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人類最強の敵=新型コロナウィルス(16)

 8月3日(月曜)午後に発表された新型コロナウィルスの感染状況は、比較的落ち着いていた。全国で959人(うち重症者87人)、東京都が258人(うち重症者15人)である。

 同日、菅官房長官は記者会見で、感染拡大に対応する新型コロナ特別措置法の早期改正を重ねて否定し、「私権の制約、休業要請の補償の在り方といった問題も必ず出てくる。検討しなければ…」と述べた。

 7月31日開催の政府分科会(尾身会長)では、<想定される4つの感染状況>が示された(本ブログ2020年8月3日掲載)。
<感染ゼロ散発段階>
<感染漸増段階=医療提供体制への負荷が蓄積>
<感染急増段階=医療提供体制に支障>
<感染爆発段階=医療提供体制が機能不全に>。

 東京や大阪などは、医療提供体制への負荷が蓄積しつつある第2段の<感染漸増段階>に当たるという認識を示した上で、「新規感染者や高齢の患者、重症者の数などの推移を注視し、状況の変化の予兆を見極めることにしたい」と述べた。

 これには数値が示されていない。<漸増>とは前日比で何%程度なのか。日ごとの変動を平均して1週間単位で比較するとすれば、前週比で何%程度なのか。また<漸増>と<急増>の区別はどこにあるか。

 この数値基準をめぐり、分科会内部でも議論があった模様である。「目安となる数値を早く示すべし」とする意見と、「数値が独り歩きをしないよう<総合的判断>の余地を残しておくべし」の意見が並立し、結論は今週中に開かれる次の分科会に先送りされた。

 3日、長崎県内で新型コロナウイルスの感染確認が相次いでいることを受け、県医師会(森崎正幸会長)と長崎大、長崎大学病院は長崎市内で共同記者会見し、
PCR検査について、無症状でも希望すれば地域のかかりつけ医などで受けられる体制を整備したと述べた。来週にも長崎市、県央から始め、県北、離島に拡大していく方針である(「長崎新聞」)。

 県医師会は保健所を管轄する県、長崎市、佐世保市と委託検査の集合契約を締結。医師会所属の医師がいる医療機関で唾液の検体を採取し、長崎大学病院で検査する。公的医療保険の適用対象で、自己負担は1000円以下の見込み。

 3者は会見で、これ以上感染が拡大すれば、救急医療や周産期医療をはじめ一般の医療にも影響が及ぶと危機感を表明。県医師会は「コロナウイルス対策再強化宣言」を出した。宣言は、若者の県外者との交流や特定の飲食店での感染が目立つと指摘。マスクの着用や手洗い、手指消毒の徹底、3密を避けるなど感染拡大防止策を呼びかける。
 
 4日(火曜)、全国の新規感染者は1239人(うち重傷者84人)、東京は309人(うち重傷者22人)。過去最多となったのは神奈川の89人と沖縄の83人。5日(水曜)、全国の新規感染者は1354人(うち重症者104人)、東京は261人(21人)である。

 政府分科会の尾身会長が緊急記者会見を行い、「高齢者への感染の拡大が心配されるため、お盆の帰省にさいしては慎重に行動してほしい」と述べた。都知事、愛知県知事、沖縄県知事たちも様々な言い方で、この「特別の夏」の「お盆の帰省を控えて」と訴える。

 やむなく帰省するなら一人一人が感染対策に気をつけてほしいと専門家たちは言う。新型コロナウィルスの特性を踏まえて、3密を避け、手洗いとマスク着用、大声を出さない…このあたりの生活の知恵は大多数がすでに身に付けたが、ついつい忘れがちになるので大酒は控えよう、と。

 5日~8日の日程で、茂木外務大臣がイギリスを訪問、日英通商協定の大筋合意を目ざす。3月の感染拡大以来、初の閣僚の外国訪問である。外務省は感染状況の悪いイギリスを渡航中止勧告の対象としており、帰国時に自宅や宿泊施設で2週間の<隔離>を義務づけているが、今回はこれを免除し、外相の次の東南アジア諸国訪問やG7サミット(米国で8月末を予定、のち11月以降に延期が決まった)への道を開き、<対面による首脳外交>の展開を進める序章としたい意向。

 6日(木曜)、75年前のこの日、広島に原爆が投下された。私は国民学校(小学校)3年生。親元を離れ、6年生と一緒に群馬県勢多郡新里村の祥雲寺学寮で集団生活をしていた。この時期の3歳差は決定的で、6年生には口でも腕力でも敵わない。ただただ寂しく辛く、父母兄弟を想い、夕暮れ時には、いっそう耐え難かった。

 6日、インドに進出する日系企業等およそ450社でつくる商工会が、インド政府の特別の許可を得て初めてチャーター便を運航、5日夜、羽田からおよそ170人を乗せて首都ニューデリーの国際空港に到着した。今年3月から、全土の空港で臨時便を除くすべての国際旅客便の発着ができず、日本からのビジネスマンがインドに赴任できないなど支障をきたしていた状況を変える。

 7日(金曜)は立秋だが、全国的に気温が上がり、東京も35.4℃(昼前)の猛暑日に突入、<感染症アラート>に加えて<熱中症アラート>(5段階中の最高警戒)が発せられた。

 熱中症による死者数と感染症の死者数の比較。厚労省「6~9月の熱中症による死亡者数」によれば、2010(平成22)年の1731人が最多、ついで2018(平成30)年の1581人である。これに対して新型コロナウィルス感染症による死者は、7日現在で1040人(+クルーズ船の13人)である。熱中症のリスクは感染症リスクに劣らず、きわめて高い。マスク着用により熱中症リスクがいっそう高まる。外出時、近くに人がいなければマスクをはずすよう厚労省は指導。

 同じ7日、政府分科会が開かれ、前述の<想定される4つの感染状況>に目安となる指標が数値で示された。感染拡大の進行段階を4つのステージに分類(名称変更)、緊急事態宣言発令の対象となる「ステージ4」については、「病床占有率2分の1以上」などの基準値を「目安」として示した。

 分科会は、現状がどのステージに当たるかを判断する際の数値基準として、次の6項目を打ち出した。(1)病床使用率(全体と重症者用)、(2)10万人あたりの療養者数、(3)PCR検査の陽性率、(4)新規感染者の報告数(1週間・10万人あたり)、(5)直近1週間とその前の1週間の感染者数の比較、(6)感染経路不明割合。

 現在は、多くの地域で感染が漸増する<ステージ2>にあるとした上で、感染が急増する<ステージ3>の数値基準を、指標(1)が25%以上、指標(2)が15人以上、指標(3)が10%、指標(4)が15人以上、指標(5)が新規感染者数の前週超え、指標(6)が50%とした。

