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写真展「鳥たちの煌きⅣ」

 横浜市内の各所で開催される写真や映像関連45のイベント事業「フォト・ヨコハマ」の一環として、フォト・ヨコハマ実行委員会主催の高円宮妃殿下写真展<鳥たちの煌きⅣ>が1月16日(木曜)9時から22日(水曜)16時半までの7日間、三溪園内の白雲邸で開かれた。Ⅳとあるように今回が4回目である。

 これまでの写真展について、本ブログで2015年2月14日掲載の写真展「鳥たちの煌き(きらめき)」(初回)、2017年3月3日掲載の「野鳥たちの現在」(<鳥たちの煌きⅢ>展について)と2回紹介した。また後者には三溪園に飛来する野鳥の種類等の観察記録も掲載した。

 2019年2月開催の「にっぽん-大使たちの視線2018-外交官がとらえた明治維新から150年を迎える今のニッポン」(”Meiji 150 years, Japan Transforming –- through Diplomat’s Eyes 2018“)」写真展には、妃殿下も出展・出席され、多くの人が訪れた(2019年2月7日掲載「駐日外交官たちの写真展」参照)。

 妃殿下はイギリスに本部のある国際環境NGOの野鳥保護団体「バードライフ・インターナショナル」(1922年創設、世界122カ国/地域に280万人の会員、アジア部門事務所は東京都新宿区)の名誉総裁を務め、野鳥を通じた自然環境の保護に取り組まれている。日本におけるパートナー団体は「日本野鳥の会」である。

 「かながわの探鳥地50選」の一つである三溪園の大池には、いまキンクロハジロ(カモの一種)を主とした鳥たちが群れている。朝は必ず蓮池の奥の大樹に主のように止まっているアオサギは、午後には大池の畔に出張っていた。野鳥の写真を通じて、自然を愛し環境保護の大切さを訴えようとする妃殿下の思いを伝えるのに、三溪園は格好の場である。

 オープニングの祝典は1月16日(木曜)15時から三溪園内の鶴翔閣で行われた。妃殿下と駐日各国大使・公使夫妻や日本側来賓約80名の方々を、林文子横浜市長、横山正人横浜市会議長、谷田部孝一横浜市会副議長、内田弘保三溪園保勝会理事長をはじめ関係者がお迎えする。

 林市長が、「…妃殿下の写真展<鳥たちの煌き>がこのたび4回目を迎えます。無理をお願いした展示会、鳥たちがみなさまをお招きしています。…自然の素晴らしさ、世界の平和、子どもたちの未来にかける想いを、鳥たちの姿を通して感じ取っていただければ幸いです。…」 一呼吸おいて妃殿下に語りかける。「…5回目があらんことを!」 いつものように日本語についで英語で挨拶された。

 これを受けて妃殿下は、日本語と英語を交互に交え、お一人で同時通訳風に話される。「…4回目の写真展とはプロ写真家にもない珍しいケース、プロのフィールド荒らしと言われつつ、プロのご指導をいただき、進化したカメラ性能の助けを得て、今回の開催に至りました。…いま世界の環境悪化に心を痛めております。最近ではオーストラリアの森林火災で多くの動植物が死滅しつつあります。鳥の視点に寄り添い、環境保護を訴えていきたく思います。…」

 今回の写真展会場は祝典会場の鶴翔閣ではなく、徒歩数分の白雲邸である。鶴翔閣は1902(明治35)年完成の三溪の居所であったが、白雲邸は1920(大正9)年完成の隠居所であった。曇天の穏やかな日、2つの居所を結ぶ道すがらの冬景色も趣がある。

 内苑の御門を抜けると、石畳の路地の左手に、<野の鳥たち 十選>の案内パネル(縦60㎝×横90㎝)と、同サイズの写真の屋外展示(風雨に耐える仕様)が目に飛び込んでくる。

 写真は、手前から順に、空を舞う4羽のアトリ、カンムリカワセミ、滑空する2羽のタンチョウ、フクロウの幼鳥、シマフクロウ、チョウゲンボウ、アカゲラ、2羽のヤンバルクイナ、池に遊ぶオシドリのつがい、ツツドリとヒヨドリ。厳選した傑作選10点である。

