FC2ブログ

10連休中の三溪園

 本邦初の10連休中も三溪園は開園、「新緑の古建築公開と修復展」等の特別催事を組んだ(閉園するのは年末の3日間のみ)。連休前半の天気は不安定であったが、雨に濡れた新緑の風情もまた格別。後半は晴れが多く、まさに風薫る五月、かぐわしい風が木々の間を吹き抜ける。

 今年は例年の古建築の公開に加えて、旧燈明寺本堂を会場に「修復展―時を超えて伝える」が4月27日(土)から5月6日(月・振)まで開かれた。事業課(吉川利一課長)の企画・広報をうけて、職員がボランティアのみなさんとともに総力を挙げて取り組んだ。

 古建築公開は春草廬と聴秋閣(いずれも重要文化財)の2棟で、内苑の奥まった所にあり、モミジ、カエデ、イチョウの柔らかな緑がとり囲む。

 春草廬は9つの窓をもつ江戸時代初期の茶室で、織田信長の弟・有楽の作と伝えられ、かつては九窓亭とよばれた。三溪園の創設者・原三溪が京都から移築した当時は、隠居所であった白雲邸に隣接していたが、戦後に現在の位置に再建された。

 聴秋閣は江戸時代初期の楼閣建築で、非対称の外観や斜めに切られた付書院など、デザイン性に富む。三溪は大正11年(1922)、この建物の移築完了をもって三溪園を完成させ、それを祝う大師会茶会を開いた(本ブログ2018年11月1日「三溪園の大師会茶会」参照)。

 なお2棟とも小規模で繊細な建物のため、内部には入れないが、ガイド・ボランティアが丁寧な説明をしていた。

 聴秋閣の西背後に伸びる渓谷遊歩道も公開された。ここは年に2回、新緑と紅葉の時期にのみ公開される。渓谷を挟んで左側の道を登り、右側の道を下りてくると、聴秋閣越しに三重塔を望む絶景が拡がる。撮影ポイントは2か所ほどか。一幅の山水画を見る趣がある。

 一方、外苑では三重塔と同じく京都・燈明寺から移築された室町時代の重要文化財建造物である旧燈明寺本堂を会場に、NPO法人美術保存修復センター横浜との共催による「修復展―時を超えて伝える」を開催した。同センターが近年修復に携わった美術品の実物展示のほか、海外の修復事例、三溪園の歴史的建造物の移築や維持保存の取組みなどを紹介した。

 おもな展示作品は、(1)同センターによる文化財保存修復の紹介(油彩画、掛軸、仏像、羊皮紙等)、(2)旧燈明寺本堂(会場の建物)移築時に作成された縮尺模型、(3)昨年度から着手した臨春閣屋根葺替え工事の概要パネル。

 同センターのジェネラルマネジャー内藤朝子さんにNPO法人の活動状況を伺っているうちに、共通の知人、大滝正雄さんの名前が挙がり、FМ戸塚の話題(本ブログ本年4月18日「FМ戸塚の対談余録」)に至った。世間は狭いというべきか、横浜の文化活動にかかわる人びとが自然に結びつくというべきか。

 午後から若き彫刻家・中村恒克さん(<中村彫刻>主宰、中区山手在住)を迎える。大学で彫刻を学び、古代以来の日本の彫刻の9割以上が木彫、それも仏像が圧倒的に多いことに気づき、寺に納める仏像を彫るとともに、古仏の修復にも取り組んでいる。

 修復の実演は、高さ80センチほどの木彫の獅子の、腐食・虫食いの防止と破損の修理。もとの収蔵社寺は不明だが、ヒノキ材を組み合わせた鎌倉時代の作品。修復からヒントを得ることが多いと語る。

 会場の片隅に「未来へ、伝統の美を護る。三溪園の保存に向けた寄付のお願い」と大書したA4サイズ両面のチラシを置いた。村田和義副園長らが中心となり、令和元年五月の日付入りで作成した。頂いた寄付金は三溪園の各種の修理・保護等に充てられる。

 ついで三溪記念館の所蔵品展「万緑の景」(会期:4月19日~5月29日)を鑑賞した。三溪の書画9点を展示、シャガの花を背景に真っ白な母猫が子猫に乳を与えている《白猫》(昭和7(1932)年)。輪郭に線を用いず色面だけで表現する「没骨」という水墨画の技法(江戸時代に俵屋宗達や尾形光琳など琳派の画家が彩色画に用いた)で描く《白桃》(大正14(1925)年)等。

 また三溪園ゆかりの画家の作品、雄大な滝を描く下村観山《新緑》(大正12(1923)年頃)と牛田雞村《若葉》等、目を惹くものばかり。
 
 第2展示室には、臨春閣第一屋「瀟湘の間」に嵌められていた襖の障壁画、狩野常信筆《瀟湘八景図》(江戸時代前期)、「山市晴嵐」「漁村夕照」「遠浦帰帆」「瀟湘夜雨」「煙寺晩鐘」「洞庭秋月」「平沙落雁」「江天暮雪」の8点。瀟湘は中国湖南省洞庭湖の南にあり、多くの文人墨客が訪れた景勝地。<八景>は日本では鎌倉時代から室町時代にかけて水墨画の流行とともに広まり、<近江八景>や横浜の<金沢八景>等を生んだ。

 三溪園ゆかりの画家-塩出英雄-の描く2点の屏風絵は、今回の新緑古建築公開に合わせ、ひっそりと佇む春草廬を描く《浄廬》(昭和63(1988)年)と聴秋閣を描く《園閣》(昭和61(1986)年)。

