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<三訓>をめぐって

 本ブログを開くと大きく「月一古典」の文字、その下に「つきいち こてん」と振り仮名。なんとなく分かるような、分からないような題目である。意味を問われ、ごく簡単な説明をしたのが、本ブログを始めてすぐの2014年5月15日掲載の「月一古典 つきいち こてん」であった。

 アシコシ ツカエ(足腰使え)
 ツキイチ コテン(月一古典)
 セカイヲミスエ モチバデウゴカム(世界を見据え 持ち場で動かむ)

 これら3つは、横浜市立大学の学長(1998~2002年)として、また都留文科大学の学長(2010~2014年)として、計8年にわたり入学式や卒業式で学生たちに贈った、私のささやかなメッセージである。いつしか<三訓>と呼ぶようになった。

 本ブログのポータルに「月一古典 つきいち こてん」とあれば、読んでくださる方々の目に自然に入ってくる。開始して5年が経過、そろそろ200号にならんとしている。「月一古典」を含む<三訓>全体が何であり、なぜそれを伝えたかったか、これらの背景をふくめて述べてみたい。

 調べてみると、『横浜市立大学論叢 人文科学系列 第54巻1・2・3合併号「加藤祐三教授退官記念号」(2003年)』所収の「著作目録」(1~36ページ)と「史観と体験をめぐって」(37~88ページ)の末尾5ページにあり、これが式辞を文章にした最初だと思う。

 標題の「史観と体験をめぐって」が示すとおり、歴史学者として欠かせないのが<史観>であり、それは先達から学び取るものであると同時に、歴史学者個々人の<体験>を通じて得られるものと私は考えている。

 この論考では、(1)種々の<体験>から私自身の<史観>を築いた幼少期から学生・院生時代を回顧、ついで大学教員時代を (2)研究中心に気ままに生きた時代の<史観>の拡がり、そして(3)大学運営に関わり、そのなかで<史観>を磨いた時代へと進んだ経緯を述べている。ある種の自伝的な<回顧と展望>(『史学雑誌』が毎年組む特集の題名)である。

 学長退任にさいしての論考であるため、最後を学生へのメッセージで終えた。客観的な分析と記述に徹する学術論文らしからぬものであることは承知の上で、むしろそれゆえに私の心に残っている。

  「…親元を離れて入学した新入生たち、また大学を去る学生たちを激励しつつ、覚悟を持たせたいと考え、…自分の青春時代と重ねあわせた<思い入れ>もあるかもしれない。世代の違う学生たちに、果たしてどこまで通じるか不安はあるが、ここに平成14(2002)年度版卒業式の式辞の一部を引用して…」とある。

 そして次のように始まる。「…みなさんの活躍する時代は、先行き不透明であるからこそ、知恵と元気を存分に発揮する時代にほかなりません。いつの時代においても、現在と近未来は見えにくいものです。先が完全には読めない、これは人間に備わった能力であり、かつ能力の限界でもあります。大学生活で身につけた知性と感性のうち、これから知恵を発揮するときに大切なのは、知性よりむしろ感性のほうでしょう。」

 専門・専攻の多様な学生たちに伝えるべきものは、個別の学問領域への態度ではない、広く全学生に共通する何かがあるに違いない、と考えた。それも折に触れて口ずさむのに適した方法はないか。これが短歌や俳句の7音で構成した<三訓>である。大学の雑誌なので学外の方には読む機会が限られている。そこで以下に主要部分を抜粋する。

  「…まず歴史の長期的持続と短期的変化を把握し、現在と近未来とを考えてみましょう。千年前を振り返ってみると、日本は平安時代で、「源氏物語」や日本最古の医学書である「医心方」を生み、世界のなかでアジアがもっとも先進的な役割を担っていました。今は最先端の科学が時代を引っ張っています。そこに期待と同時に、不安と不透明さを内包しています。…」

  「…もう少し短いスパンで身近な歴史を振り返ってみましょう。私自身がみなさんと同年輩であった青春時代から、半世紀近くが経過しました。この間、社会も環境も教育も大きく変化しました。この変化をご両親や年配の方々に尋ねてみてください。食べ物や遊び場、塾通いの有無、アルバイトの種類や小遣い、就職や勤務に伴う苦労や喜びの経験を聞いてください。…その会話によって時代の変化を把握でき、また家族との新しい絆や思わぬ共通の話題が生まれるはずです。…」