 白雲邸の木戸をくぐり展示会場へ。リーフレット「高円宮妃殿下写真展-鳥たちの煌きⅣ」を受取る。A3版(両面)を八つ折りしたポケット・サイズで、日本文と英文の両面記載、全41点の一覧である。

 妃殿下の説明と応じる市長たちの談笑の後ろに参観者の列が動く。初めて聞く鳥の名前にリーフレットを開くと、鳥の名称、サイズ、撮影地等の基本情報に加え、それぞれに2行ほどの添え書きがあった。

 玄関脇の小応接には、①エナガの写真(縦100cm×横130cm)が手前の生け花と調和している。13.5㎝ エナガ科 長野県 につづけて短い添え書きがある(< >で囲った)。 <「ねぇねぇ、知ってる?」と何やらおしゃべり中? 吹き出しを付けて、セリフを書き込みたくなる。> 

 談話室(21畳間)に進む。高さ2メートルほどの衝立で4つに仕切られたコーナーそれぞれに6点ずつ計24点の写真(②~⑦、⑧~⑬、⑭~⑲、⑳~㉕)。写真サイズは縦42㎝×横60㎝と屋外のものより小さいが眼の高さにあり、鳥たちをよく見ることができる。

 ④カラスとノスリ 東京都 ハシブトカラス 56.5cm カラス科、 ノスリ ♂52cm ♀57cm タカ科 <梅林でメジロを撮影中に上空が騒がしくなり、見ると青空バックにこの白黒対決。急いでレンズを向けた。>

 ⑦オオマシコ&アトリ オオマシコ 17.5cm アトリ科、 アトリ16cm アトリ科 埼玉県 <採餌中のオオマシコのメスに接近したアトリ。威嚇され、あわてて方向転換し、飛び去った。>

 ⑮トビとカラス 島根県 トビ ♂59cm ♀69cm タカ科、ハシボソガラス 50cm カラス科 <トビは日本では普通に見られる大型で斑紋が綺麗な猛禽。この個体は、カラスの巣に近づいてしまい、退去を命じられているところ。>

 ㉒ヤンバルクイナ 30cm クイナ科 沖縄県 <沖縄本島北部のやんばるで1981年に発見された固有種。一時、生息数が激減。最近は復活傾向にあり、個体数は約1800羽。>

 ㉔シマエナガ 13.5cm エナガ科 北海道 <「何してるの?」と聞かれている気がする。エナガもとても可愛いが、亜種シマエナガの可愛さは格別>。高い木の枝にとまり下を見ている真っ白な羽毛のシマナガエ、黒い嘴と愛くるしい両目が語りかけてくる。

 談話室を出て廊下の北側の8畳間に㉖から㉛までの6点。サイズは縦90㎝×横120㎝のパネルを6枚(2段×3枚)合わせた三つ折りの屏風仕立て。

 さらに<ニの間>、<一の間>へ進む。一転して低い長机のうえに小ぶり(縦28㎝ 横40㎝)の写真(㉜から㊵まで)9点を置く。顔を挙げると庭の樹木、はるか上方に三重塔を望む巧みな空間構成である。

 ㉝オオルリ 16.5cm ヒタキ科 長野県 <高い梢でさえずるオオルリのオス。ピーリーリーと谷間に響く美しい鳴き声にしばし時間を忘れる。>

 ㉟モズ 20センチ モズ科 長野県 <満開の桃の枝に、一瞬だけ止まってくれた。北海道では夏鳥、東京では冬鳥のイメージ。秋、梢でキチキチキチと高鳴きする。>

 最後の㊶オオルリ(㉝についでオオルリは2例目)は、縦60㎝ 横90㎝の写真を掛け軸に仕立て床の間に飾る。16.5cm ヒタキ科 長野県 <日本や朝鮮半島で繁殖し、タイ、インドネシアなどの東南アジアで越冬する。気象状況が悪く、通常いない森林で出会った。>

 観覧を終えて鶴翔閣へ戻る途中、大池のキンクロハジロの数が少ないのは今年だけの暖冬のせいか、あるいは後戻りできない気象変動のせいかと話題になった。

 鶴翔閣のレセプションでは、林市長と横山横浜市会議長が写真展の感動と意義を語り、ついで歓談が始まる。横におられたアルゼンチン共和国アラン・ベロー大使は三溪園に深い関心を寄せられ、再来を約してくださった。

