三溪の書

 いま三溪記念館(三溪園内)で開催中の所蔵品展は、第1展示室が「新涼」と題した三溪等の季節の日本画、第2展示室は臨春閣の障壁画「瀟湘八景」(中国湖南省の風光明媚の地)、第3展示室はミニ企画展「三溪、こころの書」である(第3展示室だけ2017年9月28日まで)。担当は清水緑学芸員。
 展示室の奥行が浅い場所に、立体物をいかに効果的に配置するか、また日本画などは油絵と異なり脆弱なため、保存のために展示のあと一年くらいは休ませる必要がある。こうした種々の制約のなかで、清水さんは知恵を絞り工夫をこらして公開をつづけてきた。

 これまで絵画や資料類では「三溪の家族」、「歌」、「画家の手紙」、「三溪画集への礼状」、「屏風」、「巻子」等、多様なテーマで展示、「書」を中心とした「ことば」の展示も行ってきが、今回の三溪の「書」は、旧来のものとは異なる。
 三溪は多くの人に自筆の毛筆の書を贈った。求められて揮毫したもの、何かの餞に贈ったものもある。近年、当時の実業家や原合名会社の社員の子孫の方々から、こうした書を寄贈いただくことがある。

 企画の狙いを「それぞれ、三溪が選んだ、その人にふさわしい言葉が書かれています。その他にも、三溪がしたためた言葉は、その奥深くに込められた、三溪自身のこころの内が反映されているようです。ここでは、そのような三溪の書を紹介します。その心の動きとあわせてご覧ください。」と記す。
 先日、担当の清水さんに案内してもらった。展示の書は計9点(番号は私が付した)、書の解説とそれに付した漢字2字のキーワード(ロゴ)を以下に抜粋する(丁寧語を普通語に変える等、一部改変)。そこに担当者の意図が見える。

1 清虚(せいきょ) 解説に付したロゴは無私
清虚は清らかで我欲がないこと。釈迦の教えにも無私の教えがあり、高潔な君子にあてはまる。三溪は多くの富と広大な庭園、優れた美術品を所有していたが、自然や造られた美は公共性を持つものであるという考えを持ち、「我欲」のない人物であったといえる。

2 若愚(ぐのごとし) ロゴは謙虚
「大智若愚」(大智は愚のごとし)とは、禅語で本当の知恵者はかしこぶらないという意味。博学で人格者の君子に重なる。三溪は、年下の人や従業員に対しても敬称をつけて名前を呼ぶなど、常に謙虚であり、教えを乞うという姿勢を忘れない人物だった。

3 順徳者昌(とくにしたがうものはさかえる) ロゴは道徳
『漢書』の言葉、これに続く言葉は「逆徳者亡」。道徳に従って行動する人は栄え、背く人は滅びるの意味。これも、三溪が人間として大切な言葉を選んだと思われる。今の世の中、特に身に沁みる言葉ではないか。

4 唯有義耳(ただぎあるのみ) ロゴは公共
「義」とは利害を捨てて条理に従い、人道・公共のために尽くすこと。関東大震災以後、荒廃した横浜の復興や恐慌による蚕糸業界への支援などに力を入れた三溪の、当時の社会貢献に対する決意・信念が表れている。神奈川県匡済会(きょうさいかい、1918=大正7年創設の社会福祉施設)に掲げてあった。

5 信愛能和衆(しんあいよくしゅうをわす) ロゴは調和
「信愛」とは信用してかわいがることを意味し、その心があれば人はみな調和することができる、という言葉。三溪が原合名会社で多くの事業を展開できたのも、自らがこの信念をもってことにあたったためであろう。別府敏氏寄贈

6 灑以甘露(かんろをもってそそぐ) ロゴは救済
妙法蓮華経授記品第六にある言葉に由来する。美味しい飲み物を与えるということは、法華経の教えを施すという意味。これは三溪が尽力した神奈川県匡済会に掲げてあったもの。三溪はこの言葉を宗教的な意味ではなく、「社会救済を実践する」という意味で書いたと考えられる。

