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六月の敗荷

 6月3日(木曜)、三溪園の正門を入ると、ふだんと異なる雰囲気を感じた。「何だろう?!」 だが、その正体が分からない。

 いつものように園路を進む。右手にある蓮池の様子がおかしい。一面に拡がる蓮池の緑の葉が忽然と消えている。いや、消えたのではなく、先週もまだ伸びていなかったのか? いや、そんなはずはない。

10月の季語である敗荷(はいか、やれはす)は、風に葉を翻していた蓮も日に日に色褪せ、風雨に打たれて破れてゆく、寂しくわびしい秋の風情をあらわす。まだ6月に入ったばかりなのに、敗荷とは! しかし、池の周囲や上方(鶴翔閣に近い方)には、蓮特有の真っすぐに伸びた立ち葉(たちは)が見える。

 事務所に着くと、この話題でもちきりであった。庭園担当の羽田雄一郎主事に聞くと、その概要は以下の通り。
 (1)6月1日蓮池確認 立ち葉(たちは)が出ている時期だが、鶴翔閣側のみにとどまっている。過去の経験から、ザリガニが新芽を切り取ったと考えられる。
 (2)早急に実施した対応として、ア)池の水を抜き、ザリガニの行動範囲を狭めた。イ)2日には公園班が約200匹釣り上げた。
(3)今後の対策として、立ち葉から開花まで約1か月かかるが、ここ1~2週間を正念場と考え、ザリガニを釣り上げる。ア)近くの市立間門小学校の児童も含めた地域連携による対策を検討。イ)蓮の生長を促すため肥料散布の回数を多くする。ウ)蓮のポット苗を購入、6月8日以降に植替を予定する(定着率は必ずしも高くはない)→品種は原始蓮(紅色)他、巨椋池系品種など(紅色、白色)。
(4)ザリガニ繁殖の想定原因として、ア)昨年のザリガニ釣りの行事がコロナ感染拡大で実施できなかった、イ)高い水温が考えられる。

 今年の早朝観蓮会は、7月17日(土曜)から8月9日(月・祝)にいたる土日祝日の計11日間、朝7時開園で行う。それまで1ヵ月強しかない。取り急ぎ、(1)ザリガニ駆除、(2)肥料管理、(3)蓮ポット苗の移植の3方面作戦で進める方針を固めた。蓮ポット苗はすぐ発注、6月8日以降に植替を予定する。

ザリガニ駆除

【ザリガニ駆除】
さっそくザリガニの釣り上げの検討にとりかかる。3日の夕方、山口智之室長が間門(まかど)小学校の中尾和世校長あてにメールで「ザリガニ釣り企画書及び過去の連携資料」を送り、呼びかけた。間門小学校は三溪園の南東に隣接する隣人である。なお山口さんは、その本来業務に加え、自主的・積極的に各種の仕事を担ってくれる。今回も、(公財)三溪園保勝会の理事会や評議員会を目前に控えた古屋義方総務課長と吉川利一事業課長が手を離せないのを見て、進んで引き受けた。

感染予防のための各種の措置を含めた中尾校長と山口さんの複数回のメール・電話の交換で論点が煮詰まり、残すは日程と人数だけとなる。

【早朝観蓮会の広報】
一方、三溪園では8日に事業課の岩本美津子さんが記者発表資料を出した。「早朝のすがすがしい空気の中で咲いたばかりの蓮の花を観賞。蓮にまつわる古建築をめぐるツアーや蓮を使った遊び体験も実施します ! 『早朝観蓮会』を開催します。
横浜市が誇る名勝庭園「三溪園」(所在地:横浜市中区)では、2021年7月17日(土)から8月9日(月・祝)の土・日曜日・祝日の11日間、7時から『早朝観蓮会』を開催します。
蓮は、三溪園の創設者 原三溪がとりわけ好んだ花。自らが構想した茶室を「蓮華院」と名づけ、蓮を題材にした絵も数多く遺していることからも、その思い入れぶりがうかがえます。期間中は、咲いたばかりの蓮を観賞できるよう、朝7:00より開園するほか、園内の3つの茶店では早朝観蓮会限定の特別朝食メニューを提供します。
ほかに、園内に秘められた蓮を学芸員とともにめぐるツアー<はすめぐり>や、おとなから子どもまで楽しめる葉や茎を使った遊び体験<はすあそび>も実施します。」

【間門小学校】
8日(火曜)、午前中の理事会を終えてから、午後2時半すぎに村田副園長、山口室長と連れ立ち、間門小学校の中尾校長を訪れ、最後の確認を行った。中尾校長は、これが自然学習と生活科学習に欠かせないチャンスであり、また高学年の児童は原善三郎さんの出身地である埼玉県渡瀬(わたらせ)と交流があり、これに弾みをつけるきっかけになれば嬉しいと、三溪園訪問の意義を話してくれた。

山口さんが、「当日、ザリガニが多く釣れない可能性があります。とくに後半の日程について…その点、子どもたちにはご容赦いただきたく…」と言うと、校長は「和竿師の名工(横浜マイスター認定)が丹精込めて作った釣り竿を握るだけでも子供たちには大きな感動でしょう」と返される。しばし歓談の後、まず10日に個別支援学級の児童19名と引率者のみなさんを招待することを確認した。

【第3展示室でも新しい展示】
同じ8日から、三溪記念館の第3展示室で新しい展示が始まった。原三溪にとって蓮は、かけがえのない存在である。午後の職員ミーティングのあと第3展示室へ移動し、展示を観覧。今回の企画の立案・構成・実施は吉川事業課長(学芸員)が担った。吉川さん作成の以下の解説(計11点)で、園内各所にある蓮をめぐる旅に出よう。

蓮花型の手水鉢
「線香立て? それとも蓮を植えるための水鉢?本来何に使われていたのか、はっきりしていませんが、三溪園では手水鉢として内苑・旧天瑞寺寿塔覆堂の向かいに置かれています。外側に8枚の連弁の浮彫りを巡らせているだけのシンプルなデザインでずが、存在感のある石造物です。」

旧天瑞寺寿塔覆堂
「扉にある彫刻は一見、“天女”のように見えますが、足元を見れば“鳥”。背中には翼も生えています。実は、極楽浄土に住んでいるといわれている迦陵頻伽(かりょうびんが)という、ありがたい鳥なのです。手には蓮の花。なおさらにありがたさが伝わります。ちなみに、もう一方の扉の迦陵頻伽が手にしているのは、漢方薬にも使われる霊芝(れいし)でしょうか。一般にはサルノコシカケで知られているキノコです。」

蓮華院
「原三溪自身がデザインしたこの茶室、その名前のとおり蓮のイメージが散りばめられています。小間(小さい部屋)の天井には蓮の茎、土間には蓮の花で有名な平等院鳳凰堂の古材、そして蓮の彫刻の縁どりがある額もあります。」

臨春閣の中の“蓮”
「狩野探幽(かのうたんゆう)という人物をご存知の方は多いはず。江戸時代の初めに狩野派と呼ばれる絵師集団を束ねたリーダーです。現在工事が続けられている臨春閣には、この探幽が描いた襖絵「四季花鳥図」があります(現在オリジナルは三溪記念館内に収蔵・展示)。写真は、この図のうちの夏の情景を描いた部分。鮮明ではありませんが、目を凝らすと蓮とかわいらしい燕の姿が描かれています。もう1枚の写真は、これも臨春閣内にあるお茶の支度のための部屋・台子(だいす)の間にある水屋。棚の戸には蓮の茎が使われています。」

白雲邸「三溪棚」
「蓮華院と同じく、隠居所として建てられた白雲邸も原三溪自身のデザインによる建築です。全体に装飾を抑えたなかで、唯一贅沢に造られた空間が最奥部にある奥書院。三溪が妻・屋寿(やす)のために用意した部屋です。写真は貴重な銘木がふんだんに使われた棚で、中でも目を引くのは螺鈿で蓮の花を表現した2枚の戸。三溪の夫人への思いやりが伝わる場所です。」

原三溪の旧蔵品「黒漆須弥壇(くろうるししゅみだん)」(横浜市指定有形文化財)
「この須弥壇、実は下の壇とその上に取り付けられた蓮の彫刻があるフレームとは別物です。原三溪がアレンジしたもののようで、戦前までは源公堂という建物(現存せず)の中にあって、「伝源頼朝座像」(東京国立博物館所蔵)の木像が置かれていました。」

原三溪旧蔵の「黒漆大壇(くろうるしだいだん)」
「大壇は密教寺院で祈祷の際に法具が置かれる台のことです。この大壇はもと奈良の海龍王寺の観音堂にあったことが知られています。側面には上向きと下向き2段の蓮弁を巡らせています。漆の黒と金箔が張られた蓮弁のコントラストが印象的です。」

原三溪旧蔵の「黒漆蓮文飾経机(くろうるしはすもんかざりきょうづくえ)」
「経机は読経や写経の際に使われる机です。正面にある蓮の彩色がよく残り、金具の装飾も見事。当初の華やかさが想像できます。」

原三溪筆「敗荷(はいか)」
「剣豪・宮本武蔵は、すぐれた水墨画をのこしたことでも知られています。原三溪はこの武蔵の絵がお気に入りだったようで、コレクションに数点を加えていたほか、自身の作品にもその表現や技法をとりいれました。枯れて折れかかった蓮(敗荷)にカワセミがとまっている様子が描かれたこの絵も、武蔵の作品を踏まえたものです。」

原三溪筆「蓮華図」
「現在大人気の琳派ですが、三溪の時代には評価が低く、誰よりもさきがけて注目しコレクションに加えたのが三溪でした。輪郭線を描かない没骨(もっこつ)と呼ばれる技法で蓮を描いたこの作品は、俵屋宗達などの絵からその表現を学んだようです。」

「孔雀明王像(くじゃくみょうおうぞう)」
「原三溪のコレクションを代表するものといえば、平安時代の仏画「孔雀明王像」。現在は東京国立博物館が所蔵し、国宝に指定されている名品です。写真は木版で忠実に再現されたものですが、本物と見まごうクオリティです。」

 展示室中央のガラスケースには「一槌庵茶会記(いっついあんちゃかいき)」。内苑にある蓮華院は、大正6年(1917)、三溪の構想により建てられた茶室である。

「蓮華院には<一槌>(いっつい)という<扁額>(へんがく)が掛けられていた時期があり、この茶室で開いた茶会を中心に三溪がまとめたものがこの茶会記です。蓮華院ができた大正6(1917)年から最晩年の昭和14(1939)年までの、京都や箱根、伊豆長岡の別荘などで催したものも含めて記録されています。」

【間門小学校児童の来園】
新しく三溪記念館の第1、最2展示室が始まって2日後の10日(木曜)、3日連続の真夏日となったが、予定通り、間門小学校の個別支援学級の19名が来園した。南門から入り、蓮池まで来たところで庭園担当の羽田雄一郎主事が、写真を載せたパネルを使い、<紙芝居>のようにして説明する。

間門小学校児童の来園


 羽田さんからの報告によれば、パネルは「2020年6月11日のようす」(蓮池全面と局部アップの2枚)、「2020年7月18日のようす」、「2020年8月8日のようす」の順で、蓮の日ごとの成長ぶりを示し、「それに対して今年の6月10日は見てのとおり異常で、元気な蓮の成長がありません」と話した。

 次が「ハスの花」の写真パネルを見せる。これは8月の某日、開花して2日目の姿であろう。大きな紅い花弁と皿のような緑の葉との対比が見事である。ついで「ザリガニの被害」と題する4枚組の写真、最後が釣り上げたザリガニをアップで撮った写真。児童たちはひとつひとつを頷きながら聞いていた。

 山口さんからも次のような報告が来た。
 「多少の混乱を危惧していたが、先生と学校側ボランティアの計4名引率者が参加してくれたこともあり、混乱などはまったくなかった。…児童たちは真剣に取り組んでいて、とても楽しんでくれた。三溪園側は職員が5~6名、ボランティア3名でかなり大がかりな受入れだったが、この規模が次回も必要と感じた。」 

 予定はまだ2回ある。折しも14日(月曜)に気象庁が関東甲信の梅雨入りを発表した。テルテル坊主に頼むほかなさそうである。
(1)6月14日(月)※雨天中止、予備日6月17日(木) 2年生 各回:児童60名+教員数名
(2)6月21日(月)※雨天中止予備日なし 1年生&6年生  各回:児童70名+教員数名 

 6月14日(月)は雨のため中止となり、予備日の6月17日(木)に繰り越される。待望の17日(木)は、前日の予報では午前が雨とあったが、幸い薄日が射した。「ザリガニ駆除中」の張り紙を見て、一般の来園者や結婚式の前撮りをするカップルも大勢の子どもの姿に納得する。

 2年生の児童にも、前回10日(木)の個別支援学級児童のときと同じように、羽田さんが<紙芝居>を演じた。すでに聞き及んでいたためか、子どもたちの反応は良く、聞き終えるや蓮池の周辺にちらばる。引率の先生、三溪園の職員、庭園ボランティアさんの支援を得て、1メートルほどの釣り竿にスルメの餌をつけ、水面に投げ始めた。

 水深は10センチほど。「動かさないで! ザリガニが食いついてくるから」とボランティアさんの声に、じっとその瞬間を待つ。うまく釣り上げた子に「初めて?」と聞くと、「うん、初めて」と興奮気味に答える。「いいな~」と隣の子。「次は君の番かな?」