 また臨春閣の替え襖、中島千波筆《不二に桃花図》(昭和63(1988)年)が異彩を放つ。屋根葺き替え修理工事中の臨春閣第二屋「住之江の間」の西側床壁貼付の狩野山楽筆《浜松図》は複製で、収蔵庫に保管している原本を順に記念館で展示している。昭和50 年代、三溪園が日本画家・中島清之(1899 ~ 1989)に制作を依頼し、清之没後、三男の千波(1945 ~)があとを継いだ。

 第3展示室の第43回俳句展を見た後、呈茶の望塔亭へ行く通路では原三溪市民研究会(以下、市民研)による「原三溪没後80年 クイズで学ぶ三溪園 原富太郎と横浜」(5月3日(金曜)~5日(日曜))に関するアンケート収集と説明会が開かれていた。今年が6回目。クイズ用紙3000枚を市内各所で配り、その半数が来園するとして3日間で1500人の計算となる。クイズに関する丁寧で簡潔な解説版(A4両面)も配られていた。

 クイズは計8問、すべての漢字にかなが振ってあり、小中学生を意識した活動である。市民研の廣島亨会長、猿渡紀代子顧問、久保いくこさん達が先頭に立って応対していた。市民研の最近の活動については本ブログ2018年11月19日掲載の「原三溪の生き方を考える」をご覧いただきたい。

 クイズに合わせて「原三溪が最もすごい、と感じる点は」のアンケートを取っていた。壁に張った大きなアンケート用紙(AからEまで以下の6項目)のどれかに赤丸のシールを張ってもらう形式。項目は「A:三溪園を創った、一般公開した」、「B:古美術品の収集家、文化財保護に尽力した」、「C:若手日本画家を育成支援した」、「D:絵・漢詩・茶など一流の趣味・教養人」、「E:震災復興・寄付など公共貢献に尽力した」、「F:実業家、生糸貿易のリーダー、横浜経済発展の牽引者」。集計結果は秋の原三溪市民研究会例会等で発表の予定という。

 中央広場のテント内では和服を帽子やバッグ等に再生する工房<和布瑠>が「着物と帯のリメイク展」を開いていた。2年前にチャンチャンコを買い、自宅でくつろぐときに重宝している。

 <和布瑠>の担い手で、ガイド・ボランティアでもある渡辺悦子さんと話しているうちに、何点かの作品に目が留まった。片面に富士山と大名行列(箱根の関あたりか)、反面は京都の三条大橋(東海道53次の西の起点)らしき図柄を縫い付けたウォーキング・ポシェットを購入。A4サイズ半裁の書類がゆうに入る。

 10連休最終日の5月6日、恒例のボランティアによる一日庵(いちじつあん)茶会が午前と午後の計8回、臨春閣の第三屋、天楽の間で開かれた。臨春閣は紀州徳川家初代藩主の頼宣(よりのぶ1602-1671年)が、和歌山・紀ノ川沿いに建てた別荘「巌出御殿(いわでごてん)」と伝えられる。

 その天楽の間は奥方の居室と伝えられ、名称は欄間に見られる笙(しょう)や篳篥(ひちりき)など雅楽の楽器に由来する。掛軸は、上原古年(うえはらこねん1877-1940年、東京浅草生まれの日本画家)の「兜図」(かぶとず)である。

10連休が明けると、次のイベントが始まる。

5月10日(金曜)、新緑の自然観察会(毎月10日定例開催)
5月11日(土曜)、臨春閣の檜皮葺屋根葺き替え工事の公開見学会
5月17日(金曜)~26日(日曜)、「蛍の夕べ」(日没から21時まで)
5月19日(日曜)~6月2日(日曜)、「さつき盆栽展」
6月10日(月曜)~16日(日曜)、「花しょうぶ展」。10日、自然観察会。
7月13日(土曜)~8月4日(日曜)までの土日祝日、「早朝観蓮会」(朝6時~8時)
スポンサーサイト

タケの開花(その9)

 昨年の2018年8月28日掲載の本ブログ「タケの開花(その8)」の末尾で次のように述べた。「あの広域に展開するタイミンチクの花、…今年がこの2~3年の「一斉開花の収束」である可能性は高いものの、なお断定はできない。来年、開花が見られるか否かにより最終的な判断ができると考えている。…今回の(その8)をもって今年分の最後とし…今後も引きつづき身近な自然の営為に眼を向けていくつもりである」と。

 当時、内心では次の報告は来春になるだろうと思っていた。そこに昨年11月29日夕方、三溪園の羽田雄一郎主事から次のメールが入る。「本日、午後に坂先生とご一緒にタイミンチクとオロシマササの様子を見てきましたところ数カ所で開花株が見られましたのでご報告致します。」

 さらに「茶店横の坂道を昇り始めたところで、花芽になりそうな膨らみ(≒小さな蕾)を1つ。そのまま上り、最初の曲がり角の内側に雄蕊が見え始めた株を1つ。さらに旧松風閣遺構の手前で開花前の蕾を1つ。尾根道に出て左側の黒ボク石階段周辺で開花した株を1つ。聚星軒跡周辺で開花した株を2つ。聚星軒跡対面開花した株を1つ。前回の開花時期に最後まで咲いていた滝の裏側では開花は見られませんでした。」

