グローバル・ヒストリー
かなり長い周期で再会する友人・知人がいる。「朋あり遠方より来る、また楽しからずや」、遠くに住む人との再会はとくに嬉しい。その一人がニューヨークのアイオナ大学准教授・牧村保広さんである。
私が横浜市大にいた1998年、ヨーク(横浜市海外交流協会)奨学金を得た研究員として受け入れた。その後も他の奨学金を得て横浜に滞在、私の大学院ゼミにも顔を出していた。
牧村さんは1971年、北九州に生まれ、中学の時に両親の仕事でニューヨークへ、そしてハーバード大学卒業、英国ケンブリッジ大学修士課程を経て、コロンビア大学博士課程在学中に横浜へ来た。
出会いは、横浜にあるアメリカ・カナダ大学連合日本研究センター(現在、IUCと略称)所長(当時)のヘンリー・スミス教授(コロンビア大学)の紹介である。このセンターはアメリカ・カナダの大学が連合して作った日本語集中特訓(750時間)の高等教育機関で、創設から半世紀余、卒業生は3000人を超える。東京から横浜への誘致に私も一役買った。
牧村さんは、1859年の横浜開港以降の生糸輸出が、関東甲信の養蚕業とどう関連するかに関心を持ち、その着眼点を評価して引き受けた。日米双方での教育と体験を基礎に、英語と日本語の史料を駆使し、横浜という場を知れば面白い歴史が書けるのではないか。それを応援するのは学者冥利に尽きる。
また拙稿「幕末開国と明治維新期の日英関係」(2000、木畑洋一・イワンニッシュ・細谷千博・田中孝彦編『日英交流史 第1巻 政治・外交編』 東京大学出版会所収)の英訳を頼んだこともある。MacMillan社の英文版の拙稿文末には、訳者として牧村保広の名前が入っている。
2002年、私は市大学長退任と同時に定年退職した。牧村さんもアメリカに戻り、2005年にコロンビア大学で博士号を取得した。論文名は“The Silk Road at Yokohama: A history of the economic relationships between Yokohama, the Kanto region, and the world through the Japanese silk industry in the nineteenth century”。
2016年の夏、一時帰国しているので会いたいとメールが来た。「最近の私の研究活動は、生糸と綿布の貿易の研究をさらに発展させ、歴史的に遡り、貿易品を約12品に広げて、それを16世紀からの世界貿易に当てはめるというというものです。これは現在教えている世界史の授業を学生にわかり易くするためでもあります。そして、実はこれには加藤先生が考えたアジアの三角貿易が非常に大きな役割を果たしていますので、ぜひ先生に会ってお礼と報告をしたいのです。…2014年にNY支部でのアジア研究学会で発表したPower Pointを添付いたします」。そして東御苑を散策しつつ、彼の熱弁に耳を傾けた。
今年の年賀には次のようにあった。「この冬は、大坂大学の秋田先生のGlobal History Seminarで講演の機会を得ました。そのペーパー(和訳は「世界史を動かした十の貿易商品:15世紀から19世紀にかけての絹・磁器・香辛料・綿布・鉄砲・奴隷・砂糖・銀・茶・アヘンの地球規模での貿易の分析」)をお送りします。英文ですが、お時間がある時ご一読いただければ幸いです。」
Global History(グローバル・ヒストリー)は大阪大学のセミナー名だが、最近、かなり広く日本でも使われるようになった。従来の日本史(国史)に対する「世界史」とはいささか意味を異にし、世界規模の歴史学という意味からカタカナ表記である。貿易商品は世界をめぐるため、グローバル・ヒストリーに最適のテーマの一つである。
つづけて2月、ニューヨークのレキシントン書店から、牧村さんの著書刊行に当たり推薦状を書いてほしいとメールが入り、原稿のデータが添付してあった。Yasuhiro Makimura: Yokohama and the Silk Trade, How Eastern Japan Became the Primary Economic Region of Japan, 1843-1893. Lexington Books.