 11時過ぎ、遠くに雷鳴を聞くとパラパラと雨が降り出した。子どもたちは木陰のある一帯に移動して釣りをつづける。すこし濡れる程度の通り雨。この日はすべて大成功。

【第1、2展示室も展示替え】
 同じ6月17日(木曜)、三溪記念館の第1、2展示室の展示替えがあった。今回のテーマは、「四季のうつろい―蓮のころ」(第1展示室)と「三溪の室礼(しつらい)」(第2展示室)、会期は??まで。見どころは、三溪筆の蓮の絵を一堂に5幅展示した第1展示室、次いで三溪が正倉院宝物を写した篆書屏風、玉虫の羽を使った痕跡がある雲文飾二階厨子棚などを展示した第2展示室である。

 1週間前に始まった第3展示室と合わせて、早朝観蓮会、鶴翔閣公開とリンクさせたものである。こちらも吉川さんによる企画・展示・解説である。

 第1展示室は「所蔵品展Ⅰ 四季のうつろい―蓮のころ」。「三溪園の夏を彩る蓮は、原三溪がとりわけ愛好した花です。蓮は泥の中から清らかな花を咲かせることから、古来仏教や儒教では聖者の花とされ尊ばれてきました。神秘性と高潔な印象を伴った蓮の魅力を、所蔵品から紹介します。」
●軸装 5点
 原三溪「白蓮」
 原三溪「蓮華図」
 原三溪「白蓮」(昭和7(1932)年)
 原三溪「蓮華図」(昭和12(1937)年)
 原三溪「蓮」(大正14(1925)年)
 「蓮の花は、三溪が最も多く描いた画題で、その人格がにじみ出るような気品高い絵は評判が高く、なかには伝手を頼って入手を望んだ実業家もいたほどでした。蕾から散ったあとの様々な状態の花を、輪郭線を用いない没骨(もっこつ)の技法で描かれています。三溪は当時評価が低かった琳派に早くから注目し、そのコレクションには俵屋宗達などの作品を多く加えていました。没骨による描き方は、こうした古画に倣ったものと思われます。」


蓮華図

原三溪「蓮華図」


●のぞきケース 2点  
 絵葉書
 「三溪在世中の三溪園では、蓮は大池一面に植えられていました。花の季節になると、三溪は親しい人々を招き、蓮を楽しむ茶会をよく催しました。大正7年の茶会では船遊びの趣向を取り入れた風流な茶会を行っています。※第3展示室では、同茶会について三溪が記録した茶会記を展示中です。併せてご覧ください。」
 三溪葬儀の写真
 「三溪がその生涯を閉じたのは、昭和14(1939)年8月。奇しくも愛好した蓮がたくさんの花を咲かせている頃でした。葬儀は精魂を傾けて移築にあたった臨春閣を会場に行われ、その最期を飾ったのは三溪園の池から採った数本の蓮でした。」
●軸装 1点
 小茂田青樹「蓮」   
●工芸品 1点
 黒漆蓮文飾経机

 第2展示室は、「所蔵品展Ⅱ  三溪の室礼」  
 「室礼(しつらい)とは、季節やしきたりなどに応じて家具や調度品で部屋を飾って楽しむことです。実業家のほか、古美術コレクター・茶人・新進芸術家の支援者など多彩な顔を持っていた原三溪ですが、この室礼においてもこだわりを持っていました。ここでは、三溪自らがデザインし折々の生活を彩った調度から、三溪のインテリアコーディネーターとしての顔を紹介します。」

書簡 森川如春宛三溪書簡(田舎家の茶席開きにつき招待礼状)
 「名古屋の茶人・森川如春(にょしゅん)の田舎家の茶席開きに招待を受けた際の礼状。三溪は、この手紙の中で如春が手に入れた田舎家の価値を評価しつつも、その内部の装飾についてアドバイスを加えています。建物の由緒・価値を踏まえた三溪の室礼のこだわりがうかがえる資料です。」
雲文飾二階厨子棚
「雲形に切り出した金属板を一面に張り付けた棚で、一部にのこされた痕跡からかつては素地との間に玉虫の羽がはめこまれていたことが推測されます。明治43(1910)年7月に三溪のコレクション鑑賞の機会を得たドイツの美術史家フリーダ・フィッシャーの日記には「玉虫厨子」の記載があり、本品がこれにあたると考えられます。」
篆書屏風
 「奈良・東大寺の正倉院宝物の中にある「鳥毛篆書屏風(とりげてんしょびょうぶ)」を模して三溪が作成したもので、縁にある穴に紐を通してつなぐ、古い形式の屏風です。」
黒漆螺鈿曲彔
  「テーブルやイスにも三溪は日本や東洋の伝統的な様式にこだわったようです。展示中の家具には、いずれも三溪が古い工芸品の文様をもとに考案した、四弁花文(しべんかもん)と呼ばれる文様が付けられています。」
朱黒漆螺鈿円卓
  黒漆螺鈿椅子
  黒漆螺鈿二階棚

【蓮を絶やしてはならない】
 吉川さんの案内により、三溪が描いた蓮の絵や三溪の集めた調度品に彫られた蓮を観てきた。そして三溪自身の最期を飾ったのも「三溪園の池から採った数本の蓮」と解説にある。その蓮を絶やしてはならない。今年の現実は「六月の敗荷」、ここから何としても脱出しなければならない。庭園担当の羽田さんを筆頭に、総力を挙げての奮闘である。

 間門小学校児童の最終日6月21日(月)は、予備日なしで最多人数を受け入れる予定であったが、危惧された雨も降らず、順調に決行できた。この3日間、三溪園の職員は毎回交代で当番を勤め、庭園ボランティアさんも交代で参加し、児童の安全を支援した。

 庭園担当の羽田さんから報告が来た。3日間の総括である。

 本日は、予想どおり、ザリガニが釣れない児童が多かったですが最後に児童の皆さんに肥料をまいてもらい、蓮が元気に育つようお手伝いいただきました。なお、釣り上げることが難しくなっていることについては山口室長から先週のうちに校長先生に相談してくださっており、代替策として、蓮を育てるための肥料撒きを実施することについても合意のうえ実施しました。
(1)2021年6月10日13:30~15:00  個別支援級生徒(19名) 釣果 約50匹
(2)2021年6月17日(木)※6月14日(月)は雨天中止。2年生 各回:児童約60名+教員数名
  1回目 9:20~10:20  60名(2年1・2組) 釣果 約45匹
  2回目 10:40~11:40  60名(2年3・4組) 釣果 約35匹
(3)2021年6月21日(月)  1年生&6年生 各回:児童70名+教員数名
  1回目 9:10~9:50 70名(1年1組&6年1組) 釣果 約15匹 施肥
  2回目 9:55~10:50 70名(1年2組&6年2組) 釣果 約15匹 施肥
  3回目 10:50~11:50 約70名(1年3組&6年3組) 釣果 約15匹 施肥

 ザリガニの釣果が徐々に少なくなっていることは、ザリガニ駆除が確実な成果を上げていることを意味していると見て良かろう。

 私からは次のように返信した。
「間門小学校児童の3回にわたる来園とザリガニ釣り&施肥の成果一覧を拝受しました。ありがとうございます。ザリガニ減少に対応するため、急きょ追加した施肥する案、これは蓮の生育を助ける2つの方法の1つとして、子どもたちによく意味が通じたのではないでしょうか。山口さんから校長先生へ事前に説明したことも良かったですね。子どもたちは釣れないと落胆することなく、自分たちの行動(施肥すること)の意味をしっかり理解したものと思われます。」

 6月24日(木曜)に登園すると、蓮池の緑は明らかに増え、蓮の特性である勢いある<立ち葉>が見られる。ザリガニ駆除により、蓮池全体は確実に蘇りつつある印象を受けた。これから施肥の効果が出てくるに違いない。新しいポッド苗の一つに、小さな白い花が咲いていた。巨椋斑(オグラマダラ)と言う珍しい品種らしい。

 早朝観蓮会が始まるのは7月17日(土曜)である。それまでに、さらに勢いよく育ってほしい。
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人類最強の敵=新型コロナウィルス(38)

 5月17日(月曜)に予約が始まった国のワクチン大規模接種センター(東京と大阪)は、自治体の接種との併用等の面でデジタル・システム上の不備が残る。一方、30ほどの自治体が独自に大型の会場を設ける動きが相次いでいる。

【ワクチン接種の現状と達成可能性】
 首相官邸が公表した16日時点の接種実績によると、少なくとも1回の接種を終えた65歳以上の高齢者は全国で約91万人。高齢者向けワクチン供給が本格化したことで1週間前の約33万人から大幅に増え、高齢者人口をもとにした接種率も0.94%から2.57%に上昇したが、人口の多い都道府県で低い傾向がみられる。首都圏の埼玉、千葉、神奈川の3県で1.5%に届かず(東京は2.31%)、関西圏でも大阪、京都、兵庫が2%を下回る。福岡も1.44%で、接種率の高いのは和歌山の9.47%、高知の8.43%である(18日の日経新聞朝刊)。

 菅首相の言うワクチン接種を「7月中に終える」の目標は達成できるのか。12日、政府は全国1741市区町村を対象にした調査結果を発表した。全体の85.6%にあたる1490自治体が「7月中に終える」と回答したが、185自治体(10.6%)が8月中と回答、66自治体(3.8%)が9月以降(計86%)と答えたことを明らかにした。のち21日には「7月中に終える」と回答した自治体は93%に増えた。このワクチン接種を「7月中に終える」との目標は、東京オリンピックの開催期間(7月23日から8月8日まで、パラリンピックは8月24日から9月5日まで)を睨んでの日程である。5月19日現在、開会式まであと65日である。

【急速に変異株に置き替わった】
 全国で新型コロナウイルスの9割以上が、重症化しやすいとされるN501Y変異を持つ英国由来の変異株に置き換わったとする推計を、国立感染症研究所がまとめたと、5月12日の毎日新聞が報じた。新型コロナの感染対策を助言する厚生労働省の専門家組織「アドバイザリーボード(AB)」(座長=脇田隆字・国立感染症研究所長)の12日の会合で報告されたもの。
 9日時点で、民間検査会社のスクリーニング(ふるい分け)検査の結果を基に分析。その結果、変異株の割合は、東京などの首都圏では90%を超え、京都・大阪・兵庫ではほぼ100%に達していた。東京都は4月、1週間(4月19~25日)に都内で確認された新型コロナウイルス感染者のうち、約6割が英国由来の変異株と推計した。
 感染研は「重症度が従来株と比較して高いことを想定して、感染対策や治療を行う必要がある」としている。また会合では、変異株感染が確認された人と、変異株検査で陰性だった人の症状を比較し、変異株では診断の際に肺炎以上の重い症状となっているリスクが1.4倍になることも報告された。
 一方、感染研は12日、インドで見つかった変異株について感染性が高まっている可能性があると判断し、「懸念される変異株(VOC)」に位置づけ、監視を強化すると発表した。VOCには英国や南アフリカ、ブラジル由来の変異株が含まれる。国内では10日現在、空港検疫で見つかった66人を含め計70人の感染が確認されている。
 インド由来の変異株は、感染の足がかりとなるスパイク(突起)たんぱく質に「L452R」や「E484Q」の変異がある。英国では、インド由来の変異株の一部が、日本国内で主流となった英国由来の変異株と同等かそれ以上に感染する力が強いと評価されている。その一方、重症度やワクチンの効果への影響は明らかになっていない。政府は今後、「L452R」の変異を検出するPCR検査で、国内の広がりの実態を把握する。
 会合では、全国の感染状況について「地域差が大きく見られ、急速に増えているところと、減少傾向にあるところが混在している」と分析。緊急事態宣言が発令された6都府県と「まん延防止等重点措置」が適用された8道県以外では、岡山や広島、九州で新規感染者数が多く、「必要な取り組みを速やかに実施すべきだ」と指摘した。ワクチン接種については「国と自治体が連携し、できるだけ早く多くの人への接種」を求めた。

【14業種のインフラに安保上の規制をかける】
 17日、日経新聞朝刊が伝えた。米国のパイプラインへのサイバー攻撃のようにシステムの脆弱性は国の安全保障を脅かす。日本政府は民間が手がける情報通信や電力といった14業種の重要インフラに関し、安保上のリスクを避ける共通の規制を設け、IT(情報技術)機器の調達やクラウド利用などで「安保上の懸念に配慮する」と法律に明記することをめざし、2022年中に業種ごとの基本的な事業要件を定めた業法を一括改正、安保上の懸念への対応を新たな条件に加える。企業に対策の強化を義務づけ安全性を考慮したインフラ運営を促す。具体的な基準や規制は政省令や指針で盛り込むとみられる。…念頭には中国製IT機器の利用の排除がある。政府が問題ありと判断すれば、インフラ運営を巡る許認可の取り消しや営業停止を可能にする。