 そもそも三溪園のタケに関する事の発端は、2年前の2017年3月29日、坂智広さん(ばん ともひろ 横浜市立大学木原生物学研究所・植物遺伝資源科学研究部門教授)が、90年前の1928(昭和3)年に三溪園のタケが開花した記憶があるとメールをくれたことである。日本育種学会で村松幹夫先生(岡山大学名誉教授)から聞いたとのこと(本ブログ2017年5月19日掲載の「タケの開花(その1)」。そこから現地の観察と古い新聞記事の検索等が始まった。

 昨年11月の開花を知らせる報を受け、私は「タケの花はそんなにたくさん咲いていましたか。事実の記録は重要です。しかしどう解釈(説明)すれば良いのでしょうか。」と書いた。想定外の展開に胸が高鳴る。これについて、これまでも種々の知見を示してくれた坂さん次のように答えてきた。

 「オロシマササは地下茎の先端で、新梢(地下茎から生え出る稈)の先に花をつけ、実が付いていました。垣根の刈り込み管理が終わり、前回観察の6月28日より葉数が減り、株がすっきりしていた。柴田昌三(2015) 緑化植物仮説 緑化植物としてのササ類、草と緑7:20-29(2015)によれば、夏季8〜9月の着葉数をピークに翌年7月には分蘖に新葉が増える。4月〜7月に地下茎が伸びて藪が大きくなる(柴田論文の図と表は省略)。
オロシマササの垣根から伸びた地下茎には株が形成され、新梢からは穂が出て結実している。今回の観察では地下茎の伸長も終わり、広く地際から芽を出していた新梢も刈り払われていたが、垣根の根元には新たな株が形成され、一部には咲き残りを思わせる新梢に最近の開花の痕跡と結実を認めた。」

 この昨秋の坂さんのメールは重要なので、すこし長くなるが続きを再掲する。
「タイミンチクは今年の夏前に花をつけていた株、ないしはその近辺の新梢、ひこばえに花がついていました。夏前の咲き残りが、秋口から新春に花を咲かすのではないかと予想していたところ、この冬の暖かさでたくさん見られたと考えております。
加藤先生のブログ「タケの開花(その8)」に記されている一斉開花の収束が今年の夏前に完了しておらず、夏の暑さで一休みした後に目下収束期の終盤にかかっているのではないかと解釈しています。竹藪の辺縁部(拡大している先端部)に花を咲かせる要素が遅れて伝わりまだ残っているのなら、これから4~5月にかけて三重塔付近から階段下の方で、偶発的に残り花が見られるかもしれないと予想しています。
 今回の観察でかなり確からしいのは、タイミンチクは開花後には出穂開花した枝は枯れるが、稈や藪は枯れずに地下茎と筍で増殖し、枯れないということです。…種子をつけた株は非常に特殊で、何かしらの突然変異が生じているかもしれません。母親が同一で、発芽した芽生えが元の藪とは異なる性質を持つ可能性に興味が湧きます。
タイミンチクは、今夏前に出穂開花した穂がついた節から花穂が出る、地際の新梢に花穂が着く現象が見られた。前回の観察でも、1)散発的にこれまで出穂した穂の小花が開花するケース、2)開花していた枝の先端に未熟な小さな小花をつけるケース、3)地際からの新梢に花穂を付けダラダラと開花するケースが見られ、主稈が折れた場合に下の節から花穂をつける稈が分蘖のように枝を出す様子が見られたが、今回も同様で8〜9月の猛暑でタイミンチクの生育が停滞したか、この時期に残りの花穂が着生したのだと推察する。」

 翌2018年には羽田さんが「…4月4日の朝、今年も三溪園のオロシマササが咲いた…」と連絡をくれた(本ブログ2017年5月19日掲載「タケの開花(その5)」)。そのとき私は「…タケの開花は60年、90年、120年と長い周期で1度だけ起きるとされるが事例報告は多くなく、周期の年限をめぐっても確実なデータはごく少なく…現象を的確に観察して記録に残すことが重要…」と書いていたので、この開花は驚くべき朗報である。

 2年連続の開花に加え、昨年には秋の開花もあった。3年目になる今年、早めに現地観察を予定したが天候や時間調整に手間取り、3月7日になってしまった。春寒の冷たい雨の中、坂さん、羽田さんと園内を一巡したところ、1週間程前に開花したと思われるタイミンチクの花が何カ所かで見られた。

 3年連続の開花。この観察記録をお願いした坂さんと、今後の方針を話しあった。大別して2つ。第1が広域に拡がるタイミンチクの分布に区割りの名称をつけて地図で示し、観察地点を可能な限り具体的に明示できるようにすること。そのため前回の地図(本ブログ2018年7月18日「タケの開花(その7)」の補正版を作成する。坂さんの脳裏には最初の1株(親)が松風閣近くのもので、これをⅠ中央部と名づけ、そこから周縁に拡がったと仮定しての分布図づくりが浮かんだと思われる。

 第2にタイミンチクは自生ではなく移植であるため、関東近辺の植物園等の移植履歴や時期を調査し、タイミンチクの生育年齢(移植年+α)を導きだすことができないか。三溪園の2本のイチョウから始まった樹齢を尋ねる「イチョウ巡り」(本ブログ2019年12月28日掲載)をしたとき、小石川植物園で10株ほどのタイミンチクを見つけた。いずれ調べさせてもらおうと坂さんと羽田さんにメールで伝えておいたことを思い出し、ここを有力な候補地とした。

