清談会の定例会

 我らが「清談会」は2005年に発足、毎年7月と12月に都内のレストランで開催、今回が25回目になる。12月28日、場所は中華料理の古稀殿。メンバーは横浜市立大学で活躍した面々で現在は6名、途中で他大学へ移った者を含むが、市大時代に共有した志をいまも引き継いでいる。

 「清談会」(せいだんかい)の発起人かつ命名者で幹事は、物理学者の小島謙一さん(後述)である。清談とは、世俗を離れた清らかな談話という意味。儒教思想全盛の漢代から魏の時代になり、儒教道徳を超えて主に老荘思想を題材とする幽玄な哲学的議論を交わした「竹林の七賢」の清談が代表例である。
 この故事にちなんで命名したが、現代日本では清談会と聞いてピンと来る人は多くない。長く使ったレストランが工事で閉鎖し、古稀殿に電話予約を入れたとき、政治団体か右翼団体かと訝られた。

 メンバーは以下の通り(年齢順、敬称略)。
穂坂正彦(医学・泌尿器科専門医、元医学部長、退職後に船医を10年つとめた。昭和11年東京生まれ)。船医時代の奮闘ぶりを、本ブログの2017年1月6日掲載の「船医、この10年」に書いた。
加藤祐三(歴史学・アジア史、元国際文化学部長、元学長、のち都留文科大学長、昭和11年東京生まれ)
丸山英氣(民法・区分所有法、途中で千葉大学へ移籍、同大で学部長、さらに中央大学法科大学院教授、現弁護士、昭和13年長野県生まれ)
小島謙一(物理学、元理学部長、現横浜創英大学学長、昭和16年群馬県生まれ)山本勇夫(医学・脳外科、元市民総合医療センター病院長、のち横浜市立脳卒
中・神経脊椎センター院長、現並木病院長(名古屋)、昭和18年静岡県生ま
れ、今回は欠席)
浅島誠(生物学・発生学、途中で東京大学教養学部へ移籍、同大で学部長・副学長、現東京理科大学副学長、昭和19年新潟県生まれ)

 全員が専門を異にする。共通するのは(1)専門分野にとどまらず広い知的関心を持っていること、(2)大学という学問の府をいかに自由闊達な知の展開の場にするかに情熱を持ち、(3)人類と地球の未来に思いを馳せることか。

 今回は、丸山が瑞宝中受章、浅島が瑞宝重光章(2001年の紫綬褒章等に加えて)の叙勲のお祝いに、小島が準備した銀杯(「清談会、平成29年霜月」の銘入り)を贈呈した。なお穂坂は臨床医のため教職歴が短いとして受章とならず、加藤は2014年秋に瑞宝中受章を受けた。

 清談会では、話題提供者を決め、食事と酒の合間に耳を肥やし、やがて侃々諤々、時に脱線の議論がつづく。今回からの新しいテーマは、「各専門分野の10年後を予測する」である。

 一番バッターは言い出しっぺの小島である。テーマは「自然界の4つの力」、パワーポイント(のプリント版)を使って話す。その延長上に10年後の予測テーマが「室温(氷点以上)超電導が実現するか」である。超電導が室温で実現すれば、電気エネルギーが大幅に削減できる。2030年には観測可能となるが、その実用化は2040年以降と予測した。

 穂坂のテーマは「AI(Artificial Intelligence人工知能)と医療、その10年後」、配布レジメはA4×11ページ。1950年代に始まる第1次AIブーム(推論・検索)、1980年代からの第2次ブーム(知識表現)、2012年以来の第3次ブーム(ディープラーニング、機械の自律的成長)と展開した後さらに急展開し、IoT(Internet of Things、部品・原料等モノをインターネットで結ぶ)を中心とする第4次産業革命に突入する経緯を説明する。
 医療の(画像)診断・治療の領域では、全診療科にわたる高度な診断・支援が可能となった。ゲノム(遺伝子情報)医療も急速に進み、2020年までに個々人のゲノム解析をAIが行い、日常の診療に活用されるようになるとする。最後に<AIの限界>を語って終わった。