【台湾のコロナ急拡大と対応策】
 コロナ対策の優等生とされた台湾で感染が急拡大し、最大の難局に直面している。台湾政府は15日、新型コロナウイルスの新規感染者が海外渡航歴のない人だけで180人に急増したと発表、感染者は台北市と、隣接する新北市に集中しており、政府は両市の感染防止対策レベルを現行の「2」から「3」に引き上げた(【台北時事】)。国際線のパイロットには特例として3日間の隔離だけで復職させており、ワクチンの普及率が低い特性を直撃した形になる。
 台湾衛生福利部(保健省に相当)は10日、域内最大手である中華航空のパイロット全員を14日間隔離すると発表した(台北 11日 ロイター)。コロナ感染拡大の抑制策だが、貿易依存型の台湾経済にとっての生命線に影響する措置となる。中華航空は11日の発表文で、パイロットの隔離で航空貨物の輸送能力の10%強が影響を受けるとの見通しを示し、運航スケジュールを調整していると説明。政府の指示に従うとともに、段階的に乗員をグループに分けて隔離するとした。可能な限り輸送サービスを維持し、全便は運休しない考えを強調する。

【モデルナとアストラゼネカの2種ワクチンを承認】
 21日(金曜)、田村憲久厚労相は、米モデルナと英アストラゼネカのワクチンを巡って、20日の厚労省の部会が特例承認を了承したことを受け、製造販売を正式に承認した。いずれのワクチンも18歳以上が対象で接種回数は2回となる。2回目の接種はモデルナが4週間、アストラゼネカが4~12週間の間隔を空ける。アストラゼネカ製は効果を高めるために8週間以上空けるのが望ましい。モデルナ製は予防接種法に基づき、感染症のまん延を防ぐために緊急的に行う「臨時接種」で、国が24日に開設する東京と大阪の大規模接種センターなどで使用される。
 なお厚労省の部会は英アストラゼネカ製のワクチンについて、当面は公的な接種を見送ると決めた。接種後に血栓ができる事例が確認されており、接種を推奨する対象者などを引き続き検討する必要があると判断した。
 すでに接種が始まった米ファイザー製を含め、政府が契約した3種類のワクチンは計3億6400万回分に達し、高齢者以外も含めた国内の接種対象者1.1億人が2回ずつ打つのに必要な2.2億回分を上回る量を確保した。なお21日の日経新聞【ニューヨーク=野村優子】によれば、米バイオ製薬モデルナが、21日に日本で承認された同社製のワクチンについて、日本国内での生産を検討していることがわかった。
【宣言に沖縄を追加、10都道府県に】
 同じ21日、政府は沖縄を緊急事態宣言の対象地と決定した(6月20日まで)。これで対象地域は10都道府県となった。

【横浜市大医学部の研究業績つぎつぎと】
 知人の齊藤淳一さんから17日に朗報が入った。今朝から日本でもメディアに流れ始めた、<呼吸困難となった COVID-19 患者への腸管からの酸素供給の可能性の研究>の武部貴則氏(2011年に横浜市大医学部、東京医科歯科大学統合研究機構教授、横浜市立大学特別教授、米シンシナティ小児病院准教授)についてである。「元学長として喜ばしいと思われるのでは…」と添えてあった。
 武部さんは8年前の2013年に<iPS 肝臓>を作り出し、世界を驚かせた人である。今日では世界中で当たり前に使われている<臓器再生>のテクニックで、その着想が面白い。齊藤さんによれば、「肝臓再生を研究中に、ちょっとしたミスから、その中に本来は<不純物>である筈の<血管を形成する細胞>や<細胞の集まりを立体的に繋ぎ合わせる構造体を形成する細胞>などが混じってしまったものを培養したところ、その培養株から立体構造を持つ肝臓の機能を持った<iPS 肝臓>が出来た。ここから得た結論は、「臓器はその臓器細胞だけではなく、血管系組織とそれらを立体的構造に作る骨組みとなる細胞組織が組み合わさって初めて<機能を持った臓器>になる」ということ。
 8年前の<iPS 肝臓>に次いで、この<呼吸困難となった COVID-19 患者への腸管からの酸素供給の可能性の研究>である。齊藤さんはつづける。「…そうだ、ドジョウはエラだけではなく、腸管でも呼吸している。哺乳類でもできるかなぁ?というところから始まった研究で、人での実用化はまだまだ先ですが、将来的には、人工呼吸器も人工心肺装置(エクモ)も使わず、より簡便でより安価な<生命維持>手段となる可能性があります」と。
 これを追いかけるように、21日のANNnewsCH[テレ朝news]が次のように報じた。横浜市立大学の研究によれば、去年2月~4月に自然感染した250人に、6カ月後の去年10月ごろと、1年後の今年3月ごろに採血し、実験し結果、1年後も十分な量の中和抗体があり、それは、その後、見つかった“変異型”にも“効く”可能性がある。
◆研究のリーダーである横浜市立大学医学部の山中竹春教授に聞く。 1年前に感染した人のうち、当時、広がっていた“従来型”いわゆる武漢型への免疫を何%の人が持っているかまとめた結果で、軽症の人は「免疫あり」が96%、中等症・重症は「免疫あり」が100%となった。
(Q.この結果をどう見ますか) 従来株に感染しているので、従来株に関しては、かなり強い免疫を持っていることがわかりました。 ただ、すでに国内では“従来型”は減り、イギリス型をはじめとした“変異型”が増えています。そこで、去年2~4月の感染者に、変異型への免疫があるかを調べた結果、いま主流のイギリス型は「軽症」で79%、警戒されるインド型は「軽症」で69%まで下がります。中等症の場合、90%以上が免疫ありとなっています。
(Q.この結果をどう見ますか) 従来型に対しては、強い免疫が残っていますが、変異型に対しては少し落ち、特に軽症者に関しては、免疫を持つ人の割合が低い。しかし、中等症・重症の人は感染したときに、軽症者に比べてかなり強い免疫ができますので、時間が経って免疫が落ちるとしても、感染を阻害するだけの免疫は残っているという数字だと思います。 報道ステーションの感染者4人も、今回の調査に参加しました。従来型への抗体は全員ありますが、変異型への抗体はバラバラ。軽症だった富川キャスターは、変異型への免疫がありません。
(Q.これで何がわかるのでしょうか) 個人差があるということがわかります。軽症の人は、変異株に対しての免疫がなくなりやすいと言いましたが、今回、参加していただいた軽症の3人は、インドやアフリカの変異株に対しての免疫がなくなっていることがわかりました。
(Q.中等症の人の90%以上が、変異型に対して抗体があるということですが、番組の感染者は変異型に対して抗体を持っていません。これは、なぜでしょうか) 例えば、インド型ですと、3割は免疫が消えますが、7割は残っているという結果です。今回、参加していただいた方々には、その3割のほうに入ってしまったと思います。レアケースだと思います。
(Q.感染者とワクチン接種者の違いはどうでしょうか) ワクチン接種者は、感染して重症と同じか、それ以上に強い中和抗体(細胞の表面にある<受容体>と呼ばれる突起に結合し、細胞の中に侵入するが、 中和抗体はウイルスの周りに取りついて、細胞の受容体と結合するのを防ぐ=加藤)が立ち上がっています。
(Q.感染者やワクチン接種者は、どれぐらいの周期でワクチンを打つべきでしょうか) 6カ月と観測もされていましたが、我々のデータ、国際のデータを見る限り、中和抗体は残っています。ワクチンで作られる免疫は、抗体以外の免疫もありますので、その免疫は半年経っても残っている印象ですので、半年は必要ないと思います。1年後に、どのくらい必要になるか、今後、データが出てくると思いますが、感染初期、接種初期に比べれば、免疫は落ちてきていますので、1年後にもう1回接種するということはあり得ると思います。
 なおウィキペディアによれば、山中竹春教授は早稲田大学政治経済学部を卒業、経済や社会生活の現場から生じる「データ」を使って様々な課題を解決していく、今でいうデータサイエンスの方法論に関心を持った。データ分析の基礎となる数理を深く学ぼうと早稲田大学大学院理工学研究科数学専攻に進学、在学中に、医療・介護・公衆衛生分野の複雑かつ多様なデータに関心を持ち、在に至る、異色の経歴である。

【都内でもイギリス型変異株N501Yが拡大】
 大阪で急拡大したイギリス型変異株N501Yが東京都内でも拡がっている。3月22日からの1週間では3.1%、翌週には16%となり、さらに翌々週(4月25日~)には25.5%と、2週間でおよそ8倍に増え、急速に感染が広がっている。この傾向から見て、5月初めには8割かと、NHK首都圏ナビが報じた。

【イギリス型N501Yからインド型L452Rへ】
 田村厚労相は21日の閣議後会見で、科学的に証明しきれていないが、インドの変異株は感染しやすい英国株より1・5倍の感染力がありうるとの専門家の見方を示し、「非常に脅威を感じている」と強調した。コロナ対策分科会の尾身茂会長も警戒が必要との認識を示した。
 28日(金曜)の読売新聞によれば、27日に開かれた東京都の新型コロナウイルスに関するモニタリング(監視)会議が専門家から感染力が強いとされるインド型L452R変異ウイルス拡大に強い危機感が示された。都健康安全研究センター(健安研)が23日までの1週間に実施した89検体の簡易検査で、6.7%に当たる6件で検出された。健安研検査では4月上旬にL452Rを初めて確認後、今月16日までで8件にとどまっていた。都内では、英国型のN501Y変異ウイルスが主流となっているが、国立国際医療研究センターの大曲貴夫・国際感染症センター長は「今後、L452Rへの置き換わりが進むことも想定される」と指摘した。
 厚労省によると、L452Rの国内感染者は、24日時点で29人が確定している。都道府県別では、千葉県と大阪府6人、東京都と静岡県5人、兵庫県4人、神奈川県2人など。空港検疫での確認は160人(17日時点)で、都内では入国者と同じ場所に住む濃厚接触者5人のクラスター(感染集団)も発生している。
 小池知事は、27日、「インドで流行しているL452Rの変異株について、これまでの2倍の感染力だという計算になろうかと思う」と述べた。また松本哲哉国際医療福祉大学教授は、「5月6月7月ぐらいには、今度、インド型が(国内で)ほぼ主流ということにもなりかねない」と危機感を示す。東京都の検査は十分かの問いに、同教授は「もう、イギリス型への対応は明らかに失敗。インド型の方も結局、今、同じような状況にあるわけですね。検査体制がまだ整ってないということは、ちゃんと抑え込める体制は今はないということ」と答える。
 インド型の感染者を見つけ出す検査は十分とは言いがたい。東京都がインド型の検査を始めたのは先月末。これまでに14人の感染を確認しているが、検査したのはわずか300人ほどで、感染者全体の0.02%にすぎない。都のレベルでは、未だインド型を識別する検査が進まないなか、独自に始めたのが墨田区である(27日の毎日放送)。

【米グーグル社の量子コンピュータとAI】
 26日(水曜)、世界最大手の米グーグル社のスンダ―・ピチャイCEOが量子クラウドを5年以内に企業向けに貸し出すサービスを開始すると発表した(28日の日経新聞朝刊)。これに関連して同市9日の朝刊は<AI量子エディター生川暁>の名で「AI利用 国際ルールを グーグルCEO 人権配慮、気運高まる」の記事を乗せ、人工知能(AI)の開発や利用には一定の歯止めをかける国際ルールを作るべしとの機運が高まっているとし、「…AIは医療や産業に革新をもたらす一方、差別の助長などの弊害も生んでいる。人権などに配慮しながらどう普及を進めるか、責任と知恵が問われる」と述べる。
 この問題は根が深い。一昨年の2019年11月11日のBusiness Journal誌によれば、米グーグルは9月半ば、同社の研究する量子コンピュータが、世界最高のスーパーコンピュータで1万年かかる計算を200秒で行ったという論文を発表、その直後からビットコインが暴落し、大きな論争を呼んだ。全世界に衝撃を与え、多方面から賞賛された発表だったが、IBMはグーグルの主張に重大な欠陥があるとして、研究結果を否定した。IBMの研究者はこれを「ひとつの問題だけを解くためにつくられた研究室内の実験にすぎず、現実の用途に使用できない」「弁護の余地のない単なる間違い」とまで酷評した。
 IBM自体は、量子コンピュータのクラウド利用サービスも提供しているので、自信があったと思われる。グーグルが量子コンピュータ論文を発表したことで、同社と関係の深い中国の量子コンピュータ技術がアメリカを超えたのではないかという話にまで飛び火したが、問題の論文はネット上から削除され、話題は沈静化に向かう。
 AIの利用は<深層学習>と呼ぶ技術の登場を機に2012年ころから広まり、画像や音声の認識精度が上がり、近年は言語を操る技術の進化も著しい。世界市場は年平均4割強で成長、2027年には7300億ドル(約80兆円)超に達する見通しという。ソニーグループも倫理問題などに対応する体制づくりを急いでいる。

 2週間ほど経った6月8日の日経新聞は、IBMのクリシュナCEOが「3年で量子コンピューター実現」と発言、次のように伝えた。
人工知能(AI)や高速通信規格「5G」を生かしたデジタル技術の革新について議論する「世界デジタルサミット2021」(日本経済新聞社・総務省主催)は8日、2日目の討議に入った。米IBMのアービンド・クリシュナ会長兼最高経営責任者(CEO)は対談形式の講演で、次世代の高速計算機である量子コンピューターについて「3年ぐらいで実現する」と述べ、AIの普及を後押しすると強調した。
 IBMは米グーグルと共に世界の量子コンピュータの研究開発をけん引し、日本では東京大学などと連携している。クリシュナCEOは「現在の量子コンピュータは既存のコンピュータと同様のことができる程度だが、2023年をメドに(現在よりも大幅に計算能力の高い)1000量子ビット超の性能を開発する」と語った。
 量子コンピュータの発展は多様な産業でAIの導入やデジタルトランスフォーメーション(DX)を加速するため「30年までにAIが全世界に及ぼす経済効果は16兆ドル(約1750兆円)に迫る」との見通しも示した。