 感染が最も進行する<ステージ4>は、爆発的な感染拡大によって医療崩壊が懸念される。指標(1)が50%以上、指標(2)が(在宅・宿泊を含む)25以上、指標(3)が10%、指標(4)が25人以上等とした。

 指標(1)については、示した数値に満たない段階でも早めの対策を行うことが望ましいとしたうえで、尾身会長は「指標の数値は目安で機械的に判断するためのものではないことを強調したい。爆発的な感染拡大に至らず、今の段階の<ステージ2>か、悪くても<ステージ3>で止められるよう、国や都道府県は早めに総合的に判断して対策をとってもらいたい」と述べた。

 8日の日経新聞朝刊は「地域に応じた対策急務 沖縄2項目<最も危険>」の見出しを付して47都道府県の状況を一覧している。沖縄県が<最も危険>とする理由として、指標(2)が37.6(<ステージ4>の数値が25)、指標(4)が30.21(<ステージ4>の数値が25)の2項目を挙げる。

 また指標(5)直近1週間とその前の1週間の感染者数の比較では、47都道府県のうち12県を除く35都道府県が基準の1を超過しており、指標(6)の感染経路不明の割合が基準の50%を超えている都道府県が16にのぼる。全体として無視できない<危険な状況>に近い。

 尾身会長は「どうなるか不安がある中で全体像を示すことが分科会の責務。…<ステージ3>以降は北風的な施策の実施が必要」と述べた。一方、西村大臣は「この指標を目安に国も地方公共団体も対策を講じていく。…あくまでも目安で、機械的に作業するのではなく総合的に判断する」と強調した。

 8日(土曜)の感染者は全国で1564人(うち重傷者140人)、東京都が429人(25人)である。過去3日間は、6日(木曜)がそれぞれ1485人(115人)と360人(23人)、7日(金曜)が1605人(うち重症者131人)と462人(23人)。ほぼ横ばいで、減る傾向にはない。神奈川の感染者が100人から128人と連続して過去最多となった。

 9日(日曜)、75年前、長崎にも原爆が投下された。

 この日の感染者は全国で1443人(うち重症者156人)、東京都が331人(23人)とやや減少したものの、全国規模で重症者が確実に増加し、入院・療養中の人も増加し、8日現在13011人である。

 重症者の過去1週間の推移を見ると、4日88人、5日104人、6日115人、7日131人、8日146人、9日156人と確実に増加している。感染者の1%前後とはいえ、重症者を受け入れる医療機関の人的・物的負担は一挙に約8倍にも跳ね上がるため、特定地域では<医療崩壊>が懸念される。

 沖縄県は感染者が159人と再び過去最多となり、前日のうちに、もっとも危険で緊急事態宣言発令の対象となる<ステージ4>に入っている。感染者の対応は県内だけで済むのか。自治体任せでは済まされない。政府の支援はどこまで進むのか。

 同じ9日、島根県松江市で新たに91人の集団感染が確認された。松江市内にある立正大淞南高校のサッカー部の学生寮で生活する男子部員80人と、自宅から通う男子部員6人、部に関係する教員2人、それに学生寮に出入りして感染が確認されている男性の濃厚接触者3人の、合わせて91人。

 その中に重症者はおらず、部員30人に発熱やのどの痛みがあり、今後40人程度が入院するとしている。松江市は10日以降、サッカー部員以外の全校生徒と教職員など、およそ200人を対象にPCR検査を行う。病床が足りなくなる恐れがある。

 医療機関におけるクラスター(集団感染)の発生も少なくない。この2ヵ月で47件確認されたと厚労省が発表。例えば鹿児島県の与論島で島唯一の与論徳洲会病院で発生した50人超のクラスターでは、島外に緊急搬送して急場を凌いだ。こうした事例を参考に、第2波への備えが不可欠である。

 家庭内感染も広まっているが、決定的な防止策がない。密着回避の徹底は難しく、まずは早期発見のためPCR検査の件数を増やすのが先決である。

 お盆の帰省期を控え、知事たちの懸命な自粛要請に応えて、帰省を控える人が少なくない。記録的な猛暑も一因と思われる。ある調査によれば、鉄道、空港の利用は例年の約3割(7割減)とのこと。

 地元タクシー会社でお盆の<お墓参り代行サービス>を始めるところが出た。地元の地理・風習等をよく知るスタッフが代行、映像記録で報告してくれる。

 この間、以下のテレビ録画を観る機会があった。(1)「証言と映像がつづる原爆投下・全記録~きのこ雲の下で何が起きたか~」(NHKスペシャル、8月6日)。(2)「“ヒロシマの声”がきこえる~生まれ変わった原爆資料館~」(NHKスペシャル(選)、7日)。(3)「スーパーネイチャー 建造力 超自然を技術に生かす~生体模倣~」(BS世界のドキュメンタリー(選) 8日)。(4)「市民のアイディアでコロナと闘う~ヨーロッパが挑むスピード変革~」(BS1スペシャル 8日)。

 10日、アメリカのアザー厚生省長官が台湾を訪問、蔡英文総統と面会し、新型コロナウィルス感染症の防止策について意見を交わした。アザー長官は台湾の優れた感染症対策を称賛、民主主義の勝利と述べたが、その背景にはWHOが中国寄りだとして脱退を表明したトランプ政権の対中政策、さらには中国海軍への牽制があると言われる。

 アメリカは、1979年の米中の国交回復に伴い、中国が主張する<一つの中国>を受け入れて台湾と断交した。米政府高官の訪問は実に41年ぶりである。これに対して中国は<核心的利益>が侵されたと反発し、<報復>措置を示唆している。

 この日、香港でも新たな動きがあった。中国共産党に批判的な香港の新聞・アップルデイリーの創業者・黎智英氏や活動家の周庭氏らが<香港国家安全維持法>違反の疑いで逮捕。そして翌日、突如として保釈された。

 10日(月曜、祝)から4日連続で東京は猛暑日(最高気温が35℃超)かつ熱帯夜(最低気温が25℃超)を記録した。熱中症の症状は新型コロナウィルス感染と似ている。医療現場は多忙を極め、病床の振り分け等に翻弄された。

 この間の全国と東京都のコロナ感染者(うち重症者)は、10日が839人(162人)と194人、11日(火曜)が700人(171人)と184人、12日(水曜)が979人(177人)と222人(24人)、13日(木曜)が1176人(203人)と206人(25人)、14日(金曜)が1334人(211人)と389人(24人)である。