 すかさず浅島が言う。「…AIはもっと先に進んでおり、自身で考え、人間社会を支配することが将来は起こるのではないか…」。生物学が遺伝子情報を操作することの怖さを熟知しているからであろう。穂坂が答える。「レジメの末尾の<AIの限界>で言おうとしたのは、その問題。AIの能力の限界ではなく機能の限界…チェックと制御が必要…AIは生命を扱ってはいけない…」。

 私も、かつて本ブログに書いた関連記事を思い出し、極端な事例として「AIが核兵器のボタンを押すことの危険性」について警鐘を鳴らす発言をした。それはたんなる素人の思いつきではなく、藤原洋さんから教えられたところが大きい。本ブログの「地球環境とサイエンス」(2014年10月1日掲載)や「ありがたき耳学問」(2016年5月24日掲載)で、AIやIoTに言及した。

 藤原さんは京都大学理学部宇宙物理学科を卒業、株式会社ブロードバンドタワー 代表取締役会長兼社長CEOである。IoTの概念を初めて提示した『第4の産業革命』(朝日新聞社 2010年)の著者でもある。
 藤原さんと初めてお会いしたのは、2014年4月、『人民日報海外版 日本月刊』誌主催の「日清戦争120周年座談会」。藤原さんは同誌の理事長、編集長は蒋豊さん。不思議な縁で、蒋さんは20年以上も前に私の所へ来た留学生であった。本ブログのリンク「都留文科大学長ブログ」の077「20年ぶりの再会」(2013年1月21日に登場)。

 AIの能力とそのもたらす便利さへの期待、その反対にAIに仕事を代替され失業する不安や、AIが暴走することへの恐怖とその抑止具体策(への疑問)…科学技術の未来を考えると、悲観論に陥らざるを得ない時がある。
 
 だが知的営為は止められない。…<陰極まりて陽転ず>という名言を古代中国人が残している。日々の営為が悲観の極みに達すると楽観に転じる。その逆の<陽極まりて陰転ず>もある。今後さらに議論を深めたい。
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チェロ×チェンバロとテニス

 大澤久さんのチェロと慶子さんのチェンバロ。新婚夫婦の息の合った合奏を聴いた。3℃(最低)/8℃(最高)と今季はじめての寒い12月15日、会場は文京区内の個人宅である。
 二つ折の手製のプログラムの表紙の上段に「SBF823ホームコンサート8」、その下に「大澤久&慶子(チェロ&チェンバロ)」とあり、開くと11曲の演奏プログラムと奏者紹介、裏表紙に主催者の「ご挨拶」がある。

 昨春、大澤久さんのチェロと橋本慎一さんのコントラバスによるDUO CETRAの演奏会を、三溪園の燈明寺本堂(室町時代の建造物を移築)で開催してもらった。30歳代前半、今回さらにチェロの音に格段の深みを感じる。

 大澤久さんは京都生まれの名古屋育ち。6歳からスズキメソ-ドでチェロを始め、名古屋工業大学応用化学科へ進学、在学中に管弦楽サークルの学生トレーナーをつとめた。のち東京芸術大学音楽学部器楽科チェロ専攻に入学、同大学のバッハカンタータクラブに属し、通奏低音奏者としても活躍、また自ら室内楽演奏会を主宰し多くの公演を開催、好評を得てきた。
 現在は、演奏活動、チェロ教習、ゲーム音楽の作曲、文部省唱歌の編曲と多方面で活躍している。『初心者のチェロ基礎教本』(自由現代社 2017年)を刊行、ユニークな内容で大評判という。中島顕、河野文昭、鈴木秀美、林俊昭の各氏に師事。詳細は自身のブログにある。
⇒http://ameblo.jp/mannmaru399

 チェンバロ奏者の慶子さんは岐阜県出身。3歳でピアノを始め、名古屋市立菊里高校音楽科を卒業、東京藝術大学楽理科を卒業、同大学大学院音楽研究科音楽文化学・音楽学専攻を修了した。在学中はバッハカンタータクラブに属し、合唱に参加。卒業論文はバッハの鍵盤作品について、また修士論文はバッハ作品の編曲についてである。ピアノを馬場マサヨ、長野量雄、草冬香、音楽学を佐藤里美、上田栄三郎の各氏に師事。

