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三溪園観梅俳句大会

 三溪園で観梅会が開かれている(2月11日~3月5日)。三溪園の梅は開園(1906年=明治39年)の2年後、小向(川崎)、杉田(横浜)、蒲田(東京)から約2000本を移植したことに始まる。

 いまも外苑に残る臥竜梅(がりょうばい)は、龍が横にくねるように伸びる幹と枝が見事で、白い花がつつましい。樹下には水仙が満開。

 なんとも春めいた一日、初音茶屋でボランティアのみなさんから麦茶をいただき、すぐ横の臥竜梅を眺めていると、原三溪(富太郎、1868~1939年)が物心両面で支援した下村観山(1873~1930年、近くの和田山に住む)の屏風絵「弱法師」(よろぼし)が脳裏に蘇った。観山は東京美術学校(のち東京藝術大学)校長の岡倉天心(1863~1913年)と行動を共にした日本画家である。生まれ年を比べると、天心、三溪、観山の順で、それぞれ5歳差である。

 さらに調べると、「弱法師」は大正4年(1915)の作品(重要文化財)で、謡曲「弱法師」の一場面を絵画化したもの。6曲1双、絹本金地着色、東京国立博物館蔵。「盲目の弱法師俊徳丸が、梅の咲く四天王寺の庭で、彼岸の落日に向かって極楽浄土を観想する。袖に降りかかる梅の花びらまでも仏の施行と感じる俊徳丸の悟りの境地が主題」と言われる。

 臥竜梅のすぐ奥に、縁切寺と言われた東慶寺の仏殿がある。鎌倉の禅宗様式で、建造は江戸時代初期の寛永11(1634)年、移築は明治40(1907)年、外苑に現存する建物の中で一番早く移築した古建築である。ついで明治41(1908)年に横笛庵が作られ、梅林をふくむ辺り一帯が三溪園の原型と言える。

 ちなみに現存する移築古建築のなかでは、内苑の旧天瑞寺寿塔覆堂が明治38(1905)年で一番早いが、旧燈明寺三重塔は大正3(1914)年、内苑の臨春閣は大正6(1917)年である。

 観梅会の行事のうち、継続を誇るのが三溪園観梅俳句大会である。その第41回が平成29(2017)年2月26日(日曜)の12時半から鶴翔閣で開かれた。三溪園保勝会(担当は清水緑学芸員)と横浜俳話会(麻生明会長)の共催で、観梅俳句大会実行委員会(加藤房子委員長)が運営する。参加者は小学生から90代と思われる方々を含めて約130名と見た。三溪園正門脇に店を開く小島屋の主人達が呼びかけて発足した横浜俳話会は、41年を経て、ますます盛況である。

 開始前、麻生会長と雑談、俳句には梅が似合い、桜はあまり似合わないことで意見が一致した。昨年は会場の都合により2月ではなく3月開催となった。それを反省しての話である。

 麻生会長等の挨拶についで、恒例の投句箱の入選発表と賞状・賞品の授与があった。一昨年11月から昨年10月末までの1年間、園内に設けた投句箱に838句の投函があり、今年1月に幹事たちが100余句に絞り、その一覧から正副会長や会顧問等の16名が投票、上位33位までを表彰した。1位~3位は次の通り。

 湯気の立つものから売れて園の茶屋  橋本青草
 鯉の子の腹透きとほる水の秋     朝倉水木
 竹林に日の斑のすべるそぞろ寒    渡辺時子

青少年の部の入選句は小学生の次の3点が選ばれた。

 コウモリは夜のさくらのめしつかい   岩田涼帆
 よくみるとさくらのうえにほしがさく  ありおかりく
 はすの花さくしゅんかんにひとめぼれ  くらさこゆうが

 賞状・賞品の授与が終わり、恒例の「講話」(約20分間)に移る。今年は顧問の大関洋さんの「季語あれこれ」。俳句人口は短歌人口の10倍ほど。俳句には17音と季語の2つの縛りがあり、山頭火のような天才は別として、それがむしろ多数の人々の句づくり継続の要因になっているのではないかと述べる。

 まともに句づくりをしない私でも、2つの縛りは表現の焦点を絞る(絞らざるを得ない)ことにつながり、より鮮明に情景を切り取ることにつながると納得できる。さらに多彩な季語の世界そのものの魅力もあろう。

