タケの開花(その9)
昨年の2018年8月28日掲載の本ブログ「タケの開花(その8)」の末尾で次のように述べた。「あの広域に展開するタイミンチクの花、…今年がこの2~3年の「一斉開花の収束」である可能性は高いものの、なお断定はできない。来年、開花が見られるか否かにより最終的な判断ができると考えている。…今回の(その8)をもって今年分の最後とし…今後も引きつづき身近な自然の営為に眼を向けていくつもりである」と。
当時、内心では次の報告は来春になるだろうと思っていた。そこに昨年11月29日夕方、三溪園の羽田雄一郎主事から次のメールが入る。「本日、午後に坂先生とご一緒にタイミンチクとオロシマササの様子を見てきましたところ数カ所で開花株が見られましたのでご報告致します。」
さらに「茶店横の坂道を昇り始めたところで、花芽になりそうな膨らみ(≒小さな蕾)を1つ。そのまま上り、最初の曲がり角の内側に雄蕊が見え始めた株を1つ。さらに旧松風閣遺構の手前で開花前の蕾を1つ。尾根道に出て左側の黒ボク石階段周辺で開花した株を1つ。聚星軒跡周辺で開花した株を2つ。聚星軒跡対面開花した株を1つ。前回の開花時期に最後まで咲いていた滝の裏側では開花は見られませんでした。」
そもそも三溪園のタケに関する事の発端は、2年前の2017年3月29日、坂智広さん(ばん ともひろ 横浜市立大学木原生物学研究所・植物遺伝資源科学研究部門教授)が、90年前の1928(昭和3)年に三溪園のタケが開花した記憶があるとメールをくれたことである。日本育種学会で村松幹夫先生(岡山大学名誉教授)から聞いたとのこと(本ブログ2017年5月19日掲載の「タケの開花(その1)」。そこから現地の観察と古い新聞記事の検索等が始まった。
昨年11月の開花を知らせる報を受け、私は「タケの花はそんなにたくさん咲いていましたか。事実の記録は重要です。しかしどう解釈(説明)すれば良いのでしょうか。」と書いた。想定外の展開に胸が高鳴る。これについて、これまでも種々の知見を示してくれた坂さん次のように答えてきた。
「オロシマササは地下茎の先端で、新梢(地下茎から生え出る稈)の先に花をつけ、実が付いていました。垣根の刈り込み管理が終わり、前回観察の6月28日より葉数が減り、株がすっきりしていた。柴田昌三(2015) 緑化植物仮説 緑化植物としてのササ類、草と緑7:20-29(2015)によれば、夏季8〜9月の着葉数をピークに翌年7月には分蘖に新葉が増える。4月〜7月に地下茎が伸びて藪が大きくなる(柴田論文の図と表は省略)。
オロシマササの垣根から伸びた地下茎には株が形成され、新梢からは穂が出て結実している。今回の観察では地下茎の伸長も終わり、広く地際から芽を出していた新梢も刈り払われていたが、垣根の根元には新たな株が形成され、一部には咲き残りを思わせる新梢に最近の開花の痕跡と結実を認めた。」
この昨秋の坂さんのメールは重要なので、すこし長くなるが続きを再掲する。
「タイミンチクは今年の夏前に花をつけていた株、ないしはその近辺の新梢、ひこばえに花がついていました。夏前の咲き残りが、秋口から新春に花を咲かすのではないかと予想していたところ、この冬の暖かさでたくさん見られたと考えております。
加藤先生のブログ「タケの開花(その8)」に記されている一斉開花の収束が今年の夏前に完了しておらず、夏の暑さで一休みした後に目下収束期の終盤にかかっているのではないかと解釈しています。竹藪の辺縁部(拡大している先端部)に花を咲かせる要素が遅れて伝わりまだ残っているのなら、これから4~5月にかけて三重塔付近から階段下の方で、偶発的に残り花が見られるかもしれないと予想しています。