 久さんが電子チェンバロという楽器の説明をする。疑似的に琴の音も出せるらしい。順にエルガー「愛のあいさつ」、サン=サーンス「白鳥」、ヴィヴァルディ「チェロ・ソナタ第5番ホ短調」、エクレス「チェロ・ソナタ ト短調」とつづく4曲の作家と作品について簡潔明快に解説をしてくれる。
 馴染みのある曲が多く、30㎡ほどの会場の、すぐ目の前の贅沢な生演奏である。チェロの太い音色にチェンバロの繊細な響き。すっかり引き込まれ、脳裏の奥底に眠っていた風景の断片や、幾つかの歴史叙述が動きだすのに、我ながら驚かされた。

 約1時間の前半が終わると、主催者が「お誕生日コーナー」の説明を始める。「…12月が生まれ月の方が多くおられるので、今日は特別の趣向を凝らしました。…ハッピー・バースデーの歌がディア○○さんまで来たら、その方は立って、何日生まれと答えてください」。
 最初がスウちゃん(小宮山進)で12月14日生まれ、ついでヨッちゃん(中西芳樹)が27日、ユウちゃん(加藤祐三)が28日、ハッちゃん(石井はつみ)が29日と、1日違いが3人並ぶ。10数人の集まりで4人はかなり高い比率である。
 主催兼司会のハッちゃんが言う。「スウちゃんは私の従兄弟、ヨッちゃんとユウちゃんは向陵テニスクラブで一緒です。もう一方、向陵のケイちゃん(和久敬蔵)は1月生まれですが、当コンサートに皆勤されたので5人目に加えます。…さあ、始めます」。
歌が始まり、促されたスウちゃん、ヨッちゃん、そして私もあえなくタイミングを誤り、最後のケイちゃんだけが立派に成し遂げた。

 向陵テニスクラブではヨッちゃんがマネジャーをつとめ、ハッちゃんは会計とコート取得のためネット申込の割り当てを毎月かかさず指示してくれる。おかげで半世紀近い伝統を誇る当クラブは、立派に活動をつづけている。
 半月ほど前の12月2日に開かれた向陵忘年会には、女子プロテニスで世界を転戦後、千葉県柏市の吉田記念テニス研修センター(TTC)でコーチをつとめる大竹山理映さんもゲスト参加し、ハッちゃんとチェロ二重奏を披露してくれた。
 その忘年会の会場主である三輪亮寿・美子ご夫妻からはバースデーケーキが贈られた。クリスマス・プレゼントと誕生祝いとお年玉の3つを1つにまとめられてきた12月下旬生まれの面々にとって、晴れがましい失地挽回である。

 ヨッちゃんとはまた四谷パワーテニスでも一緒。こちらは20年ほど前、四谷のコートから誕生したテニスクラブで、私は入れてもらって12年、いまは日比谷のコートを主に使うが、発足時の名称を堅持している。長年にわたり引っ張ってくれた松浦永司会長が顧問となり、新会長に就任した若手の蒲生大輔さんは、高齢のご尊父の介護のため頻繁に帰省を続けている。メンバーの多数が、上掲のDUO CETRA三溪園演奏会に大挙して繰り出した。

 休憩後のコンサートは比較的短い7曲がつづく。バッハ「主よ 人の望みの喜びよ」、平井康三郎「平城山」、新井満「千の風になって」、山田耕筰「からたちの花」、ケクラン「20のブルターニュの歌」、ボッケリーニ「チェロ・ソナタ第17番 ハ長調」、ピアソラ「リベルタンゴ」。

 カラタチ、その鋭いトゲある木に咲く白い花、幼い日の家の勝手口沿いにあったカラタチの垣根、そこに育つ美しいアゲハチョウ…さまざまな思い出が去来する。
 
 ボッケリーニ(1743~1805年)はハイドンやモーツアルトと同世代、イタリア生まれでスペイン王に仕えたチェロ作曲家兼演奏者で、左親指を多用する演奏技法を開発したとの解説に、大きくうなずくのは演奏に日々苦労している人たちである。