 坂さんは即、行動に移し、翌8日にメールをくれた。「午後に小石川植物園に連絡をし、関係者からお話を伺えるようメールでお願いしました。また、目黒の林試の森公園に電話し、かつて国の森林研究所が開設された時代からの物語がありそうで、調べて頂いています。さらに江ノ島にタイミンチクの大きな群落があり、藤沢市の天然記念物の指定になっています。藤沢市の郷土歴史課に電話をして、英国商人のサムエル・コッキングとの繋がりが見えてきました。コッキングは牧野富太郎と交流があったようで、小石川植物園との繋がりも見えてきます。さらには、コッキング商会が横浜にあったことから、三溪園との縁もあるのでは? 加藤先生のご専門の領域に深く関わってくる予感がしております。」

 翌9日、坂さんの新しい地図つきの観察記録が届いた。
「2017年、2018年の開花観察から、開花年と開花場所の変遷の傾向を考慮して、タイミンチク林をⅠ中央部、Ⅱ延伸部、Ⅲ端部、Ⅳ辺縁部(仮称)の4エリアに分けた。タイミンチクの株の大きさ、稈の数と古さを比較すると、およそⅠからⅣへと地下茎が拡がり、藪が形成されたのではないかと仮説を立てる。尾根道と登坂路の交差点あたりの株が創始者的な始まりで、ⅠとⅡエリアへの竹藪が形成され、最初は登坂路の西側に地下茎が伸びた可能性が高い。タイミンチクの地下茎は下斜め方向や水平に伸びやすく上には伸びにくいので、東側のⅢ、Ⅳエリアへは尾根を一度超えなければならず、新しい株のエリアと想定できる。旧東慶寺仏殿周辺、古民家(旧矢箆原家住宅周辺)のⅢbエリアは、南側 Ⅳbエリアを介して回り込んで拡がったか、中国庭園とその下の傾斜部の開墾で植生が分断された可能性も考えられる。以上の仮説の上に、三溪園のタイミンチク林は古くからあったエリアⅠからⅡの延伸部までで一昨年〜昨年の一斉開花が同調し、おそらく延伸が遅れて新しいエリアⅢが遅れて開花が波及した。
Ⅳaはまだ株も若く、今後開花の可能性も期待される。Ⅳbは開墾後に新たに再生したエリアの可能性があり、日当たりがよく木は大きいいが今後の傾向は予想しづらい。Ⅲbは昨年の下刈りで、この後に地下茎から伸びる新梢、新稈がどのような形態になるか、観察が必要と考える。
 エリアⅡの登坂路登り口の株、とはいえ地下茎から伸びた枝に花穂が見られた。昨年も花が咲きやすい株であったが、今年は箒状にかなりの花穂を生じている。エリア の尾根道交差点から登坂路に下がった株で、新な花穂の伸長を認めた。この株(枝)は昨年も花穂をつけており、その名残が着生したままだが、箒状ではなくスリムな穂で、継続的に出穂しているものとみられる。以上の点から考察するに、2017年に始まった一斉開花が2018年にも亘り、2019年は辺縁エリアや、各エリアの地下茎の先端などで、散在的に花穂が見られるかもしれないと推察している。」

 3月14日、羽田さんと二人で園内を一巡した。先週と同じ場所に開花が見られ、穂数はすこし増えた印象を受けたが、新たな開花は確認できなかった。そして次のステップに向けて、親株の太さを大まかに計測した。

 坂さん作製の「三溪園タイミンチクの生育分布と開花観察地点図」を巡り、地下茎の伸びる方向に関連する高低差を示すため、等高線を入れる方が良いのではと羽田さんの提案があり、ご両人で幾度かの意見交換のすえ、ついに完成した。この地図を付し、3年間の観察の<中締め>としたい。
190319C4三渓園タイミンチクの開花分布地図

臨春閣の屋根葺き替え工事

 今年度から三溪園の重要文化財建造物の大規模改修工事(保存修理工事)が始まった。第1期は6年、3期にわたり全部で14年という長丁場を予定している。その最初が臨春閣屋根葺き替え工事(屋根面積は694㎡)である。

 昨年12月25日、記者発表を行った。「珠玉の数寄屋、約30年ぶりの保存修理へ ― 三溪園の重要文化財 臨春閣、屋根の葺替えを1月から実施」と題し、次の説明を加えた。「シンボル・旧燈明寺三重塔とともに三溪園の“顔”である歴史的建造物といえば、桂離宮と並び近世数寄屋建築の白眉とも評される臨春閣。このたび、当財団では国・県・市の補助を得て、この臨春閣の保存修理を、年明けの2019年1月から実施することとしました。過去、臨春閣の大規模な修理は、戦後昭和33(1958)年、昭和62(1987)年に実施され、今回で3度目を数えます。おもに長年の風雪により老朽化した檜皮(ひわだ)と杮(こけら)の屋根材の交換、耐震対策工事を中心に行いますが、いずれも貴重な文化財を将来に向けて良好な状態で遺していくために必要不可欠な工事です。ご理解・ご協力をよろしくお願いいたします。」

 臨春閣の写真には次の説明を付した。「臨春閣は、三溪園内苑庭園の景観の要となる中心的な建造物。3つの棟が雁行形に配置される構成や紀州徳川家の別荘という来歴から、京都・桂離宮(八条宮家の創設)と並び称される。三溪園が通称「東の桂」とも称される所以である。」

 臨春閣は3棟からなり、東南の園路から西北に向かって右から第一屋、第二屋、第三屋と展開する。工事は大きく2期に分けて行い、前期は今年2月から11月頃まで(10か月)が第一屋と第二屋、ついで11月頃から来年5月頃まで(6か月)が後期の第三屋である。