 そして僧服の瀬川大秀猊下ご一行。真言宗御室派の総本山仁和寺門跡であられる。仁和寺(にんなじ、京都市右京区)は、仁和4(888)年に落成、開基は宇多天皇、皇室とゆかりの深い門跡寺院。国宝の金堂と重要文化財建造物の五重塔・観音堂等8棟があり、兼好法師の「徒然草」でも知られる。

 歓談の中で、私が「寺院の庭園は一般に建物に付属するのが常ですが、三溪園は庭園の中に古寺の建造物を移築した稀な例だと思います。…」と言うと、にこやかに「…仁和寺にもお越しください。…」と応じられた。

 予定時間を少しオーバーして5時過ぎ、冬の空が暗くなって散会となった。

 写真展の会期は7日間。最終日の1月22日(水曜)は気温が急降下するも、氷が張るほどではなく、小雨も1時半には上がった。陽の射す明るい部屋で、鳥たちが躍動、曇天の初日とはまったく異なる印象を受ける。
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三溪園ボランティア連絡会(2020年)

 3月なみの暖かさと言われる1月14日(火曜)、三溪園ボランティア連絡会が園内の鶴翔閣で開かれた。10時開会、受付と資料配布等を北泉剛史学芸員と滝田敦史主事(営業担当)が、司会を羽田雄一郎主事(庭園担当)が行う。入口でパンフレット「三溪園ボランティア連絡会資料」(A4×33ページ)が配られた。

 三溪園ボランティアは、2003(平成15)年9月に第1次募集を行い、今年で15年になる。昨年6月の第14次募集で、現在249名が登録(男性170名、女性79名)。年齢層は44歳から89歳。すっかり定着し、三溪園の魅力を外に発信する第一線の活動を担っている。

 三溪園は年末の3日間のみ閉園し、他の362日を開園している。ボランティアの活動はガイド、合掌造、庭園の3ジャンルに分かれ、曜日ごとの班に属し、互いに交流のない人も少なくない。そこで「ボランティア相互の活動を知り、お互いに認め合い、意識を高めていく場とする」ことを目的として、年に1回、連絡会・懇親会を始めた。

 過去4年分については、本ブログで紹介した。題名はそれぞれ微妙に異なるが、次の通りである。(1)「三溪園のボランティア」(2015年12月21日掲載)、(2)「三溪園ボランティア連絡会」(2017年1月30日掲載)、(3)「三溪園ボランティア」(2018年1月29日掲載)、(4)「三溪園ボランティアの活動」(2019年1月29日掲載)。

 以上4回の記録と重複する部分をなるべく省いて、今回の三溪園ボランティア連絡会・懇親会の記録を残しておきたい。

 配布のパンフレットには、羽田さん達の工夫で、次第を第1部「連絡会」、第2部「感謝状贈呈式」、第3部「懇親会」に大別、時間を把握しやすいよう各項目の開始時刻を細かく示した。

 私の開会の挨拶は7分。次の3つを話した。(1)重要文化財の大規模改修工事が臨春閣の屋根葺き替えに始まり、今後10余年にわたってつづくため来園者には不便をおかけするが、文化財に欠かせない<生命の再生>の事業であることをお客さまに伝えていただきたい。(2)三溪園のホームページの更新と記念館入り口に新設するサイネージ(電子広告)の件、(3)三溪園を象徴する土産品の開発等の現状。

 最後にお願いをした。本日の記録を例年通り私の個人ブログに掲載したい、このパンフレットに記載されたお名前と10年継続の感謝状贈呈者のお名前を出したいと思うが、困ると思われる方は早めにお知らせいただきたい、と。

 10:15からの吉川利一事業課長「2019年の活動ふりかえりと今後の予定-三溪園のボランティア活動概要について」では次の点を報告した。(1)アフリカ開発会議参加者の来園、(2)ラグビー・ワールドカップの関連イベント、(3)横浜美術館での特別展「原三溪の美術」(横浜美術館の開館30周年と原三溪生誕150年・没後80年記念)とその関連事業、(4)外国報道陣による横浜メディア・ツアー。