 平均年齢は高いが老若男女というべき音楽とテニスを通じた交友関係。それぞれ異なる仕事や生き方をしつつ結ばれた絆は、求めてできるものではない。期せずして授かったと言うべきであろう。

グローバル・ヒストリー

 かなり長い周期で再会する友人・知人がいる。「朋あり遠方より来る、また楽しからずや」、遠くに住む人との再会はとくに嬉しい。その一人がニューヨークのアイオナ大学准教授・牧村保広さんである。
 私が横浜市大にいた1998年、ヨーク(横浜市海外交流協会)奨学金を得た研究員として受け入れた。その後も他の奨学金を得て横浜に滞在、私の大学院ゼミにも顔を出していた。

 牧村さんは1971年、北九州に生まれ、中学の時に両親の仕事でニューヨークへ、そしてハーバード大学卒業、英国ケンブリッジ大学修士課程を経て、コロンビア大学博士課程在学中に横浜へ来た。
 出会いは、横浜にあるアメリカ・カナダ大学連合日本研究センター(現在、IUCと略称)所長(当時)のヘンリー・スミス教授(コロンビア大学)の紹介である。このセンターはアメリカ・カナダの大学が連合して作った日本語集中特訓(750時間)の高等教育機関で、創設から半世紀余、卒業生は3000人を超える。東京から横浜への誘致に私も一役買った。

 牧村さんは、1859年の横浜開港以降の生糸輸出が、関東甲信の養蚕業とどう関連するかに関心を持ち、その着眼点を評価して引き受けた。日米双方での教育と体験を基礎に、英語と日本語の史料を駆使し、横浜という場を知れば面白い歴史が書けるのではないか。それを応援するのは学者冥利に尽きる。
 また拙稿「幕末開国と明治維新期の日英関係」(2000、木畑洋一・イワンニッシュ・細谷千博・田中孝彦編『日英交流史 第1巻 政治・外交編』 東京大学出版会所収)の英訳を頼んだこともある。MacMillan社の英文版の拙稿文末には、訳者として牧村保広の名前が入っている。
 2002年、私は市大学長退任と同時に定年退職した。牧村さんもアメリカに戻り、2005年にコロンビア大学で博士号を取得した。論文名は“The Silk Road at Yokohama: A history of the economic relationships between Yokohama, the Kanto region, and the world through the Japanese silk industry in the nineteenth century”。

 2016年の夏、一時帰国しているので会いたいとメールが来た。「最近の私の研究活動は、生糸と綿布の貿易の研究をさらに発展させ、歴史的に遡り、貿易品を約12品に広げて、それを16世紀からの世界貿易に当てはめるというというものです。これは現在教えている世界史の授業を学生にわかり易くするためでもあります。そして、実はこれには加藤先生が考えたアジアの三角貿易が非常に大きな役割を果たしていますので、ぜひ先生に会ってお礼と報告をしたいのです。…2014年にNY支部でのアジア研究学会で発表したPower Pointを添付いたします」。そして東御苑を散策しつつ、彼の熱弁に耳を傾けた。

 今年の年賀には次のようにあった。「この冬は、大坂大学の秋田先生のGlobal History Seminarで講演の機会を得ました。そのペーパー(和訳は「世界史を動かした十の貿易商品:15世紀から19世紀にかけての絹・磁器・香辛料・綿布・鉄砲・奴隷・砂糖・銀・茶・アヘンの地球規模での貿易の分析」)をお送りします。英文ですが、お時間がある時ご一読いただければ幸いです。」
 Global History(グローバル・ヒストリー)は大阪大学のセミナー名だが、最近、かなり広く日本でも使われるようになった。従来の日本史(国史)に対する「世界史」とはいささか意味を異にし、世界規模の歴史学という意味からカタカナ表記である。貿易商品は世界をめぐるため、グローバル・ヒストリーに最適のテーマの一つである。

