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小林學さんの想い出

 小林學(こばやし まなぶ)さんが、令和元(2019)年11月24日(日曜)、ご自宅で逝去された。享年87。在横濱ルーマニア名誉領事でもあられた。ご冥福を心よりお祈り申し上げます。

 喪主は静子夫人。通夜が11月30日(土曜)、告別式は12月1日(日曜)、関内ほうさい殿(横浜市中区)で執り行われ、私は告別式に参列した。

 小林さんと初めてお会いしたのは2000(平成12)年ころ。横浜市立大学の学長室にお見えになり、市大の英語の教材開発等にかかる経費をひきつづき支援したい、と言われた。大学に思いを寄せてくださるのは大変に有難い。支援は理系・医系の教員に企業等から入るのが一般的で、個人による英語教材開発のためという趣旨は珍しい。

 「…これからの時代、学生さんたちが社会に出てから英語で苦労しないように、学生時代にしっかり教えてほしい、その一助になれば…」と。

 私は戦後半世紀以上も経ってなお英語教育とその教材開発があまり進んでいない現状を痛感、大学の実情や役割について考え直すきっかけをいただいた。

 2002年、学長を退任した私は時間の余裕を得て歴史研究に完全復帰、2004年3月から神奈川新聞に「開国史話」の連載を始めた(滝とも子さんの挿絵入り)。執筆にあたり歴史の現場をこの目で見たいと、横浜や横須賀の各地を歩き、その延長上に小林さんの印刷工場も見せていただいた。印刷に大量の紙を使うため紙資源の循環にはとくに気を使っていると話された。

 それから10年ほど後の2014年、私は三溪園の園長に就任、近くの住宅に小林學の表札、その横に<在横浜ルーマニア名誉領事>とあるのに気づいた。さらに驚いたのは、もう一つ並ぶ表札に伊波俊之助とある。まさか。

 伊波俊之助(いなみ としのすけ)とは、旧知の横浜市会議員・伊波洋之助さんと一字違いである。三溪園で聞いて、洋之助さんのご子息が俊之助さん(現横浜市会議員)で、小林さんの女婿と分かった。

 その3年後の2017年、俊之助さんが伊波洋之助著『平成に活きた市会議員 伊波洋之助小伝』を届けてくださった。横浜市会議員を引退されて2年後、の刊行で、市議7期28年を務めた記録と回想である。

 同じ2017年、在横浜ルーマニア名誉領事館 伊波美緒の名で入ったメールに「…三渓園に寄贈したいものがあり、そのお願いです。…父が私の生まれたときに用意してくれた、とても高価な七段飾りの雛人形です。サイズが従来のものより大きめの人形とあって、家に飾るのはそれなりのスペースが必要なため、大切に飾っていただけるところがあればお渡ししたいと考えております。…もし可能であれば、備品をこちらで買い換えたうえで寄贈させていただければ有難いのですがいかがでしょうか。外国人観光客も日本の文化に喜ばれると思います。」と有難い申し出である。美緒さんは小林さんのご息女で、伊波俊之助夫人である。

 すぐ園内で検討したが、三渓園には雛人形が5セットあり、収蔵スペース等の都合もあり、残念ながら頂戴するのは難しいとの結論になった。すると「…4月に父がルーマニアへ行く予定をしておりますので、ブカレスト大学の日本語学科へ寄贈しようかと思います。…日本の文化に感動してくださることでしょう。」とのお返事。最適の寄贈先であったと思う。

 また小林家がルーマニア新任のヨシペル大使(女性)ご一行を三渓園へ連れてこられたことがある。当日は、小林さん自らが先導し、豊富な知識を交えて誇らしげに三溪園を語ってくださった。

 「…1859年に開港した横浜(村)には全国から人びとが集まり、新しい街を築きました。その一人が埼玉県出身の生糸売込商・原善三郎で、生糸輸出で富を得て、街づくりに貢献します。獲得した貴重な外貨は、お雇い外国人雇用の財源とすることもでき、たんに横浜だけでなく、日本の近代化にも貢献しました。善三郎の孫娘と結ばれたのが、三溪園を創った原富太郎(三溪)。…