7 観瀾書屋(かんらんしょおく) ロゴは知識
書斎の中から波を眺める。書斎にある膨大な書物を通じて知識を蓄え、広い世界を知る、或いは漣のような小さな一歩も書斎からということか。三溪と共に横浜復興会工業部副委員長を務めた実業家・石塚氏に贈ったもの。石塚氏の人物像を表したのであろう。 石塚壽彦氏寄贈

8 太虚(たいきょ) ロゴは根源
中国の「気」の哲学が言う、気によって万物が生成消滅する宇宙のことを指す。天空や虚空とも。三溪園の「自然」は万物共有のもの、という三溪の考え方の根源は、この「太虚」にあるのかもしれない。

9 白雲心(はくうんしん) ロゴは自由
三溪が好んだ「白雲」という言葉。禅語では、何ものにもとらわれない自由闊達な境地、無心で物事にこだわらない清々しさがあるという意味を持つ。人格高潔な君子や高士に通じ、三溪の目指す境地を表している。

 以上9点のうち、4と6は同じ神奈川県匡済会の大広間に掲げられていたもので、額は横330㎝、縦135㎝ときわめて大きいが、他は通常の和額や掛軸のサイズ。すべて右から左への横書きである。書いた年を記したものは少数。
 なお中央のガラスケースにあるのは松風閣蔵品展観図録(しょうふうかくぞうひんてんかんずろく)。園内の松風閣の倉に所蔵品の一部を収めていたが、これは後に売立を行おうとしたときの目録で、現在でも名品とうたわれる多くの美術品が記されている。開かれた頁は、弘法大師(空海)自筆の《金剛般若経開題残巻》(現福岡市美術館所蔵・重要文化財)。三溪が倣ったといわれる空海の書風は、この軸から学んだのかもしれないと解説にある。

 この企画を担当した清水さんは、10月末で退職される。15年の在勤中に多くの企画をこなし、最後を三溪の書で締め括ったのは、そこに三溪の想いが詰まっていると考えたためとのこと。2字でまとめた9個のロゴに、三溪の生き方が浮かびあがる。
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国指定名勝の10年

 三溪園は平成19(2007)年2月6日、文化財保護法の規定に基づき国指定の名勝となった。明治39(1906)年の開園から100年後である。それからさらに10年が経った。
 指定の解説文に「三溪園は、近世以前の象徴主義から脱却した近代の自然主義に基づく風景式庭園として傑出した規模・構造・意匠を持ち、保存状態も良好で、学術上・芸術上・観賞上の価値は極めて高い。また、当初の原富太郎(三溪)の構想どおり広く公開され、多数の来訪者に活用されている点も高く評価できる。」とある。
 
 国指定名勝とは、「我が国の優れた国土美として欠くことができないもの」(平成7年改正の文部省「指定基準」)であり、自然的なものから人文的なものまで指定範囲は幅広い。①公園、庭園、②橋梁、築堤、③花樹、花草、紅葉、緑樹などの叢生する場所等11種に分かれ、2017年6月現在、計402件。国指定名勝の整備には国の補助金が出る(補助対象経費の半額)。
 上記①公園・庭園のうち庭園は144件で、所在地は京都45、滋賀19の順に多く、金閣寺、銀閣寺、苔寺、大徳寺方丈庭園等があり、また岩手県の毛越寺庭園、東京の小石川後楽園、旧浜離宮庭園、六義園、さらに金沢の兼六園等が有名である。近代の庭園はきわめて少なく、東大構内の懐徳館庭園、佐倉市の旧堀田正倫庭園等、そのなかで三溪園の規模は約18haと群を抜く。 

