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清談会(2020夏)

 清談会(せいだんかい)は横浜市立大学教員OBの小さなグループで、夏と冬の2回、議論と懇親の会を開いている。現在のメンバーは、敬称略の年齢順に穂坂正彦(医学)、私(歴史学)、丸山英氣(法学)、小島謙一(物理学)、山本勇夫(医学)、浅島誠(生物学)の計6名、全員が昭和10年代生まれである。詳細は本ブログの「清談会(2019冬)」(2019年1月6日)や「清談会の定例会」(2018年1月5載)を参照されたい。

 全員が専門を異にする。共通するのは(1)専門分野にとどまらず広い知的関心を持っていること、(2)大学という学問の府をいかに自由闊達な知の展開の場にするかに情熱を持ち、(3)地域・国・人類と地球の未来に思いを馳せていること、あたりであろうか。

 最初の会合は2005年12月。以来15年、今回が記念すべき30回目である。そのつど事前に話題提供者を決め、食事と酒の合間に耳を肥やし、やがて侃々諤々、時に脱線の議論へ。

 今回は新型コロナウィルスのため外出自粛がつづき、予定の6月20日(土曜)の開催が危ぶまれたが、徐々に解除の方向へ進み、政府も都知事も、6月19日(金曜)以降の休業要請を全面解除すると発表していた。

 偶然とはいえ、開催予定日の1日前の自粛解除である。私もそうだが、メンバーにとっても3か月半ぶりの会食・談笑の機会であったようだ。10余人座れる大きな円卓に半分の6人、部屋も大きく、換気も良い。

 清談会の命名者で永年幹事の小島さんが、日程調整から場所の決定、会計までを担ってくれる。今回は前日のうちに、「明日の清談会ですが、念のため家を出る前に検温をおねがいします。37.5℃以上の方はご連絡ください。よろしくお願いいたします」とメールが来た。

 2017年冬の第25回からは新しいテーマ「各専門分野の10年後を予測する」と定め、小島、穂坂、浅島、私、山本、丸山と一巡、30回目の今回からは話題提供者だけを事前に決め、テーマは本人に任せる従前のルールに戻った。トップが最年長の穂坂さんである。

 配布資料によるとテーマは<死生学>。全メンバーに避けて通れぬテーマである。丁寧なA4×4ページのレジメと5ページ目の参考文献(著書)が16点、医学研究者・臨床医としての鋭い学問的アプローチである。

 穂坂さんは、横浜市大で医学教育の一環として<死生学>に関心を持ち、泌尿器科の専門医、医学部長等の経験を重ねて、その後は船医として多数の患者を診てきた(2017年1月6日掲載「船医、この10年」)。こうした体験にも裏打ちされた<死生学>である。

 次のように始まる。

 死を意識することが自己確信を通じて「良く生きる」ことを導く。すなわち死について学ぶことにより、同時に「生きる尊さ」が再発見される。
 死についての探求は、学問としても哲学や宗教学のみならず、生物学、医学、法学、工学の様々な分野で独自に行われきた。死生学は、これまでにない範疇で死を考察するものではない。むしろ、その範疇を取り去り、限定のない、あるがままの現実の死を考察するものである。

 ついで先行研究をたどる学説史を、研究者別・時代別に8つ掲げる。それに付した穂坂さんの説明から一部を引用しつつ紹介したい。
 (1)エリー・メチニコフ(Ilya Mechnikov)、ロシアの微生物学者、動物学者。生命科学を補完する学問としてThanatology(ギリシャ語のタナトス=死と、ロゴス=学問を結びつけた造語)を提唱、研究対象として死者のみならず、死に行く者、老い行く者の生命研究を試みる。“The Nature of Man”1903を刊行。「腸内の腐敗菌増殖が老化を促す」という仮説を立て<ヨーグルト不老長寿説>も唱えた。
 (2)ロズウェル・パーク(Roswell Park)が1912年、「Thanatologyは生の本質と原因に関する確かな考察」と定義する。
 (3)ジークムント・フロイト(Sigmund Freud)。オーストリアの精神医学・精神病理学者。『戦争と死に関する時評』(1915年)、『死別悲嘆の研究』(1917年)、『幻想の未来』(1927年)、『精神分析概説』(1940年)等。
 (4)マザー・テレサ(Mather Teresa)。インドのコルコト(カルカッタ)に1952年、<死を待つ人の家>を設立した。
 (5)ソンダース(C.M.S.Saunders)。1967年、現代ホスピスの始まりとなるSt.Cristopher’s Hospiceを設立。
 (6)P・アリエス(Philippe Aries)。フランスの歴史家。『死の五つのモデル』(1977年)、成瀬駒男訳『死を前にした人間』(1990年 みすず書房)等。
 ① ギリシャ・ローマから12世紀頃までの<飼いならされた死>、②ルネサンス時代の<自分自身の死>、③その後の<遠くて近い死>、④18~19世紀の<他者の死>、<美化された死>、⑤死を医療従事者という他者に委ねた20世紀の<死のタブー化>。
 (7)キューブラ・ロス(E.Kubler-Ross)、精神科医として牧師とともに終末期患者200名以上をインタビューし、死に行く人に関わる周囲の者の取るべき態度を考察した。”On Death and Dying”1969.(鈴木晶訳『死ぬ瞬間 死とその過程について』中公文庫 2001年)を発表。
 死の5段階説=①否認、②怒り、③取引、④抑鬱、⑤受容。
 (8)フランクル(V.E.Frankl)。精神医学・心理学者でフロイトの弟子。自身もアウシュビッツに収容され、<死を意識せざるを得ない人々>を描いた『夜と霧-ドイツ強制収容所の体験記録』(1947年)を発表。

 これらのうち(6)P・アリエス『死の五つのモデル』は歴史のなかの<死の概念>や歴史のなかで変化する<死生観>を探る。5段階のうち⑤死を医療従事者という他者に委ねた20世紀の<死のタブー化>の現代においては、「死の瞬間あるいは死に行く過程の持続期間を、神や病、自然に任せるのではなく、医療が決定する義務を負う事態となった」と述べる。

 つづけて<死の定義>の変遷に触れ、「<脳死>は社会的合理性を考慮し必要性に導かれて決定された<死の定義>である。すなわち臓器移植のための新たな<死の定義>である。それゆえ今後、再生医療等の発展により脳死の考察は不要となり、<新たな死の定義>が必要となる可能性がある」と述べる。

 ついで(7)のキューブラ・ロスは、「死を語れる者は生きている人間のみである。<死に行く者><死を意識せざるを得ない者>の心理を精神医学的に語る。死に行く人がたどる<死の5段階説=①否認、②怒り、③取引、④抑鬱、⑤受容>を明らかにすることにより、周囲の者(家族や医師・看護師等)が取るべき態度を考慮した死の語りや適切なケアーが、死に行く者を成長させる」と主張する。

 5段階の最後の<受容>とは、「死が避けられないという事実を率直に受け入れる態度。絶望からの諦めではなく、為すべきことは為し終えた休息の時。…<受容>の段階で得られるものは<落ち着き><安らぎ><威厳>であり、変容した価値観による新たな生の意味である。大多数の患者はこうして恐怖や絶望のない<受容>のうちに死に至る」。

 さらにキューブラ・ロスは次のようにも言う。「自らの信仰によって救われる人は真の無神論者と同じくらい、ほとんどいなかった。何らかの信仰を持ちつつも、その信仰は葛藤や恐怖を取り除くには十分とは云えない」。これは意味深長である。

 穂坂さんが一瞬沈黙したのを見計らって、さっそくメンバーが口を開く。「世代・宗教等で死生観は異なるのではないか」。「死の恐怖は<予告死>と<突然死>とでは違うのか」。「死生学とは医学としての関心であり、個々の死生観と同じではないと理解して良いか」…「医学の進歩(ロスの言う時代の変化)で死生観は変わると思う。<再生医療>とはパーツ(部品=一部の臓器)を新しいものと交換する医療で、オランダでは90歳以上には治療しないことにしている。…自分はピンピンコロリを望んでいたが、家内の死を体験して以来、<予告死>を望むようになった」等々。