 15日(土曜)、東京・北の丸公園の日本武道館で政府主催の全国戦没者追悼式が開催された。天皇が「私たちは今、新型コロナウイルス感染症の拡大により、新たな苦難に直面していますが、私たち皆が手を共に携えて、この困難な状況を乗り越え、今後とも、人々の幸せと平和を希求し続けていくことを心から願います」と述べられた。

 75年前の8月15日正午、祥雲寺の本堂に集められ、正座して<玉音放送>を聞いた。聞き取れず意味が分からなかったが、先生がワッと泣き崩れ、戦争が終わったらしいと知る。原爆投下を知るのは、さらにずっと後である。

 原水爆禁止運動は多様な形をとって現在にいたるが、私自身も<広島・アウシュビッツ平和行進>の一員として、1962年2月6日に広島を出発、神戸で乗船し横浜に寄港後に出国、香港、東南アジアを経てシンガポールで下船、以来アジア・ヨーロッパ33カ国をめぐる1年3か月、約9万キロの平和行進を行った(加藤祐三・梶村慎吾『広島・アウシュビッツ-平和行進 青年の記録』1965年 弘文堂)。

 そのスローガンを「恐怖のない、核兵器のない、新しい世紀へ、平和の時代へ進んでいこう」とし、<No more Hiroshima, never again Auschwitz>と染め抜いたバナーを掲げた。

 学生時代(正確には大学院生時代)のこの経験を、それから半世紀以上にわたる歴史研究のなかで意識的・無意識的に活かそうとしてきた。原水爆禁止について直接触れたものはないが、絶えることなく底流にある。敢えて短く言えば、後に学生たちに贈った<三訓>の一つ「セカイヲミスエ モチバデウゴカム」(世界を見据え、持ち場で動かむ)とする態度(生き方)である。

 午後、「池上彰の戦争SP 戦争+感染症=悲劇」(テレビ東京)を観た。そして日経新聞文化欄で、98歳になる瀬戸内寂聴が寄稿した「弔い合戦」を読む。「戦争は敵の姿が見えるが、コロナが相手では、空気と戦うようで手応えも得られない。…先のことがさっぱり決まらないのが、人々の不安を強調する。/敵が捕えられないから、戦争より惨めである。…」 そしてこう結ぶ。「100まで生きて、何の益があることやら。それでもえいっと自分に号令をかけ、黙々と写経の墨をすりはじめる」。

 横浜市にある日本体育大学のレスリング部でクラスターが発生、部員とOB合わせて18人の感染が確認された。奈良県にある天理大学ラグビー部でのクラスターでは24人が感染。またプロテニスの錦織圭が感染し、22日にNYで開催予定のウェスタン&サザン・オープンの出場を断念、再検査の結果を待って31日にNYで開催予定の全米オープンの参加を決めるという。

 15日(土曜)からの感染者の推移とその傾向を見ておきたい。全国の感染者が1232人(うち229人が重症者)、東京都が385人(23人)。16日(日曜)は全国の感染者が1021人(232人)、東京都が260人(25人)。17日(月曜)は全国で647人(243人)、東京都で161人(25人)。18日(火曜)は全国で918人(243人)、東京都で207人(31人)。

 沖縄県は、人口10万人あたり療養者数が64.5人で、東京の26.5人、大阪の18.6人をはるかに超えており、確保病床の使用率も68.2%と全国でいちばん高い。

 17日(月曜)、加藤厚労相は全国知事会と協議し、感染者が急増した沖縄県へ防衛省の医官・看護官を派遣する準備を進めており、保健師については他の都道府県にも派遣を要請する方針、またECMOnet(日本呼吸療法医学会が立ち上げた団体)と協議を進め、患者の県外移送についても防衛省と検討を開始したことを明らかにした。

 この間に観たテレビ録画を、通番を付して一覧する。(5)「市民が見た世界のコロナショック 7月編」(BS1スペシャル 9日)。(6)「仕事が消えた~コロナショック最前線~」(BS1スペシャル 9日)。(7)「コロナ危機 生活崩壊を防げるか~脅かされる仕事と住まい」(BS1スペシャル 9日)。(8)「コロナ危機 未来の選択~ナオミ・クライン いま巨大IT企業の動きを懸念~」(BS1スペシャル 11日)。(9)「コロナ危機 未来の選択へ~マリアナ・マッカ―ト~企業家としての国家」(BS1スペシャル 12日)。(10)「コロナ危機 未来の選択~歴史学者エマニュエル・トッド グローバリゼーションを超えて」(BS1スペシャル 13日)。(11)「原子の力を解放せよ~戦争に翻弄された核物理学者たち~」(BS1スペシャル 16日)。(12)「コロナ危機 未来の選択へ~地理学者ジャレド・ダイアモンド~」(BS1スペシャル 17日再放送)。

 18日(火曜)の日経新聞に、世界主要国の4月~6月四半期のGDP前年同期比が発表された。首位が中国の3.2%、ついでベトナムの0.4%がプラスで、以下はすべてマイナスである。順に台湾が-0.6%、韓国が-3.0%、米国が-9.5%、日本が-9.9%、ドイツが-11.7%、……英国が-21.7%、スペインが-22.1%。

 これは感染抑制のための行動制限の実施に伴う人出の増減とほぼ連動している。とくにGDPに占める観光の割合が高い国々(メキシコが15%超、スペインが14%超)で顕著に見られる。そして何よりも感染の早期抑制の成果が4~6月期のGDP前年比に現われていることが分かる。言い換えれば、これから変化する可能性が高く、日米欧7ヵ国(G7)は7~9月期にプラスに転じると見るエコノミストが多いという。

 全国の重症者は確実に増えており、本稿冒頭にある通り、8月3日に87人だったが、約2週間後の18日に243人と約3倍になった。これについて濱田篤郎教授(東京医科大学)は「感染者の数は、ここ最近は横ばいだが、感染者の数が増えてから少し遅れて重症になる人が増えてくるため、今後もしばらく注意が必要。…今月から少しずつ高齢者の割合が増えるなど状況が変わってきた。…高齢の感染者が増えると重症者の数は増え、医療現場の逼迫を招きかねない。…」と指摘する。

 感染症と熱中症の二つの症状が重なり、病院への搬送者が増える現実を見つつ、ふと思った。新型コロナウィルスは冬の低温乾燥期に感染力を強めると言われてきた(依然として疑問が残る)が、この高温多湿の猛暑日・熱帯夜でも衰えを見せない。低温乾燥期に入ると、感染者は一挙に膨れ上がるのではないか。

 「転ばぬ先の杖」というが、政府が率先して手を打つことができるか。医療体制の強化、ワクチン開発と配分、持続可能な経済開発の将来像、どれ一つをとっても世界の指導者の資質とリーダーシップが問われる。