 …善三郎が埼玉出身、富太郎が岐阜出身です。<三代住めば江戸っ子>と言われますが、横浜は<三日住めばハマッコ>と言います。こうして<進取の気性>に富む人たちが横浜を創ります。三溪園造りにかけた三溪さんの情熱はもちろん、その類まれな美的センスに感服しています。…」

 ヨシペル大使は小林さんの話に目を輝かして頷いておられた。大使には翌2018年3月にも再会することができた(本ブログ2018年3月12日掲載「女性駐日大使ご一行の三溪園案内」)。女性駐日大使のなかでヨシペル大使の三溪園観は群を抜いており、小林さんの献身的な友好事業がルーマニアとの貴重な架け橋となっていることを深く思った。

 三溪園の近くで小林さんと行き会うこともあり、買い物へ行かれたのか、手に袋を下げ、悠然と歩いておられた。ちょっと立ち話。

 小林さんが私の5歳年長で、敗戦時に中学2年生だった軍国少年が民主教育とどう折り合いを付けたかを語られ、私の方はまだ国民学校(小学校)3年生で、群馬県への学童集団疎開からやっと東京の親元に戻れたものの、食糧難で、素人農業を始めた父を手伝った日々を語る展開になったことも。

 またルーマニアの近況についての時だったか、私は1963年にルーマニアを訪れていて、首都ブカレストの変貌、また<東欧>と一括される地域の多様性について等々の長話になったことも。

 そして2019年、小林さんの訃報。知らせてくださったのは、前年に洋之助さんを彼岸へ見送ったばかりの俊之助さんであった。(本ブログ2019年2月6日掲載の「伊波洋之助さんを偲ぶ」)

 美緒さんにお願いして、『タウンニュース 中区・西区版』2014年12月4日号を送っていただいた。小林さんを「…中世の面影を残す世界遺産や美しい自然に囲まれた東欧の国、ルーマニア。同国政府から2001年に在横浜名誉総領事に任命された。」と伝えている。

 同紙のインタビューに答えて、「実はルーマニアは大変な親日国でね。日本でルーマニアといえば、ドラキュラが有名ですが、友情に厚く、ラテン的な情熱も持った素晴らしい国ですよ」と、温和な語り口でかの国での思い出を懐かしげに語る。同紙はまた小林さんの人生を次のように報じている。

 〇…生まれは横浜市鶴見区。理系大学を目指していたが、高校時代に結核にかかり4年間床に伏せた。「人生のレールから外れることになり、これで終わりかなと諦めかけた」。そんな折、アメリカから輸入された空き瓶を再利用するために洗うアルバイトで発見したのがシリコン樹脂。「これを建物の防水・防腐の塗布剤として使えたら」と研究開発し、会社を設立。これが成功し、その後も機械製造や輪転印刷、映像制作、学習教材の製作販売など多くの事業を手掛けてきた。」

 そしてルーマニアとの出会いについて次のように言う。

  ○…ルーマニアとの出会いは1990年。代表を務めていた映像制作会社で前年に起きたルーマニア革命を追うドキュメンタリー番組を制作。革命後の取材は混迷を極めた。しかし、国営放送のトップに紹介なしで飛び込み協力を得るなど、のちに続く人脈を築き日本のメディアが伝えられなかったルーマニアの真の姿を報じた。これまで約10本のルーマニアに関するドキュメンタリー番組を制作したほか、同国での国際音楽祭の審査員や大学での講師、孤児院での奉仕活動など長年の貢献が認められ名誉総領事に選ばれた。

