400年前の英語
2年半ほど前、このブログで「若き学友との対話」(2014年12月23日)を書いた。「ゼミを持たなくなって10余年…この間にデジタル化が一挙に進み、メールという通信手段が発達…、ICTを通じて知り合った若い研究者で、いずれも拙著を読んだのがきっかけと言う知人が増えた。」
その一人が陳雲蓮さん。知人の知人を介して私のメールアドレスを突き止め、ケンブリッジ大学の図書館で拙著『黒船前後の世界』(岩波書店、1985年)を読み、日本に帰ったら、ぜひお会いしたいと、見事な日本文のメールをくれた。
彼女は中国の西安外国語大学を卒業後、京都府立大学に留学して博士号を取得。専門は都市史、建築史。その後、名古屋大学で研究、日本学術振興会の若手研究者海外派遣事業で、2年間、ケンブリッジ大学に在籍していた。
帰国後、神田学士会館で会うと、イギリス・日本・中国の史料館等で収集した史料をもとに、港湾建造と運河・道路の拡張等のインフラ投資を文字史料や地図で解明し、また都市区画の発展とその建築様式を明らかにする等、アヘン戦争から約100年にわたる上海近代史を国際政治とからめて描くという壮大な構想を話してくれた。その成果は近く著書になる。
昨春、岡山大学の日本人学生と留学生に日本語と英語の授業を担当する専任特任講師となる。今年の6月、「ペリー来航と開国」の講義に学生が強い関心を示したとメールをくれた。東アジア都市史の授業で、「黒船前後の世界」をいかに面白く英語で語るかが一つの挑戦だという。
そして別件として、ケンブリッジ大学名誉教授のジョン・コーツ(John Coats )先生の来日に合わせ、3人で会いたい、彼から趣味(が高じて著名なコレクター)の有田焼の青花(せいか)の話を聴いてほしい、「…やっとジョン・コーツ先生を加藤先生に紹介できること、とても興奮しています」とあった。
ジョン・コーツさんの名は聞いた覚えがあるが、記憶が定かでなく、陳さんに問い合わせた。「専門は数学、オーストラリア出身、ケンブリッジ大学で学位取得、ケンブリッジ大学のPure Mathematics教授、現在は名誉教授。…海外に流出した日本の陶磁器等の収集家です。彼が特に気にしているのは、17世紀有田焼の青花の製造と海外販売ルートです。コーツ・コレクションの青花は、17世紀のものが多く、九州焼物博物館の所蔵品よりも古い。青花は有田のどこの窯が生産したのか、どういうディーラー(例えば中国商人)の手により、長崎港から輸出されたのか、謎が多いようです。…しかも、有田焼の青花は一瞬で消え、その後は朱色で絵付けされる柿右衛門がブランドになります。…加藤先生の想像力をお借りして、答えが出るかもしれません。…彼はまたイギリスの東洋学者アーサー・ウェイリー(Arthur Waley)を崇拝し、Everybody needs Mathematics and historyと主張しています」とのこと。
こうして7月17日(祝日)、神田学士会館で昼食を取りつつ歓談する機会を得た。穏やかな笑顔でイギリスの大学英語(街で耳にする英語とは違う)を話す。懐かしく、40年前の在外研究で招いてくれたリーズ大学、ロンドン大学SOAS校、ケンブリッジ大学ニーダム研究所、また講演に行ったオクスフォード大学セントアントニーズ校等の記憶が蘇る。
アーサー・ウェイリー(1889~1966年)はコーツさんのケンブリッジ大学の大先輩でもあり、なによりも『万葉集・古今和歌集』の英訳(1919年)、『源氏物語』の英訳(全6巻、1921~33年)、『枕草子』の英訳(1928年)に加え中国古典の『詩経』、『老子』、『西遊記』、『李白』等の英訳で広く知られる。
コーツさんの青花コレクションの写真と解説を入れたUSBを拝受。彼は青花がどのような経路を経てイギリスに運ばれたかを知りたいと言いつつ、長崎港輸出説を推していた。
私は、青花がイギリスのみに残ることから、平戸に11年間(1613~23年)だけ置かれたイギリス商館から直接イギリスへ送られた可能性もあると考えた。
謹呈した加藤祐三・川北稔著『アジアと欧米世界』(『世界の歴史』第25巻、中公文庫 2010年)は、過去500年にわたるアジアと欧米の交流史を描いている。その地図や絵図等とコーツさんの愛蔵品をからめた話や、陳さんの近代東アジアの都市化についての話題等で大いに盛り上がった。