 ついで司会の羽田さんがパンフレットの概要を説明する。順に①ボランティアの歩み(2003年の第1次募集から2019年の第14次募集までの年表)、②現況(249名、うちガイド160名、合掌造53名、庭園(79名)、③ガイド・インフォメーション(ガイド・ボランティア)の概況、④英語による庭園ガイド(2019年から全ての曜日で対応可能となった)、⑤合掌造りの運営・管理と年中行事等の一覧、⑥庭園の保守・管理の一覧(今年度はとくに台風15号・19号の復旧作業に尽力)、⑦有志活動グループのうち<茶の湯の会>、<自然観察の会>、<英語の会>の概況。

 そして活動報告・エピソード紹介(寄稿)7本が並ぶ。所属班・氏名(敬称略)・題名を一覧したい。(1)ガイド・庭園月曜班の吉野直美「原家と岸田劉生」、(2)ガイド火曜班の前田弓子「ガイドデビューの年を振り返って」、(3)ガイド水曜班の滝川泰治「方言と三溪園案内」、(4)ガイド木曜班の太田泰司「三溪翁の遺徳の再認識を」、(5)ガイド・庭園金曜班の大西功「私の三溪園でのガイドのモットー!」、(6)ガイド・庭園日曜班の玉田節雄「東西南北配置の妙味」、(7)合掌造・庭園月曜班の酒巻史朗「食道がんとミニ門松」。

 いよいよボランティア活動報告・エピソード紹介等のスピーチに入る。ガイド・合掌造・庭園・有志活動(茶・自然観察・英語)・その他の順で、活動のふりかえりと今後の予定の報告である。司会の「…1名あたり最長で5分を割り当て、4分でベルを1回チンと鳴らし、5分になるとチンチンと鳴らします」に爆笑。学会では通常の方式だが、ここでは初の試み。

 ガイドボランティア活動報告(月~日曜日代表の順、計35分)は、トップの月曜班が髙橋敏生(敬称略、以下同じ)。司会の「3分50秒でした」にまた爆笑。つづく火曜班の甲元基、水曜班の鈴木康穂*、木曜班の松尾忠史、金曜班の福田克夫、土曜班の新中和男、日曜班の玉田節雄*(なお*印を付した報告はパンフレットに文章を寄せた方)も時間内にうまく収めた。

 合掌造ボランティア報告(月~日曜日の代表)は、月曜班が崎豊、火曜班が矢野幸司*、水曜班が鈴木克精*、金曜班が佐藤信子、土曜班が塩畑英成、日曜班が舟津紘一。

 庭園ボランティア報告は代表の畔上政男が昨年につづく登板である。

 有志グループ報告は、茶の湯の会について土屋潔子が、自然観察の会について竹内勲が、英語の会について須川美知子が行った。

 それぞれが各班の構成、運営の仕方、活動報告書の保存と参照、活動にあたっての注意事項、具体的な活動事例を挙げて説得力がある。さすがに多くの社会経験を積み、三溪園と創始者・三溪に魅かれて参加する方々ばかり。一つ一つに頷く姿がある。

 以上17名の活動報告が、なんと予定の5分前に終了、事前に文章にしたこと(上掲の*印のあるもの)が奏功したと思われる。

 すこしだけ余った時間を使い、吉川課長が最初の事業報告の補足をしたのち、閉会のあいさつに村田和義副園長が立った。

 「2年前の4月に着任、昨年は所用と重なり今回が初参加と前置き、市役所時代の経験等の自己紹介につづき、三溪園の魅力を発信する最前線に立つボランティアの活動に頭が下がる、その実態が本日の報告からもよく分かり、とても有意義な時間を過ごすことができた、三溪の生き方への共感が熱心な活動に結実しているのではないか、私たち職員も皆さんから学ぶところが多い」とまとめた。