 公益財団法人三溪園保勝会では、平成20(2008)年度から国の補助金を受けるようになり、平成21(2009)年4月、各分野の専門家・学識経験者(歴史、庭園、建築、植生、地盤工学等)にお願いして、三溪園整備委員会を設置し(担当は羽田雄一郎主事)、重要事項の審議をつづけてきた。委員の任期は1年とし再任を妨げないと規定、委員長は本年度も引き続き尼﨑博正教授(京都造形芸術大学)を互選した。

 2016年度3回目の委員会(2017年2月16日)において「名勝三溪園保存整備事業報告書(中間) 平成28年度」(384ページ、以下、報告書と呼ぶ)が提出された。委託先は㈱環境計画研究所(吉村龍二所長)、以下の5章からなる総合的かつ詳細な内容で、書名に(中間)とあるのは、これからも続くことを意味する。
 第1章 保存整備事業の経緯と目的
 第2章 三溪園の価値
 第3章 保存整備事業
 第4章 保存管理計画
 第5章 事業計画

 この報告書を踏まえて、いま三溪記念館の第3展示室で8月16日まで「名勝指定10周年記念―三溪園をまもり伝える―」が開かれている(担当は羽田主事と清水緑学芸員)。三溪園を守り伝えるため、さらには開園当初の姿に近づけるため、各分野の専門家により「名勝整備委員会」を立ち上げ、長期計画により三溪園の整備を行ってきた経緯を紹介している。その一部を抄録しよう。

 (1)整備のこころがまえ:三溪園の保存整備事業は、変化しつつある景観を、傷んだ部分の修理や、危険な箇所の保全、生長しすぎた樹木の整理などを通して、元の姿に近づけることを目的とする。それには、発掘調査や史料をもとに明らかになった事実をよりどころとして、実際の修理方針を検討し、設計、実施というように手順を踏んですすめていく。原三溪がつくりあげた作品である三溪園を守り伝えていくために、十分な検証を行いながら、よりよい姿で後世に遺していくことを目指す。
 (2)三溪の庭づくり:三溪園の土地は、先代・善三郎が別荘地として求めたもので、善三郎の逝去(明治32年(1899)後に三溪が引き継いだ。三溪が構想した庭園の設計図などは、今のところ残されていない。三溪が美術品を収集していた際に、奈良の古美術商・今村甚吉へ宛てた書簡の中に、建造物や庭石の入手について触れられているものがある。三溪園の庭づくりには、三溪自ら足を運び、目で確かめて、一木一草一石が選ばれたことがわかる。そのことを記した三溪の書簡を紹介する。
 (3)三溪園のこれから:三溪は「自然は造物主の領域」であり私有すべきではなく、公共性があるものという考えを実践した。三溪が心をこめてつくりあげた庭園は、古建築や美術品の保存も視野に入れた文化財そのものである。名勝整備事業は現在、整備委員会発足時に立てた長期計画の半ばである。多くの文化人が集い、多くの市民の憩いの場である三溪園の姿をよい状態で遺していくため、これからも丁寧に保存整備をすすめていくことが望まれる。

 これまで実施した具体的な保存整備事業は以下の通りである。
 内苑流れの整備 平成20~24年度(2008~2012)
 外苑流れの整備 平成22~25年度(2010~2013)
 植栽整備 平成21年度~(2009~) 
 内苑土塀の保存修理 平成20年度(2008)
 寒霞橋欄干の改修 平成21~22年度(2009~2010)
 観心橋の改修 平成22~23年度(2010~2011)
 白雲邸崖の整備 平成23~24年度(2011~2012)
 三重塔周辺園路の整備 平成23~24年度(2011~2012)
 亭榭欄干の改修 平成23・25年度(2011・2013)
 大池アオコの調査 平成23~25年度(2011~2013)
 白雲邸崖横穴の修理 平成25年度(2013)
 南門崖の整備 平成25~26年度(2013~2014)
 正門藤棚の改修 平成25年度(2013)
 中ノ島の木橋の改修 平成25~26年度(2013~2014)
 白雲邸倉の保存修理 平成22・25~27年度(2010・13~15)