 5ページの参考文献16点のなかに異色なものが1点、梅原猛『日本人の「あの世」観』(1993年 中公文庫)である。「この本は?」と問うと、私から教えてもらったと答えた。本書は縄文時代以来の日本人に底通する死生観を描いている。簡潔に言えば<この世>と<あの世>の間の<自由往来>説で、私には強く印象に残る1冊であった。

 各人各様、通底するものはありつつ、意見・見解・感想が飛び交う。そこに小島さんが切り込んだ。「穂坂先生の講話をめぐる議論は際限がない模様なので、メールで事前にお知らせしたとおり、この間の新型コロナウィルス感染の影響やら感じ方について話してほしい。お隣の山本先生から時計まわりで…」

 山本さんは開口一番「去年の話題で取り上げた感染症が、これほど早く迫ってくるとは思わなかった」と言う。昨年夏の山本報告は「医療の近未来」。記憶では「治療中心から、治すだけでなく病を抱えて生きる辛さや痛みなどを癒し、看取りまでを地域全体で支える医療へ移行」という内容であった。

 改めて昨年の記録(本ブログ2019年7月29日掲載「医療の近未来」)を見ると、目次に次の5項目が掲げてある。(1)医療ニーズの変化、(2)診断、(3)治療、(4)疾病構造の変化、(5)最悪のパターン。この(4)には「がん、循環器疾患、感染症の制御と克服、老化の制御、認知症の回復」が並ぶ。
 
 山本さんによれば、医師は(2)と(3)の分野でのテクノロジーのメリットを活用し、その活用で得た時間を他の側面に力を注ぐべしとして、筆頭の「がん、循環器疾患」は治療法が確立したため除き、残る難題の「感染症の制御と克服、老化の制御、認知症の回復」に注力すべしと言う。

 次が私の番である。「新型コロナウィルスの感染防止の手順と方法は国により異なることを前提として、外出自粛やロックダウンと次々に手を打ってきたが、経済の回復とのバランスが大切として世界的に規制緩和の方向へ向かい始めているが、私の見るかぎり、これからの方がはるかに難しいのではないか」。
 
 「その一つが<水際対策>と呼ばれる国家間の移動の禁止、すなわち入国制限=<閉国>である。これは事実上の国交断絶に等しく、歴史用語の<鎖国>ではなく、史上初の世界規模にわたる<閉国>と呼ぶに相応しい。いま日本は世界111カ国からの入国禁止(<閉国>)を実施している。そして近い将来の入国制限緩和(<開国>)の対象国としてタイ、ベトナム、オーストラリア、ニュージーランドの4ヵ国が挙がっているが、相手国の合意まで紆余曲折が予想される」と述べた。

 メンバーの談笑はまた拡散し、「<個人は死ぬも法人は死なず>というが、個人の死と国家・民族等の<集団の死>をどう考えるか」へ移り、はたまた世界史の教科書に引用されている<愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ>へ飛ぶ。これはドイツの宰相オットー・フォン・ビスマルク(1815年-1898年)が「愚者だけが自分の経験から学ぶと信じている。私はむしろ、最初から自分の誤りを避けるため、他人の経験から学ぶのを好む」と述べたものを、日本人好みの格言らしく改造したものである等々。<百家争鳴>ならぬ<六家争鳴>!。
 
 3時間が瞬時に過ぎ去る。<新型コロナウィルス>に関する発言は私の番でお開きの時間となった。恒例の集合写真を撮る。<生と死>を見据えつつ、また元気で再会したい。
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タケの開花(11)

 またたく間に季節は巡り、4月4日、「タケの開花(11)」を書き始めたものの、「人類最強の敵=新型コロナウィルス」の連載で未完のままになっていた。この未定稿にふたたび取りかかったのは、5月29日、齊藤淳一さん(200612掲載「人類最強の敵=新型コロナウィルス(12)」を参照)からのメールがきっかけである。

 そこには「2018年春に「三渓園」でのタケの花の連続開花について「何か(天変地異でも?)が起こる予兆なのか」と先生にメールをお送りしました。今回の新型コロナ禍が、それなのか???…三渓園のタケの花、今年はどうなのでしょうか?情報が全く見つかりません。6月1日から開園のようですが…」とあった。

 齊藤さんの問い合わせに「…三溪園のタケの花の情報がないとのご指摘について、途中まで書いて放置してある未定稿を添付します。今日もオロシマササには風に揺れる雄しべがきらきらと輝いていました。」と返信した。

 今年の2月末から、三重塔のある丘は一斉に下刈りを行ってきたため、目印としていたタイミンチクも地上の姿がほとんど消えた。やがて出現するタケノコが、従来のような背丈にまで成長するのを待つことにする。

 3月19日、たまたま開花状況について羽田雄一郎主事に尋ねると、「…急ぎの用事に追われ、観察に出向く機会がなく…」とのこと。この会話を聞いていた原未織主事(建築担当)が「…私は見ました。オロシマササの開花を…」というので、すぐ3人で飛び出した。

 雄しべが見え、明らかに開花している。数日前から咲いていた可能性を考えて、オロシマササは開花ではなく、「3月19日、開花確認」とした。

 ここまでが齊藤さんへ返信した今春の未定稿である。

 そもそもの始まりは、3年前の2017年5月17日掲載「タケの開花(その1)」にある。旧友の坂智広さん(横浜市立大学木原生物学研究所教授)からのメールに「…岡山大学名誉教授の村松幹夫先生から三渓園の蓬莱竹の仲間の竹の開花の話を伺いました。…1928年に三渓園の竹が開花したという記録があり、今年また花を咲かせそう」とあった。

 (その2)は、5月25日に村松さんが、木原ゆり子さん(木原生物学研究所創設者・木原均博士の三女)、坂さんと3人で来園されたときの報告を含む。

 横浜開港が1859年と知った村松さんは「この年こそ進化論の古典的名著、ダーヴィン『種の起源』の刊行年です…進化論は生物の歴史を説くもの、文系の歴史学と同じ発想により展開する学問です。分析のための素材や手法は異なりますが…」と言う。偶然にも1859年は、生物の謎を解く学問の起源と、都市横浜の起源とが重なる記念の年であった。

 タケの開花は60年、90年、120年と長い周期で1度だけ起きるとされるが、事例報告は多くなく、周期の年限をめぐっても確実なデータはごく少ない。開花は、同じ株の各所に、そして他の株へと確実に拡がっていた。だが村松さんによれば、これが「一斉開花」の前兆なのか、それとも「部分開花」かを確定するには、さらに2~3週間の観察を待つ必要があるとのことである。

 つづけて2017年6月8日の(その3)、6月22日の(その4)を掲載して越年した。翌2018年は、4月17日の(その5)、7月9日の(その6)、7月18日の(その7)、8月23日の(その8)の計4本だが、夏の記録が多いのが特徴である。以下に、主要な経過を掲げたい。

 (その6)内苑の事務所前にある植え込みのオロシマササと三重塔近くに繁茂するタイミンチク、いずれも静かに咲いている。オロシマササは丈が低いためか、かがんでカメラを構える人の絶えることがない。

 同じ(その6)は齊藤淳一さんからのメールを含む。5月21日に2年連続で咲いたタイミンチクとオロシマササの写真を撮ってきたという。「昨年の2017年6月9日も<一生に一度しかないチャンス>と蚊に刺されながら撮影してきましたが、…今年は16日に開園の午前9時を待って入園、撮影してきました。生涯に一度、出会えるかどうかというタケの花を2年連続で、しかも同じ場所の同じ株(地下茎)で観られる<幸運>…この珍現象にひとりで興奮しています。」

 (その7)は、「オロシマササもタイミンチクも7月12日の観察より花の数が増えている…人間の都合通りにはいかない自然を観察し、伝えることの難しさ」と記す羽田さんの報告を紹介、私も強く共感した。