 これは戦争の決着ではなく、新型コロナウィルスという世界同時多発の共通危機を克服する<競争と協調>である。取り残された国があれば、そこを発生源として再び感染が世界を席巻しかねない。一歩抜け出した国が、その秘策を他国と分かち合えるか、世界初の試練が待っている。

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【38】連載(完)「日米和親条約への道」

 5年ほど前、このブログで【1】「新たな回顧(「我が歴史研究の歩み」1)」(2015年6月30日掲載)を書き始め、以来、【37】「連載(七)経験と風説」(2019年2月26日掲載)まで進めてきたが、ここで中断、一年半近くが経った。

 連載を始めた狙いは、①課題の着想から論文・著書の執筆に至る過程を示すこと、②掲載から時間を経て見えてくる批判点や反省点を示すこと、③時代の変遷が歴史研究に及ぼす影響について雑感を述べること、あたりにあった。いまもそれは変わらない。

 この連載の中にさらに小連載「黒船前後の世界」がある。これは『思想』誌(岩波書店)に連載した8回を振り返ったもの、この小連載の最終回がこのブログ【38】連載(完)「日米和親条約への道」である。いわば36年前の同誌1984年7月号に掲載した論文に関する<回顧と展望>である。

 原稿はA4版の400字詰縦書き原稿用紙に柔らかい4B鉛筆で書いてきたが、ついに右手が悲鳴をあげた。医者は執筆かテニスのどちらかを選べと言う。

 待望のポータブルワープロを導入したのは、忘れもしない1984年8月である。これで筆圧が10本指に分散され、新たにピアノを弾くような快感が加わった。もっとも記憶媒体の開発が遅れて、すべての原稿をワープロ処理するにはしばらく時間が必要だった。テニスも再開した。

 以来、ワープロをパソコンにつなげて今日まで36年になる。この「日米和親条約への道」は1984年の5月ころの執筆、手書き時代の思い出深い作品である。

 連載の最終回のため、まず1節で過去7回分のタイトルと要約を掲げた。それをさらに要約して主な論点を再録する。

 (一)「ペリー艦隊の来航」⇒1853年、ペリー艦隊が浦賀沖に来航、その日米の最初の出会いで、浦賀奉行所のオランダ通詞が”I can speak Dutch”と英語で呼びかけたことから、日米の接触がオランダ語を介し、対話で始まったことの重要性を指摘。
 (二)「ペリー派遣の背景」⇒従来の研究が示す経済史的な説明に代わり、漂着するアメリカ人(その大半は捕鯨船の乗組員)の保護、言い換えれば米海軍が担っていた<外交法権>の脈絡で考える観点を提示した。
 (三)「ペリー周辺の人びと」⇒ペリー派遣は国務省(外務省)ではなく、海軍省所管の東インド艦隊の業務に<外交任務>を付加する方式で行われた。中国海域に到着後は国務省所管のマーシャル弁務官と海軍省所管のペリー提督(司令長官)との意見が対立、ペリーは独自の<裁量権>を行使する。
 (四)「東アジアにおける英米の存在」⇒<超大国>イギリスと<新興国>アメリカの東アジアにおける存在の比較を行った。イギリスの経済・軍事・領土・通信網等の圧倒的優位のなかで、アメリカが誇れるのは、①世界最大の黒船(汽走軍艦)艦隊と②独自の<外交法権>理論であった。
 (五)「香港植民地の形成」⇒アヘン戦争(1839~42年)の結果の南京条約により、イギリスは敗者の清朝政府に対する<懲罰>として、①領土割譲(香港島、イギリス植民地となる)、②賠償金、③五港開港を課した。このうち①の香港の都市化をここで扱い、③の開港五港の代表である上海については次回の(六)で取り上げた。
もう1点、列強間の<協調>の一側面としての<最恵国待遇(条項)>(=列強のうちの1カ国が条約により獲得した権益は他の列強にも均霑されるとする国際法)を取り上げ、英清間の南京条約(1842年)と、それに<最恵国待遇>を主張してアメリカが清朝と締結した望厦条約(1844年)を比較した。<アヘン条項>について南京条約には記載がないが、望厦条約は<アヘン禁輸>を明示、これが後の日本に大きな影響を及ぼす。
 (六)「上海居留地の形成」⇒開港五港のうち最大港に発展する上海の居留地(settlement、中国語では<租界>)の建設、イギリス商人の権限の拡大(清朝政府も地元官僚も関与せず)、最大貿易品のアヘンの増大等を扱った。また2大列強たるイギリスとアメリカの<比較>と同時に、<最恵国待遇(条項)>に代表される両者の<関係>についても言及した。具体的には、①植民地と居留地との関係、②日本の開国はなぜイギリスではなくアメリカとの間でなされたのか、③開国に向けて幕府は対外政策をどう形成し実現したか。
 (七)「経験と風説-モリソン号事件とアヘン戦争情報」⇒前稿の最後の③をめぐる問題を扱う。モリソン号打払い事件(1837年)の<経験>、長崎に入るアヘン戦争情報(1839年~)という<風説>、これらを考えあわせ、異国船無二念打払い令=文政令(1825年)を撤回し天保薪水令(1842年)の発布に至る過程を追う。

 いよいよ2節から本論に入り、10節までつづく。

 2節では、前稿(七)の記述は天保薪水令(1842年)の発布までであり、そこからペリー来航(1853年7月と翌年2月~)までの10余年に起きた変化に注目すべきこととして、①日本の開国に関して<仲介者>に徹するとする1844年のオランダ国王国書の意図、②英清南京条約(1842年)と米清望厦条約(1844年)の関係、すなわち<最恵国待遇(条項)>理論の2点を挙げる。

 ついで長崎港へ入港した外国軍艦の名称と船籍を挙げ、当時の列強5ヵ国(入港順にイギリス、オランダ、フランス、アメリカ、ロシア)のすべてが来航していることを示したうえで、ペリー艦隊が長崎を避け江戸湾へ直行した背景を示す。ペリーは精度の高いオランダ情報を活用しつつ、オランダの<仲介者>としての役割は忌避した。

 3節は、オランダの日本情報について述べる。オランダは世界で唯一、日本に商館を置き、長崎の出島でモノの交流(=貿易)と文化交流(商館員と幕府のオランダ通詞や民間の蘭学者等との間で)を担っていた。商館長の<江戸参府>等により蓄積された日本情報は、日本との国交樹立を求める諸外国にとって、きわめて貴重な資料となった。

 一方、アメリカ人宣教師たちを中心として中国の広東で編集・刊行された『チャイニーズ・レポジトリー』誌(1831~51年)がある。本誌は誌名が示すように主な対象は中国であるが、ここに日本が初めて登場するのは1833年1月号で、もっぱら長崎在留オランダ人から得た情報である。