  「…これからの新しい段階に向けて自分が何をしたいかという問題です。この漠然とした欲求の源泉を、私は敢えて内的な<衝動>と呼んでおきます。内面から湧きだす何かであり、なかなか他人には説明しにくいものです。これを大切にし、放棄しないでください。これこそが個々人にとって、かけがえのない個性的で本源的なエネルギー源だからです。」

  「…その衝動が、ある程度まで形をとったものを<夢>あるいは<志>と呼びましょう。その実現には大変な努力が必要です。<夢>や<志>を捨てて<現実>を選択するという言い方がありますが、私に言わせれば、<現実>のほうがはるかに耐えにくいものです。粘り強く<志>に向かい、3回ダウンしても4回目には実現するという気持ちでアタックして欲しい。<攻め>の姿勢、そして<待ち>の余裕を堅持してください。…」

 「この<志>と拮抗する内面的な要因が<不安>です。自分には<志>をかなえるだけの能力が備わっているのか、あるいは、この仕事は自分に向いていないのではないだろうか等々の<不安>です。この種の<不安>を持たない人はいません。誰にも<不安>があるのは当然、<不安>を持つこと自体を心配する必要はありません。<不安>は同時に大きなエネルギー源でもあります。

 「<衝動>と<志>と<不安>、この3者は自分の内面にあるものです。他人の意見を参考にすることは極めて大切ですが、それにもかかわらず最終的にはあくまで自分で決定する以外に手がありません。<衝動>と<夢>と<不安>-この3つを三角形として念頭に置いてください。これが極端な不等辺三角形になると大変です、三角形が極端に歪まないようにするには、どうしたら良いか。友人や家族や上司の意見を聞き、後輩たちの悩みに耳を傾けるのも良いでしょう。<不安>を積極的に前向きのエネルギーに転化する方法として人類の英知を吸収することも必要です。極端な不等辺三角形を回避するための示唆を、3つ進呈しましょう」

 いささか長い前置きの後に<三訓>がつづく。

 「第1が都会生活で軽視しがちな「心身の活動と休息のリズム」を身につけることです。<アシコシ ツカエ>…直立二足歩行は人類だけが獲得した能力です。健常者なら毎日1時間以上、できれば2時間を目標に体を動かしてほしい。心を休ませるには体を動かし、身体が病んだときは心の張りが支えになります。」

 「第2に、月に一度は意識的に古典に触れてください。時代を越えて感動を与えてくれるものが古典だと定義すれば、古典とは本、音楽、絵画などにとどまらず、神社仏閣、港湾、橋、船、また人為を越えた山・川・海、潮の香、樹木や巨石等も古典に入ります。<ツキイチ コテン>と覚えてください。…」

 「…自分にとって大切な<古典>を見つけるには、ただ待っているだけでは無理です。…自らの課題を表現する<発信行動>が必要です。文系の卒業生は、およそ400字×100枚もの卒業論文を完成しています。理系・医系の卒業生も卒業研究をしっかりとやり終えています。修士・博士課程の修了生は言うまでもありません。みなさんの持つこの高い能力は、社会に出て初めて実感するはずです。自信を持ってください。そしてこれからも<発信行動>を存分に発揮してください。<継続は力>です。」

 「第3で最後が、自分と世界との関係です。セカイヲミスエ モチバデウゴカム(世界を見据え 持ち場で動かむ)。最後の<ム>は決意の表明です。順調なときも、行き詰ったときも、あるいは通学や散策の途中で、折にふれて、小さな自分が大きな世界と結びついていることを感じ取ってほしい。…」

 「ここでいう世界とは必ずしも決まったものではなく、それぞれに選ぶ世界であり、大小さまざまです。家族、友人、部活やサークル、会社、学界、国レベル、国際レベル、地球環境など様々です。自分の生きる場と世界を関係づけると、視界が開け、勇気が湧いてくるでしょう。世界に<志>を同じくする人々がいると自覚すれば、自分の持ち場は、よりいっそう確かなものになります。…」

 以上が学生たちに贈った<三訓>であるが、同時に私への自戒でもある。<三訓>を励行しつつ、生涯、一学徒として精進していきたい。
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FМ戸塚の対談余録

 横浜にあるFМ戸塚の番組「第24回シビックプライド・ダイアローグ」で「都市横浜の誕生」をめぐる対談をした。3月25日の放送後にアーカイブに入ったので、本ブログ右欄にあるリンクに付した。ここをクリックすれば音声が流れてくる。ただし間に3曲入る私推奨の音楽は、放送日だけ聞くことができたが、アーカイブ版では著作権の関係から削除している。
 