 (その8)タケの花はなくなったかと思えば、またあらわれ(発見でき)た。しかし見つけにくくなったため、<竹の花>と書いた案内板は、タイミンチクについては7月9日に取り外し、オロシマササについては8月6日に撤去した。

 (その8)の掲載日の8月23日は、奇しくも原三溪の150年前の誕生日である(慶応四年八月二十三日=1868年10月8日)。ここで<一斉開花>の収束を表明した。<花の終焉>ではなく<一斉開花の収束>。そう判断するまでの観察経緯や、坂さんの理論展開の一部を紹介し、議論の深化の過程も記した。

 坂さんはムギの専門家で、ムギもタケも同じイネ科に属するとは言え、タケについては「この自然現象を完全に再現できるに至っていない門外漢、この数十年のサイクルの中で出会った貴重な体験を楽しんでいます」と前置きして、次のように言う。

 「地球上の生物は地球の公転による1年の季節変化サイクルに適応進化し、生活環や環境反応を営んでおり、一方で過去の地球の歴史・地質年代において氷河期など長年にわたる気候変化が起こらない時代もあったはずで、必ずしも1年サイクルの体内時計で暮らしていない生物も存在します。作物でも二年生や多年生など、ある意味で複数の時計の歯車(遺伝子)が組み合わさり生活環を成しています。タケが氷河期以前の時代に進化して古くから姿を変えていない植物であることを前提にすると、その一生が60〜120年と長期に及び、その一生の最後に花を咲かせ実をつけるとなると、「1年限定で花を終わらせる」というスケールに嵌らないと考えます。一年草が1年のうち数日間の開花期だとすると、100年の生活環(ライフサイクル)ではそれが数百日に拡大するイメージです。」

 (その8)の末尾は次のように結んだ。今年がこの2~3年の<一斉開花の収束>である可能性は高いものの、なお断定はできない。来年、開花が見られるか否かにより最終的な判断ができると考えている。…このブログ「タケの開花」も今回の(その8)をもって今年分の最後とし、三溪園のタケの花を気にかけておられる方々への報告に代えたい。今後も引きつづき身近な自然の営為に眼を向けていくつもりである。

 (その9)は翌2019年3月22日の掲載。3年連続の開花に加え、昨年には秋の開花もあり、坂・羽田のご両人と、今後の方針を話しあった。

 タイミンチクは自生ではなく移植なので、関東近辺の植物園等の移植履歴や時期を調査し、タイミンチクの生育年齢(移植年+α)を導きだすことができないか。三溪園の2本のイチョウから始まった樹齢を尋ねる「イチョウ巡り」(本ブログ2019年12月28日掲載)をしたとき、小石川植物園で10株ほどのタイミンチクを見つけたので、ここは有力な候補地ではないか、という私の考えに、坂さんは即、行動に移し、翌日にメールをくれた。

 「午後に小石川植物園に連絡をし、関係者からお話を伺えるようメールでお願いしました。また、目黒の林試の森公園に電話し、かつて国の森林研究所が開設された時代からの物語がありそうで、調べて頂いています。さらに江ノ島にタイミンチクの大きな群落があり、藤沢市の天然記念物の指定になっています。藤沢市の郷土歴史課に電話をして、英国商人のサムエル・コッキングとの繋がりが見えてきました。コッキングは牧野富太郎と交流があったようで、小石川植物園との繋がりも見えてきます。さらには、コッキング商会が横浜にあったことから、三溪園との縁もあるのでは? 加藤先生のご専門の領域に深く関わってくる予感がしております。」

 (その10)の掲載は5月29日。5月14日(火曜)に村松先生が2年ぶりに来園。木原先生のご縁から、自由学園最高学部の大塚ちか子先生と松田梢先生が参加、さらに坂さんを訪ねて滞在中の、長い伝統を持つドイツの種苗会社KWSのビクター・コルツム(Victor Korzum) 博士が加わった。

 この日は時おりの雨。羽田さんの案内で、まず管理事務所前のオロシマササを観察した。これまで花の少なかった南側の植込みに、ぽつぽつ花穂が見られ、北側の植込みには無数の花穂が。これほど広範囲に多くの花穂が揃う光景は初めてである。

 村松先生も身を乗り出して、小一時間も観察しておられた。その解説をお聞きするのは後回しに、山上にある松風閣ちかくのタイミンチクを目ざす。

 この一帯にはタイミンチクのほかにカンザンチクとメダケが混生し、海に面した崖側にカンザンチクが多くあることを教わった。よく目にするモウソウチクやマダケの竹林では、稈が一本ずつ発生する(これを<散生>と呼ぶ)。タイミンチクやカンザンチクは、比較的細い稈が何本も集まり、株立ちする<叢生>(そうせい)傾向が強い。完全な<叢生>のタケは熱帯に分布する種に見られるが、日本産でもタイミンチクやカンザンチクなどは部分的な<叢生>と言える。遠くから見てタイミンチクとカンザンチクの区別がつく人は少ないとのこと。これを念頭に、松風閣の海側(いまは石油精製コンビナートが並び、高速道路が走っている)に拡がるカンザンチクを実見した。

 半世紀ほど前の1970年頃、村松先生は、昭和初期に開花枯死したという、恐らくはカンザンチクとされていたタケ・ササの、その後の状況調査のため三溪園を訪れた。海岸側から崖付近に栽培種一種を認め、それをカンザンチクと特定したが、その時は開花も枯死も見られなかった。

 ここにきて私にはタイミンチクとカンザンチクという、似て非なる2種のタケの存在を知った。これが現場検証の第1の成果である。

 今後の問題は、(1)3年つづくタケの開花が、いつまで続くのか、(2)開花と枯死の関係はどうか(開花が枯死と結びつくケースと無関係のケース等)、(3)観察を進めていくにあたり、タイミンチクとカンザンチク(それにメダケ)が混生する三溪園の竹林の特性をどう位置づけるかである。

 その後の村松先生とのメール交換で分かった点を以下に記す。

 第1がタケの名称について。リュウキュウチク節のなかの種にタイミンチクとカンザンチクが、またネザサ節のなかにアズマネザサやオロシマチク等多数が知られるが、それぞれは互いに極めて近い種で、どのササも剪定すると、外形(外部形態)では見分けがつけにくくなる。

 第2が園芸品種について。30年前に建てられた三溪記念館内の管理事務所前にあるオロシマザサは、アズマネザサ(静岡県から青森県にかけて分布)の矮性系統の一つの商品名ではないか、あるいは西日本のネザサの遺伝的な矮性系統を自然界から見つけ、商品として名前をつけたものと思われる。いまも広く売られている可能性があり、開花の周期や開花後の枯死・再生のメカニズムを知る手がかりを得やすい。

 第3が文献との関係について。1928年の三溪園のタケの<開花と枯死>の伝聞を追って、私は坂さんと一緒に神奈川県立図書館(紅葉ヶ丘)へ行き、古い『横浜貿易新報』合冊版の1928年前後(数日分の欠号を除く)を調べたが、ついに関連記事は見つからなかった。

 村松さんは以下のように言われる。三溪園の<開花と枯死>については、1970年頃、タケの専門家で、<日本竹笹の会>会長であった室井綽(むろい ひろし)先生と横浜在住の笠原基知治(かさはら きちじ)先生から聞いた。半世紀も前のことで、場所や月日の記憶は曖昧だが、著名なお二方の発言であったので鮮明に覚えている。しばらくの沈黙の後、村松さんは「…分からないことばかりですね。…」と、ポツリと漏らされた。

「タケの開花(10)」から1年近くが経ち、2020年の春到来とともに観察を再開し始めた矢先、新型コロナウィルスの世界的な感染拡大である。

 その波は三溪園にも及んだ。2月18日からガイドボランティア(定時)を休止、29日からは三溪記念館等を休館とし、3月の各種イベントはすべて中止、4月7日からは三溪園そのものを臨時休園(5月6日まで、のち延長)とした。三溪園の再開園は6月1日(月曜)である。6月22日(月曜)には、屋内施設の三溪記念館と合掌造りの旧矢箆原(やのはら)住宅も再開した。

