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台風被害と三溪園観月会

 観月会の演奏会は、これまで内苑の臨春閣(重要文化財)の第二屋で行われてきた。人々は思い思いの場所で演奏を聴きつつ月を待つ。夜の始め、煌々たる月が東の空に現われ、ゆっくりと外苑の丘の上に建つ旧燈明寺三重塔に近づいていく(本ブログ2015年10月4日掲載「観月会」、2018年9月26日掲載「復興小唄「濱自慢」」等)。

 だが今年、30年ぶりに臨春閣屋根の補修工事が入り、現在、第一屋と第二屋の工事が進行中、ついで第三屋の工事に入る。そこで演奏会は300メートルほど離れた外苑の旧燈明寺本堂(重要文化財)で開催することとした。

 ところが観月会の1週間ほど前、超大型台風15号が関東に接近中との予報が出た。南東に池と芝生を持つ臨春閣は台風被害を受けやすい。とくに注意をしてほしい、と伝えると、すぐに雨戸の固定を確認したと報告が来た。

 9月8日(日曜)、台風は夜遅く関東地方に上陸。激しい風雨を耳に、浅い眠りに就く。一夜明けた9日(月曜)は、眩しい陽射しに嘘のような静けさ。急ぎテレビをつける。台風の中心は未明に横浜の東部を駆け抜けて北上、福島と岩手をかすめて海上へ向かっている。

 朝10時前、留守電に気づく。三溪園の中島哲也総務課長から、多数の倒木や折れ枝が散乱し来園者の安全確保が難しい、との伝言。すぐに電話する。

激しい交通渋滞にぶつかり、15分ほどの通勤時間が2時間にもなったという。その途上で、警戒待機した営業担当の滝田敦史主事や警備会社職員と連絡を取っていた。桜道の信号のある交差点から300メートル先の三溪園までの間で桜の木が3本も倒れており、傾斜地にも裂けた太い幹がぶら下がっていた。ようやく園に到着するも、激変・惨状に愕然としたという。

 昨年10月1日の深夜に北関東を通過した台風24号の被災記録があるが(本ブログ2018年10月4日掲載「台風一過のIUC学生来園」)、それとは比較にならない。

 勤続34年の中島さんは「…知る限り過去最悪…」と一瞬、立ちすくむも、すぐ各方面に臨時休園が必要か、関係者との連絡に動いた。私は「現場の判断を優先してほしい」と答える。

 朝からの状況は次のようであった。8時半頃、鈴木正技士が一番に到着し被害状況の確認にかかる。9時50分頃、庭園担当の羽田雄一郎主事と川島武技術員、柿澤幹夫さんが到着。

 10時15分から現場を見回ったメンバーで30分間の協議、その結果、障害物の除去には時間がかかり、来園者の安全確保を考えれば休園もやむなしの結論に至った。理事長名で<本日休園>を正門と南門に表示、ホームページにも掲載する。

 協議が終わるや、鈴木さんをチーフに川島さん、築地原真技術員、柿澤さんたちは、復旧作業の段取りを決めて行動開始、羽田さんはカメラを手に被害状況の記録に出る。

 11時頃、庭園ボランティア班から多くの人が駆けつけた。最高気温34℃という猛暑の中、各所で園路清掃や枝拾いに汗を流し、その後も、合掌造り班、ガイド班を含め、ボランティアさんの献身的作業がつづいた。報告がまとまるのを待ち、ここでお名前を挙げるのは控えたい。

 昼頃、完成目前の大池南岸修景整備工事を請け負っている小島造園の高下幸紀さんが到着、翌日からの高所作業車を使う復旧作業について協議した。

 夕方、再び協議。駐車場や主だった園路の安全を第一優先に、3日後に迫った観月会に向けて段取りの詳細を詰める。

 三重塔へ登る階段口から松風閣あたりは、倒木被害が大きいため通行止めに、また内苑は春草廬への2つの入口を通行止めにした。

 春草廬の脇に立つ大イチョウは樹齢130年~150年と推定され、原善三郎がこの地を入手した当時の記念樹ではないかと私は推測している(本ブログ2018年12月28日掲載「イチョウ巡り」)。その大樹の主軸先端の数カ所が折れて落下、あたり一面に太い枝が散乱していた。