 正月明けから、建物全体を風雨から守る素屋根(すやね)の組み立てが始まり、日々、その姿が高く伸びて2月中旬にほぼ出来上がった。2月28日、本年度第3回整備委員会(委員長は尼﨑博正京都造形芸術大学教授)を開き、参考資料として三溪園主催「重要文化財臨春閣 保存修理工事見学会」のリーフレット(A3両面)を配る。現地指導では工事現場の足場に登り、藤倉賢一さん(公益財団法人文化財建造物保存技術協会技術主任)から説明を受けた。

 4年前の2015年秋、隣接する白雲邸(横浜市指定有形文化財)の倉の補修工事でも現場を確認し、次のように書いた(本ブログ2015年11月23日掲載「白雲邸」)。「…屋根の上から全体を眺望すると、今回の工事外の主屋の広い檜皮葺の屋根が気になった。檜の皮を重ねて葺く技法は、日本家屋の特徴の一つであるが、檜皮を止める竹釘が各所に浮き上がって見える。檜皮が油を失い、痩せて沈んだ結果、竹釘が露出したもので、これが新たな課題となった。…」

 その翌年、懸案の白雲邸の檜皮葺き工事が始まり、その工事を幾度か見学したときの感動を思い出した。「…1月25日、正月明けから始まった檜皮葺き工事の視察を行った。主屋の屋根が278㎡、門の屋根が10㎡、合わせて約300㎡という広い屋根工事(なお延床面積は約284㎡)のうち、半分近くがすでに完成しており、…北側の軒先の4間ほどにわたり、5人の職人が並んで檜皮を葺く作業の最中であった。みな40歳前後、心技体を備えた職人たちである。…水で濡らした檜皮を丁寧に並べ、口に含んだ竹釘を取り出しては小型の金槌で素早く打ち留める。その間、5秒とかからない。正確な動きとリズミカルな金槌の音…」と書いた(本ブログ2017年4月3日掲載「白雲邸屋根の葺き替え」)。

 折しも2月5日、文化庁から審査が1年先送りとなっていた「伝統建築工匠(こうしょう)の技:木造建造物を受け継ぐための伝統技術」をユネスコ無形文化遺産へ再提案するとの報道発表があった。小さい新聞記事で気づき、文化庁ホームページにアクセスして全貌を知る。

 文化庁発表によれば、伝統建築技術とは「木・草・土などの自然素材を建築空間に生かす知恵,周期的な保存修理を見据えた材料の採取や再利用,健全な建築当初の部材とやむを得ず取り替える部材との調和や一体化を実現する高度な木工・屋根葺(ぶき)・左官・装飾・畳など,建築遺産とともに古代から途絶えることなく伝統を受け継ぎながら,工夫を重ねて発展してきた技術」を指す。

 さらにいう。「歴史的建築遺産と技術の継承を実現する適切な周期の保存修理は,郷土の絆(きずな)や歴史を確かめる行事であり,多様な森や草原等の保全を木材,檜皮(ひわだ),茅(かや),漆,い草などの資材 育成と採取のサイクルによって実現するなど,持続可能な開発に寄与するものである。」

 ユネスコ無形文化遺産への昨年の提案は、国の選定保存技術の次の14件である。「建造物修理」,「建造物木工」,「檜皮葺(ひわだぶき)・杮葺(こけらぶき)」,「茅葺(かやぶき)」,「建造物装飾」,「建造物彩色(さいしき)」,「建造物漆塗(うるしぬり)」,「屋根瓦葺(やねがわらぶき)」、「本瓦葺(ほんがわらぶき)」,「左官(日本壁)」,「建具製作」,「畳製作」,「装潢(そうこう修理技術)」,「日本産漆生産・精製」,「縁付(えんつけ),金箔(きんぱく)製造」。

このうち「檜皮葺・杮葺」の説明は次の通り。
「選定年月日:昭和51年5月4日
保存団体名:(公社)全国社寺等屋根工事技術保存会
概要:檜皮葺(ひわだぶき)及び柿葺(こけらぶき)の技術は,建造物の屋根葺(ぶき)技術として我が国特有のものである。この技術の発祥は詳(つまびらか)でないが,檜皮葺は8世紀の中ごろに既に用いられており,柿葺は古く発生した板葺(いたぶき)を源流とし,中世の末にはその技法が定着し大成したとみられている。現在,多数の檜皮葺・柿葺 の建造物が,重要文化財として保護されており,これらの建造物を保存するためには檜皮葺・柿葺の技術は欠くことのできないものである。しかるに,指定文化財以外では若干の社寺建築にその需要があるとはいえ,一般建築界では全く用いられない技術であって,このため伝承は困難となりつつある。」

 今年のユネスコ無形文化遺産への再提案書には、新たに原料にかかわる「檜皮採取」、「屋根板採取」、「茅採取」の3件が加わり、17件となった。檜皮採取は危機に瀕していると聞き、案じていたが、これは朗報である。

「檜皮採取」の概要は次の通り。
「選定年月日:平成30年9月25日
保存団体名: (公社)全国社寺等屋根工事技術保存会
概要:檜皮(ひわだ)採取(さいしゅ)とは,屋根葺の一種で社寺に多く見られる檜皮葺に用いるため,80から100年生以上の檜の立木(たちき)から,樹皮である檜皮を剥ぎ取る技術である。立木の檜は10年ほどで樹皮が形成され,再び採取が可能となるが,そのために樹皮下の形成層を傷つけない技術が必要である。檜の立木の下部からヘラを入れ,上方(じょうほう)にめくり上げ,麻縄(あさなわ)を巧みに使って足掛かりとして,高い木では20メートル以上まで登り剥いでいく。檜皮の採取は樹皮の形成期間である4月から7月までは剥ぐことができず,労働期間が限定される。単独で山中深く入り,高い木に登る等,危険を伴い,採取した檜皮を担いで山裾まで下ろす等,重労働も要求される。 現在重要文化財として保存されている檜皮葺の建造物を維持し,後世に伝えるためには檜皮採取の技術は欠くことができない重要な技術である。」
 