 つづけて2月、ニューヨークのレキシントン書店から、牧村さんの著書刊行に当たり推薦状を書いてほしいとメールが入り、原稿のデータが添付してあった。Yasuhiro Makimura: Yokohama and the Silk Trade, How Eastern Japan Became the Primary Economic Region of Japan, 1843-1893. Lexington Books.
 この英文版『横浜と生糸貿易』は博士論文を補正したもので、1章「近世日本の経済」、2章「天保改革の失敗と横浜開港」、3章「横浜最初の商人」、4章「幕末日本の貿易と横浜の役割」、5章「横浜とその後背地」、6章「東日本の生産者たち」と「まとめ」からなり、附録に、A「日本の輸出入」、B「総輸出の中の生糸・絹製品と茶」、C「総輸出の中の綿製品、銅、米穀」、D「総輸出に占める各商品の割合」の4つの統計がつく。

 私が書いた推薦文の趣旨は次の通り。幕末の1859年に開かれた横浜開港場は、1854年の日米和親条約の交渉地(横浜村)であり、幕府が米総領事ハリスの主張を抑えて決めた。ここからの生糸輸出は日本人生糸売込商が集荷して外商に売り込み(居留地貿易)、世界の生糸市場を席巻する。またその利益が関東甲信の養蚕地帯へ還元され、横浜は日本の貿易と産業革命の要(pivot)となった。本書はそれを体系的に示した名著である。

 9月に届いた新著は255ページ、ハードカバーで装丁も美しい。その返礼を書くと返事が来た。「私は今年の12月には日本に帰り、東京に寄ろうと思っておりますので、その時には是非お会いしたいです。…現在、16世紀から19世紀までの時代【の世界貿易】を英文で執筆していて、5章まで書き終えました。全部で10章の予定です。」
 1章が「大西洋三角貿易前の世界」、10章が「アジアの三角貿易」という大きな構想である。アイオナ大学で続けてきた講義や昨年の大阪大学での集中講義の延長上に、これを著書にしたいと意気込む。

 私は返信で「新たに大著を執筆中とのこと、嬉しく思います。40~50代は脂が乗り、身体の若さと心の成熟とがうまいバランスをとる適齢期です。大兄は46歳、まさにそのまっただ中に突入ですね」と述べ、身体の管理にも留意されたいと添えた。
 すると「…NYの郊外にいるとほぼ完全な車生活になるので、意識的に運動を取り入れないとだめですね。…妻と冬は月1回スキーに行き、春から秋はテニスを週2か週3くらいしていたのですが、現在はなにもしていません。最近はコンピューターに向かって長時間座ったあとに歩くと、体の節々が痛くなります。これからは最低でもストレッチと体操はしようと思います。」と決意表明が来た。忘れずにつづけてほしい。

40年ぶりの再会

 今年の正月明けに、草光俊雄さんから新著『歴史の工房-英国で学んだこと』(みすず書房 2016年)が送られて来た。40年前にロンドンで出会い、以来、年賀状交換だけで続いていた。20年程前に共同研究『日英交流史』の筆者打合せ会で再会したものの、ゆっくり話す時間がなく、草光さんに対する私の印象と記憶は40年前に固定されている。

 まず表紙の装幀に目を奪われた。解説をみると、やはりウィリアム・モリスの作品で、強烈な印象を与える。彼がシェフィールド大学で工業化とデザインに関する博士論文をとったことを思い出し、まさに彼らしいと納得した。

 序文に目を通すと、「なぜ歴史を学ぶようになったのか」と切り出し、「…読者は一見ばらばらな対象のなかにひとつの共通するトーンがあることに気づいてくださるだろうか。それは歴史を調べたり書いたりすることへのよろこびである。…」と、楽し気に綴る。

 思い返せば1977年秋、私は「19世紀東アジアにおけるイギリスの役割」をテーマに文部省の在外研究の助成を得てイギリスへ渡った。旧知のディリア・ダヴン(中国女性史の研究者)の姉のアンナがロンドン在住のイギリス近代史研究者で、アンナから日本人がいるから会わないかと紹介された。

 クサミツという珍しい苗字、イーストエンドはスピタルフィールズ青果市場の近くにある彼の寄宿先を訪ねた。18世紀のテラス・ハウスで、絹織物工が住んでいた古い建物である。この10歳若い青年から、私はロンドンの歩き方、史料の所蔵先、学界の研究動向や人脈等について、貴重な指南を受ける。