 告別式では、ご家族との心温まるスナップ写真が次々と放映された。

 ここに頂戴した「懸命に歩んだ父の道のりを偲んで」と題する<家族一同>の「感謝」の一文がある。

 若かりし頃に戦争を経験し 大学入学の時期に結核を患った父 周りが進学していく中 病床にあって何も出来なかった 当時のもどかしさが 父の気概溢れる行動力と高い志を築き上げたのかもしれません その後 何もないところから印刷会社を立ち上げ ご縁を大切にし 杜を守りつつ 様々な分野に挑戦し続けてきた幾歳月 ルーマニアとの縁もその一つでした 歴史的背景から交流が困難だったルーマニアとの架け橋になりたいと名誉領事となってからは より一層友好関係に尽力しておりました 人が好きで どこへ行っても皆に親しまれる父の人柄もあってか 現地でも多くの方々に慕って頂いたものです 確固たる意思と強い向上心を胸に 時に周りを巻き込みながら 新しい風となって道を切り開いた そんな父を心から誇りに思います 全力で駆け抜けたその人生を讃えて 今は感謝の気持ちで見送ります  ~家族一同

 ついで静子夫人の挨拶。

 夫 小林學は 令和元年十一月二十四日 八十七歳にて その生涯に幕をおろしました。
 人生の途上で出逢い お力添えくださった皆様へ 賜りましたご厚情に厚く感謝申し上げます 本日はご多用の中 ご会葬を頂き誠に有難うございました 略儀ながら書状をもってお礼申し上げます    

 小林學さんと伊波洋之助さんを偲びつつ、謹んで小林・伊波ご両家のご多幸をお祈り申し上げる。
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シンポジウム「和食と健康」

 一般社団法人/和食文化国民会議と一般社団法人/キャノン財団の共催シンポジウム「和食と健康 2020春 長寿につながる和食を科学的に再発見する」が2月4日(火曜)、富士ソフト 秋葉プラザのアキバホールで開かれた。

 チラシには次のようにある。「<長寿につながる和食を科学的に再発見する> 高齢化社会となった今、いつまでも健康ですごすことは私たちの願いです。世界的に健康的な食事と評価されている和食は、私たちの健康にどのように役に立っているのでしょうか。健康的な長寿につながる和食について、科学的側面から最新の研究内容を報告します。」

 和食文化国民会議(略称 和食会議)は、「和食:日本人の伝統的な食文化-正月を例としてー」のユネスコ無形文化遺産登録申請を契機に、和食文化を次世代へ継承しようと、2015(平成27)年2月4日に設立、その価値を国民全体で共有する活動を展開している。

 具体的には、(1)「和食」の適切な保護・継承のために必要な情報収集に関する事業、(2)「和食」の調査・研究に関する事業、(3)「和食」の普及啓発に関する事業、(4)「和食」に関する技及び知恵の伝承に関する事業、(5)「和食」の情報発信に関する事業、(6)前各号に附帯又は関連する事業の6つである(ホームページより)。

 「和食」と「括弧」つきなのは新しい命名を意識したためか。今回のシンポジウムのなかでも「和食」ではなく「日本食」の用語が多用されていた。

 そこに4つの部会を置く。(1)調査・研究部会(大久保洋子部会長、(2)技・知恵部会(村田吉弘部会長)、(3)普及・啓発部会(後藤加寿子部会長)、(4)全国「和食」連絡会議(服部幸應議長)。今回のシンポジウムは(1)の活動の一部であり、大久保部会長が開会の挨拶を述べた。

 ついで共催の一般社団法人/キャノン財団の星野哲郎事務局長が挨拶、㈱キャノンとキャノン財団の活動を説明した。国産高級カメラ製造を目的に1937年に設立したキャノン株式会社が、創業70年を機に2008年に設置した一般社団法人がキャノン財団であり、これまでに科学技術の発展に貢献する研究への支援(研究助成)160件(28億円)を行ってきた。11年目の2019年からは「善き未来を切り開く科学技術」と「新産業を生む科学技術」の2つの研究助成に的を絞る。