 3月13日、三溪園主催、(公財)文化財建造物保存技術協会・(株)児島工務店の協力を得て「重要文化財臨春閣 保存修理工事見学会」を行った。ガイドの参考にしてもらうため、対象は三溪園ボランティア有志である。

 その案内リーフレット(上掲)には、臨春閣の平面図・立面図と作業工程の概略を載せた。「資料:檜皮葺(ひわだぶき)について」は、国宝・重要文化財に指定されている建造物で檜皮葺きは700棟を超えるが、その約7割が近畿圏に集中し、関東圏には6%弱の40棟と述べる。檜皮1枚の厚みは1.5ミリ、それを数10枚重ね竹釘で留めていく。作業工程は写真で示し、①檜皮(原皮)の剥ぎ取り、⑤檜皮拵え(こしらえ)、⑦軒付積みと進み、⑫平葺に到る計12の作業手順に解説を付した。

 三溪園ボランティアは、現在233名が登録、三溪園の魅力を外に発信する第一線の活動を担っている。内訳は、ガイドインフォメーションが157名(英語ガイドを含む)、合掌造管理運営ボランティアが46名、庭園保守管理ボランティアが74名である(複数所属あり)。詳しくは本ブログ「三溪園ボランティアの活動」(2019年1月29日掲載)を参照されたい。

 公益財団法人三溪園保勝会は、定款に「国民共有の文化遺産である重要文化財建造物等及び名勝庭園の保存・活用を通して、歴史及び文化の継承とその発展を図り、潤いある地域社会づくりに寄与するとともに、日本の文化を世界に発信することを目的とし」(第3条)とあり、その公益目的事業として、
 (1)重要文化財建造物及び名勝庭園の維持管理
 (2)重要文化財建造物及び名勝庭園を活用した伝統文化の振興
 (3)原三溪に関連した美術品等の収集、保存及び活用
を掲げている(第4条)。

 「重要文化財建造物」、「名勝庭園」、「原三溪に関連した美術品等」の三者を解りやすく古建築、庭園、美術品と略称し、私は密かに三溪園の「三種の神器」と呼んでいる。

 その一つ、古建築の保存工事に向けて、伝統技法に裏打ちされた匠の技が30年ぶりに結集する。その最初が臨春閣である。工事の進展に合わせ、来園者への工事見学会を予定している。三溪園ホームページ等を通じてお知らせするので、楽しみにしていただきたい。

駐日外交官たちの写真展

 三溪園の鶴翔閣において「にっぽん-大使たちの視線2018」写真展が開かれ(2019年2月5日~11日まで)、多くの人が訪れている。副題は「外交官がとらえた明治維新から150年を迎える今のニッポン」(”Meiji 150 years, Japan Transforming –- through Diplomat’s Eyes 2018“)。日本の昔ながらの伝統や文化、近代的な風景など様々な視点の作品を観ることができる。

 この「にっぽん-大使たちの視線」写真展は1998年に始まり、今年で21回目となる。高円宮妃殿下名誉総裁、中曽根弘文参議院議員選考委員長、パンサーン・プンナーク駐日タイ王国大使実行委員長(今年度から)を中心に、各国駐日大使をはじめ外交官諸氏が日本の今を活写するユニークな取組である。今年は、45カ国67名の方々の出品があった。

 外交官は、その職業上、駐在する国の鋭敏な観察者であり、駐在国の各地を訪れて人々の生活に触れ、課題を共有する。その経験が写真に投影される。

 2月5日10時からオープニング・セレモニー。開催地を代表して林文子横浜市長が、「…横浜は商業写真発祥の地であり、伝統とモダンが共存する街並み、いたるところに残る豊かな自然など、魅力的な撮影スポットにあふれています。ここ横浜で、多くの方々に写真映像文化に親しんでいただくため、毎年1月から3月に<撮る・みる・楽しむ横浜写真月間フォト・ヨコハマ>を開催しており、このたびの写真展は、このフォト・ヨコハマとの共催…」と紹介した。

 <横浜写真月間フォト・ヨコハマ>の関連事業として、三溪園でも過去にエバレット・ブラウン展やトークショーを開いている。本ブログの2015年1月25日掲載「光画と写真」、2015年3月2日掲載の「湿板光画の思想」、2017年2月20日掲載の「湿板光画といけばな」をご覧いただきたい。

 そして林市長は会場の三溪園に触れ、「…明治時代末から大正時代にかけて製糸・生糸貿易で財をなした実業家・原三溪が造り上げた日本庭園であり、…この鶴翔閣は日本を代表する芸術家・文化人と広く交流し…こうした人々が集い、また画家たちが創作活動のため滞在した場所、…今回の写真展は自然と歴史が織りなす古建築の和の空間で、ゆっくりお楽しみください」と結んだ。

