【1】連載「新たな回顧」
13年前の横浜市立大学退任時(65歳)に「史観と体験をめぐって」(『横浜市立大学論叢 人文科学系列第54巻 加藤祐三教授退官記念号』2003年)を書いた。著作目録に付したエッセーで、標題の通り、個人的・社会的体験が史観に及ぼす影響を回顧して描いたものである。
今回の「我が歴史研究の歩み」は、第一に同誌掲載の著作目録と照合させて着想から論文著書の執筆に至る過程を示すこと、第二に同誌掲載から10余年間の自身の歴史研究の歩みを綴ること、第三に時代の変遷が歴史研究に及ぼす影響について雑感を述べること、あたりにある。
私は文学部東洋史学科で中世ペルシャ史に関する卒論を書き、大学院では中国現代史を選択、その後、東南アジア旅行とイギリスでの史料収集を通じて広域アジアの近代史に至り、日本開国の重要性に気づいた。いま都市横浜の起源が、ペリーとの日米和親条約の交渉場となった横浜村にあることに思いが及ぶ。
日本開国に関する私の最初の作品は、30年前の『黒船前後の世界』(1985年 岩波書店)である。主な強調点は、近代世界史の流れのなかで植民地にならず、また清朝中国のように(アヘン)戦争に敗れて屈辱的な条約を結ぶこともなく、幕府が世界最強の東インド艦隊を率いるペリー提督と発砲交戦なく条約締結に至った点である。
18、19紀の世界は列強が主導し、戦争により植民地とする(インド、インドネシア等)、あるいは戦争を仕掛けて条約を強要する(アヘン戦争等)、これが現実であり、常態であった。
従属性・不平等性がもっとも強く、立法・司法・行政の国家三権をすべて失うのが植民地である。強要される条約には、「懲罰」として莫大な賠償金支払いと領土割譲が課せられる。これを私は「敗戦条約」と名づけた。
武家政権の幕府はアヘン戦争等を冷静に見極め、敗戦の現実的意味を熟知して「避戦」に徹し、話し合いによる条約を実現させた。これを私は「交渉条約」と名づけた。交渉条約にはそもそも「懲罰」の概念がなく、賠償金支払いも領土割譲も伴わない。
こうして、列強、植民地、敗戦条約、交渉条約、の四つの政体からなる「近代国際政治-四つの政体」ができあがった。その後、日本は日清戦争に勝利(1895年)、清朝中国に敗戦条約を課す側に立ち、列強の一員となる。
中国近代史、イギリス近代史、日本近代史、アメリカ近代史と回り道をし、一国史のみでは把握できない近代史の特性を、私は改めて知った。もとより未解決の課題の方がはるかに多いが…
日本開国史の先行研究から得るところは多かったが、世界史の視点が必要だった。例えばアメリカは米中、米英等との関係のなかで日米関係には目が向きにくい。また19世紀段階の「超大国」イギリスに対する「新興国」アメリカの世界戦略という視点等もある。
本稿「我が歴史研究の歩み」を記すにあたり、主な課題と著作の一覧を作成した(論文は省略、該当箇所で言及する)。大別すると5つの分野にわたる。
それぞれの課題を扱った時点の学界状況や時代背景、それに着想・史料収集・執筆への展開や迷い等については、以降の連載の該当箇所で述べたい。
1 中国近現代史
( 1)『中国の土地改革と農村社会』1972年 アジア経済出版会
( 2) ヒントン(共訳)『翻身-ある中国農村の革命の記録』
1972年 平凡社
( 3)『現代中国を見る眼』1980年 現代新書 講談社
2 近代アジア史
( 4)『紀行随想 東洋の近代』1977年 朝日選書
( 5)『イギリスとアジア』1980年岩波新書⇒蒋豊訳『英国和亜州』
1991年
( 6)『東アジアの近代』(『ビジュアル版世界の歴史』17巻)
1985年 講談社
⇒蒋豊訳『東亜近代史』1991年 / 2015年再版
( 7)『アジアと欧米世界』(中央公論『世界の歴史』25巻
川北稔と共著)
1998年 中央公論社 / 2010年 中公文庫
3 日本開国史
( 8)『黒船前後の世界』1985年 岩波書店 / 増補ちくま学芸文庫
1994年
( 9)『黒船異変』1988年岩波新書⇒蒋豊訳『黒船異変』
1992年/2014年再版
(10)『幕末外交と開国』2004年 ちくま新書 /
2012年 講談社学術文庫
(11)『開国史話』2008年 神奈川新聞社
4 文明史
(12)『地球文明の場へ』(『日本文明史』第7巻)1992年
角川書店
(13)『世界繁盛の三都-ロンドン・北京・江戸』1993年
NHKブックス
5 横浜の歴史
(14)編著”Yokohama Past and Present” 1990年
Yokohama City Univ.
