感染拡大を抑えるのか。政府は(1)新型コロナウイルスの基本的対処方針を変更し、デパートの地下の食品売り場などへの入場者の整理を要請することを盛り込む、(2)首相が経団連にリモートワークの強化と出勤の7割減を求める一方で、(3)パラリンピックの一部<有観客>、(4)夏休み明けに新学期を迎える小中高校などについて「全国一斉の臨時休校は考えていない」と述べ、休校要請を見送る考えを示す(20日 文科大臣)など、全体としての強い政策効果は出ていない。内閣官房のホームページでは、個々人がしっかり<三密>を避ける等の旧来からの要請を繰り返すだけで、政府として説得力ある新たな背策は見られない。
【感染者の急拡大と重症者の増加】
 ワクチンの普及が感染拡大を防ぐ最大の武器と言うものの、変異株<デルタ株>のまん延に対して有効か否かの疑問が出ている。コロナウィルスにとっては変異することを通じて多数の宿主を見つけることに成功を収めている最中である。20日、全国の感染者が25,876人、重症者数も1,816人、入院中や療養中の人は193,355人といずれも過去最多となった。
 東京都内では20日、5405人が新たに新型コロナウイルスに感染していることが確認され、初めて3日連続で5000人を超えた。自宅で療養している人は2万6000人を上回り、19日よりさらに2000人余り増えて3日連続で最多を更新した。
【横浜市長選 山中竹春氏が当選】
 横浜市長選は22日(日曜)に投開票が行われた。朝日新聞デジタルによれば、出口調査を実施した結果、元横浜市立大教授の山中竹春氏が元国家公安委員長の小此木八郎氏ら他の候補を引き離しており、早くも山中氏が初当選を確実にしたと伝えた。23時22分の開票率8.54%で、出口調査から山中竹春候補が41,000票を取り、得票率31.54%で当確を決めた。2位の小此木八郎氏は26.54%、3位の林文子氏は19.27&である。
 山中氏は立憲支持層の7割半ばを固めたうえ、共産、社民両支持層からも6~7割を得て、無党派層からは4割近い得票があり、全8候補の中で最も多くの支持を集めた。小此木氏と現職の林文子氏の2人に市議らの支持が分かれた自民党だが、小此木氏は自民支持層からの得票は4割弱、2割が林氏に回っていた。自民支持層をまとめきれなかった小此木氏は無党派層への浸透にも力強さを欠き、1割程度の得票にとどまった。
 林氏が2年前に決めたIR誘致への反発は強く、市民団体が誘致の是非
を問う住民投票条例の制定を求めた署名活動で20万筆近くが集まった。