今回の観察でかなり確からしいのは、タイミンチクは開花後には出穂開花した枝は枯れるが、稈や藪は枯れずに地下茎と筍で増殖し、枯れないということです。…種子をつけた株は非常に特殊で、何かしらの突然変異が生じているかもしれません。母親が同一で、発芽した芽生えが元の藪とは異なる性質を持つ可能性に興味が湧きます。
タイミンチクは、今夏前に出穂開花した穂がついた節から花穂が出る、地際の新梢に花穂が着く現象が見られた。前回の観察でも、1)散発的にこれまで出穂した穂の小花が開花するケース、2)開花していた枝の先端に未熟な小さな小花をつけるケース、3)地際からの新梢に花穂を付けダラダラと開花するケースが見られ、主稈が折れた場合に下の節から花穂をつける稈が分蘖のように枝を出す様子が見られたが、今回も同様で8〜9月の猛暑でタイミンチクの生育が停滞したか、この時期に残りの花穂が着生したのだと推察する。」
翌2018年には羽田さんが「…4月4日の朝、今年も三溪園のオロシマササが咲いた…」と連絡をくれた(本ブログ2017年5月19日掲載「タケの開花(その5)」)。そのとき私は「…タケの開花は60年、90年、120年と長い周期で1度だけ起きるとされるが事例報告は多くなく、周期の年限をめぐっても確実なデータはごく少なく…現象を的確に観察して記録に残すことが重要…」と書いていたので、この開花は驚くべき朗報である。
2年連続の開花に加え、昨年には秋の開花もあった。3年目になる今年、早めに現地観察を予定したが天候や時間調整に手間取り、3月7日になってしまった。春寒の冷たい雨の中、坂さん、羽田さんと園内を一巡したところ、1週間程前に開花したと思われるタイミンチクの花が何カ所かで見られた。
3年連続の開花。この観察記録をお願いした坂さんと、今後の方針を話しあった。大別して2つ。第1が広域に拡がるタイミンチクの分布に区割りの名称をつけて地図で示し、観察地点を可能な限り具体的に明示できるようにすること。そのため前回の地図(本ブログ2018年7月18日「タケの開花(その7)」の補正版を作成する。坂さんの脳裏には最初の1株(親)が松風閣近くのもので、これをⅠ中央部と名づけ、そこから周縁に拡がったと仮定しての分布図づくりが浮かんだと思われる。
第2にタイミンチクは自生ではなく移植であるため、関東近辺の植物園等の移植履歴や時期を調査し、タイミンチクの生育年齢(移植年+α)を導きだすことができないか。三溪園の2本のイチョウから始まった樹齢を尋ねる「イチョウ巡り」(本ブログ2019年12月28日掲載)をしたとき、小石川植物園で10株ほどのタイミンチクを見つけた。いずれ調べさせてもらおうと坂さんと羽田さんにメールで伝えておいたことを思い出し、ここを有力な候補地とした。
坂さんは即、行動に移し、翌8日にメールをくれた。「午後に小石川植物園に連絡をし、関係者からお話を伺えるようメールでお願いしました。また、目黒の林試の森公園に電話し、かつて国の森林研究所が開設された時代からの物語がありそうで、調べて頂いています。さらに江ノ島にタイミンチクの大きな群落があり、藤沢市の天然記念物の指定になっています。藤沢市の郷土歴史課に電話をして、英国商人のサムエル・コッキングとの繋がりが見えてきました。コッキングは牧野富太郎と交流があったようで、小石川植物園との繋がりも見えてきます。さらには、コッキング商会が横浜にあったことから、三溪園との縁もあるのでは? 加藤先生のご専門の領域に深く関わってくる予感がしております。」
翌9日、坂さんの新しい地図つきの観察記録が届いた。