 本書は主に歴史と歴史家に関するエッセー集である。ページをくくっていると、「…1977年の晩秋だったと思う。当時リーズ大学に滞在していた東洋史の加藤佑三さんと車で旅行をし、イングランドの東部を北から南下してケンブリッジに行った…」とある。その「佑」の字をペンで「祐」と修正してあった。もう一つ、拙著の書名にも誤記があった。

 添え状にあるメールアドレスに返礼、そこで私も草光さんの俊雄をうっかり敏雄と誤記していた。すぐ返信が届いた。「…これからメール連絡がとれますね。先生のお名前を間違えたばかりではなく、新書のタイトルまで間違えて…冷や汗です。…これも何年も年賀状だけでのお付き合いだった結果だったのかと、もっと身近な付き合いをしなければいけなかったなと、反省しきりです」。

 草光さんが誤記した拙著の書名は、正しくは『イギリスとアジア-近代史の原画』(岩波新書 1980年)である。そのなかに「…よく泊めてもらったR・サミュエルの家で、彼と、彼のところに寄宿している草光俊雄の三人で、夜の明けるまで議論したことも、私にはありがたかった。…」とある。ここでは草光さんの名前を正しく俊雄と書いていた。

 草光さんの今回のメールには嬉しいことに40年前の写真が添付されており、「大陸浪人のような先生とまだ初々しい(?)私との写真で、おそらくブリストル経由でバースに出かけたときのものかと思います。…」とあった。

 追いかけるように「草光俊雄さん退職・出版を祝う会ご案内」が版元のみすず書房から届いた。「出版」は上掲の本だが、「退職」とは放送大学教授(東京大学教授退職後に移る)の定年を指す。4月5日、18時、有楽町の電気ビル北館20階にある外国特派員協会へ出かけた。

 発起人は、五十音順に、川勝平太(比較経済史、静岡県知事)、丹治愛(英文学)、長谷川郁夫(小澤書店創立者)、富士川義之(英文学)、宮下志朗(仏文学)の五氏(いずれも敬称略)。私が知るのは川勝さんだけ、40年程前、オクスフォード大学セント・アントニーズ校のセミナーに話をしに行った折、聞き手のなかにいた青年だが、残念ながら公務のため欠席、会うことが叶わなかった。

 寒さで遅れた桜が、この日を待っていたかのように満開となった。受付で手渡された出席者リスト(五十音順)の約100名のうち、識別できたのは川勝さんともう一人だけ。スピーカーとして「乾杯の挨拶」、(1)発起人1、(2)イギリスでの出会い、(3)発起人2、(4)編集者、(5)友人、(6)放送大学、(7)東大学生と区分された計18名が挙がっており、私は(2)のなかにあった。

 草光さんはイギリス近代史家である。慶応義塾大学の学部と修士課程では経済学説史を専攻し、「イギリスの歴史についてはほとんど無知といった体たらくでイギリスに出かけ…英語もほとんど出来なかった。…」(序文)。なまじ固定された狭いテーマを持たずに留学したのが幸いしたのではないか。

 本書の書名は、(4章)「歴史工房での徒弟時代-親方ラファエル・サミュエル」から取ったのであろう。近代イギリスの貧富差の拡大や労働者の実態、職人たちの政治運動等を明らかにするR・サミュエル主導のヒストリー・ワークショップ(歴史工房)運動について述べている。

 R・サミュエル(私の2歳年長)は『ニュー・レフト・レビュー』誌の最年少の編集者となった新左翼の若きリーダーで、オクスフォード大学ラスキン校のチューター等をつとめた。

 サミュエルの家に草光さんが寄宿し、その草光さんを私が訪ねたことになる。草光さんは、探求心と美的センスに優れており、期待と不安をエネルギーに前進する「初々しい」勇者のように見えた。

 上掲の「…車でイングランドの東部を南下し…」の旅行は、私が中古車を購入、「旅は歴史家の母」と言いつつ産業遺構等を巡っていたころで、このときは彼の留学先のシェフィールド大学で合流し、中世以来の農地の形状を残すオープンフィールドで有名なリンカーンを訪ねたのではないか。エンクロージャーで細切れにされた農地とは違い、広大に拡がる農地の風景に二人で見とれた。