後日、私は東京大学文学部図書室で平戸イギリス商館長リチャード・コックス(Richard Cocks 1566~1624年)の日記“Diary kept by the head of the English Factory in Japan”(大英図書館蔵)を東京大学史料編纂所が翻刻した『イギリス商館長日記』(『日本関係海外史料』)のうち)という大部な史料(1978~82年刊)を見つけた。
1613年、イギリス東インド会社がコックスを日本へ派遣、その商館長日記である。英文版は3冊、1冊目は1615(元和元)年6月1日~1617年7月5日、2冊目は1617年7月6日~1619年1月14日、3冊目は1620年12月5日~1622(寛文4)年3月24日。和訳版は2冊で、附録が2冊。手書きの英文は読み難いが、翻刻と注付き和訳のおかげで、400年前の英語を楽しむことができる。
日記を書いたコックスは、劇作家で初期近代英語の祖とされるシェイクスピア(William Shakespeare, 1564~ 1616年)より2歳若い同時代人である。コックス49歳の日記は次のように始まる。
June 1615, 1. This mornyng littell wind Noerly, fayre wether all day, but a fresh gale most p’rt of day as aboue said, but calme p’r night.
This day 9 carp’ers and 31 labo’rs, 1 matt maker. And we bought 5
greate square postes of the kings mastaer carp’ter: cost 2 mas 6 condrins p’r peece.
1615年6月1日。朝、弱い北風、一日快晴なるも、日中、かなりの強風。夜には鎮まる。
この日、大工9人、人夫31人、畳職人1人。王の大工棟梁から角柱(大)5本を買う。価格は1本あたり二匁六分。(原文は縦書き、一部改訳)
スペリングが現在と少し違う語彙もあるが、訳文もあり、ほぼ理解できる。単語の簡略表記も法則が分かれば想像がつく。
取引した商品には、陶磁器もある。読み進めるうちに、青花に出会えるかもしれない。
その一人が陳雲蓮さん。知人の知人を介して私のメールアドレスを突き止め、ケンブリッジ大学の図書館で拙著『黒船前後の世界』(岩波書店、1985年)を読み、日本に帰ったら、ぜひお会いしたいと、見事な日本文のメールをくれた。
彼女は中国の西安外国語大学を卒業後、京都府立大学に留学して博士号を取得。専門は都市史、建築史。その後、名古屋大学で研究、日本学術振興会の若手研究者海外派遣事業で、2年間、ケンブリッジ大学に在籍していた。
帰国後、神田学士会館で会うと、イギリス・日本・中国の史料館等で収集した史料をもとに、港湾建造と運河・道路の拡張等のインフラ投資を文字史料や地図で解明し、また都市区画の発展とその建築様式を明らかにする等、アヘン戦争から約100年にわたる上海近代史を国際政治とからめて描くという壮大な構想を話してくれた。その成果は近く著書になる。
昨春、岡山大学の日本人学生と留学生に日本語と英語の授業を担当する専任特任講師となる。今年の6月、「ペリー来航と開国」の講義に学生が強い関心を示したとメールをくれた。東アジア都市史の授業で、「黒船前後の世界」をいかに面白く英語で語るかが一つの挑戦だという。
そして別件として、ケンブリッジ大学名誉教授のジョン・コーツ(John Coats )先生の来日に合わせ、3人で会いたい、彼から趣味(が高じて著名なコレクター)の有田焼の青花(せいか)の話を聴いてほしい、「…やっとジョン・コーツ先生を加藤先生に紹介できること、とても興奮しています」とあった。
ジョン・コーツさんの名は聞いた覚えがあるが、記憶が定かでなく、陳さんに問い合わせた。「専門は数学、オーストラリア出身、ケンブリッジ大学で学位取得、ケンブリッジ大学のPure Mathematics教授、現在は名誉教授。…海外に流出した日本の陶磁器等の収集家です。彼が特に気にしているのは、17世紀有田焼の青花の製造と海外販売ルートです。コーツ・コレクションの青花は、17世紀のものが多く、九州焼物博物館の所蔵品よりも古い。青花は有田のどこの窯が生産したのか、どういうディーラー(例えば中国商人)の手により、長崎港から輸出されたのか、謎が多いようです。…しかも、有田焼の青花は一瞬で消え、その後は朱色で絵付けされる柿右衛門がブランドになります。…加藤先生の想像力をお借りして、答えが出るかもしれません。…彼はまたイギリスの東洋学者アーサー・ウェイリー(Arthur Waley)を崇拝し、Everybody needs Mathematics and historyと主張しています」とのこと。
