叙勲と受賞
11月の第2週は、10日(月曜)に叙勲(瑞宝中綬章の受章)、13日(木曜)に横浜文化賞(学術部門受賞)と祝い事が2つ重なった。先輩・同僚や知人諸氏が蔭で押し上げてくれたに違いない。
10日の叙勲の日は、前日とは打って変わって見事な秋晴れ。妻と会場の国立劇場へ向かう。発表によれば、受章者の大半が70歳代である。
国歌斉唱、勲章・勲記の伝達と進み、琴の祝賀演奏の後、文部科学大臣の挨拶を頂戴する。それに応えて受章者712名を代表して私が挨拶に立った。
関係各位への感謝とともに、「…私どもの多くは、戦後民主主義の教育を受けた第一世代ということができます。私は国民学校と呼ばれた小学校三年のとき終戦のラジオ放送を集団疎開先のお寺で聞きました。ここには軍国少年少女から大転換を強いられた方もおられるでしょう。…戦後の平和の七十年は、多くの尊い生命の犠牲の上にいただいた、かけがえのないもの…」と述べた。
つづいて皇居宮殿に参上し、天皇陛下に拝謁した。
我が国の勲章制度は「勲章従軍記章制定ノ件」(太政官布告第54号)に起源、これが現在の旭日章の基となる。明治9年に菊花章、明治21年に瑞宝章と宝冠章が、また昭和12年に文化勲章が制定された。現在は大別して、旭日章、瑞宝章があり、それぞれが6等級に分かれる。瑞宝章は「公務や公共事業に長年にわたり従事し、成績を挙げた人」に与えられる。国公私立大学教員の叙勲は、公務のなかの「教育研究の功労」に当たる。なお日本国憲法第7条天皇の国事行為の1つとして栄典の授与があり、同第14条には「栄誉、勲章その他の栄典の授与は、いかなる特権も伴はない」とある。
3日後の13日も秋晴れ。第63回横浜文化賞、横浜文化賞文化芸術奨励賞の贈呈式とコンサート(ダ・カーポ)が横浜みなとみらいホール(小ホール)で行われた。横浜文化賞は1952(昭和27)年の創設。「芸術・学術などの文化の発展に尽力し、その功績が顕著な個人と団体」に横浜市(長)が贈る賞である。
横浜市消防局音楽隊の演奏のもとに入場、その伴奏で市歌を斉唱、ついで窪田吉信選考委員長から受賞者の紹介があった。
横浜文化賞が別所哲也(芸術の部、俳優、映像文化活動)、浅海武夫(社会貢献の部、生麦事件の調査研究)、NPO法人在日外国人教育生活相談センター・信愛塾(社会福祉の部、36年の支援活動、竹川真理子センター長)、須藤照彦(スポーツ振興の部、市民スポーツの普及と推進)と私(学術の部)であり、若手への奨励賞は大江馨(芸術の部、第82回日本音楽コンクール、バイオリン部門第1位)と藤田貴大(芸術の部、演出家・劇作家、第56回岸田国士戯曲賞受賞)である(以上、敬称略)。
林文子市長から、受賞者と同伴者にそれぞれ賞状と記念品が手渡された。
配られた冊子に、私の受賞理由は次のように書かれていた。
――江戸末期から明治までの横浜開港の歴史を中心に研究を続け、横浜市立大学の教育と研究に29年間携わった横浜市立大学元学長。
『黒船前後の世界(岩波書店、1985(S60)年)』や『幕末外交と開国(ちくま新書、2004(H16)年)』などの氏の著書は、いずれも通常の専門書にみられる難解な表現ではなく、一般の方々が理解できる表現を用い、新聞の書評など多方面で高く評価されています。
横浜開港150周年に際しては、2004(H16)年3月から2005(H17)年7月まで、その前提となる開国の日米交渉秘話を神奈川新聞に長期にわたり連載し、『開国史話(神奈川新聞社、2008(H20)年)』として発刊されました。
