清談会(2020夏)
清談会(せいだんかい)は横浜市立大学教員OBの小さなグループで、夏と冬の2回、議論と懇親の会を開いている。現在のメンバーは、敬称略の年齢順に穂坂正彦(医学)、私(歴史学)、丸山英氣(法学)、小島謙一(物理学)、山本勇夫(医学)、浅島誠(生物学)の計6名、全員が昭和10年代生まれである。詳細は本ブログの「清談会(2019冬)」(2019年1月6日)や「清談会の定例会」(2018年1月5載)を参照されたい。
全員が専門を異にする。共通するのは(1)専門分野にとどまらず広い知的関心を持っていること、(2)大学という学問の府をいかに自由闊達な知の展開の場にするかに情熱を持ち、(3)地域・国・人類と地球の未来に思いを馳せていること、あたりであろうか。
最初の会合は2005年12月。以来15年、今回が記念すべき30回目である。そのつど事前に話題提供者を決め、食事と酒の合間に耳を肥やし、やがて侃々諤々、時に脱線の議論へ。
今回は新型コロナウィルスのため外出自粛がつづき、予定の6月20日(土曜)の開催が危ぶまれたが、徐々に解除の方向へ進み、政府も都知事も、6月19日(金曜)以降の休業要請を全面解除すると発表していた。
偶然とはいえ、開催予定日の1日前の自粛解除である。私もそうだが、メンバーにとっても3か月半ぶりの会食・談笑の機会であったようだ。10余人座れる大きな円卓に半分の6人、部屋も大きく、換気も良い。
清談会の命名者で永年幹事の小島さんが、日程調整から場所の決定、会計までを担ってくれる。今回は前日のうちに、「明日の清談会ですが、念のため家を出る前に検温をおねがいします。37.5℃以上の方はご連絡ください。よろしくお願いいたします」とメールが来た。
2017年冬の第25回からは新しいテーマ「各専門分野の10年後を予測する」と定め、小島、穂坂、浅島、私、山本、丸山と一巡、30回目の今回からは話題提供者だけを事前に決め、テーマは本人に任せる従前のルールに戻った。トップが最年長の穂坂さんである。
配布資料によるとテーマは<死生学>。全メンバーに避けて通れぬテーマである。丁寧なA4×4ページのレジメと5ページ目の参考文献(著書)が16点、医学研究者・臨床医としての鋭い学問的アプローチである。
穂坂さんは、横浜市大で医学教育の一環として<死生学>に関心を持ち、泌尿器科の専門医、医学部長等の経験を重ねて、その後は船医として多数の患者を診てきた(2017年1月6日掲載「船医、この10年」)。こうした体験にも裏打ちされた<死生学>である。
次のように始まる。
死を意識することが自己確信を通じて「良く生きる」ことを導く。すなわち死について学ぶことにより、同時に「生きる尊さ」が再発見される。
死についての探求は、学問としても哲学や宗教学のみならず、生物学、医学、法学、工学の様々な分野で独自に行われきた。死生学は、これまでにない範疇で死を考察するものではない。むしろ、その範疇を取り去り、限定のない、あるがままの現実の死を考察するものである。
ついで先行研究をたどる学説史を、研究者別・時代別に8つ掲げる。それに付した穂坂さんの説明から一部を引用しつつ紹介したい。
(1)エリー・メチニコフ(Ilya Mechnikov)、ロシアの微生物学者、動物学者。生命科学を補完する学問としてThanatology(ギリシャ語のタナトス=死と、ロゴス=学問を結びつけた造語)を提唱、研究対象として死者のみならず、死に行く者、老い行く者の生命研究を試みる。“The Nature of Man”1903を刊行。「腸内の腐敗菌増殖が老化を促す」という仮説を立て<ヨーグルト不老長寿説>も唱えた。
(2)ロズウェル・パーク(Roswell Park)が1912年、「Thanatologyは生の本質と原因に関する確かな考察」と定義する。
(3)ジークムント・フロイト(Sigmund Freud)。オーストリアの精神医学・精神病理学者。『戦争と死に関する時評』(1915年)、『死別悲嘆の研究』(1917年)、『幻想の未来』(1927年)、『精神分析概説』(1940年)等。
(4)マザー・テレサ(Mather Teresa)。インドのコルコト(カルカッタ)に1952年、<死を待つ人の家>を設立した。
(5)ソンダース(C.M.S.Saunders)。1967年、現代ホスピスの始まりとなるSt.Cristopher’s Hospiceを設立。