 横浜市中区にある観測所の9月9日未明3~4時の最大瞬間風速は約40メートル、1時間あたり最多降水量は71ミリ。最大級の風雨が三溪園を襲ったのも、そのころと思われる。

 なお台風15号の被害は、中心の進路の東側に位置する千葉県の一部でとくに著しい。電柱2000本の倒壊による停電(9日朝に93万戸)、電話・テレビ・ネット通信の不通による情報孤立、物流の断絶による食料・飲料水不足、断水・空調切れによる生活環境の破壊、そして家屋倒壊・破損という物理的災害の復旧遅延等へと拡がっている。

 東電は10日の段階で11日中の全面復旧の見通しを示していたが、先延ばしを発表。14日段階で14万戸が、16日段階でなお8万戸が停電、完全復旧には2週間が必要とも言われる。

 三溪園では目視と写真撮影を基に被害状況の記録作成に取りかかる。羽田さんが9日13時段階で確認した主な被害状況、地図・写真・説明を付けた「名勝三溪園 令和元年9月9日 台風被害報告書」(A4×23ページ)を完成させ、関係者に配信できたのは、なんと21時40分であった。

 三溪園台風被害概報20190909_2p-地図-(1).jpg

 建築担当の原未織主事も建造物の被害状況を「台風15号被害状況報告書‐建造物ほか」にまとめ、関係者に配信した。重要文化財建造物被害として①内苑の天瑞寺寿塔覆堂の正面扉上欄間の裏板脱落、欄間彫刻一部の破損、②旧燈明寺三重塔の連子窓の脱落、軒支輪裏板の破損・欠失等があった。他に茶室・林洞庵(外苑)の倒木による瓦屋根および庇(銅板葺き)の破損が含まれる。

 被害を受けた上記の重要文化財のうち、天瑞寺寿塔覆堂は秀吉が母の長寿祈願のため大徳寺に建てた寿塔(生前墓)を収める建物であり、三溪園に現存するものの中で、もっとも早い1905(明治38)年の移築である。

 また旧燈明寺三重塔は、三溪園の景観のシンボルであるとともに、1914(大正3)年の移築を機に内苑の建造物移築を加速させた三溪の造園思想を窺い知るシンボルでもある。

 いずれも部分被害であるが、放置すれば被害は全構造に及ぶ。

 懸命の作業により主な園路の倒木等の除去が進み、休園は1日だけで済む見通しがついた。

 9月12日(木曜)、いよいよ観月会の初日を迎える。演奏等の催事に外苑が使われるのは初めてであり、吉川利一事業課長を中心に不測の事態に備える。今回の主役である旧燈明寺本堂は京都府木津川市から1987(昭和62)年に移築、その名から分かるように、もともと旧燈明寺三重塔とともに同じ寺にあった。二つの建物は、73年の歳月を経て巡り会い、以来、32年の時を刻んでいる。

 日常業務は、この間も欠かすことができない。村田和義副園長の下、中島総務課長、総務課の渡邊栄子主事、田中佐和子主事が協力して実施、さらに出演者への応対、ホームページの更新等々を行う。急増する問い合わせ電話には北泉剛史学芸員ほか、手の空いている人が当たる。また受付担当の岩本美津子主事は正門と南門の窓口対応に追われた。

 私は報告書を手に園内の被害状況を見回り、メモを書き込みつつ、ふと気づく。復旧作業の経緯は記録に取っているのか。初日(9月9日13時現在)の記録はまとめたものの、復旧作業の進捗状況との距離が拡がると前後関係さえ思い出せなくなる。次々と押し寄せる作業に紛れて記憶は曖昧になり、やがて消え去る。

 当事者しか知り得ない小さなメモが、後に大きな役割を果たすことがある。これらを広く共有するには、<記憶から記録へ>の作業が欠かせない。最初の調査書をベースに、その後の変化を順次、書き込んでもらうことにした。

 羽田さんに伝えると、すぐ作業にかかり、アッという間に新しいバージョンを作った。例えば、正門から旧燈明寺本堂へは大池の左端を通るのが近道であるが、そこを塞ぐようにソメイヨシノの幹が折れている。これを10日に片づけ、11日は芝の復旧作業、観月会初日の朝には開通…と具体的である。