(15)『横浜の本と文化』横浜市中央図書館開館記念誌
(編集委員長)1994年
(16)編著『横浜学事始』 横浜市立大学一般教育委員会 1994年
(17)連載「横浜の夜明け」(『横濱』誌 計10回、2007~09年)
及び、連載「挿絵が語る開港横浜」
(神奈川新聞 計70回 2008年4月5日~2009年8月8日)。
最後の(17)は単行本になっていない。
思い返せば、そのつどの疑問に導かれて歩んできたが、それを許容してくれる時代があった。また勤務先、先輩・友人・知人・学生・家族にも恵まれた。感謝に耐えない。(続く)
今回の「我が歴史研究の歩み」は、第一に同誌掲載の著作目録と照合させて着想から論文著書の執筆に至る過程を示すこと、第二に同誌掲載から10余年間の自身の歴史研究の歩みを綴ること、第三に時代の変遷が歴史研究に及ぼす影響について雑感を述べること、あたりにある。
私は文学部東洋史学科で中世ペルシャ史に関する卒論を書き、大学院では中国現代史を選択、その後、東南アジア旅行とイギリスでの史料収集を通じて広域アジアの近代史に至り、日本開国の重要性に気づいた。いま都市横浜の起源が、ペリーとの日米和親条約の交渉場となった横浜村にあることに思いが及ぶ。
日本開国に関する私の最初の作品は、30年前の『黒船前後の世界』(1985年 岩波書店)である。主な強調点は、近代世界史の流れのなかで植民地にならず、また清朝中国のように(アヘン)戦争に敗れて屈辱的な条約を結ぶこともなく、幕府が世界最強の東インド艦隊を率いるペリー提督と発砲交戦なく条約締結に至った点である。
18、19紀の世界は列強が主導し、戦争により植民地とする(インド、インドネシア等)、あるいは戦争を仕掛けて条約を強要する(アヘン戦争等)、これが現実であり、常態であった。
従属性・不平等性がもっとも強く、立法・司法・行政の国家三権をすべて失うのが植民地である。強要される条約には、「懲罰」として莫大な賠償金支払いと領土割譲が課せられる。これを私は「敗戦条約」と名づけた。
武家政権の幕府はアヘン戦争等を冷静に見極め、敗戦の現実的意味を熟知して「避戦」に徹し、話し合いによる条約を実現させた。これを私は「交渉条約」と名づけた。交渉条約にはそもそも「懲罰」の概念がなく、賠償金支払いも領土割譲も伴わない。
こうして、列強、植民地、敗戦条約、交渉条約、の四つの政体からなる「近代国際政治-四つの政体」ができあがった。その後、日本は日清戦争に勝利(1895年)、清朝中国に敗戦条約を課す側に立ち、列強の一員となる。
中国近代史、イギリス近代史、日本近代史、アメリカ近代史と回り道をし、一国史のみでは把握できない近代史の特性を、私は改めて知った。もとより未解決の課題の方がはるかに多いが…
日本開国史の先行研究から得るところは多かったが、世界史の視点が必要だった。例えばアメリカは米中、米英等との関係のなかで日米関係には目が向きにくい。また19世紀段階の「超大国」イギリスに対する「新興国」アメリカの世界戦略という視点等もある。
本稿「我が歴史研究の歩み」を記すにあたり、主な課題と著作の一覧を作成した(論文は省略、該当箇所で言及する)。大別すると5つの分野にわたる。
それぞれの課題を扱った時点の学界状況や時代背景、それに着想・史料収集・執筆への展開や迷い等については、以降の連載の該当箇所で述べたい。
1 中国近現代史
( 1)『中国の土地改革と農村社会』1972年 アジア経済出版会
( 2) ヒントン(共訳)『翻身-ある中国農村の革命の記録』
1972年 平凡社
( 3)『現代中国を見る眼』1980年 現代新書 講談社
2 近代アジア史
( 4)『紀行随想 東洋の近代』1977年 朝日選書
( 5)『イギリスとアジア』1980年岩波新書⇒蒋豊訳『英国和亜州』
1991年
( 6)『東アジアの近代』(『ビジュアル版世界の歴史』17巻)
1985年 講談社
⇒蒋豊訳『東亜近代史』1991年 / 2015年再版
( 7)『アジアと欧米世界』(中央公論『世界の歴史』25巻
川北稔と共著)
1998年 中央公論社 / 2010年 中公文庫
3 日本開国史
( 8)『黒船前後の世界』1985年 岩波書店 / 増補ちくま学芸文庫
1994年
( 9)『黒船異変』1988年岩波新書⇒蒋豊訳『黒船異変』
1992年/2014年再版
(10)『幕末外交と開国』2004年 ちくま新書 /
2012年 講談社学術文庫
(11)『開国史話』2008年 神奈川新聞社
4 文明史
(12)『地球文明の場へ』(『日本文明史』第7巻)1992年
角川書店
(13)『世界繁盛の三都-ロンドン・北京・江戸』1993年
NHKブックス
5 横浜の歴史
(14)編著”Yokohama Past and Present” 1990年
Yokohama City Univ.
(15)『横浜の本と文化』横浜市中央図書館開館記念誌
(編集委員長)1994年
(16)編著『横浜学事始』 横浜市立大学一般教育委員会 1994年
(17)連載「横浜の夜明け」(『横濱』誌 計10回、2007~09年)
及び、連載「挿絵が語る開港横浜」
(神奈川新聞 計70回 2008年4月5日~2009年8月8日)。
最後の(17)は単行本になっていない。
思い返せば、そのつどの疑問に導かれて歩んできたが、それを許容してくれる時代があった。また勤務先、先輩・友人・知人・学生・家族にも恵まれた。感謝に耐えない。(続く)
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