(6)P・アリエス(Philippe Aries)。フランスの歴史家。『死の五つのモデル』(1977年)、成瀬駒男訳『死を前にした人間』(1990年 みすず書房)等。
① ギリシャ・ローマから12世紀頃までの<飼いならされた死>、②ルネサンス時代の<自分自身の死>、③その後の<遠くて近い死>、④18~19世紀の<他者の死>、<美化された死>、⑤死を医療従事者という他者に委ねた20世紀の<死のタブー化>。
(7)キューブラ・ロス(E.Kubler-Ross)、精神科医として牧師とともに終末期患者200名以上をインタビューし、死に行く人に関わる周囲の者の取るべき態度を考察した。”On Death and Dying”1969.(鈴木晶訳『死ぬ瞬間 死とその過程について』中公文庫 2001年)を発表。
死の5段階説=①否認、②怒り、③取引、④抑鬱、⑤受容。
(8)フランクル(V.E.Frankl)。精神医学・心理学者でフロイトの弟子。自身もアウシュビッツに収容され、<死を意識せざるを得ない人々>を描いた『夜と霧-ドイツ強制収容所の体験記録』(1947年)を発表。
これらのうち(6)P・アリエス『死の五つのモデル』は歴史のなかの<死の概念>や歴史のなかで変化する<死生観>を探る。5段階のうち⑤死を医療従事者という他者に委ねた20世紀の<死のタブー化>の現代においては、「死の瞬間あるいは死に行く過程の持続期間を、神や病、自然に任せるのではなく、医療が決定する義務を負う事態となった」と述べる。
つづけて<死の定義>の変遷に触れ、「<脳死>は社会的合理性を考慮し必要性に導かれて決定された<死の定義>である。すなわち臓器移植のための新たな<死の定義>である。それゆえ今後、再生医療等の発展により脳死の考察は不要となり、<新たな死の定義>が必要となる可能性がある」と述べる。
ついで(7)のキューブラ・ロスは、「死を語れる者は生きている人間のみである。<死に行く者><死を意識せざるを得ない者>の心理を精神医学的に語る。死に行く人がたどる<死の5段階説=①否認、②怒り、③取引、④抑鬱、⑤受容>を明らかにすることにより、周囲の者(家族や医師・看護師等)が取るべき態度を考慮した死の語りや適切なケアーが、死に行く者を成長させる」と主張する。
5段階の最後の<受容>とは、「死が避けられないという事実を率直に受け入れる態度。絶望からの諦めではなく、為すべきことは為し終えた休息の時。…<受容>の段階で得られるものは<落ち着き><安らぎ><威厳>であり、変容した価値観による新たな生の意味である。大多数の患者はこうして恐怖や絶望のない<受容>のうちに死に至る」。
さらにキューブラ・ロスは次のようにも言う。「自らの信仰によって救われる人は真の無神論者と同じくらい、ほとんどいなかった。何らかの信仰を持ちつつも、その信仰は葛藤や恐怖を取り除くには十分とは云えない」。これは意味深長である。
穂坂さんが一瞬沈黙したのを見計らって、さっそくメンバーが口を開く。「世代・宗教等で死生観は異なるのではないか」。「死の恐怖は<予告死>と<突然死>とでは違うのか」。「死生学とは医学としての関心であり、個々の死生観と同じではないと理解して良いか」…「医学の進歩(ロスの言う時代の変化)で死生観は変わると思う。<再生医療>とはパーツ(部品=一部の臓器)を新しいものと交換する医療で、オランダでは90歳以上には治療しないことにしている。…自分はピンピンコロリを望んでいたが、家内の死を体験して以来、<予告死>を望むようになった」等々。
5ページの参考文献16点のなかに異色なものが1点、梅原猛『日本人の「あの世」観』(1993年 中公文庫)である。「この本は?」と問うと、私から教えてもらったと答えた。本書は縄文時代以来の日本人に底通する死生観を描いている。簡潔に言えば<この世>と<あの世>の間の<自由往来>説で、私には強く印象に残る1冊であった。
各人各様、通底するものはありつつ、意見・見解・感想が飛び交う。そこに小島さんが切り込んだ。「穂坂先生の講話をめぐる議論は際限がない模様なので、メールで事前にお知らせしたとおり、この間の新型コロナウィルス感染の影響やら感じ方について話してほしい。お隣の山本先生から時計まわりで…」
山本さんは開口一番「去年の話題で取り上げた感染症が、これほど早く迫ってくるとは思わなかった」と言う。昨年夏の山本報告は「医療の近未来」。記憶では「治療中心から、治すだけでなく病を抱えて生きる辛さや痛みなどを癒し、看取りまでを地域全体で支える医療へ移行」という内容であった。
