明治工芸の粋

 三井記念美術館の「超絶技巧 明治工芸の粋」を観に行った。京都の清水三年坂美術館の村田理如コレクション約1万点から選りすぐった約160点を展示しており、七宝、刺繍絵画、牙彫、金工、自在、刀装具、印籠、漆工、木彫、薩摩等の分野にわたる。
 この展覧会に興味を抱いたのは、昨秋のシンポジウムの記録「岡倉天心生誕150年」(学長ブログ2013年11月1日号)で書いた通り、佐藤道信東京芸大教授のいう、(天心の活躍した)幕末から明治にかけて(1860年~1910年代)、世界はジャポニスム(日本趣味)の時代として、巧まずして日本美が欧米諸国で高く評価され、日本文化の応援団ができていた、とする指摘である。
 幕末の開国開港の舞台は横浜、戦争を経ずに結ばれた交渉条約(1854年の日米和親条約)の締結地であり、5港開港の最大港である。その居留地貿易(貿易取引は狭い居留地内のみ)の最大商品は関東甲信産の生糸であったが、明治の工芸品もその大半が横浜港から輸出された。
 岡倉天心は横浜に生まれ、居留地という「狭い国際社会」で英語と異文化を修得し、東京大学文学部の一期生を経て文部省に入り、やがて美術教育(東京美術学校創設等)と古社寺保存法(1897年)制定の先頭に立ち、世界を見すえて日本美術の振興に尽力した。
 今回の展示にはジャポニスムを喚起した日本美の具体的作品が揃っている(浮世絵を除く)と知り、ぜひにと出かけた。展示図録巻頭の村田理如「明治の工芸に魅せられて」は、およそ次のように述べる。
 260余年の平和がつづいた江戸時代、武家の甲冑、刀剣、刀装具等が美術品化し、金工技術や漆器の装飾技術が磨かれた。その頂点が幕末開港期であり、やがて明治時代に武家社会が崩壊すると、諸大名や豪商に代わり殖産興業を推進する明治政府(農商務省、皇室、宮内省)がパトロンとなった。
 折しも欧米世界は1851年のロンドン万博に始まる「万博の世紀」に入る。幕末の1867年、日本はパリ万博から初参加、明治政府も1873(明治6)年のウィーン万博(の産業館)以来、全国からの出品を奨励し欧米へ輸出、新たな市場を欧米の貴族・富豪らに求めた。ただ、この勢いは約30年で終焉、明治工芸が日本人の目にとまる機会は少なかった。
 展示作品群の残像が消え去らない。七宝の「蝶に竹図四方花瓶」(並河靖氏)、刺繍絵画の「雪中蒼鷹図」(竹内栖鳳)、自在の「蛇」(明珍)、印籠の「風仙図金工印籠」(勝守)、刀装具の「蜻蛉図目貫」(海野勝珉)や「昇龍図鐔」(正阿弥勝義)、木彫の「四王母」(高村光雲)……等々。
 その精緻な技巧と美しさの余韻に、いまも浸っている。 
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花めぐり

 前回の「桜と新緑の競演」を書いて数日、嬉しいことに三溪園には、まだ桜花が予想以上に残っている。
 真っ白な花びらに薄桃色のシベを持つソメイヨシノは、いっせいに咲き、いっせいに散る。明治中期から全国に広まった。今年のソメイヨシノは散りきらぬうちに、赤味を帯びた葉が芽吹いた。これほどの葉桜は、なにか違う品種のようにさえ感じる。
 正門の左手に広がる大池には幾つか島があり、毎年6月頃、紫の、追いかけるように白のハナショウブが群れ咲く。美しく咲かせるために、今の時期にしっかりと手入れをする。根回りの雑草を抜き、水位が上がっても根浮きしないよう土を盛り、骨粉を入れ、腐葉土をかぶせる作業が昨日から始まった。造園職員とともに、10人ほどのボランティアの姿がある。
 大池の向かいに古代蓮池と睡蓮池。古代蓮池には立ち枯れた茎がまだ残る。水辺にヤナギの若緑、そしてエノキ、カツラも芽を吹いている。睡蓮池には、子どもの手の平ほどの幼葉が水面いっぱいに広がる。
 上り坂をたどり、鶴翔閣(1902年建造、戦後改修)に至る。原三溪が出身地岐阜の棟梁を招いて建てた約300坪の合掌造り風の建物で、私邸であり、また原合名会社の執務室でもあった。
 鶴翔閣の入り口に1本、睡蓮池の傍に2本、ベニシダレ桜はたおやか。純白のオオシマ桜は、いまを盛りと魅了する。突きあたりに珍種のタカクワホシザクラ(高桑星桜)、岐阜市柳津町高桑地区で育成された品種で、花弁の先がとがり、星形に見える。
 記念館の池のほとりのオオシマは、黒松の大木を背に、凛として白を放つ。
 臨春閣、聴秋閣、天授院等が近在するエリアは、イチョウの大木やカエデなど、新緑が眩しい。黄色いヤマブキ、名残の白いユキヤナギ、小さなスミレも、古建築に趣を添える。
 横浜市中区本牧にある三溪園は、明治39(1906)年、生糸貿易商で美術家・茶人・造園思想家の原富太郎(三溪は号)が開園、起伏のある地形を活かした日本庭園は、総面積約17ヘクタール(5万坪超)ときわめて広い。
 蓮池、睡蓮池、鶴翔閣、臨春閣、聴秋閣等のある内苑と、大池から山上の三重塔、燈明時本堂、梅林、合掌造りの古民家等のある外苑に分かれる。浜辺に通じる外苑は、開園と同時に一般公開された。
 開園から108年を経た三溪園は、日本庭園と古建築(重要文化財10棟)が調和する稀有の存在として、7年前に国指定名勝となった。また2年前、これを管理・運営する三溪園保勝会が公益財団法人となり、新たな活動に邁進している。