 いよいよ次の2つの研究発表(各1時間)である。
 発表Ⅰは、石川県立大学生物資源環境学部の小栁喬準教授「伝統発酵食品が育んだ和食文化と、我々にもたらす健やかな未来」
 発表Ⅱは、東北大学大学院医学系研究科の辻一郎教授「和食が心身の健康に及ぼす影響について」
 これを受けて伏木亨/一般社団法人和食文化国民会議代表理事・会長(龍谷大学農学部教授)をコーディネータに、発表者お二人とのパネルディスカッションが行われる。

 シンポジウム・講演会等の情報はかなり多く、そのどれに参加するか。これまで9年近く書きついできた合計353本のブログ記事と関連がある。私のブログ第1号は2011年3月12日、東日本大震災発生の翌日で(『(都留文科大学)学長ブログ 2011~2014年』2014年刊所収)、これは本ブログのリンクにデジタル版を付した。それを継いで、新たに本ブログ『月一古典(つきいち こてん)』を始めて今日に至る。

 そのなかに食材や土地の特性について書いた記事が幾つかある。「都留の地場産業を訪ねる」(『学長ブログ』64 2012年9月29日掲載)は、清らかな湧水を利用したワサビ栽培や自然に生えるクレソン等の食材について書いた。

 和食を題名に入れた最初が「和食が消える?」(2014年8月13掲載)である。2013年末、「和食 日本人の伝統的食文化」がユネスコの会議で<無形文化遺産>への登録が決まったことに関連した記事である。<無形文化遺産>とはユネスコの主催する「世界遺産」(世界自然遺産と世界文化遺産)及び「記憶遺産」と並ぶ3つの登録遺産の1つであり、2006年4月発効の「無形文化遺産の保護に関する条約」に基づく。

 日本からの提案書は、和食(WASHOKU)を「<自然の尊重>という日本人の精神をあらわす、食に関する社会的習慣」と定義し、その特徴を「新鮮で多様な食材とその持ち味を尊重」し、「年中行事と密接な関連」を持つと述べている。

 登録を決めた背景として、世界的な和食の人気がある。米国の1万4000余軒の和食レストラン(この10年で倍増)や香港にある寿司屋・居酒屋等を入れた約900軒、フランスに1000軒、英国に600軒の和食レストランがある。

 この<無形文化遺産>への登録を日本国内ではどう受け止めているのか、ブログでは上野アメ横の乾物の名店<伊勢音>の店主に尋ねている。「…和食尊重は良いことだし、本物の出汁を広めるチャンスでは?」と私が切り出すと、「いや。人工調味料に押され、天然出汁の食材は売れなくなったねぇ。日本人の味覚がダメになってきた…」とこぼした。

 世界の流行や評価と国内のそれが相反する方向にあるのは珍しくない。とくに広義の文化に関するものでは、<自文化>を対象化するのが難しいだけ、<異文化>の眼からの指摘に教えられ、学ぶことも少なくない。

 また<異文化>への過度の憧れから、<自文化>を劣ったものと見る傾向もまだある。こうした過去の2つの傾向を背景とし、ユネスコ無形文化遺産の登録と伊勢音店主の発言を対比し、題名に「和食が消える?」と疑問形を付した。

 ついで「三溪園の正月行事」(2015年1月5日掲載)では、三溪園の正月行事の一つ<包丁式>“宝船の鯛”(ほうせんのたい)について述べた。これは室町時代の長享3(1489)年の奥書にある『四条流庖丁書』に依拠し、横浜萬屋心友会(会員約20名の料理人の会)による<港町横浜と初夢>の一つである。

 また幕末の1854年3月8日、横浜村において幕府代表の林大学頭とアメリカ東インド艦隊司令長官ペリーの、日米初の公式会談である日米和親条約の交渉が行われたが、その<ペリー饗応の膳>を請け負った料理店について「善四郎とペリー饗応の膳」(2018年3月26日掲載)を書いた。

 ほかにも和食をめぐる講演会、とくに熊倉㓛夫(日本文化史・茶道史、国立民族学博物館名誉教授)さんの縁で和食文化国民会議主催の講演を聴き、また仏教伝来に伴う肉食禁止の大義名分と実体との格差等について調べたこともあったが、まだ中途半端であり、それだけに今回のシンポジウム「和食と健康」に大きく期待した。