 日本情報を初めて本誌に紹介したブリッジマン(のちに1844年の米清望厦条約の通訳官)は、商館員で医師のシーボルトによるドイツ語の著書『日本 Nippon』を取り上げた。本書は分冊形式で刊行された全20冊。最初の刊行は1832年、最終分冊の刊行が1852年で、その英訳版(抄訳)の刊行は1841年、1845年、1853年である。

 シーボルト『日本』の冒頭に次のようにある。「日本は1543年、ポルトガル人によって偶然に発見された。その時、日本はすでに2203年の歴史を持ち、106代にわたる、ほとんど断絶のない統治者の家系のもとで、一大強国になっていた」。この一文は、蘭学者・美馬順三のオランダ語論文「日本古代史考」(主に『日本書紀』のオランダ語訳)からの引用である。

 4節では①オランダ情報の提供源は誰か、②日本開国を企図するアメリカにとってオランダという<第三者>の情報の持つ意味は何か、と問題を立てたうえで、美馬順三の果たした役割について、蘭訳した日本文献と交換に、西洋の医学知識を得た等々を述べる。

 日本開国に動く米英人にとって自らが収集編集した『チャイニーズ・レポジトリー』誌とは異なり、オランダ情報は<間接情報>であるがゆえに<客観性>があるとしたが、ここはもう少し踏み込みたかった。

 5節は、アメリカが『日本』等のオランダ情報の英訳版を通じて「日本が高い文明の段階に達している」(ブリッジマンの表現)と理解したとすれば、これを対日外交の具体的政策にどう反映させたか。この問題を次の4つの側面から論じる。①日本は中国を中心とする<冊封体制>の一環(=朝貢国)であるか、②個人の<人権>は認められているか、③日本との貿易の可能性はあるか、④日本はどのような対外政策を持っているか。

 この段階では、アメリカは宣教師集団が論陣を張るだけで、外交はイギリスが主導的位置にあった。ここではイギリスの現地機関(1834年に発足した貿易監督官、アヘン戦争後の1843年に発足する香港総督)に中国語通訳官として勤めたM・マーチンとギュツラフ(出身はドイツ)の二人に注目する。

 とくにギュツラフ「所見-シャム・アンナン(コーチシナ)・朝鮮および日本との通商条約締結に関する覚書」(1845年、香港総督デービスへの上奏文、イギリス公文書館所蔵)を分析する。清朝中国とは異なり、これら4ヵ国との条約交渉は、大規模な軍艦派遣をせずとも<安い経費>で可能であるとギュツラフは述べ、とりわけ日本は交渉に応じる可能性が高く、対日<和平方式>を採用すべきと主張した。

 6節でさらに「ギュツラフ所見」の分析を進める。この所見は「南京条約のこれらの諸国におよぼす影響」と「これらの諸国への使節派遣」の2部構成。そこから①「アヘン戦争に勝利したイギリスは強力な敵であると意識させている今こそ使節派遣の好機」とする論点を引き出し、②これら4ヵ国のうち日本がいちばん貿易への期待が大きいとして鎖国以前の情報を用い、「日本人はアジアの誇る、もっとも進取の気性に富んだ航海者であり、貿易商人であった」とする。

 さらに交易の主な港として、大坂、江戸、薩摩、仙台か加賀の4港を挙げ、「…日本がシャム・アンナン・朝鮮と異なるところは、文明化されており、我国の商品を消費する…」と述べる。

 ところがギュツラフ所見はイギリス本国では、いわば凍結され、政府も議会も動かず、イギリス海軍も中国海域から大幅に引き上げた。代わりに増強されたアメリカ艦隊とフランス艦隊が勢力を伸ばすなかで、アメリカ人宣教師グループがギュツラフらの見解を継承する。

 7節はシーボルト『日本』を参考にして日本を目ざしたペリーと、その最終報告書『ペリー提督日本遠征記』の共通面を分析する。その序言でペリーは「…きわめて長い歴史をもつ文明国・日本を開国させ、初めて商業国に仲間入りさせる仕事は、もっとも若き国・アメリカ合衆国に残されていた。…」と記す。

 ついでペリー派遣に関するコンラッド国務長官からケネディ海軍長官への書簡(1852年11月5日)等を分析し、1826年のハワイとの条約、1832年のシャム・マスカット条約、1844年の望厦条約と継承されるアメリカのアジア外交の系譜として、①外交法権(アメリカ人の生命・財産の保護)、②交渉による条約締結(戦争からの中立)、③アヘン禁輸の主張、の3点を引き出す。

 8節は1854年3月の横浜村(現在の大桟橋の付け根から神奈川県庁舎のあたり)における日米条約交渉の条項等の分析である。ただ、白熱する交渉過程、林大学頭とペリーの対話と駆け引き、双方のオランダ語通訳の能力差については触れていない。

 ペリーは日米交渉にあたり米清望厦条約をモデルとする条約草案を準備していた(24ヵ条の漢文版)。その理由は、①アメリカがアジアの国と結んだ直近の条約であること、②法律家カッシングを全権とし、高い評価を得ていること、③<正文>が英語と漢文から成ること、の3点である。

 ところが幕府側(全権は林大学頭復斉)は一覧しただけで取り上げなかった。代わりに7ヵ条の草案を渡すが、これにはペリー側が返答しなかった。ここ8節では詳細な交渉過程にかんする記述が少ない。

 9節では、前年の1983年に発表した拙稿「幕末開国考」から重要と思われる点を再掲しつつ、従来のアメリカ外交の基本の一つに<アヘン禁輸>があることを資料集から詳細に分析する。それ自体は有意義であったと思うが、ここに枚数を割きすぎたため、全体のバランスを欠いた。

 これまでのアメリカ外交の延長上に、ペリーが幕府に示した条約草案第3条の<アヘン禁輸>条項を取り上げた。しかし日米和親条約の内容は、1854年3月8日の横浜村応接において大枠が決まり、条約は国交樹立を中心とし、<アヘン禁輸>を含む通商条項は幕府が拒否、次の通商条約に委ねられた。

 最後の10節は、条約交渉が進む中で行われた土産物の交換(蒸気機関車と客車の4分の1モデル等々)とその意味を語り、幕府側からの贈り物も記す。このあたりから記述はさらに足早となる。

 1854年3月31日(嘉永七年三月三日)に横浜村で交換された日米和親条約(和・英・蘭・漢文の4か国語)に言及した後、この条約に<正文>がないことを考慮した幕府が提案、下田で結んだ6月17日付け<追加条約>に、今後は日本語と英語を<正文>とし、オランダ語訳を付すと初めて明記した。