 そこから大関さんは、聴衆に投げかける。「みんな帰ってしまいけり」に上の句をつけてほしいと。すぐに次々と手が挙がる。「はや七日」「さくらんぼ」「野遊びに」「秋夕闇」「百物語」「猫の恋」「つくしはら」「しぐるるや」「春寒し」「げんげ草」「とりぐもり」(越冬した渡り鳥が北へ帰るころの曇り空、春の季語)「赤トンボ」と出たところで締め切り、「ここからは私の独断と偏見で3点に絞り、みなさんの挙手で決めたい」言う。

 選ばれた3つは、「さくらんぼ」「百物語」「赤トンボ」。挙手はほぼ均等で、大関さんが「さくらんぼ みんな帰ってしまいけり」とした。このような句会の楽しみ方もある。

 私は大関さんが触れた「山頭火のような天才」で、渡辺利夫『放哉と山頭火—死を生きる』(ちくま文庫書き下ろし、2015年)を思い出した。渡辺さん(拓殖大学総長)とは、私が都留文科大学長の時、経営審議会委員をお願いして助けていただいた仲である。アジア(経済)研究者としての顔とは違う、その深く熱い俳論に驚かされた。

 筑摩書房による解説を引こう。「学歴エリートの道を転げ落ち、業病を抱えて朝鮮、満州、京都、神戸、若狭、小豆島を転々、引きずる死の影を清澄に詩いあげる放哉。自裁せる母への哀切の思いを抱き、ひたひた、ただひたひたと各地を歩いて、生きて在ることの孤独と寂寥を詩う山頭火。二人が残した厖大な自由律句の中に、人生の真実を読み解く、アジア研究の碩学による省察の旅。…自由律俳句の代表として、同じ荻原井泉水門下の山頭火と放哉はともに酒癖で身を持ち崩し、井泉水や支持者の援助によって生計を立てていた。作風は対照的で、「静」の放哉に対し山頭火の句は「動」と言われる。…山頭火は晩年の日記に、無駄に無駄を重ねたような一生だった、それに酒をたえず注いで、そこから句が生まれたような一生だった、と記した」。山頭火の句から3つ。

 ゆうぜんとしてほろ酔へば雑草そよぐ
 霧島は霧にかくれて赤とんぼ
 ふるさとはあの山なみの雪のかがやく

 観梅俳句大会に話を戻すと、大関さんの講話後に約30分の休憩があり、この日の12時に締め切った参会者の投句117句を手書きで一覧した紙が配られた。みながすぐ選句作業に入る。約2時間をかけた被講、講評を経て、当日句の入賞者が次のように決まった。

 横浜市長賞     健やかに老うも一芸梅真白    林満子
 三溪園理事長賞   白無垢へ道譲りたる梅の風    窪田ますみ
 横浜俳話会会長賞  観梅やみな晴れ男晴れをんな   青山冨美子
 三溪園園長賞    梅園の誰れもが吸っていい空気  中岡昌太
 朝日新聞社賞    梅日和道化の猿に輪の出来て   岡田史女
 神奈川新聞社賞   春光を呑みこむ鯉の百の口    相 道生
 産経新聞社賞    梅が香に順路自在になりにけり  原田博之
 毎日新聞社賞    梅が香に和む戦後派戦中派    桑原千穂子
 読売新聞社賞    春の炉の暗さ安堵のくらさかな  吉田善一
 文学の森賞     ものの芽の騒く二の谷三の谷   清水呑舟
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プロフィール

Author:加藤 祐三
日本の歴史学者

横浜 市立大学名誉教授

国指定名勝・三渓園(横浜)
前園長(2012年8月~2023年3月)

・前都留文科大学長
(2010~2014)

・元横浜市立大学長
(1998~2002)

主な著書
「イギリスとアジア」
         (1980年)
「黒船前後の世界」(1985年)
「東アジアの近代」(1985年)
「地球文明の場へ」(1992年)
「幕末外交と開国」(2012年)
蒋豊訳「黒船異変」(2014年)
蒋豊訳「東亜近代史」
         (2015年)

 など

専門
・近代アジア史
・文明史

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