 いずれも素通りしがちで、目立たない場所にあるものが多い。だが手を抜けば現在の三溪園はない、重要なものばかりである。三溪園の名勝指定範囲18haのうち、山林部は約10haで庭園部は約8ha、来園者が山林部に踏み入ることは稀であり、庭園部についても崖の整備等を目にすることは少ないであろう。

 日々呼吸しつつ生きている名勝・三溪園の整備には、莫大な費用と手間、そして適宜の判断が不可欠となる。整備委員会はそのための「頭脳であり心臓」である。

 近未来の差し迫った保存整備対象は、最初に来園者が触れる正門と南門の一帯である。さらに臨春閣(重要文化財の古建築)の檜皮葺き屋根の葺き替え等の時期も迫っている。2019年11月、横浜で開催予定のラグビー・ワールドカップ決勝戦と2020年夏のオリンピック・パラリンピックに間に合わせたい。

タケの開花(その4)

 三溪園の山上にある三重塔近くのタイミンチクと内苑入口近くにあるオロシマササが今年ほぼ同時に花をつけた。その観察状況や不思議な現象について、二人の生物学者(村松幹夫さんと坂智広さん)の力添えにより、これまで「タケの開花」を3回にわたって述べてきた。開花はすこしずつ拡がり、開花のピークを越えた印象を抱くが、いつまでつづくか正確には予測できない。

 私なりに素人の定期観測をつづけ、お二人の意見をいただいてきた矢先の6月20日(火曜)、17時26分過ぎから約2分、テレビ朝日のスーパーJチャンネルで三溪園のタイミンチクに関する報道があり、坂さんのインタビューへの返答に驚かされた。ご覧の方もおられよう。
 「1928年に咲いたとする記録がある」、「開花後に枯れ死した記録がある」の2点である。しかし、これらについては明確な記録がなく、村松さんの記憶だけ存在するのが現状である。この<記憶>を確かな<記録>を得て証明できないか。調べを進め、究明途上にある段階で、上記の発言はどうしたことか。

 私はすぐ坂さんにメール連絡した。念頭をよぎったのが、長い時間の取材を短時間に編集するさいに、記者(またはテレビ局)の都合の良いように発言の一部を切り取るやり方である。
 
 坂さんから返事がきた。…言葉を選びながらかつ「…と記録がある、と新聞で見られますが」とか「…一般に開花後は枯れると信じられているが」など、しっかり否定なり補足説明をつけておりましたが、その一部だけが切り取られて放映されました。…記者の描くシナリオに合わせた場面が使われました。マスコミの切り取り方に不用意に対応した未熟な点、深く反省しております。…
 
私は次のように返信した。「…やはりテレビに都合の良いシナリオに乗せられたのですね。…その記者にまずは厳重に抗議し、その理由をしっかりと伝えてください。もちろん放映したものを撤回することは不可能ですが、記者のこれからの取材・編集方針にはどこかで役立つでしょう。…」

 これと並行して、以前からの課題である村松さんの記憶に関して、放送当日の20日に、ご本人から丁寧な返事をいただいた。以下は21日付けの私の返信の末尾である。

 ご丁寧な説明を拝受しました。ありがとうございます。…
とくに後段にある三溪園のタイミンチクに関して…現状では次のように考えるのが妥当ではないでしょうか。

 ア)生物学者の発言は重要ですが、発言者が不明で文献記録もなく、村松さんの記憶にすぎないとすれば、十分な証拠(エビデンス)にはならない。

 イ)三溪園のカンザンチクが昭和初期に枯れ死したという話(=発言者不明、文献記録なし)も同様に十分なエビデンスにはならない。…カンザンチクとタイミンチクは近い仲間であるが、もと2種あって枯れた種があったのか、カンザンチクがあったのか、カンザンチクとタイミンチクの混同なのかが、結局不明確のままになったという村松さんの注釈は記憶にとどめるべきであろう。

