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横浜散策(その1)

 5月16日(木曜)の午後3時半、横浜市営バスの山下町バス停で近藤倫明(前北九州市立大学長、専門は心理学)さんを迎えた。朝から暑かったが、この時間の風は清々しい。福岡は真夏日だったとのこと。

 近藤さんとは3年前の秋に「江戸散策」をしている(本ブログの2016年10月13日掲載「江戸散策」)。このなかで10年前の出会いや、公立大学協会(全公立大学学長を会員とする一般社団法人)での彼の活躍ぶりを書いた。

 そのなかの一文であるが、「歴史認識は時空を超えても、「世代差は超えられない?」。18歳で入学する学生と教職員との年齢差(最長で約50歳)・体験差による価値観の相違、教職員間の同じ問題に大学は追いついていないのでは」と言うと、近藤さんからは現役学長らしく心強い答えが返ってきた。「それを新しい社会人大学(学部)の構想として煮詰めているところです。…<多世代共学>による新たな<知の展開>…」と。

 その後、この社会人大学構想は、彼の粘り強い努力により徐々に実を結びつつあると聞いていたが、今年4月の新年度早々、「江戸散策の折、お話した北九大社会人大学(i-Design コミュニティカレッジ)のスタートです。30代から70代までのカレッジ生60人が入学しました。新たな大学文化へのささやかな挑戦を塾長として関わるつもりです。」と連絡をくれた。

 ついで4月18日掲載のブログ「FМ戸塚の対談余録」で彼のコメントを引用させてもらった。その「…日米和親条約について学問の専門領域、ディシプリンの違いが事実認識・解釈に及ぼす影響についてのご指摘は大変重要な研究者への戒めとして受け取りました。心理学でも、要素主義の分析と、ゲシュタルト理論ではしばしば理解が異なります。学際研究の意味を肝に銘じることが肝要でしょう。」という個所、この続きを聞きたい。

 そこへ5月12日、近藤さんからメールが来た。大学改革支援・学位授与機構の会議で東京へ行くので、前日昼に羽田に着くように設定したが会えないか、と。あいにく私は横浜市立大学で、国際教養学部一期生の必修科目「国際文化論」の一こまを、ゲストスピーカーとして担当する約束があった。

 国際教養学部誕生までの24年間の経緯を簡単に要約すると、1995年に文理学部を国際文化学部と理学部に改組(この時の当事者の一人が私)、ついで私が学長となり(1998~2002年)、退任後の2005年、国際文化学部・商学部・理学部の3学部を「国際総合科学部」に統合した。それに反対する意見が現場に根強くあり、今年度から国際教養学部・国際商学部・理学部・医学部・データ科学部の5学部体制が発足した(本ブログ2019年4月11日掲載「横浜市立大学の入学式」)。

 市大ホームページには、国際教養学部について次のようにある。「深い思考、柔軟な発想、理論に裏打ちされた実践力で、グローバル時代の未来を切り開く国際人に。…英語をはじめとする外国語の運用能力、文化的背景に基づいた多様性への理解、理論を実践に応用する能力、そして共感を獲得し課題を解決するためのコミュニケーション能力を身に付けます。また、確かな専門性に裏打ちされた理論的思考力を身に付ける<教養学系>と、世界と日本の都市や地域の課題に実践的に取り組む<都市学系>という2つの学系での学びを通して、真のグローバル人材を育てます」。

 「国際文化論」という科目は、各教員が自身の研究・教育等を中心に自己紹介する場として設定したという。その一こまをゲストスピーカーに当て、これまでの経緯を知る私に柿崎一郎教授から要請が来た。入学後1カ月半、向学心と希望を胸に幾つもの授業を受け、友人も作り、一方で、いささかの不安や戸惑いで悩むこともあろう。

