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【13】連載「助手時代に出会った人々」

 東洋文化研究所の助手は学部の助手と違い、「研究専念」義務はあるが、教育や学務の義務はほとんどない。研究課題はすべて本人に任され、年に一回の報告義務があるだけであった。指導教官に相談することはあったが、これも自主的な行為である。

 研究所は文京区大塚の旧東方文化学院(のち外務省研修所を経て現在は拓殖大学国際教育会館)にあり、その後、東京大学本郷構内の懐徳館の向かいの新築ビル(のち隣に総合研究博物館ができた)へ移る。

 1966~73年度の7年間の助手時代は、研究課題を深化させつつ各方面に拡げる絶好の環境であった。類似の課題を持つ教員はごく少なく、様々な分野・地域を専門とする教員で構成され、それぞれが独自の研究スタイルを持っていた。

 個別課題の深化は自身の責任で行い、課題の拡がりは同僚たちと交わす「雑談」や研究会を通じて多くを得た。助手仲間は15人ほど、文化人類学、中国文学、インド哲学、宗教学、中国史、朝鮮近代史、中国文献学、東南アジア経済、西アジア考古学等々。朝9時頃から「雑談」が始まる。

 外国留学や在外フィールドワークの話題も、研究分野が異なると見方が違ってくる。同じ分野でも見方や「着想」次第で得られる結果が変わり、それが独自性の根源になる。文献史料を主とする歴史学にも、「着想」の契機として、ある種のフィールドワークを取り入れたいと考えた。

 当時は、世界に反ベトナム戦争運動と中国の文化大革命への共感が拡がり、ビートルズの歌が溢れ、公害の告発と公害病の認定が進み、学生も教員も「常識を疑え!」「根本を問え!」という思潮のなかにあった。

 学内は徐々に騒然となり、「団塊の世代」(昭和21~23年生まれ)を中心とする全共闘や新左翼が、その対立派閥と「武装」闘争を頻繁に繰り広げ、1968年7月、東大安田講堂をバリケード封鎖した。学生運動の波は日大、早大をはじめ全国に広がったが、翌1969年1月、ついに安田講堂占拠が解除された。

 私は学生より一回り(12歳)年長の昭和11(1936)年生まれ、すでに1960年の安保改定反対の「闘争」を経験している。若さの勢いだけではなく、思慮が重要だと痛感した。先達の打ち立てた思想を疑うのは当然として、では疑う先に、どのような思想を創造するのか。

 1960年の安保反対運動(いわゆる60年安保)の「敗北」と「挫折」が、私の新しい思想を構築する基盤になった。「挫折」を克服する研究面の苦闘を経た後の1つの行動が「広島・アウシュビッツ平和行進」である。これは次の創造につながる大切な何かであると考えるようになった。

 一方、「歴史学研究会」や「社会経済史学会」等の学界活動にも参加したが、一部の例外を除いて、小さくソツのない論文にまとめる傾向が強く、なじめなかった。

 研究成果を教育に生かすことも各人に任されていた。私は森弘之(東洋史学科の同期)に頼まれて、立教大学文学部へ非常勤講師として出講、アジア近代史に関する2コマを担当する。文字通りの新米教師で、慣れるまで、講義ノートの作成、学生相手に何をどう話すか、配布資料をどうするか等々に追われた。

 学界活動とは別に、幾つかの共同作業が忘れられない。その一つがウィリアム・ヒントン(1919~2004年)『翻身-ある中国農村の革命の記録』の共訳である。分量が多いため私一人では訳しきれず、加藤祐三・春名徹・加藤幹雄・吉川勇一(分担章順)の共訳で平凡社から1972年に刊行した。

 春名さんは大学の先輩で編集者、加藤さんは国際文化会館勤務、吉川さんは国際文化館の鶴見良行さんや加藤さんの友人で、べ平連(「ベトナムに平和を」)事務局長をつとめていた。また編集者の岸本武士さんとは公私にわたる付合いがあった。
 
 書名の「翻身」(ファンシェン)とは、「寝返りを打つ」の意味から転じて、圧政に虐げられた民衆が革命に立ち上がる、生まれ変わるという意味の新しい中国語である。副題が示す通り本書は、華北の山西省にある張荘村を舞台として1948年に展開した土地改革を克明に描くルポルタージュである。

 同じアメリカ人ジャーナリストのエドガー・スノー(1905~1972年)『中国の赤い星』(1937年)や、アグネス・スメドレー(1892~1950年)『偉大なる道-朱徳の生涯とその時代』(阿部知二訳は岩波書店、1955年刊)等があるが、これらは国共内戦期(国民党と中国共産党の第1次内戦期)や日中戦争期に、奥地で展開される毛沢東や朱徳たちの活躍を中心に描いている。

 それに対して『翻身』は、1947年に国連救済復興機構(UNRRA)のトラクター技師として日中戦争後の国共内戦期の山西省の奥地に入ったヒントンが、新中国成立(1949年)寸前の土地改革と基層政権の樹立過程を記す。「マンスリー・レビュー」誌に連載、単行本は同社から1966年刊。

 本書は私の修士論文「中国の土地改革と農村社会」(1965年)や『中国の土地改革と農村社会』(アジア経済出版会 研究参考資料189、1972年)での重要史料の一部となった。

 訳書刊行を機にヒントンさんを東京に招き、講演をお願いした。実践的ジャーナリストらしく意志の強さをうかがわせる風貌で、人間味あふれる接遇ぶりにも感銘を受けた。彼を尾行してきたCIAの職員は、私の知るどのアメリカ人にもない独特の雰囲気を有していたが、格別の介入はせず静かに監視をつづけた。「平和な日本」とは違い、マッカーシー旋風(いわゆる「赤狩り」)の冷めやらぬアメリカの政治風土を垣間見る思いだった。

 主に大学教員で構成され、狭い学問分野に限られる学界にとどまらず、分野も世代も職業も違う広い人間関係に恵まれた。その輪はさらに外国人研究者や学外の研究会へと拡がる。(続く)
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プロフィール

Author:加藤 祐三
日本の歴史学者

横浜 市立大学名誉教授

国指定名勝・三渓園(横浜)
園長

・前都留文科大学長
(2010~2014)

・元横浜市立大学長
(1998~2002)

主な著書
「イギリスとアジア」
         (1980年)
「黒船前後の世界」(1985年)
「東アジアの近代」(1985年)
「地球文明の場へ」(1992年)
「幕末外交と開国」(2012年)
蒋豊訳「黒船異変」(2014年)
蒋豊訳「東亜近代史」
         (2015年)

 など

専門
・近代アジア史
・文明史

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