日本の国際化への歩みが横浜から始まった歴史を多くの市民に分かりやすく伝えるとともに、横浜の文化の発展に大きく貢献されました。――
受賞者にはコメントが求められ、私は次のように書いた(抄録)が、これも配布の冊子に掲載されている。
――160年前の1854年3月、横浜村応接所(大桟橋の付け根と神奈川県庁あたりに仮設)において、幕府全権・林大学頭とペリー提督が日米和親条約を結んだ。欧米列強による世界支配の時代、戦争を避け、対話と相互理解で生まれた画期的な「交渉条約」であり、片務条項は残るが、不平等ではない。
これが横浜市の起源となる「開国」である。その4年後にハリスと平和裏に日米修好通商条約を結び、翌1859年7月1日(安政六年六月二日)に横浜は開港。のち横浜町、横浜市と発展し、日本の近代化と国際化を先導してきた。――
レセプションには受賞者の招待枠という粋な計らいがあり、私は高校時代の友人代表(今西久雄夫妻)、横浜市立大学時代の同僚代表(小島謙一夫妻と丸山英気さん)、都留文科大学時代の同僚代表(西室陽一さん、高田理孝さん、椎廣行さん)、三溪園の同僚代表(長塚光夫さん)、卒業生代表(伊藤泉美さん)に声をかけて参加してもらった。
合間には、並木裕之さんをはじめ、思いがけなく多くの知人と一瞬、旧交を温めることもできた。
レセプション会場となった眺望の良い広間では、今回の受賞者、渡辺巧教副市長、鈴木伸哉副市長、柏崎誠副市長、中山こずゑ文化観光局長、それに旧知の福寿祁久雄さん、市職員OBOG・現役の諸氏と、横浜の未来を語る有意義な時間を楽しんだ。
若い都市・横浜は、開国・開港以来、短期間に人口370万超の日本最大の政令市となった。進取の気性に富み、「3日住めば浜っ子」と言われる、オープンで自由闊達な雰囲気をいまに残している。これからも、そうあってほしい。
10日の叙勲の日は、前日とは打って変わって見事な秋晴れ。妻と会場の国立劇場へ向かう。発表によれば、受章者の大半が70歳代である。
国歌斉唱、勲章・勲記の伝達と進み、琴の祝賀演奏の後、文部科学大臣の挨拶を頂戴する。それに応えて受章者712名を代表して私が挨拶に立った。
関係各位への感謝とともに、「…私どもの多くは、戦後民主主義の教育を受けた第一世代ということができます。私は国民学校と呼ばれた小学校三年のとき終戦のラジオ放送を集団疎開先のお寺で聞きました。ここには軍国少年少女から大転換を強いられた方もおられるでしょう。…戦後の平和の七十年は、多くの尊い生命の犠牲の上にいただいた、かけがえのないもの…」と述べた。
つづいて皇居宮殿に参上し、天皇陛下に拝謁した。
我が国の勲章制度は「勲章従軍記章制定ノ件」(太政官布告第54号)に起源、これが現在の旭日章の基となる。明治9年に菊花章、明治21年に瑞宝章と宝冠章が、また昭和12年に文化勲章が制定された。現在は大別して、旭日章、瑞宝章があり、それぞれが6等級に分かれる。瑞宝章は「公務や公共事業に長年にわたり従事し、成績を挙げた人」に与えられる。国公私立大学教員の叙勲は、公務のなかの「教育研究の功労」に当たる。なお日本国憲法第7条天皇の国事行為の1つとして栄典の授与があり、同第14条には「栄誉、勲章その他の栄典の授与は、いかなる特権も伴はない」とある。
3日後の13日も秋晴れ。第63回横浜文化賞、横浜文化賞文化芸術奨励賞の贈呈式とコンサート(ダ・カーポ)が横浜みなとみらいホール(小ホール)で行われた。横浜文化賞は1952(昭和27)年の創設。「芸術・学術などの文化の発展に尽力し、その功績が顕著な個人と団体」に横浜市(長)が贈る賞である。