「2017年、2018年の開花観察から、開花年と開花場所の変遷の傾向を考慮して、タイミンチク林をⅠ中央部、Ⅱ延伸部、Ⅲ端部、Ⅳ辺縁部(仮称)の4エリアに分けた。タイミンチクの株の大きさ、稈の数と古さを比較すると、およそⅠからⅣへと地下茎が拡がり、藪が形成されたのではないかと仮説を立てる。尾根道と登坂路の交差点あたりの株が創始者的な始まりで、ⅠとⅡエリアへの竹藪が形成され、最初は登坂路の西側に地下茎が伸びた可能性が高い。タイミンチクの地下茎は下斜め方向や水平に伸びやすく上には伸びにくいので、東側のⅢ、Ⅳエリアへは尾根を一度超えなければならず、新しい株のエリアと想定できる。旧東慶寺仏殿周辺、古民家(旧矢箆原家住宅周辺)のⅢbエリアは、南側 Ⅳbエリアを介して回り込んで拡がったか、中国庭園とその下の傾斜部の開墾で植生が分断された可能性も考えられる。以上の仮説の上に、三溪園のタイミンチク林は古くからあったエリアⅠからⅡの延伸部までで一昨年〜昨年の一斉開花が同調し、おそらく延伸が遅れて新しいエリアⅢが遅れて開花が波及した。
Ⅳaはまだ株も若く、今後開花の可能性も期待される。Ⅳbは開墾後に新たに再生したエリアの可能性があり、日当たりがよく木は大きいいが今後の傾向は予想しづらい。Ⅲbは昨年の下刈りで、この後に地下茎から伸びる新梢、新稈がどのような形態になるか、観察が必要と考える。
エリアⅡの登坂路登り口の株、とはいえ地下茎から伸びた枝に花穂が見られた。昨年も花が咲きやすい株であったが、今年は箒状にかなりの花穂を生じている。エリア の尾根道交差点から登坂路に下がった株で、新な花穂の伸長を認めた。この株(枝)は昨年も花穂をつけており、その名残が着生したままだが、箒状ではなくスリムな穂で、継続的に出穂しているものとみられる。以上の点から考察するに、2017年に始まった一斉開花が2018年にも亘り、2019年は辺縁エリアや、各エリアの地下茎の先端などで、散在的に花穂が見られるかもしれないと推察している。」
3月14日、羽田さんと二人で園内を一巡した。先週と同じ場所に開花が見られ、穂数はすこし増えた印象を受けたが、新たな開花は確認できなかった。そして次のステップに向けて、親株の太さを大まかに計測した。
坂さん作製の「三溪園タイミンチクの生育分布と開花観察地点図」を巡り、地下茎の伸びる方向に関連する高低差を示すため、等高線を入れる方が良いのではと羽田さんの提案があり、ご両人で幾度かの意見交換のすえ、ついに完成した。この地図を付し、3年間の観察の<中締め>としたい。

当時、内心では次の報告は来春になるだろうと思っていた。そこに昨年11月29日夕方、三溪園の羽田雄一郎主事から次のメールが入る。「本日、午後に坂先生とご一緒にタイミンチクとオロシマササの様子を見てきましたところ数カ所で開花株が見られましたのでご報告致します。」
さらに「茶店横の坂道を昇り始めたところで、花芽になりそうな膨らみ(≒小さな蕾)を1つ。そのまま上り、最初の曲がり角の内側に雄蕊が見え始めた株を1つ。さらに旧松風閣遺構の手前で開花前の蕾を1つ。尾根道に出て左側の黒ボク石階段周辺で開花した株を1つ。聚星軒跡周辺で開花した株を2つ。聚星軒跡対面開花した株を1つ。前回の開花時期に最後まで咲いていた滝の裏側では開花は見られませんでした。」
そもそも三溪園のタケに関する事の発端は、2年前の2017年3月29日、坂智広さん(ばん ともひろ 横浜市立大学木原生物学研究所・植物遺伝資源科学研究部門教授)が、90年前の1928(昭和3)年に三溪園のタケが開花した記憶があるとメールをくれたことである。日本育種学会で村松幹夫先生(岡山大学名誉教授)から聞いたとのこと(本ブログ2017年5月19日掲載の「タケの開花(その1)」。そこから現地の観察と古い新聞記事の検索等が始まった。
昨年11月の開花を知らせる報を受け、私は「タケの花はそんなにたくさん咲いていましたか。事実の記録は重要です。しかしどう解釈(説明)すれば良いのでしょうか。」と書いた。想定外の展開に胸が高鳴る。これについて、これまでも種々の知見を示してくれた坂さん次のように答えてきた。