 ウ)開花や枯れ死について生物学者の記録がない現在(発言はあったとの後の記憶のみが存在する)、唯一考えられるのは新聞報道、地域の新聞である『横浜貿易新報』(戦中の「一県一紙」政策により神奈川新聞となり現在に至る)の該当年に当たることです。名所三溪園の大事件なら記事になるであろう。

 ここに記載が見つかれば十分なエビデンスとなりますが、見つからなければ1928年の開花はいまだ「口伝」、「噂話」、「風聞」、「生物学者の記憶」の中にだけ存在し、事実の確認はできない、と結論せざるを得ません。
残された希望である『横浜貿易新報』の点検に待ちましょう。

 そこに坂さんからのメールが届いた。21日にテレビ朝日の記者に「抗議」した内容である。

 先だっての"スーパーJチャンネル”を…昨日改めて録画で見直してみしたが、私の話のところで「1928年に開花した記録がある」、「一斉開花の後は枯れてしまう」という形に切り出されて、90年ぶりの開花ということが強調されてしまっており、意図するところと違っていることに気づきました。私たち研究者は、論文や記録が存在してその原典にあたることができると引用してはっきりと言い切りますが、まだその歴史的証拠に行き着いていません。…今回のように「『1928年に開花した記録がある』の発言だけを切り取るのは誤りで、記録を現在調査している段階にある。その口承や記憶について、視聴者の方から新たな記録の情報が得られることも期待したい」という意図だったですね。私が取材慣れしていなかったので申し訳ありませんが。…

 竹薮が一斉に枯れてしまうことの話題性だけを期待されずに、むしろ…今後の新しい知見を是非とも第二弾としてお伝えいただければ幸いです。…

 追いかけるように坂さんからまたメールが来た。メールによる自分の抗議に対して、記者から電話があり、全く気付いていなかった、メールを読んで大変大きなミスをしてしまったことを猛省し謝罪したいと話された、とある。
具体的には話の構成を「90年ぶりの開花、何かが起こるのでは?不思議がいっぱい」という流れで組み立てたいという思いで、あの形で言葉を切り取ったことに明らかな問題があった…、メールを読んで改めて気づき、報道に関わるものとして今後襟を正して臨む、と話したという。

 なお番組に寄せられたモニターの感想では、「90年ぶりに開花、異変の前兆!?」というより、「タケの花って小さくて、こんなに地味なのだ、探しに行ってみよう」「三渓園は素敵なお庭があるから、今度行ってみたい」というものが大半であったという。また記者は「視聴者の反応がタケの花そのものに向かった自然を楽しむ心情であったことに、作り手の視点をどう置くべきかきかをしっかり考える良い機会になった」とも付言したという。

タケの開花(その3)

 前回(その2)で書いた「一斉開花」と「部分開花」について補足したい。「部分開花」が「一斉開花」の前段階の場合と、群落の一部だけの開花に終わることもあるらしい。一斉に開花した後、群落全体が死滅するケース、開花しても枯れないケース等があり、タケ・ササの種類により異なる。しかし、どこまでが「部分開花」で、どこから「一斉開花」かを現場で判別するのは難しい。