 今年6月14日の齊藤さんからのメールには「運がよいのか? 不吉なことの予兆なのか? とにかく、横浜の地に4年連続で咲いた<奇跡の花>をカメラに収めずにはいられない衝動に駆られました」とあり、12日に撮影した2葉の写真(タイミンチクとオロシマササの接写)が添付してあった。タケの花の細部が分かるので、齊藤さんの承諾を得て、本稿に掲載する。

タイミンチク  オオシロマササ
写真をクリックすると大きくなります

左:タイミンチク         右:オロシマササ 

細部はよく分かるが大きさが分からない、と読者の声を齊藤さんにお伝えすると、3年前に撮った写真を送ってくださいました
大明竹(タイミンチク)比較.jpg      小呂島笹(オロシマササ)比較.jpg
写真をクリックすると大きくなります
左:大明竹(タイミンチク)    右:小呂島笹(オロシマササ)

 ついで齊藤さんの質問。「原 富太郎氏ご自身は、タケとササの花をご覧になられたのでしょうか?」 私の回答案は今のところ「…富太郎(三溪)自身は日記を書かず、手紙のなかにもこの種の記述は見当たらない。だがタイミンチクは義祖父の原善三郎が植えたもの。太湖石とともに彼の<中国式庭園>の重要な構成要素である。松風閣(煉瓦造)には書画類の倉があったため、三溪は住居の鶴翔閣と丘の上の松風閣とを頻繁に上り下りししていた。タイミンチクは彼の親しい風景の一部になっていたに違いない…」である。

 4年連続で咲いた三溪園のタイミンチクとオロシマササは、<枯れ死>どころか、今も生き生きと可憐な花を付けている。

 この原稿を坂さんに点検してもらうと、すぐ返事をくれた。その第1が<開花>の解釈に関するものである。「4年目の今年もタイミンチクとオロシマササは開花したのですね。一斉開花は収束して、藪全体としては、開花イベントは2年前をピークとして徐々に散発的な開花が残ったのが現象として観察されたと考えます。株が枯れて種子で再生する一年生ではなく、株が枯れて根から再生する宿根性とも違い、藪が生きたまま世代交代をする多年生の様相に思います。ただし1年365日が1歳とした捉え方であり、タイミンチクとオロシマササの体内時計は、より長いライフサイクルで回っているのだと思います。」

 関連事項にも言及があった。「今年の3月28日に、江ノ島サムエル・コッキング苑の佐野さんから、今年もタイミンチクの花が咲いたと連絡を受け、その足で観察に行ってまいりました。3株のうちで一番大きなものに、1穂立派な穂が開花しており、あとは咲残りと思われる小さなものが数穂ありました。三溪園より1年早い動きをしていると感じます。株は8割方の稈が枯れており弱っていました。もしや開花後に枯れたのか?と不安に思い佐野さんに聞くと、昨年夏の台風で強い潮風にさらされて、南向きの植物が枯れ上がったということ、…苑内中央にある残りのタイミンチク2株では枯れはみられない。タイミンチクの足元にあるオロシマササでもわずかに出穂開花を認めましたが、全体に強剪定で刈り込まれた後のため今年の開花傾向は判断できませんでした。」

 さらに1点。タネにかんする経過報告である。「昨年、羽田さんからお預かりした結実種子はタイミンチクで2粒発芽しましたが、土が合わなかったせいか1株は緑化せず白いまま枯れてしまいました。もう1株はなんとか冬を越して今成長を始めています。オロシマササは複数株育っています。もう少し生育が進みましたら、今後の戦略をご相談したいと考えております。…」

 新型コロナウィルスの騒ぎをよそに、タイミンチクとオロシマササの開花に立ち会えるのはとても嬉しい。これからも彼らの来歴や開花の謎を追いつづけたい。

人類最強の敵=新型コロナウィルス(12)

 6月1日(月曜)、三溪園は約2か月ぶりの再開園にこぎつけた。15万坪余の広大な庭園のみの開園である。屋内施設の三溪記念館と合掌造り(旧矢箆原邸)の再開園やボランティアガイド活動の再開については鋭意検討中であったが、4日(木曜)の会議で次の方向を決めることができた。

 横浜市の林文子市長は5月26日、「これまで休館や中止・延期をしていた市民利用施設や市民サービス、市主催のイベント等については、国・県の方針や通知、具体的なガイドライン等を踏まえ、万全の感染対策を講じた上で、6月1日以降、速やかに再開していきます。」と述べている。

 市長のいう「国・県の方針や通知、具体的なガイドライン等を踏まえ」のうち、神奈川県は段階的なステップを示していないため、三溪園が準拠したのは国の決定、すなわち新型コロナウイルス感染症対策本部決定「新型コロナウイルス感染症対策の基本的対処方針」令和2年3月28日(令和2年5月25日変更)の6)「緊急事態宣言解除後の都道府県における取組等」である。

 次のようにある。「…都道府県は、…<「新しい生活様式>が社会経済全体に定着するまで、一定の移行期間を設け、概ね3週間ごと(例えば、①6月18日までの3週間程度、②その後の3週間程度、③②の後の3週間程度)に地域の感染状況や感染拡大リスク等について評価を行いながら、外出の自粛、催物(イベント等)の開催制限、施設の使用制限の要請等を段階的に緩和する」。

 上掲のステップ①「6月18日までの地域の感染状況や感染拡大リスク等について評価を行いながら」を基に、翌19日(金曜)頃を目途に三溪記念館と合掌造りを再開する方針で準備を進めることとした。なお詳細にわたり詰めるべき問題が残るため、ホームページ掲載はしばらく先とする。

テレビ録画を観る
 録画しておいた幾つかのテレビ番組を、6日(土曜)と7日(日曜)に、まとめて観た。多忙で放置していたものだが、すこし離れた位置から考え直す契機となった。そのうちの3点のテーマ、参加者名、概要等を掲げたい。

(1) NHKスペシャル・プラス「新型コロナウイルス 出口戦略は?」(5月13日放送)は、新型ウイルスへの対応の長期化が予想されるなか、感染の拡大を抑えながら、どのように社会経済活動を再開するか、パンデミック後のいわゆる<出口戦略>を考えるための、取材による番組編成である。本連載で幾度か取り上げた方々も登場する。

 経済のマイナスの代表例として、比較的体力があるとされる大企業の一つANA(全日空)は、全ての国際線を運休・減便、国内線も55路線のうち6路線にまで減らし、この1か月で見込んでいた約1000億円の収入を失った。民間エコノミストによるとGDPの予測は、4~6月期で前期比年率マイナス20〜30%。過去最大のリーマンショック時のマイナス17.8%をはるかに超えている。

 押谷仁さん(東北大学)は言う。「社会経済への影響を最小限にしながら、ウイルスの拡散を最大限制御していくための解除の方法は、流行が拡散していくのを抑え込むよりも、はるかに難しい判断を迫られる。部分解除しても、ある程度(感染は)起こる。ゼロリスクはないウイルスなので、それをどうやって判断するのか、誰が判断するのか」。社会経済活動の制限解除の時期にある現在の難しい問題を指摘する。

 牧原出さん(政治・行政システム、東京大学)は言う。「この問題は、政府と専門家と市民、この3つがどう結びつくかが問われている。これまでは新しい感染症をどう抑え込むかが最大の課題でしたから、医療専門家の役割が非常に大きかったが、出口戦略となると、経済あるいは教育など多くの分野が関わってくる。特に長い期間がかかるとなると、地震や集中豪雨といった複合災害の可能性も考えていく必要がある。いろいろな分野を、どう総合的に調整するか、というのが政治の役割だと思います。…これまで政府の説明はどちらかというと感染症の専門家の意見を受けて決定をした、という内容を繰り返してきたのですが、やはり国レベルの専門のあり方については、政府と専門家の間で決定と責任をはっきり分ける。専門家は科学的中立性の下に応答する、政府は決定と責任を行う。その原則をもう一度確認して、制度のあり方を点検することが必要になってくる。…」