「オロシマササは地下茎の先端で、新梢(地下茎から生え出る稈)の先に花をつけ、実が付いていました。垣根の刈り込み管理が終わり、前回観察の6月28日より葉数が減り、株がすっきりしていた。柴田昌三(2015) 緑化植物仮説 緑化植物としてのササ類、草と緑7:20-29(2015)によれば、夏季8〜9月の着葉数をピークに翌年7月には分蘖に新葉が増える。4月〜7月に地下茎が伸びて藪が大きくなる(柴田論文の図と表は省略)。
オロシマササの垣根から伸びた地下茎には株が形成され、新梢からは穂が出て結実している。今回の観察では地下茎の伸長も終わり、広く地際から芽を出していた新梢も刈り払われていたが、垣根の根元には新たな株が形成され、一部には咲き残りを思わせる新梢に最近の開花の痕跡と結実を認めた。」
この昨秋の坂さんのメールは重要なので、すこし長くなるが続きを再掲する。
「タイミンチクは今年の夏前に花をつけていた株、ないしはその近辺の新梢、ひこばえに花がついていました。夏前の咲き残りが、秋口から新春に花を咲かすのではないかと予想していたところ、この冬の暖かさでたくさん見られたと考えております。
加藤先生のブログ「タケの開花(その8)」に記されている一斉開花の収束が今年の夏前に完了しておらず、夏の暑さで一休みした後に目下収束期の終盤にかかっているのではないかと解釈しています。竹藪の辺縁部(拡大している先端部)に花を咲かせる要素が遅れて伝わりまだ残っているのなら、これから4~5月にかけて三重塔付近から階段下の方で、偶発的に残り花が見られるかもしれないと予想しています。
今回の観察でかなり確からしいのは、タイミンチクは開花後には出穂開花した枝は枯れるが、稈や藪は枯れずに地下茎と筍で増殖し、枯れないということです。…種子をつけた株は非常に特殊で、何かしらの突然変異が生じているかもしれません。母親が同一で、発芽した芽生えが元の藪とは異なる性質を持つ可能性に興味が湧きます。
タイミンチクは、今夏前に出穂開花した穂がついた節から花穂が出る、地際の新梢に花穂が着く現象が見られた。前回の観察でも、1)散発的にこれまで出穂した穂の小花が開花するケース、2)開花していた枝の先端に未熟な小さな小花をつけるケース、3)地際からの新梢に花穂を付けダラダラと開花するケースが見られ、主稈が折れた場合に下の節から花穂をつける稈が分蘖のように枝を出す様子が見られたが、今回も同様で8〜9月の猛暑でタイミンチクの生育が停滞したか、この時期に残りの花穂が着生したのだと推察する。」
翌2018年には羽田さんが「…4月4日の朝、今年も三溪園のオロシマササが咲いた…」と連絡をくれた(本ブログ2017年5月19日掲載「タケの開花(その5)」)。そのとき私は「…タケの開花は60年、90年、120年と長い周期で1度だけ起きるとされるが事例報告は多くなく、周期の年限をめぐっても確実なデータはごく少なく…現象を的確に観察して記録に残すことが重要…」と書いていたので、この開花は驚くべき朗報である。
2年連続の開花に加え、昨年には秋の開花もあった。3年目になる今年、早めに現地観察を予定したが天候や時間調整に手間取り、3月7日になってしまった。春寒の冷たい雨の中、坂さん、羽田さんと園内を一巡したところ、1週間程前に開花したと思われるタイミンチクの花が何カ所かで見られた。
3年連続の開花。この観察記録をお願いした坂さんと、今後の方針を話しあった。大別して2つ。第1が広域に拡がるタイミンチクの分布に区割りの名称をつけて地図で示し、観察地点を可能な限り具体的に明示できるようにすること。そのため前回の地図(本ブログ2018年7月18日「タケの開花(その7)」の補正版を作成する。坂さんの脳裏には最初の1株(親)が松風閣近くのもので、これをⅠ中央部と名づけ、そこから周縁に拡がったと仮定しての分布図づくりが浮かんだと思われる。