 5月27日朝、坂智広さんから次のメールが入った。
…オロシマササはメダケ属なので、本来はタイミンチクと同様に株によって段階的に咲いていくのかもしれませんね。29年前の記念館完成時に栽植され、いま向かって左側の植栽が地下茎の先端にある新芽まで開花している状況、また右側の生垣は開花していな状況を見ると、植栽を管理される刈り込み作業の効果・影響で一方は一斉開花しており、他方は開花していない。同じ株由来だとすると、非常に興味深い現象があるのかもしれません。いずれにせよ、観察を続けることが肝要と思っております。
…愛知県設楽町の森林でササ属のスズタケが一斉開花したとする日テレNEWSの2016年6月10日の報道がありました。研究者らが設楽町の段戸湖周辺約5000ヘクタールで「スズタケ」の花が一斉に開花したことを確認したと発表、120年に一度しか咲かないと言われるこのササの珍しい一斉開花である。
 村松先生のお話だと、ササ属では一斉開花して群落が枯れた後、種子が発芽して回復するのが多いようです。ミクラザサでは地下茎まで完全に枯れタケノコは出ず、開花結実した種子が落下後直ちに発芽して群落が回復しました。クマザサの開花を見たことがありますが、種子よりも生き残った部分からの回復のようでした。
 マダケ属のマダケは60年、120年周期で一斉開花し、不稔で種子は結実せず、開花稈の地下茎からタケノコで復活したという報告があります。不稔といっても完全に不稔ではなく、開花後地下茎からの再生竹で比較的速やかに藪が回復することはこの分野の間では常識です。

 これまで本稿ではタケとササを区別せずに使い、ときにタケ・ササと併記してきたが、両者の区別を概観しておきたい。その大きさが様々なことから両者の区別がつきにくい場合もあり、日常用語としては明確な区別をせず用いる場合もある。以下、私に分かるかぎりで通説を整理する。
 広義のタケは、その生育型から狭義のタケ(竹)、ササ(笹)、バンブー (bamboo) の3つに分けられる。熱帯域に多いバンブーは地下茎が横に伸びず、株立ちとなる。問題のタケとササの区別は、(1)タケは地下茎が横に伸び、茎(くき)は当初は鞘(さや)に包まれるが、成長するとその基部からはずれて茎が裸になる。ササはタケと同じく地下茎が横に伸びるが、茎を包む鞘が剥がれず、枯れるまで残る。(2)しかし村松幹夫さんによればササでもリュウキュウチク節であるタイミンチクは地下茎が伸びもするが株立ちもする。自然界では様々な進化状態が混在して一概に語る難しさがある。(3)葉の形態ではタケには格子目があるが、ササにはそれがなく縦に伸びる平行脈があるとされる。一般にササはタケより小さいが、一部には逆転する例もあり、オカメザサはごく小さなタケ、メダケは大きくなるササである。
 日本の大型タケ類は中国渡来であると言われるが、ササ類はまずは土着の種で、しかも変異が多い。「竹」の音はチク、訓はタケであるが、「笹」には音がなく訓読のササのみの国字(『漢字源』)であり、竹冠の下の「世」は葉の省略体という。欧米ではササ (sasa) と呼ばれ、日本的な植物として認知されている。またタケから竹釘や籠等を作り、ササの葉の防腐作用を活用して保存食(鱒寿司、ちまきなど)を包むのに使う等々、生活に密着する使途がある。

 ムギ類の研究と並行して村松さんがタケ・ササと関わり始めたのは1953年とご本人が言われる。今年5月25日に初めてお会いした折、論文抜刷3点をいただいたが、タケ・ササに関する最初の論文が1972年発表の2本であり(いずれも『富士竹類植物園報告』第17号)、この分野の先駆者として60余年にわたり研究を牽引してこられた。なお同植物園は世界のタケ500種類を展示する。
 
 大先達の研究と並行して、最近は若手の研究が進み、多数の知見が積み重ねられている。5月30日、坂さんから次のメールが入った。
…日本生態学会誌(2010、60巻1号)に井鷺裕司「多様なタケの繁殖生態研究におけるクローン構造と移植履歴の重要性」の論文を見つけました(アドレス付)。オロシマササはこの論文にあるタイプA、タイミンチクはタイプCにあてはまるのではという考え方になりますか?
 三渓園のタイミンチクも、当初どのくらいの株が植えられて遺伝的多様性があったか、DNAマーカーで分析して見るのも興味深いと思います。  坂