 祝賀会は、最後に草光さんが奥様への感謝を含む挨拶をして散会となった。

 40年ぶりの瞬時の再会であったが、彼の著書を読み進め、ゆっくり懐かしい日々を思い起こしている。

梁山泊の若き研究者たち

 冷たい雨に桜の花も身を縮めていた。開花宣言から10日も経つのに、やっと3分咲きという異常気象である。年度末の3月31日(金曜)夕刻、ある送別会に出るため、東京大学の農学部正門を入り、構内を抜けて、最南にある東京大学総合研究博物館(以下、博物館)へ向かった。建物は東洋文化研究所(以下、東文研)の隣、懐徳館(前田侯の造った建物と庭園)の向かいにある。

 私の東文研助手時代は1967~72年、それから50年になることに気づき、愕然とした。そのころは総合研究資料館として、東文研と同じ建物にあった。

 そんなことを思い出しつつ、1年前に記憶を戻す。博物館地階にある大型動物解剖室で、キリンの解剖に取り組む一人の若い女性を見た。遠藤秀紀教授(獣医学、比較解剖学、遺体科学)の指導を受け、博士論文の執筆に余念のない郡司芽久さんである。遠藤さんには『哺乳類の進化』(東京大学出版会 2002年)のほか、『解剖男』講談社現代新書 2006年)や『ニワトリ 愛を独り占めにした鳥』(光文社新書 2010年)等の啓蒙書がある。

 全国の動物園から献体を受けて学術的解剖を行う唯一の大学施設が、遠藤教授の率いる教室と聞いて納得はしたものの、うら若き女性研究者が、大きなキリンの解剖に独り挑戦する姿にミスマッチの魅力があった。麒麟女を自称する。

 このキリンの解剖現場には偶然に迷い込んだのではない。マダガスカルだけに生息する夜行性サルのアイアイを中心とする動物学(サル学)の権威、島泰三さんから「キリンの解剖を見たくないか」と誘われ、二つ返事で応じた。彼はアイアイ・ファンドを主宰しており、上野動物園のアイアイ館は彼の肝いりで作られた。最近の著書は『ヒト 異端のサルの1億年』(中公新書 2016年)。

 島さんと私は、長い伝統を有する向陵テニスクラブ(以下、向陵)のメンバーである。キリンの解剖を見せてもらうことになったのも、郡司さんが学術振興会の「育志賞」の書面審査に通り、彼女がプレゼンをするので異分野の私に予行練習を聞いてくれと言ってきたのも島さんであり、彼女を含め遠藤研を巣立つ大学院生2人の送別会に参加しないかと誘ってくれたのも島さんである。

 学術振興会の育志賞とは、そのホームページによれば、天皇陛下の即位20年に当たる平成21年、社会的に厳しい経済環境の中で勉学や研究に励む若手研究者を支援・奨励するための事業の資として下賜金を賜り、それを受けて学術振興会が「将来、我が国の学術研究の発展に寄与することが期待される優秀な大学院博士課程学生を顕彰することで、その勉学及び研究意欲を高め、若手研究者の養成を図ることを目的として、平成22年度に創設」したものである。

 第7回(平成28年度)育志賞には、大学長推薦90名、学会長推薦54名(重複推薦を含む)の計130名が応募し、審査(佐々木毅委員長等9名の委員会)を経て17名が受賞した。その一人が郡司さんで、3月8日(水)の日本学士院での授賞式では、秋篠宮殿下・妃殿下の前で受賞者代表の栄に浴したという。

 彼女は幼少期から動物を飼育し、夢は動物学者、とくにキリンの不思議な佇まいに強く惹かれた。博士課程(農学生命科学研究科 農学国際専攻)の研究テーマは「偶蹄類の頸部伸長に伴う筋骨格構造の進化とその遺伝基盤の解明」であり、キリンの解剖を通じて、その構造を解明した。

 哺乳類は首の長さに関わらず頸椎数は一定、つまりヒトとキリンの首の骨は同じ7個である。にもかかわらずキリンは首を柔軟に動かし、地上の草から髙所の木の葉まで食べることができる。彼らは如何にしてこのような首を獲得したのか。答えは第一胸椎周囲における肋骨の構造や筋肉にあり、と解明した。この研究成果は、哺乳類全体の体の構造や形を決定づける仕組みの解明に貢献すると期待される、と育志賞の受賞理由にある。