この英文版『横浜と生糸貿易』は博士論文を補正したもので、1章「近世日本の経済」、2章「天保改革の失敗と横浜開港」、3章「横浜最初の商人」、4章「幕末日本の貿易と横浜の役割」、5章「横浜とその後背地」、6章「東日本の生産者たち」と「まとめ」からなり、附録に、A「日本の輸出入」、B「総輸出の中の生糸・絹製品と茶」、C「総輸出の中の綿製品、銅、米穀」、D「総輸出に占める各商品の割合」の4つの統計がつく。
私が書いた推薦文の趣旨は次の通り。幕末の1859年に開かれた横浜開港場は、1854年の日米和親条約の交渉地(横浜村)であり、幕府が米総領事ハリスの主張を抑えて決めた。ここからの生糸輸出は日本人生糸売込商が集荷して外商に売り込み(居留地貿易)、世界の生糸市場を席巻する。またその利益が関東甲信の養蚕地帯へ還元され、横浜は日本の貿易と産業革命の要(pivot)となった。本書はそれを体系的に示した名著である。
9月に届いた新著は255ページ、ハードカバーで装丁も美しい。その返礼を書くと返事が来た。「私は今年の12月には日本に帰り、東京に寄ろうと思っておりますので、その時には是非お会いしたいです。…現在、16世紀から19世紀までの時代【の世界貿易】を英文で執筆していて、5章まで書き終えました。全部で10章の予定です。」
1章が「大西洋三角貿易前の世界」、10章が「アジアの三角貿易」という大きな構想である。アイオナ大学で続けてきた講義や昨年の大阪大学での集中講義の延長上に、これを著書にしたいと意気込む。
私は返信で「新たに大著を執筆中とのこと、嬉しく思います。40~50代は脂が乗り、身体の若さと心の成熟とがうまいバランスをとる適齢期です。大兄は46歳、まさにそのまっただ中に突入ですね」と述べ、身体の管理にも留意されたいと添えた。
すると「…NYの郊外にいるとほぼ完全な車生活になるので、意識的に運動を取り入れないとだめですね。…妻と冬は月1回スキーに行き、春から秋はテニスを週2か週3くらいしていたのですが、現在はなにもしていません。最近はコンピューターに向かって長時間座ったあとに歩くと、体の節々が痛くなります。これからは最低でもストレッチと体操はしようと思います。」と決意表明が来た。忘れずにつづけてほしい。
私が横浜市大にいた1998年、ヨーク(横浜市海外交流協会)奨学金を得た研究員として受け入れた。その後も他の奨学金を得て横浜に滞在、私の大学院ゼミにも顔を出していた。
牧村さんは1971年、北九州に生まれ、中学の時に両親の仕事でニューヨークへ、そしてハーバード大学卒業、英国ケンブリッジ大学修士課程を経て、コロンビア大学博士課程在学中に横浜へ来た。
出会いは、横浜にあるアメリカ・カナダ大学連合日本研究センター(現在、IUCと略称)所長(当時)のヘンリー・スミス教授(コロンビア大学)の紹介である。このセンターはアメリカ・カナダの大学が連合して作った日本語集中特訓(750時間)の高等教育機関で、創設から半世紀余、卒業生は3000人を超える。東京から横浜への誘致に私も一役買った。
牧村さんは、1859年の横浜開港以降の生糸輸出が、関東甲信の養蚕業とどう関連するかに関心を持ち、その着眼点を評価して引き受けた。日米双方での教育と体験を基礎に、英語と日本語の史料を駆使し、横浜という場を知れば面白い歴史が書けるのではないか。それを応援するのは学者冥利に尽きる。
また拙稿「幕末開国と明治維新期の日英関係」(2000、木畑洋一・イワンニッシュ・細谷千博・田中孝彦編『日英交流史 第1巻 政治・外交編』 東京大学出版会所収)の英訳を頼んだこともある。MacMillan社の英文版の拙稿文末には、訳者として牧村保広の名前が入っている。
2002年、私は市大学長退任と同時に定年退職した。牧村さんもアメリカに戻り、2005年にコロンビア大学で博士号を取得した。論文名は“The Silk Road at Yokohama: A history of the economic relationships between Yokohama, the Kanto region, and the world through the Japanese silk industry in the nineteenth century”。