 名誉総裁高円宮妃殿下は、形式ばらず、にこやかに、写真展の意義を語られた。妃殿下は写真家としても著名であり、これまでフォト・ヨコハマの一環として、三溪園において2015年2月「写真展 鳥たちの煌き(きらめき)」(三溪園内の白雲邸)を開催、「バードウオッチャー」林文子市長と息の合った鑑賞トークが印象的であった(本ブログの2015年2月14日掲載)。以来3年連続で妃殿下の写真展が開催されている(会場を鶴翔閣へ移す)。今回は妃殿下のお力添えで林市長念願の「にっぽん-大使たちの視線」写真展が実現した。

 実行委員長のプンナーク駐日タイ王国大使は、キルシュ前駐日ルクセンブルグ大使から大役を引き継がれたが、その挨拶のなかで「日本と諸外国との文化交流と友好を深める役割を果たし、…明治という時代の魅力や何気ない日常の中で見つけられる日本の美しさなどを見事に切り取った45カ国67点の作品があり、たいへん難しい選考を経て…」と述べる。

 選考委員長の中曽根議員は挨拶文のなかで「…1848年に日本に写真機材が初めて輸入され、…幕末から明治にかけて激動の時代の人々や街が記録され…」、1998年に創設されて以来、「…外交官の洞察力は、この国に根ざしている文化、芸術、信条に関心を持つ多くの人々を時には驚愕させ、時には楽しませてきました」と述べる。

 河野太郎外務大臣は祝辞文を寄せている。「…明治期の変革の息吹をうけて生まれ、今日も変革を続ける日本の魅力・強みを日本人に再認識させる機会を与えてくれるでしょう。本写真展が外交官たちの日本への深い理解、共感、愛情を示すものとなることを期待します。…」

 テープカットの後、ゆっくり観覧に移る。会場の鶴翔閣は1902年完成の原三溪の旧宅の平屋で畳敷きが基本、板張りの廊下を含めてスリッパも禁止の純和風家屋である。この伝統的空間に写真と解説を載せたパネル(58cm×71cm)を畳の上に、見やすいように斜めに立てて設える。ガラス戸越しに入る光が写真を柔らかく照らし、目を上げると庭の景色が飛び込んでくる。

 高円宮妃殿下は「光あれ」の一点を出展された。明治記念館玄関の16弁菊花形の笠ほか4種の照明器具を配した、幻想的な写真である。その解説に「明治4年に横浜市に日本初のガス灯が設置され、明治15年に一般の人が見られる最初の電灯、アーク灯が銀座に灯された。…」とある。

 中曽根選考委員長の写真は「碓氷第三橋梁、日本の近代遺産」。新緑の青空の下の碓氷峠に掛かる鉄橋を上面に、その案内板(旧信越本線の碓氷第三アーチ、昭和45年1月1日)を下面に配した記録型の作品である。

 実行委員長プンナーク大使の写真は「歴史遺産と現代の大阪」、大使夫人は(新宿御苑と思われる)「日本庭園と高層ビル」である。

 ついで高円宮妃殿下メモリアル賞に選ばれた「池に浮かぶサクラ」。画面いっぱいに水面に浮かぶサクラ一輪。日本を代表するサクラを、意外な構図で表現している。

 グランプリには「伝統と携帯電話の調和」が選ばれた。米国フィラデルフィア製の大きなコーヒーミル?が展示されている脇で、和装の女性が携帯電話を操作している。アンバサダー賞には「母と子」が選ばれた。

 選考委員会スペシャル・メンションの作品は次の8点である。「献身-神聖な神輿を担ぐ信奉者」、「静かな雨粒、高野山」、「開港後、明治時代に著しく発展した横浜港」、「改革と進化、小樽」、「美しい日本の発見」、「和尚曰く、よく撮れているよ」、「あなたがランボルギーニを愛するなら」、「あなたの選択はどれですか」。題名は出品者が付したもの。

 さらに関心をお持ちの方には、『写真展図録』がある。「にっぽん-大使たちの視点写真展」実行委員会事務局、☎03-3543-0156またはファックス03-3543-0157までお問い合わせいただきたい。

三溪園ボランティアの活動

 三溪園ボランティアは、2003(平成15)年9月に第1次募集を行い、今年で14年になる。昨年6月の第13次募集で、現在233名が登録。すっかり定着し、三溪園の魅力を外に発信する第一線の活動を担っている。

 三溪園は年末の3日間のみ閉園し、他の362日間を開園、多くの来園者に対応するため、ボランティアは幾つかの班に属し、曜日ごとに分かれて活動している。これだけの数になると互いに交流のない人も少なくない。そこで「ボランティア相互の活動を知り、お互いに認め合い、仲間意識を高めていく場とする」ことを目的に、年に1回、三溪園ボランティア連絡会・懇親会が開かれてきた。

 私もブログで過去3回、2015年12月21日掲載の「三溪園のボランティア」、2017年1月30日掲載の「三溪園ボランティア連絡会」、2018年1月29日掲載の「三溪園ボランティア」で紹介したが、これらと重なる部分をなるべく省いて、今回の三溪園ボランティア連絡会・懇親会を記しておきたい。

 2019(平成29)年1月17日(木曜)、園内の鶴翔閣楽室棟に過去最多の約100名が参集した。日本海側の猛吹雪に反して、南関東は穏やかな晴天、ガラス戸ごしに陽がこぼれる。担当は事業課の岩本美津子主事、昨年まで担当の羽田雄一郎主事の支援で30ページの冊子を作り、司会も兼ねた。