 発表Ⅰ「伝統発酵食品が育んだ和食文化と、我々にもたらす健やかな未来」(小栁喬準教授)は、図・表・グラフ・写真等のスライド63枚からなる行き届いた資料を配布、それをスクリーンに映し出して説明する。聴衆はスクリーンの映像と口頭説明を合わせて理解し、その確認として配布資料に戻れば良い。情報伝達の方法として視聴者に配慮がある。

 記録を基に世界の発酵食品の歴史をワイン(紀元前6000年頃~)、ビール(紀元前4000年頃~)、ヨーグルト(紀元前5000年頃~)と辿り、日本の神話(日本書紀、古事記等)に登場する酒や果実酒を述べ、さらに魚醤(紀元前5世紀~)や塩辛(鮨、紀元前3世紀~)に及ぶ。

 ついで食品を発酵させる微生物を<細菌>(バクテリア)と<真菌>(酵母、コウジカビ等)に2分類し、前者に①乳酸菌と②納豆菌を、後者に③アルコールをつくる<酵母>と④デンプンからブドウ糖をつくる<麹菌>を入れる。ここに登場するのが蒸した米に<麹菌>(黄コウジカビ)を生やした<米麹>である。

 「<麹菌>がいなければ…日本食はなくなる(存在しない)」ため、<麹菌>は<国菌>とも呼ばれる。大気中に生息するこの微生物<麹菌>(黄コウジカビ)を蒸した米に付着繁殖させる。これが日本酒、甘酒、味噌、醤油、酢をつくるすべての根源である。

 私は中国農業史を勉強するなかで「デンプンを糖化し、さらにアルコール化する2段階の発酵過程を担えるのは<麹菌>だけである。<麹菌>は日本や東アジア沿海部の一部にしか生息しない」と知ったときのことを思い出した。

 ここから石川県の「豊かな発酵食品」の紹介に入る。カブとブリと米麹甘酒でつくる<かぶらずし>、大根と身欠きニシンと米麹甘酒でつくる<だいこんずし>、猛毒の<フグの卵巣の粕漬け>は2年程で毒が消え珍味と化す。奥能登の<あじのなれずし>に及ぶ頃、小栁さんの楽しそうな語り口に誘われて、手間暇かけた滋味あふれる料理の数々が脳裏に浮かんだ。

 次に<米麹>が<乳酸菌>の繁殖を後押しする実態を明らかにし、これが東南アジアの発酵食品との違いとして微生物の世界へ導いていく。発酵食品を通じたタイ、カンボジアの学生たちとの交流も微笑ましい。そして最後を「伝統発酵食品の運命は……食文化が発達すれば発酵食品は……なくなる?」と問題提起、その元凶は料理に時間をかけたくない生活習慣ではないか、と結ぶ。

 15分の休憩を挟み、発表Ⅱ「和食が心身の健康に及ぼす影響について」(辻一郎教授)に入る。こちらも周到な64枚のスライドからなる資料を配布、(1)緑茶・ミカン・キノコと健康との関係、(2)食事パターンとは、(3)日本食パターンと健康との関係、(4)いつ頃の日本食が健康に有益なのか?(1975年説)の4つのテーマを語る。

 日本食の弱点(欠陥)は塩分摂取量の多いことである。そこでカリウム(野菜や果物)の積極的な摂取を勧める。

 日本食といっても一様ではなく、当然ながら時代の変遷がある。1975年の宮城県大崎市の約5万人の調査結果に見る<食事パターン>を世界の良質な<食事パターン>と比較、日本食の米飯、味噌汁、魚類、野菜、海藻、漬物、緑茶の食習慣を理想とする。

 また「和食の構成要素」として次の7点を挙げる。ア)米、大豆、野菜、果物、海藻、魚介類等の食品、イ)緑茶、ウ)味噌、醤油、納豆、漬物等の発酵食品、エ)一汁三菜等の影響バランス、オ)味噌、醤油、酢、みりん等の調味料、カ)椀、和、煮、焼、蒸、揚、酢、飯等の調理法、キ)四季、年中行事との関連等の文化的側面。