2016年の夏、一時帰国しているので会いたいとメールが来た。「最近の私の研究活動は、生糸と綿布の貿易の研究をさらに発展させ、歴史的に遡り、貿易品を約12品に広げて、それを16世紀からの世界貿易に当てはめるというというものです。これは現在教えている世界史の授業を学生にわかり易くするためでもあります。そして、実はこれには加藤先生が考えたアジアの三角貿易が非常に大きな役割を果たしていますので、ぜひ先生に会ってお礼と報告をしたいのです。…2014年にNY支部でのアジア研究学会で発表したPower Pointを添付いたします」。そして東御苑を散策しつつ、彼の熱弁に耳を傾けた。
今年の年賀には次のようにあった。「この冬は、大坂大学の秋田先生のGlobal History Seminarで講演の機会を得ました。そのペーパー(和訳は「世界史を動かした十の貿易商品:15世紀から19世紀にかけての絹・磁器・香辛料・綿布・鉄砲・奴隷・砂糖・銀・茶・アヘンの地球規模での貿易の分析」)をお送りします。英文ですが、お時間がある時ご一読いただければ幸いです。」
Global History(グローバル・ヒストリー)は大阪大学のセミナー名だが、最近、かなり広く日本でも使われるようになった。従来の日本史(国史)に対する「世界史」とはいささか意味を異にし、世界規模の歴史学という意味からカタカナ表記である。貿易商品は世界をめぐるため、グローバル・ヒストリーに最適のテーマの一つである。
つづけて2月、ニューヨークのレキシントン書店から、牧村さんの著書刊行に当たり推薦状を書いてほしいとメールが入り、原稿のデータが添付してあった。Yasuhiro Makimura: Yokohama and the Silk Trade, How Eastern Japan Became the Primary Economic Region of Japan, 1843-1893. Lexington Books.
この英文版『横浜と生糸貿易』は博士論文を補正したもので、1章「近世日本の経済」、2章「天保改革の失敗と横浜開港」、3章「横浜最初の商人」、4章「幕末日本の貿易と横浜の役割」、5章「横浜とその後背地」、6章「東日本の生産者たち」と「まとめ」からなり、附録に、A「日本の輸出入」、B「総輸出の中の生糸・絹製品と茶」、C「総輸出の中の綿製品、銅、米穀」、D「総輸出に占める各商品の割合」の4つの統計がつく。
私が書いた推薦文の趣旨は次の通り。幕末の1859年に開かれた横浜開港場は、1854年の日米和親条約の交渉地(横浜村)であり、幕府が米総領事ハリスの主張を抑えて決めた。ここからの生糸輸出は日本人生糸売込商が集荷して外商に売り込み(居留地貿易)、世界の生糸市場を席巻する。またその利益が関東甲信の養蚕地帯へ還元され、横浜は日本の貿易と産業革命の要(pivot)となった。本書はそれを体系的に示した名著である。
9月に届いた新著は255ページ、ハードカバーで装丁も美しい。その返礼を書くと返事が来た。「私は今年の12月には日本に帰り、東京に寄ろうと思っておりますので、その時には是非お会いしたいです。…現在、16世紀から19世紀までの時代【の世界貿易】を英文で執筆していて、5章まで書き終えました。全部で10章の予定です。」
1章が「大西洋三角貿易前の世界」、10章が「アジアの三角貿易」という大きな構想である。アイオナ大学で続けてきた講義や昨年の大阪大学での集中講義の延長上に、これを著書にしたいと意気込む。
私は返信で「新たに大著を執筆中とのこと、嬉しく思います。40~50代は脂が乗り、身体の若さと心の成熟とがうまいバランスをとる適齢期です。大兄は46歳、まさにそのまっただ中に突入ですね」と述べ、身体の管理にも留意されたいと添えた。
すると「…NYの郊外にいるとほぼ完全な車生活になるので、意識的に運動を取り入れないとだめですね。…妻と冬は月1回スキーに行き、春から秋はテニスを週2か週3くらいしていたのですが、現在はなにもしていません。最近はコンピューターに向かって長時間座ったあとに歩くと、体の節々が痛くなります。これからは最低でもストレッチと体操はしようと思います。」と決意表明が来た。忘れずにつづけてほしい。
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