 私は「歴史を通じて国際文化を学ぶ」楽しさを伝えたいと考えた。定員460席の大教室で、聴講届の提出もほぼ同数だと言う。小教室のゼミのようにはいかない。A4×1枚の配布レジメに工夫をこらし、事例1、事例2、三訓の3つの柱を建て、話すテーマ、資料、ヒント等を書き、よりよく理解できるよう、そしてその先を調べる手がかりを得られるよう工夫した。

 私自身の経験や苦労話、失敗談も加え、短時間では話し尽くせない続きを知る参考にと参考文献も多めに入れた。のちになっても質問できるよう、私のメールアドレスも付す。その上でパワーポイントを放映し、図像等を示しながらの75分であった。

 知識を得る楽しさはもとより、それ以上に自身の関心にそって調べていく楽しさを覚えてほしい。デジタル世代は、ともすると溢れる情報の受信に振り回されやすい。感性を磨き、データを駆使して自分の課題を構築する「発信型」の楽しさを知らずに成長しかねない。配布したA4×1枚のレジメを再掲する。

事例1:アジア近代史 参考文献(1)~(4)
(1)中国近代史、(2)「19世紀東アジアにおけるイギリスの存在」で英国へ、(3)緑茶、ウーロン茶、紅茶、(4)19世紀アジア三角貿易、(5)英植民地インドのアヘン生産、(6)アヘン戦争(1839~42年)=<敗戦条約>

事例2 日本開国史と横浜学 参考文献(1)、(5)~(7)
(1)ペリー来航と<避戦策>、(2)”I can speak Dutch”、(3)日米和親条約(1854年)と日米修好通商条約(1858年)、(4)横浜開港(1859年)と都市横浜の誕生、(5)和製漢語の創出-民主・革命・文明・権利・哲学…

学生への三訓: 参考文献(1)-エ)
(1)アシコシ ツカエ(足腰使え)
(2)ツキイチ コテン(月一古典)
(3)セカイヲミスエ モチバデウゴカム(世界を見すえ 持ち場で動かむ)

参考文献:
(1) 加藤祐三ブログ http://katoyuzo.blog.fc2.com/
ア)リンク欄「FМ戸塚 第24回シビックプライドダイアローグ」(対談)
イ)リンク欄「横浜の夜明け」(『横濱』誌10回連載)
ウ)リンク欄「(都留文科大学)学長ブログ」122号「黒船来航と洋学」(2014年3月17日掲載)
エ)本文2019年4月26日掲載「<三訓>をめぐって」
オ)カテゴリ「我が歴史研究の歩み」(連載) 計37回
(2)加藤祐三『イギリスとアジア』1980年 岩波新書
(3) 加藤祐三『黒船前後の世界』1985年 岩波書店
(4) 加藤祐三『東アジアの近代』(『世界の歴史』第17巻)1985年、講談社
(5) 加藤祐三 ”Yokohama Past and Present”、1990年 横浜市立大学
(6) 加藤祐三編著『横浜学事始』1994年、横浜市立大学一般教育委員会
(7)加藤祐三『幕末外交と開国』2012年 講談社学術文庫

 この授業が、近藤さんが上京する日とぶつかった。そこで三溪園の中島哲也総務課長に近藤さんの案内を託し、近藤さんには羽田空港からまっすぐ三溪園へ行ってもらい、私は市大の授業を終えて山下町バス停で落ち合った。

 さっそく横浜駅の観光案内所で貰ってきた「はまっぷ」というA3版の地図を渡し、現在地、三溪園からここまでの経路、そして掘割で囲まれた一帯で形成された開港横浜の姿と、以来160年の歴史の概要を話す。

 やがて谷戸橋を渡り、みなとみらい線の終点、元町・中華街駅の脇にあるエスカレーターでアメリカ山公園に上がる。街を一望し、地図と照合しつつ旧横浜居留地を確認。視界を妨げる首都高速道路は東海道新幹線と並び、1964年の東京オリンピックに向けた都市インフラの双璧である。