 立憲民主はIR反対勢力の幅広い結集を目指し、山中氏を擁立。過去3
回の市長選で林氏を支援した連合神奈川が推薦、共産、社民も支援した。山中氏は臨床統計学が専門で政治経験はなく、知名度の低さが課題だったが、新型コロナウイルスの感染が急拡大する中、「コロナの専門家」とアピールし、無党派層にも支持を広げた。
 山中氏は早大院修了、九州大医学部付属病院、国立がん研究センターなどを経て、横浜市立大医学部教授。埼玉県出身、48歳。
 山中氏については、本ブログ6月16日掲載「人類最強の敵=新型コロナウイルス(39)」のなかで、「横浜市立大学の研究によれば、去年2月~4月に自然感染した250人に、6カ月後の去年10月ごろと、1年後の今年3月ごろに採血し、実験した結果、1年後も十分な量の中和抗体があり、それは、その後、見つかった“変異型”にも“効く”可能性があると発表した」と紹介している。
また本ブログ7月12日掲載「人類最強の敵=新型コロナウイルス(40)」でも、横浜市長選に8名の立候補者があったことを伝え、「候補者が乱立すれば、票は分散…最多得票者が有効投票総数の4分の1以上の票を得られなければ、50日以内に<再選挙>となる規定があり、関係者の間では<再選挙>の可能性も話題に上り始めた」と述べた。
 日経新聞によれば、IRの撤回を訴えた山中氏は立民のほか、共産、社民両党の支援を受け「野党共闘」の候補として支持を広げた。小此木氏は市内に選挙区のある菅首相が支援し、自民党の市議の大部分と公明党の支援を固めたが、及ばなかった。3期12年の実績とIR誘致推進を掲げた林氏も伸び悩んだ。
 23日(月曜)午前3時のNHK報道によれば、上位3人の開票結果は、山中竹春氏が50万6392票、小此木八郎氏が32万5947票、林文子氏が19万6926票であった。投票率は49.05%で前回4年前の選挙を11.84ポイント上回った。
 開票から一夜明けた22日、毎日新聞のインタビューで当選した山中氏は次のように述べた。
「横浜市長選で初当選した元横浜市立大教授の山中竹春氏(48)は投開票から一夜明けた23日、公約としていたカジノを含む統合型リゾート(IR)の誘致撤回について「早い段階で宣言して必要な手続きを進めていく」と述べ、改めて意欲を示した。
 市内の事務所で報道陣の取材に応じた。この日は午前5時半ごろに起床し、知人や支援者から大量のメールが届いたのを確認したという。「改めて当選させていただいたという実感が湧いてきた」と笑顔を浮かべた。同席した妻の真木子さん(46)は「びっくりしている。支えていただいた方に感謝したい」と語った。…
 政権批判が自身の票につながったとの見方について、山中氏は「政権批判というより、横浜を前に進めてほしい、閉塞(へいそく)感を打破してほしいという期待を感じた」と述べた。…新型コロナウイルスの感染拡大を受け、選挙戦では「新型コロナの専門家」と強調して支持を拡大した山中氏。「感染者が爆発的に増えて病床も危機的だ。ワクチン接種を加速化して、感染が広がらないような仕組みづくりが必要だと思う」と強調した。【高田奈実】」
【選挙後の国政への影響】
 横浜市長選の結果が及ぼす今後の国政選挙への影響について、NHKの取材に対し自民党幹部は「保守分裂で自民党支持層の票が割れてしまったことに加え、政府の新型コロナ対応への不満が批判票となって集中したことが敗因だ。知名度で勝る小此木氏が差をつけられたことは衝撃で、衆議院選挙に向けて影響を最小限に抑えなければならない」と述べた。
 一方、立憲民主党の福山幹事長は、「『カジノはいらない』という市民の意思が明確に示された。また、菅総理大臣のおひざ元で、こうした結果になったことは、菅内閣のコロナ対応に極めて厳しい判断が下されたということ。政権は謙虚に受け止めて国会を開き、コロナ対応に全力を尽くすべきだ。今回の有権者の野党への期待を次の衆議院選挙で全国に広げられるよう努力したい」と述べた。
【蔡英文・総統が台湾製ワクチン接種一番乗り】
 23日(月曜)、台湾のワクチンメーカーである高端疫苗生物製剤(メディゲン・ワクチン・バイオロジクス)が生産した新型コロナウイル・ワクチンの接種が、始まり、蔡英文・総統は接種開始初日となった23日午前、接種会場の一つとなっている台湾大学医学院の体育館を訪れ、接種を受けた。
【パラリンピック開幕】
 24日(火曜)晩、パラリンピック開会式が国立競技場で行われ、13日間の大会が幕を開けた。日本選手団は車いすテニス男子シングルスで2大会ぶりの金メダルを目指す国枝慎吾が主将を務め、前回リオ大会の倍に迫る過去最多254選手が全22競技に出場。史上最多の金メダル20個を目標に掲げる。
 国際オリンピック委員会(IOC)のトーマス・バッハ会長が23日に来日、24日の東京パラリンピック開会式に出席し、25日夜、空路で帰国の途についた。パラリンピックの開会式にIOC会長が招待されるのは慣例となっているが、来日したバッハ氏について隔離措置は取られなかった。
 これについて25日の衆議院厚生労働委員会(閉会中審査)に出席した尾身分科会会長は、「いま人々にテレワークを要請しているわけですよね。今回またバッハ会長の挨拶が必要なら、なぜオンラインでできないのか。国民に(自粛を)お願いしているんだったら、バッハ会長、なんでわざわざ来るのかと。普通のコモンセンス(常識)ならできるはずなんですよね。銀座も1回行ったんでしょ、と。これは、私は専門家の会議というよりも一般庶民としてそう思います」と身振り手振りを加えながら、強い口調で訴えた。
【コロナ重症者増で<総力戦>】
 24日、厚労省と東京都が改正感染症法に基づいて都内の全医療機関に連名で新型コロナウイルス対応への協力を要請した。都はオンラインで医療関係者に要請内容を説明。感染拡大で東京都を中心に医療の供給体制は逼迫している。コロナ医療に直接関わっていない病院や診療所からも、宿泊療養施設などで対応にあたる人材を確保し、医療措置を受けられる患者を増やす。法的手段も含め、<総力戦>での打開が必要となっている。
 都は24日のオンライン説明会でコロナ患者に酸素を投与する「酸素ステーション」への人材派遣などを要請した。都内には約8万の一般病床がある。都はコロナ対応で確保する病床数を今より1割積み増し7000床をめざす方針。
都内には病院が約650あり、うちコロナ患者を受け入れている病院が約400ある。コロナ対応に直接関わっていない病院は約250と、全体の3分の1を占める。要請では400病院にはさらなる患者受け入れや病床の確保を求めた。残る250病院には宿泊療養施設や臨時の医療施設の運営に関わるよう要請。病院がどう対応するか回答期限はいずれも31日に設定。
 この24日の時点で、NHKのまとめによれば、全国の感染者数は2万1570人、重症者数は1935人、死者は42人、入院・療養中が21万2567人である。うち重症者数と、入院・療養者数の増大が医療体制を逼迫させる直接の要因となり、救える命が救えない状況を招いている。上掲の<総力戦>が奏功することを願う。
【範囲を拡大、21都道府県に宣言、12県に重点措置】
 25日(水曜)、菅首相は新型コロナウイルス対応の特別措置法に基づく緊急事態宣言の対象に、北海道、宮城、岐阜、愛知、三重、滋賀、岡山、広島の8道県を追加することを正式決定した。宣言に準じた「まん延防止等重点措置」に高知、佐賀、長崎、宮崎の4県を加える。追加地域の宣言・重点措置の期間は27日から9月12日まで。あわせて宣言は計21都道府県、重点措置は計12県に拡大される。
【自民党総裁選、9月17日告示、29日投開票】
 26日、自民党は9月末の任期満了に伴う党総裁選の日程を9月17日告示、29日投開票と決めた。菅首相が再選を目指し、岸田文雄前政調会長が立候補した。複数候補が出馬する構図で3年ぶりに国会議員票と党員・党友の地方票を同数で争う選挙になる。
 岸田氏は記者会見で、「自民党に声が届いていないと国民が感じている」と強調した。「いま自民党に厳しい目が注がれている。こうした現状の中で信頼を回復することができない。党のガバナンス改革をしっかり進める」と力を込めた。
また総裁を除く党役員の任期を「1期1年、連続3期まで」にすべきだと提起した。「権力の集中と惰性を防ぐ」とも主張した。2016年8月から5年にわたり幹事長を務める二階俊博氏が念頭にある。
【パラリンピックの日本勢成果】
 2日目の25日、水泳で女子100m背泳ぎ(運動機能障害S2)の山田美幸(14)が2位に入り、日本勢史上最年少の銀メダル、今大会の日本選手団メダル第1号。中学3年生の山田は初出場で最年少記録を塗り替えた。
 初めて見る車いすラグビーや車いすバスケットボール。その細かいルール設定により障害の程度による競技参加の役割が決まることを知った。<多様性の調和>とでもいうべきゲーム設定に驚かされた。
 3日目の26日(木曜)、競泳の男子100メートル自由形(運動機能障害S4)で、鈴木孝幸(34)=ゴールドウイン=が1分21秒58のタイムで優勝した。今大会初めての日本勢金メダル。
 「日常生活でも想像以上に多くの方々の世話になっています。この成果は多くの方々の産物です。みなさまへお返ししたい」と挨拶があった。
 4日目以降の競技結果を記録する時には、金メダルに留まらず広く他の諸問題にも目を向けていきたい。
陸上競技は27日にスタートし、トラック最初の決勝種目となった男子5000mT11決勝に唐沢剣也と和田伸也が出場。唐沢が15分18秒12で銀メダル、和田は15分21秒03で銅メダルを獲得し、同競技における日本人最初の表彰台となった。優勝はブラジルのエウチン・ジャッキスで15分13秒62。


 この間、以下の番組を視聴した。東京五輪の実況放送により、しばらく空白期間があった。(1)ETⅤ特集「ドキュメント 精神科病院×新型コロナ」(再)8月5日。 (2)映像の世紀{11}「JAPAN~世界が見た明治・大正・昭和~」12日。 (3)ETⅤ特集「ひまわりの子どもたち~長崎・戦争孤児の記憶~」14日。 (4)週刊ワールドニュース(8月9日~13日)」15日。 (5)BS1スペシャル「特攻 知られざる真実」15日。 (6)NHKスペシャル「開戦 太平洋戦争~日中米英 知られざる攻防」15日。 (7)BS1スペシャル「隠された“戦争協力” 朝鮮戦争と日本人」16日。 (8)NHKスペシャル「沁みる夜汽車(三木忠直)」(再)18日。 (9)NHK「たけしの その時カメラは回っていた 驚きの世界のプロパガンダ」18日。 (10)クローズアップ現代+ 「封印された「心の傷」 精神疾患兵の極秘調査」19日。 (11)クローズアップ現代+ 「新型コロナ“第5波” 病院を襲う負のスパイラル」19日。 (12)BS1スペシャル「世界の子どもの未来のために」20日。 (13)NHKスペシャル「混迷ミャンマー 軍弾圧の闇に迫る」22日。
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夏の古建築公開×「タゴールと夏の迷い鳥たち」展

 前回の当ブログ「観蓮会始まる」の末尾で、今年初めての企画として、夏の古建築公開×「タゴールと夏の迷い鳥たち」展が行われると予告した。会期は8月7日(土)~8月15日(日) 9:00~16:00。会場は鶴翔閣(横浜市指定有形文化財)。主催は公益財団法人三溪園保勝会、共催がStray Birds Japan、助成が東京芸術大学音楽学部若手作曲家・演奏家・研究者支援事業、そして後援が外務省、国立音楽院である。