【米CDCが日本への渡航中止勧告】
 25日、アメリカ国務省は日本に関する渡航情報を、4段階で最も厳しい「渡航中止の勧告」に引き上げた。新型コロナウイルスの新規感染者数などをもとに、アメリカCDC=疾病対策センターが日本の感染状況を最も厳しいレベルと判断したことを反映した結果だとしている。アメリカ五輪委員会はすぐに声明を出し、東京五輪・パラリンピックには予定通り選手を送っても問題ないと述べた。

【世界の<ワクチン接種率>】
 米国のワクチン接種率が50%を超え(総人口に占める1回目接種の完了者の割合)、2回目を完了した人は40%に達した。NHK特設サイト「新型コロナウィス」の中に「世界のワクチン接種状況」(5月29日現在)として、「世界のワクチン接種回数(累計)」、「世界のワクチン接種回数(100人あたり)」等を掲載しているが、そのうち「ワクチン接種を完了した人(割合)」(Our World in Dataの集計で、既定の回数のワクチン接種を完了した人数(2回の接種が必要なワクチンなら2回の接種を完了した人数)が上位18番目までの国や地域と日本・韓国について、接種完了した人が人口に占める割合)がある。
 これを<ワクチン接種率>と呼ぶと、上位から順にイスラエル59%(小数点以下を四捨五入、以下同じ)、チリ41%、アメリカ40%、UAE39%、イギリス35%、イタリア19%、ドイツ17%、ロシア8%、…韓国4%、日本3%であり、台湾は日本以下である。日本のワクチン接種の遅れが判明する。

【ワクチン接種率の向上で集団免疫はできるか?】
 いまや日本ではワクチンさまさまである。諸外国でワクチン接種が進み、これを見てワクチンこそ救世主とする雰囲気がある。菅首相も「ワクチンは感染防止の切り札」と言う。しかし、冷静に見ると、ワクチン接種の普及により、コロナを抑え込むことが本当に可能なのか。この点に疑問を呈したのがアメリカの科学者である。
 29日のNewsweek誌によれば、アメリカでは専門家の見解が揺れている。ワクチン接種などで大きな進展があったと誇る一方、終息には程遠いと警告を発してもいる。 ワイルコーネル医科大学のウイルス学者ジョン・ムーアは言う。「まだパンデミック(世界的大流行)以後の段階ではない。一部の人はそう信じたいようだが」 。あのファウチ博士でさえ、昨年末にワクチンの配布計画を発表した段階では楽観的で、秋までに米国内で集団免疫(人口の相当数に免疫ができて感染拡大を阻止または大幅に抑止できる状態)を実現できると考えていたようだ。 「きちんとやれば人口の70%から85%にワクチンを接種できる。そうなれば免疫の傘で国全体を守れるから、ウイルスの勢いが十分に低下し、実質的に集団免疫を確立できるだろう」。ファウチ博士は当時、医療系サイトの「ウェブMD」でそう語っていた。 その期待どおりにいきそうもないことは、今や明らかだ。 今年2月、シアトルにあるワシントン大学健康指標・評価研究所(IHME)の疫学者アリ・モクダッドらは世界中から集めたデータを基に、季節の違いやマスク着用率、ワクチン接種率などの変数を加えて今後の感染状況をシミュレーションした。 「結果を見て私たちは目を疑った」と、モクダッドは言う。
 「冬にはまたロックダウンになり、移動が制限されるだろう」とモクダッドは言う。「見通しは暗い」 モクダッドを動揺させたシミュレーションを見る限り、アメリカでも当分は集団免疫の実現を見込めない。「冬までに実現するのは無理だ」とモクダッドは言う。「そういう計算にはならない」 。なぜか。1つには、12歳未満の児童へのワクチン緊急使用許可を当局が承認しなかったため、彼らが年内に接種を終えることは不可能という事情がある。 そしてもちろん、接種対象の成人の全てがワクチン接種を受けるとは思えない。 各種の調査によると、ワクチンを拒否する考えの人は依然として全体の約30%を占めている。 IHMEの試算では、12~15歳の学童についてもワクチン接種の拒否率は30%程度という前提に立っているが、自分の子への接種を拒否する考えの親はもっと多いかもしれない。 ワクチンの接種ペースは既に落ち始めており、米疾病対策センター(CDC)によると、米国内の1日当たり接種回数(過去7日間の移動平均値)は4月11日の約330万回がピークで、以後は急低下している。

【米大統領が再調査を米情報機関に指示】
 26日の読売新聞オンラインによれば、複数の米メディアは、中国・武漢のウイルス研究所の研究者3人が2019年11月に体調を崩し、病院で治療を受けたとする米情報機関の報告書の内容を報じた。同研究所からの新型コロナウイルス流出説を巡る議論が再燃している。これを受けてバイデン大統領は再調査を米情報機関に指示した。
 新型コロナウィルスが外部に流出した場所として武漢の海鮮市場とする説と、武漢ウィルス研究所とする説の2つがある。世界保健機関(WHO)の総会(2020年5月18日にテレビ会議形式)で独立調査を行うことで同意し、2021年2月3日、新型コロナウイルスの起源を調査する世界保健機関専門家チームが訪問、調査を行い、2月9日、同研究所からのウイルス漏洩の可能性は低いとの見解を発表している。WHOもウイルスは動物由来で、人工のものではないとしたうえで、「研究所から流出した可能性はないとみている」とした。アメリカのインテリジェンス・コミュニティーを統括する国家情報長官室(ODNI)もウイルスは人工のものではないと発表し、UKUSA協定に基づき英語圏5カ国の諜報当局が運営するファイブアイズも「研究所から流出した可能性は極めて低いとみている」と報じていた。
 
【10都道府県で緊急事態宣言を6月20日まで延長】
 28日(金曜)午前、政府は専門家で構成する基本的対処方針分科会に新型コロナウイルスの緊急事態宣言の延長を諮問した。31日に期限を迎える東京や大阪など9都道府県について、6月20日まで延長する案を説明、分科会の了承を得て、政府の対策本部で正式決定した。北海道、東京、愛知、京都、大阪、兵庫、岡山、広島、福岡の9都道府県の延長と、23日に宣言の対象に加えた沖縄県も6月20日が期限で、あわせて10都道府県に範囲が広がる。また宣言に準じた対策をとる「まん延防止等重点措置」を巡っては、31日が期限の埼玉、千葉、神奈川、岐阜、三重の5県の6月20日までの延長を示した。群馬、石川、熊本の3県は6月13日までのまま変更しない方針である。
 同日、記者会見の場で菅首相は、(1)「ワクチンは感染防止の切り札」としたうえで「6月中旬以降は1日に100万回のワクチン接種を可能とする体制を整えること」と初めて時期を明らかにし、(2)東京五輪・パラリンピックの外国人入国者数を制限する一方、日本人観客の受入れに意欲を示した。

【テニスの大坂なおみが全仏オープン棄権】
 31日、テニスの大坂なおみが、自身のツイッターを更新し「誰もが大会に再び集中できるようにするため、大会やほかの選手、そして、私自身にとって私が撤退することがベストだと思った」として、大会を棄権すると表明した。1回戦のあと記者会見に出席せず主催者から罰金を科されていた。そして「2018年の全米オープン以来、長い間、気分が落ち込むことがあって対処するのに本当に苦労した」と自身の状況について明らかにしたうえで、「少しの間コートから離れるつもりだが、今後ツアーと協力して選手や記者、ファンのために物事をよりよくする方法について話し合いたい」と、試合後の取材などについて大会側や競技団体などと協議したい考えを示した。
 テニスの四大大会で23回の優勝を誇るアメリカのセリーナ・ウィリアムズ選手は、全仏オープン1回戦のあとの記者会見で大坂選手が大会を棄権したことについてコメントし、自分も「会見場へ行くのがすごく難しかったことが私にも何回もあったが、それが私を強くしてくれた。私は大坂選手の気持ちがわかる。彼女がやりたいように、彼女が考える最善の方法で対処してもらうしかない。それが私が言える唯一のことだ。彼女はベストを尽くしていると思う」と理解を示した。

【延長期の緊急事態宣言で営業等を緩和】
 6月1日(火曜)、緊急事態宣言の延長期に入った10都道府県では、前回と違って、百貨店が平日の通常営業を開始したことである。酒類の提供は行わないとする<禁酒営業>は継続される。また博物館・美術館も平日の開館を始め、映画館やコンサート等の文化イベントも観客を入れて開催できるようになった。上野動物園は4日から予約者に開放。

【職場や学校でワクチン接種を開始】
 同じ1日午前、加藤官房長官は記者会見で、ワクチンをめぐり職場や大学などでの接種を21日から可能とすると発表した。市区町村が実施する高齢者向け接種が進んでいる地域では、職場・学校接種の前倒しも認める。政府は1日100万回の接種を目指しており、加藤氏は「ワクチン接種に関する地域負担を軽減し、加速化を図る」と強調した。

【感染症専門家と政府の不協和音】
 6月4日(金曜)のAERAdot.によれば、菅首相と尾身会長の対立が深まったのは5月14日、延長される緊急事態宣言に北海道などを追加で含めるか、否かを協議した時だという。「自らの決定を尾身会長にひっくり返され、顔を潰された感が強い。今回の緊急事態宣言延長でもショッピングセンター協会などから陳情を受け、百貨店などの休業措置等の緩和を狙う菅首相と、集中的な強い措置継続が必要と主張する尾身会長ら専門家との間で攻防があり、結果的に今回は菅首相が押し切る形となりましたが、緊急事態宣言期間は延長しながらも措置は緩和する、というチグハグな判断となった」
 また五輪の組織委員会は「東京2020大会における新型コロナウイルス対策のための専門家ラウンドテーブル会議」を設置したが、メンバーにこれまで新型コロナウイルス対策を主導してきた尾身会長の名はない。

【英国でG7サミット開催】
 同じ4日の日経新聞は、「主要7カ国首脳会議(G7サミット)が11日に英国で開幕する。菅首相やバイデン米大統領らは初の対面での参加となる。トランプ前米大統領のもとで機能不全に陥ったG7が再び協調して国際社会を主導できるのか。覇権主義的な動きを広げる中国への対処などで試される」と伝えた。
 G7(Group of Seven、フランス、アメリカ、イギリス、ドイツ、日本、イタリア、カナダの7ヵ国)は、46年前の1975年に発足、メンバーの変動もあるが、主な参加国は変わらない。市場経済や民主主義、法の支配といった価値観を共有する国の首脳が年に1度、持ち回りで議長国を務めて世界経済や国際情勢など喫緊の課題を話し合ってきた。今年のG7サミットは6月13日まで英南西部のコーンウォールで開催される。バイデン氏にとって大統領就任後初めての外国訪問である。菅首相のほか、イタリアのドラギ首相や欧州連合(EU)のフォンデアライエン欧州委員長らも初の対面参加となる。
 今回のG7サミットでは世界経済や新型コロナワクチンの途上国支援、気候変動などに加え、中国について集中的に討議、安全保障や人権など中国に関わる課題を話し合う。中国は新型コロナを早期に抑え込んだ成果として権威主義や独裁国家の優位性を誇示し、民主主義を否定する。G7サミットで国際ルールを無視した東シナ海や南シナ海での威圧的な行動や人権弾圧が指摘される中国への懸念を共有する狙いだ。これまで欧州は中国との経済的な結びつきを重視し、東アジアの安全保障問題と距離を置いてきた。足元では香港での国家安全維持法制定を機に欧州の対中観は厳しくなり、新疆ウイグル自治区での人権侵害で不信感を強めた。中国を脅威と見なす認識が浸透し始め、英国やフランスなどは安保面でも対中国で日米との連携に傾く。日本の政府高官は「欧州に中国の現実的な脅威を説明する絶好の場になる」と話す。5月のG7外相会合では「台湾海峡の平和と安定」を初めて明記した。サミットの共同声明にも文言が引き継ぐよう日米は働きかけている。

【ワクチン証明書】
 7日(月曜)、日経新聞は「ワクチン証明書、日本は今夏発行 経済正常化を後押し」の中で次のように述べた。「新型コロナウイルスワクチンの接種証明書を発行・活用する動きが世界で広がってきた。感染のリスクを抑えながら経済活動を正常化する狙いがあり、企業からも期待の声が上がっている。日本はまず海外渡航者用に今夏にも発行し、ビジネス往来などを後押しする。欧州連合(EU)は域内の移動解禁に向けて7月から運用を始める。既に一部の政府高官らは非公式の証明書を作成し、海外に持参している。欧米などで接種履歴を聞かれるケースが増えているためだという。一般のビジネス利用も想定した公的な制度は、加藤勝信官房長官をトップとする省庁横断のチームで検討を急いでいる。まずは紙の公式証明書を今夏に利用できるようにする想定だ。年内にはスマートフォンのアプリなどでデジタル化する段取りを描く。国内でもファイザー製やモデルナ製の調達・供給量が増えていることが背景にある。21日には企業の職場での接種も始まる。接種を証明することで渡航者と受け入れ国側の双方のリスクが低減すれば、海外での商談などのハードルが下がる。…」
 同紙はつづけて言う。「接種は任意なのに、証明書の導入で未接種者への差別を招くとの懸念もある。米国は州によって対応が割れる。東部ニューヨーク州は3月、接種歴を示すスマホアプリ「エクセルシオール・パス」を導入、発行数は既に100万を超える。一方、南部ジョージア州は公的機関による証明書要求を禁止している。「接種は個人的な決定」(ケンプ知事)との考えからだ。州が保有する接種データは民間企業などに提供しない。住民への接種は引き続き奨励する。米メディアによると、少なくとも10州が禁止・制限している。…日本も国内向けの導入は慎重に検討している。経済再開を急ぐ自治体や企業の独自ルールが乱立する恐れもあるため、政府が統一指針をつくることも視野に入れる」。