 休憩を挟み、パネルディスカッションに入る。伏木さんが聴衆を代表するかのように巧みに発表者お二人から補足説明を引き出す。<食>は楽しく、叡智の結晶、という実感が伝わってくる。

 小栁さんは、「…私は福岡出身ですが、赴任地の石川県や調査先の東南アジアで初めて知った数々の料理、とくに発酵食品に感激しています。…」と言う。和食の地域性と多様性、そして広く東南アジア諸国とつながる共通面も知ることができた。

 なお受付で販売していた渡邊智子・都築毅共著『和食と健康』(和食文化国民会議監修/ブックレット4、思文閣、2016年)は、多様な切り口や視点で<和食と健康>を語っており、興味深く読んだ。

人文学とAI

 大学共同利用機関法人/人間文化研究機構の主催する第38回人文機構シンポジウム「デジタル・ヒューマニティーズってなに?~コンピュータがひもとく歴史の世界~」が、1月25日(土曜)、東京の日比谷図書文化館の大ホール(定員200人)で開かれた。

 人文機構(NIHU)は、その活動やイベント等の情報を「人文機構ニューズレター」として配信している。標題の「デジタル・ヒューマニティーズってなに?」には啓蒙的な響きもあり、副題の「コンピュータがひもとく歴史の世界」とあるところから、狙いは歴史資料のデジタル化に焦点を絞っているようにも見える。

 チラシの表紙に歌舞伎役者の画を配し、吹き出しの「コンピュータが古文書を読めるのか」、「大量の写真からは何が分かるのじゃ?」、「AIってそんなすごいの?」で本シンポジウムの狙いを表している。

 前回の2年前のシンポジウム「人文知による情報と知の体系化-異分野融合で何をつくるか」(本ブログ2018年3月1日掲載「人文知による情報と知の体系化」)に参加して以来、その後の進展を知りたいと思っていた。それは人文機構と情報・システム研究機構の合同シンポジウムであり、副題に示す<異分野融合>を前面に打ち出していた。

 そのときの基調講演が立本成文(人間文化研究機構機構長)の「人文知から見た文理融合」である。3章9節の目次をスクリーンに映し、わずか40分の持ち時間のなかで自説を展開した。退任前の<最終講義>とも言えるもので、その密度の濃さと真摯な態度に感銘を受けた。

 立本さんは京都大学文学部哲学科を卒業、大学院では社会学を専攻、京都大学東南アジア研究センターで長らく研究に携わった。『東南アジアの組織原理』(勁草書房、1989年、旧姓の前田成文)、『共生のシステムを求めて』(弘文堂、2001年)等の名著で知られる。

 私は3章9節の目次を書きとり、上掲のブログに掲載したが、再掲したい。1章「文と理」に(1)「文理とサイエンス」、(2)「文理は分離できない、百学連環」、(3)「二つの文化論と二元論的発想」の3節を、2章「人文知-二項対立から融合へ」に(1)「客観的知識と主観的知識」、(2)「科学革命(19世紀後半)で失われたもの、いのち(からだ・こころ・ことばのはたらき)、(3)「総合性の復権」の3節を、そして3章「文理融合の方法」に(1)「総合的に捉まえる最近の考え方(ITによるビッグデータの統合等)」、(2)人間文化研究機構のビジョン、(3)「実事求是(事実判断と価値判断)と科学者の道義的責任、人間らしさの復権」の3節を配している。

 2章(2)の「科学革命で失われた、いのち(からだ・こころ・ことばのはたらき)」を受けて、ゲージ理論の草分けで、数学・物理・哲学等に通暁し、深い思索を展開したH・ワイル(1885~1955年)「プリンストン大学創立200周年記念講演(1946年)」(岡村浩訳『精神と自然』 1946年、ちくま学芸文庫、2014年所収)を引き、科学における人間らしさの復権を結びとした。