 8月9日(月)、この日は東京五輪の閉会式8日(日・祝)の振替休日で、早朝観蓮会の最終日にあたり、同時に夏の古建築公開×「タゴールと夏の迷い鳥たち」展の開催2日目である。若い人たちを応援したい、早めに挨拶を、と顔を出した。

 東京五輪の関係から祝日が大幅に変更となったので整理しておきたい。通常なら2021年7月19日(月)が「海の日」だが、東京五輪の開会式を7月23日(金)としたため、「海の日」を開会式前日の22日(木)に移した。また通常10月の第1月曜日と定められている「スポーツの日(旧「体育の日」)」を開会式の7月23日(金)に移し、7月22日(木)から25日(日)までを4連休とした。さらに通常は8月11日と定められている「山の日」を8月8日(日)のオリンピックの閉会式に充てた。翌9日(月)は振替休日である。

 ちょうど前日の8日(日)が横浜市長選の告示日で立候補者は8名。三溪園近くのポスター掲示場を見ると15名分の枠のうちポスターを張り出したのが7名、異例の混戦が予想される。投票・開票日は22日(日)である。

 気がかりだった三溪園の蓮は急速かつ見事に成長した。今年の蓮の立ち葉はとくに背が高い印象を持つ。池の畔に立つと所によっては蓮の葉が目の高さまで迫ってくる。どうやら三溪園の蓮ばかりではないようで、よく行く上野の不忍池でも常連とおぼしきカメラ好きに聞くと、「今年は背が高くて、眺めが全然違う」とのこと。梅雨明けの猛暑のせいか。

 蓮池を波打つように覆いつくす緑の葉、そこに浮かぶ紅赤の花は開花して4日目に散り<花托>を残す。<花托>のなかにハスの実ができる。最終日のせいか、子連れの家族が「ハスあそび」のテントに並ぶ。距離を保つよう促しつつ、羽田雄一郎主事やボランティアさんが茶色く乾燥した<花托>(これを<果托>と呼ぶ)を子どもたちに手渡している。

 また蓮の葉シャワーのやり方も説明している。その実物は鶴翔閣側に数本あり、そこへ戻って改めて見る。大きな葉の周縁から勢いよく水が噴き出している。根元から水圧を加えると、茎の通気孔を伝い葉脈を通って噴き出す。ふだんは逆にここから空気を取り込み、葉脈⇒茎⇒蓮根へと伝える。以下の案内板のとおりである。もう一つが以下の「蓮の葉の不思議」。

案内板

 その不思議に感動し、質問した。「水の吹き出し口はいくつあるのですか」。答えは「22ほどでしょう」。

 急に雨が降り出し木の下で雨やどり。降ったかと思えばすぐに日が差す。この繰り返し。太平洋岸を北上して抜けた台風10号と、今朝九州に上陸して北東へ進む台風9号、これら2つの台風の影響か。

【タゴールと日本】
 ラビンドラナート・タゴール(Rabindranath Tagore、1861-1941)はインドの詩聖と称えられる人物。代表作『ギータンジャリ』により、1913年、アジア初のノーベル文学賞を受賞した。

 タゴールと日本を結ぶ淵源を辿ると、1902(明治35)年、岡倉天心(1863~1913年 東京美術学校校長、のち日本美術院創設)が、次いで翌年に横山大観と菱田春草が長期にわたりインド旅行をして、タゴール邸に世話になったことに端を発する。

 その後、タゴールが日本やアメリカ各地で講演する草稿を気候のよい日本で書くため、大観を頼って来日する。天心や春草はすでに逝去していた。日頃から三溪園に出入りしていた大観がすぐタゴールの応接について原三溪に相談、1916(大正5)年6月18日から9月2日まで三溪園に招いた。タゴール55歳、三溪47歳、タゴールに同伴したのは若き21歳の版画家ムクル・ディーである。通訳は主に当時26歳の矢代幸雄(美術史家 1890~1975年)が務めた。

 賓客タゴールの宿泊したのが、三重塔のある丘の上にあったレンガ造の松風閣であった。これは関東大震災(1923年)で倒壊、その遺構は今も保存してある(現在の展望台へ向かう途中で観覧できる)。ここでタゴールの長編詩“Stray Birds“(「迷い鳥」)が生まれる。

 旧燈明寺三重塔の移築完成は1914年であるから、タゴールは松風閣から20メートルほどの位置にある三重塔を日々仰ぎ見ていたことになる。仏教の祖である釈迦の舎利(遺骨)をおさめるインドのストゥーパ(仏塔)は古代インドで紀元前3世紀頃から造られ始めた饅頭形(半球形)のもので、これが中国に伝わると楼閣建築の形式を取り入れて高層化し、楼閣形の層塔は朝鮮半島を経て日本へ伝えられた。木造の層塔は日本に多く残っており、中国、朝鮮半島における遺例はごく少ない。日本では、各地の仏教寺院や神社などに木造の三重塔や五重塔があり、地区のランドマークとなっているものも多い。

 旧燈明寺三重塔がいま三溪園にあり庭園のシンボル的存在となっているのは、三溪が京都府の燈明寺から移築したからに他ならない。明治政府の神仏分離政策により多くの仏教寺院が打ち捨てられ廃寺となるところが多発、旧燈明寺もその一つであった。それらを救済すべく<古社寺保存法>(1897年=明治30年)の成立に尽力したのが天心であり、その思想に共鳴し、この新法の実践を担って古建築の移築を行ったのが三溪にほかならない。

 その2カ月半の滞在中、タゴールと三溪は仏教の伝来や当時の世界情勢をどう語り合ったのか。かたやイギリス植民地下のインド、かたや富国強兵をかかげて中国大陸深く侵攻せんとする大日本帝国。具体的な対話の記録は残されていない。残るのは旧燈明寺三重塔とタゴールの詩“Stray Birds“の二つ。

 タゴールが滞在していた1916(大正5)年は、三溪園内苑の作庭の最盛期であった。臨春閣の移築工事は真っ最中であり、天授院の移築が1916年、三溪設計の蓮華院の完成が1917(大正6)年、月華殿の移築や三溪が古材を組み立てて作った金毛窟の完成が1918(大正7)年と、内苑全体が工事のため大わらわであった。そして1922(大正11)年の聴秋閣の移築をもって内苑が完成する。

 その完成を祝い、大師会茶会を開いたのが翌大正12(1923)年4月21日(土曜)と22日(日曜)の2日間(本ブログの2018年11月1日掲載の「三溪園の大師会茶会」を参照)。その4ヵ月半後、関東大震災が襲う。三溪は私財と全精力を投じて震災復興の先頭に立つ。

【展示会場の鶴翔閣へ】
 事務所でメモの整理をしてから、原未織主事(建築担当)の案内で夏の古建築公開×「タゴールと夏の迷い鳥たち」展会場の鶴翔閣へ向かった。各所にポスターが張ってある。