【G7の共同宣言】
 12日(土曜)の日経新聞は「G7、インフラ支援で新構想 中国の一帯一路に対抗 菅首相、中国に<深い懸念>」を掲げ、次のように伝えた。同日午前(日本時間同日午後)、2日目の討議に入ったG7サミット(主要7カ国首脳会議)で菅首相が中国を巡る様々な問題について「深い懸念」を表明、東シナ海や南シナ海での一方的な行動や人権問題、不公正な経済活動があると説明した。「G7の価値観と相いれない」とも指摘し、G7で連携して行動すべきだと訴えた。複数の首脳が同様の懸念を示した。

 米政府高官は「バイデン米大統領が明確に先頭に立った。英国、フランス、カナダの各首脳も同調した」と明らかにした。一方、輸出入で対中依存度が高いのが英独仏の3国であり、G7首脳間で対中姿勢に温度差もあったという。14日(月曜)の日経新聞(ネット配信版)によれば、13日午後(日本時間同日夜)、G7サミットが閉幕。共同宣言で「台湾海峡の平和と安定の重要性を強調し、両岸問題の平和的解決を促す」と言及した。「自由や平等、人権の保護などの力を使って挑戦に打ち勝つ」と記し、民主主義諸国の結束を訴えた。日本の外務省によるとG7首脳の共同宣言で台湾海峡に関する文言が入るのは初めて。5月上旬のG7外相会合と同様の表現を盛り込んだ。
 共同宣言はページ数で昨年の1枚に対して25枚もあり、内容面でも1975年のランブイエ以来、サミットの歴史で初めて「台湾海峡の平和と安定」と記した。日本政府関係者によると、菅首相とバイデン米大統領が欧州諸国の慎重論を押し切って盛り込んだという。日米がこだわったのは香港の先例があるからと言われる。中国は2020年6月末に、香港国家安全維持法を施行し、民主化デモを抑え込んだ。米国が「自国第一主義」を掲げるトランプ前政権で、国際秩序への関与が乏しかった時期にあたる。中国への言及は台湾だけではない。「公正や透明性を損なう」「非市場主義」と表現し、中国の広域経済圏構想「一帯一路」に対抗するインフラ支援策を発表した。新疆ウイグル自治区や香港の人権や自由の尊重も求めた。
 共同宣言は前文で「新型コロナウイルス感染症に打ち勝ち、より良い回復を図ることにコミット。国際協力、多国間主義及び開かれ、強靱(きょうじん)で、ルールに基づく国際秩序に基づき行動する」とし、次の各項を列記(保健、経済回復及び雇用、自由で公正な貿易、将来的な先端領域、気候変動・環境、ジェンダー平等、グローバルな責任及び国際的な行動)したうえで、結語で「新型コロナウイルスに打ち勝つ世界の団結の象徴として、安全・安心な形で2020年東京五輪・パラリンピック競技大会を開催することを改めて支持」と述べている。今後の課題に関して大きな網をかけた<包括的>なもので、その一つ一つに実効性・即効性があるとは思えない。
 菅首相は討議終了後、記者団に「自由で開かれた国際秩序の確立に努めることを方向づけできた」と語った。議長国のジョンソン英首相は記者会見で「G7がすべきなのは民主主義と自由と人権の利点を世界に示すことだ」と総括した。
 一方、中国は14日、駐英大使館報道官の談話で「米国など少数の国が陰険であくどいことがあらわになった。人為的に対立をつくり時代の流れに逆行している」と批判、関係メディアの論評も出たものの、中国政府から本格的な反応はまだ出ていない。G7側の足並みを乱す作戦として、しばらく様子を見つつ、個別問題で対抗しようと考えているのか。あるいは、半月後に迫る中国共産党創立100周年の7月1日を前に、G7のうち1ヵ国からでも首脳を呼ぶことができるよう策を練っているのか。
14日(月曜)、気象庁は関東甲信の梅雨入りを宣言した。平年より7日遅いという。大雨・豪雨型が懸念される。菅首相が午後、帰国した。
 15日(火曜)の日経新聞は、「試される民主主義陣営 G7、台湾・インフラで対中国 G7背水の再起動(上)」で次のように述べている。「世界経済でG7が占める割合は1987年の7割からいまは4割。中国の2020年の名目国内総生産(GDP)は14.7兆ドルと米国の7割に迫る。理念は薄れ、経済力も落ち<G7不要論>も出た。…スウェーデンの調査機関によると、2019年に民主主義国・地域は87で、非民主主義が92と18年ぶりに上回った。G7は経済でも理念でも、世界の多数派とはいえない。…かつては非民主的な統治をすればG7を中心とする国際社会の制裁を受けた。いまは巨大な経済力を持つ中国が後押しし、権威主義や国家資本主義が世界に広がる…。」
 G7サミット議長国のジョンソン英首相は、サミット開催の直前の声明で、ゲスト国として招聘した韓国・オーストラリア・インド・南アフリカを合わせた枠組みをD11(democratic 11)と呼んだ。D11には鉱物資源が豊富なオーストラリアや南アフリカが入っている。今後、D11がG7にとって代わる可能性が高いとは思えない。
【ワクチン接種の拡大】
 全国自治体を中心に進めてきたワクチン接種に加えて、大規模接種会場の設置と、企業や大学等で行う職域接種の2つの枠組みに拡大したが、13日(日曜)、職域接種の第一号として、ANA(全日空)が羽田空港で国際線乗務員等に対して実施を始めた。1日300人程度を目指し、国際線の乗務員計約1万人から進め、国際線の接客業務に関わる地上職などに順次拡大する。14日には日本航空(JAL)がつづき、来週21日(月曜)以降、企業による職域接種が本格化する見通しである。

 また東京と大阪に置かれた自衛隊の大規模ワクチン接種会場では、14日、それまで首都圏と関西の7都府県に限定していた居住地域の制限を外し、全国が対象になった。この時点で15~27日分は東京会場で9万4千人、大阪会場で3万7千人の空きがある。予約の埋まらないワクチンを自衛隊・警察・消防・海上保安庁職員への接種に振り替えた。これによる<人流>拡大が懸念される。

【菅内閣不信任案を否決】
 15日(火曜)の衆院本会議で、野党4党が提出した菅内閣への不信任決議案を、与党や日本維新の会などの反対多数で否決した。立憲民主党など野党4党が今国会の会期を3カ月延長するよう与党に申し入れていたが、与党が会期延長を拒否したのを受け、野党4党が不信任決議案を提出したもの。首相は新型コロナウイルス対策を優先し、今国会での衆院解散を見送った。政府・与党で9月解散の見方が強まっている。

【<宣言>と<措置>の期限が近づく】
 6月20日(日曜)まで延長した10都道府県の緊急事態宣言と5県(埼玉、千葉、神奈川、岐阜、三重)の「まん延防止等重点措置」の期限が近づいている。遅くとも18日(金曜)までには結論を出さなければならない。五輪・パラリンピック開催をめぐる政府と政府分科会の尾身会長との不協和音は、ますます深刻さを増している。

 菅首相はG7サミット共同宣言の「新型コロナウイルスに打ち勝つ世界の団結の象徴として、安全・安心な形で2020年東京五輪・パラリンピック競技大会を開催することを改めて支持」をいわば錦の御旗として、オリンピック開催を最優先させている。それをさらに鮮明にしたとする記事が16日(水曜)朝日新聞デジタル版「コロナ対策、五輪シフト鮮明 制限継続に官僚も自嘲気味」である。概要は以下の通り。

 「15日昼(衆院本会議で不信任案が提出される前)、首相官邸であった政府与党連絡会議。菅首相は先の主要7カ国首脳会議(G7サミット)に触れ、東京五輪・パラリンピックへの意欲を改めて強調した。「全ての首脳から強い支持をいただいた。安全安心な大会を開催する決意を新たにした。」…会議の直前まで、首相は関係閣僚と、20日が期限となる緊急事態宣言の扱いについて協議していた。政府は10都道府県の宣言解除を17日に専門家に諮問する方向で、解除後のコロナ対応をめぐり詰めの調整を行った。…政府は新型コロナ対応の緊急事態宣言を解除し、東京や大阪で「まん延防止等重点措置」に切り替える方針だ。酒類の提供規制は当面続け、東京五輪に向けて感染が再拡大しないか見極める。イベント制限はいまの<最大5千人>を当面続ける案が有力で、有観客の五輪につなげたい考え。新たなコロナ対策は、菅政権の<五輪シフト>が鮮明になりそうだ。」

 同じ15日(火曜)午前、申し合わせたかのように、東京五輪の準備・運営を監督する国際オリンピック委員会(IOC)のコーツ調整委員長(副会長)が羽田空港に到着した。バッハ会長の来日は7月中旬ころと言われる。

 16日(水曜)未明、会期末の参院本会議で、自衛隊基地や原子力発電所の周辺、国境離島などの土地の利用を規制する法(土地規制法)が自民、公明、日本維新の会、国民民主各党の賛成多数で可決し、成立した。同法は、重要施設の周囲1キロや国境離島を「注視区域」に指定し、土地や建物の所有者の氏名・住所、利用実態などを政府が調べることができる。特に重要な施設については周辺を「特別注視区域」とし、一定面積以上の土地や建物の売買には事前の届け出が必要となる。


 この間、以下の録画を視聴することができた。(1)NHK国際報道2021「ミャンマー弾圧の犠牲なる子供たち」5月20日。 (2)NHKヒューマニエンス選「“死” 生命最大の発明」20日。 (3)NHK国際報道2021「在日ロシア人の間でナワリヌイ氏の支援の輪が」21日。 (4)NHKEテレ ズームバーク×オチアイ 大回復グレートリカバリー選(1)「言葉論」21日。 (5)NHK国際報道2021「ミャンマー“医療崩壊”閉ざされた医療の未来は」25日。 (6)NHKクローズアップ現代+「まひした手が動いた! リハビリと脳科学・うつにも」25日。 (7)NHK国際報道2021「米フロイドさん事件から1年、警察改革は進むか」26日。 (8)NHKスペシャル「パンデミック激動の世界10 迫る“介護崩壊” 揺れる老後」28日。 (9)NHKEテレ ズームバーク×オチアイ 大回復グレートリカバリー選(8)「アート論」28日。 (10)EテレサイエンスZERO「120年に一度のチャンス! 竹 一斉開花の謎に迫る」30日。 (11)NHKクローズアップ現代+「わたしは売られた 司法取引の当事者が語る」6月1日。 
 (12)BS1週間ワールドニュース 5月21日~6月4日」5日。 (12)NHKヒューマニエンス選「“舌”変幻自在の開拓者」10日。 (13)NHKEテレ ズームバーク×オチアイ 大回復グレートリカバリー 「祝祭論」11日。 (14)BS1週間ワールドニュース 6月7日~11日」12日。

タケの開花(12)

 本ブログに「タケの開花(その1)」を載せたのは約4年前の2017年5月19日である。
その年の3月29日、思いがけないメールが入った。発信者は旧知の坂智広(ばん ともひろ 横浜市立大学木原研究所教授)さん。コムギ研究の第一線で活躍すると同時に、左腕で豪速球を打つテニス仲間でもある。日本育種学会で、岡山大学名誉教授の村松幹夫先生から、三渓園の蓬莱竹の仲間の竹の開花の話を伺った、とある。

つづけて「…村松先生は、木原均先生の元で学ばれ、木原生物学研究所が京都大学の物集女にあった時代からコムギの研究で世界を牽引されてこられた方で、私もコムギの近縁野生種の植物を見る目をご指導いただいております。日本のタケ・ササ類に関する研究で、現在も日本中の竹林を見守っておられます。…タケは60年?あるいは100年単位の周期で一斉に花を咲かせ、そのまま枯れて新たな竹林が形成されると言われています。同じ仲間でも開花期があわないと交雑せず、花が合えば新たな雑種を作って進化する可能性も示唆されています。人知を超えた時間の流れと歴史を染色体に刻んだ、自然の教科書です。…村松先生のお話ですと、「1928年に三渓園の竹が開花した」という記録があり、今年また花を咲かせそうだと情報を得られたそうです。」

 以来、坂さんや村松さんが来園され、観察を重ね、その記録を本ブログに書きつづけた。最近では2019年3月22日の「タケの開花(その9)」、同年5月29日の「タケの開花(その10)」、2020年6月22日の「タケの開花(11)」。