改めて昨年の記録(本ブログ2019年7月29日掲載「医療の近未来」)を見ると、目次に次の5項目が掲げてある。(1)医療ニーズの変化、(2)診断、(3)治療、(4)疾病構造の変化、(5)最悪のパターン。この(4)には「がん、循環器疾患、感染症の制御と克服、老化の制御、認知症の回復」が並ぶ。
山本さんによれば、医師は(2)と(3)の分野でのテクノロジーのメリットを活用し、その活用で得た時間を他の側面に力を注ぐべしとして、筆頭の「がん、循環器疾患」は治療法が確立したため除き、残る難題の「感染症の制御と克服、老化の制御、認知症の回復」に注力すべしと言う。
次が私の番である。「新型コロナウィルスの感染防止の手順と方法は国により異なることを前提として、外出自粛やロックダウンと次々に手を打ってきたが、経済の回復とのバランスが大切として世界的に規制緩和の方向へ向かい始めているが、私の見るかぎり、これからの方がはるかに難しいのではないか」。
「その一つが<水際対策>と呼ばれる国家間の移動の禁止、すなわち入国制限=<閉国>である。これは事実上の国交断絶に等しく、歴史用語の<鎖国>ではなく、史上初の世界規模にわたる<閉国>と呼ぶに相応しい。いま日本は世界111カ国からの入国禁止(<閉国>)を実施している。そして近い将来の入国制限緩和(<開国>)の対象国としてタイ、ベトナム、オーストラリア、ニュージーランドの4ヵ国が挙がっているが、相手国の合意まで紆余曲折が予想される」と述べた。
メンバーの談笑はまた拡散し、「<個人は死ぬも法人は死なず>というが、個人の死と国家・民族等の<集団の死>をどう考えるか」へ移り、はたまた世界史の教科書に引用されている<愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ>へ飛ぶ。これはドイツの宰相オットー・フォン・ビスマルク(1815年-1898年)が「愚者だけが自分の経験から学ぶと信じている。私はむしろ、最初から自分の誤りを避けるため、他人の経験から学ぶのを好む」と述べたものを、日本人好みの格言らしく改造したものである等々。<百家争鳴>ならぬ<六家争鳴>!。
3時間が瞬時に過ぎ去る。<新型コロナウィルス>に関する発言は私の番でお開きの時間となった。恒例の集合写真を撮る。<生と死>を見据えつつ、また元気で再会したい。
全員が専門を異にする。共通するのは(1)専門分野にとどまらず広い知的関心を持っていること、(2)大学という学問の府をいかに自由闊達な知の展開の場にするかに情熱を持ち、(3)地域・国・人類と地球の未来に思いを馳せていること、あたりであろうか。
最初の会合は2005年12月。以来15年、今回が記念すべき30回目である。そのつど事前に話題提供者を決め、食事と酒の合間に耳を肥やし、やがて侃々諤々、時に脱線の議論へ。
今回は新型コロナウィルスのため外出自粛がつづき、予定の6月20日(土曜)の開催が危ぶまれたが、徐々に解除の方向へ進み、政府も都知事も、6月19日(金曜)以降の休業要請を全面解除すると発表していた。
偶然とはいえ、開催予定日の1日前の自粛解除である。私もそうだが、メンバーにとっても3か月半ぶりの会食・談笑の機会であったようだ。10余人座れる大きな円卓に半分の6人、部屋も大きく、換気も良い。
清談会の命名者で永年幹事の小島さんが、日程調整から場所の決定、会計までを担ってくれる。今回は前日のうちに、「明日の清談会ですが、念のため家を出る前に検温をおねがいします。37.5℃以上の方はご連絡ください。よろしくお願いいたします」とメールが来た。
2017年冬の第25回からは新しいテーマ「各専門分野の10年後を予測する」と定め、小島、穂坂、浅島、私、山本、丸山と一巡、30回目の今回からは話題提供者だけを事前に決め、テーマは本人に任せる従前のルールに戻った。トップが最年長の穂坂さんである。
配布資料によるとテーマは<死生学>。全メンバーに避けて通れぬテーマである。丁寧なA4×4ページのレジメと5ページ目の参考文献(著書)が16点、医学研究者・臨床医としての鋭い学問的アプローチである。
穂坂さんは、横浜市大で医学教育の一環として<死生学>に関心を持ち、泌尿器科の専門医、医学部長等の経験を重ねて、その後は船医として多数の患者を診てきた(2017年1月6日掲載「船医、この10年」)。こうした体験にも裏打ちされた<死生学>である。