 収録にいたるまでパーソナリティの大滝正雄さんと事前の打ち合わせをメールで行い、一度だけ東京駅で待ち合わせ、昼食を共にしたあと、私の好きな散策コースの一つ、皇居東御苑(旧江戸城)に案内した。これを大滝さんが写真入りで「シビックプライド・ダイアローグ」専用のブログに掲載したと教えてくれた。

 ついで同欄に<シビックプライド・ダイアローグ余話>を掲載、次のように述べている。「<令和>という新元号が、国民に好感を持って受け入れられている事が、世論調査にも表れています。典拠が万葉集であったことがその一因かもしれません。本屋さんでは万葉集関連本が売れ、古典への関心もこの機会に高まる事は良いことです。
<月一古典>を以前紹介しました。加藤祐三先生がご自身のブログ、ポータルサイトに記している言葉です。「せめて月に一度は古典に触れたい」と、横浜市立大学の学長をされていた時、入卒式で学生たちに述べた「三訓」の一つ。あと二つは「足腰使え」と「世界を見すえ持ち場で動かむ」です。先生の古典の定義は、「長い歳月を経て現在に生き、深く心を動かすもの」。芸術や文学だけでなく日本の自然そのものも古典、という先生のお考えは、「令和」に通じると直感しました。英文表記が Beautiful harmony なら尚更です。」

 放送後、いくつかコメントいただいた。その一部を掲載したい。

 まずは茨城県に庵を構える尼僧の佐藤昭子さんから。2018年4月24日掲載の本ブログ「佐藤行通ジー逝去」以来の便りである。「桜開花宣言が聞かれる時期になり、鶯の初音も日増しに力強く上手になってきました。行通上人も早いもので1周忌がすぎました。ボンヤリ過しておりましたところに、お知らせを頂きました。ようやく放送局を探し当てて聞かせて頂きました。先生のお話を聞いていると、映画の画面で見ているような臨場感があり 、ラジオでのお話しということを一瞬忘れるおもいでした。…」

 次はテニス仲間の一人、読書家で文筆家の三輪美子さんの一文である。「歴史学者加藤先生のお話を今、お聞きし、司会者の言われるように、胸がすく思いでした。皆様も是非、お聞きになることをお勧めします。船戸与一の「蝦夷地別件」を読み終えたばかりで、加藤先生のお話をお聞きしたので、とても色々なことが分かりました。当時、危ない中で日本が植民地にならずに済んだのは幕府の中に有能な人がいたため、条約ゲームに勝つことができた。いかに戦を避けるかや、交渉条約、アヘン。私の読んだ本の北海道とアイヌとも、この交渉条約のような気持ちで、幕府は話し合い上手くいき、大きな戦を避け北海道も日本になったに違いない。ということが、加藤先生の横浜のなりたちのお話から理解できました…。」

 そして畏友・近藤倫明さん(北九州市立大学前学長、心理学)から。学際研究等についても切込みが鋭い。「…拝聴しました。江戸の先人の生きる力を今更ながらに感心しながら先生の語りを心地よく聴くことができました。それにつけても今日の政治、外交の体たらくを思わずにはおれません。また、原三渓のご縁を理解しました。ストーリーのある3曲も加藤先生らしさを感じることができました。日米和親条約について学問の専門領域、ディシプリンの違いが事実認識・解釈に及ぼす影響についてのご指摘は大変重要な研究者への戒めとして受け取りました。心理学でも、要素主義の分析と、ゲシュタルト理論ではしばしば理解が異なります。学際研究の意味を肝に銘じることが肝要でしょう。横浜学事始め、シビックプライド醸成に先見の明ありとうなずきました。今更ながら学生気分で、お話し楽しくまた様々に想像を掻き立てられる時間を持てました。無料講義いたみいります。…」

 近藤さんは、本ブログ2016年10月13日掲載の「江戸散策」に登場する。彼が学長に就任したのは2011年、その6年間後の任期満了時には定年前であったため、残る期間を新たな挑戦に尽くすとしていた。そこに今年度早々、「江戸散策の折、お話した北九大社会人大学(i-Design コミュニティカレッジ)のスタートです。30代から70代までのカレッジ生60人が入学しました。新たな大学文化へのささやかな挑戦を塾長として関わるつもりです。」と連絡をくれた。