 送別会場の博物館3階会議室には、遠藤教授と大学院生(修士・博士課程)の工藤光平、郡司芽久、小林沙羅、吉田将崇、今井亮太、楠見繭、風見奈穂子(進学順)の7名(男子3、女子4)に教授秘書の佐々木智恵(いずれも敬称略)。リケジョ(理系女子)の多いのが頼もしい。

 向陵からは島夫妻に加え、弁護士・弁理士の赤尾直人さん、フレンチシェフで「鉄人」と呼ばれる浅川秀樹さん、それに私の5名が参加、合わせて14名である。浅川さんが特別料理を差し入れてくれた。

 大学院生たちの扱う動物はニワトリ、キリン、アシカ、カメ、ワニ、ヘビ、モモンガとそれぞれ異なる。風貌といい情熱といい、各人の個性も多彩である。多様な動物から得られる知見を導く理論と解剖手法は遠藤さんが伝授すると同時に、遠藤さんも若い知性の格闘の経過・結果から得るものが多いと言う。

 (知的)挑戦には失敗がつきものであり、その山を幾つ超えるかで勝負が決まる。そのときに違う研究対象と方法を持つ若者たちが同じ研究室に集まることにより、教えあい学びあい、切磋琢磨することにより前へ進むことができる。

 私の脳裏に「遠藤研という名の梁山泊」のイメージが思い浮かんだ。梁山泊は宋代の『水滸伝』に描かれた豪傑・野心家の集まる場所である。遠藤研の若き研究者たちは権力奪取の野望ではなく、大型動物の進化、ひいては生命の進化(の歴史)を知ろうとする、限りない夢に挑戦する豪傑・野心家たちである。

 研究結果がすぐに応用・実用につながる訳ではないためか、研究費獲得には苦労すると遠藤さんは言う。いわゆる実学ではなく純粋な知的探求心は、これぞ大学の重要な本質の一つであるが、現今の科学研究費の配分は実学に強く傾きがちであり、それも短期に成果が出るモノが重視される。

 若手研究者の就業実態も有期(2~5年程度)が多く、将来に不安を残す場合が少なくない。先輩たちの様子から、諦めて収入の良い職に就く人もいる。郡司さんは育志賞を得たため学術振興会の特別研究員(奨励金あり)として国立科学博物館(つくば市の研究部門)に勤めつつ、遠藤研でも解剖を続けるという。後輩たちの励みになれば良い。

 年配者からは、「アシコシ ツカエ」「ツキイチ コテン」(加藤)とか「いまのうちから体を鍛えておけ。それが知能を支える秘訣」(赤尾さん)などの激励につづき、シェフ浅川の料理が披露される。トマトクリームスープ、ラタトゥイユ(南仏風野菜の煮込み)、ビーフストロガノフ、これに院生持参のチマキ等を、赤尾さん差し入れのワインとともに堪能した。デザートのフラン・マラスキーノ風味&バニラアイスクリームのフランボワーズソース添えの盛り付けの妙技には、女性たちの目が釘付けになった。

 全国の大学の幾つもの研究室で、文系・理系を問わず、若き研究者が情熱を傾けて研究に励んでいる。少子高齢社会で人口減少に直面する我が国の未来を支えるための、彼らは唯一とも言える貴重な人材群である。応援していきたい。
プロフィール

Author:加藤 祐三
日本の歴史学者

横浜 市立大学名誉教授

国指定名勝・三渓園(横浜)
園長

・前都留文科大学長
(2010~2014)

・元横浜市立大学長
(1998~2002)

主な著書
「イギリスとアジア」
         (1980年)
「黒船前後の世界」(1985年)
「東アジアの近代」(1985年)
「地球文明の場へ」(1992年)
「幕末外交と開国」(2012年)
蒋豊訳「黒船異変」(2014年)
蒋豊訳「東亜近代史」
         (2015年)

 など

専門
・近代アジア史
・文明史

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