 私は以下のように返信した。
…井鷺論文を拝受しました。…「はじめに」に記されるように、タケ類が有用なため「種レベルの特徴というより、偶然、その地域に人為的に導入された限定された系統の性質であったり、群落を構成するクローン数が極端に少ないという事に起因する可能性がある」との仮説は生態学者らしい、種の人為的環境を重視する見方と思われます。…

 井鷺裕司研究室(京都大学農学研究科森林科学専攻教授で森林生産学を担当)のホームページには「隠花植物の系統分類、植物群落の炭素循環、都市近郊林の管理、植物群落の更新過程などに関する研究を行ってきた。現在の主要な研究テーマは、保全生態学で、フィールドワークと遺伝解析に基づくより適切かつ効果的な生物多様性保全を模索している」とある。

 一方、三溪園のタケの開花がマスコミの関心を呼び、5月31日に毎日新聞朝刊、6月3日に朝日新聞朝刊に記事が載り、6月2日にはテレビ神奈川の放映があった。6月7日の神奈川新聞は、花のカラー写真やそれを撮る来園者の姿、さらに坂さんへの取材記事等を掲載した。
 マスコミ報道の拡がりに加え、三溪園の羽田雄一郎主事の「一生に一度見られるかどうかの貴重な花で感動している…」の言葉が共感を呼んだか、来園者が急増している。
 議論が植物学の深みに入るほど門外漢の私には分からないことが増え、理解不能になることを危惧しつつ、一方でタケ・ササの花、広くは植物や生物の生態の不思議に惹きこまれている。理解できる限り、これからも伝えていきたい。(続く)

タケの開花(その2)

 三溪園のタイミンチク開花報告の続き(その2)である。前回報告から1週間後の5月25日、村松幹夫さん(岡山大学名誉教授)が、木原ゆり子さん(木原生物学研究所創設の木原均博士の三女)、坂智広さんと一緒に来園された。ちょうど「蛍の夕べ」(5月22日~6月2日)や記念館内で所蔵品展「五月雨る―さみだる」「水の色」(5月25日~7月4日)など特別行事の開催中である。
 移動しつつ遠来の客に三溪園の歴史や魅力をお伝えした。横浜が若い都市で、1854年に幕府が日米和親条約交渉地とした横浜村を1859年の横浜開港場としたことに起源すると話したところで、管理事務所前に着く。ここでオロシマササ(福岡県於呂島の原産と言われる)の生垣の開花状況を観察していただく。坂さんが先週より花が格段に増えたと説明する。
 ついで村松さんは横浜開港の1859年について「この年こそ進化論の古典的名著、ダーヴィン『種の起源』の刊行年です…進化論は生物の歴史を説くもの、文系の歴史学と同じ発想により展開する学問です。分析のための素材や手法は異なりますが…」と言う。偶然にも1859年は、生物の謎を解く学問の起源と、都市横浜の起源とが重なる記念の年であることを、初めて意識した。

 本題の「タケの開花」の理解を深めるために、前回に一部のみを紹介した坂さんの5月14日の観察報告をもう少し詳しく見たい。
…花穂の形状が、少し変わったものも認められます。…今回は開花株の範囲が広がっていました。まだ、株全体や山全体が開花するのか?という雰囲気ではないようです。しかしこの10日間でかなり開花が進んだのは確かです。
 タケ・ササの種によって、また集団によって、全面開花~部分開花、その移行型を示すことが多く、いろいろな場合を見てきています。三渓園のこのリュウキュウ節(タイミンチク)はどうだろうか、ということも興味を持っております。
 三重塔をから松風閣のあたりの遊歩道沿い、また外苑に降りていく辺りのタイミンチク、特に小株がよく咲いています。駐車場辺りのタケはまだ新梢が出ていないようなものもあり、かなり場所によってばらつきがあるのでしょうか?集団が遺伝的にバラついているのか、松風閣あたりの集団がF1のような集団なのでしょうか?さらに不思議さが深まってきます。…
 一斉開花は、どのような様相だったのか、古い分けつの節からも花穂がたくさん出て株全体の枝先に花がつくのでしょうか?あるいは、今回のように株元の新梢に花穂がたくさんつくような形になるのでしょうか?…観察で注意したり、見落としてはいけない点をご指導いただけますと幸いです。 坂 智広

