チェロ×チェンバロとテニス
大澤久さんのチェロと慶子さんのチェンバロ。新婚夫婦の息の合った合奏を聴いた。3℃(最低)/8℃(最高)と今季はじめての寒い12月15日、会場は文京区内の個人宅である。
二つ折の手製のプログラムの表紙の上段に「SBF823ホームコンサート8」、その下に「大澤久&慶子(チェロ&チェンバロ)」とあり、開くと11曲の演奏プログラムと奏者紹介、裏表紙に主催者の「ご挨拶」がある。
昨春、大澤久さんのチェロと橋本慎一さんのコントラバスによるDUO CETRAの演奏会を、三溪園の燈明寺本堂(室町時代の建造物を移築)で開催してもらった。30歳代前半、今回さらにチェロの音に格段の深みを感じる。
大澤久さんは京都生まれの名古屋育ち。6歳からスズキメソ-ドでチェロを始め、名古屋工業大学応用化学科へ進学、在学中に管弦楽サークルの学生トレーナーをつとめた。のち東京芸術大学音楽学部器楽科チェロ専攻に入学、同大学のバッハカンタータクラブに属し、通奏低音奏者としても活躍、また自ら室内楽演奏会を主宰し多くの公演を開催、好評を得てきた。
現在は、演奏活動、チェロ教習、ゲーム音楽の作曲、文部省唱歌の編曲と多方面で活躍している。『初心者のチェロ基礎教本』(自由現代社 2017年)を刊行、ユニークな内容で大評判という。中島顕、河野文昭、鈴木秀美、林俊昭の各氏に師事。詳細は自身のブログにある。
⇒http://ameblo.jp/mannmaru399
チェンバロ奏者の慶子さんは岐阜県出身。3歳でピアノを始め、名古屋市立菊里高校音楽科を卒業、東京藝術大学楽理科を卒業、同大学大学院音楽研究科音楽文化学・音楽学専攻を修了した。在学中はバッハカンタータクラブに属し、合唱に参加。卒業論文はバッハの鍵盤作品について、また修士論文はバッハ作品の編曲についてである。ピアノを馬場マサヨ、長野量雄、草冬香、音楽学を佐藤里美、上田栄三郎の各氏に師事。
久さんが電子チェンバロという楽器の説明をする。疑似的に琴の音も出せるらしい。順にエルガー「愛のあいさつ」、サン=サーンス「白鳥」、ヴィヴァルディ「チェロ・ソナタ第5番ホ短調」、エクレス「チェロ・ソナタ ト短調」とつづく4曲の作家と作品について簡潔明快に解説をしてくれる。
馴染みのある曲が多く、30㎡ほどの会場の、すぐ目の前の贅沢な生演奏である。チェロの太い音色にチェンバロの繊細な響き。すっかり引き込まれ、脳裏の奥底に眠っていた風景の断片や、幾つかの歴史叙述が動きだすのに、我ながら驚かされた。
約1時間の前半が終わると、主催者が「お誕生日コーナー」の説明を始める。「…12月が生まれ月の方が多くおられるので、今日は特別の趣向を凝らしました。…ハッピー・バースデーの歌がディア○○さんまで来たら、その方は立って、何日生まれと答えてください」。
最初がスウちゃん(小宮山進)で12月14日生まれ、ついでヨッちゃん(中西芳樹)が27日、ユウちゃん(加藤祐三)が28日、ハッちゃん(石井はつみ)が29日と、1日違いが3人並ぶ。10数人の集まりで4人はかなり高い比率である。
主催兼司会のハッちゃんが言う。「スウちゃんは私の従兄弟、ヨッちゃんとユウちゃんは向陵テニスクラブで一緒です。もう一方、向陵のケイちゃん(和久敬蔵)は1月生まれですが、当コンサートに皆勤されたので5人目に加えます。…さあ、始めます」。
歌が始まり、促されたスウちゃん、ヨッちゃん、そして私もあえなくタイミングを誤り、最後のケイちゃんだけが立派に成し遂げた。
向陵テニスクラブではヨッちゃんがマネジャーをつとめ、ハッちゃんは会計とコート取得のためネット申込の割り当てを毎月かかさず指示してくれる。おかげで半世紀近い伝統を誇る当クラブは、立派に活動をつづけている。