 それから2年、今回のシンポジウムについて書く前に、本稿の私の標題「人文学とAI」について幾つか説明が必要であろう。シンポジウムの題名「デジタル・ヒューマニティーズってなに?」を敢えて使っていない。

 <人文学>とは学問の3分類(人文科学、社会科学、自然科学)のうちの人文科学の省略形であり、多くの大学では文学部に属する諸学科、すなわち哲学、歴史学(史学)、文学、社会学、心理学、文化人類学等々を包括する。

 また本シンポジウムを主催する人間文化研究機構も人文機構シンポジウムと省略形で自称しており、これから見ると、人間文化研究≒人文学と考えているように見える。

 AI(artificial intelligence)とは<人工知能>と訳される情報処理の技術であり、コンピュータの運用によりデジタル化した膨大な資料を驚くべき速度で計算して解を導き出す。演算速度と解析ソフトのすさまじい進化が価格を下げ、急速に普及し始めた。

 身近な例ではスマホを使う翻訳会話機があり、これからの<異文化共生>に寄与することは間違いない。一方、<遺伝子検査>の1件あたりの費用3000億円は、20年後の現在、10万円でできるようになったが、<遺伝子検査>の結果をどう活用するかの倫理上の議論(学問の分類上は<哲学>を核とする学際的領域)は遅れている。

 情報処理技術が先行し、その利用に伴う善悪の判断基準が追いついていない。これを遺伝子操作や軍事技術に応用する場合、いっそう事態は深刻である。

 AIについては、私も本ブログで幾度か取り上げてきた。早いものでは「地球環境とサイエンス」(2014年10月1日掲載)、ついで「科学技術は、自然と人間社会にどう向き合うか?」シンポジウム(2016年5月24日掲載「ありがたき耳学問」)、さらに2018年8月17日掲載の「生命科学の行方」では、畏友・浅島誠氏(東京大学名誉教授、発生学)の報告を受けて、次のように書いた。

 高速演算能力を高める量子コンピュータの発展により、生命科学はさらに進歩し、AIが自己創造力を発揮すればするほど<倫理観>の置き去りが危惧される。言い換えれば、「科学の<独走><暴走>を抑止する現代の<倫理観>をいかに構築するかである。」

 浅島報告を受けて、その半年後に私も「10年後の歴史学」(2019年1月7日掲載)の話をした。AIを使う「科学の<独走><暴走>」に関して危機感を持ちつつも、次の3点から話を進めた。(1)「歴史学と他の学問分野との比較」、(2)「歴史学にとっての記録(文字史料、図像、映像、録音等)の重要性」、(3)「30年(一世代=平成の30年)の回顧と10年後の歴史学」。

 (1)のなかで、「歴史史料は数量化に馴染まず、かつ応用価値がないため、AIの出動機会はない?」と記したが、その後、AIの過小評価を修正する情報は徐々に増え、注目していた矢先の今回のシンポジウムであった。

 以上の経緯を述べた上で、いよいよ人文機構シンポジウム「デジタル・ヒューマニティーズってなに?~コンピュータがひもとく歴史の世界~」に話を進めたい。

 開会の挨拶に主宰者の平川南人間文化研究機構長が立ち、本機構は全国6つの研究所・センターからなると説明、シンポジウムの意図については岸上伸啓人間文化研究機構理事(国立民族学博物館教授併任)が趣旨説明「コンピュータが読む人間文化」のなかで明らかにした。

 ついで講演1の後藤真(国立歴史民俗博物館准教授)「コンピュータが読む日本語」は文字情報を、講演2の朝日祥之(国立国語研究所准教授)「コンピュータが読む写真」は写真という図像情報を主題とする。

 休憩を挟んでコメントは次の3氏。北本朝展さん(情報・システム研究機構 データサイエンス共同利用基盤施設 人文学オープンデータ共同利用センター長)、霜山文雄さん(NHK知財センター アーカイブス部チーフディレクター)、日下九八さん(元ウィキペディア管理者)である。