ポスター1

ポスター2


 入口で両面刷りのチラシを貰う。題して<タゴールと夏の迷い鳥たち Stray Birds Japan 2nd Exhibition & Concert>。
広い鶴翔閣(980平方メートル)に、下記7つの催事の配置を図示する丁寧な案内である(以下、配置図と呼ぶ。)。すこし小さい字だが再掲する(大きくするには画面をクリックしてください)。なお黄色い網がかかる6か所は、「迷い鳥たち」(内山眞理子訳)からの引用である。

20210818配置図

 チラシの裏面には具体的な説明が。“Stray Birds Japan”とは、この団体(若⼿アーティストを中⼼とするコレクティブ・グループ)の名称である。タゴールの詩“Stray Birds”に“Japan”を付し、日本を代表するかのような、団体の高い志を示したものというべきか。

 “Stray Birds Japan”による「タゴールと夏の迷い鳥たち」展の企画概要に次のようにある。
 「1916年、インドの詩人ラビンドラナート・タゴール(1861/5/7〜1941/8/7)が三溪園の松風閣に滞在していた時、『迷い鳥(Stray Birds)』の最初の詩が生まれました。「Stray Birds Japan」はその詩をもとに集まった若手アーティストを中心とするコレクティブ・グループです。2020 年はタゴールや三溪園を中心とした研究やフィールドワークを行い、短編アニメーションの制作や企画展を行いました。今回は様々なご縁により、三溪園の古建築《鶴翔閣》公開と共に第⼆回目のグループによる展示・演奏会をさせて頂くこととなりました。 タゴール生誕160 年・没後80 年という…特別なタイミングです。アニメーション2作品の上映に加え、新たな展示作品や演奏会を実施します。『迷い鳥』の詩の世界や鶴翔閣の素敵な空間が、新たな視点で皆様の前に広がり、その良さや美しさを再発⾒して頂ければ幸いです。」
 
【本企画が実を結ぶまで】
 この企画が実を結ぶまで、さまざまな<出会い>と<ご縁>があった。人が動くことにより新たな<出会い>が生まれ、思いがけない<ご縁>が生まれることが多い。ところが、この1年半に及ぶ長いコロナ禍で人々は極端に縮こまり、動くことを控えざるを得なかった。

 身体的に動くことが減るのに反比例して、精神面では激しく希求して動き、かつてない発想を生むことがある。今回の企画は、その代表例の一つと言えよう。

 三溪園事務局でその最初の動きがあった。経緯を原さんに教えてもらう。マスク着用でも長話はできないため、リモートのメールによる交信である。昨年、佐々木美佳監督の映画「タゴール・ソングス」を観た田代倫子主事(総務課・経理担当)の縁で、奥田由香さんを昨秋の三溪園観月会にお招きする流れになった。奥田さんはインド国立ビシュバ・バラティ大学・大学院卒業。東京外国語大学、聖心女子大学、外務省、語学学校などでベンガル語指導をするほか、通訳、翻訳、タゴール・ソングの指導、ワークショップ、コンサート等々で幅広く活躍中である。

 緻密さを武器とする財務の基本データ制作者という田代さんの日常業務と、タゴールという<無限抱擁>を思わせる詩人、語り手、画家等々の顔を持つ偉人、その両者がどのように結びついたのか。

 メールで尋ねると、①学生時代から映画が好き、②数年前よりインド映画に興味を持ち、インドに関する映画の情報を得ては鑑賞を重ね、③三溪園とタゴールのつながりを知ったタイミングとほぼ同時に、佐々木美佳監督の映画「タゴール・ソングス」を知ったと言う。

 もう一組の人たちが、上掲の夛賀さんたちのグループ“Stray Birds Japan”である。このグループは昨年、映画「タゴール・ソングス」上映会で知り合い、三溪園内での音源の取材などを通じてアニメーション作品やタゴールの詩をもとにした楽曲の制作等に取りくみ、今春その上映会・コンサート等を実施した。

 それが〜企画第一弾のお知らせ〜 《環る息吹-タゴールと迷い鳥たち-》 である。会期:3/27sut,28sun 11:00-18:00 場所:喫茶野ざらし 展示:内田早紀、黒澤さちよ、松村なお 演奏:坂田茜、夛賀さくら 協力:足立美緒、奥田由香、倉持あゆみ、佐々木美佳、佐野稜、新田杏奈 DMデザイン:黒澤さちよ (敬称略)

 この上映会・コンサート等に田代さんが映画「タゴール・ソングス」の縁で参加、その様子を原さんに伝えた。二人は三溪園の事務所で数メートルの距離にいる同僚である。原さんは今回の<夏の古建築公開>の実施責任者であり、例年通りの体験型催物(茶道体験、瓦拓本など)がコロナ禍で昨年につづき難しいため、何か特別な展示ができないかと考えていた最中であった。そこで原さんが夛賀さんたちに声をかけた。

 佐々木監督と奥田由香さんを軸に夛賀さんたちのグループ“Stray Birds Japan”が活動を開始、それに田代さんが参加して原さんにつなげ、原さんが夛賀さんたちにつなげる、絶妙の連携プレーとなった。

【詩集『迷い鳥』(Stray Birds)】
 まず詩集『迷い鳥』(Stray Birds)の一部(内山眞理子訳)から引用する。内山さんは1949年、山口県生まれ、日本女子大学卒業後の1972~73年、ウェスト・ベンガル州シャンティ二ケトンにあるピッショ・バロティ(通称タゴール国際大学)哲学研究科でタゴールの思想を学ぶ。そして近くの村や鉄道駅でバウル(ベンガル地方の吟遊詩人)の歌に出あい、1990年代、バウルの歌(いまユネスコ無形文化遺産)を収集するためベンガルの村へ通う。主な著書に『ベンガル夜想曲 愛の歌のありかへ』(2005年 柘植書房新社)、ラビンドラナート・タゴールの訳書『迷い鳥たち』(未知谷 2008年) 、『わが黄金のベンガルよ』(未知谷 2014年)ほか。

長編詩『迷い鳥たち』の冒頭は、次のよう始まる(内山眞理子訳)。
STRAY birds of summer come to my window to sing and fly away.
And yellow leaves of autumn, which have no songs, flutter and fall there with a sigh.
夏の迷い鳥たちは、
わが窓辺にきて歌をうたい、
飛び去る。
秋の歌なき黄ばんだ木の葉は、
吐息とともに舞いおちる。

O TROUPE of little vagrants of the world, leave your footprints in my words.
この世の、
ほんの小さな放浪の一座よ、
わたしの言葉のなかに
きみたちの足跡を
とどめていっておくれ。

 そして最後の326節を次のように結ぶ。LET this be my last word, that I trust in thy love. (わたしはあなたの愛を信じます、これをわたしの最後の言葉とさせてください)

【「タゴールと夏の迷い鳥たち」展の会場をめぐる】
 鶴翔閣の展示は次の7つからなる。①タゴール紹介(常設)、②『迷い鳥たち』の詩によるインスタレーション(常設)、③短編アニメーション(常設)、④休憩室<涼の間>、⑤絵画作品(常設)、⑥いけばな、⑦コンサート。