次のように始まる。
死を意識することが自己確信を通じて「良く生きる」ことを導く。すなわち死について学ぶことにより、同時に「生きる尊さ」が再発見される。
死についての探求は、学問としても哲学や宗教学のみならず、生物学、医学、法学、工学の様々な分野で独自に行われきた。死生学は、これまでにない範疇で死を考察するものではない。むしろ、その範疇を取り去り、限定のない、あるがままの現実の死を考察するものである。
ついで先行研究をたどる学説史を、研究者別・時代別に8つ掲げる。それに付した穂坂さんの説明から一部を引用しつつ紹介したい。
(1)エリー・メチニコフ(Ilya Mechnikov)、ロシアの微生物学者、動物学者。生命科学を補完する学問としてThanatology(ギリシャ語のタナトス=死と、ロゴス=学問を結びつけた造語)を提唱、研究対象として死者のみならず、死に行く者、老い行く者の生命研究を試みる。“The Nature of Man”1903を刊行。「腸内の腐敗菌増殖が老化を促す」という仮説を立て<ヨーグルト不老長寿説>も唱えた。
(2)ロズウェル・パーク(Roswell Park)が1912年、「Thanatologyは生の本質と原因に関する確かな考察」と定義する。
(3)ジークムント・フロイト(Sigmund Freud)。オーストリアの精神医学・精神病理学者。『戦争と死に関する時評』(1915年)、『死別悲嘆の研究』(1917年)、『幻想の未来』(1927年)、『精神分析概説』(1940年)等。
(4)マザー・テレサ(Mather Teresa)。インドのコルコト(カルカッタ)に1952年、<死を待つ人の家>を設立した。
(5)ソンダース(C.M.S.Saunders)。1967年、現代ホスピスの始まりとなるSt.Cristopher’s Hospiceを設立。
(6)P・アリエス(Philippe Aries)。フランスの歴史家。『死の五つのモデル』(1977年)、成瀬駒男訳『死を前にした人間』(1990年 みすず書房)等。
① ギリシャ・ローマから12世紀頃までの<飼いならされた死>、②ルネサンス時代の<自分自身の死>、③その後の<遠くて近い死>、④18~19世紀の<他者の死>、<美化された死>、⑤死を医療従事者という他者に委ねた20世紀の<死のタブー化>。
(7)キューブラ・ロス(E.Kubler-Ross)、精神科医として牧師とともに終末期患者200名以上をインタビューし、死に行く人に関わる周囲の者の取るべき態度を考察した。”On Death and Dying”1969.(鈴木晶訳『死ぬ瞬間 死とその過程について』中公文庫 2001年)を発表。
死の5段階説=①否認、②怒り、③取引、④抑鬱、⑤受容。
(8)フランクル(V.E.Frankl)。精神医学・心理学者でフロイトの弟子。自身もアウシュビッツに収容され、<死を意識せざるを得ない人々>を描いた『夜と霧-ドイツ強制収容所の体験記録』(1947年)を発表。
これらのうち(6)P・アリエス『死の五つのモデル』は歴史のなかの<死の概念>や歴史のなかで変化する<死生観>を探る。5段階のうち⑤死を医療従事者という他者に委ねた20世紀の<死のタブー化>の現代においては、「死の瞬間あるいは死に行く過程の持続期間を、神や病、自然に任せるのではなく、医療が決定する義務を負う事態となった」と述べる。
つづけて<死の定義>の変遷に触れ、「<脳死>は社会的合理性を考慮し必要性に導かれて決定された<死の定義>である。すなわち臓器移植のための新たな<死の定義>である。それゆえ今後、再生医療等の発展により脳死の考察は不要となり、<新たな死の定義>が必要となる可能性がある」と述べる。
ついで(7)のキューブラ・ロスは、「死を語れる者は生きている人間のみである。<死に行く者><死を意識せざるを得ない者>の心理を精神医学的に語る。死に行く人がたどる<死の5段階説=①否認、②怒り、③取引、④抑鬱、⑤受容>を明らかにすることにより、周囲の者(家族や医師・看護師等)が取るべき態度を考慮した死の語りや適切なケアーが、死に行く者を成長させる」と主張する。
5段階の最後の<受容>とは、「死が避けられないという事実を率直に受け入れる態度。絶望からの諦めではなく、為すべきことは為し終えた休息の時。…<受容>の段階で得られるものは<落ち着き><安らぎ><威厳>であり、変容した価値観による新たな生の意味である。大多数の患者はこうして恐怖や絶望のない<受容>のうちに死に至る」。