 さらに休憩を挟み、第3部にあたる<総合討論>は、岸上さんの司会のもと、講演者2名とコメントを述べた3名の計5名である。岸上さんはコメント・総合討論の司会も務める八面六臂の活躍、巧みな司会裁きにも拘わらず、会場からの質問・意見を受ける時間がとれず、定刻の16時30分に閉会した。

 上掲の2つの講演(各35分)のうち講演1の後藤真「コンピュータが読む日本語」を取り上げたい。文字情報はコンピュータによる読み取り・データ化を通じ、多くの日常語をキーワードとして検索可能となっている。

 すなわち(1)難読の崩し字文書をAIが解読する機能の著しい向上(どれだけ多くの情報を蓄積するかにかかっている)、(2)筆跡の異なる種々の手書き史料を活字化して相互比較が容易になり、(3)文字情報の大量蓄積から特定のキーワード検索を通じてより正確な史実を確定し、新たな歴史像を導き出す手段として活用することも可能となる。…

 その事例として日本古代史の一級史料である「延喜式」のデジタル化を取り上げる。すでに完成している「日本の文化資料を一気に検索」できる総合検索システムNihuINTを使って幾つかの例示を示した。史料の少ない古代史には極めて有効であろう。

 帰宅後に私もNihuINTを開いて「延喜式」を検索してみた。6251件がヒットし、例えば「群馬県二社延喜式内 神大赤城神社真図」や「(下野の)朱間馬牧」のレベルで分かる。面白いほど多様な使い道がありそうである。検索用の参考例「料理 江戸」では2261件がヒットした。

 ほかにも「地名辞書データ」、「人名一覧表示システム(人名一覧)」、「縄文集落データベース」、「幕末明治地図」等の独立したデータがある。また「年表」のキーワードで検索すると驚くことに29172件(数分後には32401件と表示)がヒットし、「佐原年表 天正十八年~明治二十六年の年代記」、「利根川治水年表」、「年表(教育関係事項)」等、様々なレベルがある。

 このツールを使うことにより、史料解読に費やされる膨大な労力と時間から解放され、史料の理解が深まり、仮説を立てて新たな歴史像を追究する幾通りもの道が開けそうだと強い興奮を覚えた。

 なお人文学研究資源のデジタル化の現状と意義については、山田太造・古瀬蔵「nihuINT による人文学研究資源の情報統合」も参考になる。

 本シンポジウムの狙いの1つ、「コンピュータが古文書を読めるのか」については、私なりに理解できた。しかし、「デジタル・ヒューマニティーズってなに?」の、総体として意味するところは一向に分からない。

 後藤講演の末尾で、わずかにこの課題の指摘がなされたものの、3氏による<コメント>でも、また5氏による<総合議論>でも対象にならず、期待していた会場との質疑応答も時間切れとなった。

 主催者が考える(or考えようとする)<デジタル・ヒューマニティーズ>の全体像を問うことこそ今後の課題であるとの印象を受けた。2年前のシンポジウムで立本さんが示された諸問題、とくに9項目の最後に位置する「<実事求是>(事実判断と価値判断)と科学者の道義的責任、人間らしさの復権」に立ち返り、議論を深めてほしい。

 歴史学徒であるが人文機構には所属していない、外野(あるいは内野?)から送る私の切なるエールである。
プロフィール

Author:加藤 祐三
日本の歴史学者

横浜 市立大学名誉教授

国指定名勝・三渓園(横浜)
園長

・前都留文科大学長
(2010~2014)

・元横浜市立大学長
(1998~2002)

主な著書
「イギリスとアジア」
         (1980年)
「黒船前後の世界」(1985年)
「東アジアの近代」(1985年)
「地球文明の場へ」(1992年)
「幕末外交と開国」(2012年)
蒋豊訳「黒船異変」(2014年)
蒋豊訳「東亜近代史」
         (2015年)

 など

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・近代アジア史
・文明史

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