横浜市消防局音楽隊の演奏のもとに入場、その伴奏で市歌を斉唱、ついで窪田吉信選考委員長から受賞者の紹介があった。
横浜文化賞が別所哲也(芸術の部、俳優、映像文化活動)、浅海武夫(社会貢献の部、生麦事件の調査研究)、NPO法人在日外国人教育生活相談センター・信愛塾(社会福祉の部、36年の支援活動、竹川真理子センター長)、須藤照彦(スポーツ振興の部、市民スポーツの普及と推進)と私(学術の部)であり、若手への奨励賞は大江馨(芸術の部、第82回日本音楽コンクール、バイオリン部門第1位)と藤田貴大(芸術の部、演出家・劇作家、第56回岸田国士戯曲賞受賞)である(以上、敬称略)。
林文子市長から、受賞者と同伴者にそれぞれ賞状と記念品が手渡された。
配られた冊子に、私の受賞理由は次のように書かれていた。
――江戸末期から明治までの横浜開港の歴史を中心に研究を続け、横浜市立大学の教育と研究に29年間携わった横浜市立大学元学長。
『黒船前後の世界(岩波書店、1985(S60)年)』や『幕末外交と開国(ちくま新書、2004(H16)年)』などの氏の著書は、いずれも通常の専門書にみられる難解な表現ではなく、一般の方々が理解できる表現を用い、新聞の書評など多方面で高く評価されています。
横浜開港150周年に際しては、2004(H16)年3月から2005(H17)年7月まで、その前提となる開国の日米交渉秘話を神奈川新聞に長期にわたり連載し、『開国史話(神奈川新聞社、2008(H20)年)』として発刊されました。
日本の国際化への歩みが横浜から始まった歴史を多くの市民に分かりやすく伝えるとともに、横浜の文化の発展に大きく貢献されました。――
受賞者にはコメントが求められ、私は次のように書いた(抄録)が、これも配布の冊子に掲載されている。
――160年前の1854年3月、横浜村応接所(大桟橋の付け根と神奈川県庁あたりに仮設)において、幕府全権・林大学頭とペリー提督が日米和親条約を結んだ。欧米列強による世界支配の時代、戦争を避け、対話と相互理解で生まれた画期的な「交渉条約」であり、片務条項は残るが、不平等ではない。
これが横浜市の起源となる「開国」である。その4年後にハリスと平和裏に日米修好通商条約を結び、翌1859年7月1日(安政六年六月二日)に横浜は開港。のち横浜町、横浜市と発展し、日本の近代化と国際化を先導してきた。――
レセプションには受賞者の招待枠という粋な計らいがあり、私は高校時代の友人代表(今西久雄夫妻)、横浜市立大学時代の同僚代表(小島謙一夫妻と丸山英気さん)、都留文科大学時代の同僚代表(西室陽一さん、高田理孝さん、椎廣行さん)、三溪園の同僚代表(長塚光夫さん)、卒業生代表(伊藤泉美さん)に声をかけて参加してもらった。
合間には、並木裕之さんをはじめ、思いがけなく多くの知人と一瞬、旧交を温めることもできた。
レセプション会場となった眺望の良い広間では、今回の受賞者、渡辺巧教副市長、鈴木伸哉副市長、柏崎誠副市長、中山こずゑ文化観光局長、それに旧知の福寿祁久雄さん、市職員OBOG・現役の諸氏と、横浜の未来を語る有意義な時間を楽しんだ。
若い都市・横浜は、開国・開港以来、短期間に人口370万超の日本最大の政令市となった。進取の気性に富み、「3日住めば浜っ子」と言われる、オープンで自由闊達な雰囲気をいまに残している。これからも、そうあってほしい。
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