 これに対して翌5月16日、村松さんからのメールが来た。
 …メールにて三渓園のタケ・ササ開花の状況をありがとうございます。写真やご報告を読んで、一斉開花に向かっているかと期待を大きくしています。基部根際から出ている小稈にも花穂が形成されていますのでその感じを強くしています。もし一斉的としますと、藪全体がどのようになっているのかが、ポイントと思います。…一斉開花や部分開花について、いろいろな報告がありますが…視点や目線にはとても大きい違い~振れがあります。私は、タケの研究者との会話で、用語を含めて話しの「ずれ」をしばしば感じています。…私は、まだまだ現象論を追求する必要があると思っています。 村松幹夫

 タケの開花は60年、90年、120年と長い周期で1度だけ起きるとされるが、事例報告は多くなく、周期の年限をめぐっても確実なデータはごく少ない。村松さんが「現象論を追求する必要がある」とするのは、現象を的確に観察して記録に残すことの重要性を指しているのではないか。
 また開花の理由についても、タケ・ササはふだん地下茎から伸びてくるクローンにより世代交代を行うが、それが限界に来たとき開花・交配して種をつくり次世代を生むとする仮説があるが、これも不稔の場合には通用しない。また開花を引き起こす情報伝達と物質(ホルモン等)が何かも気になる。

 上記の村松メールに対する坂メールは次のようにある。
 薮全体がどうなっていくか、大変興味あります。…三渓園のタイミンチク開花株周辺の竹薮は、新枝?の伸びに勢いがあって他の場所と違った雰囲気を醸しだしているようにも感じます。…竹薮の奥の方が気にかかっています。
 またタケの開花を誘導する遺伝子が基本的にはシロイヌナズナやイネと同じく植物に広く保存されているFTとTFL1遺伝子が関与していることを報告した論文を見かけました(アドレス付き)。…いくつかの歯車が組み合わさって数十年のサイクルになっているであろうところが興味深いですね。地際からの若い稈に花が多いのは、葉で作られたフロリゲンが成長点に十分量届いていると言うことなのでしょうね。  坂 智広
 
 そして我々は三重塔方面へ坂道を登り、いよいよタイミンチクの開花観察に向かった。米寿(88歳)を超えた村松さんは、周囲の植物に目を配りつつ、足取り軽く歩く。タイミンチクの花は、すっと伸びた花穂の先端に雌しべが包まれ、それを取り囲むように雄しべ(その葯は数ミリ)3個が垂れ下がっている。
 開花は、同じ株の各所に、そして他の株へと確実に拡がっていた。だが村松さんによれば、これが「一斉開花」の前兆なのか、それとも「部分開花」なのかを確定するには、さらに2~3週間の観察を待つ必要があるとのことである。
 この話の延長上に「竹酔日」(ちくすいじつ)という言葉が村松さんから出た。この日にタケを植えるとよく育つという中国の言い伝えで、陰暦5月13日、新暦で6月23日頃を指す。この頃がタケの個体更新や世代交代の最適期なのか。まずは竹酔日までの変化をしっかり観察していきたい。(続く)
プロフィール

Author:加藤 祐三
日本の歴史学者

横浜 市立大学名誉教授

国指定名勝・三渓園(横浜)
園長

・前都留文科大学長
(2010~2014)

・元横浜市立大学長
(1998~2002)

主な著書
「イギリスとアジア」
         (1980年)
「黒船前後の世界」(1985年)
「東アジアの近代」(1985年)
「地球文明の場へ」(1992年)
「幕末外交と開国」(2012年)
蒋豊訳「黒船異変」(2014年)
蒋豊訳「東亜近代史」
         (2015年)

 など

専門
・近代アジア史
・文明史

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