 この記述を以て8回の小連載が終わる。1983年7月に書き始め、毎月の掲載だったが、第4回からは隔月となり、最終回が1年後の1984年7月号であった。読み返すと、書き足りないところ、流れの悪い個所が少なくない。

 その欠を補うのは、1年半後に刊行した著書『黒船前後の世界』(岩波書店 1985年11月)である。本連載の他に先行論文や新たに書き下ろした論考をも合わせて作り上げた。

人類最強の敵=新型コロナウィルス(15)

 前回(200720掲載「人類最強の敵=新型コロナウィルス(14)」)では未確認だった菅官房長官の7月19日フジテレビでの発言が、20日の日経新聞に掲載された。

 その要点は、(1)ホストクラブなど接待を伴う飲食店へ風営法に基づく立ち入り検査を進める、(2)検査と併せて感染防止策を確認する取り組みを念頭に「警察が足を踏み入れる形で厳しくやっていく」、(3)知事たちから法整備を求める意見があり、現行の<新型インフルエンザ等対策特別措置法(2012年)>の改正を視野に入れ、その時には休業要請に応じた事業者への補償が「最終的には必要」、の3点である。なお(3)は「事態が安定したとき」として将来的課題とした。

 上掲の(3)の特措法改正の先送りをはじめ、政府の指導力の欠如が気になる。18日の北海道新聞(電子版)は、「国会閉会1カ月 感染再燃、GoTo方針転換…課題次々、首相語らず 記者会見なし、委員会出席せず…」として次のように報じた。

 安倍晋三首相が通常国会閉会翌日の6月18日を最後に1カ月間、記者会見せず、国会の閉会中審査にも出席していない。この間、首都圏を中心とした新型コロナウイルスの感染再拡大や政府の観光支援事業「Go To トラベル」の方針転換など大きな課題が浮上、説明責任を果たさない逃げの姿勢が浮き彫りになっている。…さらに首相は周辺に「秋の臨時国会は開きたくない」と漏らす。コロナ対策などを巡って求心力のさらなる低下がささやかれる中、できる限り説明の機会を少なくすることで野党などの追及を避けたい思惑が透ける。

 こうしたなか、ネットに各種の情報が飛び交う。なかには参考になるものもある。その一例が鳥内浩一【コロナ「大分岐」】である。その7月20日版に、要約すれば次のようにある。

 コロナの終息は、出口が「見えない」どころか「存在しない」恐れすらあり、「感染者が再び増加しないよう万全を期す」ことなどできない。感染者は増えて当たり前であり、それでもリスクは制御可能で医療崩壊は起きない、という発想に切り替えることが必要である。…
 「感染者は増えて当たり前」というのは、新型であるがゆえに誰も免疫を持たずワクチンも存在しない状況においては、人口の一定数が感染して集団免疫を持つことではじめて事態が収束する、ということからも理解しやすい。…
ワクチンの是非、ウイルスの変異性、集団免疫自体が成り立つか否かという
 議論もあるが、少なくとも現状分かっている限りにおいては、インフルエンザや風邪と同じく、コロナウイルスとは常に付き合い続けていくものという前提に立ち、ア)高齢者や慢性疾患のある「高リスク者」の方をどれだけ感染から守るか(それ以外の致命率や重症化率は極めて低い)、イ)感染速度をどの程度に抑えるか、ウ)感染者を守るための医療資源をどう確保するか、の3つを焦点にする必要があり、そのためのデータは公開情報になっている。①抗体保有者数、②感染者の年齢層・基礎疾患の有無、③現在患者数/重症者数/対策病床数、④感染者1人からの二次感染者数(基本再生産数)など。

 いつ感染するか感染させるか分からない、これを前提とし、万一感染した時にどう対処するか。無症状や軽症で終われば、一定期間の隔離により他者への感染を防止できる。問題は病院(とくに重症者のための集中治療室と医師スタッフならびに医療機器)と隔離施設(ホテル等)をいかに安定的に確保し、急拡大する感染者に提供できるかに係っている。

【7月豪雨とDMAT、DPAT】
 九州を中心とする7月豪雨の被害状況について、厚生労働省は20日、正午時点の情報をまとめた第35報を公表した。これによると、災害派遣医療チーム(DMAT)は55隊活動しているが、このうち42隊が九州で活動。活動範囲は13都府県にまたがり、最多は熊本の38隊である。また災害派遣精神医療チーム(DPAT)は熊本で2隊、東京で1隊の計3隊が活動している。

【脆弱な医療体制】
 医療体制について22日の日経新聞は「軽症者施設 23都府県不足」を掲載した。副題が示す通り、軽症者等を収容する宿泊療養施設と、国(厚労省)が<第2波>で見込む軽症・無症状者の推計値を比較すると「第2波推計、東京は逼迫」、「重症者向け」に関しては26道府県が未達である、と。

 ICU等の重症者向け病床は、厚労省の標準的推計によれば、第2波の重症者は全国で約3500人が見込まれるのに対し、現状で確保見込みの重症者向け病床は約3800床。地域別では静岡県が必要数の3分の1にとどまり、埼玉県・広島県・兵庫県等も確保数が推計重症者数の半分以下、その他26道府県も達成できていない。

 日本のPCR等の検査能力は米英の約1割に過ぎない。さらに検査実務の効率の悪さがある。医師、保健所を結ぶ感染者情報のオンライン化も進んでおらず、検査から結果を知るまで3日もかかっている。

【感染の全国的拡がり】
 新宿区の劇場で30人の新型コロナ集団感染が発生した問題で、その後も感染が拡がり、21日時点で観客や出演者ら集団感染した人は、少なくとも11都府県の115人に上ることがわかった(22日の読売新聞)。

 東京都の感染者は20日(月曜)168人、21日(火曜)237人、22日(水曜)238人であったが、全国レベルでは増加して791人と最多を記録、大阪府でも121人と最多となった(これまでは4月9日の92人)。

 この状況を受け、政府の分科会は「8月1日以降は10000人規模に緩和するとした方針を改め、現状の5000人規模を8月末まで延期する」と決めた。

 4連休の初日の23日(木曜)、東京都の感染者は一挙に366人に跳ね上がった。重症者は16人(数日前は5人)。全国レベルでは感染者が920人(前日は795人)と増加、大阪府の感染者も104人に増加えた。

 前回のブログ(2020年7月20日掲載「人類最強の敵=新型コロナウィルス(14)」)では次のように述べた。「6月25日(木曜)から約50人の1週間がつづき、7月2日(木曜)から約100人の1週間となり、さらに7月9日(木曜)から約200人の1週間と急ピッチで週単位の倍々増である。危惧された約200人が1週間つづき、その次の倍数の400人台が(23日頃に)到来するなら、感染第2波と言わざるを得なくなる」。