 それから半世紀余、来年には2020年の東京オリンピックを迎える。急激な成長をとげた巨大都市横浜、そこには一般道、港湾、河川、地下鉄、地下埋設の多種多様なケーブルや管等々が集積している。50歳を超える都市インフラには本格的な補修が不可欠であり、巨額の資金と年次計画が必要になる。

 バラの咲きほこる一角に来て、ベンチに座った。私は一期生相手の授業の興奮が残り、配布したレジメ「国際文化を学ぶ」を近藤さんに渡して、ついつい饒舌になる。

 目を通した近藤さんが言った。「確か、都留文科大学学長を退任のとき、3年間の『学長ブログ』の製本冊子をいただきました。その裏表紙にあったのが、この学生への三訓でした。カタカナ文字で見たのはそのときがはじめてだったと思います。…今日の授業で、果たして新入生がこの三訓どう受け取ったか? これはいくつになっても生きる姿勢として意味があります。
(1)は、課題を解決するための現場主義。フィールドへ行くために朝トレ(とテニス?)でいつも動けるように。(2)は、学びの原点、温故知新。ニュートンの巨人に通じる学びの姿勢。(3)は、グローバル、多様性の地球に生きること。“Think globally, Act locally”。人生100年時代を生き抜く姿勢として、何度も反芻して欲しいですね。」

 これを受けて私は、160年前の1859年横浜開港をめぐる話題や岩瀬忠震(いわせ ただなり)など幕臣とアメリカ総領事ハリス(のち公使となり初の公使館を江戸の善福寺へ移す)との間で交わされた種々の事柄、例えば(1)アヘン禁輸が日米修好通商条約(1858年)に明記された理由、(2)五港開港の一つ<神奈川>とは神奈川宿か横浜村(日米和親条約調印の場)かのせめぎあい、(3)開港場の場所をめぐり合意に至らないままに幕府が進めた神奈川宿と横浜開港場を結ぶ<横浜道>の造成、さらに(4)開港場の区画造成、土地賃貸の準備、そして1859年7月1日(安政六年六月二日)の開港…。

 近藤さんは辛抱強く聴いてくれた。横浜開港165周年の今年、「横浜の夜明け」(本ブログのリンクに『横濱』誌に10回連載した同名の論考がある)に因む一帯も案内したい、とくに<横浜道>は外せないと思っていたが、時間がなく断念する。「またの楽しみに〈横浜道〉は取っておきましょう。季節を変えて次の上京の折に、ぜひ続きを…」と近藤さん。

 そこで外国人墓地を右に見て山手中央通りを進み、カトリック山手教会の脇を左折し、山手公園とYITC(横浜インタナショナル・テニス・クラブ)の脇にある「横浜山手テニス発祥記念館」を訪れた。ラケットの語源がアラビア語の<手>の意味であること、それがフランスのご婦人方に新生テニスの道具として取り入れられ、グローブのようになり、さらに棒がつき、材質と形態を進化させて現在のラケットに至ったことを知る。

 テニス好きの私が興奮していると、近藤さんは「エピソード記憶は人生を豊かにしますね。その記憶を、時を経て思い出し、巡るのは特に…。そして新たな発見があると、もうひとつエピソードが加わります…」と心理学者らしく語る。 (続く)
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プロフィール

Author:加藤 祐三
日本の歴史学者

横浜 市立大学名誉教授

国指定名勝・三渓園(横浜)
園長

・前都留文科大学長
(2010~2014)

・元横浜市立大学長
(1998~2002)

主な著書
「イギリスとアジア」
         (1980年)
「黒船前後の世界」(1985年)
「東アジアの近代」(1985年)
「地球文明の場へ」(1992年)
「幕末外交と開国」(2012年)
蒋豊訳「黒船異変」(2014年)
蒋豊訳「東亜近代史」
         (2015年)

 など

専門
・近代アジア史
・文明史

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