 そして2021年4月2日の「春らんまん」では、「内苑に入ってすぐ右手、鈴生りの白い花をつけたアセビの下、植え込みのオロシマササを覗く。雄蕊が風にキラキラ揺れている。「今年も咲いた!」と喜んだのが3月25日だった。だが庭園ボランティアさんの第一報は19日(金曜)。本ブログで「タケの開花(その1)」を載せ、「タケの開花(その11)」までつづけてきたので、ボランティアさんも気にかけてくださったのであろう。丘の上のタイミンチクの開花は未確認」と記した。

 そこに偶然にも下記の放送予告を見つけた。NHKのEテレサイエンスZEROの予告「120年に一度のチャンス! 竹 一斉開花の謎に迫る」である。放映は5月30日とある。すぐに坂智広さんと齊藤淳一さん、三溪園庭園担当の羽田雄一郎主事へメールで番組予告を伝え、視聴後の印象を教えてほしいとお願いした。齊藤淳一さんはアメリカの大学で化学を教えていた方で、不思議な縁で知り合った(本ブログ2018年3月26日掲載「善四郎とペリー饗応の膳」参照)。彼の多彩な才能のひとつが写真で、三溪園で蚊に刺されながら撮った作品を「タケの開花(11)」で使わせていただいている。

 坂さんからすぐに返事が来た。
 「今年は季節が早く進んでいるように感じますが、長い時間のスパンで暮らすタイミンチクが今年も開花していることが大変興味が湧いてきます。…観察記録をお知らせいただき、ありがとうございます。…今年はまた各所で開花が観察され外へと広がっている様子、地下茎を通じて開花のタイミングが周縁部に伝わっているという仮説を観察的に解釈できそうです。最初に開花が始まった中心部が、どのように変化してきているのか観察調査続けてみたいです。…昨年は藪全体の栄養状態が開花をさせるに十分でなかったのか、江ノ島のサミエル・コッキング苑と同じ傾向を示すのがまた興味が湧きます。…三溪園と江ノ島のタイミンチクの近縁関係とそれぞれの集団の中での遺伝的多様性を、こども植物園や他所の保存されているタイミンチクの株との比較から、DNAで解析して染色体に記されてある歴史を解明したく考えております。」

 羽田さんからもメールが来た。「本日(5/26)、16時半~17時半にタイミンチクの観察を行いました。雁ケ音茶屋横の坂道から出発し、松風閣、三重塔、旧矢箆原家住宅、旧東慶寺仏殿の順に点検したところ、各所で開花を確認できました。開花後数週間経過したと思われる花がらもあり、おそらく3~4週間前から開花が盛んになったのではないかと思われます。なお、坂道は子ガラスが近くにいるのか、2羽の親カラスに威嚇され幾つかの開花株を確認できたものの、十分な観察はできませんでした。」

 毎年、この時期になると園内にカラスが営巣し、ひなが生まれると親カラスはナーバスになり、襲ってくることもある。私は子どものころから一定の対処法を身に着けているが、これが通用するか否かは分からない。

 ついで村松さんから坂さん宛てのメールが転送されてきた。そこには「こちら、ハチクは近年長く開花していましたが、まだそれらしい藪を散見します」とあり、ハチクの開花がつづいていることが分かった。

 ハチク(淡竹)についてウィキペディアは次のように言う。「中国原産の竹の一種。黄河流域以南に広く分布し、日本ではモウソウチク、マダケに次いで各地でよく植栽され、…北海道南部以南に分布し、モウソウチクよりも耐寒性を有するために 特に日本海側に多い。川岸や山地では野生化しているものもある。…750年(勝宝3年)頃には日本にあったことが知られているが、起源は不明である。 細く割れるため茶筅などの茶道用具、花器に利用されるほか、枝が細かく分枝するため竹箒として利用される。 正倉院の呉竹笙、呉竹竿、彫刻尺八、天平宝物の筆などはハチク製と鑑定されている。 また、内側の薄皮は竹紙と呼ばれ、笛の響孔に張り音の響きを良くするほか、漢方薬としても使用される」。

 さらにウィキペディアは、開花周期と開花・枯死について「マダケなどと同様に約120年とされており、開花後は一斉に枯死することが知られている」と述べ、その根拠として「明治末期以来?、周期120年、各地でハチク咲く」(読売新聞(2017年6月4日)を挙げる。ところが、この記事を開くと「お探しのページが見つかりません」と出る。新聞記事だけで学術論文の典拠のないのも気になる。

 いよいよ5月30日の夜、「120年に一度のチャンス! 竹 一斉開花の謎に迫る」を観た。30分番組で強調する点は、「120年ぶりといわれる「竹(ハチク)」の開花が全国で進行中。竹は、花を咲かせ種を残した後、集団で枯れて消え去るという不思議な生態を持っている。なぜ120年ごとに開花という独自の進化を遂げたのか?まだ詳しく解明されておらず、千載一遇の開花現象を科学者たちが追いかけているのだ。貴重な開花の様子を徹底撮影!さらに、竹から作った新素材が宇宙開発を変える!?という最新研究も。神秘の植物「竹」の科学に迫る」(番組の紹介より)。

 タケは1200種もあると呈示したうえで、そのなかの1種のハチク(淡竹)に焦点を絞り、開花する動画や、開花後に枯れた(枯死した)竹林の風景を見せる。この現象は九州から東北にかけて東西1000キロに及び、韓国でも見られ、とくに開花の動画に圧倒的な迫力がある。風が花粉を運ぶため、ハチやチョウの助けは要らない。

 地下茎を1年で2メートルも伸ばして子孫を増やしていくが、このクローンだけでは種の多様性が失われるため、120年に一度の開花と枯死を通じて新たな種を増やすのではと、京都大学の柴田昌三教授は語る。

 柴田さんは、京大フィールド研地球環境学堂/地球親和技術学廊 景観生態保全論分野 教授の紹介欄(2004年度公開)では、次のように述べていた。「タケ類の開花は数十年から百数十年に一回の大イベントであることから、その開花周期を知るためにタケ類の種子を集め、起源のわかっている苗の育成を行っているほか、数十年前に開花したことがわかっているマダケ林では、マダケ回復後の植生変遷の追跡調査も行っています。タケ類の開花に関しては、北山のチュウゴクザサの他、現在48年ぶりに開花中の竹の調査が進行中です」。ここで指摘されている「48年ぶりに開花中の竹」の正体も知りたい。

 120年周期など長いスパンで一斉開花する理由として<捕食者飽食仮説>(=タネを捕食する動物たち食いつぶされないように大量のタネを一斉に生産するとする仮説)、一斉に枯死することについて<親子間競争回避仮説>(=親タケが存続すると日光等の環境が子ども成長を阻害するため、親が子にバトンを渡すとする仮説)が有力として挙げられ、また第3に<DNA砂時計仮説>(=開花に関する遺伝的制御のスイッチとタイマーを見出し、DNAのある領域(関連遺伝子)のメチル化など修飾が<蓄積>されており、ゲノムに砂時計が時を刻むメカニズムで制御されているとする仮説)を挙げる。

 ところが、それぞれについて因果関係を考察する他の仮説や検証の仕方が番組では十分に語られていない。タケの一斉開花にかんする歴史的文献記録として、番組は明治42(1902)年9月11日付け『読売新聞』を挙げる。タケの種類には言及せず、タケを素材とするザルやカゴの製造業者が打撃を受けたと報じる記事を基に、今年がおよそ120年になるため、その一斉開花・枯死の周期は120年とも取れるキャッチになったようにも思われる。これでは「タケは一斉に開花し結実した後、その年の内に竹林丸ごと枯れてしまう」と受け取られかねない。

 また<熱帯>のタケと<温帯>のタケの進化の過程を東京都立大学の立木佑弥助教がコンピュータシュミレーションで解析し、地下茎と株立ちの生存戦略や竹林の生態型を検証、予測、モデル化した。大きな業績であるが、<熱帯>のタケと<温帯>のタケの2分類であり、「1200種もあるタケの区別を考慮しない総論」のような印象を拭いきれない。もうすこし緻密さがほしかった。

 私の疑問は、ハチクが開花の年に枯死するのか、あるいは数年にわたって開花した後に枯死するのか、である。三溪園のタイミンチクもオロシマササも、我々が観察を始めてから5年目、毎年開花している。数年にわたって開花した後に枯死するタケの種類が分かるのであれば、我々もそれに応じた準備ができる。

 当番組が、日本に分布するマダケ属の中のハチクだけを取り上げるにもかかわらず、マダケ属のマダケは120年周期で、モウソウチクは67年周期と指摘、その具体的な根拠は挙げていない。もちろん本ブログで扱ってきた三溪園のタイミンチク・オロシマササが含まれるメダケ属をはじめ、タケササ類全般については言及していない。マダケ属のハチクがタケを代表するかの印象を受ける。
 
 こうした誤解を生じかねない構成は、制作過程に問題があるのかもしれない。効果的なキャッチ「120年に一度のチャンス! 竹 一斉開花の謎に迫る」が先行、その方向に合う取材でまとめ、「(その分野の)専門家」に出演を依頼したようにも取れる。貴重で有意義な番組であるだけに、より科学的であることを期待したい。

 制作者の<思い込み>がミスリードした前例がある。 「タケの開花(その4)」(本ブログ2017年6月23日掲載)で触れた通り、2017年6月20日(火曜)、17時26分過ぎから約2分、テレビ朝日のスーパーJチャンネルの報道記事である。発言とは異なると抗議したが、個人間の対話と<謝罪>に終わり、<訂正>記事は視聴者に届かなかった。

 当番組の最後の数分で扱った「竹から作った新素材」も興味深い。衣本太郎大分大学准教授がタケからセルロースナノファイバーを抽出した。宇宙探査機の太陽の当たる面と当たらない面では極端な温度差があるため、プスティックや接着剤より熱に強いセルロースナノファイバーは、不可欠の新素材と期待される。

 近未来のことは言うまでもなく、これまでも人類は身近な素材として、タケから様々な恩恵を受けてきた。近代科学史のなかでも特記すべきことが多いと、齊藤淳一さんが「素材としての竹利用」のトリビアと題した以下の一文を寄せてくれた。

 「1875年に英国人ジョゼフ・スワンが発明した白熱電球では、真空状態の硝子球の中で苛性ソーダで処理した木綿糸を炭化させて作った<フィラメント>に通電して白熱化し発光させるという原理を使っていました。しかし、その<フィラメント>の寿命は最長でも約40時間と短く、実用性に欠けていました。…その<フィラメント>に改良を加えたのが、米国人トーマス・エジソンです。エジソンは、スワンの発明した白熱電球の最大の欠点である<フィラメント>の短寿命を克服すべく、炭化させた竹ひごを<フィラメント>にすることに注力していました。当初は中国産の竹を利用し電球の寿命を200時間にまで伸ばすことに成功しましたが、それに満足しなかったのがエジソン。…そして、当時、エジソンの研究所で助手として蓄音機の改良に携わっていた日本人・岡部芳郎が持っていた扇子に使われている竹に着目したのがエジソン。日本産の竹(より正確には、京都・男山周辺のマダケ)で作った<フィラメント>で白熱電球の寿命を一気に約1200時間にまで伸ばすことに成功し、白熱電球の商用化に大貢献しました…」。

 6月2日(水曜)、村松先生からも感想をいただいた。タケ研究の大先輩として暖かい目で番組視聴後の印象を語られる。「一般の人が分かり易い言葉と事柄が撰ばれ、…夜遅くの番組として取り上げられた事柄は、妥当であり…」とし、つづけて「項目が順序よく良く配置された構成であり、さすがNHKだと思いました。時間的配置は素晴らしく、時間を無駄なく有効に使い、差し障りなく無駄を省き、時間内にすっきりと終わりました」と記す。

 ついで私からの「曖昧で詰めの足りない点ないし論理の飛躍のある点は?」の質問には、「ハチクの開花が現在進行中のために映像上撰ばれ、それがまるで竹全体を代表するかのようになっていました。ハチクが竹の代表として充分かどうかは曖昧でした…」とあった。

 私からの第4の質問「三溪園のタイミンチクやオロシマササに適用ないし応用できる論点ないし考え方は?」については、「両者の開花の観察は一般庶民にとってとても貴重な機会です。三渓園として園の管理のことがあるとは思いますが、関心がある人々があれば、どうか暖かく観察などの機会を与えてあげてくださるようにお願い致します。…後世の人々に開花周期の研究ができるように記録をお残し下さい。…まだ来年以降も開花は継続すると思います。…何時どのように終息するか観察が大切と思います。地道であっても、よい観察こそ将来への大きい発展になくてはならない基礎と教えられてきました。三渓園から今回、このように具体的な問いかけを頂き、なによりも素晴らしいことと存じます。」 そして最後を次の一文で結んであった。「タケ類の開花について現象論的体系の確立は終わっていないのが現状です。地道な観察はまだまだ必要と思います。」 これに大いに勇気づけられた。