 休憩を挟み、12時から第2部の感謝状贈呈式(司会は村田副園長)。2009年度にボランティア登録した方々27名に園長から渡された。

 受贈者のお名前を一覧する(五十音順、敬称略、掲載の承諾をいただいた方のみ)。飯島彰、石毛大地、伊藤嶢、井上克己、太田泰司、大貫博昭、大宅ミチ子、勝部暢之、加藤昌一、兼藤由紀美、河内洋治、児玉雄二、佐藤達、柴澤重四、高橋凉子、田中進、成田京子、新中和男、野村博次、萩原吉弘、廣島亨、福井けい子、堀浩侃、八木哲雄、吉村弘、綿貫照久。

 お一人ずつ1分程度の挨拶をされた。「…あっという間の10年…」、「…なによりも家内が喜んでくれる。…」、「…来るたびに新たな感動がある…」、「…案内後にお礼を言われて感激…」など、それぞれに笑みがこぼれる。

 第3部の懇親会は、椅子を片づけ、テーブルを寄せて島をつくり、飲み物やつまみの総菜、寿司、サンドイッチで、班ごとにテーブルを囲む。早くもビールを空けて始めている班があり、ややあって吉川課長の乾杯の音頭。

 宴のなかば、吉川課長が新任職員の紹介をした。原未織主事(今年度から就任、建築担当)と田代倫子主事(この1月から就任、経理担当)。二人の挨拶は溌剌堂々、勢いがある。

 他の班とも交流して賑わった懇親会、名残りを惜しみつつ、予定通り2時半に終了した。

清談会(2019冬)

 清談会とは、横浜市立大学教員OBの団体で、夏と冬の2回、議論と懇親の会を開いている。最初が2005年12月、永年幹事の小島謙一(敬称略、以下同じ)が作成した「清談会の開催日時」によれば、毎年夏と冬に会合を持ち、今回の2019年12月29日開催が29回目になる。

 そのつど事前に話題提供者を決め、食事と酒の合間に耳を肥やし、やがて侃々諤々、時に脱線の議論がつづく。現在のメンバーは6名、年齢順に以下の通りである。

 穂坂正彦 医学・泌尿器科専門医、元医学部長、退職後に船医を10年つとめた。昭和11年東京生まれ。
 加藤祐三 歴史学・アジア史、元国際文化学部長、元学長、前都留文科大学長、現国指定名勝三溪園園長、昭和11年東京生まれ。
 丸山英氣 民法・区分所有法、千葉大学へ移籍、同大で学部長、のち中央大学法科大学院教授、2004年より弁護士、昭和13年長野県生まれ。
 小島謙一 物理学、元理学部長、現横浜創英大学学長、昭和16年群馬県生まれ。
 山本勇夫 医学・脳外科、元市民総合医療センター病院長、横浜市立脳卒中・神経脊椎センター院長を経て、現木病院長(名古屋)、昭和18年静岡県生まれ。
 浅島誠 生物学・発生学、1993年に東京大学教養学部へ移籍、同大で学部長・副学長、東京理科大学副学長を経て、帝京大学学術顧問・特任教授。昭和19年新潟県生まれ。

 全員が専門を異にする。共通するのは(1)専門分野にとどまらず広い知的関心を持っていること、(2)大学という学問の府をいかに自由闊達な知の展開の場にするかに情熱を持ちつづけ、(3)地域・国・人類と地球の未来に思いを馳せること、あたりであろうか。

 第25回からは新しいテーマ「各専門分野の10年後を予測する」を定めたので、これ以降は本ブログで欠かさず記録を掲載してきた(本ブログの2018年1月5日掲載「清談会の定例会」)。これからも<主観的議事録>をなるべく客観的に綴っていきたい。

 第25回の報告は、言い出しっぺの小島「自然界の4つの力」と穂坂「AI(Artificial Intelligence人工知能)と医療、その10年後」である。これ以来、第26回が「生命科学の行方」(2018年8月17日掲載、浅島報告)、第27回が「10年後の歴史学」(2019年1月7日掲載、加藤報告)、第28回が「医療の近未来」(2019年7月29日掲載、山本報告)とつづいた。

 今回が丸山英氣「マンション問題の現在と課題」である(明示的に書かれたテーマ名ではないが、内容から判断して私が命名した)。参考として資料(1)丸山英氣「マンションは生き残れるか!?-マンション問題を斬る-」(『Evaluation』誌No.70)、資料(2)神戸における丸山の講演レジメ「マンション法の現段階」の2点が配られた。