 放送を聴き直して言葉足らずを痛感、伝え切れなかった点を以下に補足したい。

 幕末日本が<避戦論>に徹して戦争を回避し、積極的な話し合いを通じて日米和親条約を結んだ。これを<交渉条約>と呼び、アヘン戦争のような敗戦の結果の<敗戦条約>と区別した。図示すると第1図のようになる。タテ軸は<従属性>とヨコ軸は<対等性>を示す。持続年限を数字で入れたが、②植民地はインド、③敗戦条約は中国、④交渉条約は日本の事例である。

第1図 近代国際政治-4つの政体
第1図近代国際政治-4つの政体

 これを詳しく記したものが第2図「日中の条約比較」である(加藤祐三・川北稔著『アジアと欧米世界』(中央公論新社 1998年、中公文庫 2010年 437ページ)。初出は拙稿「幕末開国考-とくに安政条約のアヘン禁輸条項を中心として」(『横浜開港資料館紀要』第1号 1982年3月)。

このうち①から④までは、日本開国史研究の石井孝『日本開国史』(吉川弘文館 1972年)に示された論点である。それ以下の⑤~⑪が私の指摘で、従来の研究の視野に入っていなかった論点である。

とくに⑦~⑨、⑪が<交渉条約>と<敗戦条約>の大きな違いを示す。<交渉条約>は、幕府がアヘン戦争(1839~42年)情報を長崎で積極的に収集・分析・政策化し、<避戦>に徹した成果である。

また⑥<アヘン条項>は米英間の条約ゲームの結果としてハリス総領事が主張したものであり、幕府の提案ではない。その交渉過程については、拙稿「横浜の夜明け」(『横濱』誌の10回連載、本ブログのリンクに張った)の第6回と7回を参照されたい。この日米修好通商条約の<アヘン禁輸条項>は、その後もアヘン禍を防ぐ重要な鍵となった。
 
第2図  日中の条約比較
第2図日中の条約比較

共著『アジアと欧米世界』(中公文庫 2010年)より

なお「当時におけるアヘン禁止は世界的傾向」とする見解が日本史学界の一部にあるようなので、グラフ「インド産アヘンの140年」(拙著『イギリスとアジア-近代史の原画』岩波新書 1980年)を再掲する。参照ねがいたい。
 
インド産アヘンの140年


横浜市立大学の入学式

 横浜市立大学(以下、市大)入学式は従来通り4月5日、ソメイヨシノが満開を誇るなかで行われた。ちょうど4年に1度の市議会議員の選挙運動中(投票日は7日の日曜)であった。

 今年の入学式は格別の意味を持っている。昨年11月3日(文化の日)、横浜市立大学創立90周年記念式典が挙行され(本ブログ2018年11月7日掲載の「横浜市立大学 創立90周年記念式典」を参照)、そこで昨年度に発足したデータサイエンス学部、今年度から再編発足する国際教養学部、国際商学部、理学部の3学部、それに従来の医学部を合わせた、5学部体制が明らかにされた。

 私が学長を務めたのは1998年5月1日から2002年4月30日までの4年間であり、退任してから17年が経つ。私の退任後に公立大学は設置者(自治体)の<直営>から独立性を持つ公立大学法人へ移行できる制度変更がなされ、その制度設計に公立大学協会(全公立大学長が加盟)の相談役として私も参画した(『公立大学協会60年史』2010年)。

 公立大学法人への移行は、国立大学法人への移行が全大学一斉に行われたのとは異なり、各自治体とその公立大学が独自に決定し、また理事長と学長の<一体型>か<分離型>かをも選択できる制度設計であった。

 公立大学法人化は<法人化>、あるいは<独立行政法人化>を短縮して<独法化>とも呼ばれた。市大の法人化は2005年。理事長と学長の<分離型>を採用、学部編成も大きく変更して国際文化学部・理学部・商学部の3学部を1つの国際総合科学部に括り、医学部との2学部体制とした。

 国際総合科学部という学部名は、受験生・在校生にとって学ぶ対象が分かりにくい上に、教職員にとっても説明するのが難しい。この<合理化>による2学部体制を見直そうと、3年余の努力が重ねられ、紆余曲折の末、昨年秋、上掲「創立90周年記念式典」において新たに5学部体制を宣言した。

 この5学部体制の発足が今年の入学式である。新体制までの苦闘の軌跡を知る者にとっては大きな喜びである。先頭に立たれた二見良之理事長と窪田吉信学長の奮闘には敬服の念を禁じ得ない。