 同じ日、追いかけるように、坂さんから三溪園観察報告が届いた。そのまま以下に転載する。
2021 年6 月1 日(火)15:30~17:00 晴れ
[参加者:坂智広、鈴木悠斗(横浜市立大学4年生)、羽田さん]
〔オロシマササ〕
• 開花範囲に関して、昨年2020 年7月22日(木)までの観察と同様に、管理事務所入り口対いの生垣で多くの出穂・開花するが認められた。そこから左側ブロックの右端あたりと、御門手前の箇所で出穂・開花が見られる。
• 昨年に続き、穂は全体に小さく結実しているのも昨年までの観察よりは少ない。
• 出穂・開花している株は、昨年の観察と同じように株の枯れが激しく、昨年よりもさらに株枯れが進行し、遅れ穂様の稈で花穂が見られる。
• 左側ブロック右端辺りの背面の地面では、地下茎か地上に出現する新稈が僅かに見られ、昨年よりも更に数は少ない様に見える。
• 刈り込みと昨年までの開花疲れか、垣根全体の活力が低下しているように見られる。
今後の株の更新と再生の経過の観察が必要だが、垣根としては植え替えによる更新の時期になるのかもしれない。

〔タイミンチク〕
• 添付の観察地図のように、昨年2020 年7 月22日に開花を観察した箇所を中心に、昨年よりも多くの花穂と開花を確認した。特に地面から伸長する分枝に多くの花穂が見られた。
• 一斉開花が考えられる2年前の2017 年の同時期、それに続く一昨年2018 年の観察より出穂・開花の観察数は少ない、且つ花穂も小型で遅れ穂の花穂のように見られる。
• 広がりは2017~2019 年の開花エリア(松風閣~三重塔の尾根ラインへ昇る道のクランプ急カーブ)の内側エリアと重なっている。
• 昨年2020 年の同時期よりは多くの地点で見られるが、エリアとしては松風閣の海側や、旧東慶寺仏殿の周辺および向かって左側斜面が除草伐採されたことにより、タイミンチクの枝は見られず開花も確認できなかった。
• 昨年2020 年までの観察で、松風閣ー三重塔の尾根ラインを中心に波打つように周辺部に開花が伝達する様相を捉えた。その流れのように、今回は旧矢箆原住宅の前に開花の広がりが確認された。
• 一昨年、タイミンチクが刈り払われた旧東慶寺仏殿の向かって左側斜面は、ドクダミの群落となり、タイミンチクの新枝や筍の出芽による藪の再生は見られなかった。
• このことから、一定以上の広さで人為的な竹藪の皆伐や刈り取りで植生が撹乱されると、地下茎は広がっていても竹藪が分断されてしまうことが推測できた。
• 今年は、園前の駐車場の周りにあるタイミンチクで広範囲に花穂と開花が見られた。昨年も波板小屋脇で確認されたが、今年はより広範囲に多数の花が確認できた。駐車場脇のタイミンチクの竹藪は株が若く小さめで揃っていることから、三溪園のタイミンチク植生の最辺縁部の一つと考えられる。
• 園入口左手のトイレ横にもタイミンチクの大株がある。羽田さんの記憶では、三溪園で勤め始められた頃にはすでに大きな株があったとのこと。昨年の観察では、
1)旧矢箆原住宅の裏を尾根伝いにタイミンチクが広がり、入り口トイレ付近や駐車場を取り囲むように竹藪となり開花が及んできているのか(これから咲くのか?)、
2)入り口付近の異なる株が栽植されてこれから咲くのか?」新と2つの仮説を立てたが、上記の旧東慶寺仏殿の向かって左側斜面の刈り取り後の様相から推察すると、1)の広いエリアにタイミンチくが広がり、その後タイミンチクの竹藪分断されたことを想起させる。一方で、トイレ横の大株には開花の兆候が見られないので2)の可能性も否めない。トイレ横の株は駐車場側にも筍を伸ばし、カビが広がりつつある。今後も継続的観察をつづけたい。

 今回の調査地点と開花状況を坂さんが地図に落としてくれたので、以下に転載する。

タイミンチクの生育分布と開花観察地点図
  タイミンチクの生育分布と開花観察地点図(クリックして拡大)

コロナ禍の横浜開港記念式典(2021年)

  横浜市は1859年の開港を記念して、毎年6月2日に式典を行っており、今年は開港162周年にあたる。昨年(2020年)は、新型コロナウィルス防止の緊急事態宣言により、みなとみらいホールで開催予定の式典が中止された。今年の会場は、<みなとみらいホール>が改修工事中のため、改修工事を終えたばかりの<関内ホール>(中区住吉町、馬車道に面す)である。

 14時から第1部の記念式典、15時から第2部の記念コンサート。A3の3つ折りリーフレットにプログラム、出演者プロフィール、「横浜開港の歴史」、」「横浜市歌」が記されている。

 開演にあたり、司会者の「先人への感謝の式典」を始めます、の声に一同起立して横浜市歌を聴き、心の中で静かに口ずさむ。ふだんは斉唱するが今年は新型コロナウィルス感染防止のため歌うことができない。

 主催者を代表する林文子市長は式辞で、「先人への感謝」とともに、「歴史に思いを馳せ…」、乗り越えてきた横浜のいわゆる<五十苦>(①関東大震災(1923年)、②昭和初期の経済恐慌、③空襲、④戦後の連合軍による接収、⑤経済の急成長に伴う人口爆発)に触れ、「厳しい状況にあっても未来に向けた挑戦を諦めない」と述べた。

 ついで市の新型コロナ対策と経済活性化の取り組みに理解を求め、横浜港での徹底した感染対策によって「国内クルーズ船の受け入れを進め、必ず横浜のにぎわいを取り戻す」とし、また南本牧のコンテナターミナルにクルーズ船7隻の同時着岸についても言及。そして<ダンス・ダンス・ダンス アット ヨコハマ>(8月28日~10月17日)や2027年開催予定の<花の万博>(国際園芸博覧会)に触れ、文化・芸術・観光への支援を強調、コロナ克服後の先を示した。
 横浜市会を代表して清水富雄議長が挨拶、開港記念日は市民の<宝物>であり、<同じ思い>で市民の心が一つになる日と熱く語る。

 来賓の黒岩祐治知事は、クルーズ船<ダイヤモンド・プリンセス号>で集団感染が発生して以降、県と市が連携して新型コロナ対策に取り組んできたことを振り返り、「この(新型コロナとの)闘いに負けるわけにはいかない。ワクチン接種も市と一体となって全力をあげている」と述べた。
  
 来賓の上野孝横浜商工会議所会頭は、父方の曽祖父が松山藩の人で<神奈川台場>の建造に携わり、母方の曽祖父の出身は会津、明治維新のときは若すぎることを理由に江戸へ送られ、米シアトルの日本郵船に就職……と一族の歴史を伝えつつ、4代の伝記で語ることができる<若い都市横浜>の歴史を彷彿とさせた。

 第2部の記念コンサートは、森麻季さんのソプラノ、山岸茂人さんのピアノ、それに長原幸太さん(第1ヴァイオリン)、對馬哲男さん(第2ヴァイオリン)、鈴木康浩さん(ヴィオラ)、木村隆哉さん(チェロ)、瀬泰幸さん(コントラバス)の弦楽五重奏。曲目はバッハ/グノー:アヴェ・マリア、マスカーニ:アヴェ・マリア等の9曲。美しい音色と、心を打つ深い音楽性を堪能した。

 同じ日、市内各地で<横浜開港祭>のイベントが行われた。公式サイトには、各種イベントの予定と動画放送の予定が一覧されている。主な会場は、西区みなとみらい一丁目(みなとみらい地区19街区)にある<臨港パーク>。

また市内全18区で19時54分頃から1分間、(1)「賑わいの創出が激減している横浜市の全ての皆様に笑顔になっていただきたい想い」、(2)「医療従事者に向けての感謝の想い」、(3)「新型コロナウイルス収束の想い」の3つの想いを込めて、一斉に花火が打ち上げられた。

 なぜ横浜は開港記念日をこれほど盛大に祝うのか。6月2日は市立の学校(小中学校、高校、そして市立大学)を休校とし、開港記念日の意義を胸に刻む。今年の記念式典の司会者が言う「先人への感謝の式典」、市長の「歴史に思いを馳せ」、また市会議長の「開港記念日は市民の<宝物>、<同じ思い>に市民が心を一つになる日」とは何か。

 以前、本ブログの「開港記念日と横浜市歌」(2016年6月9日掲載) で幾つか重要と思われる点に言及した。
(1)横浜開港記念日の祝賀は開港50周年の1909(明治42)年に始まった。音頭を取ったのが<横浜貿易新報>(1890年創刊、神奈川新聞の前身、愛称は<横貿>)は、ア)1909年4月11日、社論「横浜市歌を作るべし」を掲げ、イ)6月1日、「開港記念祝賀会開催及び開港記念館建設に関する準備委員会」総会を開催するも、旧暦の6月2日を開港記念日とするには時機を逸しており、ウ)6月10日の同紙社論「横浜デイのデモンストレーション」の中で7月1日の開港50年祭を機に「横浜市民の意気を示す」ため横浜日(デー)を毎年開くことを提案した。これが「開港記念日」の起源と言える。
(2)横浜市歌は6月17日の<横貿>紙に発表された。日本で初めての市歌である。市が森林太郎(鴎外)と南能衛(よしえ、東京音楽学校、東京芸大の前身)に依頼、南の曲に鴎外が詞を乗せた。制定から112年になる現在も、横浜市立の学校の入学式や卒業式、また市の賀詞交換会等で歌われており、開港を契機に小さな横浜村が成長して大都市横浜となった誇りを今に受け継いでいる。なお大阪市の市歌は12年後の1921(大正10)年、中之島の市庁舎建設を機に公募、選考には鴎外、幸田露伴ら5名が当たり、堀沢周安の詞が入選、作曲は中田章(東京音楽学校)。東京市歌は17年後の1926(大正15)年に制定、高田耕甫作詞、山田耕作作曲である。

 本稿では、1909年の開港50周年記念日の開催にいたる準備過程と、紆余曲折を経て実現した初めての開港記念日と横浜市歌を振り返り、ここに新しい伝統が生まれたことを特記したい。拙稿「挿絵が語る開港横浜」(2008年4月5日号から計70回、神奈川新聞に連載)からの抜粋ならびに、主に<横貿>の「開港五十年祭記念号」に1909(明治42)年7月1日から5日まで掲載された<開港五十年史>に関する記事を用いる。これは毎年の特徴的な事件と事象を挿絵入りの<一年一話>で描いたものである。

 <横貿>紙面には、企業や個人の広告掲載(一面広告も)があり、不況下にもかかわらず祭典への熱気と興奮がうかがわれる。7月1日の一面トップの社論は「黄金港生(うま)れて開港五十年の盛事(せいじ)を見(み)る、快心此の上のものあるべからず」と始める。なお神奈川は金川とも書かれたが、その港を金港と呼び、今は黄金港である。漢数字と振りがなを多用し、強調する言葉は大きな活字で組む。

 「曾(か)つて地図を存せざりし横浜市の今日(こんにち)の如(ごと)き盛市(せいし)となりて、青海原(あおうなばら)に双(なら)びなき我が日本(ひのもと)の大(おお)みなととなれるに愕(おどろ)かずんばあるべからず。顧(かえり)みれば百有(いう)一戸(こ)の横(よこ)濱(はま)村(むら)は五十年(ねん)前(ぜん)の昔(むかし)に存在(そんざい)せしも、七万戸(こ)以上(いじょう)の横(よこ)濱(はま)市(し)は今日(こんにち)に於(おい)て之(これ)を見(み)るのみ。・・・世界(せかい)の富(とみ)を我(わ)が日本(ひのもと)に集(あつ)むる門戸(もんこ)として、横浜(よこはま)の高(たか)く中外(ちゅうがい)に立(た)つ所以(ゆえん)のものを思(おも)へば、その開港(かいこう)五十年の盛事(せいじ)はただに我が横浜市民の歓(かん)欣喜(きんき)躍(やく)すべき所(ところ)のものたらずして、全帝国(ぜんていこく)の人(ひと)と偕(とも)に万歳の声を揚(あ)げてその慶(けい)を共(とも)にすべきことならずや。」

 こうして、横浜開港の喜びは全国の喜びと高らかに宣言する。つづけて「その昔(むか)し彼(ぺる)理(り)提督(ていとく)の此(ここ)を訪(と)ひしに基(もとづ)く。・・・黄金港の今日の盛典を寿ぐ(ことほぐ)に方(あた)りて彼(ぺる)理(り)提督(ていとく)とその令孫との肖像を掲げて祝意を共にする所あらんことを幸(ねが)ふものなり」。ペリー提督こそ横浜開港の恩人として、ペリーの写真を三段抜きで大きく掲載、その右上に孫のロージャース少将、左下に同じく孫のジョン・ホーンスを配した。

 社論につづけて、祭典のイベントの一つ、二十一偉人の投票結果が掲載される。開港横浜に寄与した人物の人気投票で、投票手順や締切日時などは5月11日の「社告」で「偉人二十一人挙定方法」として提案されていた。相当数の投票があり、「邦人」は28万1500票以上、「外人」は13万1500票以上を当選者とした。

 そのうち故人は6名。原善三郎(1827~1899年)、早矢仕(はやし)有的(ゆうてき)(1837~1901年)、大濱忠三郎(1841~1897年)、若尾幾造(初代、1839~1896年)、茂木保(やす)平(へい)(初代、1827~1894年)、ジェー・ウオルター(1847~1909年、英人生糸貿易商、居留地消防隊総監)。各人の出身地は様々、全国から横浜をめざし、新生都市横浜を築き上げたことが分かる。