 資料(1)は、最近のマスコミ報道で都市、不動産、マンションの将来に関する不安の声を取り上げる。例えば日本経済新聞社編『限界都市-あなたの街が蝕まれる』(日本経済新聞社、2019年)、朝日新聞社取材班『負動産-マイナス価格となる家と土地』(朝日新聞社、2019年)等。

 都市住宅の代表であるマンションについて、いちはやく問題提起したのが米山秀俊『限界マンション-次に来る空き家問題』(日本経済新聞社、2015年)で、進む建物の老朽化、住民の高齢化、その放置によるスラム化を挙げる。

 具体的には二つの<老い>、すなわち①建物の老い、そこから生じる賃貸化、空室化と、②区分所有者の老い、そこから生じる管理の困難を指摘し、その先にはマンションにも空き家が増大し、<限界マンション>の状況に達し、建替えはできず、このまま放置すると区分所有という制度は崩壊すると述べる。

 さらに山岡淳一郎『生きのびるマンション-二つの老いを越えて』(岩波新書、2019年)を紹介し、所有者の所在不明、連絡先不通(空き家)、そして団塊の世代が75歳の後期高齢者となる<2025年問題>を取り上げる。ほかに浅見泰司・齊藤広子編『マンションの終活を考える』(プログレス、2019年)等を掲げる。

 こうした最近の<悲観論>的な論調に対して、丸山は言う。「マンションという仕組みは不合理で悲観につながるか、…マンションに代わる仕組みはあるのか、…マンションの将来は悲観に満ちているのか?」

 本稿「マンションは生き残れるか!?」は、上記の「1 問題の所在」についで、「2 マンションの誕生と生成、「3 建物の老い」、「4 区分所有者の老い」、「5 空き家の増加、「6 借地権マンション」、「7 小規模マンション」とつづく。

 このなかから重要と思われる点をいくつか取り出して掲げたい。
 (1) 我が国でマンション(集合分譲住宅)が出現した昭和25(1950)年ころ首都圏の人口は約1000万人であったが、その65年後の平成27(2015)年には3800万人と4倍近くに増えた(「土地はだれのものか」研究会編『土地はだれのものか-人口減少時代に問う』(白揚社、2019年)。その受け皿がマンションであり、1950年に住宅公団が設立され、当初は賃貸が主であったが、1960年からは分譲マンションが主体となった。
 (2) 1962年に区分所有法が制定され、1970年には住宅金融公庫による公的融資が利用できるようになる。ディベロッパー(民間分譲業者)も成長し、都市銀行等も住宅ローンに参加するようになる。2017年現在、マンションは644万戸、その居住人口は1500万人余。マンション居住者は全国民の約10%、首都圏では22%、東京では27%にあたる。
 (3) 区分所有という制度の核心は、建物の一部に所有権を附与し、そこに抵当権等の担保権をつけることができ、そこから金融を得られるということであり、公団の設立は、この視点から評価すべきとする。戦前までの借家制度に代わり、若い人たちの地方から都市への移住の受け皿となったのがマンションである。(ここから外国との比較が述べられるが、ここでは省略する)
 (4) 戦後に誕生したマンションの生成のなかで、問題の発生は次の4段階を踏んだ。①日照問題、②瑕疵問題、③管理問題、④建替え問題(敷地売却問題)。なかでも最近のマンション戸数644万戸のうち旧耐震基準に基づくものが104万戸、そして築40年超が73万戸で、20年後には約5倍になる。それにもかかわらず、今まで立替を実現したマンションはなんとわずか237件(戸数は不明)に過ぎない。
 (5) それには容積率の不足(既存不適格)、相続等による所有者の確定が困難、建替え議決(5分の4以上)の難しさが伴うからである。そこで建替えに代わって敷地売却制度があるが、特定行政庁による売却の必要性の確定(建替え円滑法の101条第1項)を受けなければならず、そのハードルは徐々に低くなるとはいえ、困難にはちがいない。