 上掲の配置図では、玄関の近くにタゴールの詩『迷い鳥』(Stray Birds)からの引用が2つ(黄色い網掛け部分)がある。「232.わが国の蓮とおなじ花がこの異国の水辺に咲いている、同じ美しさで、べつの名のもとに。」と「11.気ままに吹く風のように、見えない指がわたしの心をつまびき、さざ波の音楽を奏でている」。なお黄色い網掛けのタゴールの詩に点線がついているが、これは後述のインスタレーションの作品を制作した場所を指す。

 受付を通って左手に<広間>、ここが①タゴール紹介コーナー(常設)である。新田杏奈さん(青山学院大学文学研究科日本文学・日本語専攻博士後期課程)の収集したタゴールの作品(原文)とその紹介(翻訳)が多数並べられ、彼女の修士論文「大正・昭和タゴール翻訳史-増野三良、吉田絃二郎、片山敏彦を中心に-」(2020年度提出、A4×186ページ)も置いてある。本格的な研究と直感、午後にはご当人が顔を出すと聞いたので、会いたいと思った。

 広い<楽室棟>は、⑤いけばな(14日と15日)と⑦コンサート(8日と12日)の開催日を除いて、ふだんは休憩室<⑥涼の間>として使われる畳敷きの部屋。間隔を広く取って椅子が置いており、休む人、思索する人、それぞれが自由に過ごせる。
左手(南面)に拡がる中庭と、正面(西面)に<書斎棟>を望む贅沢な空間である。なお④休憩室<涼の間>は村岡南さん(東京芸術大学大学院音楽研究科音楽学専攻)が構想したインスタレーション(特定の空間にモノを配置して空間全体を作品とする手法)である。
 配置図にはこの南側に「1.迷い鳥たちは、わが窓辺にきて歌をうたい、飛びさる。秋の歌なき黄ばんだ木の葉は、吐息とともに舞い落ちる」を掲げてある。

 ついで家族の部屋として使われた<茶の間棟>へ、ここでは③短編アニメーションを上映。黒澤さちよさんの”open my window”と松村なおさんの「沈黙の中を探し歩く」の2本、あわせて約5分。お二人は東京芸術大学大学院映像研究科アニメーション専攻修士課程。

 その奥の<書斎棟>は覗き見るだけで今回は入れないが、室内に小型のスピーカが仕込んであり、どこからともなく朗読詩が聴こえてくるというインスタレーション。タゴールの詩の「13.耳をすましなさい、わたしのこころよ、この世界のささやきに。こうして世界は近づいてくるのだから」をヒントに瞑想するための場である。

 もとへ戻って左折、<蔵>の前を抜けて<客間棟>へ。ここはかつて三溪が新進の日本画家(下村観山、横山大観ほか)たちとともに名品を並べて鑑賞し、また彼らの創作の場として提供した空間である。この突き当りに、②『迷い鳥たち』によるインスタレーションの一つとして、「音、風景、自然豊かな三溪園内のサウンドスケープを、その場所に宿る記憶とともに体験するスペース」がある。
 制作は足立美緒さん(作曲家 東京芸術大学大学院音楽音響創造研究分野修了)と小野龍一さん(音楽家 東京芸術大学大学院美術研究科先端芸術専攻修了)。窓際には山越かれんさん(国際教養大学卒)によるアクリル抽象画がさりげなく置いてある。

【タゴール紹介コーナーの新田杏奈さんの作品】
 午後になって①タゴール紹介コーナー(常設)の制作者・新田杏奈さんが来園されたので、互いにマスク着用で短く解説や質問に応じてもらった。初対面がマスク顔だと印象が定着しにくく、3日後のコンサートで再会した時すぐ判別できず、失礼をした。新田さんの「日本におけるタゴール紹介とその歴史」と題する文章があり、ここから展示の狙い(と修士論文の概要)を窺い知ることができ、展示品には番号が記されているので、丁寧で論理的な説明と合わせて観覧できる。その概要をまとめると、以下の4点。

 第1、北原白秋主宰の文芸雑誌「朱欒(ザンボア)」の大正 2 年 2 月号に掲載された「あらゆるものゝある国」という翻訳詩が、タゴールの最も早い紹介である。同詩の翻訳者・増野三良は、当時よく知られたタゴールの愛好者で、大正 4 年に『歌の祭贄ギタンヂヤリ』(東雲堂書店、1915・3 月)、『幼児詩集新月』(同・5―展示➀)、『印度新 叙情詩集園丁』(同・10―展示②)など3冊の訳詩集を刊行。全訳の訳詩集としては、三浦関造の『タゴール詩集伽陀の捧物』(同・3―展示③)と並び最初期のものであり、その後の本格的なタゴール紹介を切り開いた貴重な作品である。

 第2、大正期の翻訳作品の原書は、ほぼ全てが Macmillan 社から出版された英語作品(―展示④)を丸善経由で入手するのが一般的で、ベンガル語からの翻訳は極めて稀であった。佐野甚之助の『創作ゴーラ』(大雄閣、1924・12―展示⑤)は、この意味で他の翻訳書とは一線を画している。佐野は柔道の指導者としてシャンティニケトンに招かれ、現地でベンガル語を学び、帰国後にベンガル語原本に基づき、英語の翻訳 2 冊程を参照しながら完成させた。本書はまた長編小説家としてのタゴールの新たな一面を日本の読者に示した記念碑的作品である。
 なおMacmillan 社刊行のタゴールの英語作品(―展示④)のうち、⑦の“STRAI BIRDS”(1917)に刷られた献辞に、To T.HARA of YOKOHAMAとあるのに目が行った。

 第3、昭和期、戦争の激化と共に日本におけるタゴールの翻訳作品の数は急速に少なくなる。こうした中で新たな翻訳作品を刊行したのが、詩人山室静と仏文学者宮本正清である。山室静『タゴール詩集』(河出書房、1943・8-展示⑥)は、詩集 Stray Birds(1916)を紹介した最初の翻訳作品。他にも、The Fruits Gathering(1916)や、Love‘s Gift and Crossing(1918)等、 大正期に紹介されなかった英語作品が積極的に取り入れられている。他方、宮本はタゴールの講演を翻訳した『東洋と西洋』(一条書房、1942・10―展示⑦)を刊行、戦後は翻訳に携わる独仏文学者の片山敏彦と交流があった。片山は昭和 18 年 1 月 14 日の宮本宛の書簡で「タゴール選集のこと賛成です」、「いいタゴール作品集ができたらずゐぶん嬉しいことですし、又それは実に必要な事と思ひます」と記しており、宮本が作品の構想を戦前から練っていたことが分かる。

 第4、戦後タゴール生誕百年を契機とし、本邦初の著作集『タゴール著作集』(アポロン社、1959~1961※第二巻 は未刊―展示⑧)が実現。第三巻収録の渡辺照宏訳『ギタンジョリ』はベンガル語詩集からの初の邦訳であり、当時は画期的であった。昭和 34 年、生誕百年を祝う「タゴール記念会」が結成され、様々な資料整理の成果が『タゴール百年祭記念論文集』(タゴール記念会、1961―展示⑨)に纏められた。その後、全 12 巻に及ぶ本格的な『タゴール著作集』(第三文明社、1981~1993 年)が完成。今年が生誕 160 周年である。