 「…<記憶は3日が限度>と言われますが、そのギリギリに間に合いました。…」と羽田さんの笑顔。

 原さんも「台風15号被害状況報告書‐建造物ほか」をベースに、その後の経過を書き入れた。

 日の入は17:54。黄昏とともに一斉にライトアップが始まる。数メートルおきに配置した園路<足元灯>の光で、園内全体がほのかに浮かびあがる。せせらぎ、虫の声、暗さに目が慣れて茶室・林洞庵がおぼろげに輪郭を見せる。

 観月会の初日は9月12日(木曜)、夕刻6時半から8時半まで
  出演:薩摩琵琶錦心流中谷派襄水会
  曲目:横笛、鵯越(ひよどりごえ)、友まつ雪ほか
音響協力は5日間を通して、太陽倶楽部レコーディングス。

 13日から16日(月・祝日)までの上演スケジュールと出演者は以下の通り。詳しくはチラシをご覧いただきたい。

 【サックスとピアノで奏でる日本の唄】9月13日(金) 中秋の名月
  出演:シャンティドラゴン/金剛督・林あけみ
  曲目:優しいあの子、パプリカ、Lemon、うさぎ、ホールニューワールド、
     愛燦燦、かぐや姫の物語ほか
 復旧状況(春草廬への立ち入り禁止を13時に解除)、曇のち晴。

 【雅 楽】9月14日(土) 満月
  出演:横浜雅楽会
  演目:[祭礼舞]豊栄(とよさか)の舞、[歌物]伊勢ノ海、[管弦]盤渉調音取
(ばんしきちょうねとり)・越天楽(えてんらく)・蘇莫者(そまくしゃ)
ほか、[舞楽] 「長保楽(ちょうぼうらく)」ほか。
 曇のち晴。開始3曲目、にわか雨。

 【筝 曲】9月15日(日)
  出演:琴美会(ことみかい)
  曲目:春の海、秋の初風、龍星群、ジブリメドレー、華紋、小さい秋見つけ
     た、月の砂漠ほか
 曇のち晴。開始3曲目、ぽつりぽつりと降るもすぐに回復。

 【竹ガムランとバリ舞踊】9月16日(月・祝)
  出演:櫻田素子(演奏)、小泉ちづこ(舞踊)
  演目:歓迎の舞、森の王者の踊り、宮廷舞踊レゴンより女官の踊り、ジョゲ
舞踊ほか
朝から断続的に降り続いた雨は16時に止む。19時半頃、月が静かに昇り、
5日間にわたる観月会を締めくくった。
三重塔への3つの登り口の立ち入り禁止はまだ解除できない。
なお千葉県内の停電は依然として8万戸、完全復旧は暗い見通しと伝えられる。また伊豆諸島の被害状況が初めてテレビ放映された。

観月会の5日間、三溪記念館は、展示室を21時まで、ミュージアムショップ
を20時半まで、望塔亭を20時まで開いた。

 以上が、台風が通過した9日から観月会最終日16日までの、8日間の大まかな記録である。多くの人は台風がこれほどの被害を及ぼすとは思いもしなかったであろう。

 大過なく観月会を終えられたのは、第1に三溪園職員を中心に各関係機関職員やボランティアの、迅速かつ的確な行動と互いの連携があったこと、第2に停電等のインフラ破壊が伴わなかったことで、復旧作業が滞りなく進んだためである。


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プロフィール

Author:加藤 祐三
日本の歴史学者

横浜 市立大学名誉教授

国指定名勝・三渓園(横浜)
園長

・前都留文科大学長
(2010~2014)

・元横浜市立大学長
(1998~2002)

主な著書
「イギリスとアジア」
         (1980年)
「黒船前後の世界」(1985年)
「東アジアの近代」(1985年)
「地球文明の場へ」(1992年)
「幕末外交と開国」(2012年)
蒋豊訳「黒船異変」(2014年)
蒋豊訳「東亜近代史」
         (2015年)

 など

専門
・近代アジア史
・文明史

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