さらにキューブラ・ロスは次のようにも言う。「自らの信仰によって救われる人は真の無神論者と同じくらい、ほとんどいなかった。何らかの信仰を持ちつつも、その信仰は葛藤や恐怖を取り除くには十分とは云えない」。これは意味深長である。
穂坂さんが一瞬沈黙したのを見計らって、さっそくメンバーが口を開く。「世代・宗教等で死生観は異なるのではないか」。「死の恐怖は<予告死>と<突然死>とでは違うのか」。「死生学とは医学としての関心であり、個々の死生観と同じではないと理解して良いか」…「医学の進歩(ロスの言う時代の変化)で死生観は変わると思う。<再生医療>とはパーツ(部品=一部の臓器)を新しいものと交換する医療で、オランダでは90歳以上には治療しないことにしている。…自分はピンピンコロリを望んでいたが、家内の死を体験して以来、<予告死>を望むようになった」等々。
5ページの参考文献16点のなかに異色なものが1点、梅原猛『日本人の「あの世」観』(1993年 中公文庫)である。「この本は?」と問うと、私から教えてもらったと答えた。本書は縄文時代以来の日本人に底通する死生観を描いている。簡潔に言えば<この世>と<あの世>の間の<自由往来>説で、私には強く印象に残る1冊であった。
各人各様、通底するものはありつつ、意見・見解・感想が飛び交う。そこに小島さんが切り込んだ。「穂坂先生の講話をめぐる議論は際限がない模様なので、メールで事前にお知らせしたとおり、この間の新型コロナウィルス感染の影響やら感じ方について話してほしい。お隣の山本先生から時計まわりで…」
山本さんは開口一番「去年の話題で取り上げた感染症が、これほど早く迫ってくるとは思わなかった」と言う。昨年夏の山本報告は「医療の近未来」。記憶では「治療中心から、治すだけでなく病を抱えて生きる辛さや痛みなどを癒し、看取りまでを地域全体で支える医療へ移行」という内容であった。
改めて昨年の記録(本ブログ2019年7月29日掲載「医療の近未来」)を見ると、目次に次の5項目が掲げてある。(1)医療ニーズの変化、(2)診断、(3)治療、(4)疾病構造の変化、(5)最悪のパターン。この(4)には「がん、循環器疾患、感染症の制御と克服、老化の制御、認知症の回復」が並ぶ。
山本さんによれば、医師は(2)と(3)の分野でのテクノロジーのメリットを活用し、その活用で得た時間を他の側面に力を注ぐべしとして、筆頭の「がん、循環器疾患」は治療法が確立したため除き、残る難題の「感染症の制御と克服、老化の制御、認知症の回復」に注力すべしと言う。
次が私の番である。「新型コロナウィルスの感染防止の手順と方法は国により異なることを前提として、外出自粛やロックダウンと次々に手を打ってきたが、経済の回復とのバランスが大切として世界的に規制緩和の方向へ向かい始めているが、私の見るかぎり、これからの方がはるかに難しいのではないか」。
「その一つが<水際対策>と呼ばれる国家間の移動の禁止、すなわち入国制限=<閉国>である。これは事実上の国交断絶に等しく、歴史用語の<鎖国>ではなく、史上初の世界規模にわたる<閉国>と呼ぶに相応しい。いま日本は世界111カ国からの入国禁止(<閉国>)を実施している。そして近い将来の入国制限緩和(<開国>)の対象国としてタイ、ベトナム、オーストラリア、ニュージーランドの4ヵ国が挙がっているが、相手国の合意まで紆余曲折が予想される」と述べた。
メンバーの談笑はまた拡散し、「<個人は死ぬも法人は死なず>というが、個人の死と国家・民族等の<集団の死>をどう考えるか」へ移り、はたまた世界史の教科書に引用されている<愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ>へ飛ぶ。これはドイツの宰相オットー・フォン・ビスマルク(1815年-1898年)が「愚者だけが自分の経験から学ぶと信じている。私はむしろ、最初から自分の誤りを避けるため、他人の経験から学ぶのを好む」と述べたものを、日本人好みの格言らしく改造したものである等々。<百家争鳴>ならぬ<六家争鳴>!。
3時間が瞬時に過ぎ去る。<新型コロナウィルス>に関する発言は私の番でお開きの時間となった。恒例の集合写真を撮る。<生と死>を見据えつつ、また元気で再会したい。
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