 23日(木曜)に368人と急増したのは、倍倍々と幾何級数的に増える400人台の幕開けなのか、それとも約200人の枠内の偶然の増加に過ぎないのか。どうやら前者のように見えて不安がよぎる。

 24日(金曜)、東京都の感染者は260人、その減少に安堵する。しかし大阪の感染者は149人と過去最多、また全国の重症者は9人増の68人である。

 感染が全国の大都市(愛知県63人、福岡県52人、埼玉県45人等)を中心に拡大していることは確かであるが、それ以上の合理的な説明は難しく、いわんや、このデータから今後を見通し、対策を立てるのはいっそう難しい。

【第2波対策と経済の両立】
 4連休初日の23日(海の日)は、折からの雨のせいか東京の人出は少なく、24日(スポーツの日)も午後から雨の予報。小池都知事が懸命に訴える「不要不急の外出は控えてください」に応えた側面も無視できないであろう。

 外電によれば、世界も同じような課題に直面している。日経新聞の25日(土曜)朝刊に「第2波対策と経済両立」の記事がある。小見出しは「独英、<小規模封鎖>機動的に 検査態勢の充実前提」。全国一律の対応ではなく、自治体に権限を与え、外出制限や施設閉鎖・イベント中止等の判断と執行を委ねようとしている。

【テレビ番組から学ぶ】
 この間、以下のテレビ録画を観る機会があった。学ぶことが多い。(1)「新型コロナウィルス 世界は科学で闘った」(NHK BS1スペシャル、6月29日)。(2)「ウィルスvs人類4 新型コロナ 免疫の謎に迫る」(NHK BS1スペシャル、7月18日)。(3)中国 武漢 ICU医師の闘い」(NHK BS1スペシャル)。(4)「ニューヨークの悲劇~”感染爆発“と闘った人々~」(NHK BS1スペシャル、7月19日)。(5)「新型コロナ挑み続ける研究者たち~東大 河岡ラボ100日の記録」(NHK BS1スペシャル、7月23日)。(6)「激動の世界をゆく 巨龍・中国が変えゆく世界 ポストコロナを迎える市民は」(NHK BS1スペシャル 7月23日)。(7)「コロナ危機を飛躍に変えるレジェンド経営者(日本電産会長・永守重信)の挑戦」(テレビ東京、7月23日)。(8)「“コロナ倒産を防げ”~下町信用金庫の二ヵ月~」(NHK BS1スペシャル、7月24日)。

【感染拡大の新たな傾向】
 東京都の感染者は23日(木曜)に368人と急増したが、翌24日(金曜)260人、25日(土曜)295人、26日(日曜)239人、27日(月曜)131人に減少、28日(火曜)266人、29日(水曜)250人。この1週間の1日あたり平均は258人で、ほぼ横ばいである。

 一方、愛知県で新たに109人が感染、初めて100人超となった。これに伴い、新型コロナウイルス感染者について「原則、医療機関に入院」の方針を転換し、軽症、無症状者の自宅療養を容認し、28日に再開した県の宿泊施設も活用するとした。

 ここで前稿(14)で述べた東京都の感染者数の平均値を週単位で整理したい。(1)6月25日(木曜)に始まる1週間は平均して1日に約57人である。

 それが(2)7月2日(木曜)に一挙に107人と3桁となったことで、驚きが拡がった。この1週間は平均して1日に約126人。

 これがまた(3)7月9日(木曜)に224人となり、この1週間は平均して1日に約190人。

 (4)7月16日(木曜)は一挙に286人に上り、この1週間は平均して1日に約243人。

 (5)7月23日(木曜)はさらに366人に跳ね上がり、幾何級数的な<爆発>を危惧したが、上掲の通り、その後はやや落ち着きを見せた。この1週間(~29日まで)を平均すると、1日に約258人。

 6月末からの5週間、東京都の感染者数の推移を見たが、同じ手法で全国の状況をまとめておきたい(<特設サイト 新型コロナウィルス>の<日本国内の感染者数(NHKまとめ)>より)。上掲に合わせて(1)~(5)の5週に分け、( )内に東京の占める比率を入れると、以下の通りである。

 (1)134人(43%)、(2)217人(58%)、(3)374(59%)、(4)605人(40%)、(5)872人(30%)。

 全国の感染者数は、ほぼ週ごとに200人ずつ増加している。東京の感染者が占める割合は前半の3週間は高いが、最近の2週間は下落傾向にある。言い換えれば、感染は東京都より全国で増加している。

【テレビ番組から学ぶ(続)】
 この間、また録画を観る機会があり、新型コロナウィルスの及ぼす影響の大きさを知ることができた。上掲につづけて通番で一覧したい。(9)「新宿ダイアリー 母の店が危機に 娘が見たコロナの日々」(NHK総合(再)、7月25日)。(10)「コロナに揺れる多国籍タウン~東京、新大久保~ 住民の40%が外国人の多国籍タウン 共生の道を探る日・韓・ネパール・ベトナムの人々の半年を追う」(NHK BS1スペシャル、7月25日)。(11)「NHK 日曜討論 新型コロナウィルス 今すべきことはなにか」(7月26日)。(12)「新型コロナ いま“第2波への備えは? ~医療現場からの警告~」(NHK BSスペシャル、7月26日)。(13)「看護師たちの闘い~東京医科歯科大学病院の120日~」(NHK BS1スペシャル、7月26日)。(14)「闘いは、始まったばかり~(奈良県立医科大学)感染症専門医・笠原敬~」(NHK総合、7月28日)。

【さらなる感染拡大】
 7月30日(木曜)、東京都の感染者はふたたび367人に跳ね上がった。週明けの月曜・火曜の検査結果が出るため、木曜の数字は多くなるが、これまでの1週間の1日平均250人前後に比べ、きわめて多い。

 夕方、都知事は臨時記者会見を開き、現在の感染状況について<感染拡大特別警報>と<特別>の2字を加え、強い危機感を示した。また会食を通じた感染が相次いでいるとし、酒を提供する都内の飲食店やカラオケ店に営業時間の短縮(晩の10時まで)を要請、応じた中小の事業者に協力金20万円を支給すると表明した。

 全国の感染者も1301人と最多である。うち顕著に多い府県は、神奈川76人、埼玉57人、千葉49人、愛知160人、大阪190人、兵庫53人、福岡121人、沖縄49人である。そして、これまで唯一感染者ゼロであった岩手県に2人の感染者が出た。

【東京都医師会の見解】
 30日夕方、東京都医師会の尾崎治夫会長が記者会見し、感染確認者が全国的に増加していることに触れ、これを収束させるには(1)法的拘束力のある休業要請を可能にする(2)研究にしか使えないPCR検査を実用化させる―ことなどを訴えた。