 「…政治がもう少し信頼を取り戻す必要がある。1つは不満や非難を政治が受け止めること、もう1つは透明性の中で意思決定をしているということだと思います。そしてこの先、どこへ向かうのかというビジョン、方向性を政治が向けていく必要があって、それは政府だけではなく、市民社会が専門家の枠を超えてお互いに話し合う必要がある。市民の創意工夫です。たとえば新しい生活様式は市民の総意で作られていくもの。これからどんどん枠付けしていくものだと思います。市民社会の足腰の強さが、試されていくのではないか…」

(2) BS1スペシャル「コロナ新時代への提言~変容する人間・社会・倫理~」(5月23日放送)は、山際寿一さん(人類学 京都大学)、飯島渉さん(歴史学 青山学院大学)、國分功一郎さん(哲学 東京大学)の3氏が、自分の専門分野からのリモート取材に応じて発言、のちに相互に主張と質疑応答をくり返しつつ、新型コロナがもたらす今後の人間・社会・倫理変容に迫ろうとする。

 個々の発言に感銘を受け、共感するものが多かった。この番組に刺激を受けて、「変容する人間・社会・倫理」に関連して、幾つか私見を述べてみたい。

 いま改めて痛感するのが、今回、人類史上初の世界同時の都市封鎖がなされ、そしていま段階的な解除に一斉に向かっているという事実である。もとより<都市封鎖>の形態はそれぞれ異なる。強権的なもの(中国や欧米の一部)とソフトな要請型のもの(日本や台湾ほか)の区別がある。

 また日本における新型コロナウィルス感染の死者の少なさ、その要因(山中伸弥さんのいう<ファクターⅩ>)等も重要だが、巨視的に見れば、過去にない世界的都市封鎖という厳然たる事実が今後に及ぼすであろう影響の大きさである。

 その一つが<水際対策>と呼ばれる国家間の移動の禁止、すなわち入国制限=<閉国>である。これは事実上の国交断絶に等しく、歴史用語の<鎖国>ではなく、史上初の世界規模にわたる<閉国>と呼ぶに相応しい。いま日本は世界111カ国からの入国禁止(<閉国>)を実施している。そして近い将来の入国制限緩和(<開国>)の対象国としてタイ、ベトナム、オーストラリア、ニュージーランドの4ヵ国が挙がっているが、相手国の合意まで紆余曲折が予想される。

 上掲の「…感染防止のための手段より、その解除の手段の方がはるかに難しい」(押谷仁さん)と合わせて考えれば、各国の内部事情によりまちまちの基準で国境を開き、<移動の自由>を謳歌するなら、それは新型コロナウィルスの思う壷ではないか。

 番組で指摘された通り、人間が農業を開始した約1万年前から、労働集約型生産、野生動物の家畜化、遊牧、森林原野への進出を進めることで、人類は次々と新しい細菌・ウィルスに遭遇するようになった。その極限形態である「現代の大規模な<移動と集合>社会に賢く適応したのが新型コロナウィルス」である。改めて<人類最強の敵>であることを痛感する。

(3)サイエンスZERO「新型コロナ論文解析SP」(5月31日放送)は、山中伸弥さん(京都大学)を中心とする専門チームが人工知能(AI)とタッグを組み、約5万件にのぼる「新型コロナ論文」を解析する。

 誰が何をどこまで分析したか、いわゆる<先行研究>を正しく知る ことが科学の全分野において次の研究への大前提であるが、<先行研究>が約5万件にもなれば手作業でこなせる範囲を超える。そこでAIを活用し、研究者が自由に使える<共有財産>を作ろうとする貴重な試みである。

 この番組から1週間後の日経新聞朝刊(6月7日)に「<知の共有>世界で加速 コロナ論文、既にSARSの100倍」が掲載された。副題は「スピード重視 日本、影薄く」。文部科学省の科学技術・学術政策研究所が4か月間で約1万本の論文を分析した結果である。

 国・地域別に掲げる<査読前論文数>の棒グラフの首位は中国の545本、ついで米国の411本、英国等の欧州諸国やカナダがつづき、日本は8位である。「…感染拡大の規模の大きさに加え、論文発表の電子化やデータ共有の拡がりなど、研究活動の高度化、高速化、デジタル化が相互に影響している可能性がある」としている。

 ちなみに<査読前論文>というのは、複数の専門家による検証(査読)を受ける前に発表される論文を指す。スピードは重要だが、いわば粗製乱造の誹りを免れない論文も混入する。それが政策に取り入れられ「人々に危害を及ぼす事態は避けなければならない」との指摘もあり、見極めが重要である。

新しい用語<DⅩ>、
 4日(木曜)の日経新聞朝刊トップ記事の見出しは「DⅩ改革 企業明暗 コロナで鮮明に」。DⅩとは何か。「…デジタルトランスフォーメイション(DⅩ、3面きょうのことば)の巧拙が明暗を分けている」とつづく。3面をめくると「高速インターネットやクラウドサービス、人工知能(AI)などのIT(情報技術)によってビジネスや生活の質を高めていくこと。スウェーデンのウメオ大学のエリック・ストルターマン氏らが2004年に提唱したとされる」。

 Digital Transformation (デジタル化による変容)の省略形としてのDⅩは、既存のDⅩ(=海外放送等の長距離受信)とは異なる新しい省略形として定着するだろうか。それはさておき、今回のコロナ対応で日本のデジタル技術の劣悪ぶり、とくに行政の対応の悲惨さが目に余る。

 6月6日の日経新聞朝刊の1面トップは「IT競争力 コロナが試す」、これに2つの小見出し「米、AI給付で処理30倍」と「仏、排水から感染を警戒」を付して日本の出遅れ(世界23位)を指摘する。

 ここで取り上げるIT(情報技術)活用の先進事例は広く全体を網羅するものではなく、目立つものを挙げているにすぎないが、新型コロナウィルス対策にデジタル技術やデータ活用を取り入れる動きは世界で拡がっており、それを<始動の迅速さ>(スピード)、<官と民の連携)(シェア)、<使う手段や情報の臨機応変な活用>(サブティチュート)の3Sから判断しようとする。初動の小差がやがて大差となるのに時間を要さない。

齊藤淳一さんからの便り
 半月ほど前の5月24日(日曜)、齊藤淳一さんから<ウィルスからヒトへの進化論>考と題するメールをいただいた。齊藤さんとの出会いは3年前、1通の手紙が拙著『開国史話』(2004年3月~2005年7月まで神奈川新聞連載、同社より2008年刊)の版元から転送されてきた時に始まる。それについては本連載2018年3月26日「善四郎とペリー饗応の膳」を参照されたい。

 齊藤さんはアメリカの大学で生化学を教えていたが、帰国後、まったく別の仕事に就かれた。そこに新型コロナウィルスの登場。齊藤さんの科学者の本能が目を覚ます。日米の文化体験と理系の緻密な論理・実証法を駆使した謎解きの矛先が向かうのは、新型コロナウィルスの、主に次の2点である。

 その冒頭に次のようなギャクが書いてある。「IT」を「世界有数のIT後進国に成り下がってしまって『IT(イ・テェー)(痛てぇ)』後進国・日本」と、「イ・テェー」と発音しましょう。\(◎o◎)/!