半月ほど前の12月2日に開かれた向陵忘年会には、女子プロテニスで世界を転戦後、千葉県柏市の吉田記念テニス研修センター(TTC)でコーチをつとめる大竹山理映さんもゲスト参加し、ハッちゃんとチェロ二重奏を披露してくれた。
その忘年会の会場主である三輪亮寿・美子ご夫妻からはバースデーケーキが贈られた。クリスマス・プレゼントと誕生祝いとお年玉の3つを1つにまとめられてきた12月下旬生まれの面々にとって、晴れがましい失地挽回である。
ヨッちゃんとはまた四谷パワーテニスでも一緒。こちらは20年ほど前、四谷のコートから誕生したテニスクラブで、私は入れてもらって12年、いまは日比谷のコートを主に使うが、発足時の名称を堅持している。長年にわたり引っ張ってくれた松浦永司会長が顧問となり、新会長に就任した若手の蒲生大輔さんは、高齢のご尊父の介護のため頻繁に帰省を続けている。メンバーの多数が、上掲のDUO CETRA三溪園演奏会に大挙して繰り出した。
休憩後のコンサートは比較的短い7曲がつづく。バッハ「主よ 人の望みの喜びよ」、平井康三郎「平城山」、新井満「千の風になって」、山田耕筰「からたちの花」、ケクラン「20のブルターニュの歌」、ボッケリーニ「チェロ・ソナタ第17番 ハ長調」、ピアソラ「リベルタンゴ」。
カラタチ、その鋭いトゲある木に咲く白い花、幼い日の家の勝手口沿いにあったカラタチの垣根、そこに育つ美しいアゲハチョウ…さまざまな思い出が去来する。
ボッケリーニ(1743~1805年)はハイドンやモーツアルトと同世代、イタリア生まれでスペイン王に仕えたチェロ作曲家兼演奏者で、左親指を多用する演奏技法を開発したとの解説に、大きくうなずくのは演奏に日々苦労している人たちである。
平均年齢は高いが老若男女というべき音楽とテニスを通じた交友関係。それぞれ異なる仕事や生き方をしつつ結ばれた絆は、求めてできるものではない。期せずして授かったと言うべきであろう。
二つ折の手製のプログラムの表紙の上段に「SBF823ホームコンサート8」、その下に「大澤久&慶子(チェロ&チェンバロ)」とあり、開くと11曲の演奏プログラムと奏者紹介、裏表紙に主催者の「ご挨拶」がある。
昨春、大澤久さんのチェロと橋本慎一さんのコントラバスによるDUO CETRAの演奏会を、三溪園の燈明寺本堂(室町時代の建造物を移築)で開催してもらった。30歳代前半、今回さらにチェロの音に格段の深みを感じる。
大澤久さんは京都生まれの名古屋育ち。6歳からスズキメソ-ドでチェロを始め、名古屋工業大学応用化学科へ進学、在学中に管弦楽サークルの学生トレーナーをつとめた。のち東京芸術大学音楽学部器楽科チェロ専攻に入学、同大学のバッハカンタータクラブに属し、通奏低音奏者としても活躍、また自ら室内楽演奏会を主宰し多くの公演を開催、好評を得てきた。
現在は、演奏活動、チェロ教習、ゲーム音楽の作曲、文部省唱歌の編曲と多方面で活躍している。『初心者のチェロ基礎教本』(自由現代社 2017年)を刊行、ユニークな内容で大評判という。中島顕、河野文昭、鈴木秀美、林俊昭の各氏に師事。詳細は自身のブログにある。
⇒http://ameblo.jp/mannmaru399
チェンバロ奏者の慶子さんは岐阜県出身。3歳でピアノを始め、名古屋市立菊里高校音楽科を卒業、東京藝術大学楽理科を卒業、同大学大学院音楽研究科音楽文化学・音楽学専攻を修了した。在学中はバッハカンタータクラブに属し、合唱に参加。卒業論文はバッハの鍵盤作品について、また修士論文はバッハ作品の編曲についてである。ピアノを馬場マサヨ、長野量雄、草冬香、音楽学を佐藤里美、上田栄三郎の各氏に師事。
