FC2ブログ

【35】幕末期のアヘン問題

 清朝中国とイギリスのアヘン戦争(1839~42年)、また敗戦国中国と戦勝国イギリスとの間で結ばれた南京条約(1842年)については、高校の世界史教科書に必ず出てくるが、幕末期日本とは無関係の、他国のこととして見過ごしがちである。今回は「幕末期のアヘン問題」をテーマに考えてみたい。

 きっかけは三つ。第一が本ブログにリンクを張った講演録「岡倉天心『日本の覚醒』を読む」の末尾にある質問に答えたこと、第二が寄贈を受けた明治維新史学会編『講座 明治維新』(有志舎 全12巻)の第12巻「明治維新史研究の諸潮流」所収の小風秀雅「<帝国>と明治維新」を拝読して感じたこと、そして第三に仲間うちの納涼会で出た質問に答えるなかで感じたこと。第一と第二は歴史学界ないし歴史に関心を持つ人たちの見解であり、第三は広く職種・専門・男女・年齢を包含する人たちからの質問である。

 私が「幕末期のアヘン問題」に、あるいは広く幕末の日本開国・開港に関心を持ったのは、拙稿「19世紀のアジア三角貿易-統計による序論」(『横浜市立大学論叢』1979年)を書き(本ブログ「【24】19世紀のアジア三角貿易」を参照)、これを受けて刊行した『イギリスとアジア-近代史の原画』(岩波新書 1980年 以下、本書とする)を書き終えようとしていたときで、そろそろ40年になる。

 私の歴史テーマの展開は、本ブログ2015年6月30日号掲載「【1】新たな回顧(「我が歴史研究の歩み」1)」の中で5つに分けて記した。(1)中国近現代史、(2)近代アジア史、(3)日本開国史、(4)文明史、(5)横浜の歴史である。

 その研究を振り返り、今後の展望を描こうと、本ブログに連載「我が歴史研究の歩み」を企画、3年ほど書き進めてきた(最新号が2018年5月7日掲載の「【34】連載(五)香港植民地の形成」)。5分野のうち、(2)近代アジア史から(3)日本開国史へと展開する最初の著書が本書である。その概要は、「【25】『イギリスとアジア』刊行」(2017年6月19日号)を参照されたい。

 本書はイギリス近代の風景と人々の生活を横糸に、そして精度の高い貿易統計(英国議会文書所収)を縦糸に3つの商品、すなわち①英国が輸入する中国産紅茶、②中国等へ輸出(密輸)される英国植民地インド産のアヘン、③インドへ輸出される産業革命の産物である英国製綿製品からなる「19世紀アジア三角貿易」をまとめ、副題の「近代史の原画」に意図をこめた。

 最強の鎮痛剤として現在も使われる薬物のアヘン(主成分はモルヒネ)は、野放しにすれば麻薬と化す。野放しのアヘンは、中国ではタバコのように吸い、産地のインドでは小さく丸めて飲み、イギリスではイラン・トルコ産アヘンをアルコールに溶かした「アヘン・チンキ」が流行した。

 本書所収の図12「インド産アヘンの140年」(1813~1914年)は広く高校世界史Bの教科書に引用されたが、これだけで「幕末期のアヘン問題」に関連づけるのは難しい。

 本書の第9章1節で「日本のアヘン問題」に言及、日米修好通商条約(調印は1858年7月)の交渉段階で、米総領事ハリスが大統領の意向としてアヘン禁輸を条約に入れたいと述べたこと、条約第4条に「阿片の輸入厳禁たり。若し亜米利加商船三斤(約2キロ)以上を持渡らば、その過量の品は日本役人、之を取上べし」と決めたことを記した。

 ついでインド産アヘンについて、「植民地インドのアヘン生産-1773~1830年」(『東洋文化研究所紀要』 1981年)を書いた(本ブログ2017年7月28日掲載の【27】を参照)。専売制のベンガル・アヘンとその税収が植民地財政を支えるとともに、余剰を送金してイギリス本国の「安い政府」を支えたこと、中央インド産のマルワ・アヘンには港への搬出陸路で通過税を課したこと等を明らかにした。アヘンが売れれば売れるほど財政が潤う仕組みであり、販売市場(主に中国)で麻薬患者が増え、アヘン禍が蔓延する状況への配慮はなかった。

 インド産アヘンの輸出先である東南アジアの植民地と中国は、イギリス帝国を支える命綱であり、とくに広大な中国市場は本国財政と経済(世界初の産業革命)の存亡に関わるほど重要な役目を担っていた。換言すれば、アヘン戦争はイギリスにとって不退転の覚悟で臨んだ戦争であった。

 イギリスの勝利で戦争が終わり、1842年に南京条約が結ばれる。ところが条約には戦争の原因であり最大の争点であったアヘンに関する条項はない。つまり70余年にわたる「公然たる密輸」状態がつづく。ちなみにアヘン貿易の合法化を明示する条約は、1858年に締結される天津条約である。

 南京条約に対して他の列強が「最恵国待遇(条項)」を求めて介入した。初発の条約と同等以下の権益を求める国際政治の外交的武器が「最恵国待遇」であり、成文法や取り決めはない。平たく言えば権益の山分けを求める列強間の法的表現である。こうして2年後の1844年、アメリカが清朝中国と望廈条約を、フランスが黄埔条約を結ぶ。