第2にタイミンチクは自生ではなく移植であるため、関東近辺の植物園等の移植履歴や時期を調査し、タイミンチクの生育年齢(移植年+α)を導きだすことができないか。三溪園の2本のイチョウから始まった樹齢を尋ねる「イチョウ巡り」(本ブログ2019年12月28日掲載)をしたとき、小石川植物園で10株ほどのタイミンチクを見つけた。いずれ調べさせてもらおうと坂さんと羽田さんにメールで伝えておいたことを思い出し、ここを有力な候補地とした。
坂さんは即、行動に移し、翌8日にメールをくれた。「午後に小石川植物園に連絡をし、関係者からお話を伺えるようメールでお願いしました。また、目黒の林試の森公園に電話し、かつて国の森林研究所が開設された時代からの物語がありそうで、調べて頂いています。さらに江ノ島にタイミンチクの大きな群落があり、藤沢市の天然記念物の指定になっています。藤沢市の郷土歴史課に電話をして、英国商人のサムエル・コッキングとの繋がりが見えてきました。コッキングは牧野富太郎と交流があったようで、小石川植物園との繋がりも見えてきます。さらには、コッキング商会が横浜にあったことから、三溪園との縁もあるのでは? 加藤先生のご専門の領域に深く関わってくる予感がしております。」
翌9日、坂さんの新しい地図つきの観察記録が届いた。
「2017年、2018年の開花観察から、開花年と開花場所の変遷の傾向を考慮して、タイミンチク林をⅠ中央部、Ⅱ延伸部、Ⅲ端部、Ⅳ辺縁部(仮称)の4エリアに分けた。タイミンチクの株の大きさ、稈の数と古さを比較すると、およそⅠからⅣへと地下茎が拡がり、藪が形成されたのではないかと仮説を立てる。尾根道と登坂路の交差点あたりの株が創始者的な始まりで、ⅠとⅡエリアへの竹藪が形成され、最初は登坂路の西側に地下茎が伸びた可能性が高い。タイミンチクの地下茎は下斜め方向や水平に伸びやすく上には伸びにくいので、東側のⅢ、Ⅳエリアへは尾根を一度超えなければならず、新しい株のエリアと想定できる。旧東慶寺仏殿周辺、古民家(旧矢箆原家住宅周辺)のⅢbエリアは、南側 Ⅳbエリアを介して回り込んで拡がったか、中国庭園とその下の傾斜部の開墾で植生が分断された可能性も考えられる。以上の仮説の上に、三溪園のタイミンチク林は古くからあったエリアⅠからⅡの延伸部までで一昨年〜昨年の一斉開花が同調し、おそらく延伸が遅れて新しいエリアⅢが遅れて開花が波及した。
Ⅳaはまだ株も若く、今後開花の可能性も期待される。Ⅳbは開墾後に新たに再生したエリアの可能性があり、日当たりがよく木は大きいいが今後の傾向は予想しづらい。Ⅲbは昨年の下刈りで、この後に地下茎から伸びる新梢、新稈がどのような形態になるか、観察が必要と考える。
エリアⅡの登坂路登り口の株、とはいえ地下茎から伸びた枝に花穂が見られた。昨年も花が咲きやすい株であったが、今年は箒状にかなりの花穂を生じている。エリア の尾根道交差点から登坂路に下がった株で、新な花穂の伸長を認めた。この株(枝)は昨年も花穂をつけており、その名残が着生したままだが、箒状ではなくスリムな穂で、継続的に出穂しているものとみられる。以上の点から考察するに、2017年に始まった一斉開花が2018年にも亘り、2019年は辺縁エリアや、各エリアの地下茎の先端などで、散在的に花穂が見られるかもしれないと推察している。」
3月14日、羽田さんと二人で園内を一巡した。先週と同じ場所に開花が見られ、穂数はすこし増えた印象を受けたが、新たな開花は確認できなかった。そして次のステップに向けて、親株の太さを大まかに計測した。
坂さん作製の「三溪園タイミンチクの生育分布と開花観察地点図」を巡り、地下茎の伸びる方向に関連する高低差を示すため、等高線を入れる方が良いのではと羽田さんの提案があり、ご両人で幾度かの意見交換のすえ、ついに完成した。この地図を付し、3年間の観察の<中締め>としたい。

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