 今年から内田弘保理事長と猿渡紀代子副理事長が参加して挨拶、三溪園との馴れ初めを含む自己紹介をし、ボランティアへの感謝と激励の言葉を述べて、喝采を浴びた。

 吉川利一事業課長が冊子の資料「ボランティアの歩み(年表)と「現況」を使い、短く「2018年の活動のふりかえりと今後の予定」を話したうえで、ガイドボランティアについて岩本主事、英語によるガイドツアーについて滝田敦史主事、合掌造りボランティアと庭園ボランティアについて羽田主事がそれぞれ冊子の資料をもとに説明する。

 ボランティア233名の内訳はガイド157名、合掌造46名、庭園74名。年齢は35歳~90歳だが、70歳前後の団塊世代が多い。男性166名、女性67名。居住地は横浜市内ほか、神奈川県下の川崎市・大和市・逗子市・鎌倉市・藤沢市・横須賀市・綾瀬市・茅ヶ崎市・海老名市・足柄下郡(湯河原町)に加え、東京都は世田谷区・大田区・町田市、埼玉県さいたま市、千葉県八千代市にも。

 ガイド登録後に三溪園主催の研修で最低限の共通事項を修得、さらに研鑽を重ね、どの人も得意分野を持っている。庭園、古建築、襖絵、茶室、花や樹木、石、苔、露地、野鳥、そして三溪園を作った原三溪の思想や生き方等、広範囲に及ぶ。三溪園の奥深さが、探求の喜びを与えてくれると言う。

 活動報告・エピソード紹介等のスピーチの筆頭は、ガイド月曜班の湯川幹夫さん(以下、敬称略)で、火曜班を甲本基、水曜班を鈴木康穂、木曜班を大宅ミチ子と太田泰司(ともに10年目のベテラン)、金曜班を細井茂邦、土曜班を石毛大地、日曜班を福居英三がそれぞれ個性豊かに話す。

 ガイドは、11時からと14時からの2回、各1時間の定時のほか、団体客のガイドにも当たる。曜日により違う来園者の数、団体と個人、日本人と外国人、天候の影響等を踏まえて、臨機応変に対応する。

 ひとたび門をくぐれば五感のすべてが解放される三溪園。四季の移ろい、一つとして同じではない動植物、重要文化財を含む17棟の古建築、記念館展示の美術品、これらの魅力を感受するにとどまらず、来園者にどう伝えるかに腐心する。この貴重な活動を担うのがボランティアである。

 熱がこもれば、話は長くなりがちになる。司会の岩本主事の「…時間が押していまして…」の悲鳴に「…ガイドの基本は喋り過ぎないこと…」と応える声があり、笑いが拡がる。

 合掌造ガイドは、月曜班が藤原昌子、火曜班が矢野幸司、水曜班が鈴木克精(よしあき)、木曜班は所用で欠席、金曜班が佐藤美奈子、土曜班が松井正、日曜班が鈴木彰文のみなさん。合掌造は、三溪園内の重要文化財のうち唯一、常時開放で民具等も展示、飛騨白川郷の年中行事の再現等を行い、囲炉裏の火を絶やさない。

 来園者からの質問に備えて、外国語セルフガイドシートを作ったとの報告もあった。在日歴20年余のアメリカ人、パメラさん作製の英語版(イラスト入り)から始めて、中国語版(簡体字と繁体字)、フランス語版、スペイン語版、韓国語版を揃え、入口の棚に置いている。

 合掌造りは飛騨白川郷で解体し、園で組み直した。建物のまま丸ごと空輸されたと思っていた来訪者が、この説明を聞いて、日本の木造建築の質と技術の高さに感銘を受けたと言ってくれたとの事例報告が印象に残る。

 植栽の手入れや路地の清掃等に当たる庭園班は畔上政男と宇佐美芳孝が、茶の湯の会は吉野直美が、自然観察会は竹内勲が、英語の会を野間昇がそれぞれ紹介した。事前にペーパーを準備して冊子に載せて話す人、メモなしに淀みなく話す人、スタイルもさまざまである。

 ほかに冊子には6本の活動報告・エピソード等が紹介されている。吉野直美(ガイド月曜班)「英語ガイドツアーに思うことーライスペーパーのお話―」、小野俊明(ガイド水曜班)「ガイド・ボランティア活動から感じたいくつかの提案」、大西功(ガイド金曜班)「私の忘れ掛けた10年位前のエピソードの想い出」、玉田節雄(ガイド日曜班)「春夏秋冬四季の調べ」、酒巻史朗(合掌造月曜班)「平成30年度三溪園ボランティア活動報告・エピソード」、志村忠夫(合掌造水曜班)「三溪園は国内留学? 外交官になったような気が!」。いずれも珠玉の短編ばかり。

 最後に私の閉会のあいさつ。

 つづく椅子とテーブルの位置を変えての立食懇親会は、班を越えた交流で賑やかに盛り上がった。その笑顔が、三溪園ボランティアの雰囲気を何よりもよく物語っている。
プロフィール

Author:加藤 祐三
日本の歴史学者

横浜 市立大学名誉教授

国指定名勝・三渓園(横浜)
園長

・前都留文科大学長
(2010~2014)

・元横浜市立大学長
(1998~2002)

主な著書
「イギリスとアジア」
         (1980年)
「黒船前後の世界」(1985年)
「東アジアの近代」(1985年)
「地球文明の場へ」(1992年)
「幕末外交と開国」(2012年)
蒋豊訳「黒船異変」(2014年)
蒋豊訳「東亜近代史」
         (2015年)

 など

専門
・近代アジア史
・文明史

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
カテゴリ
QRコード
QR