 なお、本ブログでは引用符の「 」とは別に、特定の意味(いわゆる等)を持たせるための符号、あるいは新しく登場した語彙・語句を指す符号として< >を使ってきた。とくに本連載「人類最強の敵=新型コロナウィルス」では、新しい用語・用法が続出したため、符号< >の使用が多い。以下の引用でも、齊藤さんが「ウィルスの拮抗作用」としたのを<ウィルスの拮抗作用>と承諾を得て代えている。すこし長くなるが、その他は原文のままメールの一部を引用する。

 齊藤さんの第1の関心事は<ウィルスの拮抗作用>だという。
…あるウィルスが感染拡大を強めると、既存の別ウィルスとの間で<勢力争い>が始まり、どちらかが消え去る、という現象。最近では、2009年に新型インフルエンザ(現呼称:A(H1N1)pdm09型インフルエンザ)のウィルスが登場したのと入れ替わるように、それまで毎シーズンのように流行していたAソ連型インフルエンザのウィルスが忽然と消えてしまいました。

 他にもいくつもの例があるのですが、脳などの思考・判断機能を有する器官を持っていないウィルスが、自らの意思で「増殖しよう」とか「あいつは敵だ、追い出そう」とか考える訳もなく、そのメカニズムはまだ解明されてはいません。…現役臨床医の方々と会う機会があると必ずこの<ウィルスの拮抗作用>の話と共に、最近患者数が減ってきた感染症はありませんか? と私は訊きまわっています。

 ウィルスが持っている遺伝情報は一番少ないもので2個、多いものでも2500個止まり。ほとんどのウィルスは10個前後ですが、それでも、上述のような<抗争劇>を繰り広げます。…そういえば、ヒトの塩基配列(約30億個、遺伝子情報に換算して約2万3~5千個相当)の内、約45%は各種ウィルスに由来している、という研究報告もあります。

 <進化論>の中では、ウィルスが他のウィルスと融合や取り込みを繰り返していく過程で<自己増殖機能>を獲得して単細胞生物となり、更にその単細胞生物が多細胞生物へと進化し…、と約40~45億年の時間をかけて地球上での現在の生態系が出来上がってきた、と(科学的に)推測されています(他にも諸説あります)。

 でも、私からみると、ウィルスもヒトも遺伝子の数には関係なく、同じようなこと(勢力抗争)を繰り広げているようでは、ウィルスからヒトへとほとんど<進化>していないようなぁ…。(;一_一)「人の振り見て我が振り直せ」という「ことわざ」がありますが、2020年の今は「ウィルスの振り見て我が振り直せ」ですね。(^_-)<新型コロナウィルス>は、私たちに何かを伝えるべく(何かについての警鐘を鳴らすために)、登場したのかもしれません。

 齊藤さんの関心事の第2が、新型コロナ関連の<超過死亡者数>だと言う。

 …これは感染症に関連する統計解析の一手法で、ある種の感染症による直接の死亡者数だけではなく、その感染症の影響によって<間接的>に死亡した人がどの程度増加したかを示す推定値で、その感染症の<社会的インパクト>を表す指標として、近年、WHOも注目している数値です。

 例えば、日本では推計で毎年約1千万人がインフルエンザに感染し、その内、(年によってバラつきはあるものの)、214人(2001年)~1818人(2005年)が直接的死因で亡くなっていますが、その他にインフルエンザ感染が引き金となって基礎疾患を悪化させてしまい、基礎疾患が直接的死因で亡くなった人もいます。それを丹念に洗い出して、「インフルエンザ関連で亡くなった人の総数」を推定すると、毎年約1万人が<超過死亡者数>となります(厚労省調べ)。

 しかし、「新型コロナ」の最も特異的な特徴は、<無症状感染者>の存在です。世界各国で人口に占める<無症状感染者>の割合を調べていますが、3~7%(最近の報告では30%強というのもあります)と幅があり、「日本ではもっと高い比率なのでは?」と推定する専門家もいます。この<無症状感染者>の存在が新型コロナウィルスによる<超過死亡者数>の推計を難しくしています。

 そして長いメールの末尾を次のように結ぶ。「私たちもウィルスも、みんな、地球に居る<仲間>。これからは、新型コロナウィルスとも仲良く共存していきましょう。それが、これからの<新しい生活様式>」

 興味深い指摘だったので返礼すると、すぐに返信が届いた。齊藤さんが参考にした先行研究についてである。

 <ウィルスの拮抗作用>については:新潟大学大学院医歯学総合研究科・齋藤玲子教授への『日経メディカル』のインタビュー記事がとても解りやすく書かれていました。
 https://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/all/special/pandemic/topics/201211/527759.html
 
 <超過死亡者数>については、その概念や定義は、国立感染症研究所感染症情報センターのWebサイトに詳しく掲載されています。
 http://idsc.nih.go.jp/disease/influenza/inf-rpd/00abst.html

 具体的な数値は、厚労省の「新型インフルエンザに関するQ&A」サイト内の「Q10」の丸写しです。
 https://www.mhlw.go.jp/bunya/kenkou/kekkaku-kansenshou04/02.html

連載「驚異のウィルス」③
 日経新聞連載の「驚異のウィルス」③は、6月7日のサイエンス欄に掲載された。見出しは「<巨大>出現 新生命体へ進化?」、副題が「多数の遺伝子 揺らぐ定義」である。<ウィルスは小さくて単純?>の常識を覆すケタ違いに大きく複雑な構造を持つ<巨大ウィルス>が相次いで見つかった。

 一般のウィルスは直径が200㎚(nanometer、ナノは10億分の1)以下で、自力で増殖できず、生物とは見なされなかった。一方、細菌(バクテリア)は1~10µm(micrometre)、すなわち1~10×1000㎚でウィルスの5倍以上ある。ところが100種以上も見つかった<巨大ウィルス>は細菌と同規模かそれ以上で、その9割超の遺伝子が生物や他のウィルスの既知の遺伝子と似ていない。「増殖に役立つ20種類以上の遺伝子を備えた巨大ウィルスが見つかり、<免疫>機能を持つものも現れた。この巨大ウィルスは感染した生物から、遺伝子を次々と奪ってきたとする見方が多い」と言う。

消えない赤信号 東京アラート
 東京都公式ホームページ内の防災ホームページ(総務局総合防災部防災管理課)には、緊急事態宣言の全面解除(5月25日)から2週間後の6月8日現在、以下のように掲載されている。2日に発令されて以来の継続である。
 東京アラートを発動中です。
• 「東京アラート」は、都内の感染状況を都民の皆様に的確にお知らせし、警戒を呼び掛けるものです。
• 都民の皆様は、夜の繁華街など、3密のリスクが高い場所には十分ご注意ください。
• 手洗いの徹底とマスクの着用、ソーシャルディスタンスの確保、「3つの密」を避けた行動など、「新しい日常」を徹底して実践してください。
• 事業者の皆様には、都や各業界団体が策定するガイドライン等を踏まえて、適切な感染拡大防止対策の更なる徹底をお願いいたします。また、出勤に当たっては、テレワークや時差通勤の活用をお願いいたします。

 一方、<神奈川警告アラート>は、その指標として<K値(過去1週間の神奈川県・東京都 累積感染者数 増加率)>=0.027を設定し、4日連続で予測値から大きく外れた場合に発動するが、6月8日現在、発動されていない。ほかに<感染経路不明者の割合(過去1週間の平均)>等を日々更新してホームページに掲載している。

 8日(月曜)現在、東京都で新たに(20代から50代の男女)13人の感染を確認したと発表、都内で1日の感染の確認が20人を下回るのは2日連続である。このうち20代から30代までの若者が11人、全体のおよそ85%を占めている。また神奈川県では、この日の感染者がゼロであった。3月23日以来、77日ぶりである。

 9日(火曜)、東京・横浜は初の真夏日(最高気温が32℃)となり、熱中症が心配された。とくに炎天下のマスク着用が熱中症を加速させるため、環境省・厚労省が「…外では一定の距離を取り、マスクをはずす」よう促している。過去に2回の熱中症を経験した者として身につまされる。

 日本国内の緩和ムードがつづくなか、世界はどうか。9日(火曜)、WHOテドロス事務局長が発表した。「…世界的には状況が悪化している。北米、南米、アフリカ、インド、中央アジアにおいては感染者が急増している。…」しかし、日本では大きなニュースになっていない。

 南米のチリ共和国は感染防止の優等生であったが、ここにきて感染者が急増、ピニェラ大統領は<第2波>襲来として改めてロックダウンを宣言した。こちらも日本では大きなニュースになっていない。日本の外務省は5日、チリを「感染症危険情報」(全部で4レベル)をレベル2(不要不急の渡航はお止めください)からレベル3(渡航は止めてください 渡航中止勧告)に更新した。

