美しき和の新緑空間へ
三溪園は大型連休の催事案内を作った(ホームページにも掲載)。表の面の写真は新緑の臨春閣。早緑の芝生と青葉の山とともに、この時季ならではの佇まいを見せる。「新緑の古建築公開 原三溪こだわりの数寄の建築 重要文化財 臨春閣、蓮華院 4月29日―5月6日」。
そして「臨春閣(りんしゅんかく)と蓮華院(れんげいん)、この2棟は、江戸時代と大正時代という異なる建築年代ながら、ともに風流・風雅を凝らした数寄の空間表現がほどこされていることに共通点がみられる。爽やかな新緑の中、洗練された日本のデザインを眺めつつ、風情たっぷりのひとときをお楽しみください」とある。
本稿の標題は、この案内の題名から採った。ここから抜粋、加筆して、三溪園の紹介に代えたい。
臨春閣は江戸時代初期の慶安2(1649)年建造、和歌山の紀ノ川沿いに造られた紀州徳川家の別荘と伝えられる(諸説あり)。その後、大阪の春日出新田に移されたが、明治39(1906)年に三溪が譲り受け、以来11年の歳月をかけて配置を吟味し、大正6(1917)年、ここに移築を完了させた。
3屋からなる臨春閣は、三重塔の眺望を配慮して雁行型に配置を変更、また屋根は瓦葺から檜皮葺に変えて軽快な数寄屋風とし、玄関等の増築も行うとともに、室内は数寄屋の意匠を取り入れた書院造りの原型を残す。池は、熟慮を重ね、第二屋の前に掘られた。
臨春閣の中に入る。襖絵を眺め、欄間に目をやり、桃山時代に思いを馳せる。ここからは大きな落葉樹や黒松の彼方に春霞に浮かぶ三重塔が望める。
蓮華院は、1917(大正6)年、三溪が設計・建造した茶室である。「廃寺に残された荒れた庵」の見立てで、名前の由来は、奈良の東大寺三月堂の不空羂索観音が持つ蓮華を飾ったことによる。土間の中央には京都宇治の平等院鳳凰堂の古材と伝えられる太い柱が立つ。小間は松板を置いた二畳中板席という珍しい形式、天井には蓮の茎を使う。蓮を愛した三溪が格別の思い入れで造った茶室であり、多くの茶会が催された。
2棟の古建築の公開と同時に、いくつかの行事が組まれ、すでに終わったものもある。「さくらそう展」は4月16日から22日まで。桜草は花菖蒲や朝顔などと同じく江戸時代から栽培され、東京は荒川あたりに自生する草花の古典園芸植物で、300年を超える伝統を持つ。広域一面を飾る芝桜とはまったく違い、小さな鉢の中で紅色や純白色の可憐な花をつける。一茶が「わが国は草も桜を咲きにけり」と詠んだ。4月25日には薩摩琵琶(錦心流中谷派襄水会)の演奏が旧燈明寺本堂(重要文化財)で行われた。
大型連休中の主な行事として、4月29日と5月5日の両日、毎月10日の開催に加えて、三溪園ボランティアによる自然観察会(本ブログ「三溪園の自然観察会」2015年4月14日)が開かれる。小中学生には「クイズで学ぶ三溪園~原富太郎と横浜」(5月3日~5日)、記念品の贈呈もある。5月5日は端午の節句にちなみ、「ワークショップ 紙でかっこいい兜を作ろう!」を開催。6日、三溪園ボランティア主催「新緑の一日庵(いちじつあん)茶会」が最終日を飾る。
三溪園はまた、吉川利一事業課長(広報も担当)や営業担当の滝田敦史さんの継続的な活動、参与の川幡留司さんによる巧みな解説が奏功し、しばしばメディアに取り上げられる。
その1つ、月刊誌『ノジュール』(JTBパブリッシング発行)4月号の特集「一度は訪ねておきたい全国の日本庭園」では、最初のページを飾るのが三溪園の、花菖蒲の咲く大池から三重塔を望む写真である。
本誌で取り上げる日本庭園は、三溪園(神奈川県)、六義園(東京都)、永保寺(岐阜県)、龍澤寺(静岡県)、頼久寺(岡山県)、清水園(新潟県)、兼六園(石川県)、平安神宮(京都府)、阿波国分寺(徳島県)、水前寺成趣園(熊本県)、藤田記念庭園(青森県)、楽山園(群馬県)の12庭園。三溪園には5ページを割く(六義園と永保寺に各2ページ、龍澤寺以下の9庭園は各1ページ)。
記者の目線は三溪園の庭園を構成する各部分に及び、①目に鮮やかな植栽、②力強い石組(庭園の石の配置)、③澄み切った池泉、④涼やかな音を奏でる流れ(流水)と挙げ、それらが全体として景観をなすと述べる。私はこれに、⑤黒松等の自生植物と落葉樹を主とする自然林、⑥10棟の重要文化財ほかの古建築をつけ加えたい(上掲ブログ「三溪園の自然観察会」)。
また本特集は「計算し尽された庭園と古建築の見事な調和」として、写真を配し、解説を付している。その聴秋閣の非対称形の建物の2階はわずか2畳、火灯窓から南に三重塔が見える。脇を流れる水は、巧みに組まれた滝の音と共鳴する。
さらに石造品として2つの石灯篭を取り上げている。園内には他にも、石棺、手水鉢、伽藍石等の石造品が各所に無造作に置かれており、いずれもが全体を構成する1つとして溶け込みつつ、厳としてそこに在る。