 原善三郎は埼玉県生まれの生糸売込商、1889年に横浜に市政が施行されると初代の市会議長となり、横浜商業会議所初代会頭(1895~1897年)をつとめた。早矢仕(はやし)有的(ゆうてき)は岐阜県生まれ、福沢諭吉門下生の四天王の一人、医業のかたわら洋品店(丸善の前身)を経営した。大濱忠三郎は長野県生まれの洋糸織物引取商。若尾幾造は山梨県生まれの生糸売込商。茂木保(やす)平(へい)は愛知県生まれ、茂木惣(そう)兵衛(べい)の生糸売込商・野沢屋を継承した。彼らは輸出首位の生糸売込みのほか、製糸工場の経営や保険業・金融業・倉庫業などへ幅広く事業を展開してゆく開港横浜の<第一世代>である。文政、天保、弘化、嘉永に生まれており、平均して1832(天保三)年生まれ。天保は1830年から1843年の14年間と比較的長いため、天保生まれが明治前半を支えた<第一世代>と言われる。

 他の日本人13名は、石川徳右衛門(1840年生まれ、横浜村の名主)、大谷嘉兵衛(1844年三重県生まれ、製茶売込商)、小野光景(みつかげ)(1844年長野県生まれ、生糸売込商)、来栖壮(そう)兵衛(べい)(1855年茨城県生まれ、築港事業)、高島嘉右衛門(1832年東京生まれ、易学、鉄道用地創生、ガス灯事業)等で、開港横浜の<第二世代>である。貿易業にとどまらず、築港、鉄道、ガス灯など都市近代化にともなう諸事業や、新聞事業を担う実業家も増える。こうした実業家を広く組織するため、1880(明治13)年、横浜商法会議所が設立された。のち1895(明治28)年に横浜商業会議所、1927(昭和2)年に横浜商工会議所と改名。当時の横浜商業会議所会頭は小野光景(第6代)、副会頭が来栖壮兵衛(小野の妹(いもうと)婿(むこ))。このコンビが1904年に「開港五十年史」刊行を決議、これが五十年祭に照準をあわせた第1の行動であった。

 1906(明治39)年12月3日、紙名を「横浜貿易新聞」から「横浜貿易新報」に替え、内容を刷新、多角経営に乗り出す。その背景には「30代半ばの(横浜開港)第三世代の握手」があることを見逃せない。すなわち原富太郎(三溪、1868年生まれ)と中村房次郎(1870年生まれ)の<握手>で(本ブログ2021年5月21 日掲載「旅情と四季のうつろい」を参照)、二人の握手をさらに前進させた人物が富田源太郎(1868年生まれ)である。

 富田は幼くして父を亡くし、和洋の文化の通人として知られる叔父の富田利三郎(1867年のパリ万博事務長)に育てられ、横浜商法学校(Y校の前身)の一期生で中村房次郎と同期、のち貿易商。第八回総選挙では島田三郎を推した若手商人の一人である。17歳で「英和商売用会話」を刊行するなど、英語、貿易、為替などに通じ、さらに英文版「外国人用日本語ハンドブック」や「旅行者外国人用ガイドブック 横浜・東京・鎌倉」などを出版していた。同期の中村の引きで、総選挙の翌年の1904(明治37)年5月1日、富田が主筆となる。主筆就任の日の巻頭で、富田は熱く説く。貿易記事を主とする実業新聞こそ、実益に趣味の記事を加え「公正健全なる市民県民の世論を代表」して発言すべし、と。

 この<横貿>の多角経営の特徴は以下の5点。第1が三色刷り輪転機の導入(1907年10月)、新しい活字の採用、7段から8段への組み換え、情報量(活字数)の3割増である。第2が人材登用による絵画部や広告意匠部の創設。第3が挿絵の登場。写真は技術的に未熟な面があり、表面の粗い新聞紙では鮮明に出ない。それを挿絵が補った。俳画や風俗画に紙面がなごむ。連載小説にも挿絵は切り離せない。開港横浜は女子教育が盛んな土地で、識字率が高く、女性読者も多かった。第4が初の女性記者の登用(1904年入社)。(伊藤)せん子の名で取材記事や日露戦争の「銃後」を守る記事を書き、やがて小説にも筆を執った。のち20年にわたり<横貿>で社会評論に健筆をふるった歌人、与謝野晶子を想起させる。第5が不動産の斡旋業務、商品売り込み広告などへの展開。横浜鉄道(現在のJR横浜線)の開通により販路をひろげるとともに、社に代理部を置き、沿線の別荘地・園芸用地・工場用地などの売買斡旋を積極的にすすめる。広告意匠部は酒・醤油・石鹸・肥料・自転車の「五大商品」の広告に読者の人気投票を行った。

 翌1907(明治40)年1月12日、「開港五十年」という社論を発表する。開港五十年祭の提言と促進である。これを受けて、三橋市長が市の政財界に呼びかけた。「開港五十年祭」協議会が開かれ、準備委員会も発足する。<横貿>は、市庁舎の新築、横浜会館の営造、商業図書館の新設、偉人(功労者)の顕彰など、次々と企画を打ち出す。しかし思うようには進まず、日露戦争(1904~05年)後の不況のあおりで頓挫した。再開されるのは2年後、五十年祭を目前にした1909年春からである。

 この空白の2年間にも、<横貿>は着々と事業を進めていた。横浜の歴史に関する<生きた記録>二つの連載を地道につづけ、世論を喚起する。第1が同紙の記者による「開港側面史」で、1907(明治40)年11月24日に始まる。横浜商業会議所が編纂中の『横浜開港五十年史』を正史とすれば、こちらは記者が古老から聞き書きした記録集であり、地誌、外交史、文明史、風俗史を網羅、「これこそ生きた歴史の蓄音器」と自負した。この連載は1909年7月1日に単行本となった。第2の連載が川本三郎「開港五十年史料‐横浜商業会議所に於いて」である。「開港側面史」より約半年後の1908(明治41)年5月2日から始まった。こちらは取材記事ではなく、全国に残る史料を渉猟し、横浜に焦点を絞って編集した史料集である。これも単行本、『横浜開港小史』(警眼社)として刊行された。

 開港五十年祭を目前にした5月26日、「横貿」紙に肥(こえ)塚(づか)龍(りょう)の『横浜開港五十年史』が広告される。上巻が940㌻、下巻が1250㌻、計2190㌻の大著である。5年前に横浜商業会議所(会頭が小野光景(みつかげ)、副会頭が来栖壮(そう)兵衛(べい))が五十年史刊行を決議、臨時調査費を組み、編集主任に肥塚、補助員に川本三郎を当てたが、本書はその5年間の成果である。本書はまた改進党系「正義派」グループの政治家・ジャーナリストによる、成熟期の産物と言うことができる。冒頭に大隈重信と島田三郎の「序」が置かれ、政治家としての肥塚の系譜を示している。

 本書は肥塚と川本との共同執筆と見て良い。開港に至る日米外交や開港後の居留地警備などに関しては、川本三郎「開港五十年史料」に詳しい(のち『横浜開港小史』(1909年)。川本はまた横浜商業会議所が主催する横浜開港記念史料展覧会の責任者でもあり、全国の博物館・資料館などから800点の出品を得て、横浜開港五十年記念会場の華やかさに内実を添えた。

 富田主筆の<横貿>、富田がかつて秘書として仕えた小野光景の横浜商業会議所、そして第五代市長・三橋(みつはし)信方(のぶかた)と市議会、彼らの熱意が一体となり、開港五十年祭の形が見えてきた。<横貿>は、富田主筆を中心として、次第に世論形成の先導役を担っていく。

 まず富田主筆が1909(明治42)年5月3日の<横貿>社論「金利の高低より観たる開港五十年祭」を発表する。端午の節句を前に、挿絵は元気な童子である。社論は、計画が進まない理由は「大不景気のためというが、不景気のなかにも考え方がある」として、近く横浜市が海外で七百万円の水道公債を募集する計画に触れる。いまはイングランド銀行の公定利率は二分五厘と低い。二年前は好況のため最低でも四分、最高で七分であった。したがって今年の起債は有利であり、年利五分で外債を発行しても年に十四万円の利ざやが出るはず、したがって「不景気のなかにも自ずと慰めるべきものあり」とする。つづけて「不景気ゆえに開港記念館の建設費わずか数十万円が出せないとするのは、不景気の難面(なんめん)のみをみて、その善面(ぜんめん)を視ず、不景気の差引勘定を理解しておらぬ者の見解」と手厳しい。2年前に発足した「開港記念祝賀会開催及び開港記念館建設に関する準備委員会」(委員長は三橋市長)の休眠状態を批判、市民の税金の適切な使い方としても開港記念館の建設を優先させるべき、と説いた。

 この強い口調の社論を受けて、6月1日、休眠中の準備委員会総会が開かれた。当時すでに陽暦であったが、開港は陰暦の安政六年六月二日、陽暦の1859年7月1日である。これだけ遅れれば、「六月二日」開催は当然に不可能であり、陽暦の7月1日の開催がぎりぎりの時点である。その4日後の社論「五十年祭の花 五十年祭の実」では、「横浜の五十年祭はたんに横浜市民の祭事(さいじ)にとどまらず、開国五十年の祭事として、横浜市民は日本国民を代表して祝意を表する地位にある」、祭事の成否は内外の注目の的と強調する。

 1909(明治42)年7月1日(木曜日)、いよいよ開港五十年祭祝賀会に至る。午前10時、横浜開港記念館の地鎮祭が旧会館跡(いまの横浜開港記念会館、ジャックの塔)で祝賀会会長の三橋市長らの出席で行われ、「開港記念館建設地」と墨書した木標を建てた。岡部司法大臣、桂首相代理の坂田秘書官、大隈重信、尾崎東京市長、米英仏大使ら来賓たちは、東京から列車で横浜駅、そこから馬車で祝賀会場の税関新埋立地の五号、六号上屋(うわや)の会場へ案内された。暑い中、みなフロックコートに身を包んでいる。この施設は政府と横浜市との初の協同事業として1906(明治39)年に着工、埋立地に鉄骨上屋ができたばかりで、なお建設中であった(完成は1911年)。場所は馬車道を港の方へ進んだ万国橋の先で、のちに新港埠頭と呼ばれる。

 第七号上屋では、6月28日から一週間、『横浜開港小史』の著者、川本三郎の肝いりで、横浜商業会議所が主催する横浜開港記念史料展覧会を開催していた。出品したのは帝室博物館大学史料編纂部、理科大学、遊就館、外務省、逓信省、郵便博物館、神奈川県庁生絲試験所、井伊伯爵、戸田伯爵などで、開港五十年史に関する一級資料が並ぶ。

 午餐会に次いで2時半より祝賀会が始まる。最前列の両側には数100名の市立小学校男女生徒が着席、君が代の吹奏につづき、できたばかりの市歌を斉唱して披露した。三橋会長の式辞に始まり、桂首相の坂田秘書官、ゼラール仏大使、周布神奈川県知事の祝辞、列国を代表してホール英総領事の記念品(銀製の大皿)贈呈、ついで実業界から渋沢栄一、小野光景、そして妻木頼(より)黄(なか)(大蔵省臨時建築部長、赤レンガ倉庫や横浜正金銀行本店などの設計者)の祝辞があり、5時に閉会。

 また全市をあげて電灯・ガス灯・提灯・国旗・花笠・造花などで飾り立てた。本町通り、弁天通り、大田町、相生町、住吉町…と各町、各通りのそれぞれ、さまざまな工夫が新聞に出る。市民たちは見逃さじと見物計画を立てた。町ごとの競演は、尾上町、常盤町、南仲通り、元濱町、馬車道通り、北仲通り、港町真砂通り、山下町、弁天橋、大江橋、吉田橋とつづき、石川町、北方方面、伊勢佐木町、厳島神社、姿見町、賑(にぎわい)町(ちょう)、福島町、、羽衣町、長者町、雲井町、梅ヶ枝町、万代町、不老町、翁町、扇町、松影町、遊郭、富士見町、山田町、吉田町、野毛町、宮崎町、伊勢町、花咲町、戸部町、平沼町、高島町、橘町、桜木町とつづく。

 飾り電灯は正金銀行の1400個をはじめ、第二銀行、三井銀行の順に多く、イルミネーションは万国橋、英・独・露・米の各領事館と、太田町の富士山、元町の市章をかたどったもの、ガス灯は弁天橋、大江橋、吉田橋の花ガス灯が見ものと述べる。グランド・ホテルや外国商社が軒を連ねる海岸通りでも、玄関の前に松葉を巻いた柱を立て、その間に紐をわたして吊す紅白の提灯は、「建物の白色なるに対して甚(はなは)だ清楚に見えたり」。翌2日は連合野球大会。この2日間は税関構内の花火大会に昼夜それぞれ300発が揚がったと報じる。

 以上が、最初の横浜開港記念日(1909年)の模様である。
プロフィール

Author:加藤 祐三
日本の歴史学者

横浜 市立大学名誉教授

国指定名勝・三渓園(横浜)
前園長(2012年8月~2023年3月)

・前都留文科大学長
(2010~2014)

・元横浜市立大学長
(1998~2002)

主な著書
「イギリスとアジア」
         (1980年)
「黒船前後の世界」(1985年)
「東アジアの近代」(1985年)
「地球文明の場へ」(1992年)
「幕末外交と開国」(2012年)
蒋豊訳「黒船異変」(2014年)
蒋豊訳「東亜近代史」
         (2015年)

 など

専門
・近代アジア史
・文明史

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