 南半球はいま真冬である。新型コロナウィルスは低温乾燥を好むと言われる。日本は逆に高温多湿の梅雨から真夏へ向かうため、ウィルスには苦しい時期と言われるが、半年後の低温乾燥期に入ればウィルスはまた元気をとりもどすにちがいない。

 それまでに(早ければ9月ころまでに)、しっかりと本格的な対策を講じなければならず、時間との勝負である。なかでも検査・医療体制の強化は不可欠で、それには大きな予算とともに本格的な<ⅮⅩ>活用が望まれる。

 11日(木曜)、北九州市の感染者数は20日ぶりにゼロとなった。また東京都では22人の感染者が確認されたものの、7つの指標をすべて下回り、医療の逼迫はないとして、<東京アラート>が9日ぶりに解除された。

 これに伴い、夜11時、都庁舎とレインボーブリッジが虹色にライトアップされた。12日午前0時からは<ステップ3>に移行、飲食店の営業が午前0時まで延長可となり、カラオケ店なども再開できる。

 さらに都知事は、来週の19日(金曜)以降、休業要請を全面解除すると発表した。都道府県をまたぐ移動や接待を伴う飲食店への自粛要請を全国的に解除する<国の第2ステップ>に合わせた措置である。今後は、感染リスクの高い場所などに対象を絞った対策が中心となる。

 人類最強の敵=新型コロナウィルス(11)

 5月25日(月曜)、政府政策会議により緊急事態宣言の全面解除がなされた。これに伴い、東京都は決められた指標を基に、4つのステップを踏んで段階的に休業要請を緩和するとし、ステップ2への移行は26日(火曜)の午前0時と表明した。

 神奈川県は全業種で27日の午前0時(東京の1日後)から休業要請の緩和を2段階で行うと表明した。

 西村大臣は、全国の緊急事態解除に際し、「当然第2波はある。大きな波にせず抑えていくことが大事だ」と述べ、宣言解除後は約3週間ごとに地域の感染状況などを評価し、外出自粛やイベント開催制限要請などを段階的に解除していくこと、また感染拡大の大きな波が起きた地域は、緊急事態宣言の対象に再指定するとの考えを示した。

 約3週間ごとの評価と解除とは、<ステップ①>が5月25日(月曜)から、<ステップ②>が6月19日(金曜)から、<ステップ③>が7月10日(金曜)から。全国移動の解禁は6月19日からとなる。

 三溪園は6月1日(月曜)から再開園にこぎつける。4月7日の緊急事態宣言発出から約2カ月ぶりの開園だが、三溪園では<3密>を避けられないとしてボランティア活動を休止したのが2月17日、三溪記念館を休館としたのが29日、それからは約3カ月半ぶりである。

 以上が前回分(10)の末尾で述べた、全面解除までの概要である。

 26日(火曜)、朝のニュースは通勤時の東京、横浜、品川、新宿等の駅の様子を映し、先週より人が増えていると伝える。夜のニュースは歓楽街を映し、飲食店は営業しているが客足は鈍いとして、期待と不安に揺れる人の声を伝える。

 27日(水曜)、私は都内の自宅から横浜市中区にある三溪園へ電車とバスを乗り継いで出勤した。ラッシュ時を避けたこともあり、車内は7人席に1人だけの区間もあった。外出自粛期と大差ないが、道路の車列は明らかに増えた印象を受けた。

 今後の私の主な関心は、大別して次の3つである。
(1)これまで段階的に進めてきた営業自粛と同様に、営業再開も一挙にではなく段階的に進めるはずで、その過程をしっかり追うこと。
(2)いわゆる<第2波>の襲来とその対応(事前準備の大切さをふくむ)の地域的・全国的・世界的な状況の<情報共有>。なお<第2波>の定義はさまざまで、統一的な定義がないことに注意しなければならない。
(3)パンデミックがもたらす影響と近未来における<新常態>の姿。

 28日(木曜)、福岡県北九州市で21人の新規感染者が判明した。4月30日から5月22日までゼロであったが、23日から6日連続で計43人の新規感染者を確認。門司区・小倉南区等の市内9区で広く確認されたのが大きな特徴である。

 同日午後、北橋北九州市長は、厚生労働省のクラスター対策班の担当者と市内で意見を交わしたあと記者発表で、「…新しいところから患者が発生していて、その地点が全市に拡がっている点に対策班は大変注目している。なぜ北九州市だけ、このような大量の陽性患者の確認になったのか、多くの方が衝撃を受けている。今後どうやって拡大を食い止めるかという段階で、専門家の立場からの調査・助言は大変心強い」と述べ、前々日に開館したばかりの小倉城等43施設を休館とした。

 同28日、東京においても新規感染者が15人となり、3日連続10人台で、うち9人が20代と30代。また7人はこれまでに感染が確認された人の濃厚接触者で、8人は今のところ感染経路が分かっていない。飲食や接客業に携わる人が複数いるとのこと。

 都知事は「…増加傾向にある」ことを認める一方、これは直近1週間で見た1日当たりの新規感染者数の平均にすると9人であり、都の定める段階的緩和の要件である<20人未満>を満たしているとし、次の緩和措置を検討中と述べた。

 29日(金曜)午前、北橋北九州市長は会見で「…いま第2波のまっただ中にいる。…」と述べた。一方、菅官房長官は「…第2波とは考えていない。…」としたうえで、午後にも専門家会議が開かれると述べた。

 その後、北九州市は市立学校の給食を中止し当面は午前中の授業のみとし、屋内型の119の市施設を全て31日から6月18日まで休館すると発表。

 福岡県は、北九州市を対象にキャバレーなど接待を伴う飲食店とライブハウスの休業要請を6月18日まで延長することを決めた。北九州市以外は予定通り1日から全面解除する。

 同日、東京都は予告通り、6月1日から<ステップ2>に移行すると公表した。この日、新たに22人の感染者が確認された。2桁の感染者は4日連続で、20人を超えたのは5月14日以来である。しかし、①「新規陽性者数」②「感染経路不明」③「陽性者増加比」、④重症患者、⑤入院患者、⑥PCR検査の陽性率、⑦受診相談件数の7つの指標のうち、とくに④と⑤が減少傾向にあること、医療提供体制も十分確保できているとしている。

 <ステップ2>に移行すると、劇場や映画館等のほか、百貨店、スポーツジム、自動車教習所、スーパー銭湯等も再開可となり、飲食店の営業が午後10時まで可能となる。小池知事は各事業者に対して、「この週末を利用して感染防止対策を徹底してほしい」と強調した。

 同日午後、全面解除後はじめての<新型コロナウイルス感染症対策専門家会議>が開かれ、「新型コロナウイルス感染症対策の状況分析・提言」(令和 2 年 5 月 29 日)を発表した。感染の<次なる波>に備える重要な措置である。<第2波>ではなく<次なる波>としていることに注目。
 大型連休明けの週末(5月9日)以降、感染者数が増える兆しが見られるとしたうえで、感染の<次なる波>に備えて、<検査体制>や<医療体制>を都道府県等それぞれの地域で強化するよう求める50のチェックリストを発表した。
 具体的には、(1)「<次なる波>に備え検査体制の強化を」、(2)「<次なる波>に備え医療体制の強化を」、(3)「クラスター(集団感染)の発生を防ぐための対策の強化を」、(4)「緊急事態宣言が解除されたいま、市民生活での留意点は」、(5)「今後の海外との往来は」。
 また都道府県などに以下の49項目からなるチェックリストを示し、検査や医療などの体制整備を進めるよう求めている。以下に項目のみを列挙する。これにかかる必要経費の多くは、政府の2次補正で担保される。

1.検査体制 (1)PCR等検査 (2)地方衛生研究所の体制拡充 (3)民間検査機関等の拡充、利用促進 (4)試薬や検査機器、個人防護具などの確保に向けた取組 
2.医療提供体制 (1)役割分担 (2)空き病床の状況把握、調整の仕組み (3)院内感染対策 
3.保健所の体制 (1)人員体制 (2)積極的疫学調査・クラスター対策 (3)相談業務 (4)搬送業務 (5)業務効率化 
4.サーベイランス (1)疑似症の届出 (2)HER-SYS (3)モニタリング 
5.地方自治体における即応体制 
6.高齢者・障害者施設等への支援体制 (1)人員・物資の確保 (2)施設内感染対策 