こうして7月17日(祝日)、神田学士会館で昼食を取りつつ歓談する機会を得た。穏やかな笑顔でイギリスの大学英語(街で耳にする英語とは違う)を話す。懐かしく、40年前の在外研究で招いてくれたリーズ大学、ロンドン大学SOAS校、ケンブリッジ大学ニーダム研究所、また講演に行ったオクスフォード大学セントアントニーズ校等の記憶が蘇る。
アーサー・ウェイリー(1889~1966年)はコーツさんのケンブリッジ大学の大先輩でもあり、なによりも『万葉集・古今和歌集』の英訳(1919年)、『源氏物語』の英訳(全6巻、1921~33年)、『枕草子』の英訳(1928年)に加え中国古典の『詩経』、『老子』、『西遊記』、『李白』等の英訳で広く知られる。
コーツさんの青花コレクションの写真と解説を入れたUSBを拝受。彼は青花がどのような経路を経てイギリスに運ばれたかを知りたいと言いつつ、長崎港輸出説を推していた。
私は、青花がイギリスのみに残ることから、平戸に11年間(1613~23年)だけ置かれたイギリス商館から直接イギリスへ送られた可能性もあると考えた。
謹呈した加藤祐三・川北稔著『アジアと欧米世界』(『世界の歴史』第25巻、中公文庫 2010年)は、過去500年にわたるアジアと欧米の交流史を描いている。その地図や絵図等とコーツさんの愛蔵品をからめた話や、陳さんの近代東アジアの都市化についての話題等で大いに盛り上がった。
後日、私は東京大学文学部図書室で平戸イギリス商館長リチャード・コックス(Richard Cocks 1566~1624年)の日記“Diary kept by the head of the English Factory in Japan”(大英図書館蔵)を東京大学史料編纂所が翻刻した『イギリス商館長日記』(『日本関係海外史料』)のうち)という大部な史料(1978~82年刊)を見つけた。
1613年、イギリス東インド会社がコックスを日本へ派遣、その商館長日記である。英文版は3冊、1冊目は1615(元和元)年6月1日~1617年7月5日、2冊目は1617年7月6日~1619年1月14日、3冊目は1620年12月5日~1622(寛文4)年3月24日。和訳版は2冊で、附録が2冊。手書きの英文は読み難いが、翻刻と注付き和訳のおかげで、400年前の英語を楽しむことができる。
日記を書いたコックスは、劇作家で初期近代英語の祖とされるシェイクスピア(William Shakespeare, 1564~ 1616年)より2歳若い同時代人である。コックス49歳の日記は次のように始まる。
June 1615, 1. This mornyng littell wind Noerly, fayre wether all day, but a fresh gale most p’rt of day as aboue said, but calme p’r night.
This day 9 carp’ers and 31 labo’rs, 1 matt maker. And we bought 5
greate square postes of the kings mastaer carp’ter: cost 2 mas 6 condrins p’r peece.
1615年6月1日。朝、弱い北風、一日快晴なるも、日中、かなりの強風。夜には鎮まる。
この日、大工9人、人夫31人、畳職人1人。王の大工棟梁から角柱(大)5本を買う。価格は1本あたり二匁六分。(原文は縦書き、一部改訳)
スペリングが現在と少し違う語彙もあるが、訳文もあり、ほぼ理解できる。単語の簡略表記も法則が分かれば想像がつく。
取引した商品には、陶磁器もある。読み進めるうちに、青花に出会えるかもしれない。
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