 式典は、森林太郎(森鴎外)作詞・南能衛作曲の横浜市歌の斉唱に始まる。「わが日の本は島国よ/朝日かがよう海に/連りそばだつ島々なれば/あらゆる国より舟こそ通(かよ)え」(一番)。私も思いを込めて歌う。市歌は横浜開港50周年を祝う1909年に作られた(本ブログ2016年6月9日掲載「開港記念日と横浜市歌」を参照)。今年は開港160年である。

 ついで窪田学長の式辞。自分の頭で考え、課題を発見して解決することが重要であり、多くの分野を持つ総合大学の利点を生かすも殺すも「みなさんの姿勢にかかっている」と語り、専門外の科目に学んだ自身の経験を披露した。

 林文子市長は、市大が横浜市とともに歩んできた長い歴史を持つことを強調したうえで、みなさんは我々の「夢と希望」と呼びかける。自分は母子家庭だったため大学進学を諦めて社会へ出たが、そこで男女の地位の格差に愕然とするも、目標に向かって邁進してきた。
 大学へ進むことができたら、もう少し理論的に考えることができたかもしれない。それがないだけに、人との意思疎通に心を砕いた。「…みなさんも相手の立場に立って思いを伝えるように努力して欲しい、私は大学が大好き」と熱く語る。

 新入生(学部990名と大学院修士・博士課程261名)を代表してデータサイエンス学部の渡辺武尊君が宣誓、混声合唱団(中村響指揮)が歓迎の歌を披露、ついで応援団(大薗拓未団長)とチアダンスがリードしての校歌斉唱へと進む。

 西条八十作詞・古関裕而作曲の校歌は3番まであり、「…世界の海港(みなと)に意気も高らか…」、「若き日みじかし真理は遥(はる)けし 究る情熱 鉄火もつらぬく」、「…民主と自由の紅さす曙 みどり明けゆく歴史の半島…」と謳い、それぞれの最後を同じ「ああ 浜大の俊英 われら」で結ぶ。

 私はじっと聴き入る新入生たちを見つめ、これからの学生生活が健やかで有意義であるよう心から願い、密かにエールを送った。

 顧みて、本ブログ「大学教員の仕事」(2019年3月5日号)で述べたように、教職員が分野を超えて、自由闊達に話し合う場を工夫できないものか。たとえば将来計画委員会やその全学組織である将来構想委員会といった、過去に一定の役割を果たした組織がある。創立100周年にむけて踏み出したのを機に、現状に甘んじることなく、将来構想会議のような組織を立ち上げられないか。これまで歩みを共にしてきた卒業生や元教職員の経験と知恵を結集する必要も出て来るように思う。そのきっかけを作るのは、執行部であろう。

 折しも小惑星りゅうぐうに向けた「はやぶさ2」のインパクタ発射が成功した。プロジェクトチームを束ねるJAXA(宇宙航空研究開発機構)の津田雄一プロジェクトマネージャは43歳。機体の設計に関わり、その知識をかわれて若くして先輩研究者からプロジェクトマネージャを引き継いだ。率いるのはJAXAのスタッフだけでなく、協力するメーカーや大学、海外の研究者など総勢600人を超えるチームだと言う(NHK NEWS WEB)。

 津田さんはメンバーの意見を聞きながらミッションを進めることを大事にし、「みんなそれぞれ役割があって、その役割を全員が、力いっぱい発揮できるようなチームにしようと心がけてやっています。必ずしも私の言う事を聞いてくれる訳ではなく、意見がたくさん出ます。その中でいい道をみんなで決めていくことができるのが今のチームです」と語る。

 市大にも、津田さんのような人材がいるに違いない。大学である以上、目的は多様であり、一つに絞ることはできないが、universe(存在するすべてのものとしての宇宙、森羅万象、学問の全領域…)から派生したuniversity(一つにまとまった集団、大学)こそ、大学の本来の使命である。

 人文・社会・自然等の諸科学を包括する市大の将来を自由闊達・縦横に議論する仕組みが欲しい。これこそ創立100周年を実質的に深める第一歩ではないか。
プロフィール

Author:加藤 祐三
日本の歴史学者

横浜 市立大学名誉教授

国指定名勝・三渓園(横浜)
園長

・前都留文科大学長
(2010~2014)

・元横浜市立大学長
(1998~2002)

主な著書
「イギリスとアジア」
         (1980年)
「黒船前後の世界」(1985年)
「東アジアの近代」(1985年)
「地球文明の場へ」(1992年)
「幕末外交と開国」(2012年)
蒋豊訳「黒船異変」(2014年)
蒋豊訳「東亜近代史」
         (2015年)

 など

専門
・近代アジア史
・文明史

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