 新田さんは新型コロナウイルス蔓延のためインドへの留学がかなわず、この1年を過ごした。展示コーナーには、その間に制作した「タゴールの生涯~年表」17枚が並ぶ。びっしり書き込まれた「タゴールの生涯~年表」は、日本におけるタゴール翻訳史から、その先のタゴールその人へと大きく飛躍する道しるべになるのではと思った。

 会話を控えて、後にメールで質問した。卒業論文のテーマを尋ねると、同大学の法学部法学科法哲学ゼミに所属し、インドの経済学者アマルティア・センについて書いた「『人間の安全保障』について―アマルティア・センの哲学理念とアプローチを中心に―」だという。

 そして「タゴールに出会ったのは、大学3年生の6月、当時所属していたサークル「日本インド学生会議」の勉強会として、青山学院大学で開催された全国大学国語国文学会60周年記念大会の<日本とインド-文明における普遍と固有>に参加し、そこで初めてタゴールを知り、文学を起点とした日本とインドの交流に関心を持つようになった。その後、サークル活動を通じて同年夏に初めてコルカタを含むインドの主要な3都市を巡った。この経験が現在の研究に繋がります。」

 この①タゴール紹介コーナー(常設)の入り口には、もう一つ、夛賀さんの要請に応えたメッセージが寄せられている。
【佐々木美佳監督のメッセージ】
 映画『タゴール・ソングス』という作品が、この世界に誕生したことの意味について考えます。私は大学の授業を通じて、たまたまタゴールのことを知り、彼の作った歌「タゴール・ソング」の美しさに魅了されました。タゴール・ソングを知りたいという気持ちが高まったのがきっかけとなり、映画制作を始め、その願いはドキュメンタリー映画として結実しました。タゴールのことを伝えてくれる人が私の周りにいなければ、私は映画を作ることはなかったでしょう。本作品は、私が出会ったタゴール・ソングとベンガルの人々との記憶とも言えます。さまざまな人との出会いを通じて運ばれたタゴールの言葉が、映画を観た人々の心にほんのわずかでも残って、明日を生きる糧になってほしい。そういう風にして、私は映画に希望をこめています。2020年度に公開した本作品が、若いアーティストを刺激し結びつけたというのなら、製作者としてとても喜ばしいことです。 タゴールにインスピレーションを受けた若きアーティストたちが各々の作品を展示する日、それは原三溪が日本画家やタゴールと交流した文化の歴史と繋がるように思えてなりません。鶴翔閣は生前の原氏が家族と音楽を楽しまれた場でもあります。タゴールの言葉にイ ンスピレーションを受けた音楽家たちが、まさに今、音楽を奏でます。歴史は見えない糸のように連綿と続き、人が生きる限りその脈は途絶えることがありません。世界がどんな状況になろうと、文化は途絶えない。私はそう信じています。新しい歴史をつくるのは、他でもない今ここにいる私たちなのだと、三溪園の皆様がご用意してくださった特別な日に感じずにはいられません。三溪園という類を見ない空間の創造者である原三溪氏、タゴールの言葉を日本語の世界に開いてくださった研究者・翻訳者の方々、タゴールの学園シャンティニケトンからタゴール・ソングを運んできてくださった奥田由香先生、たくさんのベンガルの友へ。そして8月7 日が命日であるタゴールへ。小さな私が書いた、このささやかな文章を捧げます。 蓮の花咲く三溪園にて 映画『タゴール・ソングス』監督 佐々木美佳

【コンサート】
 コンサートは8月8日(日曜)と12日(木曜)の2回のみの事前申込制。私はネットで申し込み、12日(木曜)の回に参加することができた。演奏は岡本文音さん(コントラバス 東京芸術大学大学院音楽研究科音楽専攻博士後期課程)、坂田茜さん(ソプラノ 東京芸術大学大学院音楽研究科声楽専攻修士課程)、夛賀さくらさん(ハープ、作曲 東京芸術大学大学院音楽研究科修了)。8日には特別ゲストとして奥田由香(タンプーラ、歌)さんが加わった。タンプーラとは持続音を出す4弦の伴奏用楽器。

 このところ運悪く天候不順である。台風9号が去った10日(火曜)は全国的な猛暑日となり、横浜も37℃超を記録。翌11日(水曜)からは前線が日本列島上に停滞、西日本、東日本、東北と全国にわたって猛烈な雨となった。気象庁は、この雨が今後1週間もつづくと警報を出した。

 警報通り、降り始めの11日から15日までの4日間は総雨量が800ミリを超え、1000ミリに達した所もある。観測史上最多を記録する地域が多い。とくに九州北部と広島県を中心とする中国地方で顕著である。雨雲が<線状降水帯>を作り、その動きが遅いと猛烈な雨が長時間にわたる。河川の氾濫や道路冠水に加え、土中の水分が耐えられなくなると土砂災害が起きる。

 横浜も全国的な悪天候の影響を受けたが、西日本から東日本・東北へとつらなる<線状降水帯>のやや南側に位置するため、被害は比較的軽微であった。連日の雨が来園者の出足を挫いた半面、皮肉なことに、そして人と人の距離が自然に保たれた。

 コンサートは鶴翔閣のいちばん広い<楽室棟>で開催(前掲の配置図を参照)。西側に設けられた舞台に、大きな楽器が2つ、夛賀さんのハープと岡本さんのコントラバスが並ぶのは壮観である。奏者は女性、その背の高さを楽器がはるかに超える。そのコントラストがまた目を引く。

 客席の椅子は間をあけて配列。コロナ感染防止を呼びかけるアナウンスが流れる。

 客席からは、舞台と大きな楽器の先に<書斎棟>が見える。左手(南側)はガラス戸こしに広く開け、鳥のさえずりが聞こえる。 前掲のタゴールの詩「1.迷い鳥たちは、わが窓辺にきて歌をうたい、飛びさる。…」を連想させる。

 「一般に演奏は密閉のホールがほとんどで、これほど近くに自然を感じる演奏場は稀有、三溪さんの恩恵を強く感じます」とコントラバスの岡本さん。聴き手は五感を全開にして楽しむ。

 二つ折りのプログラムには、「タゴールの詩集『迷い鳥たち』より何編か抜粋し、その詩を元に作曲を行いました(作曲・夛賀さくら/翻訳:佐々木美佳)。今回の演奏会ではプログラムの間に迷い鳥の詩を挟み進行します。タゴールの世界と音楽をより身近に感じていただけましたら幸いです」とある。詩句番号・英語原文・日本語訳の順。

 音楽のずぶの素人の私がコンサートの模様を文章で表現するのは至難の業である。ところが今回はタゴールの詩に触発されて作曲した夛賀さんの曲が多い。「迷い鳥たち」から抜粋した節を挙げるだけでも演奏の雰囲気を伝えることができそうな気がした。幾つかを抜粋する。

1.Stray birds of summer come to my window to sing and fly away. And yellow leaves of autumn, which have no songs, flutter and fall there with a sigh. 夏の迷い鳥たちは、私の窓辺に歌を残して飛び去っていく。秋の葉たちは、歌うことなく はらはらと舞い落ちる。
82. Let life be beautiful like summer flowers and death like autumn leaves. 美しいものにしよう、生きることは夏の花のように。死ぬことは秋の落ち葉のように。