久さんが電子チェンバロという楽器の説明をする。疑似的に琴の音も出せるらしい。順にエルガー「愛のあいさつ」、サン=サーンス「白鳥」、ヴィヴァルディ「チェロ・ソナタ第5番ホ短調」、エクレス「チェロ・ソナタ ト短調」とつづく4曲の作家と作品について簡潔明快に解説をしてくれる。
馴染みのある曲が多く、30㎡ほどの会場の、すぐ目の前の贅沢な生演奏である。チェロの太い音色にチェンバロの繊細な響き。すっかり引き込まれ、脳裏の奥底に眠っていた風景の断片や、幾つかの歴史叙述が動きだすのに、我ながら驚かされた。
約1時間の前半が終わると、主催者が「お誕生日コーナー」の説明を始める。「…12月が生まれ月の方が多くおられるので、今日は特別の趣向を凝らしました。…ハッピー・バースデーの歌がディア○○さんまで来たら、その方は立って、何日生まれと答えてください」。
最初がスウちゃん(小宮山進)で12月14日生まれ、ついでヨッちゃん(中西芳樹)が27日、ユウちゃん(加藤祐三)が28日、ハッちゃん(石井はつみ)が29日と、1日違いが3人並ぶ。10数人の集まりで4人はかなり高い比率である。
主催兼司会のハッちゃんが言う。「スウちゃんは私の従兄弟、ヨッちゃんとユウちゃんは向陵テニスクラブで一緒です。もう一方、向陵のケイちゃん(和久敬蔵)は1月生まれですが、当コンサートに皆勤されたので5人目に加えます。…さあ、始めます」。
歌が始まり、促されたスウちゃん、ヨッちゃん、そして私もあえなくタイミングを誤り、最後のケイちゃんだけが立派に成し遂げた。
向陵テニスクラブではヨッちゃんがマネジャーをつとめ、ハッちゃんは会計とコート取得のためネット申込の割り当てを毎月かかさず指示してくれる。おかげで半世紀近い伝統を誇る当クラブは、立派に活動をつづけている。
半月ほど前の12月2日に開かれた向陵忘年会には、女子プロテニスで世界を転戦後、千葉県柏市の吉田記念テニス研修センター(TTC)でコーチをつとめる大竹山理映さんもゲスト参加し、ハッちゃんとチェロ二重奏を披露してくれた。
その忘年会の会場主である三輪亮寿・美子ご夫妻からはバースデーケーキが贈られた。クリスマス・プレゼントと誕生祝いとお年玉の3つを1つにまとめられてきた12月下旬生まれの面々にとって、晴れがましい失地挽回である。
ヨッちゃんとはまた四谷パワーテニスでも一緒。こちらは20年ほど前、四谷のコートから誕生したテニスクラブで、私は入れてもらって12年、いまは日比谷のコートを主に使うが、発足時の名称を堅持している。長年にわたり引っ張ってくれた松浦永司会長が顧問となり、新会長に就任した若手の蒲生大輔さんは、高齢のご尊父の介護のため頻繁に帰省を続けている。メンバーの多数が、上掲のDUO CETRA三溪園演奏会に大挙して繰り出した。
休憩後のコンサートは比較的短い7曲がつづく。バッハ「主よ 人の望みの喜びよ」、平井康三郎「平城山」、新井満「千の風になって」、山田耕筰「からたちの花」、ケクラン「20のブルターニュの歌」、ボッケリーニ「チェロ・ソナタ第17番 ハ長調」、ピアソラ「リベルタンゴ」。
カラタチ、その鋭いトゲある木に咲く白い花、幼い日の家の勝手口沿いにあったカラタチの垣根、そこに育つ美しいアゲハチョウ…さまざまな思い出が去来する。
ボッケリーニ(1743~1805年)はハイドンやモーツアルトと同世代、イタリア生まれでスペイン王に仕えたチェロ作曲家兼演奏者で、左親指を多用する演奏技法を開発したとの解説に、大きくうなずくのは演奏に日々苦労している人たちである。
平均年齢は高いが老若男女というべき音楽とテニスを通じた交友関係。それぞれ異なる仕事や生き方をしつつ結ばれた絆は、求めてできるものではない。期せずして授かったと言うべきであろう。
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