「新緑の古建築公開」を機に、別世界を堪能していただきたい。
そして「臨春閣(りんしゅんかく)と蓮華院(れんげいん)、この2棟は、江戸時代と大正時代という異なる建築年代ながら、ともに風流・風雅を凝らした数寄の空間表現がほどこされていることに共通点がみられる。爽やかな新緑の中、洗練された日本のデザインを眺めつつ、風情たっぷりのひとときをお楽しみください」とある。
本稿の標題は、この案内の題名から採った。ここから抜粋、加筆して、三溪園の紹介に代えたい。
臨春閣は江戸時代初期の慶安2(1649)年建造、和歌山の紀ノ川沿いに造られた紀州徳川家の別荘と伝えられる(諸説あり)。その後、大阪の春日出新田に移されたが、明治39(1906)年に三溪が譲り受け、以来11年の歳月をかけて配置を吟味し、大正6(1917)年、ここに移築を完了させた。
3屋からなる臨春閣は、三重塔の眺望を配慮して雁行型に配置を変更、また屋根は瓦葺から檜皮葺に変えて軽快な数寄屋風とし、玄関等の増築も行うとともに、室内は数寄屋の意匠を取り入れた書院造りの原型を残す。池は、熟慮を重ね、第二屋の前に掘られた。
臨春閣の中に入る。襖絵を眺め、欄間に目をやり、桃山時代に思いを馳せる。ここからは大きな落葉樹や黒松の彼方に春霞に浮かぶ三重塔が望める。
蓮華院は、1917(大正6)年、三溪が設計・建造した茶室である。「廃寺に残された荒れた庵」の見立てで、名前の由来は、奈良の東大寺三月堂の不空羂索観音が持つ蓮華を飾ったことによる。土間の中央には京都宇治の平等院鳳凰堂の古材と伝えられる太い柱が立つ。小間は松板を置いた二畳中板席という珍しい形式、天井には蓮の茎を使う。蓮を愛した三溪が格別の思い入れで造った茶室であり、多くの茶会が催された。
2棟の古建築の公開と同時に、いくつかの行事が組まれ、すでに終わったものもある。「さくらそう展」は4月16日から22日まで。桜草は花菖蒲や朝顔などと同じく江戸時代から栽培され、東京は荒川あたりに自生する草花の古典園芸植物で、300年を超える伝統を持つ。広域一面を飾る芝桜とはまったく違い、小さな鉢の中で紅色や純白色の可憐な花をつける。一茶が「わが国は草も桜を咲きにけり」と詠んだ。4月25日には薩摩琵琶(錦心流中谷派襄水会)の演奏が旧燈明寺本堂(重要文化財)で行われた。
大型連休中の主な行事として、4月29日と5月5日の両日、毎月10日の開催に加えて、三溪園ボランティアによる自然観察会(本ブログ「三溪園の自然観察会」2015年4月14日)が開かれる。小中学生には「クイズで学ぶ三溪園~原富太郎と横浜」(5月3日~5日)、記念品の贈呈もある。5月5日は端午の節句にちなみ、「ワークショップ 紙でかっこいい兜を作ろう!」を開催。6日、三溪園ボランティア主催「新緑の一日庵(いちじつあん)茶会」が最終日を飾る。
三溪園はまた、吉川利一事業課長(広報も担当)や営業担当の滝田敦史さんの継続的な活動、参与の川幡留司さんによる巧みな解説が奏功し、しばしばメディアに取り上げられる。
その1つ、月刊誌『ノジュール』(JTBパブリッシング発行)4月号の特集「一度は訪ねておきたい全国の日本庭園」では、最初のページを飾るのが三溪園の、花菖蒲の咲く大池から三重塔を望む写真である。
本誌で取り上げる日本庭園は、三溪園(神奈川県)、六義園(東京都)、永保寺(岐阜県)、龍澤寺(静岡県)、頼久寺(岡山県)、清水園(新潟県)、兼六園(石川県)、平安神宮(京都府)、阿波国分寺(徳島県)、水前寺成趣園(熊本県)、藤田記念庭園(青森県)、楽山園(群馬県)の12庭園。三溪園には5ページを割く(六義園と永保寺に各2ページ、龍澤寺以下の9庭園は各1ページ)。
記者の目線は三溪園の庭園を構成する各部分に及び、①目に鮮やかな植栽、②力強い石組(庭園の石の配置)、③澄み切った池泉、④涼やかな音を奏でる流れ(流水)と挙げ、それらが全体として景観をなすと述べる。私はこれに、⑤黒松等の自生植物と落葉樹を主とする自然林、⑥10棟の重要文化財ほかの古建築をつけ加えたい(上掲ブログ「三溪園の自然観察会」)。
また本特集は「計算し尽された庭園と古建築の見事な調和」として、写真を配し、解説を付している。その聴秋閣の非対称形の建物の2階はわずか2畳、火灯窓から南に三重塔が見える。脇を流れる水は、巧みに組まれた滝の音と共鳴する。
さらに石造品として2つの石灯篭を取り上げている。園内には他にも、石棺、手水鉢、伽藍石等の石造品が各所に無造作に置かれており、いずれもが全体を構成する1つとして溶け込みつつ、厳としてそこに在る。
「新緑の古建築公開」を機に、別世界を堪能していただきたい。
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