 それに関してコロナ対策の特別措置法などの法改正に言及。「東京都医師会から本当にお願いしたいのは、いますぐに国会を召集して、法改正の検討していただきたい。ここ何日間かの流れを見ていると、人口比で東京をはるかに上回る感染確認者が愛知、大阪、福岡、沖縄でも出ている。こうしたことを、夏休み中と言わず…是非、国会を開いて議論してもらいたい。私は今が感染拡大の最後のチャンスだと思っている」と語気を強めた。

 また休業補償とセットの法的拘束力のある休業要請を可能にするよう要望。PCR検査についても「保健所のPCR検査ではエピセンター(感染の震源地の意味で、特定地域・業種・団体等から発生する感染源)と化した地域・時期を限定して一斉にPCRを行うことは能力的に無理だろう。そこで例えば研究所や大学等のPCRを動員してしっかりやっていくことが必要。これも感染症法の改正が必要になるかも知れない…」と説明した。

 その上で、「例えば14日間くらい休業していただければ、そこでの感染は理論的には収まるはず。その間にPCRを地域の検査能力を結集して一斉に行い、…そこに感染者がどのくらいいるか、きちっと把握して対策を練ることが必要ではないか」と語った。

 折しも唾液を使うPCR全自動検査機器(千葉県にあるメーカーの製品)が8月3日から発売される。48検体を2時間で判定、輸出先の欧州ではすでに使用しているという。許認可の不思議を絵に描いたような話である。

【新たな感染状況】
 31日(金曜)、東京都の新規感染者が463人と、さらに跳ね上がった。前々日の29日(水曜)250人から前日の30日(木曜)367人へと100人ほど増え、さらに463人とまた100人ほどの増加である。

 ただ一つの朗報は重症者が昨日の22人から16人と減少したことである。医療従事者の懸命の努力により回復・退院に至った人が6人であることを意味するが、重症者用の病棟が将来も足りることを意味するものではない。


 最近の全国的傾向としては、会食に伴うクラスターや家族内・団体内のクラスターが増えている。そこで焦点を絞り、ピンポイントで地域を限定して営業時間の短縮を要請する自治体(大阪府ではミナミ)や飲食を伴う会合について人数制限(「5人以上」ないし「5,6人以上」)を要請する自治体が出てきた。

【政府分科会の指標】
 31日、政府の分科会が開かれ、尾身会長は、想定される4つの感染状況(<感染ゼロ散発段階>、<感染漸増段階=医療提供体制への負荷が蓄積>、<感染急増段階=医療提供体制に支障>、<感染爆発段階=医療提供体制が機能不全に>)のうち、東京や大阪などは医療提供体制への負荷が蓄積しつつある第2段の<感染漸増段階>に当たるという認識を示した上で、「新規感染者や高齢の患者、重症者の数などの推移を注視し、状況の変化の予兆を見極めることにしたい」と述べた。

 この日、全国の感染者も1580人と最多、前日より279人(約18%)増となった(うち重症者は87人、3週間で3倍)。感染者が顕著に多い府県は前日とほぼ同じである。( )内に前日の数を入れて一覧すると、東京472人(463人)、神奈川53人(76人)、埼玉57人(57人)、愛知193人(160人)、大阪216人(190人)、兵庫62人(53人)、福岡170人(121人)、沖縄71人(49人)。

 人口比の感染者は、沖縄が最多である。人口10万人あたりの感染者は(8月1日現在)、沖縄が首位で18.38人、ついで東京が15.72人、福岡が13.83人、大阪が13.18人、愛知が12.80人である。首都圏では12位に埼玉の4.79人、13位に千葉の4.49人、15位に神奈川の3.66人。

 沖縄は増加のスピードも速い。医療資源等を勘案すると、憂慮すべき状況にある。これを受けて玉城知事は31日夜、記者会見を開き、感染拡大を食い止めるために県内の警戒レベルを「感染流行期」に当たる第3段階に引き上げたことを明らかにしたうえで、県独自の「緊急事態宣言」を発し、8月1日から15日まで、沖縄本島全域で不要不急の外出を自粛するよう要請、また県をまたぐ移動については自粛を求め、県外からの訪問者には慎重な判断を求めた。

 玉城知事は「重大な局面を迎えていることを県民に伝え、感染拡大防止に取り組むため宣言を発出した。県内の医療機関の病床は逼迫していて、何としても医療崩壊を食い止めたい」と述べた。また那覇市内の飲食店には営業時間を短縮して午前5時から午後10時までとするほか、イベントの主催者には開催の中止か延期または規模の縮小を検討してもらい、実施にあたっては十分な感染防止対策を取るよう求めた。

 これにより、人気の観光施設・沖縄美ら海水族館を2日から8月15日まで臨時休館することとした。

【これからどうする?】
 月が替わり8月1日(土曜)、全国の感染者が1536人で、前日より44人減であるが、4日連続の1000人越えである。東京都は472人で前日より9人増えた。

 都の担当者は「472人の情報を分析すると、先月下旬の4連休(7月23~26日)に外出したり、遊びに行ったりした人が感染したという例が多くあった。今日、人数が増えた要因の一つは4連休の行動だと思う」と話す。そして、多数での長時間の飲み会や宴会、少人数であっても近い距離での会話などは避け、飲酒を伴う会食目的の外出を控えるよう呼びかけた。

 2日(日曜)、夕方8時現在、東京の感染者は292人、前日より180人減である。急減した要因は分からない。重症者は1日と変わらず15人である。全国の感染者は1326人、こちらも210人の減である。

 九州が30日、梅雨明けした。例年より3週間遅い。31日には近畿地方、8月1日に東海、関東甲信越、翌2日に北陸と東北南部の梅雨明けが発表された。

 気温が急上昇し、感染症対策のマスク装着が熱中症を加速するのではないか。豪雨、長梅雨による影響も深刻で、今後の病虫害発生や台風被害も懸念される。この先、<備えあるも憂いあり>の心構えで迎え撃つことになるだろう。
プロフィール

Author:加藤 祐三
日本の歴史学者

横浜 市立大学名誉教授

国指定名勝・三渓園(横浜)
前園長(2012年8月~2023年3月)

・前都留文科大学長
(2010~2014)

・元横浜市立大学長
(1998~2002)

主な著書
「イギリスとアジア」
         (1980年)
「黒船前後の世界」(1985年)
「東アジアの近代」(1985年)
「地球文明の場へ」(1992年)
「幕末外交と開国」(2012年)
蒋豊訳「黒船異変」(2014年)
蒋豊訳「東亜近代史」
         (2015年)

 など

専門
・近代アジア史
・文明史

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