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丘のダヴィンチたち

 9月4日、台風21号が昼に四国・近畿に上陸との気象情報を気にしつつ、時おりの強風にあおられて帰宅すると、留守電が入っていた。都立武蔵丘(むさしがおか)高校の後輩で、同校元教員の佐藤秀子さん(昭和35年卒の12回生)という方からで、ファックスを送るとある。

 武蔵丘高校は1940(昭和15)年に東京府立第二十一中学校として発足、戦後1948(昭和23)年に都立武蔵丘高校となった。私は1952(昭和27)年に入学した7回生で、勉学と交友と放課後のラグビーもどきの遊びに専念、人気の野球部には入らず、町道場で柔道を習っていた。

 学校は中野区の練馬区寄りにあり、西武新宿線の鷺ノ宮駅や下井草駅から通学する友人が多かった。私は西武池袋線の中村橋駅から徒歩5分のところにある家から、徒歩通学をしていた。

 朴歯の高下駄、学生服に破れ学帽、腰に手拭いをぶら下げ、冬も素足で霜柱をザクザク踏んで登校、文学青年を気取った時期から哲学青年に変わる2~3年生にかけて、これが憧れた私の旧制高校生ファッションであった。「高歯の下駄では、喧嘩を売られても逃げられないぞ」と先生に言われたが、下駄は脱げば立派な武器になる、と密かに思っていた。

 柔道場のある練馬駅近くの古書店に入り浸り、仕入れた本をズックの肩かけ鞄に詰め込んで帰った。「新書100冊を読破」等を目標に掲げ、手当たり次第に読んだ。とくに体験や直感を重視するニーチェやショーペンハウエルの「生の哲学」にかぶれていた。

 木曜が休みで土曜が全日授業という学校だったので、木曜になると近場の奥多摩や秩父の山々を単独行した。事前に5万分の1地図の等高線を眺めて山の立体的な姿を脳裏に浮かべ、それが眼前に拡がるのが楽しみだった。山では、いやおうなく自己と向き合う。自分という存在をとても小さく感じた。

 さて、佐藤さんから届いたファックの用件名は<丘のダヴィンチたち>。2年前に中西進先生(旧制府立中学2回生)の発案で発足、それについて同窓会誌「銀杏」(2017)に六角鬼丈先生(12回生、建築家)が、ついで「銀杏」(2018)に三田村有純先生(20回生、漆芸作家)が書かれていると、添付してあった。

 そして「昨日、中西進先生からご連絡があり、加藤祐三先生にもご賛同いただきたいとのことでした」とある。中西先生とはどなたか、すぐには思い出せない。以前に初対面で「武蔵丘高校のご出身でしょう」と言われて驚いたことがあった、その方か。

 中西さんは1929(昭和4)年生まれ、米寿(88歳)を迎えた国文学者(万葉学者)で文化勲章受章(2013年)の大家と分かった。多彩な職歴のなかに、2004年、京都市立芸術大学長があり、お会いしたのは公立大学協会(公立大学学長からなる社団法人)の総会であろう。それにしても15年前に一度会っただけの私を覚えておいでとは。

 佐藤さんからは「来週の9月14日、中西先生が講演のため京都から出てこられるのに合わせて、打合せを予定しています」とも。

 添付資料によれば、母校は2020年に創立80周年を迎える。それに向けて、あらゆる分野で活躍する卒業生が、「世代を超えて異分野を学ぶ会」として<丘のダヴィンチたち>を結成(三田村有純「銀杏」(2018))、それから2年が経つという。<丘のダヴィンチたち>の名前の由来は、ルネサンス期イタリアの芸術家レオナルド・ダヴィンチ、<丘>は言うまでもなく武蔵丘高校である。

 この2年前に発足した当会とは別に、2年前に解散した同校の同期会がある。本ブログ2016年10月26日の「高校同期会の解散」で述べたが、昭和30年卒の6クラスあったうちの2クラスを中心に、45年もつづいた<ぬぎの会>である。最初から最後まで牽引した名幹事の勝田賢の宣言、「80歳が会の終わり」で解散した。

 その代わりのように、<丘のダヴィンチたち>からのお誘いである。打合せの当日、せっかくなら65年前の通学路を歩いてみようと早めに家を出た。中村橋駅から旧居へ、そして母校へ。麦畑の拡がる風景が瀟洒な住宅街に一変したのは当然で、地付きの人のものであろう風情ある古い屋敷と椎の大樹が、過ぎ去った歳月を偲ばせる。

 母校は翌日の学園祭の準備中で、先生や生徒が忙しそうに行き来していた。許可を得て構内を一巡。建て替えにより校舎や校庭の位置が大きく変わって戸惑う。校歌にある櫟(くぬぎ)の樹は変わらず、同じ場所に髙く聳えていた。そこから記憶をたどりつつ鷺ノ宮駅まで歩き、バスでJR阿佐ヶ谷駅まで出た。

 <丘のダヴィンチたち>の会場は、予定の喫茶店では入りきれず、急遽、四ツ谷駅に近い槙枝一臣さん(16回生)の東京フレックス法律事務所となった。5時開始、参加者は32名中17名、挨拶と近況報告が一巡し、最後が中西さんで、情熱をこめて母校の若人を応援したいと結んだ。

 母校や同窓会等との連絡を密にするとともに、まずは<丘のダヴィンチたち>の想いを伝える文集を作ろうと提案があり、印刷物ではなく、ネット世代が近づきやすいデジタル版はどうかとの意見等も出た。2年後の創立80周年に向けた具体的な一歩である。

 司会をつとめた三田村さんが文集の範例を作ると言い残して所用のため早退、内山園子さん(10回生)が引き継ぎ、最後に次回の日程を決めた。中西さんは、これから京都へ帰宅の強行軍、その達者ぶりに驚かされる。
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プロフィール

Author:加藤 祐三
日本の歴史学者

横浜 市立大学名誉教授

国指定名勝・三渓園(横浜)
園長

・前都留文科大学長
(2010~2014)

・元横浜市立大学長
(1998~2002)

主な著書
「イギリスとアジア」
         (1980年)
「黒船前後の世界」(1985年)
「東アジアの近代」(1985年)
「地球文明の場へ」(1992年)
「幕末外交と開国」(2012年)
蒋豊訳「黒船異変」(2014年)
蒋豊訳「東亜近代史」
         (2015年)

 など

専門
・近代アジア史
・文明史

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