 南京条約にアヘン条項がないため、アメリカは米シャム条約(1833年)以来の外交政策の一つである「アヘン禁輸」を承継し、望廈条約に加えた。「アメリカはアヘン生産基地を持っていない」が表面上の理由だが、イギリスから独立(1776年)して68年目、1815年の英米戦争終結から29年目、反英感情が消えていないアメリカの、東アジアにおける一つの法的表現でもあった。

 この「アヘン禁輸」条項のある条約の存在は、イギリスの狙う「公然たる密輸」状態を危うくする。イギリスは高いコストを払って最初に南京条約を締結したことの権限を駆使し、後続の望廈条約等に明示されたアヘン禁輸条項は外国にとって特権ではない、したがってイギリスはこれに拘束されない、とした。

 私が「幕末期のアヘン問題」への疑問から日本の開国・開港史の研究に踏み込んだころ、開国・開港史の研究は主に日本史(と日米関係史)の領域で扱われていた。東アジア史や英米の世界戦略上の対抗等を含めた研究はごく稀であり、「幕末期のアヘン問題」については先行研究がなかった。

 そこで私は「幕末開国考-とくに安政条約のアヘン禁輸条項を中心として」(『横浜開港資料館紀要』第1号、1983年)を書き、「幕末期のアヘン問題」を切り口として日本の対外政策と開国・開港史に踏み込んだ。この論考の概要は本ブログ「【28】幕末開国考」(2017年8月8日掲載)に述べたが、そこから国際的な問題と日本国内の問題の二点について再掲したい。

 国際的問題としては、前掲のハリス提案以前にアヘン禁輸問題がどう扱われたかであり(1)ペリーもアヘン禁輸を考えたが、日米和親条約が通商問題を含まないため条約に記載がないこと、(2)ハリス提案より一年ほど早い「日蘭追加条約」第14条にアヘン禁輸が初出すること、(3)ハリスが来日途上にシャムに寄り、直前の1855年4月に英国バウリング香港総督が締結した英=シャム通商条約(アヘン貿易の合法化)と同じ内容の通商条約にやむなく調印、対日通商条約に一番乗りする自分はアヘン禁輸を貫く覚悟を固めたこと等を示した。

 日本国内の問題としては、鎖国中の日本では「三都(江戸・京都・大坂)の漢方医が前年のアヘン使用実績を長崎奉行に報告し、会所貿易により唐船(中国商船)と蘭船(オランダ商船)に発注するという、厳しい輸入統制を敷いていた」と述べた。

 一方、幕府はアヘン戦争の当事国双方の情報を積極的に収集した。中国商船が舶来する「唐風説書」と、英文の新聞雑誌情報を基にバタビアで編集、オランダ船が舶来する「オランダ風説書」とを対比して戦況を分析、1839年に小競り合いで始まったアヘン戦争は清朝中国が敗北すると断定、南京条約締結の一日前の1842年8月28日、穏健な対外政策の天保薪水令へ切り替えた。この過程の詳細は後続のブログ「【37】連載(七)経験と風説」にゆずる。

 この海外情報の収集・分析・政策化を通じて、アヘンは民心と経済の根幹を揺るがす対外的危機の象徴として把握された。これは民衆レベルにも浸透したようで、『海外餘話』等の読本が流布し、返り点つきの魏源『海国図誌』が広く読まれた(拙著『紀行随想 東洋の近代』朝日新聞社 1977年)。

 さらに岡倉天心が英文著作『日本の覚醒』で強調する儒教のなかの行動主義的な陽明学が、幕藩体制の中核たる武士の間に「危機に直面して平静、事を計るに機知縦横、事態の変化に機敏に対応」する力を育んでいたという思想的背景も忘れてはなるまい(本ブログのリンクにある講演録「岡倉天心『日本の覚醒』を読む」参照)。

 こうした経緯の上に、ハリスがアメリカ外交の継承性からアヘン禁輸を主張、これを受けて日米修好通商条約に「アヘン禁輸」が定められ、日本はアヘン禍を未然に阻止することができたのである。

 ふたたび上掲の図12「インド産アヘンの140年」(1813~1914年)に戻ると、この140年のなかに、日本の元号で文政・天保から幕末を経て明治・大正までがすっぽり収まる。この長きにわたるイギリス植民地インドのアヘン生産と中国への輸出(密輸から合法化へ)という事実、これを日本史の「幕末期のアヘン問題」と関連させて理解したい。

 前掲の明治維新史学会編『講座 明治維新』(全12巻)の筆者の多くは研究の最前線に立つ重鎮たちである。私がポスト団塊世代と呼ぶ世代で、大学勤務の定年も近い。私との年齢差は15歳以上あるが、彼らと意見交換の場が開かれたのを幸いに思う。真摯に交流を進めたい。
スポンサーサイト



プロフィール

Author:加藤 祐三
日本の歴史学者

横浜 市立大学名誉教授

国指定名勝・三渓園(横浜)
園長

・前都留文科大学長
(2010~2014)

・元横浜市立大学長
(1998~2002)

主な著書
「イギリスとアジア」
         (1980年)
「黒船前後の世界」(1985年)
「東アジアの近代」(1985年)
「地球文明の場へ」(1992年)
「幕末外交と開国」(2012年)
蒋豊訳「黒船異変」(2014年)
蒋豊訳「東亜近代史」
         (2015年)

 など

専門
・近代アジア史
・文明史

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
カテゴリ
QRコード
QR