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平戸イギリス商館

 本ブログの8月21日号に「400年前の英語」を書いた。平戸(現長崎県)のイギリス商館長リチャード・コックス(Richard Cocks 1566~1624年)による日記“Diary kept by the head of the English Factory in Japan”(大英図書館蔵)を東京大学史料編纂所が翻字・邦訳した『イギリス商館長日記』(『日本関係海外史料』)のうち)に出会い、そのブログで冒頭部分に触れた。

 商館が置かれた平戸は九州最西端に位置し、大陸に近く、古くから中国や西洋諸国との貿易で栄えた。1191(建久2)年、 栄西が留学先の南宋から平戸島に帰着、ここで最初に禅宗を伝えた。1550(天文19)年、平戸藩主・松浦肥前守隆信の南蛮貿易進出、ポルトガル貿易船の入港、また同年9月、フランシスコ・ザビエルの来航とキリスト教布教でも知られる。

 コックス日記は西暦1615年6月1日に始まり、商館建物の一部の新築工事に関する王(上掲の松浦隆信の孫、同姓同名)の大工棟梁・山崎弥右衛門から購入した木材や大工・人夫の人数についで、前年末に暹羅(シャム=現在のタイ国)へ向かうも暴風雨のため琉球に5か月間滞泊していたWilliam Adams(1564~1620年)船長のジャンク船Sea Adventure号が戻ってきたことを記す。
 ウィリアム・アダムズとは、1600年4月、オランダ船リーフデ号(Liefde)で豊後佐志生に漂着、徳川家康により旗本として知行地の三浦半島の逸見に因み「三浦按針」の名を得た人物で、外交顧間等の役割を果たし、平戸イギリス商館開設にも大きく寄与した。

 コックス自身が「すべての出来事を正確に記した」と述べているとおり、日記は彼の旺盛な記録志向に満ち、可能なかぎり客観的な記述を志しているようである。つい胸のうちを明かすこともあるが…。
 毎日の書き出しは必ず天候と風向きで、航海日誌の形式を踏む。なお気温の記載がないのは、まだ寒暖計がなかったためであろう。たまに「蒸し暑い」とか「寒い」等の表現が見られるに過ぎない。
 ついで取引や贈答品、手紙を送った相手とその概略を記し、事件、人物評、風評等を記す。

 翌2日には、「…オオゴショ様(徳川家康)が大坂の城を取り、フィディア様(豊臣秀頼)の軍を滅ぼした」との第一報を記す。5月6日の豊臣勢の大敗、翌7日の決戦で終わる大坂夏の陣である。平戸まで約3週間で届いたことになる。
 4日には、夏の陣から帰国途上にある島津家のバルク船の艦隊500隻が平戸に寄港。コックス自ら船まで出向き贈物を届ける。豪華な南京緞子3反、藍色のバイラム布(インド産更紗)10反、赤色のゼラ布(インド産の布の総称)10反、白色のバフタ布(インド産キャラコの一種)10反、ダッティー布(インド産の厚手の綿布)等。綿布国産化が普及する直前の時期の高級舶来品である。

 麻が衣類の主体であった日本で、中国産・インド産の綿布は「贈物外交」の代表として広く使われた。イギリス人同士でも、藷(サツマイモ)、コムギ、ベーコン、パン、酒などの贈答や売買のなかに、綿布が少なからず登場する。なおサツマイモはアダムズが琉球から持ち帰りコックスに贈り、彼が初めて商館内に植えたと記している。

 商館建築のため雇った大工・人夫・職人(畳・瓦等)の人数も漏らさず記す。6月11日、木材等の購入代金や大工・人夫の延べ457日分を含め計581匁を清算した。人夫1名の日当は5分、井戸清掃の人夫は3分(大工の日当は明細書に記すとあり日記にはなし)。23日には完成したとあるが、大工・人夫数から推して、工事は5月中旬には始まり、床面積は100坪(200畳)程度か。
 オランダ商館に4年遅れて開設された平戸イギリス商館、それも11年間(1613~23年)だけで撤退を余儀なくされる商館の構成や役割、また日記の主コックス(商館長は彼一代)その人や彼の日常へと関心が膨らむ。

 ところで、コックス日記はなぜ1615年6月1日から始まるのか。天候と風向きから始まる、この日の日記には、「いざ書き始めるぞ」といった気配は窺えず、いつも書いてきたように今日も、という印象を受ける。
 平戸イギリス商館の開設は日記開始の1年半も前の1613年11月。以前の分もあったのではないか。なおこの『イギリス商館長日記』も1619年1月から1620年12月までの約2年分を欠いている。コックスは約10年後の1624年、バタビアから帰国の途次、船上で死去。商館旧蔵の文書も今は伝わらない。このときに一緒に消失したとも考えられる。

 本書の刊行を担当した史料編纂所の金井圓さんが『東京大学史料編纂所報』第13号(1978年)~第17号(1982年)の「刊行物紹介」に、文献考証のみならず史実についても貴重な記述を寄せている。以下2点を紹介する。
 第1が平戸イギリス商館の開設について。イギリス東インド会社の司令官 John Saris が1613年6月、平戸に来航、アダムズの仲介で9月に駿府の徳川家康にジェイムズ一世の親書を提出、江戸で徳川秀忠から貿易開始の許可を得て平戸に戻る。そして11月、平戸イギリス商館開設を決議し、商館長に東インド会社のコックスを、そして館員として8名を任命、12月に日本を去る。

 第2がコックス商館長の初期の仕事について。コックスは当初、平戸華僑の甲必丹(カピタン)李旦の屋敷を借りて商館に充て、1614年には長崎にヨーロッパ人の代理人を置いた。さらに江戸にRichard Wickhamを配置、駿河と浦賀に置いた日本人代理人を監督させ、大坂にWilliam Eatonを配置して、京都・堺に置いた日本人代理人を監督させた。さらにシャム(タイ)、ベトナム、対馬との貿易も試みる。

 種々の困難はあったものの、商館開設の1613年11月から1616年9月の江戸幕府による貿易地平戸限定令の発令、その制限緩和運動を進めるコックスの活動を含めた3年間は、商館建築や貿易活動の拡張、本国からの来航船受入れ、オランダ商館との相対的友好の保持など、活気に満ちた時期であった。 
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プロフィール

Author:加藤 祐三
日本の歴史学者

横浜 市立大学名誉教授

国指定名勝・三渓園(横浜)
園長

・前都留文科大学長
(2010~2014)

・元横浜市立大学長
(1998~2002)

主な著書
「イギリスとアジア」
         (1980年)
「黒船前後の世界」(1985年)
「東アジアの近代」(1985年)
「地球文明の場へ」(1992年)
「幕末外交と開国」(2012年)
蒋豊訳「黒船異変」(2014年)
蒋豊訳「東亜近代史」
         (2015年)

 など

専門
・近代アジア史
・文明史

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