104. The music of the far-away summer flutters around the Autumn seeking its former nest. はるかなる夏の音楽が秋の周りで舞い、住みなれた巣を探している。

夛賀さくら作曲 open my window(黒澤さちよ作アニメーションの付随音楽) Wind Song
76. The poet wind is out over the sea and the forest to seek his own voice. 詩人の風は海を渡り森を越える。自らの声を探すために。

夛賀さくら作曲・演奏 過ぎ行く風 Passing Wind 沈黙の中を探し歩く(松村なお作アニメーションの付随音楽)
142. Let me think that there is one among those stars that guides my life through the dark unknown. 私に信じさせてください。あの夜空の煌めきのなかに、暗闇を導くひとつの星があるということを。
6. If you shed tears when you miss the sun, you also miss the stars. 太陽が見つからないと涙をこぼすのなら、その時あなたは星も見失っている。

共鳴 Sympathy-Kyomei-
92. The birth and death of the leaves are the rapid whirls of the eddy whose wider circles. Move slowly among stars. 葉が生まれてから死ぬまでは、旋回をやめないつむじ風だ。その渦は輪郭を広げ、ゆっくりと 星に手を伸ばす。

アルパカベース演奏  Circle 古今東西 Kokontozai
36. The waterfall sings, "I find my song, when I find my freedom." 泉が歌う。私は歌を見つけ、自由を手にする。
 
コンサートは途中に「浜辺の歌」を挟んだ。これは東京音楽学校(いまの東京芸術大学)の二人の学生、林古渓作詞、 成田為三作曲の歌曲であり、タゴール滞在時の1916年ころに作られたとのこと。そして最後はイングランド民謡「蛍の光」。

【銘々のタゴールとの出会い】
 演奏が終わり、夛賀さんの名刺にメールアドレスがあるのを確かめて、「お聞きしたいことが幾つかあるので、後ほどメールしても?」と聞く。コントラバスの岡本さんは手書きの名刺を持ってきてくれた。

 私の質問に丁寧な返信が来た。若いアーティストの溢れる情熱と熱気が感じられる頼もしい内容である。ここではタゴールとの出会いに限って紹介したい。

 夛賀さんからのメール。
 タゴールとの出会いは、2019年末から2020年始めにかけて、一週間ほど、父がいたコルカタに行ったときでした。タゴールの生家や、シャンティニケタンのタゴール大学や博物館に訪れたことで、タゴールのことを色々知ることができ、インドの人々に親しまれ尊敬されている偉大な人物であること、日本の芸術家などとも交流があり何度か来日していたことなどを知ることができました。それまでは名前を少し聞いたことがあるぐらいで、ほとんど知らなかったのですが、インドに行って、朝の礼拝などでタゴール・ソングを聞いたことも、とても心に残っています。
 そして丁度その頃、日本でタゴール・ソングスという映画が公開されることを知り、インドにいて行けない父の代わりにその試写会に参加して、佐々木美佳監督と新田杏奈さんに出会うことができました。
(Stray Birds との出会いは、それから少しあとで、作曲する題材の案として、父から提案してもらいました。)

 岡本さんからは「夛賀さくらさん達の前回の活動(喫茶のざらしでの展示)をきっかけにタゴールと出会いました」と返信があった。二人は2年前から楽団<アルパカベース>を作り、活動を開始。なおアルパカは南米の動物の名前だがスペイン語でハープの別名、コントラバスの別名がベース、この2つの楽器を組み合せて<アルパカベース>と名づけたという。

 夏の古建築公開×「タゴールと夏の迷い鳥たち」展の最終日は8月15日(日曜)。終戦記念日に重なる。この間も雨がつづき、15日は<線状降水帯>が東へと移動、関東甲信も圏内に入った。神奈川県でも山北町付近で15日10時までの1時間に約100ミリの猛烈な雨が降ったとみられ、「記録的短時間大雨情報」が発表された。

 夕方の7時過ぎ、原さんから報告が入った。「最終日を無事迎え、あっという間の撤収作業も終えていただきました。…本日かなりの雨量で、お客様もまばら。園内は一通り見て回りましたが、今のところ大きな問題はありませんでした。ただ崖崩等の心配はこの先がむしろ懸念されます。…素晴らしい展示をしていただいたので多くの方にご覧いただきたかった、夛賀さんたちが尽力くださったのに少しでも応えられるようでありたかったのですが、こればかりはと悔やむのみです。…」


龍居竹之介『日本の庭こぼれ話』

 龍居竹之介『日本の庭こぼれ話』(三月書房 2020年12月刊、254ページ)が、レターパックで届いた。わくわくしながら開封すると印象的なカバーの絵(大串亮平)、さらに赤地の帯に「庭と人との繋がり」の一文があり、ここには「名園と呼ばれる日本の庭、その長い歩みには庭をめぐって生きる人々の姿や、歴史的背景が深く関わっています。本書は昔からの庭と人との繋がりに思いを馳せ、印象深いエピソードの数々ほか庭を楽しむために創意工夫を凝らした先人たちの遊び心などにも触れ、著者から見た昔と今の庭のありようを披瀝します」とある。

 著者の龍居竹之介さんは、奥付によると1931(昭和6)年東京生まれ、早稲田大学卒業後、日刊スポーツ新聞社文化部記者を経て、1972年以来、龍居庭園研究所主宰とある。今年90歳になられる。

 三溪園が国指定名勝となって2年後の2009年以来、公益財団法人三溪園保勝会に整備委員会を設置して(委員長は尼﨑博正京都造形芸術大学教授)、名勝にふさわしい点検を行い、その<指導>と<助言>を受けて事務局が業務を執行してきた。龍居さんは、この整備委員会の委員として東京都中野区からお越しになり、おおらかな、時に辛口の発言をされる。

 整備委員会で初めてお会いしたのは2013年3月12日である。すぐに龍居松之助(1884~1961年)さんのお名前を想起した。龍居の姓は多くなく、それに松と竹の一字違い。ご尊父ではと直感した。

 ご尊父の松之助さんは日本庭園史のパイオニアと位置づけるべき碩学である。築地に生まれ、東京帝国大学文学部史学科を卒業、大学院では指導教官で日本近世史の三上参次(1865~1939年)ほか工学部建築学科の伊東忠太(1867~1954年)や建築史の関野貞(1868~1935年)らに師事して日本住宅史を研究、のち日本庭園史家となる。

 三上参次から授業と論文指導を受けた歴史学者の松之助さんが住宅や造園に関心を持った。政治史が中心の時代に、生活の場の住宅や自然美の庭園の歴史をひろく文化史・文明史の文脈のなかで把握しようとしたことに、同じ歴史家として私は強く共感し、尊敬の念を抱く。

 私には2018年9月30日で中断したままの草稿「日本庭園史」がある。そこでは松之助さんの成熟過程を追いたいと、3つの作品を刊行年順に取り上げた。(1)『庭園研究十五題』(国史講習会 1923年)は39歳の作品、(2)『総合日本史大系』の第10巻『江戸時代 下』(内外書籍 1926年)所収の第8章「江戸時代の住宅と庭園」(本シリーズは戦後の1976年、近藤出版社より復刻)は42歳の作品、(3)世界に伝えようと書かれた英文の著作 “Japanese gardens”(東京丸善 1936年)は52歳の作品である。

 お二方の住まいでもある龍居庭園研究所は、かつて私の通った都立武蔵丘高校の近くであることも分かり話がはずんだ。それに私の亡き兄と同年配でもあられ、いつの間にか龍居先生から龍居さんとお呼びするようになっていた。ご免なさい、龍居さん!