 30日(土曜)、緊急事態宣言の解除(25日月曜)、東京都の休業要請緩和(26日火曜)、神奈川県の休業要請緩和(27日水曜)とつづいて初の休日である。

 観光地の箱根(神奈川)、有馬(兵庫)、登別(北海道)は、約1カ月ぶりに立ち入り制限が緩和され、家族連れの笑顔が見られたが、県境を越える移動自粛要請は継続するため大半が県内客で、地元では「来月に期待」の声がある。

 横浜中華街は多くの店が営業を再開、人出も多く、戸惑いも聞かれる。札幌のススキノ、東京渋谷や新宿の繁華街でも人出の増加を喜ぶ声と感染を危惧する戸惑いが相並ぶ。

 この日の日経新聞(朝刊)の文化欄に、作家の高橋源一郎がエッセー「踏み止まる」を寄せている。書き出しの一文が、この時期の雰囲気をよく表している。「「緊急事態宣言」の解除が発表され、凍りついていた社会の時間が少しずつ動こうとしている。だが、これからどうなっていくのか、はっきりしたことはわからない。…」

 そしてアルベール・カミユの長編小説『ペスト』(1947年刊、宮崎嶺雄訳)の登場人物や粗筋を追いつつ、言う。「…危機に際して、作家は、内なる本能に目覚める。それは、世界を記録し、人びとの記憶のうちに留めたいという本能だ。だから、作家は、逃げずに止まる。…それがどんな場所であろうと、最後のひとりになっても、彼(彼女)は、踏み止まる。…」 そして「…この「コロナ」の危機にあって、踏み止まった作家が、どんな記録を、どんな物語として残すのだろう。もちろん、わたしも、そのひとりでありたいと願っているのだが。」と結ぶ。

 長々と引用させていただいたのは、私が「<記憶>から<記憶>へ」として書き始めた本ブログといみじくも一致したからである。ふと作家の古井由吉(1971年芥川賞、2020年2月18日逝去)たちと学生時代に語り明かした日々を思い出し、古井なら「どんな記録を、どんな物語として残すだろう」と考えた。

 31日(日曜)、この1週間を振り返り、今後の課題に思いを馳せる。その幾つかを列挙したい。

(1)中国の全人代に上程されていた「香港国家安全法」が28日に採択され、1998年から50年後の2047年までを保障した<一国二制度>による香港の<高度な自治>が脅かされる。(2)日本のプロ野球が6月19日から無観客で開幕する。サッカーJ1は7月4日から。(3)オンラインで始まった大学の授業の今後だが、教室を使うとなれば<3密>を回避するため入室制限(約3分の1か)が必要となり、<3部授業>にもなりかねない。理系の実験も同様である。(4)辛い話題の一つ、日本の企業の99%以上、従業員数7割を占める中小企業の休廃業・解散がすでに5万件にのぼる。とくに高齢経営者の撤退が多く、それに伴う失業者の増大が懸念される。(5)SNSをめぐるトランプ米大統領とツイッター社の応酬の行方、また匿名の非難投書問題で表面化する表現の自由と法的規制の関係。(6)25日、北米ミネソタ州で身柄を拘束された黒人が白人警官による暴行で死亡した事件が起き、28日、これに抗議する群衆が暴徒化、31日には抗議運動がニューヨーク等140都市に拡大、トランプ大統領の政権運営と国際政治の悪化が危惧される。

 6月1日(月曜)、いよいよ三溪園の再開園。4月8日に臨時閉園をして以来、2カ月弱を経て、<いよいよ>というか、<ようやく>というか。職員一同、この日のために努力を重ねてきた。新型コロナ感染防止策はもとより、植物の繁茂期でもあり、草取りや剪定、孟宗竹の落葉の掃除等々の作業も欠かせない。

 1906(明治39)年に横浜の実業家・原三溪が私邸を開放して誕生した三溪園、その110余年の歩みのなかで、2カ月弱の休園は初めてである。15万坪余の広大な庭園を持つ国指定名勝に17棟の歴史的建造物、その景観を安全に堪能していただく第一の課題は、密集しやすい入り口付近の混雑をどう緩和するかである。

 開門は9時、曇り空に薄日が差してきた。開門5分ほど前に、中年のご婦人が来られたので挨拶をすると、「この間も幾度か来ては、門の隙間から中を覗いていました。花菖蒲が見事に咲いていますね。それに、あの大きな白い花も素敵…」と上を指す先を目で追い、私は「…タイサンボクですね。こちらにも…」と言って券売所の脇の大樹を指さした。
 
 NHK横浜支局から開園の様子を撮りたいと取材があった。以下のインターネットニュースで観ることができる。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200601/k10012453491000.html

 感染対策として、三溪記念館と合掌造りの旧矢箆原邸(やのはらてい)の2つの屋内展示施設への立ち入りを中止しているが、いつ、どのように開館できるかを模索している。

 またボランティア・ガイドは、<密>を避けるのが難しいとして早くも2月17日から休止しきたが、三溪園の魅力発信に欠かせない活動であり、今後の感染症対策との両立を、こちらも模索している最中である。

 夜8時、全国200カ所で<無観客>の花火大会が開かれた。日本煙火協会青年部に属する有志が企画、<悪疫退散>を祈る催しとして実施。夏の名物、花火大会には多数が密集するため、協賛者が集まらず、各地で中止が決まった。そこで準備してきた花火を、時期・時刻を知らせず、花火玉製作業者の全国横断の連絡網を通じて実施することとしたが、突然の轟音で驚かせてはいけないとして、公表に至った。

 6月2日(火曜)、本連載でも幾度か取り上げたが、PCR検査の検体に唾液を使うことを厚労省が決め、本日、各自治体に通知した。日本では島津製作所とタカラバイオが開発済である。感染者数が最多の東京都が積極的に導入するという。

 鼻の奥の粘液を対面で採取する現行方法では、医療関係者の感染が危惧され、被験者も苦痛を受けるが、唾液採取であれば自己採取が可能で、検査能力が一挙に上がるという。

 この日の午後、東京都の感染者数が34人と判明、前日の13名から一挙に3倍弱の増加。昨日ステップ2に移行したばかりの出鼻をくじかれた感がある。都独自の警戒情報<東京アラート>を発するか、専門家の意見をきいていると、小池知事が5時前の会見で話した。

 その判断に、①直近1週間平均の1日当たりの新規感染者数が50人以上、②感染経路不明者が50%以上、③週単位の感染者数が2倍以上、の3つの指標を使い、専門家は<東京アラート>を発するよう提言した。

 これを受けて、小池知事は「夜の繁華街など3密のリスクが高い場所には十分に注意してほしい」と呼びかけ、同日午後11時、都庁舎(新宿副都心)と臨海部に架かるレインボーブリッジを赤色にライトアップした。
 これが<第2波>の襲来か、対応は適切か、まだ分からない。しかし東京都にとどまらず他の道府県も似た状況に陥る可能性がある。いつでも起こる可能性があると前提し、国の緊急事態宣言<再指定>と都道府県知事による<再度の自粛要請>との関係を含め、政府と自治体が協力し、早急に対策を練るべきであろう。
プロフィール

Author:加藤 祐三
日本の歴史学者

横浜 市立大学名誉教授

国指定名勝・三渓園(横浜)
前園長(2012年8月~2023年3月)

・前都留文科大学長
(2010~2014)

・元横浜市立大学長
(1998~2002)

主な著書
「イギリスとアジア」
         (1980年)
「黒船前後の世界」(1985年)
「東アジアの近代」(1985年)
「地球文明の場へ」(1992年)
「幕末外交と開国」(2012年)
蒋豊訳「黒船異変」(2014年)
蒋豊訳「東亜近代史」
         (2015年)

 など

専門
・近代アジア史
・文明史

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