 だんだんに法律の専門性の方向へ入りこむ。法学者であり弁護士としては当然であろう。しかし素人にはかなり難しい。そこに医者の山本が一般には聞き慣れない<ジェントリフィケーション>という単語を使った。アメリカでよく見られる貧民街の高級住宅化(gentrification)を意味する。これは個々のマンションの建替えとは異なり、都市再開発の一形態で、貧しい人を追い出すことから大きな社会問題となっている。

 議論が迷路に入りこみそうになったと思い、私は単刀直入に尋ねた。標題が示す「マンションは生き残れるか!?」の結論は端的にイエスなのかノーなのか、と。丸山は答えた。「イエス、生き残れる。そのための手法を開発するよう知恵を働かせなければならない」。

 マンションが生き残るための具体策の一つとして丸山が提案するのは、マンション管理の仕方である。管理組合が管理するのが一般的な仕組みであるが、理事等の役員の高齢化により、なり手がなくなれば管理は危機に瀕する。それに総会出席率は平均で10%ほどときわめて低い。

 そこで丸山は提案する。「管理を専門家にまかせ、区分所有者はその監視をするということに切り替えたらどうであろうか。このことにより、管理は長期的視野に立ち、厳格に行うことができる」と。

 この提案は思いつきではなく、種々の法的根拠を挙げる。とくに丸山の講演レジメである「資料(2)マンション法の現段階」がそのために用意されたものだが、マンション法の変遷を整理し、①昭和37年区分所有法にはじまり、②昭和58年区分所有法、③昭和58年中高層共同住宅標準管理規約、④平成12年管理適正法、⑤平成14年区分所有法、⑥平成14年建替え円滑法、⑦平成27年建替え円滑法のそれぞれの特徴を掲げる。

 さらに<被災区分所有法>と<損害賠償請求>とつなげ、「5 管理組合による管理の反省」のなかで<第三者管理の導入>を提案する。いっそう深く法の森に迷い込みそうである。

 議論は「マンション問題の現在と課題」にとどまらず、第2部ともいうべき課題に入って行き、久しぶりに3時間を超え、9時過ぎに解散した。

 第2部の課題は大別して、(1)従前からの継続である「AIの進化とその暴走をいかに阻止するか」であり、(2)「日本の人口減少をどう考えるか」である。

 第1の「AIの進化とその暴走をいかに阻止するか」は、一筋縄では対処できない。清談会のメンバーだけでは限界があり、外から専門家を呼ぶ必要も出てくるかもしれない。あるいは従来のままの親睦会の性格を継承するか。

 第2の「日本の人口減少をどう考えるか」については、生命科学の浅島が日本の人口減少を嘆くばかりでなく、現在の総人口1億2615万人から、今後の目標値を8000万あたりに置くとする見解を示した。時間が足りず、その根拠を聞くことができなかったが、次回に期待しよう。

 私は浅島の発言から、石橋湛山(1884~1973年)の「小日本主義」(増田弘編『石橋湛山外交論集』草思社、1984年5月所収)を想起した。石橋は、戦前『東洋経済新報』により、一貫して日本の植民地政策を批判して台湾・朝鮮・満州の放棄とそれに代わる加工貿易立国論を唱え、大正デモクラシーを先導した。戦後直後に論説「更正日本の進路〜前途は実に洋々たり」において科学立国で再建を目指せば日本の将来は明るいとする先見的な見解を述べている。その後も「日中米ソ平和同盟」を主張して政界で活躍した。1956(昭和31)年、保守合同後初めて本格的に実施された自民党総裁選挙を制して第55代総理大臣となった。

 ともあれ、<闘う法学者弁護士>の丸山。80歳を越えて意気天を衝くである。
プロフィール

Author:加藤 祐三
日本の歴史学者

横浜 市立大学名誉教授

国指定名勝・三渓園(横浜)
園長

・前都留文科大学長
(2010~2014)

・元横浜市立大学長
(1998~2002)

主な著書
「イギリスとアジア」
         (1980年)
「黒船前後の世界」(1985年)
「東アジアの近代」(1985年)
「地球文明の場へ」(1992年)
「幕末外交と開国」(2012年)
蒋豊訳「黒船異変」(2014年)
蒋豊訳「東亜近代史」
         (2015年)

 など

専門
・近代アジア史
・文明史

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