 ご著書のお礼の電話をすると、お元気な声が返ってきた。新型コロナウイルス感染症の拡がりにより三溪園の諸行事も多くの影響を受けている。昨年春は2ヶ月間の休園を余儀なくされ、対面接触が不可欠のガイドボランティア活動は休止して1年半になろうとしている。上掲の整備委員会も書面決裁や一部委員のみの現場視察を除いて開かれておらず、龍居さんとも2年ちかくお会いしていない。

 本書『日本の庭こぼれ話』は、「遠州流茶道月刊茶道誌、月刊『茶道』に連載された<こぼれ話 日本の庭>(2005年4月~2018年5月)、全156回のうち、第1回~第81回より40篇を抜粋し、若干の訂正を加えたもの」とあり、改めて目次を読むと、2編に大別される。

 「日本の庭・今昔」編には「庭をいろどる女性たち」、「庭匠でも元帥の山本有朋」ほか17本の文章、後半の「日本の庭・景とその素材」編には「庭を拝むと眺めると」、「庭を支える山の姿あれこれ」、「景色をとりこにして」ほか23本が並ぶ。題名が読み人の気持ちを引き付ける。

 そして<あとがき>。ここに龍居さんの庭への想いを語る一文がある。すこし長くなるが、全文を引用したい。

 「思えば私は本当に生まれながらに庭というもの、特に日本の庭というものに包み込まれて、足掛け九十年の歳月を過ごさせてもらいました。そしてその間に多くの庭の世界の方々を知りました。子供時分には高名な庭の先生方や庭師、植木屋、石屋さんたち、そして中学二年生の終戦までと、戦後七十余年にわたっての各地の庭そのものや、庭をめぐって生きる方々の姿のさまざまを目に焼きつけてきました。

 そうした経験から学んだもの、それは結局、庭とは一体なんだろうという素朴な疑問でした。それでも一応、私としては庭とは<人に安心を与えてくれるもの>いう考えにたどりついてはいますけども、正直なところまだよく分かってはいないというのが本音です。

 それは昔からの人と庭との繋がり、つまり庭の歴史がいまだに私としてはきっちりと頭の中で整理されていないせいであろうとも考えています。そうした意味で多くの方々が、すっきりと日本の庭の長い歩みを実に明快に整理解決されている自信のほどが、うらやましくてたまりません。私にとってはどうしても庭は人と離しては成り立ちませんので、例えばその昔の何年という年にこの庭はできあがったよという話よりはつくらせた人、あるいはその庭に接してきたその子孫の方たちの思いの方に興味を覚えるからなのです。

 たまたま私の場合、いや正確には私の家の場合、昔からそのお家に伝わる見事なお庭の最近の二代、三代目のご主人やご家族とおつきあいさせて頂くという幸運を得ましたため、同じ庭でも代々の庭への愛情の示しように違いがあるだけでなく、世情の動きが庭の維持に少なからず影響を与えたりすることなどがよく分かったりもします。すると東京で江戸の名園として知られる水戸徳川家の上屋敷だった小石川後楽園の模様替えが、時々の水戸の殿様の考えだけで進められているわけではなさそうなところにまで興味を覚えたりするのです。

 そうした江戸の殿様の風潮とはまた別に、明治維新ののち勃興した三菱の岩崎弥太郎、弥之助、久弥の3代が清澄庭園について創設、増築、寄付という時宜に応じた形でその姿を変えさせて行くようすに多彩な人の個性が感じられて興味深いのです。そこには新しい力を備えた財閥というものの庭への取組みという、かつてなかった事象が見られるからです。

 その一方で、市井の人々の親しむ庭というものへの考え方、接し方などにもまた、とても興味深いものがあるのですが、意外なほどそれらは人々の口へはのぼってこないことも不思議なのです。

 日本の庭は世界的にも美しく価値あるものと、最近は特に評価が高いようですが、正直なところ、その日本の庭というものの姿、そして昔からの庭と人との繋がりといったものの流れについてたどることなどは、いささかなおざりにされているような気がして仕方ない私なのでもあります。

 しかし気をつけて昔からの庭がらみのエピソードを拾ってみると、宇治の平等院にも京都の桂離宮にも、その維持に女性の力が大きかったことが知られますし、家の庭が狭いために気に入って求めた見事な桜の大木を植える場所がないと知ると、植木屋にそのまま横たわらせておき、自身も座敷で寝ころがって花見をしたという名医の存在など、おかしくて思わず吹き出してしまいそうです。

 私はどうしてもこうした人と庭の話により一層、関心を抱いてしまうのです。十人十色と俗に申しますが、庭も同じことで十庭十色、世に同じものはありません。ただ人間味を感じるものと感じないものはあるようですが。それはともかく、昔からお庭拝見などといえば、大変堅苦しいことのように考えられてきたのが日本の庭の一特色でもあり、庭に関する本で一番固い売れ筋は「庭の見方」的なものというのが決まり文句でもあったわけです。まあそれだけ日本の庭は難しいものという感覚で人々には受け止められていたのでしょう。でもそんな面倒くさいものでもないということ、それを少しなりと感じて下さればと書きはじめたのが、この連載でした。ですからのんびりと読んで頂ければ幸い、笑って頂くところでもあれば、それこそ望外の喜びでもございます。…」

 ここまでに著者の伝えたいことが、ほぼすべて書かれているのではないか。

 そして末尾に、「…もう一人、変わった夫を昭和三十年来、愚痴をこぼしつつ支えてともに歩み、今年九月にめでたく米寿を迎えました妻なる龍居道子に、ただただ最敬礼してあとがきを終えます」と。最愛の人を伴侶に庭を愛した人の幸せな姿がここにある。

 ご著書を頂戴したのが春4月、それから早や3ヵ月超が経過した。折に触れて読ませていただいているが、まとまった読後感を書くことができない。このままでは龍居さんに申し訳ない。大半を<あとがき>の引用で終えてしまったが、これをもって、まずは第一報とし、これからも、のんびりと味わって読み返していきたい。その紹介と読後感は続報で。
プロフィール

Author:加藤 祐三
日本の歴史学者

横浜 市立大学名誉教授

国指定名勝・三渓園(横浜)
前園長(2012年8月~2023年3月)

・前都留文科大学長
(2010~2014)

・元横浜市立大学長
(1998~2002)

主な著書
「イギリスとアジア」
         (1980年)
「黒船前後の世界」(1985年)
「東アジアの近代」(1985年)
「地球文明の場へ」(1992年)
「幕末外交と開国」(2012年)
蒋豊訳「黒船異変」(2014年)
蒋豊訳「東亜近代史」
         (2015年)

 など

専門
・近代アジア史
・文明史

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