桜と新緑の競演

 3月31日、公立大学法人・都留文科大学長として、最後の公務である。理事5人で昼食をとり、本部棟に戻る昼下がり、ふとケヤキの大木に目が止まった。梢がうっすらと赤味を帯び、芽をふく寸前の気配である。この時期になぜ、との思いがよぎる。
 午後には最後の常任理事会、また堀内富久都留市長はじめ各部署への挨拶回りがあった。4年弱の学長任期満了に、一抹の淋しさと、軽やかさが交錯する。そのせいで、ケヤキにふだんとは違う印象を受けたのか。
 東京では25日に桜(ソメイヨシノ)が開花し、はや満開である。富士山北麓に位置する都留市(標高500メートル)では、それが10日ほど遅れる。学長室の東にある楽山(らくやま)には、白馬のタテガミのように桜が稜線を描く。もちろん今年はまだその気配さえない。
 代わりにというべきか、山のコナラやクヌギが心なしか赤くけむって見える。その葉芽が弾ければ、すぐに新緑である。しかし桜の開花より新緑が先行することがあるのか。
 4月1日、年度が替わり、公務から解放されたのを機に、平日の火曜にもかかわらずラケットを背負い、日比谷公園のテニスコートへ向かった。そこで不思議な光景に出会う。ケヤキも種々の雑木もすでに新緑に彩られ、藤の葉芽さえ大きく膨らんでいる。新緑シーズンは、桜が散った後の、大型連休とともに始まるはずではなかったか。
 4月3日、横浜は国指定の名勝、三渓園へ行く。小雨のなか、バス停の本牧から三渓園に至る桜道はいまや満開である。正門を入ると、高みにある三重塔を中心に、大池沿いの桜が妖艶な姿を見せる。一方、鶴翔閣の右手の山は初々しい緑に包まれている。
 園長室で川越寛副園長、長塚光夫総務課長、中島哲也事業課長と4役会を開き、重要議題を終えてから、疑問をぶつけてみた。「今年は桜と新緑が同時進行で、いつもとは違うのでは?」と。長塚課長がすぐ反応した。「そうなんです。カエデも新芽をふいていて…」。
 今年は2月に2度の大雪があり、各地でたいへんな事態に陥った(都留文科大学時代の学長ブログ「大雪襲来」等)。異変を察知した木々たちの防衛反応が、桜花と新緑の競演となったのか。
 夏と冬を往復するような天候のなか、5日、6日の週末もなお花をとどめ、身を縮めて耐えている。
 彼らのたゆまぬ生命の営みを見守っていきたい。
プロフィール

Author:加藤 祐三
日本の歴史学者

横浜 市立大学名誉教授

国指定名勝・三渓園(横浜)
園長

・前都留文科大学長
(2010~2014)

・元横浜市立大学長
(1998~2002)

主な著書
「イギリスとアジア」
         (1980年)
「黒船前後の世界」(1985年)
「東アジアの近代」(1985年)
「地球文明の場へ」(1992年)
「幕末外交と開国」(2012年)
蒋豊訳「黒船異変」(2014年)
蒋豊訳「東亜近代史」
         (2015年)

 など

専門
・近代アジア史
・文明史

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